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2022-06-18

熊野

anond:20220616175653

熊野市 - 三重県の市

熊野町 - 広島県安芸郡の町

岩手県 宮古市 熊野町(くまのちょう)

群馬県 太田市 熊野町(くまのちょう)

埼玉県 川越市 熊野町(くまのちょう)

東京都 板橋区 熊野町(くまのちょう)

富山県 富山市熊野・下熊野(かみくまの・しもくまの)

富山県 高岡市 熊野町(くまのまち)

富山県 黒部市 宇奈月町熊野(くまの)

富山県 中新川郡 上市町 熊野町(くまのまち)

石川県 輪島市 熊野町(くまのまち)

石川県 羽咋郡 熊野村(くまのむら) - 現 志賀町

福井県 小浜市 熊野(くまの)

岐阜県 岐阜市 熊野町(くまのちょう)

岐阜県 大垣市 熊野町(くまのちょう)

静岡県 磐田市 熊野(ゆや) - 住所表示では池田。「熊野の長藤まつり」で知られる。

愛知県 名古屋市 中村区 熊野町(くまのちょう)

愛知県 瀬戸市 熊野町(くまのちょう)

愛知県 春日井市 熊野町熊野町北(くまのちょう・くまのちょうきた)

愛知県 刈谷市 熊野町(くまのちょう)

愛知県 知多郡 武豊町 熊野(くまの)

愛知県 常滑市 熊野熊野町(くまの)

滋賀県 長浜市 高月町熊野(くまの)

滋賀県 蒲生郡 日野町 熊野(くまの)

京都府 京都市 左京区 熊野(くまの)

京都府 熊野郡(くまのぐん) - 2004年廃止

大阪府 堺市 堺区 熊野町西・熊野町東(くまのちょうにし・くまのちょうひがし)

大阪府 豊中市 熊野町(くまのちょう)

兵庫県 神戸市 兵庫区 熊野町(くまのちょう)

兵庫県 西宮市 熊野町(くまのちょう)

和歌山県 御坊市 熊野(いや[1])[2]

和歌山県 新宮市 熊野地(くまのじ)

和歌山県 田辺市 熊野(いや、2005年市町村合併の際に、読みを「ゆや」[3]から変更)

島根県 松江市 八雲町熊野(くまの)

広島県 福山市 熊野町(くまのちょう)

広島県 庄原市 西城町熊野(くまの)

山口県 山口市 熊野町(くまのちょう)

山口県 下関市 熊野町熊野西町(くまのちょう・くまのにしまち)

福岡県 筑後市 熊野(くまの)

長崎県 佐世保市 熊野町(くまのちょう)

大分県 杵築市 熊野(くまの)

宮崎県 宮崎市 熊野(くまの)

2021-10-13

anond:20211013144235

秦の始皇帝の命を受けた徐福は、不老不死の薬を求めて日本わたり

日本の各地には徐福暮らしたという伝承が残っている。冒頭で述べた新宮市徐福公園もその一つだ。ここには公園が整備される以前、江戸時代前期に紀州徳川藩初代の徳川頼宣の命でつくられた「秦徐福之墓」の碑が立っている


始皇帝も本気になった。徐福のいう三神山とは、蓬莱・方丈・瀛州(ほうらい・ほうじょう・えいしゅう)のこと。それは渤海の(遼東半島山東半島に挟まれ内海)の先にある神仙が住むとされた山のことである。さっそく徐福は命を受けて東の海へと出発した。その時には3000人の童男童女若い男女のこと)と百工(多くの技術者)と財宝に五穀の種子を詰めこんでいた。こうして船出した徐福一行が帰ってくることはなかった。「淮南衡山列伝」では、平原広沢(広い平野湿地)を得て王となったと記述されている。

この出来事紀元前219年頃のことと考えられている。日本ではようやく長い縄文時代が終わり弥生時代を迎えた頃である卑弥呼が登場するのは、ようやくこれから400年ほど後のこと。まだ日本には文字で記録されるような文明はなかった。そのためか『古事記』『日本書紀』には徐福に関する記述はない。

ただ不思議なことに古来より日本の各地には徐福暮らしたという伝承が残っている。冒頭で述べた新宮市徐福公園もその一つだ。ここには公園が整備される以前、江戸時代前期に紀州徳川藩初代の徳川頼宣の命でつくられた「秦徐福之墓」の碑が立っている。

20世紀後半まで伝説だと思われていた徐福

あくまで、伝承人物だったはずの徐福研究が活気づいたのは1990年代初頭からだった。長らく徐福は『史記』に記されながらも、存在疑問視されてきた。『史記』は歴史書として名高いが、一方で批判的な視点での読解が求められる書物である。なにしろ作者である司馬遷自分で見たり聞いたりしたことを書いているわけではない。徐福司馬遷の生きた時代からは100年あまりも前の人物である

史記』のほかに徐福記述がある史書は多かったが、話の荒唐無稽さもあって、あくま伝説上の人物という見方が強かった。

徐福上陸したと伝わる三重県波田

その認識が覆されたのは1982年のことである。当時『中華人民共和国地名辞典編纂に携わっていた徐州師範学院教授の羅其湘は江蘇省の連雲港市郊外に後徐阜村という地名があるのを見つけた。調べてみると、この村は清の初め頃までは徐福村と呼ばれていたのだという。

これを契機に秦・漢代の造船所跡などの遺跡も見つかり、にわか徐福実在性は高まったのである。今では、この村は廟も建てられ徐福生誕の地として観光地になっているという。

2019-02-14

13日午前1020分ごろ、甲府市川窪町の荒川ダム広場で、男女4人がテント内で倒れているのを荒川管理ダム事務所職員発見した。目立った外傷はなく、現場から練炭が見つかったこから山梨県警甲府署は4人が集団自殺したとみている。

 同署によると、死亡したのは、北海道函館市の30代男性埼玉県春日部市の50代女性千葉県柏市20男性和歌山県新宮市20男性職員によると、4人は遅くとも12日夕、広場テントを設置。近くには県外ナンバーの軽乗用車があった。発見時、毛布をかぶった状態だったという。

2017-05-14

[] 那智

那智黒 (なちぐろ)とは、和歌山県東牟婁郡那智勝浦町周辺(新宮市三重県熊野市南牟婁郡御浜町紀宝町など)で

販売されている名物の黒飴のことである製造販売である那智黒総本舗の本社工場東牟婁郡太地町所在する。

  

1877年明治10年)創業和歌山県代表する観光土産でもあり、高野山等の門前町でも店先で良く並んでいる。

「黒あめ那智黒」の商品名で、株式会社那智黒総本舗が製造している。熊野特産である那智黒石で作られた碁石にちなんだ

お菓子として生み出された。鹿児島県奄美大島産の黒砂糖をふんだんに使用している。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%82%A3%E6%99%BA%E9%BB%92

 
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