はてなキーワード: 一般名詞とは
キョロ充は知ってるがチョロ充ってなんだ。 / “チョロ充をブログに持ち込むのはやめよう - かくいう私も青二才でね” https://t.co/Aomq4Afshe— feita@P (@feita0) 2016, 3月 9
青二才先生がなかなかの熱量で荒ぶっておられる。けど、それが若さであり、ほぼ挫折するだろうけどそこから何か掴んでくれたらいいんじゃないかな?とか最近は菩薩の心で放置することにしてる。 / “チョロ充をブログに持ち込むのはやめよう …” https://t.co/fYaTYDUyP1— 青コリ (@aocorydoras) 2016, 3月 8
チョロ充ってキョロ充を言い間違えたのか、青二才の人の独自ワードかどっち何やろ? ブコメではキョロ充って使ってたからタイポだと思うんだけど、なんか気になってしまった (๑′ᴗ‵๑) / “チョロ充をブログに持ち込むのはやめよう -…” https://t.co/Q3jDGECcHF— ろっぱ@自称ローカル有名人 (@roppay) 2016, 3月 9
Twitterのリンク踏んで読んだら、何を言ってるのかはさっぱりわからなかったがこれぞはてなって雰囲気だけはしっかり感じた。しかしほんとに何の話をしているのかすらわからんな…… / “チョロ充をブログに持ち込むのはやめよう - …” https://t.co/abcSSi6k2e— 敷居 (@sikii_j) 2016, 3月 9
おそ松さんの話かと思ったら違った。 / 他26コメント https://t.co/xr4aGezMxQ “チョロ充をブログに持ち込むのはやめよう - かくいう私も青二才でね” https://t.co/NxbgK1JizO— cosmosquare (@cosmosquare77) 2016, 3月 9
なんのこっちゃわからんけど、青二才さんは、そろそろ三才のステージに進むべきだと思う。 / “チョロ充をブログに持ち込むのはやめよう - かくいう私も青二才でね” https://t.co/OFYWVTKaaE #はてな #性— ナカノ実験室2(旧勇気のセルフブク魔人) (@Web_bato_kannon) 2016, 3月 9
チョロ充がなんなのか説明されてるのかと思ったけどなかったので最後まで読んで損した気分。というかひょっとして釣られたのか…。 / “チョロ充をブログに持ち込むのはやめよう - かくいう私も青二才でね” https://t.co/obInjXkYUR— さっこ@くたびれた人妻 (@sakko_o) 2016, 3月 9
ブーイングの嵐。
少なくとも青二才は僕らが知っている意味でのキョロ充を批判するはずはない。青二才自信がキョロ充だからね。
不特定多数の人間のまなざしが気になってすぐ周りのウケを狙ったりノリに合わせようとしてしまうキョロ充と青二才が言うちょろ充は絶対に別の何かだ。
青二才って自分のこと全く見えてないくせに他人のウケとか視線とかそういうことばっかり気にしてる典型的なキョロ充。
ブログでも、ああ、こいつ学生時代キョロ充で一生懸命周りのウケ取ろうと頑張ったけど発達障害で滑りまくってスクールカースト下位にならざるを得なかった負け犬なんだろうなってオーラがひしひしと伝わってくるくらいキョロ充。
自分で考えた面白いことと周りが面白いと思うことのズレが全然分かってないだけで孤高のブロガーでもなんでもなくて、常に読者の視線に媚びまくってる感じがプンプン臭ってくるくらいキョロ充。
大学卒業してもう4年も経つのにいつまでたっても学校時代のルサンチマンとリア充への嫉妬を撒き散らしまくってて、もう誰も自分のことなんか見てないのに未だに学校時代の視線からのがられないでがんじがらめになってるのがバレバレなくらいキョロ充。
キョロ充オブキョロ充。それが青二才。青二才といえばキョロ充っていうくらい青二才とキョロ充は結びついている概念。
固有名詞としての青二才でなくとも、そもそもそうやって自立できていないから他人の目線が気になってしょうがないのが一般名詞としての青二才の特徴。
青二才という言葉を辞書で調べたら6番めくらいのところにキョロ充って入れてもいいくらい両者は不可分。
実際は26歳になったのに今でも自ら青二才って名乗っているということは青二才は間違いなくキョロ充である自覚がある。間違いない。
そんな青二才がさ。
つまりだよ。
チョロ充という言葉は、キョロ充と違って有名人の周りをチョロチョロ小間使いのように動き回る腰巾着ぶりを小馬鹿にするような青二才独自の造語に決まってるんですよわかります奥さん?
ほら俺大正解。
キョロ充であってます。リア充の周りをちょろちょろしてる人でチョロ充だと思ってました。(なんかすいません) https://t.co/AOcQwbQzm2— 三沢文也a.k.a.青二才 (@tm2501) 2016, 3月 8
<script async src="//platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script>
本人はキョロ充と間違えたって言ってるけどこれは立派な造語だよ。
いや、はてな村の方々から僕は女嫌いではないか?と言われてるんだけど、僕は
「自分らの性質に対してあんまり頭を使ってない女が男を批評したり、モテない男にマウントシたがる女が嫌いであり、そしてそういう女に限ってモテる男にはより盲目に騙されて被害者ヅラする」
のが嫌いなんです…わかる?
「根本的に自分の性質とか知性とかあとは他人を攻撃する時に自分が攻撃されることを考えない態度を採る女性(いやそこまで酷いと男であろうが)嫌いです」と言ってることすらわからなかったからはてな村は1時代の勢いを失う雑魚集団なんですよ…はい
元の文の文法がおかしいから直接変換したら変な文章になるのは勘弁な
いや、青二才の方々から私は青二才嫌いではないか?と言われてるんだけど、私は
「自分らの性質に対してあんまり頭を使ってない青二才が女を批評したり、女にマウントシたがる青二才が嫌いであり、そしてそういう青二才に限ってモテる女にはより盲目に騙されて被害者ヅラする」のが嫌いなんです…わかる?「根本的に自分の性質とか知性とかあとは他人を攻撃する時に自分が攻撃されることを考えない態度を採る青二才(いやそこまで酷いと誰であろうが)嫌いです」と言ってることすらわからなかったから青二才は時代の勢いを失う雑魚なんですよ…はい
ここ数日増田がゴキブリゴキブリとうるさいので、罵倒語としてゴキブリを使う新たな流れがきているのかと思いネットを探索してみたが、特にそういうことはないようだ。一時大増殖した「低能」と同様少人数によるムーブメントなのだろう。
このゴキブリ瞬間ぶっ殺し薬剤なんだけど「ソルベント」っていう画材が一撃必殺の威力を誇るのでオススメ。
その証拠に画材のくせにカスタマーレビューがゴキブリについて書いてある
http://www.amazon.co.jp/dp/B006JHAQ70/ref=cm_sw_r_tw_awdl_0eSCvb0T9B8PH …
というのがヒットする(https://twitter.com/Enbos/status/607121783980834816)。
お前なあソルベントってなんだよ一般名詞を商品名にするのはやめろってお父さんあれほどいったでしょ、と思ったが、この名前で20年以上販売されているようだ。これはもう、今さらやめろといっても仕方のないことである。
それはさておき、このソルベントなる液体の主成分は、おそらくアセトンだろうから、あまり濫用するべきではない。よほど狭くて密閉されたところで使わない限りMSDSでいうところの管理濃度に達することはないが、傷口や目についたりするとすごく痛い。ましてコンタクトレンズについたら痛いではすまない。量にもよるが、床の塗装もはげる。化学系の研究室では、ドラフト内で使用するように指導されている、はずである。
…とここまで書いておいてなんだが、実はおれも学生の頃、研究室のゴキブリ退治にアセトンやその他の溶媒を使っていた。
当時学生の間では、「ゴキブリに液体窒素をかけたけど逃げられた」「やっぱりアセトンだよね」「THFで瞬殺だぜ」(一応書いておくと、THFは過酸化物を生成するためこのような使い方は非常に危険である。真似するのはやめよう)などという会話が日常的に行われていたが、やはりそれだけ安全教育がゆるゆるだったのであろう。
参考までに書いておくと、おれの経験ではゴキブリに最も有効な有機溶媒はジクロロメタンである。その威力を一言で表現すると、瞬殺無音、実験器具の洗浄に使う関係で常に手元にあるため使いやすく、アセトンよりさらに即効性があり、もちろん爆発性という点ではTHFよりはるかに安全である。
ただ残念なことに、ジクロロメタンは有機溶媒のなかでもかなり有毒な部類で、PRTR法で厳しい管理義務を課せられており、もはやゴキブリを見つけたからといって気軽に使うわけにはいかない。
ソルベントもだめ、ジクロロメタンもだめ、ではいったいわれわれはどうしたらいいのだろうか。
季節はこれから夏にむかう。奴らの姿を見かける日も多いだろう。しかしわれわれは、最強の切り札を封印したままゴキブリとの戦いを続けなければならないのだ。終わりのない戦いを…。
ユーザー名が変更されたことによってTwitterから連絡が来て乗っ取りを知った。
ただ乗っ取られただけならサポートに連絡すれば取り返してくれるが、
問題は、ユーザー名が書き換えられ、元々俺が使っていたユーザー名だけが横取りされたことである。
厳密に言うとアカウント自体は乗っ取られていない。
俺のアカウントはいまだに@ochinchinbiro_nのままである。
@ochinchinbiro_nにログインはできる。
そのまま使うことも出来るし、@yamada_2ndなどのユーザー名に変更することも自由だ。
しかし@yamada_1stは返ってこない。
どこかの誰かが現在も@yamada_1stを使っている。
せめて@yamada_1stを凍結してくれとTwitterにサポートリクエストを出したものの、
紆余曲折の末、
「ご登録されているメールアドレスでのお問い合わせでないと本人確認できませんのでご対応しかねます。ご了承ください。」
と突っぱねられた。
なりすましとして違反報告しようにも、俺の本名は山田ではないため認証が不可能。
どう見ても手詰まりです本当にありがとうございました。
上の文章では仮に@yamada_1stにしたけど、実際はものすごく簡単な英語の一般名詞なんだよね。
例えで言うと、@styleとか、@weekendとか、@whiteとか。
人によっては価値を見出す人もいるだろうね。
「ご登録されているメールアドレスで」「お問い合わせ」すればいい
うん、それがね。
Twitterの言う「ご登録されているメールアドレス」ってのが、どうやら「現@yamada_1stのメールアドレス」のことみたいなんだよね。
ハッカーの!メールアドレスなんて!そんなの!俺にわかるわけないじゃん!Twitterのバカ!
ふぉろわーにたのんでとうけつさせるんだ
現@yamada_1stが奇跡的にまったくの第三者である可能性もなくはないからね。
Twitter側に調査してもらった上でクロと判れば凍結してもらいたいんだ。
どっかのニュースサイトに話持ち込んでみては
あんまりおおごとにしたくないんだな。
なんせ一般名詞だし、俺が最初にとってたってだけであんまり「俺のだ!」って主張するのも憚られる。
実害(金銭的損害)がないからねー。そこまではちょっと考えてない。
あと多分向こうは日本人じゃないと思う。
ブクマトラバツイートありがとうみなさん。ハヴァナイスウイークエンド。
いやもうほんと、おっしゃる通り。後悔先に立たず。良い子のみんなは2段階認証を導入してね。
このへんの対策はあとでまとめて書くかもしれない。
まさにそれ。
アルファベットだけの組み合わせだったからなんかツールでアタックかけたら成功しちゃうよね。
動機から、 http://news.mynavi.jp/column/svalley/476/index.html (Twitterのユーザーネーム(mat)を気に入り、それを乗っ取りたいと思って攻撃)の事件を思い出した。
いろいろ記事はぐぐってみたけどこれは知らなかった、ありがとう。
動機はそんなとこだよね。
あとでじっくり読ませてもらいます、たぶん解決しないけど。
問題発生から2か月かけて3回のサポートリクエストで再三それ説明してるんだけど、その返事が
「ご登録されているメールアドレスでのお問い合わせでないと本人確認できませんのでご対応しかねます。ご了承ください。」
の一点ばりなんだよね。
俺、2007年からこのユーザー名使ってんだけどな。。全然確認してくんねーの。
確認ってか、読んでないの。たぶん。Twitterは。俺の哀願を。
(参照:http://twitterjp.blogspot.jp/2008/03/blog-post.html)
俺にコピペで返信するだけで1時間$20から$35もらってんだって。すごいよね。
「Twitterに対して熱い情熱をもっている」んだって。へー。
熱い情熱なら俺も持ってるよ、2007年から使ってる、どこかの誰かにクラックされるほどイイ感じの俺のユーザー名に対してのな!
ここでいろいろ書くことによってだいぶんあきらめがついてはきたけど。
さりとて、どれほどコピペ返信が悔しかろうとも、英語で質問する英語力は俺にはないのだった。残念な話だ。
もう、俺には返ってこないんで、消えてくれるならそれでいいです。えぇえぇ。
最後に、宇野は「〈いま・ここ〉だけが無限に広がるこのリトル・ピープルの時代の新しい世界においては、私たちは〈いま・ここ〉に「潜る」こと、徹底して内在的であることが逆説的に超越に接近してしまう」と語るけど、このレトリックって、大澤真幸が麻原彰晃に対して指摘した、
徹底した俗物性、過剰なまでの〈内在性〉が、逆に、麻原の〈超越性〉の根拠になっているのではないか。(大澤真幸『虚構時代の果て』)
とまったく同じなのだけど、これは本人的には大丈夫なのかしら。
ttp://blog.livedoor.jp/toshihirock_n_roll/archives/51653048.html
たとえば『完全自殺マニュアル』の鶴見済氏やオウム真理教の麻原彰晃は、「革命」を失った今、世界を変えるのではなく自分を変えようとしたわけですよね。ドラッグや「修行」によって。麻原は鶴見さんほど徹底できなかったヘタレだから革命のでき損ないに走っちゃったわけです。しかし、彼らのやったことはまさに「内在」的なアプローチだったと思う。だって、世界変革を「諦めて」自分をチューニングするんだから。
でも、ぼくがこの本で書いた「拡張現実の時代」においては、先ほどのゲームの例が代表するようにネットワーク的なものに支援されて超越―内在といった図式自体が崩壊していて、徹底的に内在することが超越に近づくというモチーフが頻出する。「ここではない、どこか」ではなく「いま、ここ」に留まったままゲームのルールを書き換えるための想像力の行使に焦点を合わせているわけ。それはそのまま「虚構の時代」(鶴見・麻原)と「拡張現実の時代」の違いでもある。ここもポイントで、「外部」を断念するというとすぐに鶴見・麻原的なものを年長世代自体は想像しちゃうけれど、それは90年代で時間が止まっている思考ですね。21世紀的な現実は「徹底して内在することによる超越」が、自意識のチューニングではなく現実のコミュニケーションとして創作物の生成や社会変革の可能性の方向に向かっている。これがまさに「仮想現実から拡張現実へ」ということ。
いやいやいや。。。ちょっとウノさん、何言ってるんですか・・・・。「内在」っていうこれまで批評用語としては、「超越-内在」っていう二項対立の一項として使われてきた用語を、かなり強引に自分タームの「内在」(これってむしろ「組織のインサイダー=内在者」っていう意味に近いと思うんだけど)に引きつけて使ってて、不要に名前空間のコンフリクトを起こしてる気がする。まさに、
人文系の評論はすぐに一般名詞を専門用語化する傾向がある。しかも、その本だけでしか通用しない専門用語をすぐにつくっちゃうのだ。”壁_temp”とか、”想像力_temp”とかいう名前にしてくれればわかりやすいのだが、我慢して慣れてみよう。
っていう奴。今まで現代思想界にはCritique.naizaiっていう広く使われてる変数なり関数なりがあったのに、そこにまた紛らわしいUno.naizaiっていう変数なり関数なりを持ってきてて、そこでCritique.naizaiをUno.naizaiと間違えてコンパイルした人に、「お前はUnoパッケージをインポートしてないから俺の本が読めてない」って文句言うのはちょっと無理筋過ぎないか。
まあ、用語の問題を脇に置けば宇野常寛の言いたいことも分からなくはない。現代思想や社会理論がこれまで、超越(トップダウンの理想主義的な社会モデル)か、内在(個々人の内面=インナースペースからの改革)か、という二項対立に拘泥したきたのに対して、組織の内在者=インサイダーが、組織へのハッキング的なコミュニケーションによるアプローチをかけることによって、ゆるやかに社会を変えていきましょう、ってのが彼の言いたいことなんだろうなあ、と思う。だけどそこで、現代思想のこれまで数十年の歴史のある用語体系に土足で踏み込んで、「内在」なんていう一般名詞を無理やり自分タームで使うのは無理筋だし、これまでその用語体系を使ってきた人の名前空間を不必要に混乱させる振る舞いだと思う。せめて「内在者(インサイダー)的アプローチ」くらいの用語にしておいてくれれば分かりやすいのにねえ・・・
はてなID:ykkjhrk
はてなキーワードに投稿しましたが、編集合戦を避けるため、こちらに転載します。
エホバの証人とは
● http://www.watchtower.org/j/ 雑誌のバックナンバーや聖書研究の手引き書などがいくらか読める。
● http://www.jw.org 機関誌のポッドキャストフィードの受診、書籍、電子雑誌などがダウンロードできる。
● http://www.jw-media.org 広報室の公式サイト
名称の由来は旧約聖書のメシア預言のひとつであるイザヤ43章10~12節に基づく。
エホバの証人についての解説(公式サイト): http://watchtower.org/j/jt/article_02.htm
(個人サイト): http://biblia.milkcafe.to/thesis009.html
「ものみの塔聖書冊子協会」は、彼らが用いる代表的な法人の名称である。世界本部はニューヨーク法人ものみの塔聖書冊子協会にあり、出版物の著作権表示はペンシルバニアのものみの塔聖書冊子協会となっている。(ただし、「わたしたちの王国宣教」は、2009年4月以後、著作権表示がエホバの証人のクリスチャン会衆"Christian Congregation of Jehovah's Witnesses"となっている。)
なお、ものみの塔とは1879年に創刊された雑誌の名称であり、ジェームズ王欽定訳のイザヤ21章8節などを由来としている。聖書預言と照らし合わせながら世界情勢を見張っている、という意味がこめられている。さらに、1884年、この雑誌の出版社として現在のものみの塔聖書冊子協会が米国ペンシルバニア州の非営利法人法に則って登録された。したがって、彼らは自分たちを「ものみの塔の信者」とは言わない。ものみの塔協会は法人名に過ぎないからである。
また、「エホバの証人」という語は彼らが構成する集団社会と、信者各個人の両方を指す。(英語などの場合、複数形と単数形で区別する。)したがって彼らは、「エホバの証人の信者」という表現は使わない。ちょうど、「クリスチャンの信者」とか「ムスリムの信者」などと言わないのと同様である。
1870年米国にて、チャールズ・テイズ・ラッセルらが聖書研究会を結成したことに始まり、1931年、米国オハイオ州コロンバスの大会で、「エホバの証人」という名称を採択する決議が可決された。この大会は短波放送で中継されており、日本にいた数名の信者も決議に加わった。(なお、戦前・戦中の大日本帝国下では、「灯台社」という名称で活動しており、天皇は被造物であるなどと主張し、本土および台湾・朝鮮において、治安維持法違反で検挙されている。―参考: 灯台社または燈台社または燈臺社を調べるぺえじ http://www.geocities.jp/todai_sha/)
聖句と聖句を比較しながら論題別に掘り下げてゆくという19世紀の聖書研究者ヘンリー・グルーの聖書研究のポリシーが、現在でも一貫して守られており、エホバの証人出版物の特色となっている。聖書は文字通り神の霊感(インスピレーション)を受けた神の言葉であり、普遍、無謬であって、絶対に矛盾していない、という前提で聖書を調べ、矛盾と思われる箇所がある場合には、ほかの聖句を持ってきて説明しようとする。聖書で聖書を説明するのである。(ものみの塔2006年8月15日号12~15ページを参照。)
((聖書は矛盾している、との主張に対するエホバの証人の反論については、「ものみの塔出版物索引」の「聖書の信ぴょう性」の項の「聖句間に見られる調和」という見出し以下から資料を探せる。))
信者数は日本で21万人ないし30万あるいは40万とも言われ、2009年現在全世界で731万余の伝道者が活動している。
全世界の統計(公式): http://www.watchtower.org/e/statistics/worldwide_report.htm
エホバの証人の実勢信徒数の数え方: http://jwpc.milkcafe.to/media03.html
機関誌「ものみの塔」や「目ざめよ」などを配っている。最近は雑誌の朗読版(mp3およびaac(m4b))やオーディオブックのポッドキャスト配信、アメリカ手話(ASL)や日本手話(JSL)をはじめとする手話版のビデオキャスト配信、オーディオドラマやPDFによる電子書籍のRSS配信も行っている。
「目ざめよ!」は2006年以後月刊誌となり、「ものみの塔」は2008年から一般大衆向けと研究用(信者向け)とに分かれた。
出版物のダウンロードサイト(公式): http://www.jw.org
モルモン教、統一教会と並び、カトリックの総本山であるバチカンの法王庁(教皇庁)からキリスト教系三大カルト(または異端)の一つとされている。
また、カトリックと対立関係にあるが、プロテスタントではない。プロテスタント諸派もエホバの証人との教理上の相違が大きく、エホバの証人自信も自分たちをプロテスタントであるとは主張しない。
http://www.watchtower.org/j/20091101a/article_01.htm
エホバの証人のスポークスマンによると、ときおり、日本基督教団の牧師が「保護説得」などと称してエホバの証人を拉致、監禁して強制棄教を試みるといった事例が生じており、アメリカ大使館は日本の警察当局に、これを事件として取り締まるよう勧告している。((なお、宗教監禁の実態(統一協会の信者)に関する情報は、こちらの月刊現代の記事を参照。))
参考:2003年 国別人権報告書 http://tokyo.usembassy.gov/j/p/tpj-j20050601-50.html
ただし、SDA―セブンスデー・アドベンチスト教会―はエホバの証人に比較的好意的であり、国によってはセブンスデー・アドベンチスト系の病院がエホバの証人の望む無輸血医療を積極的に提供していることもある。
神の名はエホバであり、敬意を込めてその名を積極的に用いるべきである。
http://www.watchtower.org/j/bh/appendix_01.htm
なお、「エホバ」であるか「ヤハウェ」あるいは「ヤーウェ」であるかは彼らにとって大きな問題ではない。マタイ福音書の主の祈りの冒頭にあるように、神の固有名を用い、それが神聖にされることが重要である、とする。(マタイ 6:9)
さらに、聖書を翻訳する際、神聖四字(YHWH(JHVH)テトラグラマトン)を「神」や「主」といった称号に置き換えると、読者は一般名詞としての神と固有名であるエホバとの意味の相違が識別できないという弊害が生じる。「神」(エローヒーム)と「エホバ」の違いについて、インペリアル聖書辞典(P・フェアベアン編、ロンドン、1874年、第1巻、856ページ)は次のように例証している。
「それ[エホバ]はどんな箇所でも固有の名であり、人格的な神を、そしてただその方だけを表わしている。一方、エローヒームはどちらかと言えば普通名詞の特徴を帯びており、確かに普通は至上者を表わすが、必ずしも、またいつも一様に至上者のことを指しているわけではない。……ヘブライ人はあらゆる偽りの神々に対立する方のことをthe Elohim、つまりまことの神と言う場合があるが、決してthe Jehovahとは言わない。なぜなら、エホバとはまことの神だけの名だからである。また、わたしの神とは再三言うが……決してわたしのエホバとは言わない。というのは、わたしの神と言う場合、エホバのことを意味しているからである。また、イスラエルの神について語りはするが、決してイスラエルのエホバについて語ることはしない。それ以外のエホバはいないからである。さらに、生ける神について語りはするが、決して生けるエホバについて語ることはしない。生きている方ではないエホバなど考えられないからである」。(訳文は、聖書に対する洞察、第一巻、「エホバ」の項より。)
ヘブライ語聖書中に「サタン」が登場するすべての箇所において、定冠詞が使われており、悪魔は固有の実在者であって、人の心に内在する抽象的な概念などではない。(ヨブ 1:6 脚注)
http://watchtower.org/j/20091001a/article_01.htm
神は愛の動機からすべての良いものを創造された。生きる喜びを分かち合うため、み使い(天使)や人間を、倫理的に自由な行為者、つまり神に仕えるか仕えないか、どのように仕えるかを能動的に選択できるものとして創造された。
やがて天使のある者が自由意志を誤用・悪用して神に反逆し、神の主権の正当性、妥当性、義にかなっているか否かに疑念を差し挟むようになった。その天使は、ヘビを使ってエデンの園にいた最初の男女アダムとエバ(イブ)を罪へといざなった。こうして、完全だった人間は不完全になり、原罪を受け継いで死ぬようになった。
悪魔となったその天子が投げかけた問いは、もっぱら倫理的な論争であった。つまり、悪魔は神の力を否認していたのではなく、宇宙の主権者としてエホバがふさわしいか否かを問題にした。したがって、悪魔と叛逆した人間を即座に滅ぼしても、この種の問題の解決とはならなかった。
神からの独立を望む人類社会には、神から倫理的に独立してやっていけるかどうかを試す時間が与えられた。そして、数千年の歴史の中で、君主政治、軍国主義、全体主義、共産主義、自由民主主義などあらゆる政治形態を試みることが許された。
神を愛する人には人間の政治に希望を寄せるのではなく、エホバによる神権政治を支持する機会が差し伸べられている。人間一人一人は、エホバの側につくか悪魔の側につくかを選ばなければならず、エホバの主権を受け入れることによって神の心を喜ばせることができる。―箴言 27:11。(←この側面は「忠誠の論争」とも呼ばれる。)
http://watchtower.org/j/bh/article_11.htm#q10_src
http://watchtower.org/j/bh/article_12.htm#q6_src
なお、悪魔の投げかけたこの論争は、当初から矛盾(論理破綻)していた。悪魔は、自分が論争に勝つなら、エホバは自分を生き続けさせる義務を感じるであろうと考えていたからである。神の公正に疑念を差し挟む一方で、神の公正をあてにしていたのである。(聖書に対する洞察、第一巻、「主権」の項を参照。)
イエスは、人類を罪と死から救済するために天から地に遣わされた。イエスの贖罪死と流した血によって、罪の許しの法的根拠が据えられ、人類には永遠に生きるみこみが差し伸べられた。
http://www.watchtower.org/j/bh/article_05.htm
http://watchtower.org/j/bh/appendix_04.htm
http://www.watchtower.org/j/20091101/article_05.htm
http://www.watchtower.org/j/20090401a/article_01.htm
http://www.watchtower.org/j/20091101/article_02.htm
http://www.watchtower.org/j/bh/appendix_07.htm
http://biblia.milkcafe.to/21-ec-12-07.html
クリスチャンは天に設立された神の王国の国民であるゆえ、地上の政治論争には一切「内政干渉」せず、神の王国の大使また公使として振舞うことが期待される。―ヨハネ 17:16。
http://www.watchtower.org/j/bh/article_15.htm#q12_src
神を愛する者は暴虐を憎まなければならない。―詩編 11:5。
http://www.watchtower.org/j/kn37/article_01.htm
(誤解されがちな点だが、彼らはいかなる戦いをも否定する絶対的平和主義者ではない。旧約聖書(ヘブライ語聖書)にある数々の戦いの記録は、将来神があらゆる悪に報復されることを表しており、「復しゅうは神のもの」と聖書にもある。また、クリスチャンは各自「信仰の戦い」をしなければならない。なお、戦争には不参加となるが、政治的な中立の観点から、戦争反対のデモなどの活動に加わることもしない。)
http://www.watchtower.org/j/hb/index.htm
地抜きされていない肉を食べてはならないという聖書の禁止事項は、イエスの流した贖罪の血に敬意を示すべきであるという考えを根底にしている。したがって、これはもっぱら宗教的な性質のものであり、物理的な意味で1ミクロンも血を摂取してはならないという意味ではなく、血抜きのための合理的な努力が払われていればそれでよしと彼らは考える。
日本臨床麻酔学会誌Vol. 26 http://www.jstage.jst.go.jp/browse/jjsca/26/3/_contents/
http://www.watchtower.org/j/bh/appendix_10.htm
エホバの証人はユダ王国の滅亡を西暦全607年に起きたと考えている。考古学の主流の学説とは意を異にしているが、この点は、「聖書に対する洞察」というものみの塔協会発行の聖書百科事典の「年代計算、年代学、年代記述」の項で、かなりのページを割いて論じられている。
http://www.watchtower.org/j/20051115/article_02.htm
http://www.watchtower.org/j/20051201/article_02.htm
裁くのはイエスであり、誰が救われ、誰が救われないかを決めることに、エホバの証人は関与しない。―ヨハネ 5:22。
http://watchtower.org/j/jt/article_08.htm#saved
週に2回ある集会への参加および非信者への証言活動が求められる。(ヘブライ 10:24-25; マタイ 28:19-20。)また、年に1回、地域大会、巡回大会、特別一日大会という、より規模の大きな集まりがある。(詩編 35:18。)
http://watchtower.org/j/rq/article_14.htm
唯一の式典として、年に1回、キリストの死の記念(主の記念式)が行われる。これは、いわゆる最後の晩餐(最後の晩さん)を記念するもので、カトリックのミサ(聖体祭儀)に当たる。―ルカ 22:19。
http://www.watchtower.org/j/bh/appendix_06.htm
彼らは「新世界訳聖書」という独自に翻訳した聖書を用いている。
オンラインバイブル(インターネット聖書)新世界訳: http://www.watchtower.org/j/bible/
「恣意的な翻訳だ」「自分たちに都合の良い内容に改竄している」という批判もある。
また、エホバの証人側はこれに反論している。
公式: http://www.watchtower.org/j/20080501a/article_01.htm
個人サイト: http://biblia.milkcafe.to/
機関誌・書籍などで、しばしば古今の有名人の発言・著作を引用するが、前後の文脈を無視して極めて恣意的な引用をする傾向にある。(例えば、有名な古生物学者であるスティーブン・J・グールドの著作を、あたかも彼が進化論を否定しているかのような形で引用する)
しかし、この点は近年改善されてきており、2010年に発表された創造を指示する小冊子では、相当の配慮が示されている。
近年では全人類の平等を謳っているが、同協会に批判的な主張によれば、ローマカトリックを始め、他のキリスト教諸派よりもずっと後(1970年代)まで「黒人は神に呪われた種族であり、知的にも劣っており、終わりの日に遂に彼らが救済される時、彼らの肌は白くなるだろう」と主張してきたという。(下部の参考リンク「エホバの証人情報センター」の記述による。同センターは論証的な立場に立っているが、エホバの証人に対する論調は全般に批判的。1970年代およびそれ以前の、エホバの証人における有色人種の扱いについて、より信頼性の高い情報源があればご教示ください。)
世界各国に支部があり、信者のうち白人は1/3程度と推測される。「統治体」と呼ばれる最高指導部は、設立以来多年にわたり白人男性のみで構成されてきたが、1999年にメンバーにサミュエル・F・ハードが加わったことにより、統治体にも有色人種が加わることとなった。
1933年、ドイツで政権を握ったナチスがエホバの証人の弾圧を始めると、協会のドイツ支部は大会を開催して(ベルリン大会)、ナチスの政策を支持し、自分たちとユダヤ人は無関係だと主張する「事実に関する宣言」を全会一致で採択した。この大会には、当時のものみの塔協会の会長ラザフォードも出席している。しかし、世界各国に支部があり、本部がアメリカにあるエホバの証人は、この「宣言」以後もナチスの弾圧の対象となり続けた。
しかし、エホバの証人側は、ナチスを政治的に支持していたわけではないと反論する。
公式: http://www.watchtower.org/j/19980708/article_01.htm
個人サイト: http://biblia.milkcafe.to/07-jg-11-40.html
1985年、ダンプカーに轢かれたエホバの証人の子供大ちゃんが、両親の輸血拒否にあい、死亡。輸血をしても助からなかったとの見解もあるが、マスコミに大々的に取り上げられた。大泉実成著「ASIN:4768455646」に事件の様子が描かれている。
1994年、過剰な体罰、虐待によりエホバの証人の信者の子供が死亡した。
参考:http://www.jwic.com/abuse.htm
エホバの証人である高専生が宗教上の理由で剣道実技を許否した結果、退学処分を受けたが、1996年3月8日、最高裁判所は、この退学処分は違法であるとの判決を下した。
判決文(PDF): http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/js_20100319123008290359.pdf
なお、これは教育と信教の自由に関する日本国憲法下における重要な憲法判断である。
エホバの証人の婦人が、事前にいかなる場合においても輸血を施さないでほしい、なおかつ輸血しないことによって障害を負っても医師に責任を問うことは一切しないとの合意書に署名していたにもかかわらず、医師たちはひそかに、事前に示し合わせて、当初から輸血を断行することにしていた。手術後、内部告発によってこのことが明らかになり、裁判となった。2000年2月29日、最高裁判所は患者の人格権を侵害したと判決した。
ここでの問題は、強制的に輸血を施したことの是非ではなく、また緊急事態には輸血を施すというその病院の方針が裁かれたのでもない。むしろ、病院はそのような方針をもっているならば、密約をしたりダブルスタンダードをとったりするのではなく、誠実に病院の方針を説明し、患者の信条に沿う別の医療機関を紹介すべきであった、ということである。
エホバの証人のプレスリリース(英語): http://www.jw-media.org/jpn/20000229.htm
判決文(PDF): http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/js_20100319120604218580.pdf
このほかにも、エホバの証人は国内外で、後に重要な判例となる裁判を起こしている。
参考:衆議院議事録―第159回国会 憲法調査会基本的人権の保障に関する調査小委員会 第2号(平成16年3月11日(木曜日)) http://www.shugiin.go.jp/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/010715920040311002.htm?
http://anond.hatelabo.jp/20100806115503
ヘタリアがわけのわからんタグを量産してるのにも、それがかえって検索しにくい状況にしてる場合があることも同意。
ヘタリア限らず、検索避けの何割かが隠れるっていうより本末転倒なパフォーマンスじゃね?っていうのにも同意。
でもさー、
これは違うでしょ。
でもさ、過剰反応するようになった理由って「関係のある単語を使ってたら自称一般人にそんなキモイ絵に文句言われました」が発端でしょ。
そうでなきゃ、なんで関係のあるワールドカップって単語を入れたタグに文句を言われるのさ。いや大本の人はワールドカップ関連のタグには今回は文句言ってないかもしれないけどさ、この人に「じゃあヘタリアでW杯タグは関連のあることを書いたイラストだから無問題ですよね!」っつって納得するとは思えんよ。
「関係ない単語が使われている」じゃなくて「俺の検索しようとした単語が使われている」から駄目って言ってるようにしか見えないね、自分には。
おまけにこの人はどうも
これは推奨してるらしいよ?そんな人が
口では「国名タグを使うのは不謹慎だからor検索の邪魔になるからダメ」と言っておきながら、検索の邪魔になるような一般名詞タグを付けているのはおかしいのではないか、と思った人が今回あの提言イラストを上げたのではないかと思う。
こんな「まともな」こと考えるかねえ。
大体検索の「邪魔」って、どう邪魔なのさ。周囲が関係ないように思えても、そこでは確実にそのタグが目的の意図で使用されてるっていうなら、その人らにとっちゃ関係性のある言葉でしょ。
一般名詞を含んだ単語って、どれもこれも最初は大勢の人から無関係だってみなされてたんじゃない?
わけのわからん妙ちくりんなタグが増えんのも面倒だけどさー、そこで過剰反応しちゃうようになった討たれ弱さも改善したほうがいいと思うけどさー、あと本当に問題ある絵をかいてんのに無根拠に問題ないって信じて騒ぐキティもアレだけどさー。
そういうごもっともなことを言って、原因(の一旦)は考えないのどうかと思うんだよね。
ほんの少し理にかなった部分があるからって、相手の意図を考えずに好意的に取るのは相手に夢を見すぎでしょ。
むしろ俺の我侭を通させるために、言葉を選んであの手この手で暗に俺の不快なことをすんなって言って来てるわけだし。
こういう自称ジャンル外とか自称良識ある一般人のローカルルールを無条件に受け入れてるから、おかしなタグが量産される展開になるんじゃないの?
http://anond.hatelabo.jp/20100803003221
"イラスト、もしくはそのキャラに関係ない単語がタグに使われている"ことが問題なのだ。
元増田が例に出した「雨」「嵐」は、原作で使われている用語がイラストの分類のためにタグに使われているだけだから問題ない。
(検索の邪魔に思う人もいるかもしれないが、ならば絞り込み検索をすればいいだけの話)
ヘタリアジャンルでは言葉遊びのつもりなのか、キャラには直接関係ない単語を使い、やたら二人組やグループのためのタグを作りたがる人がいるようだ。
例)お花夫婦(しかもこれが指すのは男キャラ二人組)、鯨組、ひよこナイフ、など
口では「国名タグを使うのは不謹慎だからor検索の邪魔になるからダメ」と言っておきながら、検索の邪魔になるような一般名詞タグを付けているのはおかしいのではないか、と思った人が今回あの提言イラストを上げたのではないかと思う。
また、そういった内輪にしかわからないルールを作り上げてしまうと、ライト層が参加しにくくなってしまい(そういう狙いもあるのかもしれないが)、余計に内輪だけで盛り上がるようになってしまう。
このジャンルに限った話ではないが、腐女子の多いジャンルはローカルルールが往々にして錦の御旗のごとく掲げられている。
時にはpixivやウェブなどのルール・規約よりも権威が高い。
そしてそのルールに反すれば、タグなどで"注意"され、無視し続けていれば八分にされたり、最悪の場合ヲチスレに晒される。
彼女たちの目的は"自分たちだけが楽しむ場を作る"ことであって"隠れる"ことではない。頭隠して尻隠さずというか、「隠れてこっそりやってるのよ」というポーズが取れればそれでいいのだ。
その結果が複雑怪奇なタグたち、サムネ対策のための無駄に容量を食う巨大爪楊枝画像・2Pしかない漫画などなどのローカルルールなのである。
http://anond.hatelabo.jp/20100715094622
以前書いたものが2週間ほどしていきなり謎の注目を(ごく一部に)浴びていた。何がおきたし。
ちょっと面白かったので眺めていたら、もっと面白いものを見つけた。
http://www.pixiv.net/member_illust.php?mode=medium&illust_id=12260621
まさに「ありもしない魔法のシステム」を信じている人間の言葉である。それを悪いとは言わないが、明らかにすむ世界が違う人間の言うことだなあ、と感じる。
とりあえず「嵐」「雨」といった単語を使ってはいけないのであれば、多分某有名少年漫画雑誌に連載中のマフィアを題材にした某漫画の二次創作は検索結果に表示されてしまうので不可能になる。というどうでもいいことを言ってみる。(漫画やゲームでありがちな「属性」に天候の名称が使われているため。嵐と雨はまさに該当の属性に当てはまる)
……ひょっとしたら、某ジャンルの絵を探していた人間が「変なもの」が見つかって腹いせに書いた記事ではないか、と一瞬ゲスパーをしてしまったりもしたのだが、いい加減自分の気に食わないものを見つけると騒ぎ立てるおかしな人達に毒されすぎている。
(さらにどうでもいいが、天候としての「嵐」以外にグループとしての「嵐」もあるが、ピクペディア?には「嵐(グループ)」というタグではなく「嵐」でアイドルグループ「のみ」登録されているあたり、本来の単語の意味が説明されている悪天候よりよほど「その天候に関する絵を捜している人」に不快で失礼であるはずだが、そんな話は聞いた事がない。
アイドルグループが良くてヘタリアが駄目なのは、差別ではないのだろうか。国の擬人化なら当然、なのだろうか。不快に思う人数の問題で差別するのは失礼な気がするのだが。)
ネットの世界では、元々は不快なものから身を守るためには自身で対策をするのが基本だったように思っている。
それが私の狭いコミュニティの中限定ではないかと言われるとその可能性は否定できないのだが、ネットが元は技術者の住まう場所だったことを考えたらそう遠くもないと考えているのだが、どうなんだろうか。
実際のところはともかくとしても、今現在の現実としては、人に頼るよりも自分で対策をした方がよっぽど楽であり、健康的でもある。
他人の行動はコントロールできずとも、自分の行動はある程度コントロールできるからだ。手綱をとりやすいものを操作したほうが早い。単純なことだ。
マイナス検索をしろ、というのは驕りでもなんでもない。寧ろ自分が何かを調べるためにその程度の手間すら裂けないような人間は「物を調べる」という行動の意味を分かっていない。ネットを使うとストレスが溜まるだけなのでやめた方がいい。心の平穏の為に。
本来、何かを調べることはもっとずっと手間のかかることなのだ。むしろ今の検索システムの便利さこそ異常である。あれだけ便利なものが使えるのに、多少別の物が出てきたくらいで大騒ぎする奴は一度近所の図書館で司書の手助け無しに目的の本を探しに行けばいい。まあそれでもよっぽど簡単な部類だが。
マイナス検索をすることが相手にそこまで負担であるというなら、タグをいちいち直したり、新たなタグを普及させるのにかかる手間はどれほどかかると思っているのか。
たった数文字検索欄に入力する手間を惜しんで、相手には一月かかっても対処しきれないような手間を押し付けているそちらの方がよほど高慢だろう。
この絵なのか記事なのか分からないものを投稿した人物が探していた「雨」や「嵐」は、いったいどのようなイラストを探してのことだったのか。
もしゲスパー通りの絵を探していたなら、そうでなくとも求めたものが例えばゲームや漫画に関わるものであったなら、一般名詞を使うなという話になりそうで嫌なドキドキ感がある。
ヘタリア以外で、自分が探していないイラストだって検索に少なからず出たはずだ。なぜヘタリアだけなのか。
そもそも、ヘタリアタグを付けることですら本来は自由であるはずである。必ず特定のタグをつけないといけない理由は無い。
ただ、その方がラベリングとして相手にも自分にも有用に働く場合が多いから、個人的にはジャンルタグをつけることは推奨する。お互いを尊重するとは、そういうことだ。
ヘタリアタグだけだとAPHのタグがついているものが出る?ならばとっととAPHも一緒によければいいだけである。まあでもヘタリアジャンルは妙なタグがついて検索の邪魔をしている場合があることは否定しない。
相手が「ヘタリア」だという理由で、過剰な反応をしてはいないだろうか。相手が「厨が多い」と言われるジャンルであれば何をしてもいいわけではない。
マナー違反である絵がごろごろしていたなら別だが、これを書いた人間が言っているのはただ「求めていたものと違う絵が出てきた」だけで、「公共のマナーに反する絵が出てきた」ではない。
公共のマナーに反する絵が出てきたなら思う存分自重を主張すればいい。ただの個人の好みの問題であるなら、それこそそこまで求める必要はないだろう。だが、仮に公共ryであるのなら、そもそも主張するべき内容が間違っている。
「単語を一つ放り込んだだけで都合のいい結果だけが出てくるような魔法のシステムはない」。
何度でも言ってやる。そんなものはない。この先よっぽど文明が進化したらどうにかなるかもしれない。でも、少なくとも今の子の世界には無い。ましてやPIXIVの貧弱な検索機能では不可能だ。
ネットの世界でいきなり不快な物に遭遇することなど当たり前なのだ。サムネがNGと言うならもうそれはPIXIVを使わないほうがいい。
「危険なもの」がごろごろしている世界に自ら飛び込んだのはあなたなのだ。
文句があるなら、もう運営に検索機能の高性能化を働きかけたほうがいいと思う。
ぐだぐだと俺ルールを広めようとするよりよっぽど前向きだし、検索機能が改善されれば自分以外の多くの人間にメリットがある。
ジャンル外の人間だが、別に関係ないイラストが山ほどでようと不快にはならない。ただ、自分のジャンルよりも盛り上がっている別ジャンルを見ると羨ましくはなる。
だが、このような謎マナーを見るといらいらする。仮に「あなたのそれは私を不快にするので検索避けしてください」などと言ったらどのような反応をされるのだろう。
まあ、私にはそんな我侭なことを言う資格はないのでそんなことは言わない。私が勝手に見に行っていらいらしているだけである。
(まとまっていなかった部分を一部手直し。ただし直したあともまとまってはいない。所詮便所のラクガキである。)
人生で一度だけ、浮気をしたことがある。だけど、人によってはそんなのは浮気ではないと言うのかもしれない。私がしたことは、単に彼氏以外の男と一緒に寝たというだけだったから。セックスなんかせずに、文字通り一緒に寝ただけだった。
彼氏と付き合ってからは3か月が過ぎていた。最初は毎日のようにメールが届いたけれど、徐々にその頻度は減っていった。だけど、私の心の平衡を崩すのはその頻度の減少ではなかった。少しずつ、メールの文面に彼の体温が感じられなくなっていくということ。あるいは、別れる間際に特有の、あの他人行儀な距離感。焦燥ははやばやと諦めに変わる。ああ、もう終わったんだ。
さみしい、というのはこういうことなのか、と思った。さみしい、というのは、単にそこに何かが無いからさみしいのではない。そうではなく、自分の手元にあることが想像可能である事物を喪失しているからさみしいのだ。私はさみしかった。だけどそれは固有名詞で表わされる彼氏の不在によるものではなかった。私にとって耐え難かったのは、一般名詞で表わされる彼氏の不在だった。それはさまざまな事象の欠落、たとえば人から気にかけられるということ、人の体温を感じるということ。
そんなとき、男友達と酒を飲む機会があった。彼は人との距離をとるのがうまい、と私は思う。他人が抱える心のすき間に、欠けたピースをさりげなく差し込んでいくような人だ。彼は他人の論理的整合性の欠如には素早く反応するけれど、思想信条の違いについては他人を否定することがない。私は彼のそういうところが好きだった。
すこし過剰な意味を含むような言い方で、私は彼に告げる。たぶん、そろそろ別れると思うよ。そうか、とだけ彼は答える。どうせあんたたち、いずれくっつくんでしょ、と目の前にいる女の子が言った。その言葉を黙殺して、私たちは視線を交錯させる。それはないな、と私は思った。顔は好きだけど、もうちょっとわがままでいてくれないと、私はちょっと、ときめかない。
夜明け近く、ね、ちょっと膝かしてよ、と言って私は人目もはばからずに彼の膝の上で目を閉じた。泊まっていく、と彼が訊ねる。私は無言で同意を示す。これから起こるであろう出来事を考えても、罪悪感は感じられなかった。私と彼氏の関係は、既に私にとっては脳死状態にあったから。定義上は生きていても、実質的によみがえることのない。
彼と一緒のベッドに入る。彼は私を抱いた、けれどそれは社交辞令以上の意味を含んでいなかった。それ以外、彼は私に何もしなかった。ただひとこと、俺、彼氏いる人に手出さないことにしてるから、とだけ彼は言う。それが駆け引きを優位に進めるための言葉なのか、それとも本心から出た言葉なのか、そのとき私にはわからなかった。
結局、彼氏からは、そのあと1週間くらい後に「友達に戻ろう」というメールが届いた。果たして戻る地点などあるのだろうかと思ったものの、それは表に出さず、今まで楽しかっただとか、今まで言えなかったことを後悔の無いように伝えた。
すぐに返事が来た。その文面からは、この人はまだ自分のことが好きなのだということが伝わってきたけれど、それなのになぜ別れようとするのか私には理解ができなかった。そのメールには、返事を返さなかった。返せなかった。
1か月くらい経った後、別れた彼氏から唐突に、会いたい、というメール。後輩の女の子に、これどう思う、と聞くと、さびしくなったんですね、会うなんて言っちゃ駄目ですよ、と返された。いつだって適切なリアクションをする子だと思ったけれど、間抜けな私は既に会おうと返事をしてしまった後だった。結局、付き合っていた頃と何ら変わりのない時間の過ごし方をして、それから終電の無くなった彼を家に泊めた。
同じベッドの中で、私は彼に背を向けて眠る。彼が私に後ろから抱きつく。あのさ、もう別れたんだから、そういうの、やめようよ、と言いかけて、彼が泣いていることに気付く。泣きながら何度もごめんね、ごめんね、と謝っている。それは、聞いているこちらが苦しくなるような、泣き方だった。ごめんね、もう、さみしい思いはさせないから、だから、もう一度。
私を部屋に泊めた彼と、その後、また会う機会があった。そういえば、彼氏とやり直すことになったよ。私がそう切り出すと、そうなんだ、よかったね、と口を開いたのは彼ではなく、別の男友達だった。すこし時間をおいて彼は、俺、お前のこと、すこし好きだったのに、と言う。
すこし、って何だろう、と思った。それがすこしではなくて我慢できないほど好きだったら、彼氏と別れている間に君とくっついていたかもしれないけれど、と思ったけれど、やっぱり言えなかった。
それから半年くらい経った頃、学校から家に向かう途中、彼氏から電話の着信。初めてだった。いつもなら、いま電話していい、とメールで確認をしてから電話をする彼が、何の前触れもなく電話するなんてことは今までになかった。
自転車を降りて、電話に出る。どうしよう、俺、Oの浮気相手と勘違いされてる。そんな内容の言葉を彼は私に伝えた。Oは私と彼の共通の知り合いで、彼氏がいるにもかかわらず手当たり次第に手を出す女として知られていた。どうせあんたたち、いずれくっつくんでしょ、と私に向かって言った女。彼は私の言葉をさえぎるように喋り続ける。でも、俺、本当にやってないから、お願いだから、信じてよ。
ああ、そうだったのか、と私は自分の鈍さをいまいましく思った。今まで理由のわからなかった彼やOの言動の意味が、その瞬間にはっきりとする。たとえばOが私に向かって、何であんたきれいでもないしかわいくもないのに、と吐き捨てたこと。それは単に、彼が体を許しても心まではついにOのものにならなかったことからくる嫉妬だったのだろう。そう思い当たるまでに時間はかからなかった。
私は彼に言う。状況がぜんぜん飲み込めないよ、なんで浮気を疑われる状況になってるかよくわからないし、とりあえず後でOの彼氏に聞いてみるから。彼は、それだけはやめて、と言った。お願いだからそれだけはやめて、もしそうしたら、俺、別れるから。
家に帰り、Oの彼氏にMixiでメッセージを送る。メールアドレスは知らなかった。返ってきたメッセージには、よかったら電話して、と家の電話番号が記されていた。
その電話で、なぜ浮気を疑ったかその根拠を告げられた。彼とセックスしたことを得意気に吹聴していたということ、ご丁寧に手帳にもその記録があったこと。私は訊ねた。いつくらいの出来事だったのかと。彼の回答によれば、それは私が別れを告げられるちょうど1か月前のことだった。
どうするの、Oと別れるの、と私は訊ねる。涙声を装いつつも、それはほとんど尋問に近いやり方だった。どうしようかなって迷ってる。そんな答えが返ってきたことに苛立ち、私は彼らを別れさせようと、たったひとこと言葉を加える。別れた方がいいよ、なんていうものではなく、Oの彼氏が最も強く罪悪感を持つような言葉を、最も彼が傷つくようなタイミングで、私は彼にささやく。
その後、彼氏に会い、隠してること、あるでしょ、と問い詰めた。長い沈黙の後、彼はOとの間にあったことを話す。それにしても、と彼は続ける。君は俺のこと何でも知ってるね、でも俺には君のこと、何にもわからないよ。
私は思う。私は君のことなんて、何も知らない、ただ、知っている振りを装うことができるだけ、だって昔の私のメンタリティーとよく似たものを君は持っているから。けれど、その言葉は口にするには少し重すぎる、と思って口を閉ざす。
私の横で彼が眠る。夜中、目を覚ますと、また彼が泣いていた。だけどそれは、私には聞こえないように声を押し殺し、心の底に沈殿した澱を洗い流すような、そんな泣き方だった。私は彼を許したのに、なぜ泣いているのかわからなかったけれど、それでも彼がいとおしくて後ろからそっと抱きしめる。彼はひとこと、そういうことするから泣けるんだよ、と言って私の手を払いのけようとする。私は、離さないようにと、彼を抱く手に力を込める。
2週間くらいした後、Oの彼氏からメールが届いた。その内容は、Oと別れることにした、私には背中を押してもらって感謝している、という簡潔なものだった。思わず、舌打ちした。確かに私は彼らが別れることを望んだけれど、だけどあまりにもタイミングが悪すぎる、と思った。
次に彼と会ったとき、家に寄っていい、と彼が訊いた。私の部屋で彼は何か言いかけて、それを口に出せずにいる。私は、別れたいんでしょ、と訊ねた。だけど、それは既に疑問文ではなかった。彼は、やっぱり君には何でもお見通しなんだな、と言って唇の端に歪んだ笑みを浮かべる。だけど目は笑っていなかった。
私は彼に理由を訊ねる。だって、俺といると、君の価値が落ちる、なんて意味のわからないことを彼は言う。きっとOに何か言われたのだろう、と思った。だって、そんな語彙は彼の中には無いはずだったから。だけど、何を言われたのかは見当がつかなかった。
何言ってるか、よくわからないんだけど、と私は言う。
もう、罪悪感に耐えられない、と彼は言った。
そっか、じゃあ別れたらいいよ。
引き留めてくれないんだ。
引き留めても戻ってこないことくらい知ってる。
ね、最後にひとつだけ、わがままきいてもらっていいかな。そう言って、彼は私に体を預けた。初めて会ったときに付けていたのと同じ香水の、少し甘い匂いがした。ここで体を離せば、もう、こうやって肌を合わせることもないのだろう。だけど、自分で幕を引かなければいけないのだと思い、もういいよね、と言って私は彼を自分の体から引き離す。
彼は、今までありがとう、と言って部屋のドアを閉める。私は、返事をしなかった。
その後になって知ったところによれば、Oの彼氏にOの浮気を知らせていたのは、私を部屋に泊めたあの男だった。彼は言う。だって、Oの彼氏があまりにもかわいそうだったから。この嘘つき、と私は思った。かわいそうな人間に、より残酷な事実を告げることは、さらにかわいそうなことではないのか。
私はそれ以来、いかなる男の知り合いに対しても「友達」という呼称を与えるのをやめた。だけどごくたまに、「知り合い」と呼ぶにはいささか親密すぎる人間関係に、何という名前を与えようか、すこし悩んで、そして結局口を閉ざす。
(追記 7/30)
そろそろこの文章を新しく目にする人もいないかな、と思って追記してみます。
世間でベストセラーになる小説が自分にはちっとも面白いと思えなくて、そして自分が面白いと思う小説は世間では全く受けなくて、だからきっとこんな文章を書いても目にとめる人なんてほとんどいないだろう、と最初は思っていました。それなのに、被ブックマーク数がいつの間にか自分のブログでも見たことない数字になっていて驚いています。こんな真性かまってちゃんの文章に付き合っていただいて、褒めてくれた方にもdisってくれた方にも、どうも、ありがとうございました。
特に、読みづらい、と思われた方には申し訳なく思っています。普段、読みやすい文章が良い文章だと思っていないため、リーダビリティに気を配らない書き方をしてしまいました。こんなに多くの人の目に触れるのだったら、もう少し気を遣った書き方をすべきだったと反省しています。
なお、トラックバックにも書いたのですが、僕は男で、僕以外の人間も全員、ほんとうは男です。tweeterやブックマークコメントを見る限り、トラックバックはあまり読まれていないようなので、今一度書いておきます。ですが、ブックマークコメントに書かれているような、「おっさん」と呼ばれるほどの年ではありません。おそらく、コメントを残してくださったほとんどの人よりも年下です(僕には理解しがたかったのですが、「女でないのに女の振りをして文章を書く」というのは、社会通念として「おっさん」とみなされるのでしょうか。それとも、僕の文体が学生くさくなかった、ということなのでしょうか)。
僕にとって一番の驚きだったのが、「誰の考えも全く理解できない」というコメントがあったことでした。あるいは、「(僕の)フィルターから見た人間はみんな裏工作をしているんだね」というコメントがあったこと。ある人にこの文章を見せたときにも僕はこう言われました。
「感動したけど、他人の態度に対する過剰な意味付けとか、その反射的態度は僕にはよくわからない」
たとえば数学で方程式を解くのと同じくらいのレベルにあると思っていた行動が、他の人にとっては必ずしもそうでないということが、僕には大きなカルチャーショックでした。もし、そういう人が誰かを好きになったとしたら、どうやってアプローチするのか僕には想像もつきません。
おそらく、ですが、そういう人は、日常で不意に放たれる「自分に好意を持っている(いない)」というサインを必然的に見失うことになると思うのです。そして、自分に好意があるかどうかを些細な行動によって見極められないのだとしたら、いったいどうやって"go or no-go"の判断を下しているのか、僕には理解ができません。もし、「そんなのわからないけれど、好きだから告白するし、それでうまくいく」というのだとしたら、それは人としてものすごくハイスペックだと思うし、不確実性に立ち向かうその精神の強靱さに、僕は賞賛と羨望の眼差しを送らずにはいられないのです。
疑問に思ったら、まず、お前が調べて、どこまで調べたかをかけよ。
みんなで調べてみんなで考えて、みんなで知識を共有するんだよ。お前も考えろ。
今、時間が無いので
現在、各避妊法の避妊率の記述では、以下の文献が世界的にもっとも多く参照されています。
Trussell J. Contraceptive efficacy. In Hatcher RA, Trussell J, Stewart F, Cates W, Stewart GK, Guest F, Kowal D. Contraceptive Technology Seventeenth Revised Edition. New York NY: Irvington Publishers, 1998
http://www.est.hi-ho.ne.jp/ruriko/pill/contraception.html
んで、
http://www.contraceptivetechnology.org/table.html
テーブルらしきもの
あとは、誰か頼む。
あさくググった結果
なので、ちがったらスマソ
だからこういうページがしっかり個別に作られているんだよ。
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%a5%b8%a5%e3%a5%f3%a5%d7?kid=19956
他に一般名詞として通用するのに固有名詞としてのページが作られている言葉だと例えば
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%a5%c1%a1%bc%a5%ba%a5%b1%a1%bc%a5%ad?kid=37690
とか
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%F3%CA%CE%DB
とか
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%C9%DA%B3%DF
とか
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A4%E6%A4%C7%A4%BF%A4%DE%A4%B4
とか本当にキリが無いくらいにあげられ続けるんだけど。
はてな運営の意見を本気で聞きたいのなら問い合わせて見るのが一番いい。
外から意見を言わせてもらうのなら一般名詞と固有名詞が重複する際に
固有名詞の方の方の記事を作ることは別に否定されてない。
綿棒やチーズにしたって結局はその商品にどれだけの認知度があるかって話になるんだろうけど。