はてなキーワード: 祖先とは
つまり狭い部屋ってことかな、
猫を飼うのに最低限必要な広さの部屋は、
少し古めの飼育書(2010年ぐらい)だと「猫1匹最低でも6~8畳の広さの一部屋」と書かれてる
ただ今2匹飼ってる実感からすると、やっぱりちょっと走れるスペースは必要かもね
じゃらしで少し飛んだり走ったりのスペースは必須だと思うわ
それに雑種16歳のおばあちゃん猫でもうんちハイの後は3LDKを一番長く走れるコース選んで爆走してたりする
それから上下に運動できるなら、むしろ部屋ごと猫用ジャングルにしたらいいと思う
キャットタワ―を複数置けて(猫は「高めの位置にある木のうろめいた場所」を安全と感じる好みがある)、
猫用トイレ・餌入れ・水入れ、全部2m以上離して置けるなら飼える広さと思ってくれていい
(食事の場所とトイレが近いと嫌がるのはもちろん、猫は食事をする近くで水を飲みたがらないので離して置くべしな猫ハックがある)
わが家の猫は扇風機、サーキュレーター、PC(デスクトップ)、いずれも気にしていない
ただしでかいPC置いてるなら室温が上がりすぎないようエアコンは必須
(猫の祖先は暑いところの生き物だが、今の日本の都市部みたいな高温多湿だと
逆に暑さ耐性や温かさを好む習性がアダになって熱中症になったりする、
今後も電気代が高騰していくと考えて、厳しいようならちょっと電気代稼ぐ手段が必要になるな
あと外を眺められて定位置にできる窓とか、
飼い主が出る時にはベランダに出られるとか、
何かしら刺激があったほうが間違いなく良い
窓はキャットタワ―とセットで設置するとお気に入りのスペースになるだろう
生きていると、
嫌なことばかり起きる。
自分が嫌な思いをするのは仕方ないと、人のために行動すると、
迷惑だ、関わるなと
忌避される。
極力、誰とも関わらずにいると、
蔑まれる。
どうしようもないのだと、首を括ろうものならば
馬鹿な事をするなと
罵倒される。
俺はこんなに嫌々生きているのに、
死んでいく奴はずるい。
生きて行かなければ、気が済まない。
――「生きるのは苦痛だ」より
理不尽な強制として産み落とされ、理不尽な強制として生きていく
ストレッサーに対してストレス対処が生じるように、作用に対して反作用が生じるように、
人は苦悩と悲哀を抱え、縛られ、それらの奴隷として生きていく
遠い我らが祖先は、きっと寒い冬の時代に抑鬱状態になっただろう
怯え、不安になり、神経質になり、目の前にいつでも最悪の状態を想定していただろう
だから、生き残った
呪い多き我々は、それでも生きる価値があるとこの世を這いずるだけの人生である
Life's but a walking shadow, a poor player
障害を負い、新しい心と体になり、しかし「以前の自分の連続に生きる自分」としての意識もあり続ける中で、それでも機能低下という現実に向き合い
アサクリが史実に忠実か否かについてはちょっと複雑で、見る視点によってどちらも正しいのよ。
アサクリの開発が自ら「時代考証頑張ってるよ!」と喧伝していて、
実際に当時の風俗や建築等の再現は評価されたし、史跡を巡るだけの教材用ゲームが出たり、
ノートルダム大聖堂が改修工事中に火事で一部焼失した際には参考にされたりしたのよね。
※追記:当時参考に出来るかもと話題になっただけで、実際には参考にされていないようです。
一方、ゲーム自体のメインシナリオはかつて超技術を有した人外が興した先史文明の存在を前提に、
テンプル騎士団VSアサシン教団(とその前身となる結社)の暗闘が紀元前から現代まで続けられており、
人のDNAから祖先の記憶を読み込んで再体験することで隠された闇に迫るみたいなもので、
劇中に神様やアトランティスが出たり、現実となる現代編で何千年生きたキャラが出たりもしたわけよ。
で、批判している人は前段の要素を重視し、反論している人は後段の要素を重視しているという状況なの。
UBI自身が考証頑張っていることをゲームの特色として上げており、
今回話題となった新作に際しても、過去作のその辺を評価していたゲームさんぽの中の人を公式アンバサダーに採用したりしているわけで、
でも同じ祖先を戴く仲間ですよね?
周囲数キロに渡って車も人影もないところで。
多分、誰にも見られていないと思う。
私達の祖先たちは大昔、どういう気分で自然の中を歩いていたんだろうか?
それが知りたかったんだよね。
とかドキドキしながらパパッと脱いでちょっと歩いてみてササッと車に戻るではそんな気持ちわかりっこないと気づいてしまった。
せめてドキドキが収まるくらいまでの時間くらいは過ごしてみて試してみないと何もわからないままじゃん。
車のキーも置いていこう。
パッと見ではわからないように草むらの根本にキーを置いて何も身に着けずに出来るだけ車から離れて歩いていく。
ドキドキがおさまって裸でいることが平気になるまで歩いていくことにする。
大丈夫。
何も起こるわけがない。
ヨシ、脱ぐぞ。
俺は子供の頃から科学が大好きで、神とか霊とか魂とかまったく信じてなかった。
田舎のふつうの家庭だったから仏式の葬式とか墓参りとか法事とか、あと初詣とかあったけど、意味不明だったので本当に行きたくなかった。
駄々こねたり適当にやったり頑なに部屋から出なかったりしたので親には殴られたし、
親戚にも悪口山ほど言われて、祖先を大切にしないやつだって俺だけ縁切られてる。
「命を大切にする」って意味わからないので「いただきます」も言わなかった。親にも先生にもめちゃくちゃに怒られた。
成長してからは流石に学習してそういう場では波風立たずに振る舞うようになったけど、
大人からひどい目にあったのがトラウマになってて、仏とか神とかに関係するイベントとかいまだにすごい緊張するし、
なにか変な振る舞いしたら周りから非難されるんじゃないか、殴られるんじゃないかって内心ビクビクしてる。
これだって立派な宗教虐待だろ。俺はこんな風に生きたくなかった。
でもお前らは、葬式も墓参りも法事も初詣も「いただきます」も日本では「当たり前」で、それに合わせない俺がおかしいって言うんだろ。みんなそう言ってきたよ。
でもそれってお前らがマジョリティ宗教の側にいるだけじゃん。統一教会が多数派の社会だったら壺売って誰かの人生破滅させていいのかよ。
俺も救ってくれよ。
「有史以来女は虐げられてきたんだから男は猛省して女である私の言うことを聞いて女性であると言うだけで優遇しろ」
…みたいな論調の人居るじゃない?
そりゃ数世代遡れば虐げてた祖先は居るかも知らんけど、それに関して子孫である俺達に責任あるみたいな論調はおかしくない?
例えば石器時代にお前の先祖がウチの祖先から肉を奪ってるハズだからナウ弁済しろって言われても困るでしょ?
遡及は記録として残ってる所まで、ってのが法治国家だと思うのよ
法律上だと負の遺産は相続拒否出来るんだから過去の事は事例として参照し今後の社会に生かす、くらいが落とし所だよね
どうしても遡及したいなら現在生きてる人までだったらしていいし、するべきだとは思うけど
ちゃんとした男女平等論者は今後の話をするんだけど、一部の過激フェミの方は「女性が虐げる側に回らないと納得出来ない」みたいな感じで怖い
結局それ女性の権利を盾にした今現在の「私」に対する優遇措置の強制だもの
さすがに通らないよね
血が濃くなると様々な障害が発生するのはご存知の通り(ハプスブルク家がいい例)
成体になっても集団生活する動物は、「近親者への欲情を抑制する機能」がある。
そうでない者は、障害持ちの子孫を残し生存競争に敗北したからだ。
では、どうやって近親者を判定するか?
匂いでわかる動物もいるらしいが、人間の場合は「第二次性徴期の前に、長い時間一緒にいた」というのが判断基準になる。親やきょうだいがこの判定に入る。
姉妹持ちの男が「姉妹モノは無理」というのは基本的にこの判定によるもの。姉妹という関係がいかに萎えるか体感しているためである。
逆に「一緒に育たなかった」場合、近親者判定が発生せず、恋愛する可能性が高まる。
確か幼い頃に生き別れの父娘が大人になって再会したとき、付き合うパターンが何件かあったはず……
ちなみに野生で集団生活しないような動物は平気で近親交配をする。
猫なんかはいい例で、餌だけやって去勢せず放置すると父親が発情期の娘を犯しまくる。猫屋敷が発生する原因の一つである。
猫(の祖先は)は本来単独で生活する。野生生活の場合、親は子の成熟が近くなるとイラつき、子供を縄張りから追い出す。そのときオスは放浪を始める傾向にあり、親子は離れる。結果として近親交配が避けられる。
しかし都市生活(≒人間にメシをもらえる)の場合、メシの場所に生存圏が固定されるため、オスは出戻りしてしまい、結果として近親交配が起きやすくなる。
猫は家につくのではなく、メシの場所に居着くのだ。
それとトラなんかは面白くて、親(メス)が子育てする期間が子供の雌雄によって異なる。オスの子供のほうが短く、メスの子供のほうが長い。明らかに近親交配を避けるためである。(猫もそうかもしれんが知らない)
これ面白くて、未来が自分の後ろ側にあった時代には矛盾がなかったんですよ
我々現代人は普通「未来が前、過去が後ろ」なのが当たり前だと思ってますが、昔は過去が前、未来が後ろにあったんです
全く日本独自のことではなく、古代ギリシャやソマリ語など世界の地域/言語であった/あることらしいですが https://t.co/3iG9Uaqgae pic.twitter.com/hkoAEAJjB0— 重藤小藤太 (@Kotouta_Sige1) February 18, 2024
この言説は正しいのだろうか。この場合、過去に書かれた文学などにおいてどのような用法があったかを確認すればいいだろう。というわけで『源氏物語』から「先」が未来をあらわしている箇所を引用する。
わが御世もいと定めなきを、ただ人にて朝廷の御後見をするなむ行く先も頼もしげなめることと思し定めて、いよいよ道々の才を習はさせ給ふ。
「私の治世もいつまで続くかわからないのだから、(光源氏が)臣下として朝廷の後見をすれば、この先も頼もしいだろうと考えて、さまざまな学問を習わせた」といったところだろうか。この「行く先」は未来を指している。
中に十ばかりにやあらむと見えて、白き衣、山吹などのなえたる着て走り来たる女子、あまた見えつる子どもに似るべうもあらず、いみじく生ひ先見えてうつくしげなる容貌なり。
「その中で、十歳くらいに見えて、白い衣に山吹襲の着慣れた上着で走ってくる女の子は、その他の多くの子供とは違って、将来が楽しみな可愛らしい容姿をしている」といったところだろうか。この「生ひ先」も未来を指している。
我が心ながら、かかる筋に、おほけなくあるまじき心の報いに、かく、来し方行く先の例となりぬべきことはあるなめり
「自分のことながら、このような身の程知らずのあってはならない恋の報いとして、このように後にも先にも例になりそうなことが起きたのだろう」といったところだろうか。「来し方」は過去、「行く先」は未来、という時間の感覚がよく分かる。
一方で、もちろん「先」と書いて過去を指している箇所もある。
あこは知らじな。その伊予の翁よりは、先に見し人ぞ。されど、頼もしげなく頚細しとて、ふつつかなる後見まうけて、かく侮りたまふなめり。さりとも、あこはわが子にてをあれよ。この頼もし人は、行く先短かりなむ
「おまえは知らないのだろう。(姉君と私は)その伊予の老人よりも先に会っていたのだ。けれど、(姉君は私のことを)頼りなく弱々しいと思って、あのどっしりとした男を夫として、このように(私を)馬鹿にしているらしい。とはいえ、おまえは私の子でいてくれよ。あの頼もしい人は老い先短いだろうから」といったところだろうか。この箇所には二つの「先」があるが、「先に見し」は過去、「行く先」は未来を指しているのが面白い。
このあたりを見るかぎり、単に「先」といえば「過去」あるいは順序的な「前」を指しているが、「行く先」のような言い方だと「未来」になるようだ。これは現代的な感覚としてもわかるのではないだろうか。「先に〜〜する」と「この先、〜〜する」の違いだ。
ではさらに遡って中国では「先」という漢字はどのように使われてきたのだろうか。
先(拼音:xiān)是汉语一级通用规范汉字(常用字) 。此字初文始见于商代甲骨文及商代金文,古字形从止(指脚)从人,人举足则前进,表示在前面的意思。 先的基本义是走在前面,引申为时间或空间的次序在先。引申用作名词,特指祖先,又指过世的,多指长辈。
先(拼音:xiān)は、中国語の一級通用規範漢字(常用字)です。この字は商代の甲骨文と商代の金文で初めて見られ、古い字形は「止」(足を指す)と「人」から成り立っています。人が足を上げると前進することから、先は前にあることを示しています。先の基本的な意味は先頭を歩くことであり、時間や空間の順序が先にあることを意味します。名詞としても使われ、特に祖先を指し、また亡くなった人々、特に長老を指すことが多いです。
意味などを調べてみたかぎり、どうも中国語では「先」が「未来」を表すことはなさそうだ。空間的な順序では「前方」側、時間的な順序では「過去」側、で統一されているらしい。このあたりは中国語に詳しい人の解説を求む。
原義が「先頭を歩く人」で、時間的には「過去」を表すというのは、どう考えればいいだろう。イメージとしては、人々が一列に並んでいて、自分はその真ん中あたりにいる。空間的には、列の先頭の人は、自分の前方にいる。しかし、時間的には、先頭の人が先に動き、自分はその後に付いていくことになる。先祖代々が一列に並んでいるところを想像すると、その「先頭」はいちばん古い人だと考えるのが自然だろう……ということではないか。
精選版 日本国語大辞典
先・前(読み)さき
日本語の「先」には「目的地」という意味がある。たとえば「出掛け先」だとか「勤務先」のような言い方である。そして先ほどの「行く先」はまさにこの用法だろう。つまり「先」という漢字から、まず「目的地」用法が生まれ、それから「目的の地点」を「時点」にするイメージで「未来」用法が生まれた、と考えるべきかもしれない。
まとめ。
1. 日本語では「先」が「過去」を意味したり「未来」を意味したりする
3. 中国語では今でも「先」といえば「過去」だけを意味するらしい
残りの課題。