はてなキーワード: GOOGlEとは
人間は20点くらい失敗する生き物だからそれ前提動くシステムだと思っている
95点目指しちゃったもんだから受験が大変だし、部活はブラックだし、残業だし
それでイノベーションは起きない
欧米に比べると失敗に非寛容だよね
でもじゃあ受験戦争やめたらどうなるっておれはさらに没落していくとおもうよ
いま中国が必死にゼロコロナとかいって100点をもってこない人民をいたぶっている教育ママみたいなことをやっているが
社会主義においてママは95点じゃ許さないの、100点を持ってこいとしばかれる
改革開放で表面上は市場経済の論理を受け入れたかに見えた中国だが
ドラッグはあふれ、殺人事件は日本の数十倍、公教育は崩壊している
まともな掛け算もできない大人があふれているのに
アメリカの大学院にいけば頭のいい奴はみんな留学生/移民だってことがわかる
この60点の国の現状と、大学の100点留学生がとんでもないパワーをもたらすんだよ
ふつうだと大学が崩壊してまともな人材は育たないが、アメリカの一流移民でハイテク産業は
結果的にアメリカは寛容でありながらハイテクも維持できる国家になった
普通両立できないんだよね
移民だらけだ
AMDの社長も、nvidiaの社長も、googleの社長も、みんな移民だ
だけどそれで回ってるんだからすごいと思う
それで掛け算もできない高卒は子供バンバン生むから少子化の心配もない
アメリカは外国が育てた高等教育の上澄みを移民という形でとれるわけ
そら発展するよ
致し方ない。
暴力性という意味ではgoogleマップの会社の場所に狂人のレビュー(?)が付くのと同じなんだけど。向こうはgoogleの力で押し付けきっているが、そこまでの力が無いはてなだと普通にコメント非表示が選ばれるよなぁ…と。
しかし、Googleストリートビューで韓国の街並みを見ていると先進的な街並みは都会の中心部だけで、
少し中心から外れると日本人の感覚では軽く驚くようなボロボロの建物ばかりが目に入る。
人生でいろんなことを失敗してすっかり引きこもっている。
チャレンジは全て何がしかの躓きにより満足した成果がでなかった。
完ぺき主義だとか自己肯定感が低いだとかいわれるだろうが、上手くいかないことに疲れてすっかり学習性無力感のような状態に陥ってる。
解脱には日常の些細な成功で自分をほめろと喧伝されるが、些細な積み重ねは中ぐらいのチャレンジの失敗によって容易に瓦解するのである。そしてそれは以後の小さな成功による心への報酬も減っていくのだ。何回もな。
今回私は、長年の無収入状態を解消すべく小額でも金を稼ぐ気炎が幸運にもチャージ完了した。
対人の仕事は失敗が目に見えているので、接触が少ない気楽な仕事を探した。
とりあえず1000円でも稼ぎたかった。やや流行が終わり気味だがコロナによる置き配の増加でそれなら店員との接触のみで終わるそうだ。
がぜん気持ちが上向いてきた。
小額でも金を稼ぐと言う行動が次への気力を生むと確信していた。
配達動画も見た。店員や客とのややこしい柔軟な対応も少なそうで機械的に行動できそうだ。
自転車も幸いある。
いよし、調べは済んだ。
後は実費がかかるバッグを買うだけだ。無職には初期投資というのは厳しいが、虎の子の蜘蛛の糸の4000円だ。
店舗受け取り…はコロナで中止、か。amazonでの販売…も終わった?
これだよ!この躓きが心を砕いてきたんだよ!
先に確認しろ?そうだね!でも働く気が失せるという結果は一緒だよ!
つど修正しろと人は言う…。もちろんわかる。でもね。失敗で倒れた人の再帰の一回ぐらいは何事もなく平穏に成功したいんだよ。一度思い描いたとおりに成功すれば、次からは自信がついて多少の躓きにも軌道修正もできると思うんだよ…僕はね…。僕は今、倒れているんだ。
僕はただトントンと上手くいく経験をしてみたいんだ。4000円払って自転車こいで300円をもらう。ただそれだけ。虫のいい話だと思うかい。失敗や修正当たり前かい。そうだろうね。でもそうじゃないときもあるんでしょ。僕にはそれはもう思い出せないんだ…。
わかってるんです。amazonで似たようなバッグを買えとか。デビットカードを発行してGoogle Payを経由すれば買えそうだとか。
でもきっとまた届いたバッグの質や大きさを後悔したり、思わぬ見落としで支払いできなかったりでやっぱり買えないとかになるんです。これが経験則からの予測ってやつですよ。熟練の技ね。Google Pay調べても非接触型決済の話ばっかり出てわかんなーい!これは失敗するヤツですぜー!
あーやだやだやだなんにもしたくなーい!
安全の面だとカリフォルニア周辺はどうなのかってなっているし、
公共機関のバスにのって注射器の針が椅子の上に残ってないか気にしなきゃいけないとか、
福音派だったり、電気使用しないアーミッシュだったり、色々ある。
政教分離だって、日本からすると政治と宗教を分離して政治に宗教を持ち込むなってことだが、米国は違っている。
BLM運動のときだって、バイデンがメソジスト監督教会で膝をついてる写真を見ても、日本からすると意味を汲み取れない。
スーパーだって日本に比べて種類が多い。人種・宗教・信条で種類が増えていく。
数売れなきゃ維持出来ないはずだが、なぜか維持出来ている。
FANGを離れた人達を見ていると、お金持つとやっぱり働かなくなっている。
GoogleのPixelで、カメラ制御やらに苦しんでいるのを見ると、あれ日本と変わらなくね?ってなる。
いくら優秀な人が移民として世界中から集ってきたとして、よくその能力を活かせているなって。
論文団体を管理して、世界中から勝手に先端の内容を報告してくれるとか、
単一の理由ではないのだろうが、よく世界一を維持できてると思ってしまう。
まず「女叩き」の空気はコミュニティ(板・スレ)によって差異が大きく、男オタク全体で共有されていた文化ではないというのが大前提である。
それは「決まった連載枠を巡ってサバイバルさせられる」ジャンプのアンケシステムが背景にあり、
そのなかでテニプリやリボーンなどの腐女子人気の高い(男にとってはつまらない)漫画が枠を専有していたので、
「ジャンプは腐女子に媚びてつまらなくなった」「こんな作品は打ち切って俺たち好みの漫画を載せろ」といった批判が渦巻いたことによる。
ただし、これについては「ジャンプには昔から腐女子がついていてそれがネットで可視化されただけ(当時の2chにはその歴史を知らない厨房が多かった)」という指摘が正しいだろう。
ニコニコ動画の腐女子叩きコメなどはこの流れを汲んでいると思われるが、
「一人でコメントを連投できる」+「画面がコメントで埋まると実際以上にインパクトがある」というニコニコの特性には注意が必要である。
もっと広範な「女叩き」で有名なものとしては2007年頃に流行った「スイーツ(笑)」があるが、
これは「揶揄」にとどまるものであって、腐女子叩きほど切実な反感があったわけではない。
「腐女子叩き」と「スイーツ叩き」を繋げて考えるべきではないし、
もちろん2010年代以降のオタ・フェミ対立の遠因とすべきでもないだろう。
はてなに絡めて言えば「無断リンク禁止問題」というものもあった。
「リンクを張られるとGoogleに見つかる」からやめてほしいという腐女子と
「リンクは自由に張るべきものだ」とするはてなーが対立した問題である。
懐かしい思い出だが、まあ局地的な小競り合いと言うべきだろう。
無断リンクに限らず、こうした「男オタと女オタの小競り合い」は、確かにあちこちで起こっていたと思われる。
そして女オタのコミュニティはひとつひとつが小さく閉鎖的であるが故に、男オタからすると「小競り合い程度の話」が、
女オタたちにとっては「我らの穏やかな村を守るために侵略者を撃退した大戦争」と認識されている可能性もある。
ただし学級会などは昔から女オタのあいだで行われていた儀式だろう。
男オタから叩かれなくてもカップリングでひたすら内ゲバを繰り広げているのが女オタである。
男オタと比べて女オタの「好きなものだけを読みたい」「不快なものは見たくない」という傾向は顕著である。
「男オタに叩かれたから」というのはあくまで一因でしか無かったはずだ。
総じて、2000年代に「男オタによる女叩きが定着していた」とするのは極めて限定的な物の見方であるか、
あるいはガラの悪い2ch文化に触れて「私が女だから叩かれたのだ」と勘違いしただけのナイーブな認識である。
現在の史上最悪レベルに深まったオタ・フェミ対立と比べれば、2000年代の「腐女子叩き」などお遊戯にすぎなかったと言える。
群盲象を撫でるような過大評価をすべきではない。