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2023-12-16

救いの前に彼らを迷わせなければならない

バイオ大学での福音学での恩師、カーティスミッチェル博士はよく言っていた。「救いの前に彼らを迷わせなければならない」と。もし人々が自分たち生活に何か深刻に満たされていないものを感じていなければ、新たな信仰を受け入れるとは考えにくいし、まして神や救いを求めようとするはずもない。

ダニエル・L・エヴェレット(著), 屋代通子(翻訳)(2012年)『ピダハン―― 「言語本能」を超える文化世界観』(みすず書房pp.369

 キリスト教宣教師によって世界各地に伝播していく仕組みはこれだったのか。ローマエルサレムとははるか遠くに離れたアジア南米にまでキリスト教が広まっているのが不思議だったけれども。キリスト教には原罪というすべての人類に押しつけがましく罪悪感を植え付ける思想があって、個人的には気に食わなかったけど、宣教にはうってつけの手法だったのか。

 著者のエヴェレット博士は、SILという米国キリスト教宣教師組織の一員として聖書ピダハン語に翻訳して宣教するために、ブラジルアマゾン少数民族ピダハン集落へと妻子と共に赴いた。著書によると、聖書翻訳してピダハン理解させることはできたが、キリスト教信仰を受け入れさせることはできなかった。

 ピダハン特別宗教信仰しておらず、実際に見聞きした物事しか信用しない。あえて何らかの信仰があるとすればアニミズム信仰であり、あらゆる物に精霊が宿っていると考えている。さらには自らが精霊になったりもする。故人に変装して土葬されたとき気持ちトランス状態で語ったり、精霊の名のもとに自らの雄弁さや教訓を語ったりといった具合にだ。日本で言うところのイタコ芸かと私は思った。ピダハンにとって精霊は、実際に見聞きできるものなのだ

 ピダハンにとってイエス・キリストは実際に見聞きをすることのできない存在なので信仰対象たり得なかったのだ。翻訳された聖書の音声レコードを聞いて文化の違いに笑ったりもするが、聖書エンタメしか理解されなかったようだ。洗礼者ヨハネが首をはねられる場面を楽しみながら何度も聞いたという具合にだ。エヴェレット博士宣教師だが、同時に言語学者として大学での研究も並行していた。実証されたこしか信じないピダハンの態度を目の当たりにして、エヴェレット博士科学者としての自らの論理的思考の結果から信仰に疑問を持って無神論者になったという。

 聖書アニミズム信仰者に理解させることができなかったことは、キリスト教宣教師が自らの信仰喪失させるほどのことだったのだろうか。だとしたら、過去世界中にキリスト教宣教できたのはなぜだろうか。やはり、金や暴力といった強制力を働かせなければ宣教は難しいのだろうか。日本に対するキリスト教宣教師がそうだったように。冒頭で引用したように、強制力をもってして迷わせることが、キリスト教宣教による救いを与えるのに必要な前提なのだろう。ジャングルという恵まれ自然に満足して常に笑顔を絶やさなピダハンには、迷う必要そもそもなかったから、キリスト不要だったのだ。

 科学技術の発展にともなう人々の論理力の向上と、金や暴力による強制力忌避する社会的な風潮によって、宗教の力は今後ますます縮小していくことだろう。日本において神道仏教などの宗教の力が人々から薄れていくのと同様の運命を、キリスト教など他の世界的な宗教でも同様にたどっていくことだろう。

2019-09-04

ピダハン族を見習え

無償の愛?そんなもんは存在しない。すべてにおいて金が要る。

弱者は見捨てるのだ。

そうでもしないと国が保たない。

弱者を救え」って?そう言う奴が救えよ。

弱者うんぬんより、日本が全体的に良くなる方向に賭けよう。

2019-09-03

知らないことは予想、想定することが出来ない

どこかで知識を得ないと「それをやろう」とは思えないはずだ。

何かを実行する際に、その情報は何かから得ている。

「嘘」という単語が無ければ、嘘という概念が無かったり

未来過去」という概念存在せず「今」しか見れない平和ピダハン族も居る。

anond:20190903102828

・左右の概念がない。

明暗以外に色を区別する言葉がない。

過去未来を表す言葉がない。

・男や女という性差を表す言語がない。

兄弟姉妹より離れた親族を表す語がない

・口笛や鼻歌にもできる

・交換的言語使用がない。「こんにちは」「さよなら」「ご機嫌いかが」などの人間関係を維持するための言葉がない。

・別の文や句のなかに現れる入れ子構造は「再帰」と呼ばれ、言語無限創造性を与える基本的な道具であると考えられてきた。これがピダハン語には見られない

個人中心ではない見方、周りの空間環境を中心とした世界見方

私たち普通言語であれば当然である区別がないのだ。


①今の瞬間を生きる

言語未来型と過去型がないということは、未来過去を考える事ができないのだ。つまり過去を後悔することも未来不安に思うこともできない。

この瞬間にしか生きていなのだ

区別のない世界

他人自分を分けてしまう事は、怒りや嫉妬差別、悩みなどを生み出す。しかピダハン族は「他人自分」、「自分世界」などの区別曖昧なのである

ピダハン言語文化は、直接的でないことを言葉にしてはならないという文化の制約を受けている

anond:20190903102621

増田で薦めてもらったピダハン族の本を注文したので楽しみ。

お前がそうなったのは洗脳の結果だ





ピダハン族を




見習え





anond:20190903094604

2019-09-02

anond:20190901124112

ピダハン族は実際に見聞きしたことしか話さず、架空の話はしない。

文法には過去未来概念もなく、“いま”を生きている。

そのためか宗教をもたず、未来への不安もなく過去からの後悔もないという。

https://wired.jp/2019/09/01/recursive-language-and-imagination/


ピダハン族を見倣え。

2017-12-25

anond:20171225101059

ピダハンが神を持たないという話があったけど、ピダハンについては議論があるようなので怪しいかもしれない。

2015-06-08

http://anond.hatelabo.jp/20150608001846

ピダハンは神を必要としていない。

文明という支配構造を知らないでいたとき人は神を必要とせず、精霊とともに生きてきた。

神は、人間が支配のために作りだした。

神のない世界で人びとは何百万年も生をつないで繁栄してきた。

神が出来た世界で人びとはわず1万年に満たない期間に

地球上の生物を根絶やしにしかねない状況を生んだ。

神を作った人間と、神を必要としない人間のどちらが人間らしいのか。

 
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