はてなキーワード: 死体とは
ウクライナ政府側は市民が正規軍を攻撃することで生じるリスクをわかってて推奨してるのかな。ロシア軍が市民に反撃して犠牲者が増えると、西側諸国の同情とロシアへの怒りを集められるから、かえって万々歳?
ここまで考えてるとすると(市民が攻撃したら市民が反撃される想定をしてないわけがない)、かなりえぐいな。
国家指導部の最終目標は市民の命を守ることではなく国家体制を護持することなので、市民の命で国際世論を刺激して支援を引き出した方が得るものは多いんだろうけど、平和主義・人命尊重の日本人とすれば冷酷に感じられてしまうな。
現にイラクで街中から攻撃されることに神経過敏になったアメリカ軍は、ちょっとでも怪しいと感じた民間人の乗った乗用車やバスや民家や民間施設を銃砲撃しまくって多数の無抵抗のイラク市民(幼児や赤ちゃんも多数)を殺しました。ちなみにイラク攻撃による市民の死者は10万人で、ウクライナの被害とは比べものになりません。なぜかウクライナのほうが圧倒的に同情を集めてるけど。
日本含む西側メディアが「人間の盾」て言葉を使うときは、たいてい攻撃する軍隊(だいたいアメリカ軍)が現地市民多数を故意に殺害したときの正当化の言い訳です。相手国が市民を避難させず攻撃予定の戦場に放置したから悪いんだ、我々が攻撃したら仕方なく市民が巻き込まれてしまったんだ、ていう。今のロシア政府の主張と完全にいっしょ。
鋭い
ウクライナでは400人の市民の死体に「国際社会が衝撃」を受けてウクライナへの同情とロシアへの怒りが増してるけど、イラクで10万人の市民が殺害されても「国際社会が衝撃」は受けず、イラクへの同情とアメリカへの怒りがなかったのと対照的だ。
いかに「国際社会」の現在の反応が欺瞞に満ちてるかの証左だね。
欧米や日本のマスメディアがいう「国際社会」に含まれない中東や中南米やアフリカ諸国がウクライナ攻撃に冷ややかな反応をしてるのも理解できる。
ついさっきまで映画を観ていた。
何人もの人が亡くなり、人を悼むシーンで思わず僕は落涙していた。
素晴らしい映画だったと感慨に浸りながら、飲み物を取りに台所へと赴いた。
そこには蠢く黒い物体がいた。
ゴキブリだった。
暖かくなり始めたからだろうか。
今年になって、初めて見た。
僕は思わず近くにあった空のペットボトルを掴み、振り下ろそうとした。
ゴキブリは逃げなかった。
ただ触覚のようなものを、しおらしく垂れ下げていた。
直前で僕の手は止まった。
フラッシュバックする映像、記憶は僕が先ほどまで観ていた映画。
理不尽な死を悼む人々の姿。落涙する僕の姿。
僕は眼前に意識を戻した。
ゴキブリはまだいた。今にも動き出そうとしていた。
一瞬、僕の中にふつふつとした怒りのような殺気が沸き立った。
僕はペットボトルを振り下ろす。
手ごたえ。感触があった。ぬめぬめと、粘り気のある液体がペットボトルを伝い僕の腕に感触をもたらしたかのようだった。
僕はゆっくりと腕を上げる。ぐちゃっとした死体がそこにはあった。
手が震えていた。こんなことは初めてだった。
僕は嘔吐した。
流しに向かって。
僕は後悔した。
潔癖症ではなかったはずなのに。
もともとが1941年のブロードウェイ演劇作品。ニューヨークのブルックリンを舞台に、冒頭ではヨーロッパで戦争が始まったけどアメリカは平和でいいわねえという、奇しくも時事性が出てしまった感じの会話で幕が開く。1幕目は「ハリーの災難」のような死体隠匿をめぐるお話が中心。2幕目になってからは主に殺人鬼の兄の処遇をめぐるお話……でいいのかなあれは。
ブラックコメディだの安楽死だのという触れ込みだから、なんかそういう社会派な中身なのかしらと思ったら、どうも本来はパルプ・フィクション的なゴシックホラーのパロディ作品だったっぽい雰囲気がある。フランケンシュタインとアインシュタインのコンビとかいうどうしようもないダジャレも出てきたりするし。作品のタイプとしてはラヴクラフトの「故アーサー・ジャーミンとその家系に関する事実」あたりが近いだろうか。主人公が自らの家族の秘密を知ることで、自分も呪われた血族の一員であることを知ってしまい絶望するが実は……というあらすじ。アメリカらしいピューリタン的な価値観が色濃く残る社会での実は私生児だったぜヤッホーというオチは「緋文字」とかあのへんのパロディとして見てもだいぶ面白い。というかお前牧師の娘と結婚しようとしてるのに私生児で大丈夫か?
ただまあそのへんのアメリカ文学的な骨組みはコメディとしての演出で追加されたドタバタ劇でうまいことカモフラージュされてる感じがなくもない。まあ、呪われた血族ネタは今となってはクリティカルにポリティカルコレクト案件だし、作品の賞味期限的にも相当ギリギリな感じもするからね。精神病院収監オチなんて今時バットマンじゃないと許されないのでは(偏見)。
コメディとして見た場合、流石に古い作品だけあって笑いのテンポがのんびりしている感じがあるが、そこはまあ演出と俳優の力で追加されたドタバタ劇でだいぶ補強されている。まあ観客の大半はこっちを期待して見に来ているようなものだろうし。自分もまさかアメリカンゴシックホラー的なものが見られるとは思っていなかった。
2幕目で劇作家を目指すアルバイトの警官がメドレー一人芝居を披露する場面があるのだけれど、これがなかなかに見事。瞼の母から、こいつは春から縁起がいいわえで三人吉三、平手がどうとか言っていたからたぶん天保水滸伝、それとおそらく一本刀土俵入りと続けざま。演じているのはの嘉島典俊という人。ぐぐったら歌舞伎の経験も大衆演劇の経験もある人らしい。新橋演舞場という和風な舞台を生かした実にいいものだった。
「ぼけ酒」というのがキーアイテムとして出てくるのだけれど、飲むとボケるとかそういうのではなくて、梅酒の要領で木瓜の実を漬けた果実酒のことらしい。子供の頃によく飲んでいたというセリフがちょいちょいあって、そういやうちの親も梅酒を水でうすめたやつを昔はみんなジュース代わりに飲んでたと言ってたっけなあと思ったり。
「えーっ」
「自殺ですか。ハハハ、ただのバカですね。クズらしくっていい最期なんじゃないですか?勝手に死んだのに、俺らのせいにされちゃたまりませんね。人のせいにする変なメモ置いたりしてそう。あー、そもそもあんな低能にそんな知恵ないっすね!ハハハ!」
「えーそりゃ残念ですね…なんか悩みとかあ…(ほかの人に「んなもんあるわけねーよ」と言われて)そうですか…大変ですね…」
「当然の帰結です。こちらはさんざん手を貸して、しんどかったら頼るように何度も言いました。でも頼って来なかったのは彼です。まあ、いざ頼ってきたところで蹴散らしますがね。自分の仕事くらい自分で片づけなさいよ。自業自得ですわ。死んだなんて単なる逃げです。他人の気を引いているつもりなんでしょうか。死んだのは完全に自己責任です。それで、こんなことで自分が過去にしでかしてきたことの責任が取れるとでも思っていたのでしょうか。被害者(注:顧客のこと)に賠償の一つでもしたんですか。しないで自分だけ逃げるんですか。幸せですね。あんな人より苦労している人などごまんといるのに、視野が狭い。死体を片付けるほうの身にもなれないんですか。いろいろ手続きだってめんどくさいのに、それをするほうの気持ちも想像できないんですか。死んでまで人に迷惑をかける自分勝手なカスのために手を動かすなんてまっぴらです。まあ、それも仕事というなら、粛々とやりますが。」
「あーあ。死んじゃったね。」
「さて、顔でも拝んできてやるか…」
男の死体の山を映すべき