はてなキーワード: アハ体験とは
「Remember - no Russian」→「殺せ、ロシア人だ」
「But... Maybe, with what little power you have... You can SAVE something else.」
↓
「あなたが持つほんのわずかな力で…他の何かをSAVEできる。」
(公式翻訳:「最後の力を振り絞れば 別の何かを復活させることが出来るかもしれない」)
すまん。
極端な例を挙げすぎたわ。
でも「SAVE」するって言葉を「復活」に置き換えたのは違うと思うわ。
あの「SAVE」はラスボスにもかかっていて、あのシーンでいう「SAVE」にはラスボスも含まれていること、そしてラスボスがそれまで壊して回っていたのも「SAVE」だったという伏線回収が感動を誘うのだから。
二重のダブルミーニングがもたらすアハ体験と、そこから見えてくるラスボスの悲痛な叫び、そしてそれを絶対に「SAVE」してやらなきゃという決意、それらが合わさってあの戦いは完成するんだから。
仲のいいリア友たちと、ツイッターでリア友限定鍵アカウントを使って、ソシャゲの話やらアニメの感想やらを仲間内でわいわい呟き、ふぁぼを飛ばしまくっている。
ダイナミックコードを見るきっかけは、鍵垢のリア友の「何このアニメ。ちょっとわからない。見てほしい」という呟きだった。
もともとダイナミックコードがやべぇアニメだということは知っていた。Why字路や車の天井から生えているシートベルトはあまりにも衝撃的だった。
ただ、それだけでは見ようという気にはならなかった。
一話はニコニコで見た。
私がダイナミックコード一話を見たのはちょうど村祭り難民が発生しまくってた頃で、コメントにやたらと流れてくる"村祭り"が何なのかわからなかった(気になる人は検索してください)。
最初で最後のツッコミ、偽フーガ、詫びヌード、ドラゴンボールみたいな靴、さっきまであったのに一瞬でなくなる木、アハ体験、そして案の定、追いピアノで笑い死んだ。
ライブシーンがとにかく酷くて(歌はめっちゃいい曲ばっかです)Live2Dみたいなモーションが曲の間に何回も何回も使いまわされる。本当に酷い。
セリフがやけに少なくて微妙に間が空いてなんだか怖かったし、ダイナミック構図(画面の半分以上が誰かの横顔で埋まる構図)や、場面が切り替わるときに必ず上にスライドし必ずエコーの効いたカメラのシャッター音がするという、言っちゃ悪いけど適当なつくりであった。
極めつけに、一話でキャラが15人弱ぐらい出たにも関わらず、キャラの名前が1/10ぐらいしかわからなかった。
一話はまだ笑えるシーンばっかりだったけど、個人的には本当に面白くない回もいくつかあった。
多分、今まで行ったどんな2.5舞台よりも、どんなライブよりも、どんな映画よりもロスがでかい。
すごく寂しい。
ニコニコでコメントを見ながら、毎週みんなで見てた感覚がとても心地よかった。
ダイナミックコードのOPの出だしに「僕のことすっかり忘れたのかい」という歌詞がある。
最終話のOPに、「忘れらんねえよ」「ずっと覚えてるから」「絶対忘れたくない」といったようなコメントが弾幕みたいになって流れてきた。
私もコメントネキ達と全く同じ気持ちだし、これからもきっとダイナミックコードのことが忘れられない。
こういうの書き慣れてないし多分伝わってないだろうけど、ダイナミックコードはみんなが一つになれるすごいアニメだった。
だから、私と同じ気持ちの人がきっといるはずだ、と思って書き込んでみた。
もしもこの日記をここまで読んでいただいているなら、ダイナミックコードを見たことがある人も無い人も、よかったら一話を見にニコニコを開いてほしい。
イマジナリーフレンドなんじゃないのかな?
どっちがそうなのかは分からないけど。
イマジナリーフレンドを知らない人に説明すると、架空の友達っていうか妄想の中のもう一人の自分みたいな奴。
端的に言えば実態を持たない近距離自動操縦型スタンドみたいなもの。
遊戯王やヒカルの碁みたいな別の人間が取り憑いてるんじゃなくて、自分の中から生まれてきた別人格みたいな。
多重人格の十歩手前みたいな。
この作品に出てくるコイツがまさにソレ!って言えたら楽なんだけどパっと思いつくやつだとどれも深刻なネタバレになってしまうから言えないので説明が難しい。
以下はなんでそう思ったのか
肉体担当と頭脳担当でバランスが取れすぎている。1人の人間が自分の中にある動的な部分と静的な部分を2つに切り分けたんじゃないかってぐらいに。
単独行動をしていない。1人の人間が1人で世界を旅している時に、その側に他の誰かがいる妄想をしているじゃないかと疑ってしまう。
我ながらこじつけも良い所なのだけど、もしもこの先どちらかがイマジナリーフレンドだと判明したら、題名が単数形とも読み取れることでアハ体験するのを狙っているのではと推察
殆どのアーティストは一番得意な事で世の中に出てきているのでその分野に限っては特に優れているかも知れないが、大部分のアーティストにとって政治的主張は、その一番得意な事ではないので、一番得意な事程優れていない事が多い。その落差にファンはがっかりしてしまうので、ちょっとは良いにしても傾倒しないで欲しいなぁ…と思ってしまいがちである。
勿論、本人の自由なので好きにすればいいんだけど。それにいつまでも付き合える程、こちらは悠長では無いよ…とは、一応伝えておきたい。
そういう事言うと、もじゃもじゃ脳科学のような出羽守が「ハリウッドスターなどは政治的発言をするぞ、日本は遅れている。アハ体験」とか言い出すんだと思うけど。意識高い界隈ではともかく、国民レベルみたいな所では「地に足がつかねえこと言ってんな。頭が悪いのバレるな。演技程うまかねえな」みたいな事言われていると思うぞ。
政治に限らず、運動にはまってその関係の話ばっかりになったりすると、やっぱりがっかりするから。それと同じだと思って貰えれば。
痛みはわかる。とてもわかりやすい。だけど凝るってなんなんだ。重い?重いってなんだ?
というか、凝るっていつと比べてるんだろうか。
5年前の肩凝ってない状態なんてさすがに覚えてないだろうから、筋肉痛みたいに凝ったり治ったりが割と短い期間に起きるものなのか?
いやその前に、みんなはいつの間に凝る感覚を学んだんだろうか。
もしかしたら俺はずっと凝ってる状態なので慣れちゃって気付いてないのでは?
と思って肩こりに効く肩甲骨を動かす運動を数ヶ月やってるが効果が今ひとつわからない。
そもそも俺はアハ体験とかが苦手なので、1ヶ月かけてじわじわ治られても困るんだよ。
たまにパソコンやった後に「あー肩凝った」とか言ってる人いるけど、あの人たちどんだけ感覚が鋭いんだ。
羨ましい!俺も言いたい!「あー肩凝った」って言いたい!
しかもその理由が「主人公(読者主観)が嫌な奴と決め付けただけでほんとは嫌な人なんかいないんだよ」みたいな
主人公に嫌なことをしてくるキャラに本当に嫌な気分を持ったわけでしょ。
なのにそれを
「相手を決めつけて人を憎む心が良くないんだよ」
みたいな作者からのやっすいやっすい説教でまとめられると本気で憎悪が巻き起こるんですけど!
こっちはあんたの作った無理のある話にも敢えて冷めずに乗って、
あんたのフィクションに没入するために自分とは全然違う主人公の境遇に身を重ねたんだよ。
それをなんで作者のあんたに上から目線で説教されなきゃならんわけ???
ごっこ遊びを自分から持ち掛けておいて付き合った相手に「何真面目にやってるの?」って言うのとどう違うの?
それで、嫌なキャラの行動に繊細な伏線が張り巡らされてあって、
種明かしをしたら確かにどこにも悪意は無かったーみたいな
読者がアハ体験出来る仕組みになってるとかなら楽しいからまあいいよ。
でもそういうんではない。
確かに凄い悪意を持って実害与えてるし。
もしくは、綺麗になる過程が「改心」として扱われて
嫌なキャラの嫌な行動の理由とそこから考えを変える切欠になった事件や反省や辛酸が丹念に描かれるならまあいいよ。
ちょっと古いけど、悪役セキュリティサービスで登場して正義を目指す政治家で終わったプリズンブレイクのケラーマンみたいにね。
そういうのどっちもなくて、
「え?なにこれ?」って混乱する読者に対して
「人を決めつけて憎む心が良くないんですよ?ん?」って説教してくる作品はマジで氏ねと思う。
そっちの用意した主人公に心を重ねて鑑賞してたのにそこを非難てどういうこと。
もう当たり屋じゃんただの。
面白いってなんだろう、多分、何か聞き手に変化があるようなことかな。
逆に、つまらないってのはその逆か。
対象によってはつまらないに分類したものも面白いに入るし、その逆もあるね。
例えば、憎たらしい人が成敗されたら嬉しい感情が生まれるし、既視感のある文が懐かしさ(安堵感)をあたえることがある。
翻って、相手に面白いと思ってもらうには、このへんの感情をうまく引き出せればいいのかな。
ただ、レベルに差がありすぎると、相手は理解できなかったり、つまらなかったりする。
私はあまり胃腸のコンディションが安定しない方で、ウサギのようなコロコロした形状のものが出るときもあれば、粘度高くてなかなか綺麗に拭けなかったり、たまに下痢になってしまうこともある。
さらには酒もよく飲むので、飲んだ翌日は弁が硬くなりなかなかスッキリ出ず、踏ん張った挙句に切れ痔になることもしばしばで、それは大変なものだ。
そんな私だが、なんの因果か稀に会心の脱糞ができることがある。
それが昨日だった。
それはもうなんの抵抗もなくスポンと出て行くことはもちろんだが、注目すべきはその質だ。
太く、長く、なめらか。
その太さは私の肛門が伸縮性を最大限に利用しておおよそ搾り出せる限りの最大径のものであるにもかかわらず、そのなめらかさゆえに、一切の痛みも抵抗もない。その長さはスムーズに門をくぐって行くにも関わらず、先頭が通過してからから最後尾が抜け切るまでに3,4秒もの時間を必要とし、横たわる御姿は河口へと続く奥まった暗闇からとぐろを巻いて伸び、手前の浅瀬に乗り上げている。
これだけの猛々しいウンコが自分の体から出てくる生命の神秘。押し寄せる興奮と感動。私はまだ独身であり、そもそも、性別も男であることもあり、これまでもこれからも出産を経験することはないが、子供を産んだ際の感動はこの延長線上にあるのであろうか。
それぐらいの感動がある。この感動をみんなと共有したい。私のこの猛々しい黒龍a.k.a.快便をみんなに見てもらいたい。
という欲求を私は快便を出すたびに燻らせていた。ということは、これはきっと同時に多くの人が燻らせている想いでもあるに違いない。
そして、昨日あるアイディアに思い至った。この世には自分のうんこを共有し合うSNSが必要なのではないか。
皆が自分のうんこをみんなに見てもらう欲求満たすことができるサービスが求められているのではないか。
我ながら、秀逸なアイディア。
だが、その5秒後、まもなくして私はこの愚かしきアイディアの問題点に気がついた。
単純な話である。私は人にうんこを見せびらかしたいが、ひとのウンコなど見たくないのだ。
皆そうだろう。百歩譲って私が女であれば、世界の片隅にはそれを求める性癖が存在したかもしれないが。
かくして私は今絶望にくれている。
どうにか私のこのウン己顕示欲を満たす方法はないのか。
誰かこの感動と興奮を肯定してくれないのか。
衝動のまま、友人たちの反発は覚悟でLINEで送りつけることはできれば避けたい。
こんな私を救ってくれないだろうか。
脳にかかわるものって、医学方面からだったり生化学方面からだったり、心理学、コンピュータ科学、あと工学方面とか
境界領域だから様々なアプローチがあって、それぞれに分野名ついてるし、
まとめて神経科学とは呼ぶけど、わざわざ「脳科学」と肩書つけるのはシロートに分かりやすくする以上の意味はない
http://www.asahi.com/articles/DA3S11392974.html
いや生理心理学とか認知心理学とかって思いっきり脳を対象とする学問でしょうが何が異色だってがっくりきてな
「脳科学者」としてメディアに出てる某クオリア芸人のアハ体験とか、認知心理学ど真ん中の領域だと思うんだけど、
図地分化とか非注意の見落としとか変化の見落としとかそれぞれ別個の問題を全部まとめてアハ体験って呼んでて
ブクマされている増田は、「自分が感じている違和感がうまく文章化されたものとその解決策」がとても多い。
7〜8割はそうじゃないだろうか。あとは娯楽文章だろう。
釣り増田を書いている人達もそこら辺を心得て書いていると思われる。
「ああやっぱり同じ人種がいるんだ」と共感し、スッキリする体験…小さなアハ体験はとても大事だと思う。
けれど、本当はその増田はもう一歩進んで、自分の中で咀嚼してアウトプットするもんだと思う。
自分の違和感を形にされてブクマされた増田というのは、短文の自己啓発本のようなものだから、
何度も読み返して、人生を少しずつ豊かにする良いものだと思うよ。
また、釣り増田を書く人は、前に増田であったツッコミの技法でも書いてあったけれど、
「違和感に対していかに早く的確な言葉を発するか」という違和感探しチキンレースを増田で展開しているに過ぎない。
100点満点中30点の文章ばかり量産する人達だから、軽さが透けて見えるよね。読んでいて面白い文を書いて欲しいのだけれどね。
結局「多くブクマされた増田一覧(ブクマTOPページ)」は第二のナンシー関のようなものを求めた人達の集合知なのではないだろうか。
つまり20年前から結局本質的に人間は変わっていないのだなということ。
だからどうだというものでもないけど、自分達は20年前の人達とまだ同じような閉塞感、違和感を抱えて生きているのってちょっと滑稽だね。