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はてなキーワード: 将棋とは

2024-02-28

2024年から1995年にきた未来人とする

こうなるとなにを書くことがある?

2ちゃんねるにある未来人のひとのように覚えてることや画期的なことで教えられることってなにかある?

時代列とかも覚えてないから順不同)

アップルグーグルスマートフォンを発売する。携帯電話位の大きさのネット端末をほぼ全員が持ち生活が大きく変わる(2010年ごろ?)

北朝鮮は3男が跡を継いで景気よくミサイルを飛ばす

コロナ流行する(2020年

コロナ流行している中東オリンピックは開催される(2021年

東北で大きな地震が起こる(2011年

ウクライナロシア戦争をする(2022年

ジャニーズ宝塚松本人志日テレスキャンダルで壊滅的な打撃を受ける(2023年

安倍総理が射殺される(2022年

統一教会安倍総理暗殺きっかけに打撃を受ける(2022年

VRはまだこれから2024年

EVもこれから2024年

・全体的に値上げする(2024年

書店バンバンぶれる2024年

CD屋もバンバンぶれる2024年

阪神が1回日本一になる。アレとかいう(2023年

藤井聡太って将棋のすごい若者が出てくる(2024年

キングカズがまだ現役(2024年

イチローも長かったけど流石に辞めてる

アニメ世界中でもてはやされる

・サブスク流行

任天堂はすごいまま

追記

公衆トイレはほぼ洋式公衆トイレですらウォシュレットが装備

コンビニは淘汰されまくりローソンファミマセブンほとんどになる

2001年アメリカ旅客機ビルに突っ込ませるテロが起こる

ラーメンを筆頭にグルメはずっとブームのまま

宮崎駿は何回も引退宣言しつつも映画を作り続けて海外でも賞をとる

天皇陛下上皇して年号が変わる(平成天皇2024年現在生存

パソコンはなんかすごいまま

こち亀終了、ゴルゴ13クレしんは作者が死んだけど連載続行、ガラスの仮面HUNTER×HUNTERは作者健在だけど進行しないまま連載も継続

・つい最近どういうわけか幽☆遊☆白書が実写ドラマ

ソニー任天堂に対抗してゲーム機を出す今は5台目。一方残念ながらセガは、、、



(んー、書き込めることねえなあ)

(たとえば医療について画期的ななにかって1995から2024まででなにがある?)

未来人はうそでも本物でもすげえなあと思う)

2024-02-27

anond:20240227165244

将棋のすごい人もAI利用してるし、ようは使いようですよね

2024-02-23

anond:20240223123259

パソコン進化とか今より早かった印象ですね

MS-DOSからいきなりWindows

回線ダイヤルアップからADSL→光

自分より更に上の年代のおじさんはパソコン使い方が分からなくてパニックなってました

当然ブラインドタッチとか出来ませんから、片指の先一本で「パチ……パチ」ってキーボード押してて

将棋指してんの?」って女性社員が冷たい目で見てたのを思い出しま

そんなおじさん方も数年したら両手使う様になってたので必要に迫られたら人は必死に覚えるんだなあと感心してた記憶

anond:20240223114614

でもお前AIより将棋も下手だし絵も下手じゃん

anond:20240223094134

その増田将棋運ゲー化することを目指しているようだ。

参考 削除された「わざわざ不完全情ゲームにしたがる謎」という増田への返信: anond:20240222125803

削除された増田:

https://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:anond.hatelabo.jp/20240222125638

anond:20240222130010

よくあるのは衝立方式だけど、それを全部オープンにやると運要素がなくって個人的にはすごくおもしろかったよ

https://b.hatena.ne.jp/entry/4748033865995182447/comment/Knoa

NHKでやってた2024新春将棋バトルの天地創造10将棋おもしろかった。配置の時に目隠しがないから運要素はないし、配置の後手有利と対局の先手有利がある程度相殺されそう。配置も考慮時間制限付けてほしかった。

2024-02-22

「ばんおう」って面白い

個人的感想だが、主人公が強いのに共感できるってのが一周回って新鮮だからなんだよね

ジャンプ作品の多くがこういった主人公を取り上げると、まず間違いなく吸血鬼としての矜持とか定命との軋轢とかをあげたり、吸血鬼らしい能力葛藤を描いちゃうんだ

そして大抵は主人公容姿や強さだけが取り柄で、それ以外に引き立てるものがなくなる

どっちかというとそういう場合は周囲の人が面白くなっていくんだよね

そんな中でばんおうの月山って、凄く応援したくなる逸材なんだよ

自身がとてつもなく強いのはわかりきっているけど、その強さへの見方も変わってくる

序盤は「長く生きてきたから強くなった」

中盤は「とにかく天才的に努力型だった」

終盤は「ただただ強い…」

と余計な情報がそぎ落とされてきて、時間という資産を食ってきた道楽から純粋強者へと勝ち上がってしまった

それでいて終始将棋への熱とプロへの羨望が尽きないという異常事態

けれど他のプロ将棋指しと比べて、たった一度しか舞台に上がれないという絶対的制限が、月山無双薄氷の上にあることを忘れさせない

そこがこの作品面白いところなんだよね

月山主人公だし竜王戦という舞台なんだから最後まで勝ち上がるのは当然の結末なわけだ

けど、ぶっちゃけ俺はここまで強いとは思っていなかった

勝つなんて当たり前なのに、なんで勝ってるんだろうと終始思わせる

けれど竜王対峙したことには一切の違和感がない

そして「こいつは竜王並の本物の強者なんだ」って誰の目にも可視化されてる

素人チャンピオン対峙するという誰にでも描ける筋書きだし最初から強いことなんてわかりきっているのに、シリーズをとおして成長と挫折を繰り返して強者として認知されていくのが、なんかすごい構成力だなって感心した

これがなろう系で同じ設定でやったとしたら、間違いなく月山性格ねじ曲がっていて無自覚強者だったよね

プロを次々と蹴散らしながら「人間なんてこんなものか」や「まあ100年後にまた自分を忘れたころに遊んでやるか」みたいなセリフが飛んでいるのが目に見える

吸血鬼ってつまらない物語にすることが簡単キャラなんだよ

本当、構成力とキャラが立ちすぎているよな

将棋基本方針

2段になりました!

将棋やってるときの考えを紹介しま

序盤の駒組み

適当

その日やりたい戦法を

なんとなく指す

ネットとか本とか見て

大体の手順を参考にしま

が、思い通りにいかない

まー腹が立つ。

頑張ります

頑張って頑張って

ちょっと不利な均衡状態になるまで頑張ります

中盤

駒をぶつけて交換していきます

歩兵ほとんど

歩兵とって、駒交換して

いい感じになるところを探しま

20あるんで。それをね見ながら一個ずつ動かすわけですね。頭の中で。全部読む!

守り駒と攻め駒って概念があって

半分くらい動かさない駒があります

からまあ10個くらい。

そして、中盤の最初歩兵の交換

歩兵は5枚しかないですね。

5枚ある歩兵の交換かその他のコマの交換

6ですね。いい感じになるって条件で絞っていきます

駒の交換

敵陣に駒を成る

駒を成りつつ自陣を守る

勝つ

逆算して駒を思い通りに動すと

いいんですね

終盤

引っかけ問題をたくさん作ります

不利でも、ミスるこちらの勝利

たくさんたくさん作って

勝つ

やったーーーーーーー

クソみたいな方針で頑張ってます

anond:20240222125414

おやつ禁止

これだけで将棋ニュースバリューが大幅に減りワイドショーで取り上げられることもなくなる

anond:20240222190042

よくわかった。そんなら増田が正しい。正直麻雀じゃだめなんか、とかポーカーのヘッズアップじゃだめなんかという気もするが、将棋でやることに意味があるのだろう。

ゲームはなんぼあってもええもんですから

anond:20240222185530

遊びを考えただけの分際で金取ろうとする性根がもう終わってる

お前は将棋指す度に将棋考えた人に金払うのか?キャッチボールする度にキャッチボール考えた人に金払うのか?しりとりする度にしりとり考えた人に金払うのか?

anond:20240222184444

そうか分かった。

増田は「人間AIに勝てる可能性」を作るための案を出し、

俺は「人間AI勝ち越しできない」を根拠反論して、そこに食い違いが起こったわけだ

よくわかった。そんなら増田が正しい。正直麻雀じゃだめなんか、とかポーカーのヘッズアップじゃだめなんかという気もするが、将棋でやることに意味があるのだろう。

しかたらこアイデアで一発流行るかもしれないしな。動物将棋みたいに

じゃ頑張ってな

anond:20240222180941

という文脈を踏まえると、人間が「99敗1勝」できればヨシってこと?

そう

将棋ならそんな可能性一ミリも無いじゃん

anond:20240222133244

それは期待値的な話でAI将棋で100戦100勝できるけどジャンケンで100戦100勝は出来ないわけじゃん

将棋に一個新ルールを追加できるとしたら?

2つほど思いついた。

味方に裏切り者がいる

自駒のうち一枚は裏切り者でその駒が敵陣に入ると裏返らず敵駒になる。

相手方はどの駒が裏切り者か知っている。

王に影武者がいる

盤上に王が2枚ありとちらかが影武者

間違って影武者の方の王を取っても詰みにならず勝負継続する。

取られた影武者相手方では歩になる。

かにもある?

2024-02-21

日見動画

レニー……。ホゼア……。キューバの近くの島に漂着したらしい。

ラブレターを破った人と破られた人のエピソード面白かった。

ラブレターを破った人と破られた人のエピソード面白かった。

プロ棋士の頭の中、対局中の心境が面白い。私は将棋初心者から先生方の話の半分も理解していないのかもしれないけど、興味深い。

解説イベント出席をトップ棋士でもバンバンするからなのか棋士女流棋士先生方は話が上手い人が多いと思う。

大島璃音さん、やっぱりトーク力凄いな。

2024-02-19

ゲームって二つのストーリーが同時に進んでるよな

前置き(「なんとなくわかった」と思った時点で飛ばしていいよ)

第4の壁によってそれらは真っ二つに区切られている。

「一度もゲームオーバーになることなく最終決戦まで生き延びる主人公たちの物語

「何度もゲームオーバーになりながら、リトライを繰り返しながら成長するプレイヤー物語

もちろんこの二つを両立させることは出来る。

それはゲームオーバーと死を結びつけないことだったり、周回プレイさえも含めてキャラクターの設定に組み込んでしまうことがそれだ。

クリアと同時にセーブデータを消去したり、更にはセーブデータを消した事実さえゲームの中に組み込んでくる作品も出てきた。

それでも、新しいゲーム機やPCを購入すればプレイヤーは0から世界スタート出来てしまう。

同時に、まだプレイしたことがないゲームネタバレを知ってしまえば、0からゲームを始める機会は永遠に失われる。

ゲーム物語」と「プレイヤー物語」は絶対的独立している。

それを打ち破ったのがMMOゲーム凄さであると語る人もいるが、たとえゲームの中の時計を止めることを不可能にしても、プレーヤー物語ゲームの中に組み込もうとしても、結局それらはゲームであることから脱することはないと私は考えている。

ゲームスポーツとしての側面を追求することでプレーヤー物語ゲーム勝敗に引きずり込むことは出来ても、そこまで来ると今度はゲームの中におけるストーリーは形を失い、競技のための触媒しかなくなるのではないか

将棋盤の上に広がっていた国盗りの物語は、プレーヤー技術向上に伴いただの記号となる。

本題

その昔、「物語が素晴らしい」と語られるゲームは「ゲームの中の物語」に対して送られる言葉だった。

だが、時代と共にそれは変化し、ナラティブ重要性が語られるようになる内に「プレーヤー物語」こそが重視されるようになった。

たとえばSEKIROだ。

主人公では死の淵から蘇る設定こそあるが、ボスキャラクターに敗北したとき世界時間のものが巻き戻る。

第二形態になるまで痛めつけたはずの敵は無傷へと戻り、登場人物は同じ会話を何度も繰り返す。

主人公物語」は「ただ一度の敗北を除けば、不死の力により強敵を打ち破り続けた豪傑」であるが、プレイヤーは「何度も敗北しながら相手のモーションを盗み、時に攻略サイト動画を覗いて対策を練り上げることにより遂に勝利した」という物語を歩んでいる。

そして、SEKIROで評価されている物語は、この後者、「プレーヤーの敗北と復讐物語である

ゲームごっこ遊び場所だ。

プレーヤーコントローラーを通して画面上の何かをラジコンのように操作し、それによって何者かを演じる。

独裁政権暴君であったり、愛らしいマスコットであったり、不気味な怪物英雄たちの指揮官、様々なものに乗り移り成り代わる。

ゲームがまだ全くリアルでなかった頃、ゲームセンターや喫茶店レバーを握っていたプレーヤー達が演じていたのは画面のキャラクターではなかった。

「難しいゲームスイスイ攻略するゲーマー」という役を演じていた。

レトロ世界人間想像力を掻き立てはしたが、そこにある没入感には限界があり、プレーヤーと画面の中のキャラクターの間にある第4の壁の厚さは現代の比ではない。

そんな中、ゲーマーを名乗る者達は「ゲームというごっこ遊びを上手にこなす自分」を演じたくてコインを投入し続けたのである

段々とゲーム映画のように物語を見せるものへと変化していき、プレーヤー側も「キャラクター冒険追体験する」という感覚を求めるように変化していく。

そのうちにゲーマーは観客となり、コントローラーを握る行為が本のページを捲るのに似通ったものとなっていく。

ゲームを薦めることはストーリーを追うための手段であり、それ自体目的ではなくなっていった。

そんな時代が続くと今度は、「自由度」「選択の影響」といったものが重視されるようになった。

単に決められたフラグを順番にこなすだけの作業は、ごっこ遊びとしては退屈になってきたのだ。

選択ゲーム世界に影響を及ぼすことにより、その世界構成要素としての没入感がより強まることが発見される。

だが、その時代も少しずつ陰りを見せ「結局はトゥルーエンドがある」だとか「何周もするのが面倒だ」とか「どうせ全部動画で見る」だとか、そういった体験が積み重なることで、自由選択もまた単なるフラグ管理確認作業へと認識が変化していったのである

自由選択」や「選択責任」といった要素が飽きられだした今、ごっこ遊びはどこへ行ったのか。

再び「ゲームを遊び倒しているゲーマー自分」を演じる遊びへと帰ってきたのである

これには配信SNS関係している。

トロフィーの獲得状況を見せ合ったり、考察を語り合ったり、配信で盛り上がったりと、プレーヤー同士の交流が盛んになることによりゲーセン時代の「ゲームやりまくりな俺凄くね?」の遊びがインターネット上で繰り広げられるようになった。

その中で伸びていったのが、「高難易度と成長しやすさを両立したゲーム」だ。

「遊びにくさと難しいを履き違えるな」という金言があるが、これを完璧に守りきり「遊びやすいが難しい」を完成させたゲームがこのジャンルだ。

一見理不尽なほど難しいが、プレーヤーが成長することによって確実に強くなれる丁寧な階段がその中に仕込まれているゲームである

それの亜種として「入り組んだ設定があるが、情報を整理すれば読み解けるゲーム」も人気となっている。

考察が盛り上がるタイプゲームということだ。

苦戦した強敵を軽々と倒し、まだクリアしてないプレーヤーが苦戦しているのを高みの見物をするゲームと、何回な設定について考察サイト議論を重ねたり盗み見て理解し、それに初めて触れたプレーヤーに「いずれ分かるさ」と上から目線かますゲームコントローラーを握っている間の難易度こそ違うが、そこの性質は良く似ている。

「やり込んだプレーヤー自分の成長(成功)を感じることが出来る」という点だ。

ゲーム内外にプレーヤーの成長(成功)の物語が散りばめられており、その成長(成功)を「つい最近始めたばかりで苦戦しているプレーヤー」との比較によって実感できるようになっている。

人は、昨日よりも優れた自分になりたいという願望がある。

だが簡単はいかない。

現代人気のゲームは、その願望を実現したかのような気持ちにさせてくれる機能があるゲームだと言えるだろう。

カルトな人気を誇るゲームを「ものすごい体験をした」と持ち上げるプレイヤーの中にある心理も、「物凄い体験をした自分」と「その体験をまだしてない自分」を比べて、成長や成功感覚を、自分物語として味わっているのである

現代ゲームに求められるのは「自分成功したという物語」をプレーヤーが味わえることだ。

ゲームにおけるストーリーの良し悪しは、脚本ではなく、プレーヤーナラティブによって決定されている。

2024-02-16

anond:20240216181344

あーそうだね

将棋AIが最強になって人間はやらなくなったね

すごいね

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