はてなキーワード: 夏目漱石とは
夏目漱石がI love youを月が綺麗ですねと訳した、とする珍妙な話は完全に頭の悪い人間の発言です
まずそもそもこの発言は後世の創作ですが、その創作の意図すら理解できていません
小説の一部のシーンで”I love you”という発言の訳として「日本人はそんなこと言わない」と言うのが正しい訳になります
例えば日本人は家に帰ると「ただいま」と言いますが米国人は特に決まり文句がありません
なので場面によって発言は様々で、例えば「ママ、アイスクリームまだある?」って言うこともあるでしょう
この訳を1つだけ見て「”ただいま”の英語訳は”ママ、アイスクリームまだある?”なんだな」という勘違いをしている、というのが
いわゆるI love youの訳として「月が綺麗ですね」を使っている状況になります
大変恥ずかしいですし月が綺麗なときに「月が綺麗ですね」を言いにくくしているので、今すぐこの誤用をやめて頂きたいと思います
いつも思うんだけど小説に「文学的」と言われる表現は要るのか?
たとえ悪いかもしれないが「月が『煌煌と』輝く」の煌煌みたいなやつ。
小説で大事なのは作中の誰がどうしてそれに誰がどう思うかという部分がどれほど面白いかだけじゃないのかといつも思う。
風景の描写とかで技巧的な比喩を使ったり小難しい言葉を使うのはあくまで「詩」の分野であって、それは文学的というよりは詩的であるに過ぎないんじゃないかと。
複雑化すべきはプロットそのものであってそれを伝える表現を複雑にする必要はない。表現はむしろケータイ小説を見習うのがいいぐらいなのではないか。
作中の人間を動かすでそれは描写しておかないと説明不足になってしまうみたいな風景や状況に限って最低限日常会話と同レベルの言葉で伝えればいいと俺は思う。
夏目漱石のこころにしても表現自体よりもそれが示す人間ドラマの方がはるかに奥深い魅力があるわけで。別に表現自体の技巧はなくてもよい。
技巧面で詩的な表現にこだわって考えあぐねて筆が止まるぐらいならそんなもの投げ捨てて書きたい人間模様だけを書き進めればいいと思う。
松山市議会の決算審査特別委員会は15日、2021年度一般会計決算を不認定とした。市が国からの補助金で呼び寄せた教員による小説「坊っちゃん」の内容が不適切だと判断した。
市議会事務局によると、決算の不認定は04年度の一般会計(審議は05年)以来で17年ぶり。採決では認定と不認定が7対7の同数となり、委員長裁決で不認定となった。
争点となったのは、夏目漱石氏の給料800万円。討論で佐藤秀靖氏は「松山市をひたすら田舎として書いており、市のイメージを落とす」と主張。一方、認定の意を示すため起立したある委員は「あくまで小説の中の話。一部分だけを切り取って議論するのはよくない」とした。
市長は取材に対し、「不認定は非常に残念な結果。表現の自由に介入して指摘するのは遺憾だ。委員会などで出たさまざまな意見については今後の参考にしたい」と答えた。
夏目漱石が英語教師をしていたころ、教え子が「I love you.」を「我、君を愛す」と直訳したところ、「さかなクンはそんなことは言いません。魚卵をぎょらんなさい、とでも訳しておきなさい」と指摘したそうです。
青空文庫に掲載済み→ https://www.aozora.gr.jp/cards/000207/files/357_22446.html
正直、10人が読んだら9人以上は「面白くない」と言うような気がする。
でも、大人になって以降、自分にとっては、あらゆる小説の中で『外套』が最高峰にある。
箸にも棒にも引っかからないような人間に、どれだけの尊さが詰まっているかを、これ以上ないほどの解像度で描いている。
訳注を入れても文庫で53ページしかない短編なので、読んでもらえたら嬉しい。
青空文庫に掲載済み→ https://www.aozora.gr.jp/cards/001799/files/56638_61335.html
大人になるとわからなくなってしまう、子供から見た世界を、世界中の誰も真似できないくらい生き生きと描き出している。
ただ、そのせいで、この作品の真価を理解できる大人はとても少ないと思う。
自分はこれを小学生の時に読んで、この作品は大人の文章力としても凄いくらいなのに、子供の感覚をあまりにそのまま、手触りや空気まで再現されてしまうくらい鮮烈に、それこそ子供が一心不乱に遊ぶ時のような底なしの没入感で描いていて、恐怖を覚えるほど驚き感動した。
それなのに、中学生の時にはもう、読み手としての解像度が決定的に劣化していて、以前ほど理解できなくなってしまった。
でも、例えば夏目漱石はこれを読んで「子供の世界の描写として未曾有のもの」と激賞したらしいから、わかる人もどこかにはいるだろうし、なにかのきっかけで子供の人に伝わると嬉しいから、書く。
旧字で旧仮名使いの古い本を読むわけでもないのに、どうしても活字の本の中での描写が頭の中でイメージしきれない。
読めない本の種類としては圧倒的に小説が多い。
一番の問題は、風景などの視覚的な描写を頭の中でしっかり思い浮かべるのができてないことだと思う。
知識が足りてないという事もあるし、ひとつひとつのパーツは理解できてもそれを頭の中で映像化するのが難しいのだ。
例えば
私は墓地の手前にある苗畠の左側からはいって、両方に楓を植え付けた広い道を奥の方へ進んで行った。 するとその端れに見える茶店の中から先生らしい人がふいと出て来た。
夏目漱石はかなり分かりやすい素直な文体の作家だと思うけど、自分にはこういったちょっとした描写ですらイメージするのが難しく感じる。
墓地は思い描ける、苗畑は普通の畑とは違うのか?と不安になったのでググった画像で補完するがまあ大丈夫。
楓、広い道、茶店、どれも単体では想像できるけど、問題はこの光景が俯瞰で見えない、地図のように絵を描こうとしてもかけないのだ。
まず「左側」でつまづいて、苗畑と広い道の位置関係もわからない。
漫画ならこれらが全て背景絵として描かれてると思うので、なんの引っ掛かりも感じないだろうと思う。
小説だと光景を事細かに描写する必要もない場合もあるわけで、そういう時はある程度読者が好きにイメージすればよいんだけど、自分の場合あまりに曖昧にしかイメージできなくてその場面の全てがぼんやりしたものになってしまう。
小説自体は、場面ごとの描写がはっきりと頭の中で映像化できてなくても読み進めることはできる。
でも頭の中で映像化されていないとぼんやりした空間に登場人物がそれぞれ現れるだけという味気ないものになる。
ミステリー小説なんかでトリックとして建物の構造だとかが描写されてる時もだいたいよくわからない。
特に空間把握能力が著しく欠けているのかなとも思う、実際地図を読むのは下手だし方向音痴だし。
ただそれだけじゃなくてちょっとしたディテールとかも掴めない事が多いし、それが気になって中々先に進めなくなったりする。
小説の中で描かれる描写が、全部ちゃんと自分の頭の中で思い浮かべることができたらどんなにいいだろうと思う。
でもどうしてもそれができなくて、結局集中しきれず最後まで読みきらないことが多い。
子供の頃からあまり読書はしてこなかったし、漫画ばかり読んでいた。
今は漫画はたくさんあるから漫画でいいじゃんと開き直ってもいいんだけど、やっぱり小説をもっと読み込めたら楽しいんだろうなと思う。
なにか特訓の方法などあるんだろうか?
追記:
コメント色々ありがたい。
一番驚いたのは「そこまでイメージする必要はないのでは」という意見が多いことだった。
みんな小説など読んでる時は頭の中である程度具体的にイメージしながら読んでるものだと思いこんでいた。
ただ、言われてみれば登場人物の顔はおぼろげなまま読んでるのにそこは気になってないとか、自分の中に矛盾もあることに気づいた。
アファンタジアではないかという意見もあり、初めて知った言葉だけどこれも興味深かった。
自分がアファンタジアかどうかは分からないが、記憶をイメージとして思い出すことはできるので、そういうのとはちょっと違うのかもしれない。
増田は結婚したくないけど、結婚を断って自分のQOLが下がる事も許せない正直な人間。
根本的な原因はまず自分の経済力やルックスに自信がないこと。増田がよりどりみどりのモテモテだったら、この人以上はいないなんて思わない。その割に自治体の補助金や支援策、iDeCoとか調べてなさそう。
ウィリアム・シェイクスピアも夏目漱石もスティーブ・ジョブズもジョージ・ルーカスも既婚者なので、作風の陳腐化を恐れるなら永遠にルーティンが続く独身の方がネタ切れに苦しみそうな気もする。
一つ言えるのは、両親がお互いにベタ惚れかそうでないかによって、生まれてきた子供の自尊感情やコミュニケーション能力、対人関係の満足度が雲泥の差になるということだ。
自分の子供が弱者になる芽を摘みたいなら、会うのが毎日楽しみでたまらず、そばにいたら思わず微笑んでしまい、太れば愛する部分が増えたと思えるくらい好みのルックス(女は妊娠時太る)のパートナーを新たに見つけたほうが増田はいいと思う。
■教養を身に付けられる本を教えて欲しい。
この問いに答えるには先に「『教養』とは何か」ということをクリアにしないといけないと思うが、これを抽象的に論じ始めると喧々諤々の議論となって、増田の「本を教えて」という望みにたどり着かない。
しかし、日本の「教養人」と言われる人/自称している人たちの中で「教養」の範囲は割と共通していて、だいたい以下のラインナップに自分の専門や好みを付け加えたものになるのではないかと思う。
これはもう間違いない。およそ西洋で発展した学問は深掘りすればすぐにキリスト教にぶち当たる。
ただ日本でキリスト教について知識を身に付けようとしてもなかなか良い本が無いのが現状。(その辺で売ってる入門書は表面をなぞってるものばっかりなので読んでも誤解して終わりだと思う)
個人的には内村鑑三の一連の著作から入るのが分かりやすくて良いと思うが、古くて読みづらいかも。田川建三から入るのも面白いかもしれないけどどうかなぁ。
なお、「教養人」といえど聖書は誰も通読していないので、上記の本で引用されたところを拾い読みしておけばよい。
ひと昔前までマルクス主義はすべての学問を包括する「グランドセオリー」と言われていて、どんな問題でも切れる便利なナイフのように活躍していた。
その残滓が今でもあって、社会科学においては今でも学生が知らず知らずのうちにマル経用語を覚えさせられていたりする。
むかしは手に入りやすくてわかりやすい入門書が不破哲三のものしかなかったが、数年前のマルクスブームでたくさん良い本が出ており、個人的にはデヴィッド・ハーヴェイの入門書をお勧めしたい。(ただ抵抗が無ければ不破哲三の著作は今でも分かりやすくてよい)
みんなの憧れ『資本論』も上記入門書の傍らに置いてちびちび読んでみると良い。そこらの難解な哲学書に比べればぜんぜん読める。
マルクスをやればみんな歴史がやりたくなる。マルクス主義史観を学校で習った日本史/世界史に当てはめて、その切れ味を試したくなるからだ。
好きな時代や分野をやれば良いと思うが、「教養人」はみんな網野善彦と遅塚忠躬の著作が大好き(偏見)なので、ぺらぺらめくっておくと良いだろう(マルクス主義史観の多少の解毒剤にもなる)。
ウォーラーステインも読みたくなるが、長すぎて誰も通読していないので、川北稔のアンチョコを読んで、読んだふりをしておくと良い。
なお、第二次世界大戦については最近、川田稔『昭和陸軍全史』という誰でも読めるすばらしい本が出たので、知ったかぶりができなくなった。
文学となると何を読むか、ということになるが、サマセット・モーム先生が『世界の十大小説』というすばらしいアンチョコを出しているのでまずはこれを読むと良い。
そこで採り上げられている小説のうち、『カラマーゾフの兄弟』と『戦争と平和』は「読まなければ人ではない」という風潮があるので、せめて読んだふりはできるように。キリスト教の知識がここで生きてくる。
日本の小説では、夏目漱石についての柄谷行人の論考を読んで、日本の近代について一席ぶてるようにしておこう。
それと『失われた時を求めて』はとりあえず買って挫折するのが大事。
わが国では哲学について昔から「デカンショデカンショで半年暮らす、あとの半年寝て暮らす」という有名な言葉があり、デカルト・カント・ショーペンハウアーが昔の「教養人」の必須科目となっていたらしい。
ただショーペンハウアーがここに入っているのは少し不思議で、今ならニーチェが入るのではないかと思う。
どうせ正確な理解なんて無理なのだから、適当なアンチョコを読んで知ったかぶりができるようにしておくと良い。
なお、なんか知らんが日本人はヘーゲルが大好き(な割に誰も理解していない)なので、一応挨拶だけしておこう。
「教養」として名前が挙がることが多い一方で、まともに条文を運用できる人がほとんどいない分野。
上述してきた分野と違って、本を読むだけではだめで、指導教官のもとで実際の事例にぶち当たってトレーニングを積まなければならないので難しいのだろう。
下手に基本書を読んでも本職に知ったかぶりをすぐ見抜かれるので、時折ネットで話題になる法律問題について法曹の解説を読んで都度勉強すると良いだろう。
ここまで挙げた学問はいずれも西洋で発展したものなので、「日本にはなんもねぇのか」という気分になってくる。
こうした「教養人」が抱えるコンプレックスについて内田樹が『日本辺境論』という本で書いているので、ちょろっと見ておくと良いだろう(Amazonで1円で売っている)。
ここらで本居宣長とか丸山真男とかを読み出す人も多いのだが、どうせ不毛な作業になるので、視野を広げて中国思想・インド思想辺りに目を向けるのが良い。
「教養人」というのは大概文系であり、自然科学についてはからっきしな奴が多い。
自然科学の話題になると、トーマス・クーン『科学革命の構造』をそれらしく引用して逃げ切りを図る人が多いのだが、本職に馬鹿を見抜かれるので素直に勉強しましょう。
ヨビノリをはじめとした学習コンテンツがYouTubeに転がっているので、せめて高校数学と物理ぐらいはやっておかないといけない。
上述してきたような分野をやっていると、唐突に詩が登場したりして困惑する場面が多々出てくる。
論理的(笑)な「教養人」の中にはこれを不得手として敬遠する人が多いのだが、どこかで対決しなければならない。
幸いなことに最近、詩人の渡邊十絲子という人が『今を生きるための現代詩』という詩についての分かりやすい概論を出したので、一読した上で適当な詩のアンソロジーでも買ってくれ。
なんか知らんが「教養人」は映画が好きな人が多いので、ある程度は観ておかないといけない。
イギリスのエンパイアという雑誌が「史上最高の映画500本」という特集をやっているので、上から適当に観ておけば良い。
とりあえずこの辺を押さえておけば周囲からは「教養がある」という認定を受けるのではないかと思う。
ただ教養があったとしても「教養人」からマウントを取られる可能性が低くなるだけであり、「他人との会話が盛り上が」るなんてことはまず無いから気を付けて呉れ給へ。