はてなキーワード: 大学全入時代とは
小中は公立を出た。田舎に育ったので、レベルの高い公立校に行けない子がいく、レベルの低い私立高校を出た。で、適当に入れた私大に入学した。その間、一切勉強しなかった。いや、一度だけ中3の一月に焦って受験勉強をした。もちろん間に合わず志望校は落ちた。が、少しだけ遅れて成果が出た。高1の夏の全国模試で偏差値70を全科目で超えた。その後、全く勉強せず、遅刻とサボりを繰り返して何とか卒業した。
大学受験は家から一番遠いという理由だけで、大学を選んだ。入れた私大の偏差値はたぶん50くらい。今は少し上がったらしい。
中学の成績がいつも真ん中あたりだったので、自分は偏差値50あたりの、いいかえれば「普通の人」だと思っていた。大学を出たあと、仕事を少しして、海外の大学院を修士だけ出て、いま旧帝大の博士課程にいる。その間、趣味でつくった文章が編集者の目に止まるなどして、急に、環境が変わった。周囲の社会階層が上昇していって、いまは、いわゆる上級国民ばかりになった。友人たちは教授、医者、弁護士、官僚、大企業役員の子弟で、就職先は公官庁や大企業ばかり。英語は出来て当然で、みなドイツ語やフランス語もできる。ぼくは語学が苦手なので英語しか出来ない。あとはせいぜいギリシア語、ラテン語を辞書を使って読める程度だ。
博士課程にいるが、学振に落ちたので、翻訳の仕事などをして日銭を稼いでいる。先日、単身赴任から帰ってきた友人にあった。月収100万超の彼は飲み仲間で、バカ話をしては呑んで終わる間柄である。その中で、社会資本やら教育格差の話になった。なんとかしたいと思いつつも、何をどうすればいいのか分からない。
大阪の底辺中学校生徒の家庭教師をした友人いわく「家に本がない」子も多いと聞いた。当然、本棚もないのだろう。その家の子は、親からスマホの従量欲しさに殴られて、端末を取り上げられたこともあるらしい。
大学全入時代というが、実際には、半分の人の選択肢でしかない。偏差値など、その半分の中での曖昧な目安にしか過ぎない。しかし、そこに象徴される社会的分断は、想像しているよりも大きなものなのだ。たとえば「ラフマニノフ」と聞いて、ぼんやりとでも芸術関連のことばだと気付くか否かは、どうしても環境に寄るのではないか、と小説家の友人が言っていた。そうかもしれない。そういえば、ラフマニノフは一枚も持っていない。
ぬるいオタクでもあるので、趣味仲間にはいろんな人がいる。それはすごく楽しい。同時に、恥をかくこともある。ネット仲間の知り合いで初めて会った人が「工場勤務です」というので、研究開発だろうと思って話していたら「ライン作業です」と言われてしまった。自分の想像力の無さを恥ずかしく思った。
親はよく「金がない、金がない」と言っていた。小4のときに引っ越してきた友人の家は金持ちだった。ずっと連絡していないが、誰もが知るPCサプライのメーカーの社長だった。また父親の友人に、趣味のクルーザーで釣りに連れていってもらったことがあった。父の友人には、ニューヨークの画商や官僚がいた。彼らに比べれば「金がない」という意味だったのだろう。たしかにバブルの頃に、毎週、生け簀のある料亭で食べていたし、家にはマッキントッシュの真空管アンプが数台あった。祖父が現金で、さらっと一億用意するのを見たこともある。ごく幼い頃の記憶だ。
ずっと自分は金がない普通の家の人だと思っていた。無論、何が普通かなどわからない。ただ努力をしないまま、適当な大人になった。結果として自分が貧しくなることは覚悟していたが、それ以上に、社会が崩壊していく速度のほうが速かった。社会資本がなんちゃら、教育資本がうんたらかんたら。ニュースで見かけ、たまに出会う、自分の「普通」とは違う人々について、チャラチャラと考える。何とか人の役に立てるようになれないだろうか。答えは出ない。
嘘みたいだが本当の話である。
難易度を示す偏差値(河合塾基準)が35以下となる入試を通じて
実際に教壇に立つ教師のことで、誇張や叙述トリックでもなんでもない。
子供たちを教え育てていることになっている。
そんな信じられないことが学校現場で起きているのだ。
旺文社のサイトで「偏差値35以下」「教育・教員養成系学部」で
数多くの大学から、毎年、偏差値35の教師が世に送り出される。
僕の調べた限りでは、この大学数は近年なぜか急増しているのだ。
教師といえば、子供たちに正しい知識を正しい方法で伝えるプロ。
この認識はそれほどまちがっていないだろう。
実際のところ、偏差値35の教師は中等教育(高校、中学)よりも、
子供たちの基礎的なリテラシーを育てる重要な仕事だが、大丈夫だろうか。
偏差値35の教師が説く道徳を学んで議論する(通知表に特別な評価記入あり)。
事ここにいたっては、恐怖しかない。
偏差値がすべてではないと人は言う。
その通りだと僕は思う。
しかし、教師たるもの、ある一定以上の水準が求められるのは必然。
例えば、2018年のセンター試験結果から計算すると、以下の数字が出てくる。
英語:200点中、63点
国語:200点中、48点
ご承知の通り、センター試験は基礎知識を問う問題がほとんどで、
わからなくても選択肢を選べば一定の確率で正解することもある。
つまり、それがこれほどまでに解けないということは
少子化によって大学全入時代となったことだけでは説明がつかない。
ベテラン教師の大量退職と、教員免許更新制によって教師になる資格を持つ者が
不足しているのが大きい要因だ。
詳しくない人でも、ニュースで教師不足を嘆く声を聞くことがあるだろう。
現行の制度は、教師のなり手そのものを減らす結果となっているのだ。
そうして、本来、教師となりえる有能な人間(会社員経験者、研究者上がりを含む)を弾き飛ばし、
人生経験も学識も浅いが免許だけは持っている「偏差値35」の教師が誕生する結果となった。
あなたの子供の教師は、賢そうなふりをしているが、本当は偏差値35かもしれない。
教室は偏差値35の教師に支配され、子供たちは偏差値35から学ぶ。
我々はその先の未来をまだ知らない。
以下、予想される反論にあらかじめ回答を。
A. 現行の入試制度では、私立大の場合、AO入試・推薦入試での入学が
半数を大きく超えるのが通常だ。
すなわち、がんばっても偏差値35にしかならなかったということである。
A. もし本当に人柄や人間味が秀でているとしたら、
人としてわかりやすい魅力を備えていないこともわかる。
低ければ経営に関わる問題なので、一生懸命試験対策に取り組むのだろう。
また、幼稚園教諭に知的能力が必要ないというのは大間違いだと思う。
A. 何を言っているのか。
採用後に何を積み重ねていくかが重要であり、教師たるもの日々勉強だ。
A. 論外な考えだ。
自分の子供はいいかもしれないが、偏差値35の教師から教育された
91年生まれと言うとゆとり教育の影響を色濃く受けた世代らしい。
テレビでは毎日のようにゆとり世代の出来が悪い、円周率は3!若者の〇〇離れ!とやっていた。
あまり頭の出来は良い方じゃない子供時代だったので、当然周りからはヤンヤヤンヤ言われた。
ムカついたので絶対に良い結果を出すと子供心ながらずっと思っていたし、今のままだと生きていけないかもしれない、っていう危機感は子供の頃からずっと持っていた。要領が悪かったってのもあるだろうが、子供の頃にあんまり遊んだ記憶が無い。
その後一浪こそしたがそれなりに難しいレベルの大学に入り、大学院まで進んだ。
幸いにも大学には真面目な人が比較的多く、毎日しっかり自分の専門を勉強できたように思う。
実習が多い学科だったからというのもあるが、座学中心の学校を出た人よりかは割といろいろ出来るだろうという自負はある。座学の理論をしっかり学んだかといえばまあ、若干怪しいところはあるが...
就活では自分の専門をしっかりと伝えて、それなりの規模の会社のある部署に、今年の4月に新卒としてはおよそ10年ぶりの人材ということで入れた。
ここまではまあ順調だった。
ところが会社に入っていろいろ雲行きが怪しくなってきた。
初対面のおじさんたちから「ゆとり世代だから」という決めつけから全てが始まるのだ。
もちろん「ゆとり世代」という言い回しは、おじさんも気にしているのか今の所聞いた覚えは無い。
ただだれも、今目の前にいる自分よりも若い人間を相手に会話をしてないのだ。
おじさんの頭の中にあるステレオタイプだったり、おじさんの若かりし頃に向けて会話しているのだ。
(あなたたちもやったでしょうって言われても、雀荘で徹マンとかやったこと無いぞ....徹夜で課題ならたくさんしたけど...自己紹介乙です〜って感じ。)
あなたは私の一体何を知っているんだ。
私が25,6年の人生をどう過ごしてきたかなぜ知った気になって語っているんだ。
何をあなたは知ってるんだ。
いつもそう思いながらも適当に相槌を打っていた。
まあおじさんの昔の苦労話を聞くぐらいだったらまだよかった。
が研修が終わって、自分の部署に赴任してからいろいろまずいことが起き始めた。
どんどん自分の考えたことを出してどんどん行動してくれ!と言われて入社したのでまあ自分の考えるようにやっていた。
大学で学んできたように、渡された仕事を効率的に進めていった。
ところがおじさんたちの表情は明らかに嫌がっていた。
新しいことを生み出すんじゃなくて、自分たちの思い出話の方に興味を持っているようだった。
かつての夢の焼き直しみたいなアイデアばっかり見せられた。
答えの無い問題にぶつかった時、それでも手を動かして試して考えてみるってことをおじさんたちは出来なかった。
答えの無い問題を考える能力に関してはゆとり世代のほうがあるように思う。
ただおじさんたちの嫌な顔を見る限りは若いのは黙ってろっていう空気をなんとなく感じてしまう。
まだ心が折れるような状況では無いけど、この先もこのままなのかと考えるとしんどい。
会社の偉い人たちが「どんどん行動してくれ」って言っていたのは、おじさんたちがこうだからなのかもしれない。
が、その会社の偉い人たちと話してても「わけえのは黙ってろ」っていう空気を出しているように感じた。
結局上の世代は私たちにステレオタイプ通りの「ゆとり世代」であって欲しかったんだろうな。
上の世代が逃げ切るまでの間のサンドバックとして存在して欲しかったのだろう。
自分で考えられない、積極性の無い、学の無い自分たちよりもさらに学の無い存在としての「ゆとり世代」であって欲しかったのだろう。
頑張ってもだめ、頑張らなくてもダメ、どうあがいてものけ者扱いされてきた。
いろんなことを我慢して生きるために専門性を身につけてきたはずなのに、なんだこれ。
「昔から若者はそう言われてきた」って言われても、「ゆとり教育を受けてきた」っていう根拠(笑)がおじさんたちの頭の中にある限り、私たちが適切な評価を受けること、適切なコミュニケーションが取れることは無いような気がしてならない。
私はもうダメかもしれない。
ブラック企業やクラッシャー上司や、いやらしい人間とかにやり込められて自信を喪失している人たち向け
俺自身がようやく気が付いた事実をまとめて自信を回復してほしいと切に願う。
大学全入時代などといわれて、大卒でもバカバカとネットやブラック企業では飛び交ってるだろうが、「卒業率」で見れば30%台です。
これ、ネットやブラック企業で飛び交う「馬鹿のF欄」全部合わせた数字になるからね、そんなこというのなら、それ以外の人間は「F欄にすら入れなかった人非人か?」ってなる
ブラック企業や世の汚い大人たちの典型的な手法は「自信を喪失させる、すべての行動や考えに自問自答や疑問を芽生えさせる」です。これは心当たりある人は多いと思う。
全ての行動にそれが正しいのかと確認を取らせて、その直後に同じことを聞くなと威圧します、ダブルバインドで行動に自信を委縮させます。
正社員の人なら、その時点で転職を、派遣の人なら、その時点で担当に覚書をまとめてハッキリと言って3~4か月で別のところへ行く用意をしましょう。
今は空前の人手不足です、仕事についてる時点で経験者になってるんだから、同じ仕事なんぞ幾らでもあります。寧ろこんなバカなことして他社に映られるなんて将来ねえなと思うくらいでいきましょう。
そもそもそうなったら、職がなくなる、食っていけなくなるとか考えるのも、そう考えさせられてるだけです、東京限定ではありますが、仕事なんてこのアベノミクスの影響か、全くないなんてことはありません、割とすぐに見つかりますし、そんな糞職場で覚えられるスキルなんてたかが知れてます、どこ行ってもまず通用しないものばかりです。サボりながら国家資格も勉強して自分本位で考えて行動しましょう。
汚く根回しや手回しで、自分が悪いみたいな雰囲気にされた場合は、思いっきりゴネましょう、次の職場の面接で、前の職場のブラックさを100000倍くらい盛って話したってバチが当たりません。(実際私は、面接のときに「前の職場は気の弱い先輩が特殊警棒で滅多打ちにされて血まみれで横たわっているようなブラック企業だった、2年頑張ったがやっぱり異常だと考えて転職しました」と大嘘ぶっこいて通りました)
私は今IT系の職種についてますが、もし力及ばずキャリアが終わってしまえば35で放逐されるでしょうが、その時は堂々と生活保護を申請して隠遁するつもりです。
そんな風な業界風潮を作った国や社会の責任であって、私や貴方たち個人の責任ではありません、というか、働いて税金納めてる時点で悪く言われる筋合いなぞ全くありません。
② おどおどしない、気の弱い人はオラつくくらいの気概でいきましょう
ブラック企業に限らず、世の汚い連中というのは、まず強そうだったり、支配するのに面倒な奴等は絶対に攻めません、寧ろヘラヘラへつらってくる方が6割、残りの4割は逃げて距離を取ります。
私は、親族や親せきが警察官だとか外交官だとかいった、公務員一家で生まれ育ったため、何か少しでも幻滅されるようなことをすれば、家の名前や周りに迷惑がかかるのではないかと考えて、実際ブラックではそこらへんを延々つつかれました。親が民間なんて全く知らない、純粋培養な人達なので、理解もされずにいたことはありましたが、ちょっと待って考えてみましょう。
何で自分たちは別に犯罪を犯しているわけでも、社会に迷惑をかけてるわけでも、かける気もないのにそれほど委縮しなければいけないのでしょうか?悪いのはマトモな人間を社会保障のお荷物に蹴落とす汚い連中や、日本経済に致命的な損害を与えるブラック企業の方が、法律的にも同義的にもよっぽど悪いのではないでしょうか?
はい、実際その通りでした。気が弱い人はオラつくくらいでちょうどいいです、ホラ吹いて柔道2段とでも剣道3段とでも言っておきましょう。
シークレットブーツやシューズを履いて180cmくらいに見せたりするだけで、相手の態度がガラっと変わります、そういうところから始めましょう。別にイチャモンつけて殴りかかってくるわけがありませんが、舐められたらつけ込んでくるのだから、威嚇する形で考えましょう。モテるためではなく馬鹿避けと考えれば、恥ずかしくともなんともありません。
これが一番重要です、世の汚い連中やブラック企業は、まずこれを混乱させたり喪失させようとしてきます。
仕事という時点で、大したスキルなんて求められません、そもそも、頑張ればだれでもできるのが仕事です、その個人しかできないレベルの物は技能とか芸術と呼びます。
実際、研修と称して、ダブルバインドを多用したり、糞みたいなことを延々させ続け、いざ仕事が始まれば研修なんてタダの憂さ晴らしだったじゃねえか!っていうレベルのものばかりです。そういう自体に慣らせるためなどと抜かすようなところは、とっとと金払いながらそんな有難迷惑なことをしてくれた感謝の念を込めてもっといいところに転職して差し上げましょう。
あなたの考えは正しいです、行動も正しいです、それはあなたが何十年も生きて来て得た答えであって、他人がとやかく言う資格は誰にもありません。
他人がそれを言うのなら「じゃあお前の言う通りにして上手くいかなかったら1億円でも払ってくれるのか?責任も取らん癖に偉そうなことを抜かすな」と言いましょう。
ただし、これはそういう糞みたいな連中に大してであって、家族や巡り合った良い職場や友人には、敬意と慈しみをもって接しましょう。
自分のやっていることに対しての失敗は、真摯に反省したりしましょう。
それ以外の連中なんてゴミとでも考えておくくらいの方が、気が楽です。
この社会においての勝利は「あなたが思い描く人生をすべてかなえること」であって、他人や、ましてやアカの他人が強要した価値観をかなえることではありません。
自信を持ちましょう、ブラックに考えを混乱させられて「結局明日隕石が落ちて滅んだら何も意味ね―じゃん」、みたいな考えに近くなって委縮するのが一番危険です、何かしら行動すれば結果と経験が得られます。
人に迷惑をかけたくないというのなら、それこそあなたは今立派に働いて税金納めてるんだから一切迷惑なんてかけておりません、立派な納税者で日本国民の鏡です。
俺はもう40代半ばで、学生だった時間よりも社会で働いてきた時間の方が長くなっている。
だから、いまさら学歴なんてこだわりたくない。そう理性では思っている。
しかし、昨今のTVのクイズ番組とかで芸能人の出身大学が強調されたり、「いまは大学全入時代」
とか言われて、大卒当たり前で、非大卒が非人間のように扱われる風潮に対して、正直、怒り狂う。
俺も高校までなら、一応偏差値60より上の高校には行った。だが、いろいろあって大学には行かなかった。
俺の就職する時代は、年々就職環境が厳しさを増していた時代だった。下手に大学に行ったら、それこそ
俺と同世代には、非正規労働者として苦労している者も多い。俺は幸運にも、それなりに安定した働き口が
あって、そこにいままで務めてこられた。
それでも、俺は非大卒だ。卑屈な学歴コンプレックスだとはわかっている。
学歴の価値とかそういうものは、世代によってまるで違うというのに。
俺は静かに怒り狂う。
この問題は「学会や引用の仕組についてまったく知らないひとがここまでいるのか!」という点で興味深い話だよね。
大学全入時代とか大学進学率が半数とか言うくらいなのに、引用と転載の区別がまったくなかったり、修士の学生が出て来るような国内の学会発表に対して「論文としては……査読が……」みたいな発言が出て来るし、学会発表を一度でもしてるひとには常識なことを把握してないひとが多く見受けられる。なんだろう、その分野に親しんでいるひとの大学進学率が低いのか、年齢的に22歳未満が多いとかなのかな。
就職予備校としての大学なら高卒でも云々と少しは考えていたけど、研究・学会・引用あたりの話で前提が共有できていないのひとがこんなにいるのを見ると、大学進学率はもっと高いほうが良いよねーってなった。
就職活動しているもののやはり募集要項見ても「4大卒以上、短大・専門学校卒」という表記ばかり
学歴コンプレックスという訳ではないが、何故こうも企業は4大卒の人間ばかり欲しがるのか不思議に思ってる
確かに大学生となれば4年間何してもいいブランクの期間でもある
とりあえず勉強できるから学習能力は備わっているという考えで大学生を採用したがるのかもしれない
そこから学生を探そうにも時間は掛かるし、結局のところ有名高偏差値の私立大学や国立大学ばかり注目されてしまう
その方が手っ取り早いし、OB・OGとしての繋がりができやすいというところがメリットかもしれない
今は大学全入時代が過ぎても大学は維持するのにやたらと学部やキャンパスを増やしていくばかりで、立地やブランド等でしか比べられない
さらに普通の筆記試験じゃなく面接だけで合格してきた人がいたりと、ここまでいくと企業の人間と合うかどうかでしか判断できないように感じる
自分は大学という存在は必要だと思うが、どうしてそこまで数や規模を広げないといけないのか分からない
大学にまでランクやレベルの格差があるなら、下位の大学が上位の大学に勝てるはずはない
最近思うことが一つある。というか薄々気がついていたことだが・・。バカが一番得をするんじゃないかってことだ。何も考えない人間。結局こういう奴らの方が、俺みたいに考えすぎて雁字搦めになる奴よりも幸福に見えるということだ。何も考えていないというのは言い過ぎかもしれない。でも俺から見るとそう見えるんだ。結局学生時代にやってきた勉強なんて特に意味がなかったのだ。大学全入時代になり、大学進学率も上がった。これ自体は大変喜ばしいことだが、知の権威が落ちてしまったようなそんな気がする。真面目に勉強をするよりもお金を稼げる能力を持った人間が評価される。いい思いをする。資本主義社会に生きている以上仕方のないことだ。でも、一体俺が今まで捧げてきた時間はなんだったんだよ!と思うことがある。俺が孤独だから余計にそう感じるのかもしれない。俺はそれなりに勉強ができた。しっかりと定職についている。それなのになぜ満たされないのか。なぜ一人なのか。いっそのこと勉強などせず、ずっと遊び呆けていた方がよかったのかもしれない。人とのつながりを築けない人生がこんなに辛いなんて。勉強ができなくても友人がたくさんいて、恋人のいる人生の方がよっぽど幸せだったんじゃないかと思う。どれだけ社会情勢や政治経済に詳しくたって、俺は一人のままじゃないか。俺は何も考えない馬鹿者になりたい。酒飲んで、騒いで、自堕落に生きたい。そんな人生に憧れている。大人のいうことを疑うことなく信じてきた俺がバカだった。本当のバカは俺の方だったのだ。
未だに一昔前の大学観で大学を語ってる人いい加減にしろよ。まず自分の大学知識が今も当てはまってるのかを確認してから語って欲しい。
「その大学にそんな学部はない。よって騙りだな」とか言う前に大学のホームページぐらい見るとか。
資格が取れるかどうか、取れるにしてもどう取るとか、そういうのだって数十年前どころか数年で変わっても可笑しくない。
再確認をしていない、あやふやな知識で人をバカにするのは明らかに不適切だと思う。
これは大学個々の話だけではなく、大学同士のランク差とかにも言えるからな。単に上か下かとかだけじゃなくて、どれぐらい上なのかとかそういうのも。
あと、「大学全入時代」であることも意識して欲しい。馬鹿な高校だから大学は絶対に行かないはずだと勝手に決めつけて、馬鹿な高校の受験生を異常者と決めてかかるとか
今の時代ではほんとにありえない。
何なんだよ日本.
見事に面接3戦3勝だわ.
今までの人生何をしてきたの?
ただでさえ, たった3ヶ月で自分の働く企業を選べなんて無理があるんだから, 将来やりたいことを考えて, 必要なら大学進学して, 勉強なりその他自分のために時間使えば準備なんて十分間に合うのに. 論文出したり勉強会で発表とかしてたら, 会社の方から声かけてくれたわ. 3社も声かけてくださったってことは, この業界が自分に合ってるってことなんだろう. 大学生活6年間もあって充実した活動ができたわ.
企業はルール守ってるのに, 学生は面接で嘘つくことしか考えてない.
こんなこと考えてる学生が就活絶対成功なんて無理でしょ. 能無しバカ学生なんてさっさと沈め死ね.
就活に関する成功例を言うと, どこからともなく学生や社会人が沸いてきて,
みたいな文句を唱え始めますよね. 生き方がいくらでもあることぐらい分かってるくせに, 自分に適した生き方を探そうともせず, コミュ力やリア充度が重要な一般的な社会人と言うフィールドを自ら志願するって無謀ですよね? 思考停止を正当化して, 自分の就活失敗を社会のせいにしてんじゃねえよ死ね.
って, 言う奴もいますよね. 言わせてもらうけど, 遊び続けてきたリア充に負けるような努力ってなんですか? そりゃコミュニケーション能力で戦っても勝ち目はないでしょ. コミュニケーション能力磨くなら, 飲み会なりサークル活動なり「遊び」が「努力」に相当するわけで. 勉強してきたのなら勉強で戦いを挑めよ. 面接で嘘を付くことじゃなくて.
このゴミみたいな新卒一括採用とかいう制度, 今すぐやめろ. 「新卒」信仰が強いのは企業じゃなくてむしろ学生だ. 「俺は新卒だから, 人より秀でた能力とか無いけど就職できるよね」って, 思考停止した学生が量産されるだけだろ. 新卒採用廃止されたらお前らなんて即戦力中途社会人によって駆逐されるわ.
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http://anond.hatelabo.jp/20160502111830
頭使わずに「良い大学に行けば人生上手くいく」って思考停止してるアホが量産されてるせいで, 大学全入時代が生まれて, アホでもわかるように授業の進行スピードは落ちて, 教授が忙しくなってディスカッションの時間なくなって, 大学はいつも混んでて, こっちは色々迷惑してんだよ.
大学は就活予備校じゃないんだよ? 就職したかったら専門学校いこうね. 就職率大学より遥かにいいよ(多分). ググってみようね? 死ぬほど勉強していい大学に行った頭のいい君なら出来るよね?
M1のこの時期に内定を下さった某社, ありがとうございました.
ラスベガスの某学会で御社の方がお声をかけてくださった結果, 今の状況があることを思うと, ちゃんと見てくれている人はいるんだなぁという思いです. 私の拙い英語にも辛抱強く質問を繰り返してくださったことをとても感謝しています(質問に来た研究員は海外の方でしたが列記とした日系企業です).
おかげさまで, 残りの学生生活, 研究に専念できます. とりあえず今はreviewが返ってきたところなのでrebuttalを早く終わらせます. 卒業までにあと2つくらいは論文出したいなーと思ってます. 僕はコミュニケーション能力皆無で, こういったところでしか差別化できないので.
学んでない奴らを学生と呼びたくなかったので最後の文は「同世代」に変えました。「言われたから勉強する」は学びではなく作業です。小学生でもできます。
ある労働組合の団体がツイッターを通じて、ある大学の学部における募集を来年で停止することを発表していた
正直言って、大学全入時代に入ったことで大学の価値というのは、以前のものよりも落ちていることは確かだと思う
Fランと呼ばれる大学群が未だに残っている現状や入試制度の多様性により学生の出入りがより安易になってしまった
結果としては、金を払って卒業証書を貰えれば「大卒」を簡単に手に入れられるサイクルが生まれてしまった
自分も大学生ではあるが、大学というのは本来勉強すべき人間が集まって行う場所ではあった
それが約10年前から大学の増設の規制緩和、それに伴う進学率の上昇の影響でエリートを排出する場が問われるようになったと感じる
最近テレビでよく目にするようになった「東大生」や「京大生」、またはその学力と並ぶ大学群
メディアはどういった意図で紹介したいのか分からないが、その学生達を細かく見せる訳ではなくインタビュー形式で聞いておいて黙るのもどうかと思ってる
もう大学生というのは昔のような「エリートや秀才がなる者」ではなく、「社会的に一般的なステータス」に変化したと言ってもいい
http://news.yahoo.co.jp/feature/325
早慶の大学も放任というより学生に寄り添う存在になっていたとしたらこれはもう過保護というよりかは売り手の視点になっていると思う
日本の大学のランキングが他のアジアの大学に負けてしまった等もあったりしたが、その背景には学生自体の質ではなくその大学の方針ややり方に問題があるのではとも思っている
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160713-00002526-besttimes-soci
ホリエモンこと堀江貴文さんがインタビューで語っていた記事を読んでみた
確かに今の大学は昔と違って上位大学のエリート路線は変わっていないが、それ以外の大学は本当に機能しているのか疑問に感じる
東大問わず大学に入った理由に明確な目的のある秀才やその大学の為にひたすら勉強し無事入学を果たせた者などさまざまである
2008年からの大学全入時代になってからは入学できる敷居が低く、その為の推薦入試まで投入されたことも一つの要因である
さらに偏差値や入試結果などの詳細が見れる受験サイトや大学の口コミサイトでその大学の特色を情報で知ることも可能となった
そこで受験者の高校生、浪人生は何が何でも高いネームバリューのある大学に進学したほうが肩書きにもなったりでそちらを選考するのは百も承知
仮にある有名大学ばかりに定員が集中してもおかしくないと思える
ただ、有名でもなく他の大学と学部が被っていたりする大学は本当に必要なのだろうか
少子化で子供の数が減っているのに大学の数だけ多いのは反比例に感じる
それにその大学自体がどういう研究成果を出しているのかさえ危うい
大学はその補助金でなんとか生き残っているとこもあるが、それがいつまで保つかは不明である
奨学金の問題は現在でも深刻なことであり、これは個人または家族観での責任ではあるものの経済面で中退する者は後を絶たない
いずれにしても2018年問題よりも前から問題視されている日本の大学の在り方を厳しくしなければ、この先研究機関ではなく就職予備校が一向に増える傾向だと考えられる
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160713-00002526-besttimes-soci
ホリエモンこと堀江貴文さんがインタビューで語っていた記事を読んでみた
確かに今の大学は昔と違って上位大学のエリート路線は変わっていないが、それ以外の大学は本当に機能しているのか疑問に感じる
東大問わず大学に入った理由に明確な目的のある秀才やその大学の為にひたすら勉強し無事入学を果たせた者などさまざまである
2008年からの大学全入時代になってからは入学できる敷居が低く、その為の推薦入試まで投入されたことも一つの要因である
さらに偏差値や入試結果などの詳細が見れる受験サイトや大学の口コミサイトでその大学の特色を情報で知ることも可能となった
そこで受験者の高校生、浪人生は何が何でも高いネームバリューのある大学に進学したほうが肩書きにもなったりでそちらを選考するのは百も承知
仮にある有名大学ばかりに定員が集中してもおかしくないと思える
ただ、有名でもなく他の大学と学部が被っていたりする大学は本当に必要なのだろうか
少子化で子供の数が減っているのに大学の数だけ多いのは反比例に感じる
それにその大学自体がどういう研究成果を出しているのかさえ危うい
大学はその補助金でなんとか生き残っているとこもあるが、それがいつまで保つかは不明である
奨学金の問題は現在でも深刻なことであり、これは個人または家族観での責任ではあるものの経済面で中退する者は後を絶たない
いずれにしてもいずれにしても2018年問題よりも前から問題視されている日本の大学の在り方を厳しくしなければ、この先研究機関ではなく就職予備校が一向に増える傾向だと考えられる
実際には合格ラインが偏差値50以下で、35とかいう大学すらあるわけだが、
そういうのは無視してるのかね?
あなたの読解は間違っている.
元増田は,数学的な意味で「『偏差値の定義より,大学の半分は偏差値が50以下である』という命題は間違っている」ということを反例付きで述べているだけだ.別に,現実に偏差値35の大学が存在することを無視しているわけじゃない.
もちろん,あなたの指摘する通り,元増田の反例(思考実験と称されている)は,現在の日本の状況とは異なる.大学全入時代であるわけだから,偏差値35の大学も存在しえているわけだ.
しかし,「偏差値50以下の大学を廃止」したとすると,初年度で大量の大学が廃止になり,その次の年では元増田の思考実験の初年度に近い状態が訪れるだろう(受験生100万人に対して総定員40万人).
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201512/CK2015120102000130.html
このブクマを見て思った
自分としても、渋谷区の法律は支持するし最終的には国が法律で同様の制度を用意すべきだと思ってる。
だが、ここで相手の信条を批判するために「練馬区を田舎だなぁ」と批判してることについて、自分は疑問に思った。
そして、それにそれなりの数のスターがついてることに悲しさを感じた。
これに対する批判は、2つある。
(1)区議の意見に反対するために、「練馬区」全体を貶めていること。
この2つである。
(1)に関しては、主語が大きすぎるということも言えるだろう。
これには、その議員を選んだ区民の責任という考えもあるかもしれない。
だが、選挙のときに、区議は同性愛に関する意見を述べただろうか。
これを述べていて、区民がその議員を選んだのならば、練馬区は糾弾されるべきかもしれない。
しかし、練馬区民はエスパーではないのである。他人の心を読んで、この人はこういう考えを持ってるから投票すべきではないという判断はできないのである。
つまり、私は(1)においては、批判されるべきは区議であって、区民じゃないということだ。
(2)のような田舎を劣ったものだとする考えはありふれていると思う。
しかし、私はこのような意見を持ちながら、片方ではリベラル的な意見を持つことに微かな違和感を感じている。
はたして、田舎だからリベラル的な意見が否定されるのだろうか。
http://sp.mainichi.jp/feature/news/20150316mog00m010016000c.html
この結果には若年層や大都市になるほど、同性愛に寛容であるとの結果が示されている。
その点では、確かに田舎はこういった問題に不寛容な可能性もある。
しかし、大都市になるほど、若年層が多くなることを見逃してはいけない。
ソースは用意できなかったが、欧米では学歴が高いほど政治的寛容度が高いという研究結果もあったはずで、日本では構造的に学歴の高い人間ほど東京に移動する傾向にあることも原因の一つであると言えるかもしれない。
だがここで私が考えたのは、地域内の高齢者の比率の問題とも言えるのではないかということだ。
また、上記の学歴が高いほど、政治的に寛容であるというのが真で日本に適用できるならば、現在の若年層の賛成の比率の高さは大学全入時代に突入したことへの影響もあると思う。そして、日本の大学数は都市近辺に集中していて、地方の若者も都市で教育を受けてから地元に戻るというケースも少なくない。つまり、学歴が政治的寛容に影響しているならば、年齢別の寛容度の高さは説明できると考えられる。
そして、これらが都市になるほど、同性愛に寛容であるという根拠になるのではないか、という私なりの説明である。
就活中の京大生っす。これまで就職活動を経験して、学歴なんて無意味だったなあと感じている。コスパ悪い。
京大生でもバンバン選考落ちるし、俺が今受けている公務員試験なんて学歴の関係ない完全な競争試験です。
確かに学歴なんて、ペーパーテストが得意だったという証でしかない。
文句ばかり言わないで頑張ろうぜ。
いい大学に行ったから幸せな人生が送れる、そんな時代じゃないのだ。
学歴厨とか教育ママとか見るたびにバカだなあコイツと思ってしまう。
俺が見た感じ、同志社の学生も、立命館の学生も、京大の学生も別に大差ない。あったとしてもほんの少しの差。
大学とかいうクソ空間でおなじようなことを考え、おなじような人生を歩んできた二十代の若者、中身は大して変わらない。
結局やるかやらないかだけの差。