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はてなキーワード: 将棋とは

2024-02-21

日見動画

レニー……。ホゼア……。キューバの近くの島に漂着したらしい。

ラブレターを破った人と破られた人のエピソード面白かった。

ラブレターを破った人と破られた人のエピソード面白かった。

プロ棋士の頭の中、対局中の心境が面白い。私は将棋初心者から先生方の話の半分も理解していないのかもしれないけど、興味深い。

解説イベント出席をトップ棋士でもバンバンするからなのか棋士女流棋士先生方は話が上手い人が多いと思う。

大島璃音さん、やっぱりトーク力凄いな。

2024-02-19

ゲームって二つのストーリーが同時に進んでるよな

前置き(「なんとなくわかった」と思った時点で飛ばしていいよ)

第4の壁によってそれらは真っ二つに区切られている。

「一度もゲームオーバーになることなく最終決戦まで生き延びる主人公たちの物語

「何度もゲームオーバーになりながら、リトライを繰り返しながら成長するプレイヤー物語

もちろんこの二つを両立させることは出来る。

それはゲームオーバーと死を結びつけないことだったり、周回プレイさえも含めてキャラクターの設定に組み込んでしまうことがそれだ。

クリアと同時にセーブデータを消去したり、更にはセーブデータを消した事実さえゲームの中に組み込んでくる作品も出てきた。

それでも、新しいゲーム機やPCを購入すればプレイヤーは0から世界スタート出来てしまう。

同時に、まだプレイしたことがないゲームネタバレを知ってしまえば、0からゲームを始める機会は永遠に失われる。

ゲーム物語」と「プレイヤー物語」は絶対的独立している。

それを打ち破ったのがMMOゲーム凄さであると語る人もいるが、たとえゲームの中の時計を止めることを不可能にしても、プレーヤー物語ゲームの中に組み込もうとしても、結局それらはゲームであることから脱することはないと私は考えている。

ゲームスポーツとしての側面を追求することでプレーヤー物語ゲーム勝敗に引きずり込むことは出来ても、そこまで来ると今度はゲームの中におけるストーリーは形を失い、競技のための触媒しかなくなるのではないか

将棋盤の上に広がっていた国盗りの物語は、プレーヤー技術向上に伴いただの記号となる。

本題

その昔、「物語が素晴らしい」と語られるゲームは「ゲームの中の物語」に対して送られる言葉だった。

だが、時代と共にそれは変化し、ナラティブ重要性が語られるようになる内に「プレーヤー物語」こそが重視されるようになった。

たとえばSEKIROだ。

主人公では死の淵から蘇る設定こそあるが、ボスキャラクターに敗北したとき世界時間のものが巻き戻る。

第二形態になるまで痛めつけたはずの敵は無傷へと戻り、登場人物は同じ会話を何度も繰り返す。

主人公物語」は「ただ一度の敗北を除けば、不死の力により強敵を打ち破り続けた豪傑」であるが、プレイヤーは「何度も敗北しながら相手のモーションを盗み、時に攻略サイト動画を覗いて対策を練り上げることにより遂に勝利した」という物語を歩んでいる。

そして、SEKIROで評価されている物語は、この後者、「プレーヤーの敗北と復讐物語である

ゲームごっこ遊び場所だ。

プレーヤーコントローラーを通して画面上の何かをラジコンのように操作し、それによって何者かを演じる。

独裁政権暴君であったり、愛らしいマスコットであったり、不気味な怪物英雄たちの指揮官、様々なものに乗り移り成り代わる。

ゲームがまだ全くリアルでなかった頃、ゲームセンターや喫茶店レバーを握っていたプレーヤー達が演じていたのは画面のキャラクターではなかった。

「難しいゲームスイスイ攻略するゲーマー」という役を演じていた。

レトロ世界人間想像力を掻き立てはしたが、そこにある没入感には限界があり、プレーヤーと画面の中のキャラクターの間にある第4の壁の厚さは現代の比ではない。

そんな中、ゲーマーを名乗る者達は「ゲームというごっこ遊びを上手にこなす自分」を演じたくてコインを投入し続けたのである

段々とゲーム映画のように物語を見せるものへと変化していき、プレーヤー側も「キャラクター冒険追体験する」という感覚を求めるように変化していく。

そのうちにゲーマーは観客となり、コントローラーを握る行為が本のページを捲るのに似通ったものとなっていく。

ゲームを薦めることはストーリーを追うための手段であり、それ自体目的ではなくなっていった。

そんな時代が続くと今度は、「自由度」「選択の影響」といったものが重視されるようになった。

単に決められたフラグを順番にこなすだけの作業は、ごっこ遊びとしては退屈になってきたのだ。

選択ゲーム世界に影響を及ぼすことにより、その世界構成要素としての没入感がより強まることが発見される。

だが、その時代も少しずつ陰りを見せ「結局はトゥルーエンドがある」だとか「何周もするのが面倒だ」とか「どうせ全部動画で見る」だとか、そういった体験が積み重なることで、自由選択もまた単なるフラグ管理確認作業へと認識が変化していったのである

自由選択」や「選択責任」といった要素が飽きられだした今、ごっこ遊びはどこへ行ったのか。

再び「ゲームを遊び倒しているゲーマー自分」を演じる遊びへと帰ってきたのである

これには配信SNS関係している。

トロフィーの獲得状況を見せ合ったり、考察を語り合ったり、配信で盛り上がったりと、プレーヤー同士の交流が盛んになることによりゲーセン時代の「ゲームやりまくりな俺凄くね?」の遊びがインターネット上で繰り広げられるようになった。

その中で伸びていったのが、「高難易度と成長しやすさを両立したゲーム」だ。

「遊びにくさと難しいを履き違えるな」という金言があるが、これを完璧に守りきり「遊びやすいが難しい」を完成させたゲームがこのジャンルだ。

一見理不尽なほど難しいが、プレーヤーが成長することによって確実に強くなれる丁寧な階段がその中に仕込まれているゲームである

それの亜種として「入り組んだ設定があるが、情報を整理すれば読み解けるゲーム」も人気となっている。

考察が盛り上がるタイプゲームということだ。

苦戦した強敵を軽々と倒し、まだクリアしてないプレーヤーが苦戦しているのを高みの見物をするゲームと、何回な設定について考察サイト議論を重ねたり盗み見て理解し、それに初めて触れたプレーヤーに「いずれ分かるさ」と上から目線かますゲームコントローラーを握っている間の難易度こそ違うが、そこの性質は良く似ている。

「やり込んだプレーヤー自分の成長(成功)を感じることが出来る」という点だ。

ゲーム内外にプレーヤーの成長(成功)の物語が散りばめられており、その成長(成功)を「つい最近始めたばかりで苦戦しているプレーヤー」との比較によって実感できるようになっている。

人は、昨日よりも優れた自分になりたいという願望がある。

だが簡単はいかない。

現代人気のゲームは、その願望を実現したかのような気持ちにさせてくれる機能があるゲームだと言えるだろう。

カルトな人気を誇るゲームを「ものすごい体験をした」と持ち上げるプレイヤーの中にある心理も、「物凄い体験をした自分」と「その体験をまだしてない自分」を比べて、成長や成功感覚を、自分物語として味わっているのである

現代ゲームに求められるのは「自分成功したという物語」をプレーヤーが味わえることだ。

ゲームにおけるストーリーの良し悪しは、脚本ではなく、プレーヤーナラティブによって決定されている。

2024-02-16

anond:20240216181344

あーそうだね

将棋AIが最強になって人間はやらなくなったね

すごいね

anond:20240216125500

将棋ってつまんないよね

俺の駒全部竜王にすれば藤井も俺には勝てないよ

2024-02-14

女は「オエッ」で男は「吐いた」

面白い話題発見した。

[B! 差別] 創作者のミソジニーが「表現の自由」を自壊させていく - あままこのブログ

元々のリンクを辿ると、このブログ記事に行き当たる。なんと、1000user近いはてブが付いてる!

男性がある物を批判をする時はその「ある物」を主語として瑕疵不具合を述べ立てますが、女性が何か批判する時は「自分気持ち」を主語として被害の発生を申し立てるのです。

「オエッてなる」「嫌になる」は男性の口から出る時は体調報告やただの愚痴であるため、何かをシリアス批判する場面でこういう語彙が出てくる場合書き手はかなりの確率女性です。

まり「オエッてなる」「嫌になる」は男性世界では批判として成立しません。そのような体調報告やお気持ち表明だけで何か言ったような雰囲気を出している場合書き手はかなりの確率女性です。

(この場合の「悪いけど」「ちょっと」も女性語彙ですが割愛します。)

コメントでの再反論纏めると、女性批判する状況で「オエッってなる」「嫌になる」を言うが、男性は言わない。男性は「吐いた」「吐き気がする」と言う。——自分気持ちではなく、批判対象となっている「物」を主語として瑕疵不具合を述べ立てるのだ。

私もかねがね、男と女には思考形態に差があるよなァ、と感じていた。世間的にも、例えばクルマの修理のコピペは広く受け入れられている。

女『車のエンジンがかからないの…』

男『あらら?バッテリーかな?ライトは点く?』

女『昨日まではちゃんと動いてたのに。なんでいきなり動かなくなっちゃうんだろう』

男『トラブルって怖いよね。で、バッテリーかどうか知りたいんだけどライトは点く?』

女『今日は○○まで行かなきゃならないから車使えないと困るのに』

男『それは困ったね。どう?ライトは点く?』

女『前に乗ってた車はこんな事無かったのに。こんなのに買い替えなきゃよかった』

男『…ライトは点く?点かない?』

男女の思考の差を紹介したブログ女性蔑視だと批判されているが、しかコメント欄に、はてなフェミニストの方も名を連ねていて(異議を述べつつも)理解を示してて多くの賛同を得ている事に注意してほしい。

例外は当然ありうる。

そもそも性別否定するのはトランスジェンダーなどLGBTsを相手にやったら差別になるようなハラスメントなので乗っかるべきではないが、男女の大まかな思考の傾向には明らかな差がある。物理的なハードウェアデバイスとしての脳構造には確たる差はないらしい。しかし実際にはチェス将棋ランク差や、理系科目を好まない女性の傾向、冒険マンガが「少年マンガ」、恋愛マンガが「少女マンガ」として売られてる傾向などからも、男女のソフトウェアとしての方向性の差は明確に存在していて、誤解を恐れずに言うと、これは、一見男女平等理念に逆行して見える。

だけどサステナブル社会における多様性とは、ヒトは同じであらねばならぬと同調圧力で均すのではなく、お互いが違う人間であると認め、その差異尊重しつつ傷つけ合わないように距離を取ることだろう。男女の思考が違って何が悪い女性生理を男も学ぶべきという言説をたまに聞く。炎上覚悟で言うが、男性たちが女性の体の仕組みを完ぺきに理解する必要は、ないと思う。女性のことは女性に任せて、要請に応じて手を貸せばいい。困ったときには助け合えばいい。責任分担を決めて、距離を取りお互いの領土侵犯しないように住み分けることが、上手くやっていくコツではないか

anond:20240214002751

それは将棋界隈に女性差別があるせいだろ。

それが分母数の大きさに繋がり、さらトップ層の薄さになる。

2024-02-12

anond:20240211171506

何もかも一緒くたにしてて頭悪いなと思った。君が表層しか見えてないだけだろ。

大谷以外の選手応援してる野球ファン大勢いるからNPBは回ってるんだよ。 そもそもメディアが騒いでるだけで野球ファンがみんな大谷熱狂してるわけじゃない。大谷はすごいけどそれよりうちの贔屓のチームは選手は〜ってなるのが普通

将棋も戦績で言えば藤井が圧倒してるけど、藤井以外のファンも沢山いるんだよね。君に見えて無いだけでね。

グリーングリーングリーンズはなんでこんなにもAIっぽいのだろうか

全体的にチグハグというか、リレー小説的なんだよなあ。

キルアオやウィッチウォッチは良くも悪くも全体にも個々の話にも一貫性があるんだが、グリーングリーングリーンズは何をしたいのかが明確な感じになってない。

要領よく生きてきた凡人が天才になって世界活躍するという設定に対して、周囲のレベルがいきなり凄い高い。

凡人が天才に食らいついていくという物語は分かるんだが、当の本人がどういう人間なのかがイマイチ見えない。

正々堂々勝負したいのか、勝つためならハンディが欲しいのかも場面ごとにコロコロと変わる。

それが人間臭いテンパリとして描かれるならともかく、作品はさもそこに一貫性があるかのように語ってくる。

なんで?

今週の内容もなんだか、チグハグだ。

「凡人のくせに挑戦した結果、失敗した」という思い出が宿った写真を「変に冒険心を出さない戒め」と語りながらも、それを切り口に始めた話で「俺は本気でやって天才に勝つよ」と口にする。そして、最後には写真を消す。

一見すると話が繋がっているように見えるが、よく考えるとおかしい。

「戒め」の写真を消して冒険に挑むというのは確かに物語としてはそれっぽいのだが、実際にこの写真に写っているのは「凡人だけど挑戦してしまうという気持ちが昔から一貫していた」という部分なんじゃないのか?

100人漫画家を集めたら95人は、この物語の終わりで「挑戦しちゃうんだよな。結構いい顔してるじゃん、俺」と言ってこの写真大事しまいなおす物語を描くだろう。

だってその方が主人公物語一貫性が出るから

グリーングリーングリーンズは凄い漫画だ。

漫画なら絶対にやってしまう「主人公一貫性をもたせる」を放棄している。

第三者の目で見ればおかしく見えるような公道普通に主人公にさせるし、それがおかしいことを漫画世界自覚なく描く。

主人この目から見れば、一貫性のない行動に一貫性があることになっているという思い込み世界を通して我々の目に飛び込んでくる。

漫画というものはどうしても「体を一貫させる*」ということを大事にしてしまう。

起承転結として正しい形を。

チェーホフの銃は撃たなければいけないし、燻製ニシンの虚偽はそれが分かる形にして終わるべきだとされる。

物語として納得の行く着地点を目指して、都合よく全てがトントン拍子に進まなければいけない。

何気ない食事一つから殺人事件のヒントを見つけ、怪しい動きをしていた子供真犯人に口止めされていなければいけない。

そういった窮屈な「納得感」「必然性」の檻の中に漫画はいる。

だがグリーングリーングリーンズはそこを打ち破る。

凡人の癖に主人公が強いのは「めっちゃ努力する天才から」で終わらされており、他の天才も滅茶苦茶努力しているはずなのに追い抜かれていく。

なんで主人公ゴルフを始めたのかの理由は驚くほど薄っぺらいし、主人公自己認識も言ってることもしょっちゅうブレる。

この漫画には自由がある。

枠組みに囚われた人間がついつい「これはこうあるべきですよ」と自縄自縛に陥ってしまう所をすり抜けていく。

これは、まるでAIによる出力だ。

人間常識という壁によって気づかなかった可能性を、ブルートフォースアタックの総当たりで無理やり引っ張り出してくる。

将棋世界AIの力によって新手が無数に産まれ、新手を乱発する棋士はまるでAIのようだと評される。

グリーングリーングリーンズはまるでAIのような漫画だ。

ジャンプという動脈硬化を起こしきった雑誌に吹き込んだ新しい風だ。

皆、読んでくれ。

そして首を傾げてくれ。

「体を一貫させる」ことに囚われないリアル高校生の無軌道さを楽しんで欲しい。

体を一貫させる

この記事から拝借しました。

23/10/21 就活に苦しむインテリの学生に社会の真実を教える - LWのサイゼリヤ

2024-02-11

選択肢のない時代になった

アメリカ大統領選の有力候補がどっちも認知機能の怪しい高齢老人とか

国としてのオワコンぶりがあらわになってるよな。かといって対抗勢力

中国ロシア北朝鮮トップは当分変わりそうもないしイスラエルネタニヤフみたいな

昔の名前ででています(こんな古い歌Zは知らないだろうけど)みたいな人材しかいない。

日本自民震災対応裏金とかどんなに無能不正さらしても野党がそれ以上に無能なので

いま総選挙をしても絶望した有権者棄権して投票率だけ下がって議席自民圧勝、みたいな展開しか想像できない。

投資オルカン一択でそれ以外をやる奴はバカみたいな話しか出てこないし

将棋藤井一強だし野球話題はオータニさんしかない。

世界中から選択肢」が消えていることを実感している。

まぁ俺自身仕事でも恋愛でも相手から一度も「選択肢」にしてもらったことないけど

anond:20240211155641

AIのせいで将棋は暗記に成り下がった

受験数学みたいな感じや

2024-02-10

21歳にもなって人前でボソボソ陰キャ声喋ってんなよな

将棋がある世界に生まれただけの凡夫

伊藤匠と永瀬拓也の暗記力がすごすぎる

将棋の勝ち方とかじゃなくて効率のいい暗記の仕方とか書いてくれたら買うわ。AI再現棋士最前線って感じ。

2024-02-06

頭の良い人たちしかいない将棋28歳まで打ち込むのと

頭の悪い人たちしかいないオンライン対戦ゲーム28歳まで打ち込むのじゃ

おなじゲームなのにちがうんだなあ

もっといいゲームを好きになれるようにうまれたかったなあ

2024-02-05

将棋界、史上最強クラスでも賞金収入2億いかないのか

裾野結構広いと思うのに、他のメジャースポーツと比べると夢がないな

将棋で勝っても素直に喜べない問題

自分が勝った対戦を振り返ると、

相手の隙を華麗を突いて勝利、というケースよりも

こちらの悪い手を何度か見逃してもらった結果勝つことができた、というケースのほうが圧倒的に多い。

もちろんこちらのミス咎められないのは相手ミスでもあるんだが、要するにそれは自分が強いから勝ったのではなくて、普通にやったら負けていたけど相手が弱かったのでたまたま勝っているに過ぎないということであり、己の未熟さを痛感する。

いつか本当の意味で強くなる日が来るんだろうか。

まだまだ、だなあ。

anond:20240205101413

囲碁もしくは将棋単体で検索する事はあっても囲碁将棋検索する事なんか無いだろ

2024-02-04

anond:20240204163051

囲碁将棋って笑うようなゲームじゃないだろ

劇場ってなんだよ?

anond:20240204193426

囲碁将棋」ってあったので見に来たら、「囲碁将棋(吉本)」の方だった。

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