はてなキーワード: 白票とは
選挙の手紙来たから初めて投票行こうかなって思ったんよ。そしたらなんでなん?!ばっかすぎて!
まずウチの田舎、候補者めっちゃ少ないし若者向けの話してる人おらんねんけど。
なんで今どきパソコンサイズのサイトしか作ってへんの?スマホやし拡大しても読みづらいわ。
サイト見ても何言いたいんかもよくわからんし。なにするかサクッとプロフとかに書いといてや。
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そこは流石に白票9割でよくねーかw
白票を投じることと棄権すること、どちらが良いかという問いには、それぞれの選択肢が持つ意味や影響を理解する必要があります。それぞれの行動には異なる意義があり、どちらが「いい」と感じるかは個人の価値観や政治的な意識に依存します。以下では、両方の選択肢を比較しながらその違いを説明します。
白票を投じる行為は、選挙に参加して自分の意思を示しつつ、支持できる候補者がいない、または全体に不満があるというメッセージを送る方法です。白票は「選択肢がない」という積極的な意思表示と見なされることが多く、以下のような意義があります。
政治への関与の意思を示す:白票を投じることで、選挙プロセスには参加したものの、どの候補者や政党も支持できないというメッセージを送ることができます。選挙の投票率に反映され、政治家や政党は白票が多いことをある種の不信任と解釈する場合があります。
不満の表明:白票を大量に投じることで、国民の中に候補者に対する不満が存在することを明確に示すことができます。これが、次回以降の選挙での政策変更や新しい候補者の登場につながる可能性もあります。
一方、棄権は選挙に全く参加しないことを意味します。棄権は、政治に対して無関心である、または現行の政治体制や選挙自体に対する拒絶を意味することがありますが、そのメッセージはあまり明確に伝わりにくいです。
メッセージが曖昧になる:棄権は、投票しない理由が多様であるため、何を意味しているのかがわかりにくいです。たとえば、単に政治に無関心なのか、外的な理由で投票できなかったのか、あるいは意図的にボイコットしたのかが区別できません。白票とは異なり、棄権者が具体的に何に対して不満を抱いているのかが明確に伝わりません。
政治に対する影響力が薄れる:棄権することで、政治的な意思表示を全くしないことになります。これにより、政治家や政党はその人の意見を無視する傾向が強まります。棄権者の声は選挙結果に反映されないため、政治に対して何の影響も与えないと見なされます。
項目 | 白票を投じる場合 | 棄権する場合 |
---|---|---|
意味 | 政治に参加し、支持できる候補者がいないという意思表示 | 政治や選挙に対する無関心または拒否 |
メッセージ | 「候補者に不満があるが参加はする」という意思表示 | 意図が不明確(無関心か反対かが曖昧) |
影響力 | 投票率にカウントされ、不満として示される可能性 | 選挙結果に反映されず影響力が薄い |
政治的関与 | 一定の政治参加意識を示す | 関与していないと見なされる |
4. 結論
白票を投じることは、投票に参加しつつ、不満や支持できない状況を示す方法であり、一定の政治的メッセージを送る手段になります。投票率にはカウントされるため、棄権よりも政治に対する影響を与える可能性が高いです。
棄権は、政治に対する完全な不参加を示す行為であり、その理由が選挙後に明確に伝わらない可能性があります。結果として、政治家や政党にとっては無視されやすく、影響力を持ちにくいです。
もし、支持できる候補者がいないことに強い不満を感じているのであれば、白票を投じる方が棄権よりもメッセージ性が強いと考えられます。棄権は投票行動としては消極的な選択であり、その意図が伝わりにくいため、白票よりも影響力が薄いかもしれません。
1. 現状維持への影響:
白票が制度上の勝者を変えることができないとしても、その数は無視できないメッセージとなり得ます。白票の増加は、有権者の政治への不信感や現状への不満の高まりを示すものです。特に投票率が低い場合、白票の割合が高くなると、政治家やメディアの注目を集め、政治への関心喚起や議論のきっかけとなる可能性があります。
現状の政治システムでは白票が消極的な行動と捉えられるかもしれませんが、それは政治家の意識やアプローチを変えるきっかけになるかもしれません。白票の増加は、政治家が有権者の声に耳を傾け、より良い政策や説明責任を果たす必要性を認識する機会となり得ます。
2. 民主主義への貢献:
民主主義は市民の意見表明を尊重する制度であり、白票もまた有権者の意思表示の一つです。白票を投じることは、現状の政治や候補者に満足できないという強いメッセージとなり、政治家の責任を問う行為でもあります。
民主主義の健全な機能には、多様な意見の反映と議論が不可欠です。白票投票は、既存の選択肢に納得できない有権者の存在を可視化し、政治家の間でより幅広い議論や改革の検討を促す可能性があります。建設的な対話や改革の方向性は、白票を投じた有権者を含む市民の継続的な関わりによってもたらされるものです。
白票投票は、政治への不満や現状への抗議として象徴的な意味を持ちます。特に、選挙における白票の割合が顕著に高まれば、政治家の間で危機感や改革の必要性を生み出すことができます。
他の抗議手段と比較して、白票投票はより広範囲の有権者が参加できる容易な方法です。選挙に立候補したり、特定の政策を支持したりするには、時間やリソースの制約がある有権者も多いでしょう。白票投票は、そういった人々の声を反映する手段となり、政治への参加意識を高める効果があります。
白票投票が直接的な変革をもたらすことは難しいかもしれませんが、政治や民主主義に全く影響を与えないというわけではありません。白票投票は、有権者の意思表示として尊重され、政治家の意識改革や政治参加の促進につながる可能性を秘めています。白票投票をきっかけに、より多くの有権者が政治への関心を高め、積極的な議論や改革への参加へと繋がっていくことが理想的です。
白票投票は、現状への不満や政治への抗議を可視化する手段として、一定の役割を果たします。しかし、より大きな変化を望むのであれば、白票投票に加えて、有権者が政治への関心を高め、具体的な行動や意見表明を行うことが重要です。白票投票は、政治参加の入り口として、民主主義を活性化させるための第一歩となり得るでしょう。
意味わからんバカの主張よりAIの方が有意義な回答を得られる時代になっちまったか・・・
せっかくだから俺もchatGPTに投げてみた
この文章についていくつかのポイントに触れて意見を述べたいと思います。
筆者は、白票投票を「有効票を減らす唯一の手段」として提案しています。しかし、白票の実際の効果は議論の余地があります。白票は有効票としてカウントされないため、選挙の結果に直接影響を与えません。多くの選挙制度では、白票は単に「意思を示さなかった」と見なされ、結果的には現状維持や既存の政治勢力の力を強化する可能性があります。つまり、白票が多ければ多いほど、相対的に少数の有効票で当選者が決まり、必ずしも「NO」を突きつける手段とは言い難いでしょう。
2. 現行の政党に対する不満
筆者は自民党、立憲民主党、維新、共産党など、すべての主要政党に失望していると述べています。これは、多くの国民が抱く感情の一つであり、政治への不信感や無力感を表していると思います。ただし、その解決策として白票を投じることが本当に効果的かどうかは疑問です。政治に対する不満を解決するためには、白票よりも具体的な行動(たとえば、支持する候補者を探し出す、独立した候補を応援する、市民運動や政策提言に参加するなど)がより効果的かもしれません。
筆者は「1億人が白票を投じれば9割の国民が政治家を支持しない状況になる」としていますが、これは非常に極端な仮定です。白票が大量に投じられても、その結果として9割の国民が支持しない政治家が生まれるとは限らず、むしろ選挙に積極的に参加した少数派の意見が反映される結果になる可能性があります。
また、筆者自身も認識しているように、白票投票が常態化すると民主主義そのものが揺らぐ危険性があります。選挙は国民が意思を示す最も重要な手段の一つであり、それを無効化する試みは、結果的に政治的な停滞や無秩序を招くリスクがあります。
筆者が述べているように、「ぶち壊す」ほどの不満がある場合でも、民主主義の基本的な枠組みを壊すことは、長期的には国民自身に不利益をもたらす可能性が高いです。どの政党も満足できない場合、理想は新しい政治的選択肢を模索したり、政策討議を促進したりすることです。白票を投じることで、問題の解決が促進されるかどうかは非常に不確かで、むしろ解決を先送りするか、さらに問題を悪化させる可能性があります。
この文章は、多くの国民が感じている政治的不満を鋭く表現していますが、提案されている白票投票という方法は、その不満を効果的に解決する手段としては弱いかもしれません。民主主義においては、選挙は重要な意思表示の機会であり、白票ではなく、より積極的な参加や政策の提案、あるいは新しい政治的選択肢の形成を模索することが求められるでしょう。
この意見に対する評価は、いくつかの視点から検討する必要があります。主に「白票投票が現状維持に寄与するか」「民主主義への影響」「有効な抗議手段か」という三点について論じることができます。
意見の中で「白票は現状維持、つまり与党支持」という批判を退けていますが、実際には、白票を投じても直接的な変革をもたらすことは難しいです。白票は無効票として扱われ、有効票には含まれません。その結果、最も多くの有効票を得た候補者が当選するため、白票が多くても制度上の勝者が変わることはありません。つまり、現状の政治システムにおいて、白票は消極的な行動とみなされる傾向があり、その結果、与党の強さや議席数が維持される可能性が高いです。このため、白票が有効票を減らすことで政治家の行動に影響を与えるという前提には疑問が残ります。
2. 民主主義への影響
意見では、多数の国民が白票を投じることで「9割の国民に支持されない政治家」を生み出すことを目指しています。しかし、この考え方は民主主義の基本原理に反する可能性があります。民主主義は、市民が積極的に自らの意見を反映させるための制度であり、投票行動そのものが意見表明の手段です。白票を投じることは不満の表明にはなるかもしれませんが、具体的な政策や候補者に対する意思表示が欠けており、建設的な対話や改革の方向性を見いだすことは困難です。結果的に、無効票が増加することで民主主義の機能が低下し、最終的には市民の意思がより反映されにくい政治構造が残るリスクがあります。
白票投票は政治に対する不満の象徴として使われることがありますが、意見表明としての効果は限定的です。抗議の手段としては他にも、選挙に立候補する、特定の政策を支持する候補を支援する、市民運動や請願を通じて声を上げるなど、より積極的な手段が考えられます。また、選挙制度や投票システムの改革を求める動きに参加することで、政治の透明性や公正さを高めることができます。単に白票を投じることは、現状への消極的な抵抗に過ぎず、長期的な政治改革につながりにくいでしょう。
この意見は、白票投票が有効な抗議手段として提案されていますが、実際には政治や民主主義に与える影響は限定的であり、むしろ現状維持に寄与する可能性が高いです。また、白票投票だけでは具体的な変革を生み出すことが難しいため、より積極的な参加や代替案の提示が必要です。
これを書くと「白票は現状維持つまり与党支持」とかいう共産シンパバカサヨクが湧いてくるのがセオリーだけど、自民も立民も維新も国民も共産もN国もれいわも終わってるんだからどこに投票するのも間違いなのよ
これを1億人の国民が実行すれば有効票なんて10%程度しかなく仮にそこから議員が選出されたとしても9割の国民に支持されない政治家が生まれる
当然こいつらは9割の国民の顔色を窺う政治をしなければならない
だから、こういう白紙9割みたいな状況を常態化させるのは民主主義をぶち壊しかねないので危険ではあるが、まさに今、どの政党も終わってるみたいな状況なら1度ぶち込むくらいの価値はあると思うんだよね
どう?
当落など結果に対しては影響がありませんが、白票の数を見ている政治家はいるでしょう。白票が多ければ、自分を信任する人の割合が少ないことを意味しますから、当選しても手放しで喜べないと思います。
急に白票が増えたら政治家の皆さんもびっくりするでしょうから、警告を与えるぐらいの効果はあると思います。決して勧められることではありませんが、全く意味がないとまでは言えないように思います。
Q:最終手段として白票を投じることにどんな意味がありますか?
品田 裕
当落など結果に対しては影響がありませんが、白票の数を見ている政治家はいるでしょう。白票が多ければ、自分を信任する人の割合が少ないことを意味しますから、当選しても手放しで喜べないと思います。
Q:それでも、投票結果には影響がないので無駄ではないですか?
品田 裕
急に白票が増えたら政治家の皆さんもびっくりするでしょうから、警告を与えるぐらいの効果はあると思います。決して勧められることではありませんが、全く意味がないとまでは言えないように思います。
Q:選ばないという思いを表明しても、無効票として信任扱いになるので、白票を投じる意味はないのではないでしょうか?
品田 裕
誰も選びたくない、適切とは思わないという意見を表面するという点に意味を見出すのであれば、白票でも投じる意味はあると思います。むしろ、棄権では行動の意味が一切、明らかになりません。棄権も白票も投票には影響を与えないが、まだ、意味を見いだしやすいのは白票といえます。
またお前ら負けたのか
ここ最近は政治的な不祥事がいくつかあったこともあり、今回の選挙は特に注目度が高いと思っている。
しかし、私の身の回りの人たちは参政の意識の差が大きいと感じる。
投票しないという人たちの話を聞く限り、以下のようなハードルがあるようだった。
これらの気持ちはスゴくわかる。
受動的に得る政治関連の情報は断片的なことが多くて分かりづらいし、自分で調べ始めてもなんだかインターネット上で強い言葉を使ってブチギレている人ばかり目にする。(本当に怖い)
ただ、"それでも投票する必要がある"という理屈が、投票をしない人たちには伝わってないんじゃないかと思う。
「投票しないことをチクチク言われることはあるけど、特に困ることはないし別にいいか」くらいの気持ちじゃないかと推察する。
そこで、私なりに投票の必要性を整理してみたくなり、ここにまとめることにした。微力ではあるが投票について考える一助となれば幸いだ。
※私は記載する内容の専門家ではなく、なんらかのデータに基づいた話もないのであくまで一個人の想いや考え方としてご一読いただきたい。また、本内容は特定の政党や思想を批判・支持するものではないこともご留意いただきたい。
変化の内容は、脚が速いヤツ/寒さに強いヤツ/好き嫌いが少ないヤツ/首が長いヤツといった感じで多様である。
この多様な特徴を持った群の中で、周りの環境に最も適用しているものが多数派になる。
キリンの場合には、"高い木の上に食べられるものが多くある"という環境だったから首が長いヤツが多数派となったという感じだ。
とてもよくできた仕組みだが、この仕組みが正しく機能するためにはいくつか条件がある。
環境は刻々と変化するため、特定の環境に適用した特徴だけを持つ種では全滅してしまう可能性がある。
それを避けるためにいろいろな特徴をもった個体がいたほうが種全体としては頑健である。
キリンであれば、高いところの食べ物に届かない個体は生き残れないといったように、環境に適用できていない特徴を持った個体が不利になるように自然選択される必要がある。これを専門用語で淘汰圧と言うらしい。
少し乱暴にまとめると
"多様なものが競争によって淘汰され、最も適切なものを主流として種が生き残る"
ということである。
私はこの進化の仕組みが、民主主義にも適用されていると感じている。
"多様な特徴を持つ群"は異なる政治的意見を持つ個人や政党に置き換えられるし、"環境による淘汰"は選挙による政治家や政党の選択に置き換えられるためである。
ここまで説明すれば、言いたいことはなんとなくわかってもらえると思う。
投票しないということは
"全体の投票率が低いことにより適切な淘汰圧がかからず、環境に適用できていない(あるいは偏った環境に適用した)政治が行われることに繋がる"
ということであると私は考えている。
淘汰されないのであれば、自分たちが得するように特定の団体を優遇したり裏金を得られるようにしたりしても政治家たちにとっては何の問題もないのだ。
ただ、どこか特定のところを落とそう!と言っているわけではなく、投票率を上げて淘汰圧を強くしよう!ということが伝えたいことである。
政治に関する情報収集は難しすぎるが、なんとなくでも良いので自分の考え方に近い政党や遠い考え方の政党を知ることが重要だ。
昨今は簡単なアンケートで自分にマッチした政党を知ることができるvote matchサービスが複数あるのでやってみることを勧める。
ここで注意したいのは、サービスによって設問内容や回答項目が異なるため、結果に偏りが出る可能性がある点だ。余裕があれば複数のサービスでやってみてほしい。
ここでは特定のサービスの案内は避けるため、"vote match"等で検索していただきたい。
たとえ投票したい候補や政党がない場合でも、自分の考えと遠い考えを持つ候補や政党が選択されないように、そこと対立する考えを持つところに投票すると良いと思う。
また、「投票先がないのなら抗議の意味で白票を投じれば良い」という意見を見かけることがあるが、これまで述べてきた淘汰圧の考え方からするとまっっったく意味がないのでやめたほうが良いと私は考える。
政治的な話について複雑化したりタブー視したりして選挙に対するハードルが上がり、それが原因の一部となり正しい淘汰が行われていない現状が私はとても悲しかった。
自分なりに考えた結果、民主主義の前提のような共通認識がないままに感情を優先して会話されているからではないかと思ったため、本内容を投稿した次第である。
「とりあえず投票所に行かせる」っていう狙いはわかるけど、白票をわざわざ入れるために時間を使うのって、かなり無駄だと思うんだよね
投票率が上がったからって、政治家が「若者が白票を投じてるから、若者向けの政策を考えよう」なんて思うか?
むしろ「何も考えずに投票に来てる人が増えた」って思われるんじゃないの?
そもそも、白票を入れるくらいなら、家でのんびりしてる方がマシって感じる人も多いはず
選挙って、自分の意見を形にするチャンスなのに、それをわざわざ無効にしちゃうのって、ものすごくもったいないと思うよ
各党の政策をちょっとでも見て、自分が賛成できる候補者を選んで投票する方がよっぽど建設的でしょ
白票投票運動は「投票のハードルを下げる」なんて言ってるけど、実際には投票行動そのものをぼんやりさせちゃって、逆効果じゃない?
選挙が近づくと白票に意味はない、いや意味はあるという議論が毎回のように起きるが、そもそも白票運動が何を目的としているのかを理解していない者が散見されるので
白票運動が誰を対象として、何を目的とした運動なのかを書いておく。
・白票運動は選挙に行かない人を家から引っ張り出し投票所に行かせるための運動
・若者の投票率向上によって、政治家が若者向けの政策を打ち出すことを期待している
白票運動の第一のターゲットは「選挙に行く気のない人」 その中でも「選挙に興味はあるが、誰に投票すればいいかわからないので投票に行かない」人だ。
有権者のなかには「選挙に行こうとは思うが、掲げている政策や実績を知らないのに投票して選挙結果を左右してしまうのは良くないから…」という生真面目さゆえに投票を控える人が一定数存在する。
それらの人に「だれに投票して良いのかわからなくて投票しないぐらいなら、白票を投じませんか」という呼びかけだ。
第二のターゲットは「選挙に行く気がないし、調べる気もない」人だ。つまりは政治に全くの無関心と言い換えてもいい。
誰にも投票しなくてもいいから、とりあえず投票所に足を運べという誘いでもある。
投票のためには①候補者の掲げる政策を調べる ②どの候補者に投票するか決意する ③実際に投票所に足を運び、票を投じる の3ステップが必要になる
このうち①②のステップを飛ばすことで投票行動へのハードルを下げようというのが白票運動の1つ目の目的だ。
ただ時間を使って無効票を投じるだけでは意味がないという人もいるだろうが、「休みの日に有権者を家から引っ張り出し、投票所に足を向かわせる」ことがどれだけ大変かを知っていればこれがどれだけの偉業かわかるであろう。
加えて、投票所まで来させてしまえば「せっかく来たんだから誰かの名前書いてみようか」、「前回は白票だったけど今回はちょっと政策を調べてみようか」というように、『次』のステップへの足掛かりとなる可能性も期待できる
知っての通り、選挙の投票率は高齢者ほど高く、若年層ほど低い傾向にある。
このせいで政治家はより得票の見込める高齢者に向けた政策を重視し、ますます若者の政治離れが加速するという負の循環が起きている。
白票(無効票)は選挙結果への影響はないものの、投票率にはカウントされるので統計上の投票率は高くなる。
投票率を見て、政治家が「おや、若者の投票率が無視できないほど高くなっているな。なら若者向けの政策もやらないとな…」と思ってくれれば儲けものである。
これは若者が投じた票が白票であることを見透かされたとしても効果があるのがポイントだ。
政治家にとって、選挙に来ない有権者は屁でもないが、選挙に来る有権者は怖いものだ。今回白票を投じた人が次回対立候補の名前を書く可能性は、選挙に来ない人が次回選挙にやってくる可能性よりずっと高い。
候補者の人気が拮抗している選挙区などで「今回は僅差で勝てたが、白票を投じている人が対立候補に流れたらヤバいな…」と思わせることができたら万々歳であろう。
せっかくなので、白票運動へのよくある批判への反論を書いておく
これまで解説したように、白票運動は「選挙に行かない人に投票へ行かせる」、「投票率の向上によって、政策決定を変えさせる」ことが目的であり、そもそも「抗議の意思を示す」などということを目的としていない。
「白票を投じることで『投票したい候補者が居ない』という抗議の意思を示そう!」などと吹聴する者がいるが、あれは白票運動の目的を勘違いした馬鹿なので無視してほしい
そうだが?
上で言った通り、有権者の行動変容によってじわりと政策に影響を与えようという運動なので、目先の選挙結果をどうこうする影響力はないしそのつもりもない。
白票運動は与野党の関係なく全政治家に若者の方を向かせることが目的なので、「与野党対決!」、「自民党過半数割れで政権交代!」といった対決構造に持っていきたい人にとっては水を差されるようで気分が悪いだろうとは思うが、そういう単純な図式に乗るつもりはないので諦めて欲しい。
これはその通り
各党の政策をしっかり見て、自分の利益になる政治家を判断して投票するのが最も効果があるに決まっている。
しかし、そういう「理想的な行動」を求め過ぎたせいで投票へのハードルが上がり「そこまで面倒なことしてられないよ」となった結果が現状なのではないか?
別にやりたいならやってもいいけど「白票には意味がある!既存の政治家へのNoという意思表示だ!」みたいにイキってるアホが他人に白票勧めてるたら「ぼくはみなさんとおなじでいいです」って意味にしかなってないから真似しても意味ないよ、というのは広めたいよね
白票は無意味だのバカだの組織票を持ってる層を利するだけだの、だから白票いれるのはやめろって言うのが最近のネットの流行りだけどさ、あれに俺はちぃとも納得できんのよね。
そもそもさ、白票やめろって説教してる層って、白票を入れるか誰か候補者の名前を書くかを前提としてない?
まずそこからズレてるんだよね。
白票入れよっかな~って考える人が選択肢にしてんのは、白票 or サボり(棄権)なわけ。
棄権するよりは、白票でも入れて、投票率なり世代投票率なりを0.00000。。。1パーセントでも上げて、あと本人も投票所の空気を吸うくらいした方がいいでしょって話。
考えてみろよ、投票なんて、適当に候補者の名前を書く方が素直だし簡単だし普通だろ。
ニュースでも漫画でも文化祭の出し物決めでも、選挙ってのは当然候補のどれかに入れるものとして流れてるんだからさ。
白票入れるなんてのは相当ヘンで、何かしらのこだわりや意志がないと惹かれない、邪道な裏技行為なわけ。
具体的理由はそれぞれあるだろうけど、候補者の名前を書き普通に投票するのがマジでイヤでイヤでたまんねーっつう奴らが白票入れに興味を持つの。
そういうやつらに白票は無意味だ、まともに候補者に入れろって説教して、いい効果があると思うのか?
ンじゃいいっす、家にいますってなるだけだろ。
聞く側の心理をちゃんと考えたうえで「「白票はやめとけ」って説教してるんか?
考えたうえで俺とは違う心理推察になってんならまあいいけどさ、そうじゃなく、ただ自分の政治への意識を他者にも当てはめてそうな人たちが多くて、がっかりしちゃうわ。
選挙が近づく度に、誰にも入れたくないから白票を入れる、いや白票は意味がないみたいな言説が飛び交っている。実際のところ、白票は何に影響して何に影響しないのだろうか? とりあえず小選挙区に絞って考える。
当然ながら、白票は候補者の得票数には影響しない。したがって白票を投じたところで誰かが当選したり落選したりすることはない。
惜敗率とは、選挙区内の最多得票数を100%として候補者の得票数が何%かという割合である。比例重複立候補の候補者は惜敗率が比例名簿同一順位の候補との順位付けに利用されるため、惜敗率が高ければ復活当選しやすい。
法定得票数とは、いわゆる供託金没収ラインのことである。法定得票数の定義は有効投票数から決まるので、無効票である白票は影響しない。
投票率を選挙人名簿の登録者数に対する投票所に来た人の率としてカウントするなら、白票を投じた人の分もカウントされる。
特に、開票前の速報値であれば確実に選挙人名簿から算出しているので、影響する。
開票終了後に有効投票数から再計算することも不可能ではないが、わざわざそんなことをする例はあまりないだろう。
投票用紙からは世代は分からないので、世代別投票率は選挙人名簿から計算するしかない。誰が白票を投じたかどうかは分からないので、確実に影響がある。
投票率や世代別投票率を気にする政治家がいるのであれば、その行動に微妙に影響する可能性はある。
では実際の所、良い候補が誰もいなかった場合、白票を投じるよりましな投票行動はあるのだろうか。
確実に当選しそうな候補がいる場合、これによって「2位以下の惜敗率を下げる」「法定得票数を上げる」という効果がある。つまり、復活当選を防いだり、供託金没収にすることが可能かもしれない。
一方で、当選者の得票率は上がるので、当選者は「民意を得た」と思ってしまうかもしれない。
接戦ならその一票が明暗を分けるかもしれない。当然、法定得票数にも影響する。
一方で、入れた候補の惜敗率は上がるので、それによって比例復活当選してしまうかもしれない。
絶対に当選しそうにない候補に入れることで、有力候補の得票率が下がるが、選挙結果には影響しないだろう。
投票先候補以外の惜敗率にも影響しないので、比例復活にも影響しないだろう。
泡沫候補の得票数が供託金没収ライン上だった場合、これによってラインを超えるかもしれない。
同じ行動をする人が大勢いた場合、泡沫候補の得票数が増えるはずだ。したがって泡沫候補に有利な行動と言える。
まあ私はどこに入れるか決めてるのだが、他に何か良さそうな行動指標はあるだろうか?
この意見には妥当な点もありますが、いくつかの問題点や誤解が含まれています。以下で詳しく指摘します。
妥当な点
1. 自己満足としての投票: 「選挙は自己満足とわきまえて行くべき」という部分にはある程度の妥当性があります。民主主義の中で、個人の一票がすぐに大きな変化をもたらすわけではないため、自分の信念に基づいた選択が自己満足的な側面を持つのは事実です。しかし、選挙への参加を「自己満足」とだけ捉えるのは限界があります。
2. 生活の一部としての選挙: 選挙を「生活の一部」として捉える視点は正しいです。選挙は日々の暮らしに影響を与える決定を行う場ですので、自分自身や社会のために参加することが重要です。
1. 「一票や数票で結果が変わるわけではない」という主張: これは誤解を招きやすい考え方です。確かに、一票で選挙結果が変わることはまれですが、地方選挙や接戦の場合には、少数票が結果に大きな影響を与えることがあります。過去の選挙でも数百票、あるいは数十票差で当選者が決まる例が存在しています。このように、一票が集まることで結果を左右するケースもあり得るため、「一票に意味がない」というのは一面的な見方です。
2. 白票の意味について: 意見では「白票に意味が発生する」とされていますが、白票は選挙結果に影響を与えないため、その意味を巡って議論があります。白票は「どの候補者も支持できない」という意思表示ではありますが、具体的な政策や政治的影響を及ぼす可能性は低く、白票が多くても選挙制度自体には変更が起きません。したがって、選挙結果に影響を与えたい場合、白票ではなく、自分に最も近い政策を持つ候補者に投票することがより効果的です。
3. 「投票結果に結びつかない」という認識: 個々の投票行動が直接的に結果に結びつくわけではないことを冷静に理解することは重要ですが、このような姿勢が投票行動の放棄を助長する可能性もあります。集団的な投票行動の積み重ねが選挙結果を形成し、最終的に政治の方向性に影響を与えるため、参加そのものが重要です。投票行動に意味がないとする見方は、民主主義の基本的な価値を軽視してしまうリスクがあります。
まとめ
この意見は、投票行動の一部を「自己満足」として捉える点や、選挙を日常生活の一部として理解する点では妥当です。しかし、「一票が結果に影響を与えない」という見方や、白票の価値を過大評価している部分には問題があります。選挙は、集団としての意思表示を行う場であり、個々の投票が積み重なることで最終的に大きな影響をもたらす可能性があります。そのため、投票行動を放棄するのではなく、積極的に自分の意思を反映することが重要です。
選挙が近いから定番の投票行く行かないとか白票がとかが出てきてるけど
まず自分が投票したい人がいるのなら、投票行けばいいというかもちろん行くだろう
更にどうしても当選して欲しいという気が強いのなら行く気がない人とか知り合いに
誰々に入れて欲しいとお願いすればいい。かなり恥ずかしいと感じるだろうけど
ここで照れてどこでもいいから行けよみたいになると言われた方が不快だし
ただこれらの行為が現実に投票結果に結びつくわけではないとは頭の片隅でクールに考えておいた方が良い
実際に1票や数票で結果が変わる訳ではないのだから
でも不貞腐れてじゃあ選挙行く意味ないのとか投げ槍になるのも違う
選挙の事を考えて投票をした自分自身には意味があるし変化も起きる行為だ
ついついスケールを大きくして考えがちだけど、それも大事だけど
この意見は一部に妥当な点がありますが、いくつかの問題点や矛盾点が指摘できます。以下に詳細を説明します。
妥当な点
1. 一票の集団的効果: 意見の中で「一人の一票は大きな意味を持たないが、集団で動けば意味を持つ」という点は正確です。民主主義の基本は、集団の意思を反映させることですので、個々の票が集まることで結果に影響を与えるという考え方は妥当です。
2. 自分の意見を反映させる方法として候補者擁立: 候補者がいない場合や不満がある場合は、自ら候補を擁立するか、政治活動に積極的に関わることが選択肢としてあるという点も理にかなっています。
1. 「投票しないことは無意味」という主張: 意見の中で「白票や無効票には意味がない」とされていますが、これは一面的な解釈です。白票や無効票を通じて「どの候補にも賛成できない」という意思表示を行うこと自体は、選挙システムにおいても重要なメッセージと解釈される場合があります。これは、政治家や政党に対して「選択肢が不十分である」という抗議の一形態です。
2. 「勝つことが重要」という視点の偏り: 意見では「勝たなければ意味がない」という主張がありますが、民主主義は勝敗だけでなく、多様な意見が反映されることも重要です。少数派の意見であっても、長期的な議論や変化に寄与する可能性があるため、「負けることが無意味」とするのは狭い視点です。
3. 選挙に行かないことの影響を軽視: 「投票する人がいないから選挙に行かなくてもいい」という主張は、投票率の低下が民主主義の健全性に悪影響を与えることを無視しています。低投票率は、代表性の欠如や特定の集団に有利な結果をもたらすことがあります。そのため、どのような選択肢であれ、投票に参加することは重要とされています。
まとめ
この意見は、一票の集団的な力や候補者擁立の重要性を指摘する部分では妥当ですが、白票や無効票の意義を軽視し、投票しないことの影響を正当に評価していない点に問題があります。また、勝つことが唯一の目標であるとする視点は、民主主義の多様性や長期的な影響を軽んじているといえるでしょう。