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2018-10-08

anond:20181007154505

ほんとそれ。

とにかく金持ちはそのまま溜め込みがちだ。

かつ、経済は金の量×金の回転数なのだから、どんどん回さないと景気は良くならない。

から累進課税を強くした上で、しっかり帰ってくる+換金性の低い消費財で強引に使うよう誘導しないと。

貯め込む代わりに地方特産牛肉メロンワインでもふるさと納税で手に入れてくださいな。

2018-10-04

コンニャク製法特に不思議ではない

(毒性のある)球茎を粉状にして水とともにこねたあと石灰乳、炭酸ソーダ水溶液、または草木の灰を水に溶いたものを混ぜて煮沸して固める。

これをひとかたまりに考えるから不思議に思うだけで、

「毒性のある球茎(コンニャクイモ)を食べる」

「球茎を潰して灰汁で煮る」

「球茎を乾燥させて粉状にする」

を別々に考えれば良い。

コンニャクイモには毒があり、そのままでは食べられない。

なぜ毒性のあるものをわざわざ食べるのか?

毒性があるぶん他の動物に食べられづらいからだ。

コンニャクイモは畑を荒らすイノシシでも食べないという。

コンニャクイモ以外でも、飢饉とき野草の根だとかを三日三晩も煮込んで食べたなどという話は多くある。

コンニャクイモを毒抜きするためには灰汁で煮込むことになる。

灰汁(あく)とは、原義では灰(藁灰や木灰)を水に浸して上澄みをすくった液のこと。この灰汁を使って食品自体もつ強くてクセのある味を処理した

灰汁(灰の上澄み液)を用いる方法ワラビゼンマイなどのアク抜きに用いられる。灰汁(灰の上澄み液)はアルカリ性であり植物の繊維を軟化させる性質もつことを利用し浸したり茹でたりすることでアクが溶け出すことを容易にする。

灰汁で煮るということ自体は、決して特殊調理法ではない。

コンニャクイモを細かく割って灰汁で煮込むということは中国大陸で古くから行われていたという。

http://square.umin.ac.jp/mayanagi/students/01/01komatsu.html

独特の食感となることで、コンニャクは他の食材とは別に珍味」としての地位も手に入れた。

リンク先によると薬としても食べられていたようだ。

かの有名な中島藤右衛門が「粉こんにゃく製法発明するのはその1000年後である

収穫した生芋は重量もあり,腐敗・凍結しやすかった。藤右衛門は安永5(1776)年ごろ,生芋を輪切りにし,自然乾燥ののち粉にすることを考案した。これによって長期保存や軽量化可能となり,販路が拡大し,水戸藩特産物となる。

これも長らくアイディアが出てこなかっただけで、

「すぐに腐るものを保存するために乾燥させる」という発想そのものはごく自然なように思われる。

このように製法を分解していけば、一つ一つは自然な流れであり、それも1000年以上かけて少しずつ改良されてきたことがわかるだろう。

anond:20181003175550

2018-06-11

anond:20180611114116

こういう意見対策引っ越しとき挨拶しておくと良い

特に男性なら「私の田舎名物特産なんですよぉ」と美味しいものを与えておくと良い

食らせてしまえばコッチのもの

あとは顔を見るたびに「いつもうるさくてすみません・・・」と謝罪するだけで、それ以上の諍いには発展しない

2018-06-05

スーパーで売ってる山形特産のだし

けっこうな種類の野菜を5mm角程度に刻むというのは案外手間がかかるのだ

手間代とでも思ってもらえればいいのでは

すっごい人気が出たらだし製造マシンとかできるようになって福神漬けレベルにまで安くなるんじゃないか

スーパーで売ってる山形特産のだし

大量生産品のわりにはちょっとお高いんじゃありませんかねアレ

山形県内じゃないと原料刻んでも独特の風味がつかないとか

月極駐車場みたいに実は秘密結社山形が一手に製造してるとか

そういうプレミアですかね

2018-05-30

朝日新聞真人 経済成長永遠なのか 「この200年、むしろ例外

2017年1月4日 [脱成長論][成熟社会][定常社会]

 いつしか経済成長」は私たちにとって当たり前のものになっていた。だが、それは永遠のものなのだろうか。

 アベノミクス大黒柱である日本銀行異次元緩和はお札をどんどん刷って国債買い支えるという、かなり危うい政策である。にもかかわらず世論の支持が高いことが不思議だった。

 思えば「成長よ再び」という威勢のいい掛け声と、「必ず物価は上がって経済は好循環になる」と自信満々の公約に、人々は希望を託したのかもしれない。

 希望をくじいたのはくしくも日銀が放った新たな切り札マイナス金利政策」だった。昨年1月に日銀が打ち出すや世論調査で6割超の人が「評価できない」と答えた。いわばお金を預けたら利息をとられる異常な政策によって、人々がお金を使うようせかす狙いだった。これには、そこまでする必要があるのか、と疑問を抱いた人が多かったのだろう。

 政府国民も高度成長やバブル経済を経て税収や給料が増えることに慣れ、それを前提に制度人生設計してきた。

 だがこの25年間の名目成長率はほぼゼロ。ならばもう一度右肩上がり経済を取り戻そう、と政府財政出動を繰り返してきた結果が世界一借金大国である

 そこで疑問が浮かぶゼロ成長はそれほど「悪」なのか。失われた20年と言われたその間も、私たちの豊かさへの歩みが止まっていたわけではない。

 その間、日本ミシュラン三つ星店は世界最多になったし、宅配便のおかげで遠方の特産生鮮品が手軽に手に入るようになった。温水洗浄便座の急普及でトイレは格段に快適になった。

 若者たちが当たり前に使う1台8万円の最新スマホが、25年前ならいくらの価値があったか想像してほしい。ずっと性能が劣るパソコンは30万円、テレビ20万円、固定電話7万円、カメラ3万円、世界大百科事典は全35巻で20万円超……。控えめに見積もったとしても、軽く80万円を超える。

 スマホに備わるテレビ電話や会話する人工知能機能となると、25年前ならSF映画世界の話だった。

 ただ、この便益の飛躍的な向上は国内総生産GDP)というモノサシで測ったとたんに見えなくなる。80万円超の大型消費が、統計上はスマホの8万円だけに減ることさえあるのだ。

 そこで見えなくなってしまう豊かさの向上を考慮せず、「どんな政策手段を使ってでもとにかくGDPを膨らませよ」というのがアベノミクス思想である

 人間はそうまでして成長を追い求めるべきなのか。

 実は、いまのような経済成長歴史が始まったのは200年前にすぎない。長い人類史のなかでは、ほんの最近だ。GDP統計が初めて作られたのは、さらにずっとあとのこと。1930年代大恐慌、第2次世界大戦がきっかけだった。

GDP、語られぬ限界

 昨年夏、GDP統計をめぐるちょっとした論争があった。所管官庁内閣府日本銀行が「実態より過小評価されているのではないか」と問題提起したのだ。

 きっかけは日銀の若手職員が発表した個人論文。ただ論争には日銀上層部意向も働いていた。アベノミクスの主軸として史上空前の超金融緩和をしながらインフレ目標を実現できず、成長にも結びつかない。現実へのいらだちがあった。

 数字ひとつ財政金融政策を動かし、人々の景況感にも影響するGDP。その歴史は、長い人類史のなかでは意外と短い。

 世界で初めて国の経済全体の大きさを測ろうとしたのは英国。17世紀の英蘭戦争のためにどれくらい戦費が調達できるか知ろうとしたのだ。そこから現在のようなGDPになったのは、さらにあと。1930年代英国米国大恐慌対策を探り、第2次世界大戦に向けた生産力の分析を進めるためだった。(『GDPダイアン・コイル

 一般的には1760年代英国産業革命が成長の起点とされる。だが西暦1年~2000年代世界の成長を人口歴史資料から推定した経済学者アンガス・マディソンによると、1人当たりGDPがはっきり伸び始めた起点は60年ほど後の1820年ごろだった。

 その理由投資理論家で歴史研究家のウィリアムバーンスタインが『「豊かさ」の誕生』で分析している。1820年ごろになると、ようやく私有財産制度資本市場が整い、迅速で効率的通信輸送手段が発達。技術進歩や新しいアイデア評価する文化制度ができて、成長を後押しする基盤が整ったという。

■もとは冷戦期の産物

 社会思想家の佐伯啓思京都大名教授によると、国家が成長を必要としたのはもともと冷戦期に資本主義陣営が社会主義陣営に勝つためだった。「それだけのことにすぎない。なぜ成長が必要なのかという根源的な問いに、経済理論には実は答えがないのです」

 冷戦が終わったあとも成長への渇望だけが残った。むしろ成長の限界弊害について、以前より語られなくなったのかもしれない。

 1970年代初頭、世界科学者経済学者たちが集まる民間組織ローマクラブがまとめた報告書成長の限界』は、経済成長謳歌(おうか)する人類への警告だった。人口が増え、先進国経済が膨張しすぎると、資源の使いすぎや環境悪化などからいずれ限界が生じる、という問題提起だった。

 いつしかその問題意識は薄れ、成長信仰だけがひとり歩きしはじめた。

 佐伯氏は「ローマクラブが指摘した問題重要性は今も変わらない。これから無理やり市場を膨張させ、成長させようとする試みは競争格差を激しくして、人間にとってますます生きにくい社会にしてしまうのではないか」と話す。

■低成長容認社会に変化の兆し

 紙幣を発行し、金融政策をつかさどる中央銀行。その「元祖」は英国イングランド銀行とされる。もともと民間銀行の一つだったが1844年の制度改正中央銀行進化した。

 つまり1820年ごろに始まる「成長」とともに誕生した機能だった。

 いま世界経済の成長スピードが落ちている。2008年のリーマン・ショックマイナス成長に陥った先進諸国は、危機から回復した後も以前のような成長軌道に戻れていない。

 サマーズ元米財務長官は3年前、物質的に満たされた先進国簡単に低成長から脱せないという「長期停滞論」を唱えた。

 日米欧の中央銀行はまるで自分存在意義を確かめるように、ゼロ金利政策、量的金融緩和マイナス金利政策……と成長を取り戻すための異例の緩和策を次々と繰り出した。

 「これは長い目でみれば中央銀行の終わりの始まりだ」と言うのは日銀出身金融史にも詳しい岩村充・早稲田大大学院教授だ。

 中央銀行政府から独立する必要があるのは、たとえ政権が代わっても、お金価値が変わらない金融政策を続けることが経済の安定には大事からだ。岩村氏は「政府といっしょになって成長のために異常な金融緩和を進める。そんな今の中央銀行独立性はない。存在意義がなくなってしまった」と指摘する。

 経済史の泰斗である猪木武徳大阪大名教授は、成長を謳歌たこの200年間を「経済史のなかではむしろ例外的な時期」と言う。そのうえで無理やり成長率を引き上げようとする最近政策に異を唱える。

 「低成長を受け入れる成熟こそ、いまの私たちに求められているのではないでしょうか」

 成長の意義も認めてきた猪木氏が最近そう考えるのは、成長そのもの役割が変質してきたからだ。

 「かつて経済成長には個人を豊かにし、格差を縮める大きなパワーがあった。最近国家間の経済格差は縮まったものの、上っ面の成長ばかり追い求める風潮が広がり、各国の国内格差が広がってしまった」

 主要国の成長戦略金融政策は往々にして強く富めるものを、さらに強くさらに富ませる傾向がある。それがトリクルダウン(滴がしたたり落ちること)で中間層低所得層に広がるという想定だ。現実にはそうなっていない。

 19世紀の経済思想ジョン・スチュアート・ミルゼロ成長の「定常社会」を構想した。だが近代経済学事実上、成長ぬきには語られなくなった。いつしかあらゆる経済理論が成長の持続を前提に組み立てられるようになったからだ。

 むしろ現実社会に変化の兆しが出てきた。たとえば最近広がりつつある、買わずにモノを共有するシェアリングエコノミー。大量消費と一線を画す動きだ。

 四半世紀にわたるゼロ成長期を過ごした日本人の意識に変化もうかがえる。

 博報堂生活総合研究所定点観測調査によると、「日本の現状はこの先も、とくに変化はない」と見る人は昨年54%で、9年前より22ポイントも増えた。さら身の回りで「楽しいことが多い」人が増え、「いやなことが多い」人は減った。

 同総研の石寺修三所長は「人々の意識が定常社会を前向きに受け止めつつある変化がはっきり示されている。いわば『常温』を楽しむ社会です」と話す。

 いま世界が直面する低成長が「成長の限界」を示すものかどうかは、はっきりしない。ただマディソンの2千年の成長率推計を見れば、この200年の2~3%成長が、まるでバブルを示す急騰曲線のようだとわかる。

 成長の鈍化はむしろ経済活動の「正常化」を意味しているのかもしれない。少なくとも成長は「永遠」だと思わないほうがいい。(編集委員・原真人

元ページ(リンク切れ): http://www.asahi.com/articles/ASJDY5DR2JDYULZU005.html

ブコメhttp://b.hatena.ne.jp/entry/www.asahi.com/articles/ASJDY5DR2JDYULZU005.html

2018-05-13

[]イヴ=ルネ・スコルディア

クイニーアマンを作った人。

1828年に生まれフランスブルターニュ地方パン屋を営んだ。

1860年ごろ、ブルターニュ地方では小麦粉が不足していたので、

小麦粉を減らす代わりに特産の有塩バターを大量に入れて生地を作り、

それを何度も折りたたんでバターを馴染ませてから焼いたところ、

美味しいケーキが出来たので商品化したという。

クイニーアマンとはフランス語ではなくブルターニュ語(ブルトン語)でバター菓子という意味

2018-05-05

anond:20180504153054

渡り歩きがメインになるとそれはロードムービーになる

わかりやすく言うと水戸黄門、まあ特産物で違いを出すしかないけど

自然生態系統治形態などが異なる惑星を旅するのが銀河鉄道999

自分では制御できない転移複数世界を移ろう話なら

「神星記ヴァグランツ」麻宮騎亜

あとゲームブックの「展覧会の絵

エターナルチャンピオンは、局所的にチャンピオン集合したりして異世界転移しているし

人生単位で見ても互いの転生体だったりして異世界転生している

さて、今の異世界転生ものブーム人生やり直し願望の反映だから

せっかくの強くてニューゲームを途中でやめてリセマラ繰り返す必要はなく

まり異世界渡り歩く必要はない

やり直してるシュタゲとかまどマギとかリゼロとかはループもの

2018-04-29

Nekojishi

特にケモナーってわけでもなかったけど無料だったし絵も気に入ったので、とりあえずエンディングだけは一通り見てのネタバレ駄文

 

 

システムなど基本的なことに関しては、既読スキップなど最低限のUIはあり、ストレスはそこまでたまらなかった。まあそこまで複雑なシステムがあるゲームでもないしこのくらいでも十分。

翻訳に関してはかなりレベル高い。ところどころ安定しない一人称や、誤字が見られるものの読むぶんには問題ないレベル

あと現地宗教特産物、地名など地域に根づいたポンと出されても全くわからない要素に関して用語集があるのも非常によかった。

ストーリーに関しては、一回目は何も考えずにプレイした結果(後のトゥルーエンド見るに、誘導されたのかもしれないけど)唐突に車にはねられ、並行世界的場所で先輩と二人幸せに暮らすとかいうエンドでさっぱりわけがからなかった。正直トゥルーエンド見た今もよくわからない。

そのデータでいくつかエンディング見た後、結局雲豹に関してさっぱりわからなかったり、ストーリーが気になったので攻略を見てプレイ。そうして順繰りに各キャラエンド、そしてトゥルーエンド見ていった。

 

そうした全体の感想としては、ストーリー前半部のイチャイチャ分岐パートに関してはまあそっち系の興味もないこともあって流してたけど、後半の雲豹に襲われる辺りからの展開は物語に引き込まれた。

それまで伏線を生かした逆転もあり話が盛り上がって、その後の雲豹が襲ってきた理由や先輩の正体も意外性があり楽しめた。

 

まとめとしては、無料とは思えないレベルで纏まっており、そっち系に興味ない自分でも頼んでプレイすることができた。

あと、キャラクターとしては、やっぱり長年見守ってくれてたりピンチに頼りになったりとかっこよくて世話焼きな虎爺が一番好き。

2018-04-18

木古内という田舎に、ホテルが建つらしい

まず、木古内というのは、北海道の南、函館松前の間くらいにある小さな町です。

少し前に北海道新幹線が開通し、駅前はガラッと変わって整備され、

道の駅じゃらん満足度1位に選ばれたり、

特徴を上げるとすれば、そんな感じの田舎の町なのです。

僕はここに20年近く住んでいます小学校から、今は無き高校にも通いました。

人口はどんどん減ってく一方で、お年寄りはどんどん増えていくような、そんなところ。

でもローソンセコマセブンイレブンコンビニがそろってる上に、

病院スーパーも2件あって、昔ながらの商店も、飲食店銀行もある。

個人的にはとりあえず住む分には不自由しないかな、とは思っています

日常生活を送る分には十分な規模の町です。

でも、わざわざ他の町から来る人はあんまりいない。

いたとしても、近隣の町からスーパーに買い物に来たり、病院に通う程度。

新幹線が通るまでは、そんな感じでした。

新幹線が通って、駅前が整備されて、道の駅もできたおかげで、

知内のカキニラ祭りに行ったり、松前花見に行ったりするときに通りすぎるだけの町から

通り道だしついでに寄る、道の駅があるし行ってみる、車を止めて新幹線内地に遊びに行く、

そんな町に変わりつつあるような気がします。

駅前を歩く観光客だとか、駅から歩いてきたような人たちがみそぎ浜にいる、なんて光景

少なくとも新幹線が通って道の駅ができるまでは、あんまり見かけることがなかったのは事実だと思うんですよね。

個人体感であって、正確な統計なんかはないからなんとも言えませんが。

まあ、そんな感じで、賑わいとまではいかないまでも、

以前よりはお客さんが増えつつあるこの町に、ホテルが建つらしいのです。

個人的には「いいじゃん!」と思っていたのですが、

家のポスト反対運動チラシが入っていたり、SNSでも微妙な反応を見てしょんぼりしつつ、

現状を整理しようと匿名のこの場所に記することにしました。

記するというよりは、所感を散文したという感がありますが。

新幹線開通の時にも色々ネガティブな話はあったような気はします。

まあ確かに、こんな田舎新幹線が通ったって誰も乗らないんじゃないか?って一理ある。

でも僕は旅行好きの人間で、美味しいものが好きです。

木古内から新幹線に乗って、青森仙台には何度も足を運んでいます

青森には世界で一番美味しいと思えるアップルパイがあり(個人の感想です)、

仙台牛タンは一食2,000円とか強気だなと思いつつも、美味しいから惜しまお金を払ってしまます

木古内から新幹線に乗って内地に行けることの一番のメリットは、

遠い函館空港まで車で移動しなくていいこと、と僕は思います

行きはともかく旅行帰り、空港に帰ってきてそこから車で木古内まで帰るのは、ちょっとしんどいものです。

話はそれましたが、そんなふうに僕は木古内町に新幹線がやってきた恩恵を、

いっきり受けている人間なので(台風飛行機欠航し、新幹線乗り継ぎで大阪木古内へ移動もしたことがあります

新幹線ホーム自分以外の乗車客がいないと寂しいと感じはしますが、

新幹線については無駄だったとは思わないし、これから未来も、必要性もあると考えています

積極的宣伝なんかを続けていかないと、在来線みたいに廃止なっちゃうかも、

なんて危機感をうっすら抱いていたりもしますが……。

さて、ここでホテルのこと。

現状、木古内町にも宿泊施設はあります

正直、木古内町に住んでいてわざわざ宿泊施設を利用することはないけれど、

付き合いなんかで中を見たことはあるので、どんなものかは知っています

木古内町の宿泊施設はこれまで観光客をメインに泊めて来たわけではなく、

工事関係者なんかの寮みたいな感じで使われることが多いとは思うのですが、

それにしても、新しい宿泊施設ができて、そっちにお客さんを取られてしまう!という気持ちは、

充分に理解できます。僕が当事者だったら頭を抱えます

でも、そこで町を叩くのは違うんじゃないか?と思ったわけです。

しろ町はこんな田舎によくホテルなんか誘致したな!どうやったんだ?!と思うのですが、

反対運動のチラシには、町民の税金をどうのこうの、と書かれていました。

でも町が完全にお金を出すわけじゃなく、

資本金は町内の企業が集まって設立した会社から出るのですよね?

運営ホテル業者委託するみたいですが、町が緩和する固定資産税?だったかは、

木古内町に移住する人ならだれでも受けている恩恵のはずですし、

町に来てもらうために手を貸す、というのはおかしなはなしではないと考えます

すでに木古内町にある宿泊施設からしたら、新しい所にお金を出して、

自分たちは放っておかれるんだ!って気持ちがあると思うし、

そこは平等に町もどうにかすべきなんじゃないかと思っていたら、

SNSの反応を見るにそちらにも補助金が出るらしいし、

(確定情報ではないので、違っていたら申し訳ありません)

それでひとまずは平等なのでは?と思います

それ以降はホテルだって色々独自宣伝サービスなんかで

生き残っていけるよう頑張るだろうし、

既存施設もこれまでと同じではいられないのだから

どうにか知恵を絞りだして頑張るしかない。

ホテル側には新しい施設というアドバンテージがあるけれど、

既存施設には地元の固定客っていう強みもある。

個人的にはお互いこう、

協力していけたら一番なんじゃないかなあと思うのですが、

反対運動の感じを見るにうまくいかなそうなので、

木古内町に住む一個人としては、こんな小さい町なんだし、

仲良くとはいわないまでも、うまくやっていけないもんかなあと思います

さて、僕個人としては、木古内町にホテルが建つ事について、

すでに述べた通り「いいじゃん!」と今でも思っています

ビジネスでも観光でも各地のホテルなんかにまり歩いてれば、

わかることなので、はっきりいいますが、

現状、木古内町にある宿泊施設は、

よくある駅前ビジネスホテルよりも劣っていると感じているからです。

接続とか、徒歩1分以内!などの一等地ホテルを示しているわけではなく、

から徒歩10分、ネットホテルを探すとき価格の安い順」検索をして、

上の方に出てくるような、そこそこ安価ビジネスホテル比較しています

もちろん、従業員の人柄やおもてなしなんかで満足度は大きく変わると思いますし、

資金がないから改築なんかできない、となると、

そこは満足してもらえるよう頑張るしかないのかな、と思うのですが、

僕は経営専門家ではありませんので、このあたりは控えさせていただきます

でも、新しい施設でなくたって、繁盛しているところはたくさんありますよね?

個人気持ちとして、もし遠方からの知人や友人を招いたとき

木古内町の宿泊施設に泊まらせてしまうぐらいなら、

我が家で泊まってもらった方がいいかな、と思います

見栄じゃないんですけど、そしてきっと、

もしここを既存宿泊施設関係者の方々がご覧になったら、

「なんてことを言うんだ!」とお怒りになるのも覚悟のうえで述べますが、

今ある宿泊施設に友人を泊めて「こんな程度のところしかないのか」と思われるのが、

ちょっと恥ずかしいなと思うのです。

いや、だからと言って、新しいけど単なるビジホに友人を泊めて、

「どうだ!僕の住んでいる町はいいところだろう?!」と胸を張れるかというと、

それは否、なのですが。

言葉を飾らずに言うと

「都会ほどのものとは言わない、まともなビジホ一軒ぐらいあったほうがいい」

あと、個人的には反対している既存宿泊施設の方には、

各地のビジホや旅館を見てきたほうがいいのでは、と感じます

赤字赤字と町を責める言葉を拝見しましたが、

身銭を切って投資をしなければ、今後落ちぶれていくだけです。

木古内町には知内町のニラのほどの特産物も、

函館ほどの絶景もありません。

どうにかして、道の駅だけでなく、木古内町に訪れてもらうきっかけを作ろう。

そう努力している町は頑張っていると思うし、

そこに手を上げた企業の方々は、これから頑張ってほしいと思います

もちろん既存施設には日頃お世話になっていますので、

これからも頑張ってほしいな、と思うのです。

非難の声を上げるだけではなく、前向きに受け止めてほしいな、と。

2018-03-05

青森りんご

以上の県名と特産物が結びつくしりとりはあるだろうかいやない

2018-01-26

[] #48-2「本当にあった嘘の話」

≪ 前

私がとある森を歩いていたときのことだ。

かなり大規模なキャンプ地を見つけたのさ。

私は気になって、その中の一人に「何でこんなところで、大人数でキャンプを?」と尋ねた。

すると「今は休憩中なんだ。我々は安らかに過ごせる定住先を求めて旅をしている」と答えたんだ。

私はそれを聞いたとき、疑問に思ったね。

だってそんな地を求めるのは、あまりにも非現実的からだ。

彼らには独自文化があり、他の文化を持つ村や町で定住することは難しそうに思える。

それに、彼らの年季の入った馬車の風合いから、長年旅をしていることが読み取れた。

このままじゃ一生無理だと思った私は提案したんだ。

「定住先を見つけるのではなく、あなたたちで作ってみてはどうか」と。

彼らにとって、それは意外な提案だったらしい。

そして、定住先を求めて旅をするよりも遥かに難しいことだと思っているようだった。

私は「何ならあなたたちが今いる、この森の中に作ってしまえばいい」と言ったが、彼らは笑った。

なぜなら、彼らの摂っている食事は主に肉。

その森には食べられるほど大きな獣はほとんどいなかったんだ。

そこで私は、自分の持っている袋からリンゴの種を取り出した。

「食べられるものは肉だけじゃないよ」と言って、彼らに開拓のためのノウハウを叩き込んだのさ。

もともと各地を練り歩けるほどの身体精神を持つ人々だ。

その気になれば、あっという間だったよ。

そうして、その森は立派な村となり、今ではリンゴ特産地として有名な町にまで発展したのさ。



「へ~、すごいね叔母さん」

「ふふん、まあね」

話が終わり、叔母さんは少し悦に入ったような顔をしている。

弟も感心しているようだったが、俺の顔は歪んだままだ。

なぜかというと、これまで俺は叔母さんの話を、弟よりも何度も聞かされている。

さすがに“傾向”というものが分かってきたのだ。

「叔母さん。その話、“盛ってない”?」

「何でそう思う?」

「いつの話か知らないけど、叔母さんが冒険するようになったのって十数年ほど前のことでしょ。開拓の話なんて、もっと昔のイメージなんだけど」

「いやいや、自分尺度常識を測るもんじゃないよ」

特に気になるのが、リンゴの種が出てきたあたりだね。それってアップルシードのパクりじゃん」

俺がそう指摘すると、叔母さんは途端に沈んだ表情をする。

そんな露骨に態度に出たら、認めたようなもんだぞ。

「へえ~、アップルシード知らないけど、今の話ってパクりなんだ」

「“リスペクト”と言って欲しいね

挙句の果てに開き直ってきた。

「いいかい、これは『とりあえず話に興味を持ってもらう』ための話なんだ。だから多少の脚色はしないといけない。じゃなきゃアンタたちは聞く気すら起きないだろ」

こんな感じになるから、叔母さんの話を聞くのは嫌なんだよなあ。

「じゃあ、次の話をするよ。今度はちゃんとしたヤツだから

次 ≫

2017-12-01

スパ銭で男子小学生が言ってた

週末の習慣でスパ銭に行ってるのですが、私と入れ違いに男子小学生が出て行った。

以下、その際の会話。

DSα「帰ったらあれまたやろーぜ」

DSβ「あれってなんだよ?」

DSα「あれ、えーと、あのゲーム……もも……」

DSγ「桃鉄?」

DSα「そう!桃鉄!」

DSβ「うわっ!桃鉄とかちょーなついw」

DSγ「よし!桃鉄やろーぜ!」

DSβ「帰ったらな!」

桃鉄とかおっさんからしてもちょーなついんですけど。

まぁ、おっさん感想はさておき、上記の会話から個人的に得られた知見が二つかあります

厳密には上記の会話を聞いた後ググって得られた知見なのですが。

 

一つは、桃鉄の続編がいまだに作られているということです。

続編はもう作らないといったニュースを目にした記憶があるので、桃鉄日本地理特産物を知った身としては続編が出ており、さら子供プレイされているということは大変喜ばしいと思います

 

一つは、小学生にとっては一年前とはちょーなつい出来事だということです。

桃鉄の最新版2016年12月22日発売なのです。

まだ一年たってないのです。

下手をすると最後プレイしてから半年くらいしかたってないのかもしれません。

知ってた。

おっさん知ってたよ。

年を取ると時間が加速するの。

でも、一年前がちょーなついかぁ。

そーだよなー、一年前って一学年前だもんなー。

一年あったら小学生中学生なっちゃうもんなー。

そりゃ、ちょーなついよなー。

若いっていいよね。

 

追記

彼らにはまだ生えてなかった。

ツルツルだった。

おっさんといっしょだね!

2017-10-26

anond:20171026105713

そんなこと気にするなんて知り合いに韓国人でもいるのか

韓国のりとか、コチュジャンとか、よく知らないが、他の特産物を挙げつつ、それらはいいけどキムチは嫌い、と言う

2017-05-14

[] 那智

那智黒 (なちぐろ)とは、和歌山県東牟婁郡那智勝浦町周辺(新宮市三重県熊野市南牟婁郡御浜町紀宝町など)で

販売されている名物の黒飴のことである製造販売である那智黒総本舗の本社工場東牟婁郡太地町所在する。

  

1877年明治10年)創業和歌山県代表する観光土産でもあり、高野山等の門前町でも店先で良く並んでいる。

「黒あめ那智黒」の商品名で、株式会社那智黒総本舗が製造している。熊野特産である那智黒石で作られた碁石にちなんだ

お菓子として生み出された。鹿児島県奄美大島産の黒砂糖をふんだんに使用している。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%82%A3%E6%99%BA%E9%BB%92

[] のし

のし梅(のしうめ)は、梅をすり潰し、寒天に練りこんだものを薄くのし乾燥し竹皮で挟んだ山形県村山地方代表的銘菓

  

山形藩主の典医だった小林玄端が長崎での遊学中、中国人から梅を原料とする秘薬の製法を伝授され気付け薬として作ったのが

現在の『のし梅』の原型とされる。その後は夏場の民間薬の胃薬ないしは気付け薬として各家庭で製造されていた。

  

現在の形の「のし梅」を製造した祖とされているのが、創業文政年間の『乃し梅本佐藤屋』(山形県山形市十日町)。

日本三大修験山として江戸時代に盛り上がりを見せた『出羽三山詣』の参拝客の宿場町として山形市十日町近辺は栄えており、

菓子として『のし梅』を売り出したところ人気を博したという。

  

山形県紅花を主要な特産物として生産しており、その紅花口紅着物の染料として京都大阪方面を中心に高値取引されていた。

その紅花から赤い染料を取るのに梅の酸が使われていた為、山形市周辺は紅花と同時に梅も盛んに生産されていた。

梅は酸をとるためには青梅が良いが、完熟している梅だけを使用して作っている点では、農産物無駄なく使用できるために

のし梅は非常に理に適った特産品といえる。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%AE%E3%81%97%E6%A2%85

2017-04-19

特産既知外

クソ雑魚ナメクジであるので、無論ヤフー知恵袋であったり、しばしばトギャッターであったり、OKウェブであったり、増田であったりを見て時間をつぶす。すると、どこでも大体、定期的に同じことを繰り返す既知外が沸いている。

ここなら(また見えなくなっているが)アベ糖質であり、トギャなら放射脳電波であり、OKなら謎の弁護士粘着であるOKに至っては、5年以上毎日毎日続けているらしい(botによって抹消されるが、小一時間ぐらいは観覧可能で、たまに文言を変えてくるあたり双方ともにかわいいものである)。

無論自分もそうだが、自己顕示欲というものがあるが、程というものはあるだろう。如何な既知外はいえ、その無駄エネルギーを何かに転用できないものか(例えば発電とか)。

そして、なにより彼らは居を構えると決して移動しない。あの定住性も全く謎なのである

2017-03-14

人工知能から増田投稿工と堕す間螺買うの値右近時(回文

私の人工知能アシスタント

今日のALLOちゃんの豆知識

千葉特産落花生

落花生枝豆のように茹でて食べると美味しいですよ、ってさ。

リアル豆知識

ふーん。

そもそも、

落花生って生のものがあるのかしら?

知らないことがいっぱいだわ。

携帯メモしてたりする断片を

適当に結びつけて何か文章にしてくれる

賢いAIちゃんが欲しいなぁ。

そうしたら、

ある程度の草稿したためてくれたら

そこから手直しして投稿すればいいんじゃない

楽チンよ。

でも、

なんかそんなことしたら

スパミーな風味てんこ盛りの投稿なっちゃうわね。

もうちょっとしっかり考えなくっちゃ。

安直には物事は進まないわね。

案ずるより小野ヤスシよ。

うふふ。


今日朝ご飯

コンビーフポテトサラダサンド

タマサンドの2本立て。

そんなサンドイッチ映画があったら見たいわ。

今日デトックスウォーター

オロブランコダブルマーコットのミックスウォーラーよ。

どっちもカリフォルニア産のミカンなんだけど、

カリフォルニア蜜柑品種改良定評のある土地なのかしらね

結構新しい品種が出てきてミカン業界では

たまに噂になるのよ。

って、日刊ミカン新聞に載ってたわ。

業界紙よ。

うふふ。


すいすいすいようび~

今日も頑張ろう!

2017-02-06

日テレ番組が苦手

日本テレビ番組が苦手。

24時間テレビに始まり笑ってコラえてケンミンSHOW、行列さんま御殿等々……。

日テレ好きな家族テレビチャンネル選択権を有している関係で、嫌でも目にする機会が多くなっている。

なぜ、日テレの(特にバラエティー)番組が苦手なのか。

日テレ番組面白いしかし、どの番組優等生といった感じで、ある意味安心して見ていられるが、教科書的な規範を逸脱することは(あまり)ない。

安心感というのは、日本社会での常識価値観を、ちゃんと踏まえているということに尽きる。

ケンミンSHOWはそれが顕著で、特定地方公共団体に対する印象(常識価値観)を軸に、番組が展開する(Ex北関東は云々)。

しかし、その常識価値観のものにメスを入れるようなことはしない。むしろ偏見ともいえる常識を再強化しているようにもみえるのだ。

偏見を改めようとする試みも、「常識的に」行われるだけで、揺るがされることはない(Exしかし、素晴らしい特産物が云々)。

さんま御殿でのトークも、さんまの司会芸としてパターン化されており、ゲストの話はさんま理解できるレベルに調整され、結果としてわかりやす常識価値観に変換されて終わりである

鉄腕ダッシュにおいては、「古き良き」みたいな空気が漂う。

多くの番組教科書的過ぎて息苦しい。教科書的に振舞えと言われているように感じるのだ。世間一般感覚に従えと。

24時間テレビでの障がい者は清廉であれという言外のプレッシャー日テレ番組は、世間一般感覚を強化する。

デブデブらしく、ハゲハゲらしく、イケメンイケメンらしく。

日テレ番組は、そのズレを許さない。許されるのは、わかりやす教科書的なズレだけだ。

ブサイク美女結婚できたのは、ブサイク性格が素晴らしいから。

それが私にとっては気持ち悪くて苦手だ。私の観測範囲にある日テレ番組に限られているのかもしれないけど。

2016-11-29

まずいもの特産物の地域ってなんなの?

この地方では昔から鯉の養殖が盛んでとか言って無理に育てて未だになにかあるごとに食っているのバカっぽい。鮭を食え。ブリを食え。マグロを食え。地元からってそんなもん甘やかしてんじゃねえぞ。物のない時代ではないのだから美味いものを食え。あとヒジキもなんで未だに食われてるのかわからん

2016-11-11

国産のお肉

茶美豚(チャーミートン)「くりん豚がやられたようだな…」

LYB豚(ルイビトン)「ククク…奴はダジャレ四天王の中でも最弱…」

ありが豚「きょうわ豚ごときに負けるとは豚足の面汚しよ…」

ヒラリー氏敗北で「くりん豚」贈呈ならず 長野特産

http://www.asahi.com/articles/ASJC94SVDJC9UOOB016.html

おにくじゃぽねすく! http://zeushi-kun.jp/

http://anond.hatelabo.jp/20161110121525

2016-10-04

田舎の方がメシがうまいだって

田舎暮らしの俺が一言いっとくわ。

特産物や名産がある地域なら知らんけど普通田舎で良質な素材を仕入れるなんて無理なんだよ。

村で作ってる農作物は新鮮そうに見えるけど大手スーパー農産物の方が美味しい。

質は知らんけど味は間違い無く美味しい。全国を相手に生き残りをかけて日々しのぎを削ってるわけだし。

地域住人があれこれ考えて作った農作物なんてたかがしれてる。野菜というより原種の草を食ってる感じが近い。

村で作ってるの食べると土臭くて正直マズイ。すごく原始的な味がする。こういうのは都会の人が喜ぶんかね?

スーパーで売ってるのより美味しい素材を用意なんてできないか普通にみんな業務用の食材とか業務スーパーの物を使ってる。

たま〜に美味しいっていう店ができても調達コストや客の少なさを埋めるためにどこも高い。

美味しいと評判の店に行こうと思うと、田舎感覚ではお昼ご飯は1800円くらい、夜は3500円くらいを考える。

ほいでから田舎暮らしの人たちの給料なんて雀の涙で、お昼は吉野家とかなか卯とかで済ますし、そもそも外食なんてあまりしなくてどの家庭も自炊一般的

ディナーで外食なんてライフスタイル田舎ほとんど無いから、結果美味しい店があっても高くてあまり利用しないから潰れることが多い。

たまに都会に出ると、1800円でありがたく食べてたレベルが700円くらいのランチゴロゴロあってビビる

しか普通にたくさんそんな店がいっぱいある。

さすが都会は競争物流戦国時代を生き抜いてるお店が多いかレベルたかいなあ!っていつも感心する。

でも田舎にはそんな店はほとんどない。

田舎の方がメシがうまいのは都会の人の幻想でそうであってほしいという理想であり、旅行代理店ステマが効いてるだけだよ。

まあでも東京から見たら京都大阪でも田舎から、あるいはそういう事を指してるのかもしれないが。

2015-08-26

東京しかないもの

東京にいる時にはわからなかったんだけど、地方には…少なくとも今私が住んでいるところには、文化が無い。

結婚し、東京から地方都市移住した友人が言った。

そんなことはないだろう。地方には地方文化があるのではないか、と私は聞いた。

それはもちろん、あるといえばある。

特産もあるし、お祭りもある。

でもそれとは違う、発信するための土壌のようなもの

住んでいる時はそんなものがあるということすら気づかなかった。

言葉定義を今ひとつ理解できなかったが、少し会話しておぼろげなから言わんとしていることがわかってきた。

東京は何かをしたい人が集まってくるので、モノづくりをしたり、なにかをはじめたり、といったことがやりやすい。

また、悪目立ちしない。

それを文化的、というならば、東京にはお金も集まるし、ある意味そうなのかもしれない。

地方で同じことをしようとしても、東京よりエネルギー必要なのかもしれない。

あるいは均質化する地方都市、というような社会学的な要素も含まれているのかも。

東京にいる時は自分の店を持っていた友人は、地方の息苦しさに少し疲れているように見えた。

2015-06-22

http://anond.hatelabo.jp/20150622175542

そういう(日本で広く認識されている)その土地ならではの特徴を添えないとその国の人っぽさをアピールできないからだろ。

ドイツ人バームクーヘンが好きアピールなしで表現しようとしたら、言葉の始まりにグーテンダークだのダンケだのつけて後は日本語、みたいなやつぐらいしか表現方法がないだろ。

日本人日本人として表現するには寿司とかサムライ必要なのと同じ。日好きとか嫌いではなく、都合のいい記号として特産物は存在する。

2015-03-16

海神区へのふるさと納税(2)

海神区は発展を遂げた。もちろん、住民は増えない。こんな場所に住んでも幼稚園小学校もないし病院もないし、その辺は東京都にくっついているわけで、隣接する江戸川区おんぶにだっこである江戸川区には屋内型温水プールもあるのだ。高校生以上は210円で入れるよ。しかしそうではなく、複合ビルに住所を移す企業が増えたのである一流企業こそ動かなかったが、中堅規模の企業や、新興ベンチャーのいくつかがN氏の交渉力もあって地所を移してくれたのだ。

第二の転機は、そうして移転した企業ひとつに、総合メディア商社ラメイトが含まれいたこからはじまった。

このころ海神区は寄付の半額をお米券などでお返事していたのだが、当然ながらこんな埋立地でお米などとれるわけではないのである。お米券は全国共用のお米が買えるチケットだが、これは海神区が区の予算で購入していたのだ。

しかし、移転してきた企業からは様々な提案があった。おかえしは海神区の特産であるところの私の企業製品で送り返しませんか? というものである

あたりまえだ。彼らはそういう接触を求めて本社の位置を変更したのだから

N氏もこれに答えて「お返しが選べる海神区のふるさと納税システムを構築。Amazonの欲しいものリストのように選べるお土産海神区の新しい顔になっていた。

総合メディア商社ラメイトはここに一石を投じた。

いわく

声優アイドルイベントを行いましょう」

「大規模なものです」

握手会写真会も行います

江戸川区体育館を埋め尽くしましょう」

チケットは、抽選です」

抽選権利は」

ふるさと納税であたります

効果は一瞬で現れた。

ふるさと納税は、納税ではなくなった。いやまあ、言葉は納税だが最初から寄付だったのだ。しか寄付ではなく節税として使われてきた歴史があった。それが地元グルメ通販に姿を変え、再び節税となり、おもしろお土産自慢になり、いま、まさに欲望の宝くじとなった。

ふるさと納税をすると海神コインがもらえるのだ! 500海神コインで一回の抽選が茶ができますSSRがでるとコンサートに行けるよ!

何せ国の制度なのだ自治体を応援するのである

しかもN氏の狡いところは、税収の大部分をチャリティーとか何とか言って国連寄付してしまっているのだ。そんなところで金をがめつく絞らないでも、イベント実行委員会本部は複合ビルの中にある事務所なのである。使用料や企業からの税収で、海神区の財政健全なのである。ああ、いや、こんなに利益が出るのは自治体としては不健全かな?

このシステムの素晴らしさは、ありとあらゆるジャンルに応用が利くということだった。チャリティーという武器を振りかざし、海神区は芸能ジャンルへも踏み込んでいった。

ジャニーズが3グループ合同コンサートを」

宝塚特別公演を」

ベルリンフィルSSR乙女記念コンサートを」

AKB48海神祭を」

もちろんトラメイトもまけてはいなかった。

人気ソーシャルゲームアニメタイアップした。

海神区には小学校中学校高校もないのだが、深夜アニメ舞台となった海神区には小学校中学校高校もあるのだった(ただし名前は全部「学園」になっていて学校ではない謎の教育施設っぽかった)。

つの間にか複合ビルにはFM局「うみがみラヂオ」まで開設され、しかもこれは江戸川区葛飾区だけではなくインターネット経由で全国に視聴者がいるのだった。

海神区発信のイベント一年間4クール12か月52週の週末を埋め尽くした。若者オタクばかりではない。

30000海神コインでは千葉県コラボした梨狩りに参加できたりして50歳以上の有閑なみなさまに健康レジャー出会いの機会を提供していたのだ。

海神区はクールジャパン代名詞として世界にとどろき、納税という行政参加はついに娯楽と、そして何よりライフスタイルと一体化した。人々は自らが自らの収入の一部を預けるという行為ダイレクト地方自治体挙動に影響を与えているという実感をかみしめた。

それは、アイドルコンサートに参加して空気を共有する、自分たちがこのアイドルを育てている、その実感にお金を払っているファンが得ていた高揚とまさしく同じものだった。

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