はてなキーワード: 理系とは
総務部長の甥っ子の大学の後輩を縁故採用、というルートで正社員の事務職をしている男性が社内にいる。
社内で派遣で事務をしているのは全員女性。彼女たちは家族のせいでパフォーマンスを制限されているが、
子供を産む前は正社員として働いていた人たちで、能力的には優秀。
派遣労働という待遇であっても1枠に対して40名50名の応募があるので、上澄みを採用できる。
有名企業の事務職枠であればもっと激戦であろうと思う。勝ち残るのは優秀な女性ということになる。
事務職に対して男性の応募は少ない。また、女性と比べて男性で事務職を希望する人はやる気がない。
同じ作業はバッチ処理できるようになってきているので、今の事務職は「気づくこと」が求められる。
営業には不注意な人間がやけに多い。気づくこと、おせっかいをやくこと、みたいなスキルが事務職に求められたりする。
性格的な適性みたいなもので、このスキルは資格や経験で明確に示すことができない。
向いている人は向いてるし、できない人はできない。コミュニケーション能力が低いタイプはたいていできない。
正直なところ、遺伝や、きょうだいの世話をした経験、部活の後輩の世話をした経験など、
男性の事務職希望者はコミュニケーション能力が低い。
縁故採用の男性社員はコミュニケーション能力が高く、フットワークが軽いタイプだが。
男性の事務職希望者は、コミュニケーション能力が低いため営業などの仕事には就けず、
理系的素質もないので開発職にも就けず、事務職に求められる「気づき」「おせっかい」といったソフトスキルもない。
「営利団体では使い道がない感じの男性」が、事務職という仕事を小馬鹿にした雰囲気を醸し出しながら、
事務職希望で応募してくる。そして応募してくる人数自体も少ない。
当然、採用されるのは「子供のせいでパフォーマンス制限されてるけど本来は優秀な女性」になる。
それを男性差別といわれても。言葉を正確にして、「能力差別」と言ってくれ。
そういう人で数学の成績がそれほどでなかったり大学で数学を専攻している人というのが少ないのは、根本的に数学に対して能力がないのではなく、数式には文章と違って情感みたいなものがないとかいった理由で愛着を持てないからだと思います。
それで熱心に学ばないからそうなってるだけで、彼らのような類に数学の勉強を強制させたらそれこそ大化けして並みの数学者を凌駕する理解力を発揮するのではないでしょうか?
確かに高校時代まで重視される計算力(速さ)という意味の数学力は読解力とかすりもしない概念でしょう。
しかし大学に入ってまず習う位相や集合の理解にしてもあのページが進むごとに論理的に入り組んでいく解説についていくということについてはまさしく国語で成績を取ってきたのと共通する読解力がものを言うように思えてなりません。逆にあれを理解するのに要する読解力と小説なり評論なりの問題を解くのに要する読解力とでどこに違いがあるのか探す方が難しいでしょう。
双対の原理の事典での説明を私が見ても、パスカルの定理とブリアンションの定理の双対性が、束の外延と内包の双対性が成り立つからその特殊な場合として明らかに成り立つものなんだと言えるという趣旨に対して、束という遥かに抽象的な形式論理のなかで成り立ってることがあの目で見える形で定理の妥当性が明らかな射影幾何の双対性に一般と特殊の関係のなかでどうつながってくるというんだとさっぱり納得感がないわけです。
(というか双対の「原理」とかいっちゃってるけど、それはパスカルの定理とブリアンションの定理が同時に真であるということ公理として幾何学が構成されてるってこと?この場合まだ2定理が真なことは図示したとき直観的に明らかだからまだいいけど双対の原理に沿うように言葉を入れ替えた命題が全て視覚的にも正しいと判断できるような状況になってる保証はどこにもないよね?それをもそれを「真」と認めるものとして幾何学を構成しちゃってるってこと??)
国語において読解力があると知られている人は、そういう言わずもがなの部分も何が省略されているか察知する力に長けているはずというか、往々にしてその力の結果が間接的にも直接的にも「読解力が高い」と人に言わしめるときの「読解力」の構成要素になっているはずなのです。
だから、事典の記述についても私が納得できないのはその記述における「言わずもがな」の部分に想像力が及ばないからだとするなら、読解力の高い人ならこういう数学の高度な概念の解説も読みこなせるのではないかと思うわけです。
そういうわけで少なくとも数学の理論を学ぶという段階だけで見るならむしろ理系ぶってる人間よりも読解力が高い人のほうが驚異的な力を発揮するように思えます。研究の段階になるとそれがそうじゃなくなるんでしょうかね。
文系理系の問題というよりは、広くコミュ力の問題だと思う。専門分野で強みを持っていても、人を導いたり組織を動かすビジョンを持って人を説得する力がないと、誰かに使われるポジションから上に上がらないという。
計 算 が 嫌 い だ か ら
物理も化学もな、実は計算抜きの話題はかなり食いついてきてくれるのよ。おもしれ〜〜って目をキラキラさせてんのよ。でも計算が始まるとめんどくせえ〜もう駄目だ〜理系とか無理だ〜オラ文系さ行くだってなるんだよな
彼女たちの計算嫌いは文系科目でも顕在で、たとえば共通テストの政経とかでたまに計算問題出るんだけど、そこも嫌いだし苦手だし、生物もそう。受験生物は計算要素が少ないので計算嫌いのオアシスだが、それでも多くの生物選択者はDNAの塩基の割合とか、情報伝達速度とか、やるのは中1レベルの計算だが、とにかく事象と計算を組み合わせるのが嫌いだし苦手だ。まして化学物理計算計算計算に興味持てるはずがない
大学受験でどの大学選ぶか悩んでいる時期の話なんだけど、ちょっとトラウマっぽいけど微妙な所だから書いて整理する。
既に世界は氷河期を食らったあとで、まあ世の中ってのは「もう東大に行こうが無駄だ」「とりまIT業界はオワコン」「文系は無価値な詐欺師。理系は専門家気取りの素人」「とりまこんな世界にした竹◯をぶっ殺す」みたいな言説が溢れていた。
今思い出すとあれは今Twitterで流行ってる不幸自慢が半分ぐらいで、大袈裟な表現を繰り返してとにかく反応を待つという側面も強かったんだろうな「友達3人が持ってる」を「クラスのみんなが持ってる」に言い換えるようなレベルの幼稚な過剰表現だったんだろう。
うちの家系はなんか公務員一家みたいなところがあって、公務員の父と専業主婦という組み合わせの親戚ばかりだったから「実際世の中どうなの?」と聞ける相手もいなくて、頭の中はネットの情報ばかりに偏っていった。
漠然と将来はプログラマーになりたいという気持ちがあって、それは結局子供の頃にゲームクリエイターになりたかった夢を現実的なレベルに調整しようとした結果だった。
でもIT業界は終わってしまったっぽいので、そこに近い辺りの電子工学系に進もうと思っていた。
それでオープンキャンパスとかで情報収集してそれぞれの学科の将来像を聞いていくと、なんだかどこに行っても自分は社会で生き残れない気がしてきた。
日本じゃ自動車業界が強かったらしいけどリストラ沢山したと聞いているし、韓国とかが伸びてるっぽいから日本の大抵の業界はもうかなり厳しいとかそんな話もネットでよく見た。
厳しいノルマを課されて生き残れるのかって考えだすと、全部もう無理だと思えてきた。
それがどっかで負の無限ループを頭の中で組んでいって、少しずつ増えていくうちに、段々とメンヘラ系の話題をネットで収集する傾向も増えていった。
ある日親に
「最近、希死念慮がある。もしかしたら、子供の頃からずっとあったのかも(自分、背が小さくて臆病だからいじめられっ子だったし……)」
と相談した。
うちの親はなんか大学で心理学をちょっと齧っていたっぽくて、そんで今でもたまに図書館から借りてきた心理学の本が机の上にもたまにあったからナニカ分かると思った。
そしたら親は思いっきり鼻で笑ったんだよな。
「いやいやそんなん希死念慮のうちじゃないって。大丈夫だって。受験勉強が辛いから現実逃避で変なこと考えてるだけだ。寝るか勉強しろ」
って。
まあ確かにそうなんだと思う。
漠然と死にてえ居なくなりてえ疲れたもう辞めてえ未来見えねえ理想通りじゃねえ自信が持てねえ皆に嫌われてる気がする迷惑かけてる気がするから親からも鬱陶しがられてるとしか思えねえみたいな気持ちが溢れていただけで、実際に行動に移したかと言えばせいぜい首吊ロープの強度はどれぐらいがいいかまで調べたぐらいだった。
高いビルの上にいると手すりの先に吸い込まれてしまうような恐怖心があって、若干高所恐怖症ぎみみたいな時期だったけど、通学のときにホームや電車に吸い込まれそうになる感覚とかは全然なかったし、希死念慮と言うには遠かったのは事実だ。
でもうっすらそれに近いものが始まってたと思うんだよな。
希死念慮って医者も認めるラインが10ででそれが100まで溜まったら本当に死ぬとして、自分はまあまだ1ぐらいとかだったんだろうけど、それまでは0.05ぐらいだったのが気づいたら20倍になってたわけで。
たとえば小学校の頃に、サッカーの授業が終わったあとにサッカー部にやたらガミガミ言われたのが嫌で次の体育の日に休もうとしたときも、とりあえずその日だけ休もうぐらいまでしか考えてなかったけど、高校時代はそういう人間関係のゴタゴタや学校での失敗があるたびに退学がよぎったし、その退学したあとの世界で想像する自分はそのまま引き籠もって一ヶ月後~20年後とかのどっかで首吊ってた。
なんかこう勢いよくネガティブな方向に吹っ飛んで行きたがるような衝動というか、結局逃げ癖みたいなもんなんだろうけど、その範囲が人生全体に及んでいる状態だった。
とにかく人生そのものが失敗作にしか思えないし、世界そのものも毎日ちょっとずつ嫌な気分を積み上げてまで生きるに値するようなものだとも思えなかった。
まあ全体的に気分の沈み方が人生でも上位一桁代に入ってた時期だった。
その頃に親に相談してみて帰ってきたのが、「その程度で」っていう鼻笑いだったんだよな。
はぁ……やっぱ駄目だなまだ引きずってるな。
こっちの聞き方が悪かったり、実際受験勉強とか将来を考えるのが辛くて逃げたい時期だったのはまあそうなんだろうな。
そこで親としては「ここで変に甘ったれることに成功体験を積ませられない」とか「変に希死念慮があると言ったら思い込みでもっと悪化するかも」とか考えたんだろうな。
本当に言葉に詰まったなかで、もうどうしようもないからで笑うしか無かったのかも知れない。
でもあの笑い方はやっぱ鼻で笑ってんだよな。
「オマエごときの人生で悲観的になるとか人生経験しょぼすぎんだろざっこwwww」っていう気持ちがその時は見えたんだよな。
少なくともその時は。
それが本当にそうだったのかは分からないのは知識としては分かるんだけどな。
人間の記憶が無加工で情景を絶対記憶するビデオカメラじゃなくて印象を中心にそれっぽい情景を当てはめるフィーリング手動の再現映像でしかないって。
でも自分の記憶にあるのはやっぱ、鼻で笑われたことなんだよな。
いやまあ自分で読み返して思うよ、なんか私可愛そう感出して承認欲求満たせないか狙ってる面倒なやつでしかねえなって。
でもそれを精神がヤバい時期に親に笑われたのはやっぱ根に持って良い気がするわ。
やっぱトラウマっぽいなー。
コレ思い出すたびに、「親の葬式で手を合わせないで遺灰ぶちまけてやりてーな」みたいな気持ちが湧いてくる。
大事に育ててくれてありがとうございますクソムシに育ちましたよくそったれってかましてやりてーなって。
人間関係ってどうして絶対にやっちゃいけないミス一回で壊れそうになるんだろうな。
人間の脳みそなんてバグばっかなんだから、とっさにリアクションミスるぐらいいちいち気にしてられんじゃん。
昔のPCがしょっちゅうフリーズしてたり、今でもブラウザやゲームが突然クラッシュするのと同じ程度の頻度で人間なんてバグんじゃん。
分かるんだけどな。
分かるんだけど疑いが消えないんだよな。
日焼け文系おじさんかは分からんけど営業会社で営業やっててウェーイをやれと言われたら即ウェーイできるようになった
元色白理系おじさんの俺だが
例えば日焼け文系おじさんの龍が如くの名越がキムタクに企画持ってく時のインタビューで
ダメで元々で1番最初に思いついた人に持っていった、って言ってて
色白理系ニキ達は素晴らしい発明をしました、特許出願しました、お金払って生産してくれる人を探します、
って時にじゃあ初手孫正義に話持ってくことできますか?って話なんだよな
やるとかやらないとかじゃなくて、ビビって契約取れないならお前の給料最低賃金ね、
因果関係逆でしょ。計算力は修練で身につけるものだから、理系目指してる人数の多い男の方が、それだけ上位層もたくさんいる。論理理解力は同じ人間なんだから当然男女で変わらない。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.asahi.com/articles/ASR1T5S34R1RUCVL00K.html
「女子の理系は医療系に行く。それは食いっぱぐれないから」という現実に即したブコメと
「女はバカだから理系の勉強なんか出来ないし将来性なんか考えてないから理系行かねーんだよ」と言う無知&ミソジニー丸出しのブコメの両方があるんだが
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.asahi.com/articles/ASR1T5S34R1RUCVL00K.html
yujimi-daifuku-2222 はてな村の女性陣は女子高生と言うより母親の年齢なので、まず自分の娘やその友人に対して理系はやめとけとか、理系は苦労するといった類の呪いをかけない事を心がけるべきなのでは。
理系に女性が少ない原因は「母親の年齢の女性(中高年の女性)が娘やその友人(若い女性)に対して理系はやめろと呪いをかけていること」らしい
「中高年の女性が若い女性に理系はやめろと呪いをかけている」という言説自体が中高年女性に対する偏見でしかないのだがコイツその自覚あるのか?
さらに中高年女性=劣った存在という思い込みからか、気に入らない女性ブクマカ達を中高年だと決め付けている
普通の感覚では女性が中高年であることはマイナスでも何でもないのだが、ミソジニーは「おばさん」属性が発言の失点になると思っている(ミソジニー自身、おばさんの言うことは信じられないと思っているからこの思考回路になる)ので、キレると相手をおばさん扱いし優位に立とうとする。その仕草まんまだな
sconbkun まーた40年くらい前のイメージで親の影響がどうこう言ってるマチ子先生世代のおばちゃんブクマカがいるな。親が自由に行かせてるから音大だの美大だの英文学だの食えないところに女が集まってんだよ
こいつもそのサンプル
「中高年女性が若年女性に呪いをかけている」と吹聴し偏見超えて冤罪で濡れ衣着せてるこのミソジカスは表現の自由戦士だし、スター付けてるのも表現の自由戦士ばかり
予備校で高校生に数学を教えてる。大学の頃から数えてこの道25年なのでまあまあサンプル数はあるつもりだ。
「なぜ日本は際立って女子の理系進学率が低いのか?」なんだけど、増田が思うに、日本が理系人材に「計算力」をかなり求める国であることが一因としてあるんじゃね?と思う。
日本の入試数学は論理と計算という大きな2つの柱で構成されているが、純粋に論理を理解する力は男女でそこまで差がないように思う。でも計算となると明らかに男女で差が出る。なぜか上位層に男子が固まる。データ取ってないし経験論だけどね。入試数学は難易度が上がると計算力がなければ理解が難しくなる論理が頻出するので、ここで女子が振り落とされるんよな……数学以外でも理科も計算重視で、たとえば入試化学は計算力がたいへん重視されているし、物理は教科書を理解する段階で計算力がゴリゴリ求められる。日本は、理系は計算できてナンボ、の文化だ。これが結果的に女子が理系で上位に届きにくいという構造になっているのでは、というのが増田の考えである。
たとえばアメリカでは計算力は日本ほど重視されていない。計算は関数電卓やパソコンなどにやらせて、人間はそれ以外の部分を考えることが求められる。こういう文化における「数学力」なら、経験上日本よりは男女で数学や化学物理の能力に差がでにくい気がする。
個人的には、日本も計算は機械にやらせる方向に進むべきだと思うんよな。女子だけでなく、計算苦手な男子も救われる。機械が好きだけど計算が苦手で理系で戦うのは厳しいって男子に理系を諦めてほしくないんだよなあ……