2018-07-06

[]ノストラダムス2世

生年は不明だが、ノストラダムスの存命中から

ミシェル・ド・ノストラダムス」という偽名を使ったり、

ノストラダムス弟子」を名乗ったりしつつ、

占星術の本を出版していた。

ノストラダムスとのあいだに血縁関係はなく、弟子であったという根拠もないが、

後世においても、しばしばノストラダムスの実子と混同されることとなった。

1574年、「ル・プザンの町が炎上する」と予言したあと、

それを現実にしようと放火していたところを捕らえられ、

「これからおまえにかかる災いを予言してみろ」と言われて「何も見えない」と答えた瞬間に、

その場にいた馬に腹を蹴られて亡くなったという。

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん