はてなキーワード: 負け犬とは
92年度生。同級生たちは1人、また一人と26歳にアップデートされていく。
専門新卒~2年目くらいまで盛んだったデキ婚ラッシュ、去年の春くらいまで盛んだった結婚ラッシュは一旦落ち着いた。
なんか現時点で残ってる友人たちは半ばあきらめモードだ。
順当に社会人6年目。会社から必要とされていることをうすうす感じるし、振られる仕事のボリュームも責任感も重くなってきて、充実してないといえばうそになる。
いつまでも同棲に乗り気になってくれない3年目の彼氏との付き合いはかなり緩んできてる。
浮気されてんの気付いても問いただす気にもならない。
だけど付き合いの長さによる居心地の良さが手放せなくてまあいっか。で済ませてしまう。
この春PS4とNintendo Switchを買った。FF12ZAのガブラスさまとゼルダBOTWのガノンさまにブヒブヒしてるだけで幸せ。
雑談で昔は上司が部下に土下座させたりしてた、という話になり、30代の自分のリアクションは「あり得ない」、50代の方のリアクションは「昔はそういうの普通」だった。
それで、女子レスリングのパワハラ問題とか、狛江市長のセクハラ問題とか、昔はそういうの普通だったから、揉み消しとかではなくそもそも問題だと認識できてないんじゃないかと思った。今でも問題になっておらずそれが普通な組織もあると思うけれど。
なんでこんなに常識が変わったんだろう。
パワハラ、セクハラという言葉が生まれて世間に浸透したことも理由の一つだろう。
昔はムラの中の“負け犬”として消えていった人達の声がネットの力で瞬時に拡散し、同じように権力の無い人々がそれに怒りの声を上げるようになったことも理由の一つだろう。
でもなんかこんなに常識って変わるもんかと驚いた。
案の定、就活で死にたくなっている。苦労することは予想していたが、それでもつらいものはつらい。
これから書くことは完全に負け犬の愚痴だ。だからこそ説教とかしたい人はこの記事をスルーしてほしい。
今まで大きな失敗はなかった。だから今回が初めての大きな挫折経験だ。これまで、何か結果を出すことで周りから認められてきた。結果が伴わなければ、それまでの過程はあまり評価されなかった。
親は最初、私がなかなか就活がうまくいかない事に関して、当たり前だと言った。さらに、もう内定をとってる子が多いらしいよ〜と私のことを無意識だろうが焦らせた。でもだんだんと病んでいく私を見て、心配したんだろう。面接で落ちた企業のESを書いたのなんて無駄だった!と泣き喚いた私に対し「無駄な努力なんてない!」と言ってくれた。でもその言葉に私は救われなかった。これまで結果しか見られてこなかったのに、いきなり結果がだめでも、努力したことに意味がある!とか言われても、全く納得できなかった。
周りにはすでに内定を手にした友人が多い。また、内定を手にしてはいなくても、何個か最終面接まで進んでいる、という人もいる。その中で私は、まだ最高でも二次面接にしか進めていない。本当に焦る。
普段ゲームやツイッターばかりして、あまり努力していない友人も、私と同じ企業を受けても私より先に進んでいく。本当に心が折れそうだ。他人のことは関係ない。それに他人のことをよく知らないくせに、やっかむのは最低だ。そう思ってもつい意識してしまう。
本当に今心がズタボロで死にたくなっている。この世なんか滅びればいいと思っている。私になんか価値がないと思ってる。それでも、就活をやめる勇気もない。未だにつまらない世間体に縛られる。
私はこれからも就活を続けるだろう、心がズタボロになっても。その先に待ち受けるものが内定か、就職浪人か、第二新卒か、はたまた死か。
今回こうしてはてなブログに書いているのは、アドバイスや慰めをもらいたいからではない。ただ、私のように毎日 就活 死にたいで検索してる人に、同じように就活で死にたくなっている人間がいることを伝えたかった。周りが内定をもらい始めて、クソマイナビとかに焦らされる人にとって、ちょっとした救いになればいいと思っている。
料理屋が何で本日のおすすめって日替わりメニュー作ってるのか知らんのか
いつきても本日のおすすめが統計学的に最強であるカレー置かれててもちっともうれしくないやつも当然いるんですよ
そりゃたまにならカレーもいいけど毎回カレーだけでいいなんてやつの方がごく少数派
今どき統計データの数値そのものを信用してるとか何週遅れだよ、そんなん小学生でもできるわ
統計云々でいうなら生き残りを考えないといけないフェーズになってんのを考えろアホ
統計ってのはただのデータで指標であって、ちゃんと実際の人の動きや心理を考えろ能無しクズが負け犬雑魚クソ虫
自己啓発書がカレーくらい俺の好みならよかったけど、残念ながらただの本の形をしたウンコですわ
https://anond.hatelabo.jp/20180320195213
この記事の追記
Vtuber黎明期の海外オタク(と俺)の貢献を新参のVtuberファンに知らしめる事が主目的だったのでホッテントリに入って多くの人に見てもらえたのはありがたい
しかし、あまりにもアクセス稼ぎ用の煽り部分に反応する人が多かったので一応増田のマナーとして反論してみようと思う
支持されていたブコメをざっと見た感じ、こういった意見が主だろう
「世間の流行とは無縁に個々の趣味を探求するのがオタクなのだから、オタクと世間の流行を結びつけて論じるべきではない」
こういう反応はある種のオタク像を語るとすぐに返ってくる凄くありがちなテンプレートだ
なので、まあ、くるだろうなとは予測していたが…
(とはいえここまでなんの捻りもないテンプレート反応が支持されるのか!?
botかなにか?キズナアイちゃんなの?これが今のはてなのレベルかと思うと少し悲しい…)
さておき、このオタク像は実際正しいのだろうか?
まあ、少しでも立ち止まって考えてみれば違う事くらいわかるだろう
というのはディープ層ライト層問わず今のオタクならかなり一般的な事だ
それでも新しい知識を取り入れることを是とするのもオタクだろう
しかしなぜ世間ではこういった「オタク特殊論」のような言説が支持されてしまうのか?
そこにはなにか、彼らの中の理想像として
というものがあり
その背景には
「文化とは個人それぞれに価値がある相対的なものであり、優劣がつけられるものではない」
「だから世間の流行に流されず個々の趣味を探求するオタクは尊い」
といった幻想があるように思える
「マウンティングをするな!」
といった声や
といった単純な反応だ
しかしこれらの反応はあまりに純粋すぎるし、現実の状況からはほど遠い
文化には間違いなく優劣がある
そして文化というのはこの優劣を競うことで発展してきたものなのだ
例えばヒップホップ文化ではよくfakeという言葉が使われている
お前の音楽やスタイルはfake、偽物であり俺が本物であるというスタンスを示す言葉だ
そこには俺>お前という優劣で競い合い
(もちろん模範、サンプリングという肯定の積み重ねもそこにはあった)
文化を支えてきた批評のシーンでは優劣をつける行為は避けては通れない
評価するもの、評価しないものを選べばそこには否応なく優劣がついてしまう
このように文化の優劣、マウンティグというのは文化の発展のためには不可欠なものである
とはいえのこの優劣はあくまで個人内の価値で相対的なものでしかない
一つは単純に経済の話だ
「万人に消費された文化は優れている」
たったこれだけだ
「ハンバーガーとコーラは世界一売れている、だから世界一美味い」
「amazonで円盤のランキングをチェック!人気のアニメを推さえるぞ!ニコニコで100万再生!?早く見なきゃ!俺こそ最先端のオタクだ!」
これじゃあ「世間に流されないオタク」が理想となるのも無理はない
これらの言葉はそういった勝馬乗りマンへの侮蔑の言葉として存在するのだろう
そして、本当に文化の価値を見極めることのできる「最先端のオタク」をめざすべきだ
とある例をあげよう
ドストエフスキーが生きた時代、ロシア内の識字率はわずか1割であった
有名な話だろう
ではその当時のドストエフスキーの小説に、ゴッホの絵には何も価値がなかったのか?
もちろんそんな事はないだろう
そこに重要性がある
これは単なる経済の勝ち負けとは違う
前例のように経済のゲームで負けていたものが歴史に残ることは十分にありえるからだ
即物的な流行り廃りに惑わされず
しかし、ただ単に「世間の流行に流されないオタク」だけでは通用しない
何が歴史に残り、何が消えるのか、その見極めは難しい
あらゆる能力が大いに試される
さて、ここでけものフレンズとバーチャルユーチューバーを例に考えよう
うーん…
けものフレンズがいったい何を残したというのだろう
あれって何だったの?結局スカだったよねというのが大体の人の感想だろう
しかし日々、関わってくる才能や技術は更新され話題性はつきない
そういう可能性を大いに感じる
少なくともけものフレンズなぞよりかははるかに後世に残る可能性は高い
去年の今頃、
ほそぼそとバーチャルユーチューバーの黎明期を支えていた海外のオタク(俺)
今振り返るとあきらかに海外のオタク(俺)達は日本のオタクに勝っていたのだ
しかしながら、一方で海外のオタク(俺)達は数字に惑わされずに歴史を見極め、本当に嗜好すべき文化とは何かを知っていた
最終的に勝利した
増田が彼ら(俺)を「最先端のオタク」と形容したのはこういうことなのだ
いろんな国内外の言説の「元ネタ」の上にある事はお気づきだろう
とすれば一朝一夕に反論できる代物ではない事くらいはわかるはずだ
じゃあ何をすべきかはわかるね?
っとやめておこう
おっと負け犬が遠吠えっすか。
私は今まで我慢をしてきた。
だけど、その当時の彼氏にフラれてはじめてわかった。
私はただ人のせいにして生きていると。
不満は多かった。
ただ我慢をしていた。
なんで我慢をしていたかというと、当時の彼氏と結婚したかったから。その思いだけで全てを我慢していたら 自分への不満もつもり 当時の彼氏との距離が離れていってることにも気づかなかった。
フラれて初めてわかった。
選択をしていないから、たくさんの我慢がでて、爆発してしまったこと。
今度はちゃんと選択しようと思ってまずは 今いる場所に残るか、地元に帰るか、悩んだ結果、やはり今いるところで頑張りたいと思った。
次に仕事。
私がしたい仕事は何だろうと、当時の仕事をやめて、好きなバイトをいくつか掛け持ちした。
その中で 自分の中での仕事を見つける優先することが発見できた。
ただ自分がしたい業界は経験者ばかりの求人だったので、まずは経験をつもうと今の会社に就職した。
私は前の彼氏を引きずっていたが、こんなに惹かれる人に出会えたことがなかった。
彼とは遠距離で こちらにきてほしいとのことだが、彼のいるところには私のやりたい仕事もない。
友達こそ彼側に居たらよかったが、友達もおらず、地元とは今いるところより離れる
そして、なによりも私は私の事が心配だ。
PMSがひどくて 気分の落差が激しい。そんなときに全て環境が変わったときに耐えられるのか、すごく不安だ。
全てのことを考えたときに、
だったら 我慢 ではなくて
選択をしようと納得しようと
理由を探した。
彼と一緒に居られる
それ以外の理由が見つからなかった。こんなんじゃ前と一緒だと思ってしまい、精神的に追い詰められてる。
私は私で生き、彼は彼で生きて
間で折り合いはつけられないだろうか。
どうしたらいいのだろう。
最悪なことは考えたくない。
https://anond.hatelabo.jp/20180226171134
残念だが今の日本はそんな甘っちょろい理想論が通用する社会ではない、こんなのITエンジニアの世界でも00年代から同じだろう
負け犬は死ねと叫び、強者すらもつまずけば袋叩きで叩き殺され再起不能な社会、なまじ警察が優秀で治安が良かったころの名残が残ってるだけで
だから最近は意識高い系のビジネスニュースとかそんなんで、やたらインテリジェンスだのスパイの働き方みたいな
とっくの昔にソ連がなくなって、そんなタイプの存在居なくなった、007やゴルゴ13の時代の様な銃と爆弾とナイフ持ってる以外はビジネスマンみたいなスパイ像を探しては、最新のビジネスマンとしてブラッシュアップするべし!とか望まれて書いてるだろ?
勘違いしないでほしい、俺がこんな思想を持ってるわけではない、こんな風潮なのは日本人全体がそれを望んだ結果だからだ
わかったら他人なんぞ信用するな、金持って上級国民の仲間入りしてから、雑魚どもや弱者を搾取した上で綺麗なべべを子供にきさせて愛だの平和だのと好きなだけ唱えさせときな