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2012-02-05

http://anond.hatelabo.jp/20120205193458

例外なく悪化してるなら経営環境のせいと言えるかもしれませんし、単なる業績不振であればどの会社もそうなので、おっしゃることも一理あります

しかし、いろんな業種見渡してもなかなか8000億円赤字というのは少ないのと、例えば製造業でもコマツファナックのように利益を上げている会社もあるので、やり方しだいなのかなと思います逆境でも儲かる方法を考えるのがビジネスです。

2011-09-21

SMAPナイナイ・アッコに欽ちゃん

私の仮説が正しければ、この9人は人類を代表する9人です。。

1求道者(キムタク自分に厳しく,他人にも厳しい人

妥協が嫌いで,限界ギリギリまで自分を追い込むのが好き.要領は悪いが,コツコツ努力を重ねるタイプ

2博愛者(欽ちゃん) 人は助け合って生きていくべきだと思う人

他人からの期待に答えようと努力するが,やりすぎると疲れて自分がわからなくなるタイプ.基本的に競争は嫌い.

戦略家(中居くん) 周囲からの高い評価がほしい人

自分感情に蓋をして,結果を追い求めるタイプモチベーションを自由に制御することが出来る.

4気分屋(岡村さん) 誰にも触れることのできない究極のプライベートを持っている人

感情の起伏が激しくよく落ち込むし,落ち込むのが嫌いじゃないタイプ芸術文化的なもの好きな人が多い.

5観察者(吾郎ちゃん) 知識を蓄え,観察・分析する人

常に冷静で人や状況を客観的に観察するタイプ分析力に自信を持つ一方で,しょうもなくて面白い事が大好き.

ムードメーカーやべっち) 拠り所を探す,安心したい人

自分安心できるような規律・組織上司パートナー特に重要.お調子者で,責任感は強いが正義感は強くないタイプ

7自信家(慎吾ちゃん) 楽観的で,個性的な人

自分個性を肯定し表現するタイプ好奇心旺盛で,自由やオープン性を重んじ,細かなことより大局観を重要視する.

8親分(アッコさん) ガチンコでぶつかって人を理解しようとする人

意志が強く,逆境にもめげず頑張り抜くタイプ.基本的にせっかちで,行動力があり,時には強引なこともある.

平和主義者(剛くん) とことんマイペースな人

スロースターターで,争いごとが嫌いなタイプ.他人の目を気にせず,常に自分のペースを守る.周りから干渉されすぎると殻に閉じこもる.

詳しくは 絶対!エニアグラム

2011-09-01

同志社ってこんなところ

青山学院ってこんなところ  http://anond.hatelabo.jp/20110831231802 のブコメ

shibuyan730 大学  青学同志社関東版だという認識でいる

というコメントがあったので書いてみる。

「同やん」とは言われない

ネット上で同やんと言われている事があるけど、そんな言い方はされない。同志社同志社

地理的に立命館の人と会うことが多いけれども特に意識していない。優越感もない。

立命館入試で落ちた事がある同志社生は立命館を強く意識しているかもしれない。


熱があるけど不完全燃焼

関関同立と言われる大学群の中で、もしかしたら日本中の私大の中で最も屈折した熱さを持ってるかもしれない。

一歩間違えたらメンヘラ一直線。表面的にはいい人だけど内面にドロドロとしたものを抱えている人が多い。

それは立地的にも難易度的にも社会的にも、同志社が超微妙ポジション大学である事と深く関係している。


なんていうか、私大入試しか知らない関西人は行かないほうがいい。

http://momotaro.boy.jp/偏差値65以上ある、まともな高校に行っていたなら国公立大受験するように指導されているはずだけれど。

上位国公立大合格者が現役卒業生数の1割にも満たないぐらいの中途半端偏差値の高校を出た人が勘違いしがちです



日本で第二の経済圏である関西でトップの私大だと間違った勝ち組意識を持ってる人が

間違って同志社入学すると痛い人と見なされてアホにしか相手してもらえない4年間を過ごすことになります

同志社入学したら出身高校と入試形態受験歴は絶対に話さないようにしましょう。

同志社の中にいる京大阪大神大名大九大などの地底、その他国公立大早慶上智に落ちてきた他の地方出身者等のメンタルを刺激して人間関係がギスギスしてきます

表面上はいい人ばかりですが、内面はドロドロした感情を抱えている人が多いかです



内部生が多い

内部進学組が多いのは付属高校を持つ私大ならどこでも一緒なんです

なんでしょう、内部生とわかるだけで外部から入学者と心の壁が生まれます



国公立至上主義の関西では私大進学は早慶でさえ負け組レッテルを貼られるので、

私大付属校に入学してそのままエスカレーター大学に進学する行為首都圏ほど評価されません。

ですから私立大学付属受験は人気がなく、付属校の偏差値首都圏のそれよりも低く表れます

から、内部生の中にも突出して優秀な人がいるのは認めますけれども、アホが混入することが多くなります

自分たちが苦労していた間に遊んでいた奴らが許せないという意識の表れでもありますが、内部生というだけでアホのレッテルを貼られがちです



同志社自分大学入学した入試形態を口にしてはいけない、というのはこういうことで、

内部進学者と一緒で推薦入学者も、心の壁を作られて心の中で差別される事があります

国公立大学受験に失敗して同志社入学した人は私立専願入学者を心の中で下に見ている事があります

偏差値の高い高校を出た同志社生は偏差値の低い同志社生に後ろ向きな感情を抱いている事があります

何度も言いますが、表面的にはみんないい人です



まあとにかく、ざっと空気を掴んで欲しいです

国公立大学入試に失敗して下宿浪人も許されていないのであれば、(それでも黙って仮面浪人する同志社生もいますが)

早慶受験していないのに早慶に落ちたと見なされるなど、真剣大学入試に取り組んで同志社に来た人ほどメンヘラ一歩手前になります

関西首都圏から見て一地方ではありますが、衣食住足りてしま都市圏でもあるので大学進学を機に他の地方一人暮らしするという意識希薄です



東大一橋東工大早慶を率先して受験する関西進学校は今でも少ないままです



同志社が第一志望だった人、非一般入試入学した人は学歴コンプとは無縁に大学生活を送る事が出来るでしょうが

能力問題で社会に出るときor出た後に蹂躙されることになるでしょう。

この大学関係者は愛校心と学力反比例の関係に立つという特徴があります。(受験と無縁に過ごした内部進学者、かなり昔の卒業生はそうでもありませんが)


日本で最も精神を鍛えられる大学

私大に行くのは早慶を含めて負け組という意識大学受験とは無縁の庶民層にも浸透している関西なので、

親も早慶受験そして入学するためのお金を出したがりません。

でも、首都圏における早慶と違って、同志社に行ったからといって尊敬される事はありません。

いちいち自分から大学名を言って自慢するような同志社生、卒業生がいたら間違いなく下位層のアホです



しかし、同志社よりも上位の私立大学がなく、国公立後期入試は募集定員が少ないために、

選択を間違えれば京大A、B判定だった人であれ同志社行きになってしまう怖さがあります

理系大阪府立大学中期日程で逃げきることが出来ます文系はそうは行きません。



大学入試を頑張っていた人ほど精神を圧迫される大学ですが、心を破壊されずに生き残る事が出来ればどんな逆境にも耐えられるでしょう。

チャレンジャードMの人にお勧めします。

2011-08-23

[] 成功のための17のルール

1 目標や願望が明確になってはじめて実現に至る道筋が見えてくる

2 共通の目的を持った協力集団の結成が、自分の脳力以上の成果をもたらしてくれる

3 必ずできると100%信じ、行動すれば現実ものとなる

4 求められるよりほんの少しのプラスアルファ努力継続したヒトは大きな果実をテにすることができる

5 魅力的なパーソナリティが人を引きつけ、仕事を惹きつけ、成功を引きつける。

 具体的には 

  積極的であること

  柔軟性があること

  正直・誠実・率直であること

  決断力があること

  礼儀マナーを護ること

  機転をきかせていること

  声の調子コントロールしていること

  笑顔を心がけていること

  寛大さがあること

  言葉と行動が率直であること

6 パーソナル・イニシアチブを取って行動し、素早く行動にうつすヒトは成功に近づく。

7 物事を前向きに捉える積極的な心構え(PMA)が目の前の事態を好転させる

8 熱意(エンスージアズム)こそが前へ進むエネルギー源となり、 自己だけでなく周囲をも動かす

9 自己訓練を行い、自らの思考を前向きで建設的な方向へコントロール出来なければ目的を達成することは難しい

10 事実関係を正確に把握していなけえれば、成功への道筋を誤る。 事実見解を区別し、健全な疑問を持ち、思い込みを排除することが必要。

11 集中こそが目的を達成するために必要な偉大な力である。アレもコレもと手を伸ばさず、エネルギーを一点に集中すること

12 的確な役割分担により、効率的に成果を生み出すことができる チームワークのルールを理解していないものは小さなパワーしか産み出すことができない

13 逆境は成長するまたとない機会であり、決して恐れたり逃げてはいけない

14 成功の鍵となるクリエイティブビジョンは、既存アイデアを生み出すことで、それまでになったものを生み出すことである

15 こころと身体の健康がないところに成功幸福は訪れない。ヘルスストレスマネジメントは必須

16 お金時間に対するポリシーや計画性のない人間は、いかなる場合にも安易な道を選び、同じ過ちを何度でも繰り返す。己の富に対するポリシーを明確に持つこと




17 習慣のチカラこそがこれらすべての要素を機能させる最大の鍵である

  どのような要素が必要であるかを学んだ後は、良い習慣作りのための方法を身につけ、それを実践していくことで成功を手に入れることができる

[] お金人生法則

マーフィーの法則に関する記事がホッテントリ入りしてたので

私はナポレオン・ヒル法則をまとめるよ

これは章タイトルをそのまま持ってきただけなので、もっと詳しい内容を読みたければここから資料請求できるよ。

この本にはワークとかもあるので興味のあるヒトはどぞ。

http://book.nh-pma.com/



第一章 願望とは夢を現実に変えていくことである

人間自分自分運命を決定することができる

・豊かさの原典は心構えから始まる

目標も計画もなしに成功はありえない

自分は欲しい物を必ず得られると強く確信すること

自分自身を知り、不要ものを捨てる

・チャンスは姿を隠してやってくる

・富はヒトがある精神状態に達したときに、いとも簡単にやってくる

努力して富を求める意識を持とうとしないものは、貧乏を求める意識占領されている

 あなたの富に限界があるのは、あなたの願望に限界があるから

・富を分かち与えるとより一層多くの富を得ることになる

ワーク:あなたが望む半年後の理想的な状況を書きだしてください



2章 潜在意識のチカラを活用し、思い通りに生きる

潜在意識は、良い考えも悪い考えも同じように受け入れる

・願望を富に転換するには<<深層自己説得のチカラ>>を利用せよ

人間は、自らの運命やその生活環境を支配することができる

・信念は深層自己説得で育てることができる。信念が感情目標と結びついた時、望みは実現する

人間自分が考えているような人間になる

・深層自己説得がチカラを発揮できるかどうかは、どれだけ自分が願望に心を集中できるかにかかっている

自分の心を理解し、思考からおそれを取り除くことが出来れば、どんなことも思いのままに成し遂げられる

・いずれは誰も自らの思考と行った行為にふさわしい場所へと落ち着くことになる

ワーク あなた人生が上手くいかない理由を書きだしてみよう



3章 逆境や失敗は全て一時的なものである

人生には悩むほど価値のあるものなど存在しない

不安は日々の思考習慣から生まれたものだ。その思考習慣をコントロールすれば平安と安定を保つことができる

・失敗の最大の原因は決断力の欠如である

逆境の中にはそれ相応か、それ以上の大きな利益の種がある

・大きな成功は、敗北感に屈してしばらくたってからやってくる

最初の計画が失敗したら次の計画で勝負したらいい。うまくいくまで何度でも繰り返すこと

意識過去に支配されていてはどんなにやり直そうと思ってもうまくいかない。心のスイッチ未来成功の側に切り替えろ

目標意識の強烈なチカラは、すべての反対意見をくつがえし、最後には自分人生を大きく開花させることになる。

人生の失敗の大きな原因は先延ばしの習慣にある。DO IT NOW。

・不幸や不運などには実体がない。それらは心のなかにの存在する

ワーク3  秘密



4章 仕事は自らを成長させるエネルギーになる

・勤勉と正直、努力けが富を築くと信じているならとんでもない。大事なのは目標を明確にすることと完全な計画をたてることだ

・やらなければならないことにプラスアルファをつける習慣が成功を決める。

ともに成長を促し、影響しあい、願望実現に向けて心と心の波長があったマスターマインドの協力なしに、成功したヒトはいない

学歴など成功には関係がない。知識が必要なときにそれをどうやって得られるかを知っている人のほうが、知識があってもその使い方を知らない人より教育があると言える

・生まれながらに怠惰人間存在しない。怠惰に見える人たちは、自分にあった仕事を見つけられないでいる不運なヒトたちである自分にあった仕事が自らを成功に導く。

・忍耐力は習慣によって改められる。なぜならば、忍耐力とは何もせずじっと耐えることではなく、耐えながらも積極的に行動するということだからである

・惨めな一生を送りたくないと思うならば、己の能力棚卸を行い、自分自身と直面する習慣を付ける必要がある

・私たちは常に自分自身の人生に対する態度と、周りの人に対する自分の態度をチェックし、健全人格を養わなければならない

最後の項目はひみつ

ワーク4 ひみつ




個人的に4章が全てだと思う。他の全ての習慣はマスターマインドを得て、それを維持・発展させていくために必要じゃないかな。

2011-08-01

http://anond.hatelabo.jp/20110801041334

元増田です

なんか、はてブトラバボッコボッコ殴ってきて困る。

初対面の人がちょっと身の上話したり世間話したら、そこで得られる少ない情報から拡大解釈してとにかく責め立てたり優位に立とうとするクセでもあるのかってぐらい。

でも、当たってる部分も結構あるんだよなぁ。反省

たぶん、増田無意識のうちに子供自分の思い描くレールに乗せようとするだろう。

小学校中学校→『まともな』高校→『まともな』大学→『まともな』会社」というレールに。

否定しないです

ただ、ちょっと付け加えるポイントがあって、私自身、学生時代ずっとマイノリティな活動ばっかりしていました。ちなみに、増田以外で入り浸っているサイトふたば☆ちゃんねるです。もう8年にもなるそこそこのヘビーユーザーです

学生時代は何かを企画したり、今までに学校に無かった事を始めてみたり、そういう事ばっかりやってきました。無難とか、なぁなぁとかより、変な事をやってみよう。隠れた需要を掘り当ててみようって学生でした。

だもんで、マイノリティ感性人間なので、バランスを取る為に無理に一般的なレールに乗ろうとがんばっていたフシがあります。今もそうです

あと、幼い頃にキツイ虐めを受けて。それを格闘技を始めて自分に自信を持つというやり方で克服したので、挫折した人への理解と言うか、普通じゃない道をひた走る人への理解はあるつもりです

バイトをしてる女性結婚したくないってのはそれとは別で、せっかく大学専門学校出たなら何らかのプロフェッショナルとして働いた経験があってほしいだけです

増田は善人じゃないよ。ただ単に自分のことを善人だと思いたいだけの人。

増田は、根っからの思いやりの結果善人になっているタイプじゃない。他人から否定的な態度をとられるのが怖いから善人をやっているタイプ

結構あってます

否定され続けた人生でした。ただ、いつも誰かが共感してくれました。

「お前は大多数に理解されないけど、たまにすごく好いてくれる人がいるタイプだな」と、大学の恩師に言われました。そう思ってます

 

善の道は最強の道です。話し合いで最強のやり口は、外堀を固めた上で相手の他に中立な人を挟み、主張の中に相手の得も盛り込んだ落としどころを作る事です

善くあろうとする事は結果的に最強の身の守り方である事は、飲酒運転をつぶやいて人生棒に振ってる方々を知っていれば共感してもらえると思います

あと、恥ずかしい話ですが。幼い頃スーパー戦隊の「フラッシュマン」「ライブマン」等が大好きで、ヒーローショーに連れて行ってもらっていました。

そこで、怪人に捕らえられてステージにあげられた私を、ヒーローが助けてくれて、「悪に屈しない強い男になるんだ」みたいなメッセージを受け取りました。

その名残のようなもので、明らかに他人に迷惑をかけた、とか、約束時間を破ったとかに対して激しい自己嫌悪を産むようになりました。食欲も失せて体調も驚くぐらい悪くなる。逆境だとむしろ活力が湧いてくるのに。

から、変な善人なんです。ただ、思いやりはあります。母から一番もらったものが思いやりだと思っています

自分が少し苦労するだけで誰かが楽になるのであれば、世の中から喜びの総量が1つでも増えたら単純に嬉しいって思います。良い事をすると他者の為だけでなく、自分の心もいい気分になるから自分の為に善い事をしてます。そんな善もあっていいと、俺は思います

 

 

あと、マザコン疑惑とかはてブガンガン出てるけど違うっつーの!

もう乳離れしてるっつーの!別に俺のカーチャン探してるワケじゃないし。ただ、結婚するなら頭良くてちゃんとプロとしてお仕事してる人がいいよねーってだけなんだけど。あと太ってないのと賭け事しない事とタバコ吸わない事。

それ以外だったら、人に言えない趣味として陰惨な事件の記録読むのが好きですとか、801同人読んでますとか全然大丈夫ですよ。と言うか、ふたば☆ちゃんねる住人の時点で大概の一般的に理解を示されない趣味もほぼ全部大丈夫です。あそこマジで奇人しかいねぇ。

 

元々は取材記者になりたくて、学生時代に色んな仕事をしている人を取材していました。

飲食店だったり、伝統工芸だったり、娯楽施設や学術施設の保守や営業だったり、ほんとうに世の中には膨大な数のプロフェッショナルとしての仕事があって、世の中には自分と違う道を歩む、知ろうとしなければ知らなかったヘンな事で満ちあふれていて、そんなヘンな物が大好きなんです

から、そのどれも選ばず、OJTすりゃ1日でだいたい覚えられるアルバイトしてるっていうのが、自分が好むプロフェッショナルさと真逆行っててヤダなーって思うんです。ここら辺は好みです

プロフェッショナルささえあれば、顔が光浦靖子だとか、ハリセンボンの細い方だとか、全然オッケーですよ。顔に特大のほくろがあるとか、やけど痕があっても大丈夫です過去にそんな人を好きになった事もあるので。まぁ、その人は精神的に豪傑な人だったのでバッサリ振られましたが。

 

結婚相手に問題解決力を望むのは、自分仕事が問題解決をするのが中心だからっていうのもあります。共通の方向性みたいなものが欲しいんですね。

困難は頭を使えば解決できる!今まで誰もやろうとしなかったやり方で利益を産んだり損益を減らす事はできる!アイディアを評価されるって気持ちいい。みたいな仕事をしています

からアイデア豊富女性と知り合うとどうしても仲良くなりたいって思ってしまます別に子どもを奥さんに任せっきりにしたいとかじゃないです

無責任に任せるより、みんなで知恵を絞り合って、最終的に悩んでいる本人が解決できるような、もしくは納得した上で行動して解決できるような話し合いが好きです

仕事では話し合いに応じない古い人を、外堀を埋めて話し合いのテーブルにつかせてプレゼンをして、新しいやり方を通す仕事もしています

 

最後

間違うことが怖いから、恋愛でもちょっと躓くとすぐ傷つく。どこにもない「恋愛の正解」「女の正解」という型を求める。

大正解

でも、好みの相手を求めるって普通じゃない?そして、躓いてどうしようも無いと辛くなるのも普通じゃない?

別に完成された女性じゃなくて、そういう傾向があればいいなとしか思ってないんだけど。とにかく、恋愛は向いてない。時間的余裕も無いから、いつかお見合いでいい人と出会えたらいいなぁと思います

2011-07-25

それだけはハッキリしている。

何かがおかしい。少なくとも「これでいい」とは思えない。それだけはハッキリしている。毎日を食べて寝て生きていくうえで、いまの「その感じ」を何十年も続けていくという実感がもてない。肯定できない。納得できない。誰かがぼくにむかって幸せですか?と聞いてきたら、幸せですとは答えられない。

いつからそうだったんだろう?昔はもっと幸せだったか?でも、思い出というのは美化されるものだ。学校生活もいまにして思えば楽しかったなーなんて思ったりするけど、もうちょっと自分にたいして誠実であろうとするなら、あの当時楽しいこともあったけど、それよりもよりいっそうのつまんないことが多くあったことを無視してはいけない。ぼくが覚えている楽しいことといえば、学生生活の10年ほどの期間のうち、文化祭だの友だちと鳥取砂丘へ行ったことだのクラブへ通っていたことだの付き合っていた彼女との甘い日々だの(それすら全体のほんのちょっとしか覚えていない)夜通し語りあったことだのびわ湖で数えきれないくらいやったバーベキューだのである

それのいったいなにが問題なのか?ぼくはその輝かしい思い出たちのことはぼんやりとでも覚えていて、楽しかったなあといえるんだけど、それ以外のなにもなかった日のことは思い出せないのだ。いま例に挙げた以上のたくさんの思い出たちが学生だった10年間には「詰まっている」のだけど、よく考えてみてほしい。10年間を日数に置きかえると3650日になる。でも、ぼくが思い出せる限りの楽しかった思い出を全部積み重ねてみて、そのうちのどれだけの割合を占めるだろうか。きっと1年分もないし、半年分もないかもしれない(「いや、さすがに半年分はあるでしょ」と思うなら記憶力を頼りに187個の思い出をがんばって思い出してみることだ)。もっと期間を短くしたら相対的に割合は増えるが、例えば思い出す時期を高校の3年間に絞ったとしても、その1095日間のうちで思い出すことのできる楽しかった思い出はきっと3ヶ月分もない。

「楽しかったなあ」と感じる昔は膨大な日数の忘れられた日の墓場の上に立っている記念碑だ。「昔は良かった」なんて無条件に、盲目的に言っている人は半分ウソつきだとおもう。下にある墓場がぜんぜん見えてない。あるいは見えてないんじゃなくて見たくないから見ないようにしているだけかもしれない。思い出というのはその10倍を超える数のまったく思い出せない、なんの中身もない日を含めた日々から選んだ「マイベスト」みたいなもんだ。それで思い出が「詰まっている」だなんて日本語がちょっとおかしい。

で、ぼくが言いたいのは、それを自覚してもうちょっと自分に誠実になって、懐古主義に陥るのはやめよう、昔と同じように今も楽しいよ、ということではない。むしろその結論を否定するものだ。ぼくが問題だと思うのは、ぼくらがそんなふうに「よく考えてみると昔はそんなに楽しいわけじゃなかった。それはわかった。いまもそんなに楽しいわけじゃないけどたまには楽しいこともあるからそれでいいんじゃないか」という考え方に陥ってしまうことだ。つまり過去が現状を納得させる道具になってしまうことだ。

さっきは「楽しい思い出」に焦点を当ててきた。こんどはそれとは逆の「イヤな思い出」を見てみる。人間の脳はよくできていて、イヤな記憶は脳がそれを判断して都合よく消し去ってしまうということを聞いたことがある(ほんとかどうかしらんけど)。きみのお父さんかお母さんかおじいちゃんかおばあちゃんか叔母ちゃんか叔父ちゃんか勤めている会社社長か直接の上司新聞コラムテレビに出てくる偉い人か、とにかくそういう年配の人に「若い頃の苦労は買ってでもしなさい」的なことを言われたことがあるだろうか。もうあの言い方にはぼくは心底うんざりしている。聞いてもいないのに何回でも(しかドヤ顔で)聞かされるし、それがあなた人間的に成長させるとか、安定した暮らしを実現させるとか、収入保証するとか、そういうことに結びついていると彼らは思い込んでいる。聞いてもいないのに昔の苦労話をえんえんと語ってくるし、そういう苦しい時代がいまの住みよい日本を作ったとかいう話にまで発展したりする。

ある意味それはほんとうかもしれない。もしかしたらぼくら若者はそういうエピソードをもっとありがたがって聞くべきなのかもしれない(でもその話はもう何回もテレビで聞いた)。頭ごなしに否定するわけじゃないけど、話したいから話してるだけなんじゃないの?って感じがときどき透けて見えたりする。年配の人が必ずしもいいアドバイスばっかりくれるわけじゃないってこともなんとなくわかる。十分に人生経験を積んだ人だってコンピュータじゃなくて人間なんだから、間違いや勘違いはある。ましてや、この世界に正解とか不正解なんてものがあるのかすらぼくらにはよくわからない。そういうこともあって、だいたいのエピソードは右耳から入って左耳から抜けていくばっかりだ。脳にとどまらない。しかし、後で見るように実際もっと状況はひどいのだ。

さて、イヤな思い出の話にもどると、イヤというより冒頭に述べたようなモヤモヤとした暗い感じ。マスコミ風にいうと「閉塞感」ってやつを、いま思うことはできても昔もそれがあったかを思い出すことは一見あまりしないように思える。普通ぼくらが昔のことを思い出すときはさきほどのように「楽しい思い出」ばっかりを並べ立てたがる。ぼくらはなんにもない穏やかな日のことはあんまり振り返らない。

でも、おじいちゃんやおばあちゃんが太平洋戦争のことなんかを語ってくれることはある。そういう歴史的に大きな負の遺産は、「忘れてはいけない、繰り返してはいけない」という理由で語り継いでいくことを推奨される。バブル崩壊後、90年代の「失われた10年」なんてのもそういうふうに語り継がれていくかもしれない。楽しい思い出とは逆のイヤな思い出も時折覚えていることがある。どちらにせよ衝撃的なことはわりと覚えていたりするもんだ。中学生活の3年間ずっとイジメられた人なら、その記憶を忘れられないと思う(でもやっぱりいじめられなかった日のことはあまり覚えてないかもしれない)。

ぼくらの世代はどうなの?なにか世代とか社会情勢とかそういうもののせいにしていいの?あらゆるもの自己責任っていわれてるこの世界で?しかし、それはけっこうあり得る話なのかもしれない。さっきの話を総合するとね。

まりだな。ぼくらはさっきも言ったように「昔はよかったなあ」なんていうふうに考えてしまいがちだ。で、よく考えると実はそう楽しいことばかりでもなかったことに気がつく。「でもあのときけっこうつまんないこととかつらいこともあったよねー」って話になる。単純に楽しいだけの思い出から、いや実は悲喜こもごもだったという一歩進んだ結論にいたる(それにひきかえ、イジメられた人はイジメられた過去を死ぬまで許せないかもしれない)。ここで思考停止してしまうと、ぼくらはさっき言ったような年配の人達と同じことを将来の若者に言い出してしまいかねない。いいことも悪いことも含めて過去をまるごと「あれでよかったんだ」と肯定してしまうかもしれない。

じゃあ、いま現在に戻ってみよう。ぼくは何回も「このままじゃよくない」と思いながら生きてきた。きみはどうだろう?現状に満足しているかあなたいま幸せですか?それにYESといえる人が何人いるだろうか。ぼくはそんなに多くないと思ってる。イジメられた過去をひきずったままの人はずっと前からこの位置にいるかもしれない(しかしそれはもっと暗くてもっと深い闇)。

ぼくの場合やほかの人の場合、そういうときにはよく講釈自分をだますようにしている。そうして自分の不幸せを否定しようとする。例えば、ああい仕事に比べたらマシだとか、誰それという友だちはもっと大変そうだとか、家があるだけ幸せだとか、どこどこの国に比べたら贅沢言ってられないとか。もっとポジティブな感じにだますことだってある。人はどんな環境におかれても幸せを感じられるとか、つらいのはいまだけで私は友だちや家族に恵まれているからちょっとくらいの逆境はへっちゃらだとか、(年配の人の助言をもとに)こういうつらい時こそ自分が成長できるときだとか、時間が解決してくれるとか、そんなことをぶつぶつ言いながら毎日をしのいでいたりする。そう考えるとイジメられた人は自分をだますのが難しいと思う。

何回だ?いままでに「つらい…」「死にたい…」「消えてなくなりたい…」「orz」と感じたときに何回そうやって自分ごまかしてきたんだ?あれはドラキュラ映画小説かなんかのセリフだったと思うけど、「いままでに何人の生き血を喰らってきたんだ?」みたいなことを聞かれて「おまえは今までに食べたパンの枚数を覚えているのか?」みたいなことを逆に聞き返えされてビックリするっていう、有名な場面があったと思うねん。ぼくももう忘れたけど数えきれないくらい自分ごまかしてきたはずだと思う。数少ないいいニュースは、その回数は今まで食べてきたパンの枚数よりはきっと少ないということだ(ぼくは毎朝食パンを食べる)。

そんなことは誰もが考えることで特別なことじゃないとか、そういうごまかしがあるからこそ人は前へ進んでいけるとか、人生において挫折を味わってこそ人間的に深い情緒を身につけられるとか、そんな反論はいくらでも挙げることができる。必ずしも楽しいことや気持ちのいいことだけを受け取って人生渡り歩いていくことはできない。人生100%バラ色だなんていう人はいないと思う。でも、それにしてもぼくらは自分のことをごまかしすぎじゃないか

自分自分をだますことができなくなったときに、精神的に病んでしまうのかもしれない。ぼくの狭い観測範囲をして実感するのは、最近マジでメンヘラとかうつ病とかコミュ障とかリストカッターとかひきこもりとかニートとかそういう人が増えたなっていうこと。単に病気としての認定がされやすくなったとか、ひきこもりであることやニートであることが、いまやあまり珍しいことじゃなくなってうるさく言われなくなったこともあるかもしれない。統計を出すほどマメ性格ではないのでおおざっぱな感覚だけで言うけど、彼らの数は増えてると思う。それにたとえ「認定がされやすい」とか「いまやあまり珍しくない」とかいうことが事実だとしても、それ自体が彼らの人数が増えていることの結果になっているとおもう。病気の認定がされやすいかうつ病アスペルガー症候群統合失調症などのを含めたいわゆる「メンヘラ」が増えたのか。それとも、「メンヘラ」が増えたから認定がされやすくなったのか。卵と鶏はどちらが先に生まれたのか。

メンヘラまりならまだマシで、最後に行き着く先は自殺だったりする。年に3万人という自殺者の数は、実はそんなに多くないという説があったり、実は公表されている3万人より実際の自殺者数はもっと多いという説があったりする。ふつうに考えるとわかることだが、幸せなのに自殺する人なんていない。死んだ人はなんにも言わないか自殺の理由はあんまりからないことになっている。「死にたい」という言葉冗談やせっぱつまった言い方に関わらず最近多く聞くようになったと思う。もはや「死にたい」に特別な意味なんてないのかもしれない。でも、その言葉のなかにたとえ単にかまってほしいがためのウソやなんかが含まれているとしても、全体として言及数は増えているのならウソの割合と本当の割合も増えているんじゃないだろうか。宝くじで当たる確率が何千万分の1しかないとしても、数千万人の人が宝くじを1枚ずつ買ったらかなりの確率で誰かは当たることになる。1万人に1人しか言わなかった「死にたい」が、もう流行語みたいになって100人に1人は言っているとすると、そのなかで冗談で言ってる人の割合も本気で言ってる人の割合も増えてるんじゃないか

そんなふうにいまの状況を説明するいろんな要素がある。慎重に考えたほうがいいとおもう。「これは大丈夫」とか「これはダメだ」とか、個々の要素についていくつもの言い分を挙げることができる。しかし、どれだけ言い分を挙げても「これでいい」とは思えない。それだけはハッキリとしている。またぼくは何日か何週間か、うまくいけば何ヶ月かあとに「もうイヤだ…」って気分が襲ってくる。で、そのたびにどうにか自分ごまかす。ぼくのまわりにはその周期がもっと短い人もいる。毎日毎日うんざりしている人もいる。向精神薬と酒を同時に飲んでトリップするしかない人もいる。他人を攻撃することでしかストレスを発散できない人もいる。手首を切ってほっとする人もいる。時間を貴重におもうあまり遊びや趣味を必死に探しまわって疲れてしまう人もいる。せっかくの休日を寝て過ごすくらいの元気しかない人もいる。現実世界にはとっくの昔に絶望していて、ネット世界しか居場所がない人もいる。

こんな状況がいいわけがない。自殺しなかったり病気にならなずに、なんとか今日まで生きのびた人は「苦労したから」そうなったのではなくて、単に運がよかっただけだ。で、そういう運のいい人だけがぼくらの目につくところに現れて説教していったりする。もし、この閉塞感に耐えきれないでみずから死を選んだ人が目の前に現れたら、「若い頃の苦労は買ってでもしなさい」などと言うだろうか?そのせいで死んだのに?しかし、死人に口なしだ。若い頃にイジメられたストレスが積み重なって精神を病んでしまった特に有名でもない人が、「イジメられた経験があったからこそいまの自分がある」なんて思うだろうか?

有名人とかある会社社長とか成功した人は、たとえ昔はツラかったとしても、今成功してるんだからあれは無駄じゃなかったなどとのたまう。それは成功してるから言えるのであって、膨大な数の一生負け犬人生を送る人のことはないがしろにされている。でも、負け犬の人がテレビに出てなにか演説をすることなんてない。マスコミだけじゃなくて、誰も一般人の話になんか興味を持たない。たとえネットに出てきたとしても読まれているのは有名な人のブログばっかりだ。一方、偉い人は若い頃の経験をなんでも現在成功に結びつけて合理化する。そういう話ばっかりが世の中に出て行くことになる。

ぼくらだってあいう話がさすがにちょっとうさんくさいなあと感じている。「お前がそう思うならそうなんだろう。お前の中ではな」と言いたくなる。そういううさんくさい人ばっかりでなくて、ちゃんと誠実な人もいるということもなんとなくわかる。自分は人よりちょっと運がよかっただけということを自覚して、負け犬の人をないがしろにしない人も確かに存在する。(ネット上にはけっこうそういう人がいる気がする)

にもかかわらず、ぼくらは若くしてすでに過去を美化したり合理化したりしてしまう傾向がある。いまです過去を美化してしまったり合理化してしまったりするように、ぼくらは何十年か後にいまの状況をそうしてしまうかもしれないのだ。そういうことをする度に、ぼくらが楽しかったなあとしみじみ思う、それと同じ過去イジメぬかれて過ごした人をバカにしてしまっていることになる。少なくともぼくは、いま「死にたい」と思っている人を将来美化してしまいたくはない。「むかしは自殺未遂もしたけれど、いま私は元気です」なんて思わせることがいいことだとか、必要だったとか思わせるのにはどうも違和感がある。だから、現状がこのままで「仕方ない」などとは思いたくない。良くしていきたい。

ぼくが最近楽しいことをしたい理由には、そういう思いがある。正確にいうと、ぼくはわざわざ楽しくない不幸な人生を送りたくない。「せめて」楽しくなくてもいいから、「せめて」悲しいことやツラいことや苦しいことだけでも「せめて」取り除きたいのだ。その話はまた別の機会に…。

それだけはハッキリしている。

何かがおかしい。少なくとも「これでいい」とは思えない。それだけはハッキリしている。毎日を食べて寝て生きていくうえで、いまの「その感じ」を何十年も続けていくという実感がもてない。肯定できない。納得できない。誰かがぼくにむかって幸せですか?と聞いてきたら、幸せですとは答えられない。

いつからそうだったんだろう?昔はもっと幸せだったか?でも、思い出というのは美化されるものだ。学校生活もいまにして思えば楽しかったなーなんて思ったりするけど、もうちょっと自分にたいして誠実であろうとするなら、あの当時楽しいこともあったけど、それよりもよりいっそうのつまんないことが多くあったことを無視してはいけない。ぼくが覚えている楽しいことといえば、学生生活の10年ほどの期間のうち、文化祭だの友だちと鳥取砂丘へ行ったことだのクラブへ通っていたことだの付き合っていた彼女との甘い日々だの(それすら全体のほんのちょっとしか覚えていない)夜通し語りあったことだのびわ湖で数えきれないくらいやったバーベキューだのである

それのいったいなにが問題なのか?ぼくはその輝かしい思い出たちのことはぼんやりとでも覚えていて、楽しかったなあといえるんだけど、それ以外のなにもなかった日のことは思い出せないのだ。いま例に挙げた以上のたくさんの思い出たちが学生だった10年間には「詰まっている」のだけど、よく考えてみてほしい。10年間を日数に置きかえると3650日になる。でも、ぼくが思い出せる限りの楽しかった思い出を全部積み重ねてみて、そのうちのどれだけの割合を占めるだろうか。きっと1年分もないし、半年分もないかもしれない(「いや、さすがに半年分はあるでしょ」と思うなら記憶力を頼りに187個の思い出をがんばって思い出してみることだ)。もっと期間を短くしたら相対的に割合は増えるが、例えば思い出す時期を高校の3年間に絞ったとしても、その1095日間のうちで思い出すことのできる楽しかった思い出はきっと3ヶ月分もない。

「楽しかったなあ」と感じる昔は膨大な日数の忘れられた日の墓場の上に立っている記念碑だ。「昔は良かった」なんて無条件に、盲目的に言っている人は半分ウソつきだとおもう。下にある墓場がぜんぜん見えてない。あるいは見えてないんじゃなくて見たくないから見ないようにしているだけかもしれない。思い出というのはその10倍を超える数のまったく思い出せない、なんの中身もない日を含めた日々から選んだ「マイベスト」みたいなもんだ。それで思い出が「詰まっている」だなんて日本語がちょっとおかしい。

で、ぼくが言いたいのは、それを自覚してもうちょっと自分に誠実になって、懐古主義に陥るのはやめよう、昔と同じように今も楽しいよ、ということではない。むしろその結論を否定するものだ。ぼくが問題だと思うのは、ぼくらがそんなふうに「よく考えてみると昔はそんなに楽しいわけじゃなかった。それはわかった。いまもそんなに楽しいわけじゃないけどたまには楽しいこともあるからそれでいいんじゃないか」という考え方に陥ってしまうことだ。つまり過去が現状を納得させる道具になってしまうことだ。

さっきは「楽しい思い出」に焦点を当ててきた。こんどはそれとは逆の「イヤな思い出」を見てみる。人間の脳はよくできていて、イヤな記憶は脳がそれを判断して都合よく消し去ってしまうということを聞いたことがある(ほんとかどうかしらんけど)。きみのお父さんかお母さんかおじいちゃんかおばあちゃんか叔母ちゃんか叔父ちゃんか勤めている会社社長か直接の上司新聞コラムテレビに出てくる偉い人か、とにかくそういう年配の人に「若い頃の苦労は買ってでもしなさい」的なことを言われたことがあるだろうか。もうあの言い方にはぼくは心底うんざりしている。聞いてもいないのに何回でも(しかドヤ顔で)聞かされるし、それがあなた人間的に成長させるとか、安定した暮らしを実現させるとか、収入保証するとか、そういうことに結びついていると彼らは思い込んでいる。聞いてもいないのに昔の苦労話をえんえんと語ってくるし、そういう苦しい時代がいまの住みよい日本を作ったとかいう話にまで発展したりする。

ある意味それはほんとうかもしれない。もしかしたらぼくら若者はそういうエピソードをもっとありがたがって聞くべきなのかもしれない(でもその話はもう何回もテレビで聞いた)。頭ごなしに否定するわけじゃないけど、話したいから話してるだけなんじゃないの?って感じがときどき透けて見えたりする。年配の人が必ずしもいいアドバイスばっかりくれるわけじゃないってこともなんとなくわかる。十分に人生経験を積んだ人だってコンピュータじゃなくて人間なんだから、間違いや勘違いはある。ましてや、この世界に正解とか不正解なんてものがあるのかすらぼくらにはよくわからない。そういうこともあって、だいたいのエピソードは右耳から入って左耳から抜けていくばっかりだ。脳にとどまらない。しかし、後で見るように実際もっと状況はひどいのだ。

さて、イヤな思い出の話にもどると、イヤというより冒頭に述べたようなモヤモヤとした暗い感じ。マスコミ風にいうと「閉塞感」ってやつを、いま思うことはできても昔もそれがあったかを思い出すことは一見あまりしないように思える。普通ぼくらが昔のことを思い出すときはさきほどのように「楽しい思い出」ばっかりを並べ立てたがる。ぼくらはなんにもない穏やかな日のことはあんまり振り返らない。

でも、おじいちゃんやおばあちゃんが太平洋戦争のことなんかを語ってくれることはある。そういう歴史的に大きな負の遺産は、「忘れてはいけない、繰り返してはいけない」という理由で語り継いでいくことを推奨される。バブル崩壊後、90年代の「失われた10年」なんてのもそういうふうに語り継がれていくかもしれない。楽しい思い出とは逆のイヤな思い出も時折覚えていることがある。どちらにせよ衝撃的なことはわりと覚えていたりするもんだ。中学生活の3年間ずっとイジメられた人なら、その記憶を忘れられないと思う(でもやっぱりいじめられなかった日のことはあまり覚えてないかもしれない)。

ぼくらの世代はどうなの?なにか世代とか社会情勢とかそういうもののせいにしていいの?あらゆるもの自己責任っていわれてるこの世界で?しかし、それはけっこうあり得る話なのかもしれない。さっきの話を総合するとね。

まりだな。ぼくらはさっきも言ったように「昔はよかったなあ」なんていうふうに考えてしまいがちだ。で、よく考えると実はそう楽しいことばかりでもなかったことに気がつく。「でもあのときけっこうつまんないこととかつらいこともあったよねー」って話になる。単純に楽しいだけの思い出から、いや実は悲喜こもごもだったという一歩進んだ結論にいたる(それにひきかえ、イジメられた人はイジメられた過去を死ぬまで許せないかもしれない)。ここで思考停止してしまうと、ぼくらはさっき言ったような年配の人達と同じことを将来の若者に言い出してしまいかねない。いいことも悪いことも含めて過去をまるごと「あれでよかったんだ」と肯定してしまうかもしれない。

じゃあ、いま現在に戻ってみよう。ぼくは何回も「このままじゃよくない」と思いながら生きてきた。きみはどうだろう?現状に満足しているかあなたいま幸せですか?それにYESといえる人が何人いるだろうか。ぼくはそんなに多くないと思ってる。イジメられた過去をひきずったままの人はずっと前からこの位置にいるかもしれない(しかしそれはもっと暗くてもっと深い闇)。

ぼくの場合やほかの人の場合、そういうときにはよく講釈自分をだますようにしている。そうして自分の不幸せを否定しようとする。例えば、ああい仕事に比べたらマシだとか、誰それという友だちはもっと大変そうだとか、家があるだけ幸せだとか、どこどこの国に比べたら贅沢言ってられないとか。もっとポジティブな感じにだますことだってある。人はどんな環境におかれても幸せを感じられるとか、つらいのはいまだけで私は友だちや家族に恵まれているからちょっとくらいの逆境はへっちゃらだとか、(年配の人の助言をもとに)こういうつらい時こそ自分が成長できるときだとか、時間が解決してくれるとか、そんなことをぶつぶつ言いながら毎日をしのいでいたりする。そう考えるとイジメられた人は自分をだますのが難しいと思う。

何回だ?いままでに「つらい…」「死にたい…」「消えてなくなりたい…」「orz」と感じたときに何回そうやって自分ごまかしてきたんだ?あれはドラキュラ映画小説かなんかのセリフだったと思うけど、「いままでに何人の生き血を喰らってきたんだ?」みたいなことを聞かれて「おまえは今までに食べたパンの枚数を覚えているのか?」みたいなことを逆に聞き返えされてビックリするっていう、有名な場面があったと思うねん。ぼくももう忘れたけど数えきれないくらい自分ごまかしてきたはずだと思う。数少ないいいニュースは、その回数は今まで食べてきたパンの枚数よりはきっと少ないということだ(ぼくは毎朝食パンを食べる)。

そんなことは誰もが考えることで特別なことじゃないとか、そういうごまかしがあるからこそ人は前へ進んでいけるとか、人生において挫折を味わってこそ人間的に深い情緒を身につけられるとか、そんな反論はいくらでも挙げることができる。必ずしも楽しいことや気持ちのいいことだけを受け取って人生渡り歩いていくことはできない。人生100%バラ色だなんていう人はいないと思う。でも、それにしてもぼくらは自分のことをごまかしすぎじゃないか

自分自分をだますことができなくなったときに、精神的に病んでしまうのかもしれない。ぼくの狭い観測範囲をして実感するのは、最近マジでメンヘラとかうつ病とかコミュ障とかリストカッターとかひきこもりとかニートとかそういう人が増えたなっていうこと。単に病気としての認定がされやすくなったとか、ひきこもりであることやニートであることが、いまやあまり珍しいことじゃなくなってうるさく言われなくなったこともあるかもしれない。統計を出すほどマメ性格ではないのでおおざっぱな感覚だけで言うけど、彼らの数は増えてると思う。それにたとえ「認定がされやすい」とか「いまやあまり珍しくない」とかいうことが事実だとしても、それ自体が彼らの人数が増えていることの結果になっているとおもう。病気の認定がされやすいかうつ病アスペルガー症候群統合失調症などのを含めたいわゆる「メンヘラ」が増えたのか。それとも、「メンヘラ」が増えたから認定がされやすくなったのか。卵と鶏はどちらが先に生まれたのか。

メンヘラまりならまだマシで、最後に行き着く先は自殺だったりする。年に3万人という自殺者の数は、実はそんなに多くないという説があったり、実は公表されている3万人より実際の自殺者数はもっと多いという説があったりする。ふつうに考えるとわかることだが、幸せなのに自殺する人なんていない。死んだ人はなんにも言わないか自殺の理由はあんまりからないことになっている。「死にたい」という言葉冗談やせっぱつまった言い方に関わらず最近多く聞くようになったと思う。もはや「死にたい」に特別な意味なんてないのかもしれない。でも、その言葉のなかにたとえ単にかまってほしいがためのウソやなんかが含まれているとしても、全体として言及数は増えているのならウソの割合と本当の割合も増えているんじゃないだろうか。宝くじで当たる確率が何千万分の1しかないとしても、数千万人の人が宝くじを1枚ずつ買ったらかなりの確率で誰かは当たることになる。1万人に1人しか言わなかった「死にたい」が、もう流行語みたいになって100人に1人は言っているとすると、そのなかで冗談で言ってる人の割合も本気で言ってる人の割合も増えてるんじゃないか

そんなふうにいまの状況を説明するいろんな要素がある。慎重に考えたほうがいいとおもう。「これは大丈夫」とか「これはダメだ」とか、個々の要素についていくつもの言い分を挙げることができる。しかし、どれだけ言い分を挙げても「これでいい」とは思えない。それだけはハッキリとしている。またぼくは何日か何週間か、うまくいけば何ヶ月かあとに「もうイヤだ…」って気分が襲ってくる。で、そのたびにどうにか自分ごまかす。ぼくのまわりにはその周期がもっと短い人もいる。毎日毎日うんざりしている人もいる。向精神薬と酒を同時に飲んでトリップするしかない人もいる。他人を攻撃することでしかストレスを発散できない人もいる。手首を切ってほっとする人もいる。時間を貴重におもうあまり遊びや趣味を必死に探しまわって疲れてしまう人もいる。せっかくの休日を寝て過ごすくらいの元気しかない人もいる。現実世界にはとっくの昔に絶望していて、ネット世界しか居場所がない人もいる。

こんな状況がいいわけがない。自殺しなかったり病気にならなずに、なんとか今日まで生きのびた人は「苦労したから」そうなったのではなくて、単に運がよかっただけだ。で、そういう運のいい人だけがぼくらの目につくところに現れて説教していったりする。もし、この閉塞感に耐えきれないでみずから死を選んだ人が目の前に現れたら、「若い頃の苦労は買ってでもしなさい」などと言うだろうか?そのせいで死んだのに?しかし、死人に口なしだ。若い頃にイジメられたストレスが積み重なって精神を病んでしまった特に有名でもない人が、「イジメられた経験があったからこそいまの自分がある」なんて思うだろうか?

有名人とかある会社社長とか成功した人は、たとえ昔はツラかったとしても、今成功してるんだからあれは無駄じゃなかったなどとのたまう。それは成功してるから言えるのであって、膨大な数の一生負け犬人生を送る人のことはないがしろにされている。でも、負け犬の人がテレビに出てなにか演説をすることなんてない。マスコミだけじゃなくて、誰も一般人の話になんか興味を持たない。たとえネットに出てきたとしても読まれているのは有名な人のブログばっかりだ。一方、偉い人は若い頃の経験をなんでも現在成功に結びつけて合理化する。そういう話ばっかりが世の中に出て行くことになる。

ぼくらだってあいう話がさすがにちょっとうさんくさいなあと感じている。「お前がそう思うならそうなんだろう。お前の中ではな」と言いたくなる。そういううさんくさい人ばっかりでなくて、ちゃんと誠実な人もいるということもなんとなくわかる。自分は人よりちょっと運がよかっただけということを自覚して、負け犬の人をないがしろにしない人も確かに存在する。(ネット上にはけっこうそういう人がいる気がする)

にもかかわらず、ぼくらは若くしてすでに過去を美化したり合理化したりしてしまう傾向がある。いまです過去を美化してしまったり合理化してしまったりするように、ぼくらは何十年か後にいまの状況をそうしてしまうかもしれないのだ。そういうことをする度に、ぼくらが楽しかったなあとしみじみ思う、それと同じ過去イジメぬかれて過ごした人をバカにしてしまっていることになる。少なくともぼくは、いま「死にたい」と思っている人を将来美化してしまいたくはない。「むかしは自殺未遂もしたけれど、いま私は元気です」なんて思わせることがいいことだとか、必要だったとか思わせるのにはどうも違和感がある。だから、現状がこのままで「仕方ない」などとは思いたくない。良くしていきたい。

ぼくが最近楽しいことをしたい理由には、そういう思いがある。正確にいうと、ぼくはわざわざ楽しくない不幸な人生を送りたくない。「せめて」楽しくなくてもいいから、「せめて」悲しいことやツラいことや苦しいことだけでも「せめて」取り除きたいのだ。その話はまた別の機会に…。

2011-07-20

http://anond.hatelabo.jp/20110720023317

俺は国旗国歌日本国の象徴と認めてるけど偶像としての国旗国歌にそこまでの感情移入はないなぁ。国旗国歌を通して日本国を見るものだと思ってる。

それはそれとして、澤穂希年俸360万とか、プロ選手の月給10万とか、食えないので昼間はスーパーレジかいう話を聞いて、日本代表はそんな逆境の中で良く頑張った日本の誇りだみたいに言ってる奴が結構いて嫌な気分になった。いや、頑張った選手は偉いんだ。でもね、でもさ、その逆境作ったのは「俺ら」だってこと分かってんのかな。勝った時だけニワカに騒いで数日でさよーなら、グッズが売れるわけでもなくリーグの客が増えるわけでもなくCMオファーが来るわけでもなくスポンサーが付くわけでもなく、そうやって誰も金落とさない結果の有様だろ。W杯最優秀選手年俸360万とかどういうことなの。まずごめんなさいやろが!俺たちのなんて言いたいならせめて次の戦いに備えて十分な兵站をしてやらなきゃくらい思ってからにしろよ!

2011-07-05

3月12日診断

IT業界に勤める友人達会社対応

A. 何事も無かったかのように通常業務。

B. こんな時だからこそ頑張ろう!と意味も無く熱血上司が発生しつつ、通常業務。

C. これを理由に納期延ばして追加対応費とろうw と営業根性見せつつ通常業務。

D. これる人は来てください、通勤が厳しい人は有給取っていいよ。

E. 安全な場所で待機し、可能な範囲で業務を行ってください。

F. 「今日おやすみなう」「家でしごとなうTwitterが盛り上がる。

A~Cはブラック企業

Dは大手SIer

Eは有名どころのWEB制作会社

Fは個人経営会社


うちはBだった。

別に今やらんでもいいだろ・・・って事を「逆境で頑張る私ってステキ☆」みたいなお局さんがやる気だしてた。

どの対応が正しいのか解らないけど、

出社しないと支障が出る業種以外は、出社自粛するくらいで良かったんじゃねぇの・・・と思う。

2011-05-10

履歴書ESにハッタリをかましちゃダメだよ。

社会人になる前から自分を大きく見せかける癖がついてしまうと、自分能力を越えた仕事を押しつけられて、結局は自分が潰れてしまからね。

仕事が辛いと嘆いている人の多くは、出来ない事を出来ないとはっきり言えないどころか、逆に出来ると言って自分から引き受ける癖が付いてしまってるんだ。

誰のせいでもない。自分のせいなんだ。逆境に追い込まれて成長できる人間なんて実際はごく僅かだし、そんな人だっていつでも必ず成長出来るわけじゃないんだよ。

履歴書ESに華々しい事柄を書きたいなら、それに見合うだけの学生生活を送りなさい。

…という事を、大学入学直後のオリエンテーションで言ってのけた教授入社3年目にそれを思い出している俺。

2011-03-10

鬱って一種の障害だよね

普通の人は逆境に立ち向かえるし、そう簡単に神経に病を患ったりしない。

鬱の人はそこが根本的に違う。直ぐに折れる。障害のある人間としてそういう風にできてしまっている。

もうどうしようもないから本当に早く安楽死センター作ったほうがいいよ。

2011-03-06

若さボーナス喪失への不安

漠然とだけれど、「若い」といわれる壁が22歳までと感じている。

僕も明後日で23歳を迎えるわけで、「若さ」によるメリットを享受できる立場から

強制退場を余儀なくされる。

いままでは「若いから」と許されてきていた部分が、きっと厳しい追及にさらされてしまうし、

むしろ若くもないのになんで出来ないのか?、とつつかれることが出てくるだろう。

こうやって生身で戦うことを余儀なくされるのはとても不安でいっぱいだ。。。

もちろん、そういった逆境によって強くなるということもあるのだろうが。

ああ、もっとぼんやりした膜で守られて行動したい。

嗚呼

2011-03-04

http://anond.hatelabo.jp/20110304013620

要するに、


やり遂げた結果と同時に得られる何か > かかる労力と心理的消耗


という風に思考を持っていければいいんだと思います。その方の心理思考背景を知らないのでなんともいえないのですが、逆境に委縮するタイプって「心理的消耗」ばかりが肥大してるパターンが多い気がしますよ。

逆境に対して消化できる奴や反発できる奴はいいが、萎縮してしまう奴はやはり困るなあ。

うまいこと伸ばしてやりたいんだけど、本人に火がつかないようではどうしようもない。

2011-02-03

五辻の涙

事故の町内の者です。何十年も一日中自動車路上駐車していて、近所とトラブルになっていたんですが、逆に抗議されるので、腫れ物に触るような感じで過ごしていました

昔、近所のオジサンが警官を呼んで自動車を何とかしろと頼んだんですが、警官に「差別だ」とつかみかかっていたこともあり、皆が恐れていました。近所ではやっぱりあの方かという感じです。亡くなった先生があまりにも可愛そうで涙が止まりません。トラックゆっくり走っていたそうですが、倒れた瞬間にお腹をひかれたみたいです。その中学にはやんちゃな生徒が多く、校門で登校指導されていたり本当に熱心な先生した事故現場花束で山ができて、生徒さんが泣きながら手を合わせています。補償なんでしてもらえないでしょう。

人権を振り回す前に、社会人としてちゃんと行動をして欲しかった。こんな若くて素晴らしい先生の命を奪うとは…。

こんなこと書くべきではないのでしょうが、真実を伝えたかった。

わざとやったのではないでしょう。また、反省もされていることでしょう。

でも、それは西陣という旧市街の広くない道路駐車場のように使って、人の意見自分に対する差別だとすり替えていたので、必然的に起こることだったのです

警察逮捕しなかったのは悔しいです逆境で苦労されたでしょうし、訴訟を起こしたりされていました

でも、自分人権を言うならば、少しでも他人の人権に心を向けて欲しかった。差別は醜いことです

この事故で、私も隣人として恐れず注意してやめさせなかったことに重い責任を感じ、毎日暗澹たる思いで暮らしいます。

場所は五辻通の智恵光院を少し西に入ったところです加害者のことはもうどうでもいいので、これをご覧になった方は、彼女のために、電柱の横に小さな花か飲み物をお供えいただけませんでしょうか。

2010-12-03

あなたに降りかかる不幸は、全部あなたのせいにされます

私はこんなに不幸なんです


そんなアピールをするメンヘラが多くて困ります


でもね


環境がクソでも取り巻き人間がクソでも、それが原因であなたが不幸になったとしても



あなたが不幸なのは


あなたのせいにされるんです



他人の不幸話を聞くのは疲れるから


他人の不幸を背負いこむのは疲れるだけで何のメリットもないか


助けてやったら態度を一転させて余計な不幸まで背負わせてきて自分は楽をしようとするクズに辟易しているか



そりゃ、金儲けとか、己の目的にとってメリットになるなら、救いの手を差し伸べてくれる人がいるでしょうよ



他人にとってあなたを助けるメリットがないのに


泣き叫べば誰かが助けてくれると思ってますか?



弱者を見たら、他人は弱者を叩いて日常生活憂さ晴らししま


弱者を見たら、他人はあん人間よりましだと考えて自信を取り戻しま


弱者を見たら、他人はすがりついてくる弱者に嘘を吹き込んで、散々利用したあげく金品や地位を奪って逃げていきます



世の中、そんなもんですよ?



もういい加減、自分の足で立ちましょう


自分の味方は自分しかいないのです


弱みを握らない限り、他人は信用できません



それぐらいの心構えだと、人間関係で苦労しなくなるし


多少の逆境ではへこたれないタフさが身に付きます

2010-11-28

人生に一発逆転はないが、鍛錬の積み重ねによる逆転はある

人生の一発逆転という悲しい夢 http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20101128 のエントリを見て。



自分発展途上国の生まれではな普通日本人だがスラム街からほぼ自宅勉強だけで有名大学に行って、

誰もが知っているような有名企業はないがホワイトカラー的な仕事にありつけた経歴を持っている。

努力してたまたま上手くいったから悠長にこんな文章を書けるのだが努力しなければ逆転の可能性は皆無なのは言うまでもない。

もちろん自分能力だけではなく運による所が大きかった事まで否定する気はない。

逆転といっても大きな逆転ではなく、マイナス50からプラス10くらいになれた程度の事で最初からプラス30-50の立場にいる人に追いつけた訳じゃない。



前置きが長くなった。

スラム街っていうのはざっくりし過ぎた表現だけど、自分が育ったのは元記事の言葉引用するなら「貧しくて学のない者たち」しかいない地域だった。

工場、零細土建屋、零細不動産屋、運送屋、場末スナックパチンコ屋、個人商店地域の主力産業で、

地域住民は中卒高卒たまにFランク大卒がいて作業服着用がデフォな人々で構成されていた。

そういう地域というのは宝くじもそうだが、酒、タバコ漫画ゲームがよく売れて、サラ金ギャンブル外食風俗新興宗教中古車屋、改造パーツ屋が儲かる。



ワークライフバランスが取れていて、ゆとりのある生活を送っている人は金を計画的に使うことができる。

しかし「学のない」「愚かで貧しく、現実絶望している人」は精神的にも肉体的にも相当追い込まれるキツイ仕事をして少ない収入を得ているため、

出費の歯止めが利かない。わずかな収入を使ってでも現実逃避手段を確保しないと気が狂ってしまう。



例を挙げるなら、現実逃避手段を食事に設定している人は過食症気味になってブクブク太る。貧乏人ほど太るというのはこれである

酒に設定している人はアル中になり、新興宗教に設定している人はそのままカルト信者さんになる。

現実逃避手段の確保がうまくいかなかった人が家族殺し、一家心中幼児虐待に走るのだろう。

そういうのが身近な世界にかつて身を置いていたためよく見える。



じゃあ、そういう世界から、抜けだしてまともな世界に行くにはどうしたらいいのか。



  • とりあえず有名大学に行く。

 大学に行ったから将来の成功が約束される訳じゃないが、行かないとスタートラインに立てない。



  • 付き合う人間を選ぶ。メリットにならないと判断したら容赦なく切る。

 大学に行くまでは自分と似たタイプと付き合うべし。多様な人間いるか中学高校はいろんな人間がいる学校のがいいとか言い出す人がいるが、

 中学高校の多様な人付き合いなんて社会人目線で見たら全然多様じゃない。

 自分と似たタイプ、似た境遇の人間が集まる環境のほうが一生ものの友人が出来る。

 

 生まれ育った環境がクソな場合、まわりにいる低学歴者や貧乏人が

 「真面目に勉強する奴キモイ」「ガリ勉カッコ悪い」「勉強頑張ってもいい事無い」「金持ち幸せになれるとは限らない」

 と色々言ってくるが、大半は自分の境遇を正当化たいだけの言い訳なので聞くに値しない。ウザイなら付き合いを切ること。

 実際、成功者を僻んだり成功者人格批判をするくせに、成功者が足を踏み外して落ちぶれたら卑屈な笑顔を浮かべて喜ぶ輩が

 「学のない」「愚かで貧しく、現実絶望している人」のコミュニティにはかなり存在する。付き合うほど損だ。



 どこの学校か、どこの地域に住んでいるか、どんな仕事をしているかコミュニティレベルは全く変わる。馬鹿しかいないコミュニティにいて賢くはなれない。

 福沢諭吉を批判する訳じゃないが、実際問題、天は人の上にも人の下にも人を造っている。人間平等とほざくのは安全圏に身を置いている金持ちのみ。

 自分の生まれ育った環境がクソすぎると思っているなら、その環境を捨てる事を前提に考える。家族がクソなら出来るだけ自宅から距離を置くこと。



  • 悩む暇があったら行動する。

 感情を殺せとは言わないけど、逆境というのは不愉快な思いのオンパレードなので、日々一喜一憂せずに淡々と成すべき仕事に専念しましょう。



ブクマ見てコメント(2010-11-28 18:26)

学問のすゝめ」ってそういう内容だったのね。

俺みたい成り上がりキャラは特定の分野を重点強化してきた奴が多いかカバーしてこなかった分野(文化教養とか)は弱いんだ。

余裕が出来てから苦手分野を補強します。

2010-10-23

元気な内に

逆境を探そう。

2010-10-21

弟が連れてきた恋人が男だった volume 3

http://anond.hatelabo.jp/20101018071855

続きを書くべきなんだろうが、うーんと思う。俺が書いたものを嘘っぽいとか創作だとかいう人たちってなんなんだろう。

俺の態度を差別だって批判する人たちが、腐女子っぽいとかゲイっぽくないとか、なんであるかどうかも分からない形にあてはめて批判しているんだろう。

男ってこうだよね、とか実の兄弟ってこうだよねっていうのがダメで、ホントーのゲイってこうだよねっていうのがOKなのが分からないです。

うちの家族や弟のことを嘘っぽいって言われても、ホントのことですしねえ、としか言えません。そういうことを言っている人たちって、こうあるべきっていう無駄な決めつけをゲイに対してすらしているんじゃないだろうか。

俺がうちの実家スペックをまず明らかにしたのは、基本的にこれがうちの実家の問題だからです。嫁にゃあ関係ねえとは言わないけど、他人事であるのは確かであって、だからこそ嫌悪感愛情に勝ってしまう可能性がある。逆に簡単に「あ、そうなの?へーきへーき」で済ませてしまうかもしれないけど、俺の嫁場合宗教からんでくるんでそうそう楽観はできんのです。

うちの実家宗教は無いけど、基本、保守的なのは確かであって、心の葛藤だけじゃなくてもっといろいろと現実的な問題があるのです。

弟も別にカミングアウトせずにすむならわざわざしないんだろうが、相手の男、浩介と同居したいという希望がある以上、言わずに済むというのは難しい。これは弟とも話したんだけど、おまえ、県庁に入ったの失敗だったね、と言ったんですね。

地元に残ってくれるっていうんで家族は喜んだんだけど、こういうことになるなら東京大阪で、こっそり同棲するのが一番よかったんじゃないかと。

12歳差の弟ってのは半ば息子みたいなもんですよ、俺にしてみれば。対等な兄弟喧嘩なんてあるはずもなく、可愛い可愛いで来てしまった。親としての責任があるわけでもないから、まー、ジジババにとっての孫に一番感じが近いかもしれません。

ひょっとしたらそのせいかも知れないと思うところもあるんです。

大体、弟がゲイなのか、ただ相手の男が好きなのか、聞いてみても本人にもよく分からないんだそうで、こういっちゃなんだけど、心のもちようでなんとかなるなら何とかしてほしいという気持ちはある。心療内科とかで治療できるなら、そうしてほしいけど、ゲイだったらそれはそれで残酷だなと。

相手の男も今は恰好いいこと言ってるけど、先のことはわからんでしょう。一番つらいときに、優しくしてくれた弟に依存しているだけかも知れないし。結婚というきとんとした縛りがあるわけでもない、そんなあやふやな相手に弟はやれん、そう思ってしまうのがそんなに悪いことなんでしょうか。

誰の目にも明らかにゲイ、100%ゲイならかえってそっちの方がよかったと思うんですが、弟も相手の男も普通にしていればふつうの男ですし、相手の男が将来、うっかりどこぞの女をはらませて、結婚、なんてこともないとは言い切れない。

そういうことも考えませんか?家族なら。

はたちそこそこのガキんちょが今だけの気持ちで、僕たち愛し合っています、なんて地方のこの町で公表しちゃったら、どうなるのかと。気持ちが変わらないなら逆境もまたよいでしょうが、変わると思います。弟なんて、男であれ女であれ、肉体関係は今の相手ただひとりしか経験ないっていうんですから。相手の男は女性経験はあるみたいですけどね。

今、弟に言っているのは、とりあえず待て、ということ。

待ってどうなるかっていうのはその先は俺にもわかりませんが。ここ何日間かで俺も肝が坐ってきて、少なくとも俺は弟の味方でいようと思うようになりました。

ただ、どういう形で着陸させるのがいいのか、手さぐりになりそうです。

まずは姉の反応を見てみようと思います。俺の話として、俺、実はゲイなんだけど、妻と別れて年下のカレシと付き合おうかと思っているみたいな相談をしてみて、反応を見てみようと思っています。

2010-10-12

昔考えた超つまらないラノベのあらすじ

※謙遜ではなく本当につまらないです。「くだらなくて逆に笑える」という類でもないです。

 8世紀末ノーサンブリア王国に暮らす少年が主人公。ある日父親・妹と一緒にリンディスファーン島に出かけるとヴァイキングの襲撃に遭う。主人公はからくも逃げ延びるが、父は殺され、妹は連れ去られた。

 父を亡くした主人公は叔父のたくらみによって(この時点で主人公はそのことを知らない)奴隷として近東に売り飛ばされてしまう。

 10年後、逆境の中でたくましく成長した主人公は、アッバース朝カリフのハールーン・アッラシードに気に入られ、奴隷の身分から解放される。彼は復讐のため、故郷ノーサンブリアに戻った。叔父は父の遺産を手に入れ、母は叔父の妻になっていた。叔父は主人公を歓迎するが、ひそかに亡き者にしようとする。母の助言で主人公は逃げ出す。

 主人公は魔女の元を訪れ、復讐のための力を与えて欲しいと願う。魔女は交換条件として、復讐が終わった後は戻ってきて自分の夫になるようにと言う。他の女に心を移した場合は恐ろしい呪いが降りかかるとも。

 魔女に力をもらった主人公は北に向かい、故郷に帰る途中のヴァイキングの首領と知り合う。初めは父の敵の仲間、と思っていた主人公だが、彼の人柄に次第に感銘を受けていく。

 首領の村にたどりつき、歓待される主人公。そこで出会ったのは成長した妹。つまり首領は父の仇だった。妹は何も語らず、周囲の人々も「あの子は喋れないから」と言う。しかし一人でいる時に妹がやってきて「逃げて」と言う。「一緒に国に帰ろう」という主人公だが妹はそれを拒む。

 いろいろあって、父の仇を討つチャンスがやってきた。しかし主人公の前に立ちはだかり、首領を守ったのは妹。絶望した主人公は「私が愛したのはお前だけだというのに。お前を心の支えに今まで生きてきたのに」と叫ぶ。

 主人公は魔女呪いによって「死ねない体」になり、終わりのない旅を続けることになった。



 誰が読むんだこんな話。

 たぶん、793年のリンディスファーン島略奪、ヴァイキング中世アラビアといった自分の好きな要素をつめこみ、「捜索者」の影響を受けつつ神話英雄の悲劇みたいなものを書こうとしてたんだろうなぁと、当時の自分を振り返ってみる。

 (主人公が「死ねない体」は、続編につなげる気だったらしい。あと妹が首領をかばったのは近々結婚する予定だったから)

2010-10-04

子どもと接する時に親が意識すべき

ポジイブ・プッシング8カ条

  1. 「私は愛されている!」(自己親愛感)

  2. 「私はできるリ(自己効力感)

  3. 「大事なのは挑戦すること!」(チャレンジ精神)

  4. 「自分の行いに責任を持つ」(自己責任感)

  5. 「失敗しても大丈夫!」(失敗受容感)

  6. 「間違っても修正できる!」(逆境対処能力)

  7. 「自分のやってることが楽しい」(自己幸福感)

  8. 「私は変わることができる」(自己変容)

2010-09-16

http://anond.hatelabo.jp/20100915185324

叱らない方がいいぞ。

周りが、「こいつはエースだ!」と思っててくれないと失速する。

逆境に致命的に弱い上に、逆境のボーターが「他の人と並んでしまう」って辺りに設定されてたりする。

2010-09-10

27歳

トゥギャッターにまとめのあがっていた27歳病の話は全然ぴんとこなかった……。

それはそれとして今年27歳の俺が最近考えているのは、そろそろ世界に対してうってでる時機だ、ということだ。

就職して仕事に慣れて・給料も上がって・貯金もできて・仲のいい友達もいるっつーことで多分このままだらだらっと生きていけばまずまず幸せ人生が送れそうな雰囲気だ。

彼女はいないけど最近合コンに何回か行ったら、高望みはできないけど、俺が得意とするパターンの女っていうのは結構いるのでそういうのを狙うとかなりの打率で打てるとわかった。

30代には結婚も出来るだろう。

でも、このまま小さくまとまって人生を終えてはいけないと思う。

俺は一瞬でいいから世界に風穴を開けたい。

世界ひとつ会議室で、そこに沢山の人がいて、それぞれ小さな塊になってそれぞれの議題を話し合っているとして……、俺はそこで大きな声を出してできるだけ多くの人の注目を集め、自分の思いを伝えたい。

それで世界がどうなるってもんでもないと思うけど、まあせっかくこの世界こんにちはとやってきたのだから思い通りのことをやった方がいいと思うんだよね。

要は会社辞めるぜってことだ。

そもそもなんで就職したかと言えば、就職する前はまともに会社勤めできる気がしなくて、だからこそ逃げたくなくて就職した(逆境TRY)っつーことなんだけど、それについてはとりあえず俺は自分との勝負に勝ったと思う。

俺は全然サラリーマンやれる、良かった。

だから次は、自分の夢から逃げないのが素晴らしい人生だという構えですよ。

2010-07-31

矛盾

純粋になればなるほど壁にぶつかる。

相手に好かれようとすればするほど嫌われる。

うまくやろうとすればするほどうまくいかなくなる。

お金がほしくてお金のことをばかり考えると貧乏になる。

出世しようともがけばもがくほど出世の道は遠のく

ほしい物を望めば望むほど手に入らない。

逆に

ほしい物がいらなくなると手に入る。

望んでいた物が望んでいないときに向こうからやってくる。

猛烈な矛盾。人生の矛盾。

人生は矛盾している。矛盾に絶望したら負けだ。落ち込み二度と立ち直れなくなるだろう。

その中で自分が何をしたいのか。どう生きたいのかを知る。

矛盾に自分をぶつける。一瞬一瞬を。逆境を楽しめれば人生はすっと楽になる。うまくいく。

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