はてなキーワード: ロッパとは
元々見栄だかギリだか知らないけどクソ高オフィスをやたらと借りまくっててたみたいなんだが、
コロナ禍からこっち、それをどんどん返してるんだよな。契約更新時期がきたらどんどんフロアを削減しているし、自社ビルもディペロッパーに売り払うとか。
そのほかも含め、コストが下がり、利益率を押し上げて物言う株主がご満悦。
リモワ手当やら関係の手当を廃止してその分基本給上げたら、実は人件費増えてねえのにキャリア採用やらで競り勝てるようになってきているらしいとか。
コロナの五類移行後は、利用率の低い個人執務スペースを潰して打合せスペースやら会議室を増やしてるみたいだが、
今のところ物件削減の方針は変わらないようだ。
ただ、出社が必須の仕事(機密情報を扱うとか)が嫌がられる場合が増えているようで
こちらは何か別の措置が行われるかもしれない。
で、あちこちの様子みてオフィス回帰してるって話をみるにつけ不思議なのは、なんでそんなに簡単にオフィスに人戻せるの?ってこと
コロナ禍でリモワでガラガラのオフィス、空気があるだけなのに後生大事にずっと金払って維持してたの?
リモートワークのメリットを生かすには、オフィスの削減や再配置は必須だよね。それをせずにリモートワークしたら、リモートワークの仕組みのために余計に費用がかかるのは明らかじゃん。
シン仮面ライダーと同じような映画はこの世に存在する。ラブ&ポップやキューティーハニーだ。
それより連れられて見た「わたしの幸せな結婚」がちょっと見たことのない映画だった。
表紙と原作序盤は見たことがあり、所謂「スイーツ系」の認識でいた。
実際に見ると開始からなかなか世界観が作り込まれていて、認識を変えることになった。
美術にかなり拘っている大正浪漫恋愛ドラマな雰囲気を持っている作品で、そこは実際に間違いはないのだが、これは「なろう」に投稿されていた原作をもとにしているのでナーロッパならぬナー大正。架空の時代を描いている。
というわけでキャラクターは異能力を持っているのだ。映画としてだけ見ると異世界能力バトルになっていたのだ。
「わたしの幸せな結婚」というタイトルで出てきた作品にしてはびっくり設定だ。
しかし本作は基本的に恋愛ものであり、7割近くは主人公二人の馴れ初めが描かれている。
可哀想なほど虐げられて感情を殺して生きてきた主人公の女性が、嫁入りをした先に居たのは性格に難がある男だった…でもなんやかんや仲良くなる。
ヴァイオレット・エヴァーガーデンというと語弊があるが、心を取り戻していく再生の王道ストーリーである。
しかし嫁いでもなお、執拗に元の家の継母は彼女を痛めつけようとしてきて……
ここまで軽く昼ドラ要素もあるのだが、ここからが異能力展開になる。
街中にはウイルスがばらまかれ…!!
原作を冒頭くらいしか見てなかったので「ど、どういうこっちゃ」と驚きつつ、シン仮面ライダーよりしっかりしたVFXバトルが行われるスクリーンを唖然としながら見ていくことになるのだ(なおバトルシーンは特に異能シーンがないのが謎だった笑)
多数のイケメン俳優がわらわら戦ってるのはシン仮面ライダーより平成ライダー感があった。
ラスト、完全に恋愛からかけ離れ少年漫画的な引きで終わる。続編作る気満々やんけ!
泣いてうるうる感動で終とはならないで少し困惑した女性客たちの声が上映後に起きるのもちょっと笑った。
別に恋愛でいちゃこらするよりは和バトルのが好みだしなという感想で今に至る。
続編するならテレビドラマ的なカメラワークは変えて、アクション監修をガッツリ入れるべきだと思ったが、もうこの時点で続編があれば見に行く気持ちになっていることに気づいた。
鑑賞後あれこれ考えたが実写作品では全然類似作品が浮かばない。
あれとこれをかけ合わせた作品だな、とは思うのだがズバリそれが無い。
せっかくなので同じバトルもの?としてシン仮面ライダー見た人たちにおすすめしたいと思う。
感想を聞かせてくれ。
神だぞ!こっちは神ぞ!!!?
戦闘に虎が突然乱入してくるの、こんなもん実写版ゴールデンカムイだろ!
知らん!偉そうなおっさんが!エンドロールにドアップで出てくるけど!もう踊るしかねえんだわ!
ナーロッパとか描いてヨーロッパに憧れてる場合じゃねえんだわ!韓国映画じゃねえんだわ!インドだ!時代はインドだ!
植民地がなんだうるせえ!大英帝国みたいな一神教に負けるわけねぇだろ!
ぶっつぶすぞ!!
少し落ち着いたが、相当話題だったのに見るのが結構遅れてしまったことを後悔している。
RRRは人気だったバーフバリの監督作品ではあるが、時代も違えばテーマも違う。
監督の意思や作る意図を感じさせられた点でもかなりブラッシュアップした印象だ。
以前からインド映画はなぜそこで歌うのか、という違和感が拭えなかったが、今作はここは歌わないとこだと冷静に判断できてるし、ここは歌い踊るべきだろうというところで、しっかり歌い踊っている。
映像は圧巻。ストーリーより映像先行ではないか?というほど(ストーリーもしっかりしてるのが今作のすごいとこ)
いわゆるCGの視覚効果が、というよりはスクリーンいっぱいに剥き出しになる筋肉とアクションがとんでもないのだ。
とんでもないといいつつ、バーフバリと違い時代が近代になったのでリアリティがあるのも良し。
ホースが暴れまくってるのを背景に、水神の化身を演出するのは、あまりにもギャグでしかないのにかっこいい。
ゴールデンカムイと書いたが、本当に漫画で見たありえないレベルのアクションで肩車が一番強いのも実感した。
人種的な話もそうだが、こういった部分で日本人はおそらくインド映画を、欧米人よりも思想や宗教観から理解出来る部分が多い。
実際に白人黒人論争で思考が止まってしまった国よりも、冷静に作品の評価ができると思う。
作風的に白人社会やイギリスでの評価が低くなってしまうので日本人のレビューは大事だろう。
インド映画は世界も意識しつつ、自国文化や自国の歴史、社会問題についてしっかり向き合っているのが印象的だ。
映画界の階級社会も問題としてあるのだろうが、映画を見ると、そこに抗う声も聞こえてくるのが面白い。
今作で、欧米等に染まりきらない、自国の意思を持っている映画を作っていることに改めて尊敬をした。
だから日本人も欧米人の真似をしてエンドロールを真っ黒にする必要はないのだ。
積極的に踊っていくことを忘れてはならない。ソーラン節か盆踊りでいい。だめかもしれない。
日本人の感覚に沿えば、漫画のような勢いのあるオリジナル映画をもっと撮っていけるはずなのだ。妙に外国に染まりすぎたのではないか、実写映画界。
にしても年内これを見ずに終わる映画ファンはもったいなさすぎる。
こんな愉快な記事がったんだが
コンパクトシティー阻む「縦割り行政」 見えぬ成功例:日本経済新聞
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUE248CG0U2A121C2000000/
これが全く住民の目線が無くて嗤える。そりゃ失敗するに決まってんじゃん。
本文よりコメントプラスのほうがより分かりやすくて、例えば斎藤氏(日経論説委員)
市街地を広げないことが地価を維持
(…)
大切なのは人口が減る中で地価を保てる地域をどう残し、そこが生む利益(…)車を手放したお年寄りが移り住んで地価が下げ止まる
とかコメントを出している。つまり、彼らの目的は地下を下げず、不動産収入を維持するという事なんだよな。
敢えて言おう。知ったことか!
下々の者はお殿様が開いた都に高くても住むべし、みたいな江戸時代の身分制度をそのまんま持ってきているようなイメージすらある。
元気な老人も含まれるんだが、若い人ににとっては土地の価格が下がることはよいことなんだよ。
移住してくる人が何を望んで地方に来るかというと、多くは自然であったり、広い家にすめるとか、周りに何も無い広々とした住まいとか、そういうことを求めてやってくる。
彼らにとって、土地の値段が値崩れ起こしてタダ同然になることに何の問題がある?安けりゃ安いほどいいだろう。
人口減少が起きたら困るという人もいるが、裏返せば一人あたりが占有できる土地面積が広くなると言うこと。
これは移住までいなかくても、田舎で幸せに暮らすマイルドヤンキーだって同じこと。まぁマイルドヤンキーは旨いこと大企業の地方工場にでも入り込まない限り低賃金労働者なので、土地が安くないとそもそも家が建てられないという事情もある。
裏を返してコンパクトシティ。
ちょっと郊外に出ればだだっ広い土地が広がっているような土地であっても、そこの昔からある市街地、とても土地の価格に似合うだけの利益を上げそうにも無いような価格が未だに付いている。と言うか、そこに住んでいる人が頑なにこの価格で無いと売らないとがんばていると言い換えてもよい。
そんな所に何故か金を出して高層マンションを建てるディペロッパーがいたりする。よくよく話を聞くと御上の政策でコンパクトシティだからと助成金をもらって計画し、その低層階に市役所を入れたりなんかしている。
だが、だからと言って便利な交通機関があるわけでも、時刻表を見ずにふらっと駅に行っても電車にすぐ乗れるような環境があるわけでもないので、通勤通学には車が必須だ。
結果として、ディペロッパーが建てた都会水準の高額物件にぎゅうぎゅう詰め込まれつつも、働くには車がいるから最大の時には一家で駐車場を4台借りてその費用がかさむ。
こんなの、都会と田舎の悪いところを足したような住まいじゃないか。なんでこんな所に住まなければいけないの? え?地価の下落を防ぐため? 冗談櫻井よしこさんやぞ。
これを全部同じ言葉ですまそうとするなと思う。
インフラ維持が無理になってくる限界集落の住人を、中心市街地の狭っ苦しいアパート住まいにしようなんて事はできないし、都会に無いものを求めてやってきた若い人を東京の劣化版のような所に押し込めたって嫌気がさすだけだ。
日経の記事では、イオンなどの大資本を入れて、大規模な郊外型ショッピングモールを開発すると言う事がコンパクトシティに反する事例として扱われているが、実際には逆だろう。
郊外型ショッピングモールを中心として、安い土地に宅地を開発し、そこを新たな中心街とすればよい。そうしていけば旧市街はだんだんと人がいなくなって土地の値段が安くなる。だんだんと間引かれてくるから、そこで再開発をすればいいんだよ。