はてなキーワード: 占星術とは
ちょっと前のハナシになるけど、都内の小劇団の公演を見に行ってきた。
というか、なんかこの2ヶ月、小劇団を観に行くことが多くて。
(いや、そんなマニアみたいに毎日、毎晩ってわけじゃないけど)
キッカケは、
https://anond.hatelabo.jp/20170925212923
この劇団で。
でもって、出演していたキャストが新宿ゴールデン街でバイトしているという情報を聞きつけて、その店を仕事の接待の2次会で使ったのよ。
いろいろと話も聞きたかったし。
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そしたら、その女優さん。
舞台の上の颯爽とした男装イケメンぶりとはまったく違うホニャホニャ~っとした実に気立ての良さそうなお嬢さんで。
思わず「よ~しオジサン太っ腹なところ見せちゃうぞ~!」と彼女の新しい公演のチケットを購入したのが一ヶ月以上前。
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演目は『人形を殺す』(劇団 竹/竹林 林重郎 作)
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例によって記憶を記録に変えるため、ここに自分の感じた印象を残しておくことにする。
随所にその後の聞き取りで得たデータもはさんでいくんで、そこはご参考までに。
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■全体として
いろいろと語りたいことはあるけれど。
まずは。
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まさかこのオッサンが芝居で爆泣きさせられるとは思わなかった。
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もう、その、なんだ。このイヤな感じに古びてネジれまくった心のどこに、こんな涙が残ってたのか、ってくらい。
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全体のアウトラインとしては。
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とある一家の主人、フトシの葬儀に彼の隠し子のミツルが訪ねてくるところからストーリーは始まる。
子供世代にあたる長男、長女、後妻の連れ子、隠し子の4人を物語の中心として、彼らの記憶にある父、父の愛人、母、後妻の姿が交錯する。
回想を交えて次第に明らかになっていく機能不全家庭のかたち。
すでにそれぞれの人生を発見、構築して、最後の手仕舞いとして葬儀に集まった子供世代が “その後の物語” を交換しあい、そして何を選択するか。
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という感じ。
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安直なプロモーター/宣伝担当者だったら “失われた家族の再生の物語” とか言うところだろうけど。
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これは “再生” じゃない、“自己修復” だ。
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どこからか聖なる光が降り注いで、そして全てが安直に元通りになるんじゃなくて。
命がけで力をあわせ、新しい家族システムとして自己修復していく物語だ。
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機能不全家庭のサバイバーたち、それぞれが心で悲鳴を上げながら過去を振り返り、つながりを模索して、あたらしい動態平衡を獲得する、そんな自己修復過程の身を切るような苦しみを描写し尽くした作品になっている。
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ただ、上に書いたような文芸路線の重たい家族ドラマってだけじゃない。
そこに、キリスト教、ヒンドゥー教、アミニズム、シャーマニズムの神々が乱入し、信仰とヒトの関係性が語られ、西武ライオンズの奇跡の優勝が回想され、ときにタブラ+4つ打ちテクノに合わせて踊る白装束の群舞とビデオプロジェクションのインサートシーンが交錯し、どこかサイケデリックな、なんというか……
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うん! そうだ! “現代の寓話” だ!
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(どうしても想像が及ばない人は、ここで、
“もしも、もしも故・今敏監督が、重た~い家族の自己修復のドラマを
というのを想像してみてください。
当たらずといえども遠からずのはず)
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うん、これ以上語ってもしょうがない。全体としてはこんな感じ。
「傷ついた人は、傷ついた家族は、成熟とともに修復される……されるのか?」
というのがテーマ。
そして俺、爆泣き。
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そして、本公演の劇団である “劇団 竹” の主催者にして劇作家、竹林林重郎氏の作劇術、というかタッチというか、そういうのも、なんとなく見えてきた。
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モノローグでもポリローグでもなく。
(回想シーンのフトシ、サダコその他は隣に聞き手がいるものとしてダイアローグにカウントする)
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ーーここで父フトシの隠された2重生活と、実の子以上に愛され、
育まれてきたミツルの姿が明かされる
↓
ーーいまではヤンママのシンママとなったツグミの愛に飢えた幼少期への思いが爆発
↓
ーー今となっては過去に見切りをつけ、自身の “家族” を獲得したヒデフミに対して、
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という大枠の流れに、回想シーンとして
・父フトシと母ノリコの外食
(後に愛人となるヤスコを含めると3人以上が登場するのはここだけ、だったかな?)
・フトシとヤスコの逢瀬
・夢の中でシュウタに、出奔という自分のギリギリの選択を明かす母ノリコ
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といずれも1 on 1。
対話の一方が次の対話に持ち越されるバトンリレー形式で話がすすむ。
(例外はサダコが壁のロザリオを叩きつけるシーンと、ノリコの出奔シーンくらいか)
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というわけでダイアローグ主体の作劇なので。
最後に全兄弟が登場する対話のシーンを見たかった気もするが、そこはビデオで後日談が語られることで代替されている。
というか、前半のツグミ役のキャストのあの演技を見たら、後半まで登場したら、おそらく彼女のメンタルがもたないだろう。
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ラムネさん「んふふ~、それはどうでしょ~?」
俺「おおっ! あなたはツグミを演じたラムネさん! アレくらい、余裕っすか?」
ラムネさん「んふふ~」
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と、明確な答えは得られず。
ただ、別に彼女のコンディションに配慮したわけではなく、たんに作劇上、そうなっただけらしい。
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余談。
確かなことは。
無軌道な妊娠と出産、自分を一番に思っていた継母を鬱病と自殺に追い込んでしまった(と考えている)彼女が過去を悔いて流す涙。
ツグミの慟哭はそれだけの迫真・魂の演技だった。
余談終わり。
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もう1つ。
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気にしなければ流すこともできる。
気にして、拾い上げるつもりがあればハッキリと分かる。
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(いや、これは俺の思い上がりで、拾い上げてないレベルのメタファーがドッサリあるのかもしれないけど)
たとえば。
ミツルとツグミが同時に正座をといて、「ここから深い話をしよう」という意図を見せたり、とか。
ヒデフミが現在ではロザリオの製造業に努めていて、毎日キリストを十字架にかけている、つまり、 “完全な棄教者” であることを暗示したり、とか。
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いろいろなレベルで多層的にメッセージが投げかけられてくるのが気持ちいい。
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そして、ストーリーに大きな比重を占めているビデオプロジェクションについて。
冒頭、中間、エンディングと(自分が覚えている限りでは)3回、舞台の白壁をスクリーン代わりに、撮影・編集済みのビデオ映像が使われる。
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1回目はオープニングタイトルなので、深い意味はない。多分。
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2回目は、うーむ、解釈に困る。
シヴァ、ヴィシュヌ、ガネーシャ(ブラフマーも出てきた、かな?)とヒンドゥーの神々がサイケデリックなビデオコラージュで次々と諸々の事象と一緒にカットバックされる、ある種のイメージビデオ。
どことなく、今敏っぽい。
無理して考えれば、愛人ヤスコと隠し子ヒデフミの家にあったという、キャラクター人形を並べたデタラメな祭壇から喚起されたイメージの奔流、というところだろうけど。
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1)キリスト教
家族システムの自己修復の媒介者、というか見守り人としてのキリスト教の存在と、一般人レベルの、一般人なりの神学論争がたびたび登場する。
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愛人ヤスコは沖縄のユタ(シャーマン、巫女)の血を引いている、という設定で、ここでキリスト教的な硬い理論体型ではすくい切れないアミニズム、シャーマニズム、スピリチュアリズムの象徴として彼女の存在がたびたびクローズアップされる。
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3)フトシ人形
元愛人ヤスコいわく、「死んだフトシの魂が乗り移った人形」。
そもそも隠し子ミツルが「この人形を一緒に火葬してほしい」と持ち込んだところから全てのストーリーが始まっているわけで。
その後は、子供たちの亡き父に代わって踏まれるは、叩きつけられるは、この人形、まさに踏んだり蹴ったり。
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余談。
この人形、終演までよくボロボロにならずにもったよなぁ。
と思ったら、Twitterを見たら劇団の忘年会にまで生き残って参加してるし。
まじで何か乗り移ってね?
余談終わり。
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ビデオプロジェクションの3回目は、エンディング(後日談)とスタッフロール。
ここで、子供世代が集合して親睦を深める後日談が挿入され、ストーリーに一応の決着がつく。
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と、合計3回のビデオなんだけど。
うーむ、評価に困る。
なんというか、悪くは無いんだけど。
編集も音楽も上手すぎて、なんか、こう、才に疾りすぎているような印象を受けた。
芝居のシーンが不器用な人間たちの不器用なふるまいの話であれば、なおのこと。
逆にいえば、重苦しくなりがちな主題のハシやすめとしては、効果的だった、とも言えるけど。
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ラムネさん「お客さんのアンケートでは、良かった人と、悪かった人が半々くらいだったみたいですよ~」
俺「うーむ、人によって評価はマチマチか。まあ、そんな感じだろうなぁ」
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■観劇後
で、さてさて。
終演後、もう、あふれる涙をぬぐいながら、挨拶に出ていた竹林氏に突撃インタビューを敢行してみる。
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俺「グスン、あ、あの、最後の後日談のビデオなんですけど。やはり、あれは小さな子供たちを舞台に出せないっていう制約があってのことですか?」
(と、最初の軽いジャブのつもりの質問だったんだけど、誤解したらしく)
竹林さん「あ……あれなんですけど……ハッピーエンドってわけじゃ……ないんですよね。
あの子供たちは全員ツグミの子供かもしれないし……。ヒデフミとシュウタが家庭を持つ踏ん切りがついた……とも言えないわけで……。そこはお客さんの判断にゆだねるっていうか……」
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え? あれ、ハッピーエンドじゃないの?
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∧∧
ヽ(・ω・)/ ズコー
\(.\ ノ
、ハ,,、  ̄
 ̄
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そりゃないよ竹林さん! こっちは希望の光に魂が洗われるような涙を流した直後だっていうのに。
と、ともかく、気を取り直して次の質問をする。
俺「と、ともかく、アレです。そうだ! あれ、あれ! あのキャストの4人が白装束で踊るダンスシーン! あの挿入シーンには、やっぱりなにか意味が?」
竹林さん「あ……あのダンスシーンには……特に意味は……ないんですよね……」
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∧∧
ヽ(・ω・)/ またまたズコー
\(.\ ノ
、ハ,,、  ̄
 ̄
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なんてこったい! 全部インスピレーションというか成り行きまかせかい! なんだよコラ! というか、あんな太っといストーリーを産み出しておいて、なんでそんな慢性自信喪失症みたいな振る舞いしとんねん!?
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ラムネさん「そんなこと、ないですよ~」
俺「おお! ラムネさん! するとあのダンスには深い意味が?」
ラムネさん「1つ1つの振り付けに意味を込めて、竹林さんが決めていったんです~。彼、ダンスができるわけじゃないんで、稽古の一番最初にダンスから始めていって、大変だったんですよ~」
俺「それじゃまた、なんであんなウソを……」
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うーむ。
いろいろと事情はあるようだ。
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■あらためて全体として
というわけで、あらためて全体としては。
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もう、激烈に良かった!
チケット代の倍くらいのモトは取った!
劇団竹、というか竹林林重郎氏は今後も追いかける! 決めた!
という感じ。
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本来なら、ここでキャストの印象から書くんだけど、先に言っておきたい。
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映画で言うところのプロダクションデザイン、美術のレベルが俺的には空前絶後のハイレベル!
舞台というかセットは “そこそこ成功した事業主が建てた一軒家の客間、中央には卓袱台” という固定化された空間なんだけど、まあ、ここの造作が細部まで実にリアル!
フトシと妻の外食シーン、ネパール料理屋ではビールが銅製のタンブラーに入っていたりとか、細かいところまで実にリアリティのカタマリ!
サウンドも隅々までハイファイで、SEのキューイング(演劇用語では “ポン出し”だったっけ?)もタイミング完璧!
後ろを見れば、おお! これまでの観劇で初めて卓(コンソール)の収まったコントロールブースがある!!
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今回の劇場、スペース雑遊の設備なのか?
.
ラムネさん「いえ~、あのブースは、わざわざ場所を確保して作ったんですよ~」
.
ですよね~。
照明も特段の過剰な演出に走ることなく、的確。
何もしていないかっていうと、そんなことなく、舞台のシーン、ネパール料理屋のシーン、
シュウタが心から祈るシーンと、細かく細かく抑揚をつけている。
ともかく、作品の作家性、キャストもさることながら、舞台全体をバックアップするスタッフの力量が、もう、これまでとまるで違う!!
彼らにはノーベル賞、ピューリッツァー賞、紫綬褒章を金銀パールをそえて贈りたい。
それくらい気持ちよかった。
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劇場の “SPACE雑遊” もじつにいい。ほどよい温度で静かな空調。
ともかく見過ごされがちな観劇のための空間づくりだけど、ここまでストーリー没入を妨げない総合的な配慮は、うん! 控えめに言ってサイコー!
この劇団って、いつもこんなハイレベルな制作陣なのか?
.
ラムネさん「いえいえ~、前回までの公演は~」
俺「ふむふむ」
ラムネさん「セクマイ三部作っていって~、小さな民家を舞台にしたり~」
俺「なるほど」
ラムネさん「こんな舞台は初めてなんじゃないかな~」
.
うーむ、俺はひょっとしたこの劇団の大新機軸、大飛躍の場所に居合わせたのかもしれない。そうだったら嬉しいな。
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そして、キャストなんだけど、はじめに言っておく。
キャスティング上の軽重はあれど、全員が全員、演技巧者の高能力者ばっかり!
どうなってるんだ!
.
ラムネさん「今回のキャストは~、じつはこれまで仕事をしたことがあるヒトばっかりで~」
俺「なるほど、すでに信頼関係のあるキャストばっかりなのね。アナタも含めて。ということは~、二度と呼ばれないヒトもいたりとか?」
ラムネさん「んふふ~、それはどうでしょ~?」
.
うむ。ノーコメントなり。
.
というわけで。
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■石川雄也(フトシ)
一家のお父さん。酒乱。浮気。全てにおいて、だいたいこの人が悪い。
コピー機の販社を起業して営業のためにキリスト教に入信ってのが痛いくらいにリアル。
回想にしか登場しないのに、ほぼ主役。
劇団竹に所属。
地味に驚いたのが、ワンカップ半分ならワンカップ半分、ビール1缶ならビール1缶と、アルコールが入った分だけ、確実に立ち振舞いを変えてくる。
上手くいかない事業と美女の誘惑、アルコールへの弱さと、たよりない大黒柱の悲哀を全身で表現。
もっといろんな所で見てみたいと思った。
(↑そういう仕事をしていらっしゃるのデス)
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■森川武(シュウタ)
長兄ってツラいよな。
いきなり子供が3人もできた父の辛い立場を理解したのは、このヒトだけ。
そして、彼の祈りのシーンで大事なことが示唆される。
それは、
.
神はどこにいるのか。
神は祈る心の裡(うち)にこそ顕現する
.
ってこと。
ツグミの嘆きを受け止める。
そして、ヒデフミの “シンカー投げ” という決別の儀式を見守るだけだったところに、ロザリオのカツーン! という落下(これを偶然か神の啓示か、はたまたシンクロニシティか、どうとらえるかは、それこそ観客にゆだねられている)からの、もう、怒涛の、言いがかかりに近い、というか完全に言いがかりの引き止め工作。
ここに俺は、家族システムが血ダルマになりながら自己修復していく音を確かに聴いた、ような気がする。
そして俺、爆泣き。
劇団竹に所属。
こうしてみると、キャスティングも要所々々はプロパーさんで固めているのね。わかる。
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ラムネさん「このヒト、普段は “コボちゃん” って呼ばれているんですよ~」
俺「おお! 言われてみれば確かに似ているwwww」
(このあと、コボコラの話に盛り上がること5分)
.
■江花実里(ツグミ)
あれ、おっかしーなー。
つい1ヶ月前に月蝕歌劇団を観たときには颯爽とした美青年・明智小五郎(に化けた怪人二十面相)だったんだけどなー。
いま見ているのはチークの乗りも痛々しい元ヤンのシンママだよ。
しかも、そこに至るまで、彼女の感情は3段階に分けて少しずつ前面に出てくる。
最後に兄シュウタの腕の中で継母のサダコを想って感情を爆発させるとき。
役者ってすっげーな!
でも正直、この時の俺は爆泣きとまでは行かなかった。
でも、それでいいと思う。
この公演が竹林氏が観客の情動に仕掛けるカチ込みだとしたら、彼女は鉄砲玉というか切り込み隊であって。
あるいは、森川ー佐々木ラインという本隊の大規模侵攻の前に敵陣深く潜入する特殊部隊の役割であって。
「さて、この劇団、どんなものか見てやろう」という観客の批評眼をかいくぐってハートの深いところに潜入し、情動の扉をこじ開けて本隊の到着を待つ。
これが彼女のミッション。
いや、実に良かった。
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■辻村尚子(ノリコ)
フトシの最初の妻。
夫の浮気のストレスから子供を虐待することを恐れ、みずから出奔。
舞台が2018年の設定なので、旦那の事業の立ち上げ期が80年代末。
キャラ作りが、なんというか、トレンディドラマの女優そのもの。
彼女が居間のふちに腰かけて靴を履いて家を飛び出すところが2回、描写される。
つまり天丼なんだけど、
なんでだろ、ビデオその他の映像作品だと天丼って、うっとうしいだけなんだけど。
なんか、生身のキャストがやると重く感じるんだよな。
劇団 竹に所属。
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■大森華恵(サダコ)
フトシの後妻。
うつ病で自殺。
なんというか、いろいろと痛ましい。
(継子とはいえ)娘への配慮と、大人の知恵と、世間知と、いろんなものに押しつぶされて最後の選択として自殺、か。
この舞台で、壁に掛けられたロザリオは合計3回、床に落下する。
2回はサダコが床にたたきつける。この時はSEのみの描写。
そして1回はシュウタの祈りに呼応して、本当に落下する。
ここでも天丼(繰り返し)が重たい。
なんというか、堅物で悩み事に弱そうな人物像を的確に体現。
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石川、辻村、森川と3人までは劇団正メンバーなんだけど、彼女だけがゲストにも関わらずダンスに参加。
ダンスシーンについては、べつに拘束期間とか難易度とか、そんなことは関係なく、竹林氏のメッセージにそった人選なのだろう。
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子供が十分な子供時代を生きられず、そのままムリヤリ大人になることを要求されたようなアンバランスな感じ。
わかる。
そして、いまでは自分も義父のようにシンカーが投げられることを義兄シュウタに示すため、最後のキャッチボールを決別の儀式として実行する。
と、ここで舞台で実際にボールを投げるんだけど。
キャッチャーのシュウタは後ろに下がって観客から見えなくなる。
おそらく板に座布団とか、そういうギミックでボールを受けているはず。
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ラムネさん「いえいえ~、あのシーンは本当にキャッチボールをしていますよ~」
俺「おいマジですかい?」
ラムネさん「本当に最初はキャッチボールの練習から始めました~」
俺「でも暴投とかしたら、危険じゃないですか?」
ラムネさん「ですから~、危険な場所には、あらかじめスタッフを座らせたりとか~」
うむ、配慮も危険対策もバッチリのもよう。
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空飛ぶ猫☆魂に所属。
みなさん、それぞれの所属先劇団の看板または主戦級の役者さんなのよね。
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■森川結美子(ヤスコ)
沖縄のユタの血を引く、占いもできるウェイトレス。
なんというか、どの女優さんも年の頃もビジュアルも大差はない感じなのに、演技と役作りで、その、あれだ、いかにも浮気相手になりそうなフェロモ~ンなプリップリのツヤッツヤな感じに寄せてくるのがすごい。
ちなみに、ご本人に取材したところ、使われていた占いはネパール伝統の占星術(ピグラム暦、という独自の暦を使うそうだ)にタロットカードを組み合わせた架空のもの、とのこと。
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鉄道会社というカタい職業につき、シュウタ以下の兄弟とは別の、なんというか、まっすぐな人生を歩んできたことをうかがわせる人物造形。
朴訥。
観劇直後は「なんか印象が薄いなぁ」だったんだけど。
それも当然で。
俺も含めた観客は、彼の人物ではなく、彼を通して見せられるミツルとヤスコの家庭の様子を見せられていたわけで。
キャラクター人形をでたらめに並べた狂った祭壇。
父フトシのハグ。
彼を通してフトシの別の人格と別の家庭を見せられていた。
この役者さんも、おそらく高能力者。ただ本人が嘆いたり動いたりしないだけで。
.
.
んー、こんな感じか。
ともかく、全体としては。
この劇団、劇団 竹、そして主催の竹林林重郎氏は、買いです。
次の公演にも注目して良いです。
自分もそうするし。
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これって何?
木公木寸っていうのがググっても何もでてこない
木村?
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「日本死ね受賞のウワサに釣られて
のこのこやってくるとは愚かな。
我々が流したニセ流行とも
気づかねぇとはなぁ。クックックッ。」
「いいか、1マスダの幅の流れなら
トラバで切れるんだぞ。見てろよ。
ただし、トラバ前の高さと同じか、
ブクマすることができるんだ。
でも、独りで突っ込むのはダメだぜ。
「…次にどのidが動くのか、常に気を配り
…素早く動きたいなら、重いポジションや
注意するんだ。
相反するエレメント同士の戦い…、
ハイリスクを背負うことになる。
それを防ぐには、攻撃地点の論旨を
チェックして、できるだけ有利になる
マウントを選ぶことだ。忘れるなよ。」
「はてなスタートの時点では緑星が20の
カラースターはMP(マネーポイント)がカウントされるにしたがい
少しずつ蓄えられていきます。
珍しいカラースターほど消費MPが高いため、
後々の状況を踏まえた上で
もうひとつあるぞ
どうやって食ってくの?昼はTA、夜は最低賃金労働者?ま、そこまでの覚悟があるならいいんじゃない?その代わり、現代の貧困とかは論じて欲しくないね。自分から進んで貧困に身を落としている以上、そんなものを語る資格はない。
主婦になる?君が女性なら現代の日本では主婦になるって選択肢もたしかにまだある。生活のために結婚するって売春婦と大差ない考え方の気もするけどね?そういう人生の送り方がチミのゲンダイシソーやらセーシンブンセキやらの観念と矛盾しないならね?ただ、君の文章から察するに思い込みや過剰な自己防御が伺える。相応の美貌がなければ、主婦としての商品価値は乏しいと思う。もし容姿に自信が持てないなら他の面で補えるよう頑張ってくれたまえ。可能かはしらんが。
大学卒業したら普通に働く?普通のレベルにもよるが、ゲンダイシソーやらセーシンブンセキでどんな能力が得られるんだよ?お前がゲンダイシソーごっこで遊んでいる間、他の学科の同級生は論理の積み重ねに飛躍や矛盾がないか検証する方法や、実際の法律知識、経理の処理方法、科学的実験の考え方と実践、目的と手段を分離して解決方法を考案する訓練、等々等々、現代社会でずっと競争力の高いスキルを磨いている。お前がつけるのはお前の同級生たちのおこぼれだぜ。就活ではコネ?コミュ力?うん、それ大事だよ。でもお前の同級生たちもそれを身につける機会がある。ゲンダイシソーやってなくても。推敲前の落書きを晒して指導を乞うと自分から言っておきながらちょっと思い通りにいかなかっただけで真っ赤になってるような性格なんだぞ、お前。どこにフツウのレベルを置くかは自分で決めればいいが、大学の同級生より少なくとも1ランク2ランク下くらいになるのは覚悟しとけ。今時は東大出てもホームレスってのもいるみたいだしな。
それともキミ、チョーお金持ち?親の遺産がたっぷりあって贅沢をしなければ100年くらい食ってけるとか不動産収入で金が余ってしかたないとかってんだったら文句はないな。結構結構。俺だって古代や中世の奇妙な思想に興味がある。現代の奇妙な思想にだって少しはおもしろい面もあるのだろう。
占星術はまだなくなってないよな
占星術はまだなくなってないよな
悪いが俺はラカンも精神分析も切り捨てようとはしていない。大学にその講座は不要だと言っているだけ。占星術と同じ。下品な雑誌の片隅の占いコーナーがそれらに相応しい居場所だと言っている。
「≒」を用いて、推移的な類似性を説いているとみられるが推論過程の妥当性をいちいち検証したところで大した意味はなく、最終的に導出された観念のみが筆者の主張せんとするところに過ぎない。
したがって本論の内容は以下の対応関係に帰着させるのみで十分であり、これ以外の部分は無駄である。
無意識(エス) ⇔ 一般市民より下の階層の者として認識され、愚か者の範疇に入っており、隠している愚かな事物を暴いても重大視されていない
理想自我 ⇔ 理想化された鏡像として他者の表現の複製を取りこみ、融合しつづける動き
自我理想 ⇔ 共同体(言語的に構造化されている共同主観的な世界)
超自我 ⇔ 近代社会の合理的理性を自称する存在(非理性的な「エス」とした存在を抑圧的制裁の対象としていいとしてもいいとする存在)
筆者が現代社会に存在する主体・客体と精神分析の概念を対応付けて、概念間の類似を説こうとしているとみられ、ここから近代社会の合理性が下層階級を抑圧する状況をノイローゼかなんかにたとえ批判を試みようとする筆者の主張が推測できる。
しかし、そもそも精神分析は占星術の理論体系と大同小異の迷信でありその種の迷信を今でも奉ずるもの(知的弱者)以外には無意味・無内容。
知らない間にミニマリストって項目がはてなに出来ててびっくりしたw
過熱しているミニマリスト関連の話題を追ってみたら、何度も出てくる名前があった。
でもこれブログのプロフィールにはなかったから、ガセだったらぜんぶ外れる。ごめんね。
出して見た感じ信憑性が高かったので書いてみたよ。
はてなでのブログ開設は当初ミニマリストじゃなくファッションブログだった模様。
いかにして男性受けのいい言動を身に着け、男性受けのいいファッションをまとうか
星の位置を見るとこの人男性とは縁が出来やすくて、男性相手にきょどらずに話せる人だね。
それがどの程度喋るか、黙るかを考える余裕に繋がるんだと思う。
そしてフェミニンな魅力を際立たせたかったら、ファッションはコンサバがめっちゃ似合う。
常識的で、悪目立ちしない程度にちょっとやぼったいくらいのファッション。
質が悪く安っぽい服を着ると自信をなくす人だから、同じ値段なら古着で手堅いブランドは正解。
ただこの人自身はそんな風にお固い生き方は望んでいないんじゃないかな。
たいがいのことはどうでもいいから、「やるのはかまわない」程度。
だから育ちのよさそうなコンサバ系の服はコスプレみたいなものだね。
かっこよく生きたい、情熱と確信を持って誇り高く生きたいと思ってる。
既存の肩書きで上位を狙えないなら自分で新しい肩書を作って勝負する。そして勝つ。
人の秘密を嗅ぎ当てるのが上手い。
だから人を囲いはするけれど、面倒は見ない。
「隠してきた自分の本心をわかってもらえた!」と感激する人が出ると思うけど
同情心や共感力は低い。
ちなみに岡田斗司夫とは相性がいいw
お互い感情的にシンパシーを感じるものがあっただろう。会った日付を知りたい。
さて、ここからが本題なんだけど。
堀井さんのモテテクに汎用性があるかというと、自分の見地からすると違うと思う。
堀井さん個人にはとても合っている。よくぞ自分でたどり着きましたね!と思う。
しかしこれは堀井さんと、堀井さんに似たタイプの人限定のモテテク。
豹柄だったら百人力だけどパステルカラーじゃ壁の花というタイプの女性もいる。
しかしこれも向き不向きがあり、下手な人真似が非モテより悪い結果になる人もいる。
よかれと思って、親が子供を社会で広く受け入れられるタイプに育てようとすることがある。
でも、がんばってもそのレールに乗れない子や、乗らない方がいい子は大勢いるよね。きっと誰でも心当たりがあるんじゃないかな。
堀井さんはモテが行き過ぎてストーキングまがいの怖い目にたくさんあったと書いていた。
これは彼女のモテの結果というより、ある種の宿命。そういう位置に星がある。
生まれてすぐ星を見せてもらったら、そうなると自分は言ったと思う。
嫉妬心が強くて支配欲が強く、情に篤くて好き嫌いが激しい彼氏を持つと、たぶんおさまる。
ただし堀井さんは人に束縛されるの大嫌いだから恋愛モードじゃないと受け入れられないだろうけどねw
堀井さんに限らずモテテクとか人に好かれる方法のアドバイスは人気がある。
だけどそれを見るたびにちょっと気になるんだよね。
口はばったい言い方だけど、あなたがあなたであることがとても大事なんだよ。
追記:以前書いた増田
http://anond.hatelabo.jp/20150308023954
http://anond.hatelabo.jp/20130903144920
こんばんは。石井ゆかり先生ではないはてダユーザーの占い師です。
岡田育さんはTwitterで石井ゆかり先生のツイートをたびたびリツイートされている様子。
「水瓶座のABは占い師の世界では最凶」と書いているのも見た。
占い、すきなの?興味ある?
大きな事件、時事問題、はてなの揉め事も何かあったら星を見る。
そんなわけでホロスコープソフトで岡田育さんのチャートを出してみた。
そしたら星を見る前と、見た後で自分の岡田さんの印象は変わった。
今回騒がれている件に関して「もしかして」と思うところがあったので書く。
公開されていたプロフィールから生年月日は1980年1月23日、時刻と場所は不明。
これ、年数が一年でも違っていたら星の位置は全部変わる。
太陽の位置は近いところに来るけど、他も見るから違ってたらごめんね。
ちなみにこのチャートでは、3月6日の21時前後から岡田さんは受難タイムだった。
まず、常識とか形式とか大嫌いな人なんだろうなー、と思った。
その種の手続きをきちんとやることは苦手ではなく、むしろやらせたら得意。
出来るか出来ないかといったら人より出来る。
しかしやっていて苦痛だし、内心「こんな茶番に意味があるの?」と思ってそう。
それもあってやりたくないけど、そんなところを克服したい気持ちが強い。
こりゃ片付かないだろうなーと思った。
本は年代順にするか、作家順にするか、ジャンル順にするかとか考えちゃう人。
こだわり強いのに長丁場が苦手だから、もーまた今度!ってなる。
弁が立つ。嫌味言わせたらかなり人を嫌な気分に出来る。
具体性があって、なんとも後味が悪くなるような細かい皮肉が言える。
しかも相手の出方で熱量を微調整する。重箱の隅をちまちまつつき続けずにいられない。
でも人生の方針は「きっぱり!」なので、そんな自分を肯定することが難しい。
一方で、好きな人には真冬に自分の服を全部差し出してしまうような優しさもある。
どんなに酷いことを言われても情状酌量して救いの手をひっこめまいとする。
ダメ男に注ぎこんだりもしたんじゃないかなー。
この人のそういう健気で見返りを求めない愛情を見た人は惚れ込むと思う。
そしてこの人は、そういう心から優しい気持ちでいるときにしか、相手の気持ちがわからない。
レッテルを貼ること、貼られている人が嫌い。
分類が好きだから結果的にレッテル貼っちゃって気が付いてないこともある。
でも意識の中では「人は平等であるべきだ」と常識の範囲を超えて信じている。
生き方を変えたくない!と思いながら、常に突っ走れる何かを探している。
こういった性格と今回の騒ぎを照らして思ったこと。
この人、おーつねさんに同情したんじゃないかな。
自分が人からレッテルを貼られて、webであらぬ噂を立てられたように
おーつねさんも「嫌らしいケチなおっさん」というレッテルを貼られていると思って。
売り文句に折りこんだりしてせっせと宣伝してたのは
「おーつねさんに貼られたレッテルを剥したい」という気持ちがあったんじゃなかろうか。
自身が中傷された痛みを書いたコラムだったのは、そのせいでは。
「彼にも釈明する場を与えるべきだ」という主張だったのかもな、とこの人のチャートを見て思った。
ほかの久谷女子はどう思っていたのか知らんけど
この人の中では「増田を紙にしただけ」と合理化されていたんじゃないかと思う。
と大半の日本の社会人たちは思うわけだけど、彼女はその枠の外で生きている。
周りはわかってやってるんだろうと思うのでそれをベースに批判する。
本人は弁が立つし馬鹿じゃない。でも相手の気持ちと立ち位置が分かってない。
だから「これだけ説明したのに決めつけられた」「孤独だ」ってなる。
悪いと分かっていながら言い逃れをするわけじゃなく
自分の六法全書の中ではOKだ、むしろそっちがおかしい!と思っちゃう。
そして自分が納得していないことを形式的に謝るのはぜったいにイヤ。
くわえてめっちゃ喧嘩っ早い。いつも引火できるものを無意識に求めている。
どんな形であれ「負ける」というのは本当に嫌で、辛い。
で、まったく赤の他人の占い師の戯言なんだけれども、岡田さんに伝えたいこと。
先入観で決めつけられて損をしている人もいる。
その人たちの肩を持ちたいと思うのは立派なことだと思う。
岡田さんの他には友だちがいないような人も、まわりにはいるだろう。
おっさんにも言い分があるはずだ。
常識やマナーというのは、道理にかなった背景を持つものも少なくない。
あなたは常識のおしつけは嫌いだと思うが、採用してかまわないルールもたくさんあるはず。
岡田さんはそうやって誰かに全力で肩入れしていても、心はべったりじゃなく自由だ。
「だけどあなたと心までは共有できない。」
友達が多いのに「ソロ活動」というのはそういうことなんじゃないかと思う。
対戦相手に対してフェアに戦ってください。
そして最後にチームの仲間だけでなく
ギャラリーの中のあなたのファンが、誇りに思うような試合をしてください。
最後に、あなたはだめなおっさんをいよいよダメにする星を持っている。
あなたの優しさは結果的に人を社会復帰出来ないところまで追い込むことがある。
自分のためにもまわりのためにもその辺の自覚をしっかり持ってください。
がんばってね。
岡田育さんが生まれた日、金星は魚座の7度にあり、魚座の4度にパラスがあった。
金星は美の星、アフロディーテ。パラスのアテナは知略に富む戦いの処女神。
ユニセックスなヘアスタイルにその辺現れているようでおもしろい。
追記:以前書いた増田
http://anond.hatelabo.jp/20130903144920
先に述べておくと、占い師を必要としている人はたくさんいるし、
占い師に助けられた人もたくさんいるだろう。
この世に占い師が存在する理由はたくさんあるので、必要がないわけではないと思う。
ここで、占い師にも2種類あることを明記しておきたい。
なぜか。
占い師というのは、超常現象的な力があるわけでもなく、トリックによって未来がわかるわけでもない。
それをいかにも、「私には未来が見えます」という謳い文句で、嘘八百を並べ立て、不特定多数の人から金をせしめるのだ。
どう考えても最低だろう。
当然、占いにもいろいろあるだろうと思う。
占星術や四柱推命など、そうではないらしいが統計学をベースとしたものなんかは、確率的に言えば当たりやすいだろう。
だが、一番の問題は、占い師はあたろうがはずれようが、一切なんの責任も持たないことにある。
「あなたは今こんな状況にあるんじゃないですか?このままいくとこうなりますよ。
これを打開するには、こういうことをしないといけないです」
だとか、なんとか言っちゃったりするんだけど、それをしてどうなろうが
占い師はなんの責任も持たない。責任を持たずに金だけ取るというのは、取引として対等だろうか。
「私の言った通りにしても、その通りにならない場合もあるし、なる場合もありえます」
実際のところ、占いというのは、未来を占ってもらうものではない、と分かっていて利用している人が大半なのだろう。
だから、占いはカウンセリングみたいなものなのだ、という人もいる。
迷ってることに対して、背中を押してもらいたい時に占いに行くという人もいる。
それは理屈としてはわかるのだが、そうならば、「カウンセラ」という立派な職業があるのだから、そう名乗ればいいじゃないか。
まっとうなカウンセラに対して、侮辱にも程がある。占い師風情がなにがカウンセリングなんだよと。
まったく、最低なんだよ占い師のやつ。糞野郎が。
ただしどこで何時に生まれたかはホロスコープを読む上でとても重要。
なぜなら西洋占星術は実際に天空にある天体の正確な位置情報を必要とするから。
試しに以下のサイトに自分の誕生日と出生地の緯度経度を入力してみてほしい。
仮にシドニー生まれだとしたら、北緯151度12分、南緯33度52分。日本との時差は-1時間。
2013年9月5日、日本時間の正午に北半球と南半球で生まれた二人の子どもがいるとする。
時差があるので一人の子どもはシドニーで午後1時に、もう一人の子どもは日本で12時に生まれたことになる。
西洋占星術では天体の位置を示すため、春分点を起点に黄道を12に区分けし
30度ごとにそれぞれ星座の名前をつけている。これをサインと呼ぶ。
いわゆる○○座というのは生まれたとき太陽がどのサインにあったかを意味している。
ちなみにサインに○○座という名前がついていても、そこにその星座があるとは限らない。これはあくまで番地名。
太陽は他の天体と違って毎年ほぼ同じ位置にくるので目安にしやすい。
id:mythmは真夏のクリスマスをビーチで祝う家庭で育ったかもしれないけれど
雪の中ふるえながら年賀状を投函しに行く日本の山羊座っ子たちと同じ位置に太陽がある。
先ほどの二人の例だと、9月5日は太陽が乙女座の位置にある。よって
となる。
さて、西洋占星術は主に10個の天体の位置を元に森羅万象を占うんだけれども、
見上げた空に違いはあれど、世界中どこで生まれても生まれた瞬間天体があった黄道の位置は同じだよね。
じゃあ北半球で生まれようが南半球南で生まれようが、地球の真裏で昼夜逆転していようが占いの結果は同じなのか。
結論から言うと、雑誌に掲載されるような万人向けの占いでは紙面の関係で同じ扱い。実際共通点は少なくない。
ただちょっと詳しく見る場合はもちろん違う。そこに前回書いたハウスというのが関係してくる。
さくっとホロスコープ作成でレポート結果を出すと右下に出るのがそれ。
実はホロスコープ(チャート)というのは、地球を中心に天体がどう配置されていたのかを図にしたもの。
チャートの円を上下で二分割している線の左側9時の位置が東の地平線、右側3時の位置が西の地平線になる。
この上下をそれぞれ6分割したものが12ハウス。起点になる東の地平線は1ハウスに、西の地平線は7ハウスになる。
山羊座と土星と10ハウスで書いた、例の10ハウスの起点が天頂。ちなみに4ハウスの起点は天底と言う。
天頂と天底は南半球と北半球ではずれがあるし、昼夜が逆転している東西では星の位置は真逆になるよね。
同時刻のチャートを出しても、起点になる東の地平線の位置が変われば1ハウスの位置が変わる。
12ハウスにはそれぞれ意味があるので、それがずれるとそのチャートの解釈は色々と違ってくる。
たとえば10ハウスの起点(10ハウスカスプ)はその人の社会的な頂点と考えるんだけど
同じ時間に生まれても生まれた場所によって位置が変わってくる。
増田子 2013年9月5日現地時間13時00分 シドニー生まれ 乙女座 MC天秤座
となる。三人は同じ時間に生まれたけれど、増田子はデザイナーに、増田太は事務職に、増田介くんはプログラマーになるかもしれない。
でも三人には「柔軟性が高く、用心深い。細かいことをちまちま研究するのが好き」という共通点がある。
あくまで一例だけどね。
出生時間が同じでも、特定の目的に対して星の位置は有利、不利があると考えられているので
出生時間から理想的なロケーションを探し、そこへ引っ越したり旅行をしたりすることで人生に変化をもたらせると考えるわけ。
(増田子はプログラマーになりたければブエノスアイレスに、増田介は事務職目指すなら東京に移住したりすればいい。)
「天文学は賢い母。占星術はその愚かな娘。しかし貧しい母には娘の稼ぎが必要だった」
という言葉があるんだけど、近代に入ってオカルトとして切り捨てられるまで占星術はイギリスで省として機能していたこともあった。
そのせいか西洋占星術はとてもシステマティックで、細かい数字と角度にこだわり、再現性を重視する。
パソコンが普及するまで、占星術師には数学の才能と分厚い天文歴片手に星の位置を記録する大変な根気が必要だった。
ただ当時東洋ではいかんせん天体観測の技術が不足していたので、それに変わる物として天体の運行を元に暦を作った。
しかし星は24時間区切りで動くわけじゃないので誤差がおきる。それで調整のため暦には閏日や閏月が入れられていることが多い。
その間にも星は動いているので、暦の上の天体と実際の天体はどんどこずれていく。
しかもそれらの暦は流派によって多少違うので、東洋系の占術は西洋占星術以上に経験と勘に負うところが大きいように思う。
そんなわけで理系は西洋占星術にはまりやすい。自分は数字弱いからパソコンなしでは占えない。
興味が沸いたらAmateruをDLして遊んでみてほしい。
PATTERN48
http://ptn48.shaberizon.jp/ ・・・サインの特徴を鋭く言い当ててる
フリーウェアAmateru
http://tetramorph.to/ ・・・見やすくて使いやすい
http://homepage3.nifty.com/Almanac/ ・・・日本人占星術家はプロアマ問わずこれ使ってる
高学歴増田の話には、山羊座と土星と10ハウスが意味するものがよく表れていると思った。
西洋占星術、いわゆる星占いでは、山羊座は野心と自己否定の星座とされている。
野心が自己否定とどう繋がるのか、山羊座が強くない自分には今一つわからないところがあった。
自己否定が強かったら自信をなくして何にも挑戦する気にならなくなるんじゃないのか。
でも増田の話を読んで納得した。自己否定あっての努力であり、野心あっての自己否定なんだな。
土星は山羊座の支配星とされていて、成長のための試練を与える教育の星と言われており
土星が位置する場所は、自分の生き方を否定せざるをえないような苦しい問題が起きると言われている。
女性誌でおなじみのはてなダイヤラー石井ゆかりさんは、成長させてくれる星として土星を「土星先生」と呼んでいるけれど
人によっては、土星は星一徹やロッテンマイヤーのような影響を持つ星だと思う。
「一事が万事」で「明日のため」に、常に成長のために駆り立てられる高学歴の世界は
という高学歴増田の世界では、時間は「明日まであと何分」という風にただただ消費されていくものみたいだ。
西洋占星術ではチャート(いわゆるホロスコープ)を作る際、人生の様々な分野を12に分けて考える。※分け方については割愛。
10ハウスはキャリアとステイタスのハウスで、山羊座が担当する。10ハウスは土星を支配星とするハウス。
まさに医者や弁護士、大企業の重役など、社会的に認められ、成功する立場にある人たちの縦社会のハウス。
ひとつ前の射手座が担当する9ハウスは高等教育と哲学のハウスだけど
10ハウスは学んだことをキャリアに活かさなければ意味がない。
世界的に価値ある大発見だろうが、社会的ステイタスの向上にまったく貢献しない分野では意味がない。
(そういう縦社会から飛び出した新人類的な活動は、お隣の水瓶座11ハウスが担当する。)
そんなわけで高学歴増田の世界は、山羊座の国の土星人が住む10ハウスの話に見えたんだけど
こうして考えてみると山羊座土星的高学歴の国はちっとも優雅じゃない。
優雅さがあるとすれば、それは優雅であることがステイタスを得る上で必須だったからだろう。
遊びも仕事も家庭も結婚も友人も、すべてはステイタスを獲得、維持するため。
山羊さんもたいへんだ。山羊座の国の土星人でなければ耐えられないと思う。
一般的に山羊座と10ハウスが強い人は社会的に成功している人が多いので
いいなあ、うらやましいと思っていたけれど
これから山羊座や土星や10ハウスが強く影響している人のチャートをみたら
その心情をもっと思いやろうと思う。
http://anond.hatelabo.jp/20130903002317
こうなるよ。天文学は賢い母。占星術はその愚かな娘
個人の心理が物事を動かし、それが星に現れていると考える心理占星術という占術がある。