はてなキーワード: 水瓶座とは
もうブログなんてやらないだろうと思っていた。
約18年前、mixiなるブログが流行った頃。やってみたはいいものの、まるで続かなかったからだ。
最初は楽しかった。いわゆる「映え」を、誰に言われるでもなく既に取り入れて、活用していたと思う。
でも次第に、そういう「仮想現実」や「虚構の世界」に違和感を覚える。
自覚したのは、始めて一週間くらいだっただろうか。私は、全消しした。
今思えば若気の至り。
でもやっぱり、嘘は嫌いなのだろう。
アメブロ、GREE、Facebook、Twitter、LINE、note、いろいろあるけれど。
18年経った今も様々な媒体のブログが存在していることに正直驚いている。
私が何周もして周回遅れで合ったような古くささを覚えながら、その中に私が知りたかった情報があることにも気付く。これを玉石混交というのか、古今東西というのか、はて、これ如何に。
奇しくも、ちょうど水瓶座月間。
年末年始にかけてのあの重苦しい居心地の悪さ、昨晩から今朝にかけての激しい変化、他の方はどうお感じになられたのか、また平気だったのだろうか。私などはイライライライラ、自分でも驚くほどにとにかくイライラが大爆発でございました。
何これ?
というのが今の気持ち。
最近になりどうやら私は、自らが水瓶座生まれであることに誇りを持っているらしいことに気付く。占いは興味はあるが特に詳しくないし、スピリチュアルには見向きもしない。今の関心事といえば哲学、禅、心理学、美術、音楽。
難しいお話は然るべき機関でやればいい。J-STAGEやCiNiiのような情報論文検索サイトなるものがあるはず。
よって、全ては私調べの情報を元にして興味のあるものを取っ掛かりに心ゆくままゆらゆらとしてみたい。真偽も大切だが、自身が良いと思うものを追求していきたい。さすれば、自ずと真実のみが残ると信じている。
2.市川猿之助ってセクハラしていたのって弟子とか関係者って事は全て男性にしていたのですか?
5.市川猿之助からセクハラされたのって男性ですか?女性ですか?記事を読んでも性別についての記載がなくて……
6.市川猿之助さん、女性セブンの記事を気にしてこんな事になっちゃったんですかね?非常に残念です。週刊誌も無節操に有る事無い事書くのも、よくないと思いませんか?
7.市川猿之助って、そんなに叩かれてました? スキャンダル?パワハラ?セクハラ?それ以上? のことが、あったことすら、私は知りませんでしたが??そんなに叩かれたり、両親道ずれにしてまで一家心中するようなことがあったのでしょうか??
8.市川猿之助一家心中は、獅子座火星と水瓶座の冥王星の影響でしょうか。
9.妻が渋滞でトイレ我慢できず...。渋滞で妻がトイレ我慢できなくなりました。SAにつく頃にはもう限界に近い状態。そして女子トイレ長蛇の列。最初は普通に並んでいたのですが、途中でどうしても我慢できなくなり、列を離れて建物の陰のスキマに入り放尿。男子トイレに駆け込むことも一瞬考えたようですが、勇気がなかっ...
妻が野ションだって!野ション!
(前略)
水瓶座。もう40も間近です。
もう日本のアニメは終わった。ここ数年まともにアニメを見ていません。
無意味なエロ、つまらないエロ、18禁でもないのに行き過ぎたエロ。 こんなこと続けてたら今に手ひどいしっぺがえしを食らいますよ。
なによりその「エロきや飛びつくんでしょ」的発想が嫌です。 なら18禁でやれと。それもやらずにいたずらに市場の低俗化を勧め 人心を荒廃させ自らの土壌をじわじわと崩壊させていることに気づかない ふりをして目先の一時的な売り上げに一喜一憂しているサマは正直言って悲しい。
ちなみに僕はアニメは好きですよ。いっそもう新しいアニメなんか作らずに 昔のアニメの再放送をやったほうがTV局としても視聴率とれていい思うんですが。
タイトルについて この
(以下略)
壮大なタイトルにしてしまったので、それ相応のことを書かないといけない。愛ってどういうことかなあと考える機会があったのでつらつらと自分の見解を記しておきます。
わたしは基本的に全人類が好きです。博愛主義の水瓶座なので!だれがいちばん好きかということは、あんまり考えたことがない。そもそも愛に順位をつけること自体、ちがうんじゃないかな?とおもっています。気持ちはわかるのだけれど。なのでわたしの中で人間は9.9割の好きな人と0.1割の苦手な人に分けられてしまう。ほんとうに大雑把な区分だとおもうけれど、これが本音です(苦手な人は可能なかぎりわたしの世界から排除するので、そうするといよいよ好きな人ばかりになってしまう)それから、わたしはわたしの好きだという思いを許されることに快感を覚える性質なので、向けた愛を同じだけ返してほしい!という感情もほとんどないのです。向けさせてくれただけでありがとうとおもっている。返してくれたら幸福だけれど。あ、恋は別ですよ。恋は恋なので。
でも、当たり前にそうではない人も存在する。愛しただけ愛されたいと願う人たちがどこかにいるんですよね。それはすごいことだなあとおもう。わたしは昔、友達に「だれのことも好きな人はほんとうはだれのことも好きではないんだよ」と言われたことがあります。わたしはたぶん、だれのことも好きではないのかもしれない。ぞっとする想像なので普段はつとめて考えないようにしているのですけれど。
たしかにそれは一理あるとおもうのです。わたしは思春期を過ぎてから自分が好きな人が他の人と仲良くしていて嫉妬を覚えるようなこと、めったにありませんし、わたしをだれよりも優先してくれという願いもありません。そんな自分のことがさみしい人間のような気がして泣きたくなる夜もあります。最近、優しいと言われることが増えたのだけれど、わたしが優しいのはだれのことも好きで、だれのことも好きではないからそう映るだけじゃないですか?すべての人を平等に見ていたらだれにだって同じ扱いができます。わたしはそのことを知っています。
自分をいちばんにしてほしいと言ってくださる方がありがたいことにちらほらといて、それでも応えられないことをくるしくおもっています。でも、しかたないんだ!わたしは全人類を愛する自分が好きなのです。自己陶酔。それはわたしにとってだれに侵すこともできない誇りで、大切なことだから。冷たい人間でごめんね。以上!モラトリアムから脱出できていない人間の自己語りでした!
追記
反応が早い!これが増田!