はてなキーワード: フェミニズムとは
昔は「女はいらない」だったものが、今は「女が活躍しろ、女が管理職になれ」になった。
しかし急に変わったわけではなく、必ず何かの予兆があったはず。
虎に翼のような戦前フェミニズムだったり、戦後のウーマンリブだったり、男女雇用機会均等法だったり、2007年改正男女雇用機会均等法だったり、安倍ちゃんの女性管理職30%法案だったのでは?
元増田は何が転換点だったと考えているのか?
眉毛がコンプレックスとか、一重がコンプレックスとか、みんな言うけど、細かいこと気にしなきゃいけないせいで、小さな差がコンプレックスになっちゃう。社会が劣等感植え付けてくるよね。俺も加担してたと思う。
男なんてさ、一軍イケメン軍団は分からないけど、二軍ならそんな顔のパーツ整ってなくてもサークル活動真面目にやってたら彼女できたりするじゃん? モテモテとかセフレとかワンナイトとかとは縁なくてもさ
女性ってメイクしてできあがった顔がおかしいと、何が原因か分からなさすぎて大変だよな。自分のパーツがそもそも悪いのか、使ってる化粧品が悪いのか、技術が下手なのか、自分の特徴理解みたいな知覚が間違ってるのか、目指す方向のイメージや美意識が悪いのか、分からなさすぎる。それなのにあれこれ言われる。同性との高度な競争に巻き込まれる。女子にも二軍とかあるのかな、分からんけど。
下の世代の男とかは違うのかな。二軍でもメイクしなきゃいけなかったりするのかしら。というか、サークルとかバイトとか職場で恋愛しちゃいけない規範が強くて、「自然に彼女はできる程度の二軍」みたいな中間層が薄くなって、一軍と女日照りに分かれてるイメージある。そのへんどうですか?
就活も今ほど激しくなく大学生活に適度な無法感とモラトリアム感があり、就職したら働き方改革の波で大切にされて、Z世代みたいに偏見で目の敵にされることもなく、男の下駄は残ってて、ゆとり世代の男でよかったなあという雑感。ちなみに、後ろめたさからフェミニズムを勉強するっていうのも、たぶんうちの世代あるある。
でも、上でも下でも、この時代に生まれてよかった、ゆとり世代じゃなくてよかった、この性別でよかった、って思うこといっぱいあるだろうから、特別なことではないと思う。
そもそもヒューマンの中に女が入ってないから女もヒューマンに入れろってのがフェミニズムの始まりじゃなかったっけ
まあヒューマニズム求めるんならそれはそれで好きにしたらいいと思うよ。良いことは良いことだしね
やあ、みんな元気?
最近、よく「フェミニストは男女平等を求めてるんだよ〜」なんて話を聞くんだけど、これが実はちょっと違うんだよね。
え、マジで?って思うかもしれないけど、まぁちょっと聞いてくれよ!
確かにね、フェミニズムの活動をしてると「おっ、男女平等に近づいてきた?」みたいな瞬間があるんだ。
例えば、女性の権利を守るために作ったルールが、結果的に男性にもいい影響を与えて、「あれ?結構平等じゃん!」って感じることも。
でもこれ、いわばラッキーな副産物みたいなもんで、 目的そのものは違うんだよ。
さあ、本題だ!フェミニズムの本当の目的は、 女性の権利を向上させること なんだ。
男女を完全に同じにするっていうよりも、長い間不利な状況に置かれてきた女性たちが自分らしく、自由に生きられるようにするのがフェミニズムのミッション!
だからね、「男女平等」って言葉がよく出てきても、それはメインディッシュじゃなくて、サラダみたいなものなんだよ。
でさ、もし「性別に関係なく全ての人々が同等に扱われる社会がいい」って思ってるなら、そんな君には ヒューマニズム なんてものがあるんだ!
ヒューマニズムは、全人類が持つ平等な権利や尊厳を守る思想であり、性別に限らず全ての人々の幸福を追求するってやつ。
フェミニズムが女性のための運動なら、ヒューマニズムはみんなのための運動!
これなら平等を追い求めたい君にピッタリじゃない?
ってことで、フェミニストが男女平等を求めてるっていうのはちょっと誤解って話。
フェミニズムはあくまで女性の解放と権利の向上を目的とした運動なんだ。
男女平等がその活動の結果として達成されることはあるけど、それはフェミニズムの主要な目的じゃないのさ。
俺はやっぱり、女は社会進出するべきじゃなかったと思うんだよ。
生理だったり出産で身体を酷使するのに、その上働くなんてあんまりじゃないか。
養われる女は美しい。ひたむきに、旦那や子供に尽くして家を守る。
贅沢を言わず、素朴で、旦那の意のままに。女本来の健気で可憐な姿だ。
男尊女卑や家父長制は貶される文化ではない。理にかなった制度だ。
有名な諺があるだろう、二兎を追う者は一兎をも得ずって。
全員のワガママを叶えようとしたら共倒れするって、昔から分かってたはずだ。
その我慢を上回るくらい、男性たちの幸せが増えれば、社会全体の幸福度が上がるはずだ。
そうやっていい循環を回していこうよ。女を養って養って、みんなで教育していこう!
日本フェミニスト経済学会大会 男性中心の資本主義による「女性の資源化」に警鐘
https://www.kinyobi.co.jp/kinyobinews/2024/09/05/gender-167/
会場に衝撃を与えたのは福永さんの「あわいものから見る世界:サーモンとエコフェミニズムの交わるところ」だ。「あわい」は古語の「合ふ」からくる言葉で、ここでは自然と人工の境界が曖昧になってしまった生物を指す。福永さんは「サーモン」という名称で販売されている食品が、今や「鮭」ではなくなっていると指摘する。
安定した食味、色、脂肪を求める消費者に応えて「おいしいサーモン」が生み出されている。求められる味、画一性、サイズ調整などを可能にするバイオ技術は、成熟しない不妊のメスだけを増やす「全雌3倍体」や、「生むこと」の商品化である「ちがう種を孕むニジマス」など、人間以外の生物に多大な負担を強いている。そしてそれを食べることで私たちは自分の身体に不自然なものを取り込んでいるのだ。
福永さんはこの状況をもたらしてきたグローバルフードシステムのリスクと限界を指摘し、「新しい食の様式」を模索する「人間らしさとあわいの倫理」を示した。
労働とジェンダー研究を専門とする伊田久美子さん(大阪公立大学)は福永さんの報告に「資本主義はここまできたか。人間以外も含めて女性の資源化が進行しているということをあらためて感じた」とコメント。岩島さんはセッションの最後に「人間と環境のウェルビーイングという視点によって、伝統的経済学が前提としてきた人間の概念を捉え直す内容となった」と成果を語った。
改めて、危機的な状況と言わざるをえない。
おいおい、何を言ってるんだ?「チー牛呼び」と「ブス」や「ヤリマン」呼びを同じにしようとしてる時点で、話にならんぜ。
まず、男は生まれながらにして加害者なんだよ!男たちはこれまでずっと社会のトップに君臨し、女性を抑圧してきた歴史がある。そりゃあ、今も変わっちゃいない。そんな男たちが「チー牛」なんて呼ばれたところで、どうってことないだろう。男らしさってやつに縛られた結果だ。文句を言う筋合いじゃねえんだよ。
一方で、女性は常に被害者だ。だから「ブス」だの「ヤリマン」だのって言葉は、もっと根深い問題を引き起こしてるんだ。そういう言葉は女性に対する性的な抑圧や偏見を強化して、女性を貶めるために使われてきた。だから重さが違うんだよ!男が「チー牛」と呼ばれるのと、女が「ブス」「ヤリマン」と呼ばれるのをひっくり返して比較できるもんじゃねえんだ。男は生まれつき加害者なんだから、その程度の言葉で傷ついたって、大したことはねえ。
男には加害者の歴史があるんだ。だからこそ、ちょっとばかり自分が被害者ぶるようなことを言うんじゃねえよ!それを「男女ひっくり返して考えろ」なんて言うのは、フェミニズムの本質を理解してない証拠!
リベラルが主張してるのってフェミニズムでしかなくない?ほかに何かある?
ホームレスの支援は?フェミニズムが嫌がる男の支援だけど…生活保障や福祉の話なんだけど
まあれいわに入れてるんだけど
立憲のカスがクソどうでもいいことにこだわるのホント邪魔なんだわ
フェミニズムに関してはどうでもいい通り越して害悪なんだよ死ね
別に自分はファンでもなんでもなく少し遠い界隈のゲーム配信をみるくらいで流れてきた情報をたまに拾うくらいの距離感なんだけど、まあゲームの大会とか人間関係とかで影響はあるので様子を少し見るために
それで加藤純一自体はどうでもいいんだけど、加藤純一は不倫相手に離婚すると嘘をついていたが付き合う気はなく、妻を愛していると断言しているのをみて、思うところがあった
話しぶりをみればそれが本当であるのはすぐに分かる、というか不倫相手にAV女優を使ったオナニーがしたいだけだと言われているのもエグい
※離婚すると騙して性的関係を結ぶのは何らかの処罰が欲しい、妻が自分じゃなく(嘘をついてヤッた)相手に謝れと言っていたのは正しい、加藤純一は良くわかっていなさそうだった
そこでこの前のソープ行け増田を思い出して、いや愛ってあるんだけど、今この世の中にある男性の性欲と愛情の理論は突き詰めると破綻しているんだよな、と思った、加藤純一個人がクソで破綻している、と言うこともできるんだが、それだけじゃない
加藤純一夫妻は一緒にいると友達のようになってしまうため別居しているらしい、しかし加藤純一は妻に自分の子供を産んでほしいと冗談めかして言い、妻はそれにはいともいいえとも言わず、こんなやつの子孫を残してはいけないと言った、配信者の妻としても、女性として自分の気持ちをどちらとも言い切れない答えとしても100点の回答だと思った、この夫妻の間に確かに愛はあるのだと感じた
インターネットに転がっている空っぽ人間同士の茶番なんかにはない人間性の重みがあり、そこに愛さえあれば上手くいくとは行かない辛さがある
不倫しなければいい、性欲は我慢すればいいという単純な性欲の話だけではすまない、パートナーとして一緒にいたい異性と男女の関係でいられないという愛の問題がこのろくでもない炎上によって世間に可視化されている、なかなか重い問題なのでめったにお目にかかれないやつだ※子育て後の問題は、家族としてフェーズが違うので別と私は考える
性欲によって愛を見失うというのは古典的な使い古されたテンプレートだが、なんだかそれ以上の問題がこのこじれにはある
フェミニズム的な考えと同じ方向性になるが、世の中に氾濫するパッケージされた性欲を自分の中に取り入れすぎるとパートナーに向ける恋愛感情や性欲がどこかで幻想の女体やエロ、女性性に犯されてしまい、バグってしまうんだと思う
なんとなくぼんやりずっと考えていたことだが、世間の市場においてエロと愛は切り離されてしまう、男性に向けたエロのメッセージは愛のない性欲のみに市場原理的になってしまうため、どこかで世間で消費されるためにパッケージされた性欲そのものと自分の中の気持ちと連動した性欲を切り離さないといけず、それを本能的に自分の判断で分別をつけられる男性と、できない男性がいるのだと思う※8割の浮気不倫はしょうもなく愛の問題なんかと無縁でただの性欲のせいなのであしからず
世間の性欲と自分の性欲、恋愛感情や愛を切り離すというのは、それらについて男性が語る様子を見るとただ良心に従えというような精神論ではなく、男性の感性、論理、本能、感情など様々なもので行われているようにみえる、そしてエロと愛を破綻させてしまう男性は自分でそれらの手段を持たず、世間的な風潮を取り入れることで生きている男性のように思う
私は世間に流れる情報を取り込むタイプなので、世間にある情報と自分の中の精神を組み合わせて理論を作る、おそらくその性質のせいでよりそう思うのだが、世の中に溢れる情報を統括すると、世間に流布された性欲と愛の理論は破綻している、何かピースが足りていないのだ
https://x.com/pjwx928/status/1834583420745420845?t=66oLwKnVr-WKnTF90Eaogw&s=19
ミソジニーに疑問を持ちホモソーシャルを脱却しようとするとバニラトラックが苦痛になる論理が分からない。
ミソジニーが要するに女性を下に見ることで、ホモソーシャルがいわゆる男社会を指しているのは認識しているのだが、バニラトラックが苦痛になる意味がわからなすぎて困惑している。
女がバニラトラックに不快感を示すのは分からんでも無い。しかしいくらフェミニズムをこじらせているとはいえ、男がバニラトラックを苦痛に感じる機序は全くわからん。
誰か説明してほしい。