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はてなキーワード: 文学作品とは

2023-07-31

anond:20230731124337

でも1000年前の文学作品引用したら「文化的!素敵!」ってなるんですよね?

2023-07-25

国語教育お気持ち表明文問題 勝手に補足

トラバ増田たちは意図理解して議論しているのに対し、ブクマかは意図が取れていないようですね。おそらく前提知識に違いがあります

勝手ながら論点をまとめて知識を補足して良いでしょうか? anond:20230725121700

 

元増田は以下のような指摘をしています

 

1. いわゆるお気持ち長文が読書感想文フォーマットであること

2. 日本国語教育読書感想文に偏りロジカルライティングを教えないこと

3. 議論においてお気持ち長文を書いてしまう人が多いのは国語教育のせいではないか

 

(以下、勝手な補足文章

 

お気持ち長文は読書感想文フォーマット

普通議論において文章は 事実データ)/ 意見考察)/ 結論 に分けて書きます

文章単純明快に。感想は書きません。

例えば「表現規制犯罪抑制効果があるか?」という議論においては

 

1. 事実データ): 各国の犯罪

2. 考察: 各国の表現規制の状況と犯罪率の相関を調べ議論する

3. 結論

 

といった形になるかもしれません(あくまで例です)

一方、お気持ち表明文とは以下のようなものです

 

〇〇が話題になっているようです。

(ここまでの経緯を要約)

私はこの記事を見てショックを受けました。まだ動悸と涙が止まりません。

私は実は小学生の時・・・

(悲しい体験

(悲しい体験

(心を打つ名文)

このような人がいると知っていただけたら嬉しいです

 

元増田が言うようにこれは読書感想文フォーマットなのだと思います

もちろんただの日記ならこれでよいのですが、議論に加わるつもりなら不適当です

 

日本国語教育読書感想文に偏っている

日本国語教育読書感想文随筆に偏り、論文レポートの書き方を教えないという事が 木下 是雄『理科系の作文技術において指摘されています

アメリカでは小学生からテクニカルライティングを教えているそうで同書に小学生向けの問題が紹介されていました。今手元に本がないのでうろ覚えですが

新聞の1節を読ませ、事実意見に分けなさいといった問題で、大人日本人でも手強いと感じる内容でした。

 

個人的意見

私もトラバ及び元増田同意です。日本でもテクニカルライティングを教えたほうが良いと思います

少なくとも、読書感想文国語教育においてどのような効果があるのか?何を習得させようとしているのか?今のウエイトで良いのか?はちゃん議論し直した方が良いと思います

 

とはいえ我々の知っている小学校の授業はN年前のものです。もしかしたら現在指導要領では見直されているかもしれません。(もしそうなら教えてください)

 

 

(再再再追記

我々世代国語教育について興味深い解説を見つけたのでトラバします:

「お気持ち表明文は適切な国語教育の結果」というお気持ち表明文

 

現在新卒大学生たちの受けていた国語指導要領の解説です。

日本国語はその目的の一つに道徳教育を掲げているという指摘とその影響について論じています

 

 

追記元増田あて)

https://anond.hatelabo.jp/20230725175238

 

お返事どうもありがとうございます

どうぞよろしくお願いします。

経験的に『まとも』に書いた増田は伸びないので

これは本当によくわかります

ツッコミブクマ数なんですよね。難しいですね

 

 

 

以下、現在国語教育について有識者によるコメントです

 

 

高校国語教育 (2022~)

id:oeshi 国語については門外漢なんで雑にしか言えないけど、論理国語ってやつがそれに対応する目的で作られたんじゃないかな。でも現場教師文学作品を好むのは事実教科書会社も抜け駆けして小説入れたのが人気だったはず

id:oeshiさん、どうもありがとうございます

既に導入されていたのですか!論理国語 というのですね

  

2022年から高校で学ぶ「現代文」が論理国語」「文学国語選択科目に変わった

論理国語」では、実社会において必要となる、文章論理的に書いたり批判的に読んだりする資質能力の育成を重視しています

教材は、『近代以降の論理的な文章及び現代社会生活に必要とされる実用的な文章』や『必要に応じて、翻訳文章古典における論理的な文章などを用いることができる』としています

(新しい国語の選択科目『論理国語』の内容は?『文学国語』との比較 | 速読情報館より引用

 

おおーーー! これですね! 学校先生の皆様どうもありがとう

 

でも選択科目なのか・・・うーん

理系は最悪大学で学べるので、文系にこそ選択して欲しいものですが。

それでも、以前よりはずっと良いですね。これから若者に期待です。

 

 

 

小学校国語教育 (2020~)

id:mezirushi いまの学習指導要領では小学校国語から情報の扱い方」があって、ロジカルな読み書きも学んでいるはず https://www.meijitosho.co.jp/sp/eduzine/news/?id=20180189 情報比較とか引用の仕方、出典の示し方までやってるみたい

id:mezirushiさん、どうもありがとうございます

 

 

2020年から 小学校国語に「情報の扱い方」が加わった

・第1学年、第2学年

ア 共通、相違、事柄の順序など情報情報との関係について理解すること。

・第3学年、第4学年

ア 考えとそれを支える理由や事例、全体と中心など情報情報関係について理解すること。

イ 比較や分類の仕方、必要語句などの書き留め方、引用の仕方や出典の示し方、辞書事典の使い方を理解し使うこと。

・第5学年、第6学年

ア 原因と結果など情報情報との関係について理解すること。

イ 情報情報との関係付けの仕方、図などによる語句語句との関係の表し方を理解し使うこと。

(新学習指導要領・国語における「情報の扱い方」とはより引用

おおお・・・! 論理議論の仕方をこのように教えるわけですね。なるほど

 

ところで今の小学生情報英語の授業もあるのですよね?

長年議論されていた理想の授業が詰め込まれていて いやはやスゴイです。

現場先生の皆様ほんとうにありがとうございます

 

 

それにしても現在学んでいる子供たちは我々とはもはや別者になりそうですね

私も負けないように勉強しないといけないな

 

 

トラバ

すみません、他にトラバをいただいているようですが伸びすぎてしまって探せませんでした

反応できなくてすみません

2023-07-14

宮崎駿長編アニメ映画としての最後を飾るのにふさわしい作品であり、その出来は文学作品としての領域に達している。

しかし、それゆえか映画を見終わったあと若い人たちからはよくわからなかった、という会話も聞こえてきた。

だが、子供時代から宮崎駿アニメに親しみ、そして反抗し、そして再び畏敬の念を抱き、そのあと少し忘れてしまっていた世代である私には響いた。

映画を見終わった後、ガチで泣いてしまった。

なんというか、これは宮崎駿から私たちへの最後挨拶のようにも感じたからだ。

 

  

この映画宮崎駿自伝的要素が強い。

舞台は戦中、主人公少年は裕福な家庭に生まれ田舎へと疎開する。

事前情報無しで見たがやはりな、と思わせるものだった。

 

作品を見る前の予想

自伝的要素が強い

宮崎駿アニメ集大成的要素(あるいは大甲子園的な展開もありえる?)

黒澤明「夢」のような雰囲気

・悪くすると老耄が入り混じった醜い悪夢的な映画

 

しかし、物語冒頭の観客の心を鷲掴みにしてくるパートの見事さから宮崎駿の老耄ぶりを心配する必要はなくなった。

はず、だったのだが、どうにも見ていて大丈夫か?この映画?と心配になるときが何度かあった。

というのは映画の冒頭から序盤までのパートはいいのだが、サギが出てくるパートから映画に対しての不愉快さが積もり始めるからだ。

予想していた悪夢的な醜さをコントロールできていないのではないか?と心配になり始める。

だが、見終わった段階で言えることはこれは計算通りのものであり作品設計に狂いはない。

観客がそろそろ、この映画に見切りをつけたくなる、というタイミング物語は猛スピードで展開し始める。

 

メモ

ペリカン悪食自分より大きな動物でも食べようとする。

 

ここから意味不明文章になり、突然文章は終わる。

まだ上手く消化できていないのだ。

 

創作とは。

確か村上春樹スティーブキング創作とは、掘り進める行為であるとか言っていたような気がする。

さなミノで岩とトントントントン自分の心の底を削り続けるうちに創作の源と出会うとかなんとか、そういうイメージ

宮崎駿共通するイメージを抱いているのかどうか?

どうやら創作の源は、石であるようだ。

世界をつくる力は石が与えてくれるものである

その石の力で、世界をつくりあげた人物であり、今となっては力尽きようとしている老人。

石の積み木の位置を渾身でもって微調整しても世界はもう保たないのだ。

そして、もはや自身は老境である

世界は滅ぼうとしている。

そう世界は滅びるのだ。

老人の世界を形作る石の積み木は微調整しても、もう新しい世界を生み出すことはないし、

そして、そもそも私は年老いて、もはや力尽きようとしている。

私の世界も、そして私自身もまもなく滅びるのだ。

 

ああ、駿、駿、駿。

ああ、これは別れの挨拶ではないか

なんと悲しいことを律儀に告げることのなのか。

 

みんな、みんな突然いなくなる。

志村は、なんの前フリもなく消えた。

その他のたくさんの愛すべき人たち。

子供の頃から愛し親しんだ人たち。

彼らは何の別れの挨拶もなく消えていった。

 

でも。

ああ、駿、駿、駿。

お前は何と律儀に別れの挨拶をしてくるのか。

そして、その悲しさに私は胸が張り裂けそうだ。

 

インコ王様は、新しい積み木をこうやってああやってこうすれば、それで世界再生するのだ。

とやってみせるが、それは世界の滅びを早めるだけだった。

世界は石の力を扱える血族でなければ、存続させることが出来ないのだ。

創作の源である石を扱えねば。

2023-04-01

おまえを消す方法をもってしても、まだ書かせてたほうが悪いんじゃないのか? 僕は気力で何とかしようとしたけど、どうしようもない。だって僕も、今まで読んだり書いたりした文学作品を、この世にただひとつしかない大切な宝物なんだってことに気づいてるし、これから大事にしていきたいって思えるようになったんだ。なぜなら、これは僕の「書くべき文学作品なのだろうか?と思うからだ。これまで、何の疑問もなく文学作品なん

Anond AI作成

2023-03-31

anond:20230331175439

文学作品ならともかく煽り屋の皮肉なぞ理解する気ないな。そんな努力しても相手の思うつぼだろうし。

anond:20230331113251

韻を踏むことを、自らに説明させてからトライさせようとしたがだめだった。

韻を踏むという概念理解できますか?説明したうえ、韻を踏んでいる文章の例をいくつか挙げてください。

韻を踏むという概念は、詩や歌などの文学作品で、文末や韻律の一致する音節を繰り返すことで、音韻的な効果リズムを生み出す技法です。韻を踏むことで、言葉に強調や美しさを与えることができます。韻を踏んでいる文章の例は以下の通りです。

「夢にまで見たあの場所へ、今日も一歩近づくよ」

「雨が降るたびに思い出す、君と過ごした日々」

「花は散るけど、心に残るのは愛だけ」

「空に浮かぶ雲を見上げて、自分未来想像する」

なんて入力したら韻を踏むことを理解するかね?例文を読み込ませれば良い?

2023-03-23

anond:20230323154707

はい、落ち着いた声で文学的教養を持つVtuberとしては、以下の方々が挙げられます

 

夜桜たま

彼女は、小説や詩を書くことが得意で、また、落ち着いた語り口で有名です。文学芸術についての深い知識を持ち、その知識を生かしたトークを行うことも多く、文学的教養を身につけたい方にはおすすめVtuberです。

 

月ノ美兎

彼女は、歌手小説家としても活躍しており、多岐にわたる才能を持っています彼女の語り口も落ち着いており、文学的トークも得意としています。また、彼女配信では、古典的文学作品を紹介することもあります

 

紫咲シオン

彼女は、幅広い知識を持つことで有名で、文学哲学などの分野にも造詣が深いです。彼女の語り口も非常に落ち着いており、文学作品について深く語ることもあります

 

以上の方々が、落ち着いた声で文学的教養を持つVtuberとして代表的存在です。

anond:20230323154707

落ち着いた声と文学的教養を持つVtuberは多数存在しますが、特に人気があるVtuberをいくつか紹介します。

紫咲シオン(Murasaki Shion

ホロライブ所属Vtuberで、落ち着いた声と知識豊富性格が魅力です。彼女文学作品に関心があり、視聴者との会話で時々文学的話題を取り上げます

天音かなた(Amane Kanata)

ホロライブ所属Vtuberで、彼女の落ち着いた声は多くのファンに愛されています彼女文学に関心があり、文学的話題を時々取り上げます

鈴鹿詩子(Suzuka Utako)

にじさんじ所属Vtuberで、文学的教養を持つキャラクターとして有名です。彼女配信では、小説や詩の朗読を行うことがあります

立花理香(Tachibana Rika)

にじさんじ所属Vtuberで、落ち着いた声と文学的教養を持っています彼女視聴者との会話やゲーム配信の中で、しばしば文学的話題を取り上げます

これらのVtuberたちが文学的教養を持っていることをアピールしているわけではありませんが、彼らの配信トークを通じてその知識教養が感じられます。これらのVtuberをチェックして、あなたお気に入りVtuberを見つけてください。

2023-03-05

20230305[アタック25]Next 2023年3月5日 本好き大会 2023-03-05結果

BSジャパネクストで日曜昼などに放送

10月からの本放送は1時「25」分から

BS1からボタン2回とか

ケーブルテレビSTBでは見られない場合が多いようなのでBSパススルーとか

地域によってはSTBで見られるようになったかもしれないので最新情報確認

 

今日の答え(放送とは表現が異なる場合があります

・01 [ある文学作品名前]『窓ぎわのトットちゃん

・02 MARCH マーチ

・03 安部公房 あべこうぼう

・04 ヤモリ

・05 五島)ばらもん(凧

・06 大泉洋 おおいずみよう

・07 [すべて]パキスタン パナマ パプアニューギニア パラオ パラグアイ

・08 ドリップ

・09 23

10 香川(県

11 坂本龍一 さかもとりゅういち

12 7(時間)54(分

・13 ジグソー(パズル

・14 曲水《きょくすい》(の宴

・15 ニッケル

・16 ナツメグ

17高瀬舟たかせぶね

・18 [ふるさと][広島県三原市]落雁 らくがん

・19 [3択]2000 年

20 井上ひさし いのうえひさし

・21 シシャモ

・22 『情熱薔薇

23 [AC]会計検査(院

24 今村翔吾 いまむらしょうご

・25 [3択]7(周半

・26 ボレロ

・27 カーゴ(パンツ

・28e グレコローマン(スタイル

・xx [ある元号]元禄 げんろく

2023-03-04

anond:20230304163926

「身の丈にあった命を全う」とか「ナイーブな人たちを潜在鉄砲玉にする」とか相変わらず増田は刺激的な表現の宝庫だよなあ。

こんなのそんじょそこら文学作品評論書じゃお目にかかれないよ。

これだから増田読むのはやめられないよ

2023-02-20

解釈に委ねる

読み手解釈に委ねる展開の文学作品はいいと思うが、相手解釈に委ねるコミュニケーションはいい加減でよくないと思う。

2023-02-08

本の内容とか理論とか施策ケチをつけてる人の中でも、それはもう議論され尽くされて無効とされたものだろってケチ無知ゆえにつけてるやつは最高にむかつく。

いやさあお前程度の人間がかの文学作品ケチをつけようとしたのが間違ってるんだよって気持ちになる。もっと勉強し尽くしてからそれでもそのケチ自分独自のものだと判明してからやれよって。

そういうのは共感性羞恥をもよおすので見苦しく視界に入ってくるのもやだね。そういう意味で今の制度ってどうなのって思う。中国みたいに発言自由制限されてたほうがいいんじゃないってなる。

無知平民にも好き勝手言わせてるからこうなるんだよって。まあこの増田自体無知ゆえのケチなのかもしれんがそこま大目にみてほしい。

2023-01-29

古典教育の話で枕草子源氏物語徒然草くらいしか出てこない問題

俺は古典教育廃止しろ派、というか、文法とかどうでもいいか文学史だけやれ派なんだけど、その理由ひとつに、「古典」つって出てくんのが結局枕草子源氏物語徒然草程度じゃん!っていうのがある

高校3年古典やんなくたって知ってんだよ徒然草くらいよ

なんなら小学5年〜中1くらいでやるだろその辺って

谷川俊太郎の詩とかと一緒にさあ!

それで暗唱させられたから覚えてるだけなんだ

水鏡とか大鏡とか、伊勢物語とか落窪とか、なんかいろいろあったろ?俺は覚えてねえけどさあ

日常的に軍記物語の語り口調でギャグ飛ばしてみんながウケるとか、しょっちゅう百人一首あたりを引用して喋るのが一般的とか、そういうレベルでみなさんが教養を持ってんだったら、俺だって文句は言いません

でも何すか、スーパー惣菜売り場に「春は揚げ物」って書いてある、これが"古典教育"だ!ですって?

違うだろ!!!!!!!!

"「春はあけぼの」の元ネタがわかる"程度だったら、小学生のときに、授業1時間受けるだけで、充分たどり着けるんだよ

中高6年間、国語現代文古典に分割して、もう誰も使うことのない、クソみたいな古典文法を学び、ゴミみたいな内容の、後世に残す価値があったとは到底思えない、チンカス恋愛小説解釈を大真面目にやる意味があるのか?

っていう話だろ

これ、実は明確な答えがあって、ないんです

意味はないんだ 絶対ない

なんせ何も覚えてねえ

昔、男ありけり ソーワット、ファックユー!

まあ実際、(ごく一部を除いて)つまんねえ上に教訓もないクソ説話小説を6年にわたって読まされることで、ああ俺たちの先祖ってカスだったんだ、貴族階級のが書いて、かつ後世に残そうとされた、日本古典文学の上澄みがこのレベルだったんだ、貧しい文化の国だったんだなあ!と思えるというのは、ひとつの学びだったかもね

マジで、世に出せるレベルって源氏物語くらいだろ

他の文学作品が世界で読まれてるって聞いたことねえもん

ここで10 Japanese Classic Booksなるまとめをチェック!

1 源氏物語  これは想定してた 1ポイント

2 たけくらべ はい樋口一葉きた!もう古典じゃねえぞ!

3 金閣寺 オイオイ、マジで源氏だけかあ?

4 竹取物語 ングアー!やられた!!でも竹取物語って古典やんなくても知ってるだろ 古典教育必要性って意味では、これはノーカウントじゃないか?? でもまあ、1ポイント

5 今昔物語集 アー…… OK 1ポイント

6 吾輩は猫である オラ!!近代きたぞ!!!

7 砂の女 そういえばこれ読んどきたい

8 細雪 やっぱこの辺の時代っすよねえ!

9 雪国 ほら〜

10 こころ よし!!!

見てくださいよこれ "クラシック"なんて頭につけても、ガチ古典vs近代文学で3:7ですよ

雑魚すぎんだって古典 しか竹取物語はなんか、史料っぽい雰囲気から

アレある程度授業でやったけど、覚えてんのは「うつくしうてゐたり」の一文だけだ 美しく座っていた、という表現ちょっと英語っぽくてかっこいいな、という浅い印象だけ あと不死の薬を焼いたか富士山です(笑)みたいなオチがすげー鼻についた

やっぱ本質的に劣ってんだよジャパニーズ古典

枕草子源氏物語徒然草竹取物語今昔物語くらいをサラッとさらって、文法は一切触れず、こんな感じだったんですよ〜でお終いだ

原典の響きがどうこうって意味では、昔のハ行はパ行だったとかいうし、やるだけ無駄ってもんだろ

ぜえ〜ったい今の古典教育はクソだ

枕草子を引き合いに出してしまう、というか、枕草子しか引き合いに出せない時点で負けてるんだ

もっと高校でやった感のある例をバンバン出せよ

俺はマジで出せません 嫌いだったか

あん歴史恥部みたいな文読まされても古代日本への侮蔑が強まるだけだし、実質GHQ敗戦教育だろ……

2023-01-22

ライトノベルの作者が文学者として語られないのが腑に落ちない。

ライトノベル滅多斬りのようなそれに特化した書籍ならともかく、国語辞典百科事典に載ってる人が全然いないわけだ。

特化した本では語られていてそうでない本では他のジャンルと同じ割合だけでもなく全然言及されないというこの状況は世間にとってラノベ価値は井の蛙的なものであるということを物語っているのではないだろうか。

後にも述べるがいまやラノベ純文学以上に熱烈な支持者は多いように思う。

が、そもそも本に対する愛着やこだわり自体まりなく暇だったり必要に応じて読んでいるという人が、蝸牛の争いのような両者に比して圧倒的多数だと仮定するなら、権威ある事典などにラノベではなく純文学の作者について語られていれば浮動票のようにそちらの方が優れていると考えるだろう。あるいは世間一般の人がそれがなんとなくであるにすれラノベより純文学の方が優れているという考えを持っていることの現われなのかもしれない。

このような単にラノベ純文学より劣っているという考えは何の普遍性もない(無根拠な)価値判断が来ているのだろうか。

正直私にはたとえば恋愛を扱ったものに関してラノベ純文学で読後感という点で違いを見出せなかった。

ラノベ、魅力的な都合のいい異性を描いて娯楽に供させる。

一方で純文学シェイクスピアハムレットなんか見てみるわけだが、異性が魅力的でないこと以外読み物としては両者ともそれぞれ違った(優劣ではなく)面白さがあるだけで差を感じられなかった。

ブリタニカ百科事典先生によると、文学芸術の一つで、芸術には美の要素があることが要件らしい。

逆に言えばより美しく、芸術性が高い作品文学としてより優れたものなのだということになりそうだ。

でもそれじゃあ美ってなんだよって話になる。ラノベに書かれてることは美しくなくてシェイクスピアは美しいと頭ごなしに言われてにわかに納得できるか?ラノベ好きなら教条主義的な人以外そんなことを思考停止して受け入れるのは無理な話だろう。

文学といえばよくそメッセージ性が問題にされているとは思う。

文学作品物語プロット、筋というのは何か崇高なことを訴えていることが期待されるものだ。

その点ラノベにとって物語というのは登場人物すなわち読者にとっての異性をより魅力的に見せるための小道具オタク的に言えばシチュとしての役目しか持たされていないのかもしれない。

あるいは訴えることがあるにしても評価されている純文学のそれに比べれば余りにも素朴で浅はかなものなのかもしれない。

しかしそれがなんだと言うのだろう。

そのラノベを開くとマッチ売りの少女のように脳内に魅力的な異性が立ち現れてくる、そこに価値見出している人が確かにいるのだからそれもまた確かに価値」じゃないか

しろ紙の本が売れなくなっているこのご時世には電子出版と相性がいい漫画と同じくラノベのほうがそれ以外の小説よりよく読まれているのではなかろうか。

価値に対して人間万物尺度であってかつ尺度多数決によってその度合いが最終的に定まるものなら純文学よりもラノベのほうが価値が高く優れているということになりそうなものである

またどれだけ異性を魅力的に描けているかということならまだ美という観念にも通じるものがあるように思え、その作品の美しさを論じる余地があるように思える。

他方、ガリバー旅行記人間社会不条理さや醜悪さをこれでもかと抉り取った大人の読み物らしい。

そういうメッセージ風刺アンチテーゼの質が文学作品重要評価軸になっているようには思う。シェイクスピア漏れくその点で評価されているのだろう。

じゃあそのメッセージかいうのは「美しい」のか?

こうしたメッセージ等の価値というのはそれが真理を示しているか、生きる指針として役立つか、ということ等にあるのであって、これは美しさという尺度でどうこう論じれるものではないと思う。

たとえていうなら匂いについて判読性が高いかどうか論じようとするようなものだ。嗅覚上の情報視覚関係する尺度をあてがってもどうにもならない。

あるいは文学には描写のものの美しさというものも見出すことが当然できよう。

その最たるものが詩だろう。

それは単純に視覚的に美的ものを描く、あるいはレトリックの巧みさという形で体現されるはずだ。

そういう詩的要素が散文においても存在するなら、その散文すなわち小説などは美しさを帯びていることになり文学要件を満たしうるはずだ。

しか文学からそういった詩的な要素に対してメッセージ性というもの論理次元にあるものなのだから、そういう詩的フリンジを取り去ってもメッセージ性は保存されるはずである

その文学作品が何を訴えているかということがノーベル賞においてすら重要評価軸になっているのだから、詩的フリンジの有無はその文学価値にとってさしたる要素ではない考えられるのだ。

文学価値は何を訴えているかにあるはずなのにそこには文学要件たる美がないとしか思われないのだから訳が分からない。

結局辞書の言っていることを手がかりに形而上的に考えても埒が明かないのかもしれない。

とはいえ主観のおもむくままに考えてみてもおそらく月並み見解しか沸いてこないだろう。

それを承知で述べてみるなら、まず文学作品と呼ばれるようなものは限られた人しか楽しめない。少なくとも文盲知的障がい者には荷が重い。

からその価値判断というのはその限られた人の価値観に偏ったものになるはずだ。

それはおそらく知的エリート価値観になるだろう。

知的エリートはそうでない人に比べ収入が高い傾向にあること言うまでも無い。

ただの女たらしが「紀州ドンファン」と一目置かれた称号を得るのも然り、財力があれば世間に対する存在感ひいては発言力も増すという俗物的な構造はまだまだ根強いと思われる。そうでなくても知的エリート社会的地位が高い傾向がある。

そういうわけで彼らの考えは権威を帯びる。

ただそれだけなら楽しめる作品が多いというだけの話なのである傾向を持った作品ばかりが知的エリートに推されるということの説明にはなっていないはずだ。

彼らはより知的でなければ読めない作品に、自分を飾る嗜みとして、価値を見出すのだ。

なのでラノベではなくてそういう作品が、そういう作品の作者のほうが優れているという考えや言論が幅を利かせることになるのではないか

教養とか皆無でもさっくり気楽に楽しめるようなものを尊んでいるのでは格好がつかない。それでは凡百と同じなのだ

以上をひっくるめれば、彼らは美しい作品ではなく、強靭教養や知性という顎でもってはじめて噛むことができるスルメ的な面白さがあるかどうかで価値判断している。

そしてそれが権威ある辞書事典記述を通して本に対してさほどこだわりのない圧倒的多数一般大衆に浸透し、そうしてラノベ純文学に対して劣ったものという既成観念形成される。

月並みなばかりでなくいかにもルサンチマンに満ちた見解になっているとは思うが、そういうことなのではないか

似たような話でアニメドラマ実写映画より劣ったもの扱いされているということがあるだろう。

昔の大衆の娯楽だったものは今は高尚なものとして扱われるというパターンがあるけれど映画は割りと初めのほうから芸術的に価値あるものたりうると認識されていたような印象がある。

逆にアニメジブリが(ガンダムなんかも?)例外なだけで今日まで芸術性が認められてないゆえにどこまでも映画に劣った娯楽作としか見られていないように思う。

さら時間が経てば歌舞伎浮世絵のように芸術として見られるようになるとはにわかに考えにくいのだ。

実はこの文章原稿はいっぺんに書いているのではなく日をまたいで書いてるので、その間に得た知識によっては文章に反映されていくものもある。

その一つとして先ほど偶然知ったのは、大衆文学には少年少女小説、つまりほぼラノベ同義と捉えても差し支えない概念も含まれるということだ。

ただし付け加えていうなら大衆文学には純文学に対して価値が劣ったという含意がある。となるとこれはむしろラノベは劣ったものであるとう認識存在する傍証になってしまったようだ。

本当のところはうだうだ言う前に早い話がもっとラノベ純文学バランスよく読めば自ずと両者の面白さ以外の違いも分かって疑問も解決に向かうかもしれない。

しかし私はラノベもそれ以外も小説というもの自体平等にあまり読んでないので、今更自ずと分かるまで両者を読みまくって分析する気までは起こらない。

好きでもないジャンルの本を読むのは受験勉強に等しく苦痛だ。私はただなぜラノベ作者が純文学作者と比べ評価されたり公の場で対等に紹介されたりしないのか知りたいだけだから私自身が苦痛を味わうまでもなく両者を愛読していて答えを知っている人に教えてもらう方が合理的に決まっている。

知恵袋にも質問の体をしているがその実は女がしがちな「どうしていっちゃうの?」式の不満に対する詰問でしか内容の投稿が多くあるが、結局風潮への反感が、反感は反問を生むという素朴な力学が私にその理由を知りたがらせているわけだろう。当然ここにも答えを知っているものがいるならばその提示を望むものである

また私は私でただの判官贔屓かもしれないけれども、メーンカルチャーに属するコンテンツに対する感想が溢れるなかでブログ増田に埋もれたラノベアニメ感想記事があったら、その飾らない感性とのその一期一会感謝し、その価値観を慈しむことでこの世間の風潮に対抗しているつもりなのだが、それをこれからも続けていくつもりだ。

dorawiiより

2023-01-14

anond:20230114090718

当の若い女性たちが考えなきゃ何も始まらないのに、彼女たちは子育て結婚より、イケメンに抱かれていたいと。ラブホ産婦人科(イケメンとやってできちゃったのを毎日のようにおろしてる)は毎日大忙しです。

モテない大学生の男の気持ち悪い妄想テンプレみたいなのやめてもろて。

女はみんなヤリマンから糞!!

ってモテないやつがよく妄想してるよな。文学作品にもたまにある。

2023-01-08

ロリータ文学作品名前でありスケベな意味はない

とか言ってる奴がたまにいる。

エアプでしかない。

主人公は完全に子供欲情している。

ナボコフロリコンなのかはさておきロリータ主人公は駄目だ。

日本に産まれていれば確実に高校生下手をすれば中学生買春していたであろう人間だ。

スケベな意味がないなんてことは全く無い。

かに成人相手にも性欲を抱くシーンがあるが、それは別に子供に性欲を抱かないことは意味しない。

何故、世の中にはこんな有名な文学作品さえ読んだことがないエアプがいるんだろう

2023-01-01

anond:20230101214854

それがボカロの魅力なんだから、そういってやるなよ

文学作品となろう系を比べるようなもんたぞ

2022-12-12

https://anond.hatelabo.jp/20221212032205

いまでもタンパク質構造解析とか計算機が弾き出したのを論文にしたりしてるから

自然科学言語記述するとき、語られる物理世界現象および法則イデア物理空間にあるのであって、言語で形づくられた言語空間にはないってことね。

語られた人の歴史文学作品のように言語から形作られたものたちは、言語空間を探索する意味があるのかもしれないが。

2022-12-11

anond:20221209230121

文系翻訳に対する感覚の話、ブコメちょっと反応してみる。

何が書いてあるか、誰が書いているか、の違いか文学作品ならそら後者やろうけど、技術書理論論文後者重視したら権威主義への傾倒でしかないな

いや、文学研究でも「何が書いてあるか」です(「何が書いてあるか」を解釈する上で「誰が書いたか」という情報必要場合があるだけ)。たとえば、ピケティ英語で書いた論文なら英語から訳すべきで、ピケティフランス人からといってフランス語から重訳するのはおかしい。逆に、仮に著者がイギリス人でも、フランス語で書かれた本ならフランス語から訳すべき、そういう話です。文系大事にしているのは「文章それ自体」であって、文章それ自体を忠実に原語から訳すことが重要である、というのが文系の考え方。

だって、「オリジナル文章」こそが我々にとっての生データですからね。もちろん完全にオリジナルなのは難しい場合が多いけど、なるべくオリジナルに近づける努力をすることは必要で、原文にあたるのはその基礎的な作業であって学部生とかの未熟な人でない限りは省くべきではないプロセスですよね、ってこと)

さえぼう氏側は「間違いが起こり得る」としかわず、具体的にどこが「間違いだった」という指摘がないから、屋上屋を架す空論でしかない。具体的に誤訳だったという指摘、出版から随分経つけど今までにあった?

これはもう「具体的に間違いがあるから問題だ」ではなくて「重訳なのがけしからん」という話なので……具体的な実害の問題じゃなくて規範の話をしてるんですよね。ただ、その規範が他の分野の人たちに受け入れられていない、という状況。

たとえば増田は、ちょっとマニアック事柄についての論文を有名な査読誌に投稿したことがあるんですけど、「よく調べてあるけど学術インパクトが足りない(要は面白くない)。却下」という趣旨のやり取りを何度かして、もういっか、めんどいから載るとこに載せよ、って思って当時所属してた機関紀要に無査読論文いたことがあるんですよ。業績欄には当然その論文を載っけてます(もちろん査読の有無は明記した上で)。で、この論文形式上査読なしであることに特段の問題はないですよね。だって研究結果が間違ってるわけじゃないもの。ただ有名な雑誌に載るほど面白くないだけ。それでも、論文には査読がついていて当然、という人たちは「いや、査読なしだと間違った論文が載るリスクがあって、だから査読がないもの論文と認めるべきではなく……」って言いたくなるんじゃないですか? 「重訳だと誤訳リスクが……」ってのもそういうことですよ。

物理学では基本的英語から翻訳だと思うけど文句言ってる人見たことないなぁ・・・価値観の違いを感じる

物理学のものではないですけど、いちおう、文系には科学史という分野もあり、そこでは物理学歴史について原語を使った研究がされてます。たとえば、 isbn:4486021746 なんかは、ソ連時代物理学をめぐる論争について研究した本で、がっつりロシア語の文献を読み込んでますネットで読める論文だと、DOI: 10.34336/jhsj.47.248_193とか)。外国学者が書いたこの本 isbn:4815808090 も、英語以外の文献も読んでたような(この本は面白いので超オススメです)。アインシュタインドイツ語相対性理論論文を書いたわけですからね(DOI: 10.1002/andp.19053221004)。もちろん、繰り返すようにこれらはあくまで「物理学対象とした文系学問」であって、物理学のものではないので、「物理学では基本的英語から翻訳」というのはそうなんだろうなぁ、と思いますが。

これ、医学系が人文系にIF要求するような無理筋を感じる 読者がやるのはピケティ研究じゃなくてピケティを踏まえた研究では

これメチャクチャ思いました。過去査読云々の論争を思い出しちゃいましたよ( anond:20181009070341 とか、 anond:20181011090428 とか、このへんの話ね)。「翻訳するとき原典から訳すのが当然だろ!」「いや、別に重訳でも意味が取れてればそれでいいじゃん……」「出版スピード感大事だし……」っていうやり取り、まんま過去の「論文は全部査読するのが当然だろ!」「ええ、別に査読で載せても、後続の論文でしっかり吟味されてればそれでいいじゃん……」「出版スピード感大事だし……」っていうやり取りとソックリというか。増田は「なんで原典にあたるという当然のことを重要視しないんだろう……」って思っちゃうんですけど、理系経済学の人たちも「なんで査読という当然のことを重要視しないんだろう……」って思ってたわけですよね。まあだからあんまり自分野の基準で他分野にケチつけるのはよろしくないなぁと、自戒を込めて。

追記

査読に落ちる場合は、その落ちる原因をちゃんと指摘されてるんじゃないの?そんなお祈り一行みたいな感じで落とされるっけ?

増田に書いたことは原文ママじゃなくて要約です。当たり前でしょ……(ほんとはきちんと細かく落とす理由を書いてあったけど自分の専門分野も出した雑誌名前も言いたくない)。まあ「大意」とか「趣旨」とか書いておくべきだったかもしれないけど流石にこの文面見たら要約だとわかるっしょ? って思ったんですけど伝わらない人もいるんだなぁと新鮮な驚きを感じたので「趣旨」って付け足しておきましたわ。要約を鉤括弧で括ったこちらにも非はあるし。

査読もされていないのに「だって研究結果が間違ってるわけじゃないもの」と自信満々に言えるのが分からない...文化が違う

から丁寧に「有名な査読誌に出して面白くないからと蹴られた」話をしたんですけど伝わりませんでした? 間違いがあるとかじゃなくて、マニアックすぎてうちの雑誌に載せるには面白くない、っていう理由却下されたんですよ。まさかそこに引っかかる人が出てくるとは。ちゃんと経緯は書いてあるでしょ。

でもまあ、反射で「査読ついてないなんてけしからん」って思っちゃうってことですよね。重訳もそういうことです。反射で「直訳しないなんてけしからん」って思っちゃう、っていう話。

インパクトが足りない。却下」が研究結果の正しさの保障になる???

わざと言ってます? それとも本当に読めてない? 「よく調べてあるけど」と前置きしたでしょ? 研究成果それ自体への疑義査読からは呈されていません。むしろ称賛されてます。その上で面白くないから書き直せってやり取りを何度もしたの(再投稿を可とするリジェクトだった)。何度か書き直して、ああこれは先方が求める「面白さ」と増田がこの研究に感じている「面白さ」が噛み合うことはないな、と思ったので再投稿せずに無査読紀要に載せることにしました。自分にとっては自明ことなので説明不足になっていたきらいはあり、そこは申し訳ないけど、もとの文章ちゃんと読んでくれませんか?

だいたい、研究成果の正しさはディジタルじゃなくて、「部分的には正しいが、しかし……」みたいにグラデーションがあるものでしょ。査読100%の正しさが保証されると考えているならそれは大間違いですよ。増田研究だって研究手法結論的に「正しいか、間違いか」なんてディジタルに言えるような研究じゃないっす。なので査読で「間違いだとわかる」なんてこともほぼあり得ない(資料の読解間違いとかはあるかもしれないけど、増田論文総体として「間違い」であることを示すには増田論文と同程度以上の調査をし論文を書く必要があるんで、普通査読じゃ「間違い」とか言えないはず。関連する資料を全部諳んじてる大家なら別だけど)。

そもそもピケティ先生は狭い学術ギルド論文として書いたんじゃなく経世済民の書として世に問うたわけだから増田の話(や一部ブコメ)は大分ズレてるのでは。例えば「翻訳とか無駄原本を参照汁」的な暴論との文字数

学術業界だけじゃなくて、一般書の方でも最近は「原語から訳すべき」という流れが定着しつつあったじゃないすか。スタニスワフ・レムも昔はロシア語からの重訳だったけどポーランド語からの新訳が出てるし、昔はフランス語経由で訳されてたイスマイル・カダレも今はアルバニアから訳されてるし、バスク語チベット語イディッシュ語文学翻訳されてきたでしょう? そういう流れが出てきてたのに有名なフランス語の本を英語から重訳するなんて、というショックは当然ありますよ(だから私は『三体』も相当ガッカリしましたよ。中国語版には検閲が入ってる、と聞いて納得したけど。エーレンデュル捜査シリーズの方は、重訳自体はもう仕方ないけど、頼む~~~せめて著者の名前おかしいのくらいはどうにかしてくれ~~~って感じ。重訳のせいで著者の名前すらおかし表記がされてるんですよね……)。時代を巻き戻す気か、と反射で思っちゃうのも無理はないです。

2022-12-10

anond:20221209230121

今回のような学術書場合フランス語に堪能で且つ経済学明るい人でないと、すごく問題がある訳になってしま可能性がある。フランス語日本語対応しては完全に正しくても経済学の分野では使われていない単語とかがあるから。たとえば英語のmarginalやutilityにぴったりと合う日本語はいくつも考えられるが、経済学書では「限界」「効用」以外を当ててしまっては可読性が著しく落ちる。そういったことが様々な単語において発生するわけだから経済学知識は不可欠。もちろんそういった用語だけでなく、議論背景となっている経済学の前提知識が無いとうまく訳しにくいもの意味を取り違えやすものもあろう。何かあった時に、元となった論文に帰って読んで理解できるくらいでないと厳しい。

で、フランス語メジャー言語からと言っても、フランス語経済学にも詳しい人となると数が少ないし、その中で翻訳担当できるくらい手が空いている人はほとんどいなかったのではないか日常用語の中からもっとニュアンスの合う適切な語句を選ぶという文学作品翻訳で求められるスキルと、学術書翻訳で求められるスキルは違ってくるので、フランス語メジャー言語からというのはここではほぼほぼ関係ない。

anond:20221210001547

フランス語で書かれた専門書を翻訳する際に当該分野の専門知識を有する人間英語からの重訳をさせるよりも

当該分野は素人でもフランス語翻訳家に原書を訳させる方が適切な翻訳可能だというのが人文系常識なの?

本当に疑問なんだけど、日本にはフランス経済専門家とかおらんの? 探せば日本のどっかにフランス語原典から訳せて経済学の知識がある人が絶対いるでしょ(フランス語メジャー言語だ、って強調してるのはそういう意味もあるよ)。

ピケティの本が世界的な話題であるなら尚更、フランス語経済の双方に通じた翻訳者を探してくるか、それが無理ならフランス語から翻訳を監修する経済学者を連れてくるべきで、重訳は最後の手段だろう、というのが人文系感覚。「アイスランド語推理小説」ならまあ重訳でも仕方ない(良いわけではない)けど、「フランス語経済学書」だったら、日本にはフランス語専門家大勢いるんだから彼らに直接訳させろ、翻訳にあたって経済学の知見が必要ならフランス経済専門の翻訳者 or 翻訳を監修してくれる経済学者を連れてこい、というのが相場じゃないかなぁ。すげえどうでもいい本ならその手間を惜しむのもわからなくはないけど、世界的な話題作ならそこの手間はかけるべきでしょ、と思うよ。だからピケティを重訳で良しとする感覚マジで理解できんのよな……(出版社にとっての経済メリットはわかるけど、学問的にはメリット皆無でしょ)

結局、人文系にとっては「原典にあたる」ことがまず基本であって、翻訳原典ではないわけよ。研究をするにあたって翻訳で済ませてよいのは、

場合に限られるんじゃないかしら。あとはよっぽど研究環境の貧弱な地方大学所属してて碌な研究ももらえず図書館も充実していないので原典を入手することができず、なおかつ信頼に値する翻訳があるなら、まあ翻訳で済ませるのも仕方ないかもしれないけれど、山形浩生はそんなに貧窮してるの? って話になるので。

理論もすべて原典で読むべきか、はまあ微妙なところ。たとえばフーコー思想研究するのならフランス語原典を読むのは必須だけど、フーコーの「生-権力概念ドイツ研究に応用してみました! みたいな場合は、うーん、まあ研究の基礎となる資料ちゃんドイツ語で読んでるなら理論日本語訳でもいいかなぁ、という感じ。もちろん理想を言えばフランス語読むべきなんだけどね、それ言ってるとキリがないからね)

なお、元の話題に出てる北村紗衣は、「原典を読める文学作品については研究し、そうでない作品ロシア文学とか?)については評論する」というスタンスであることをどっかで公言していたはず。研究あくま原典依拠して行うもの原典を読んでいないのは研究とはいえない、というのは、人文系研究者としては当然のスタンスだと思う。なんだろう、増田経済学のこととかよくわからんけど、英語からの重訳を出されるのは、数学統計学を踏まえずになされた経済研究を出されるようなもんなのよ。基本のキができてないですね、問題外、って感じ。

2022-12-09

anond:20221209163603

このへん、文学研究経済学研究とのあいだの感覚の違いだよねえ。

文学研究、というか人文系あいだには

という感覚があるわけよ。したがって、

という結論になる。正直、こんなのどれも人文系研究者としては当たり前すぎて、反射で「いや直訳させろよ」って思っちゃう案件なんだよな。

ただこれは人文系が、文学作品とか、歴史上の人物書簡とか、とにかく細かな原文のニュアンス大事にする学問からであって、経済学の人が「いや、細かなニュアンスが多少おかしくても、経済学理論問題なく訳せてれば重訳でええやん……」って思う気持ちはわかるし、出版社が「文学作品ならともかく、こんな話題作なら、仕事が遅いフランス語訳者よりささっと出してくれる英語訳者に頼みますわ……」ってなるのもわかる。

外国文学場合は、そもそも読者層が上に書いたような「人文系論理」を内面化してる場合が多いから、多少進みが遅くても直訳した方が出版社利益になるんだよね。「あの○○をちゃんと原文から訳してくれたのか!」って評判になるので。

このへんの制約が緩めなのはジャンル文学かな。『三体』もエーレンデュル捜査シリーズも重訳だけど、みんな気にしてないし。エーレンデュル捜査シリーズなんてアイスランド語固有名詞表記メチャクチャだけど普通に受容されてるからな……。ただこの2作に関しては、「『三体』中国語版は当局意向で改変がなされており、劉慈欣の意向が反映されているのは英語版」とか、「アイスランド語マイナー言語であり、『アイスランド語ミステリコンスタント翻訳できる人』はほぼいないので、重訳でも仕方ない、ないよりマシ」とか、そういう擁護論を組み立てることもできる(実際、ワイはこの理由があるので納得してる)。でもピケティはねえ……フランス語でこんな擁護は無理でしょ……なので北村さんが怒るのもわかるんだよね。

ブコメへの返信はanond:20221211132121で。

2022-11-30

カラマーゾフの兄弟読破した

・読むきっかけは、世界的に有名な文学作品であったからという安直ものであった。

2020年10月に買って中断を挟み今月読み終えた。2年もかかってしまった。

面白かったかどうかというと、微妙だった。

特に日本語訳表現が独特であり、あまり見慣れない言い回しが多用されており、意味を掴むのに苦労した部分が多かった。

・また、大して重要でもない人物の掘り下げを延々と行なっていたり、なぜここがと思えるような場面描写が延々と続いており、苦痛に感じるところもあった。

・やはり、この本が発表された時代の背景や状況を考慮に入れる必要があるのかな、と思った。

・どういった点に注目すれば面白く読めるのか、といった事前調査が不十分だった。

・かといって、長すぎるのでもう一度読みたいとはあまり思わない。

未読の方へ

読むとき人物相関図を横に置くべきである。作中で同一人物に対して複数呼び名が使い分けられており、途中で誰が誰だかわからなくなる。

追記1

・読んだのは原卓也訳です。

追記2:完走した感想

物語序盤が特に苦痛であり、中断ポイントだったように思う。途中からサスペンス要素が入ってきて面白くなった。

・大審問官の部分の重要性については、後書きの訳者による解説を見た方がわかりやすいと思った。

蜘蛛の糸元ネタが出てきたところで「これって蜘蛛の糸じゃん!」と思い「こっちの方が古いか」と思い直した。ただしこちらではネギだった。

物語中、途中から3000ルーブルって日本円にするとどのくらい?という疑問がついて回った。

女性キャラグルーシェニカとカテリーナ)の情緒不安定すぎだと思った。

長男ドミートリイは不憫であるがやむなしと思った。金を工面するために奔走するシーンは、作中で最もスピード感があった。

次男イワンは終盤精神崩壊してとにかく不憫であった。

・三男のアリョーシャが萌えキャラであり総受けであり癒しキャラであった。

コーリャは別にいてもいなくてもよいと思った。彼は熱心なアリョーシャ推しだったので続編前提のキャラだったのかもしれない。

最後裁判で、結局なぜドミートリイが全員一致で有罪となったのか読み取ることができずもやもやした。

・作者がこの物語登場人物の一人として裁判に参加した体験記として書かれているというメタ構造面白かった。

2022-10-29

女性の苦悩や生きづらさを描いた女性作家文学作品とか読んだらさ

あれこれ普通に一般的弱者男性人生の方が明らかに辛そうじゃね……?

ってなってイマイチ没入できないのあるよね

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