はてなキーワード: 夏目漱石とは
5chの連投スクリプトが送ってくるグロ画像は、まあグロい。グロくなかったらグロ画像じゃなくなるからだ。人間がバーンしたり、ズギャーンしたり、バコーンしたりしてる画像がたくさんある。体感ではボコッが一番多い。
少し前になんJだかなんGだかで以前猛威を振るっていたのが、エロ画像スレを建てると見せかけてグロ画像を貼るというスクリプトだ。まあ、エロ画像とグロ画像は一文字違いだから大して変わらないかもしれない。
基本的に「巨」と「乳」をNGワードに入れるか性欲を捨てるかすれば簡単に回避できる荒らしだから、この害悪度の道を歩んだID腹筋スレみたいなのはあまり相手にされなかった。しかし俺は相手にした。「乳」をNGワードに入れることも性欲を捨てることもできなかったからだ。開いた。グロ画像だった。閉じた。開いた。グロ画像だった。閉じた。開いた。ID腹筋スレだった。一周回って安心感みたいなものを覚えながら、冷たい床に両手をついた。そんな風にして、流れ的に俺はグロ画像を踏みまくった。そして、「>>1 グロ」というレスを残した。
しかし、最初の数回の時点で、俺はスクリプトの異変に気付いた。スレタイ時点ではいつもと変わらず、「【悲報】おっぱいかけ算九九 乳の段」みたいなザ・電子ゴミって感じの益体もない文字列だった。しかしザ・電子ゴミって感じの益体もない文字列をタップした俺の目に入ってきたものは、グロ画像でもID腹筋スレでも、エロ画像でもなかった。
マグロだった。
紅とは言えないが赤とはいえるくらいの、少し薄い色をしたマグロの寿司が、スーパーか何かのトレイに入って、グロ画像の代わりに俺を見ていた。
目を擦ったしリロードもしたが、マグロはマグロのまま、低めの解像度で俺のスマホのディスプレイを占有していた。俺は仕方なく「>>1 マグロ」とレスして、その場を去った。
そのあとも、マグロは定期的に現れた。
スクリプトが何かの間違いを犯した、としか考えられなかった。俺が落ち込んでいる時も舞い上がっている時も、マグロは等しくそこに現れて、めちゃくちゃ美味そうというほどでもないが普通に食べられそうな外見で、俺に何かの感情を抱かせようとしてくる。その感情が何か知りたくても、俺は知ることができなくて、そのまま次のグロ画像ないしID腹筋スレへと旅立つしかなかった。
いつしか、俺はマグロを求めるようになっていた。やったエロ画像だと考えながら、あるいはどうせグロ画像だと考えながら開いたスレの>>1に存在するマグロを見た時の、あのどうしようもない感情に名前を付けたかった。十連ガチャを引いているような感覚もあった。いつしか、俺にとって「マグロは当たり」という考えが刷り込まれるようになった。スレタイがエロ画像である以上、当たりはエロ画像ということになり、そうなると三段論法でマグロはエロ画像ということになる。マグロはエロ画像だった。
あれから数か月、俺の観測範囲内では、偽装エロ画像スレを見ることもなくなってしまった。今のスクリプトは夏目漱石か何かから生成した支離滅裂な文章を連投したり、マグロ抜きのもっと厳選したグロ画像を連投したり、そういうことをするのに留まってしまった。けれども俺が夢の中とか、街角とか、ふと目に入ったネット広告とかで、ふと赤々としたマグロを発見した時に、何度でも去来する感情だけは、決して途絶えることもなく、延々と人格の中で残響している。
ああ、マグロ。
現在5chに出現するスクリプトには複数の種類があり、それぞれ特徴があります
ただし出現するスレッドは手動で決めているようで、野球スレには基本出現しない
よって「益虫ではないか」という意見もあるが、パート化しているウマ娘スレや遊戯王スレにも湧かないため「ただのオタクのなんじゃないか」とも言われている
住民は多少巻き込みをしてでも末尾dを丸ごと非表示にせざるを得ない状況になっている
ちなみにグロ画像の選定は過去に安価で「グロ」と書かれた画像から選んでいるため、ちょいちょいマグロの画像が混ざる
出現当初は書き込み数もおとなしめでグロスクリプトの影に隠れている存在であった
出現スレッドは完全にランダムであり、野球スレにも出現するスクリプトであるものの
「まぁ実況する分には無視できるしどうでもいいわ」という評価だった
なんG(J)民のアイデンティティである「やきう」を阻害するスクリプトと化している
末尾dだったりa(au回線)だったりM(貧乏回線)だったりする
画像は貼らないものの文字列の選定や出現傾向はグロスクリプトに似ているため同一人物による犯行ではないかと囁かれている
厄介なのは『末尾0』ということ
これは固定回線を示すIDなので丸ごと非表示にする対策を取るとほとんどのレスが見えなくなってしまう
こちらも末尾0
とにかく書き込み速度が半端ではないため出現するとスレッドは機能不全になる
出現するスレ傾向は未だ掴めず
歴史に学ぶ、というのはそんな簡単ではないと思う。そもそも、現在が本当にその歴史と同じ状況なのか?ということをまず考えなくちゃいけない。
かつてヨーロッパがヒトラーのズデーテン地方併合を黙認したのも、「歴史に学んだ」(そっちの方がうまく収まると考えた)からであり、結果的にそれは悪手だった(と政治学の教科書に書いてあった気もするが詳細はよく覚えとらん)
卑近な例で恐縮だが「歴史に学ぶ」といえるのは、次のようなミクロなレベルのものくらいしかないのではないか。
例えば、夏目漱石の時代は「小説なんて読んだらバカになる」と言われ、彼の小説も蔑まれていたと聞く。
今は「なろう小説」や「異世界転生もの」が盛んにバカにされているけども、それははたして正当な評価なのだろうか?自分も人間のよくある「新しいものをバカにする」習性にハマっているだけという可能性を考えると、簡単にバカにはできないように思える。
夏目漱石が「日本人は直接愛を伝えることは出来ない。どこか回り回った言い方をしてしまう」という例でその作品を上げたの。
その戯曲の前半にこんな場面がある。
窓辺に立つ二人、場面は夜。
女が何かを決意した顔で言葉を発するが風が声をかき消す。
男「今、なにか」
女「いえ、月が綺麗ですね」
どこかぎこちなく二人が空を見上げる。
男と女が窓際で話し込んでいる、場面は昼。
男「あの時、僕には勇気がなかった」
男「月が、綺麗ですね」
女が空を見上げてからハっとした顔をして男の方を向き直る。
男の顔には決意がみなぎりそっと女を引き寄せて口付けをする
こういう構成なわけ。
そのシーンをさして夏目漱石は「日本人がなんとか「I LOVE YOU」を表現しようとしたら、「月が綺麗ですね」みたいになるんだろうかねえ」と口にしたわけよ。
「夏目漱石は「月が綺麗ですね」となんか訳していない」という話から、「初出であるとされる70年代以前がどうだったのか知りたい」という話が出ていたので、Googleブックスを検索していたのだが、1962年刊行の『日本人の知恵』にこのような話があるらしい。
「私はあなたを愛しています(I love you)」
などとはけっしていわない。
「いいお月さんですね」
そして、二人でじっと空を見上げるだけで、意思は十分通じるのだ。
この『日本人の知恵』という本は、
ということらしいので、つまり1961年に朝日新聞に掲載されたのだろう。
それならば世間に広く知られたとしてもおかしくないと思われる。
もうひとつ、さらに遡って戦前の1935年刊行、笠間杲雄『沙漠の国 ペルシア アラビア トルコ遍歴』にもよく似た表現があるようだ。
第一、欧米人にとつては一生の浮沈を定める宿命的な宣言『アイ・ラヴ・ユウ』の同意語すら、日本語には無い。(中略)斯ういう意味を外国人に答へると、然らばあなた方日本人は、初めて男なり女なりを愛する場合に、どんな言葉で意志を通ずるのかと、必ず二の矢の質問が飛ぶ。私は答へる。我々は「いい月ですね」と言つても、「海が静かね」といつても、時としては「アイ・ラブ・ユウ」の翻訳になるのだと。
こちらは「いい月ですね」と「海が静かですね」が並列されており、あくまで「無数の表現のうちの2例」といった趣きではある。
さらに「I love youは日本語にうまく訳せない」という話に限っては、
「漱石文庫」に残された漱石のメモ書きの中に、ジョージ・メレディスというイギリスの小説家の作品を取り上げて、
"I love you,Signora Laura."―Vittoria p.113.
此 I love you ハ日本ニナキformulaナリ
と記した一節がある
これは漱石の英国留学時代のメモ書きだそうなので、1901〜1902年ごろに書かれたものか。
同様の主張が1922年に刊行されて当時のベストセラーになったという厨川白村『近代の恋愛観』に書かれている。
日本語には英語の『ラヴ』に相當する言葉が全く無い。『戀』とか『愛』とか云ふ字では感じがひどくちがう。" I love you "や" Je t'aime "に至つては、何としても之を日本語に譯すことが出來ない。
この厨川白村は夏目漱石の教え子で、漱石とは恋愛観について議論を交わしていたというから、これは夏目漱石の受け売りだった可能性が高い。
というわけでグルグルまわっているうちに夏目漱石に戻ってきてしまった。
夏目漱石が「I love youは日本語に訳せない」と言う
→その話が厨川白村を通じてよく知られるようになる
→「いい月ですね」とか「海が静かですね」とかそういうことを言うんじゃね?
→日本人は「愛しています」とは言わず「いい月ですね」と言うんだ!
→その話が朝日新聞を通じてよく知られるようになる
→なんかいろいろ混線して「夏目漱石がI love youを月が綺麗ですねと訳した」という話になる
みたいな流れが朧気ながら見えてくるような見えてこないような。
追記。
国立国会図書館デジタルコレクションで調べてみたところ、1908年の『明治学報』に掲載された上田敏「予の観たる欧米各国」という講演の書き起こしにこういう記述があった。
https://dl.ndl.go.jp/pid/1890371/1/24
日本では「我汝を愛す」と云ふことは言へない、日本では何と云ふかと云ふと、「私アナタに惣れました」と云ふ、それでは「アイ、ラブ、ユー」と云ふことに当らない、「我汝を愛する俯仰天地に愧ず」それはどう云ふたら宜いか、(笑声起る)、所が「私はアナタに惣れました」といふことは日本語ではない、さういふ日本語は昔からないです、だから日本ではそれをパラフレーズするか、或はペリプラスチック、言廻はして、「誠にアナタはよい人だ」とか何とか云ふ工合に云ふより外言ひ方はない、「私はアナタが好です」と云ふと何だか芝居が好きだとか、御鮨が好だとか云ふやうになつて悪いです、
上田敏は高名な英文学者で「山のあなたの空遠く幸住むと人のいふ」や「秋の日のヴィオロンのためいきの」などの詩訳で知られる。夏目漱石よりは年下だが、同時期に東京帝国大学で教鞭をとっていたこともあり、文学論を語り合う仲だったという。夏目漱石か上田敏かいずれが先なのかはさておき、どうも「I love youは日本語に訳せない」というようなことは当時の教養人のあいだで盛んに言われていたようだ。
https://dl.ndl.go.jp/pid/2348792/1/6
西洋デハ人ノ表情ガ露骨デアツテ 例ヘバ恋ヲ囁クニモ 真正面カラ アイラヴユー ト斬込ムガ 日本デハ 良イお月デスネー ト言フ調子デ 後ハ眼ト素振リニ物ヲ言ハス
ドヤ顔して言ってるけどまさに増田が示したような検証記事が出てからのドラマや漫画では「月がキレイですね」をダブルミーニングで使ってたとしても「夏目漱石がそう訳したから」なんてうんちくが一緒に語られることはなくなってるわ
英文学者の夏目漱石が言ったにしては違和感あるなと思ってたけど、
"I will excuse myself to you another time," said Vittoria. "I love you, Signora Laura."―Vittoria p.113. 此 I love you ハ 日本ニナキ formula ナリ.
なるほどなぁと思った。
都市伝説では「日本人はそんなこと言わないので、このように訳すべき」という逸話になってるけど、夏目漱石自身が考えていたのは「日本人はそんなこと言わないので、原文のニュアンスをそのまま伝えるというのは非常に難しい」ということのようだ。
タイトルで全てなのだけれども最低でも週に一度、多い時は連日これを枕や題材にする創作物などが多くて辟易する。
「月が綺麗ですね・死んでもいいわ」検証
https://niguruta.web.fc2.com/kensyo_kirei.html
https://twitter.com/IIMA_Hiroaki/status/666799218237923328
まさに都市伝説なのだが、どうしてこんなデマが広まっているのか。個人的にはEM菌や水素水に近いものだと思っている。
「あの有名文豪の夏目漱石はこんな素敵な訳をしたんだぜ」と教養があるように見せかけたいのかもしれないが、滑稽なことこの上ない。