はてなキーワード: ヲタとは
こどもにせがまれて、「無限列車」を観に行った。大人気アニメ「鬼滅の刃」の映画版。
みたあと、心のモヤモヤがはれない。というか、金赤のグルグル目が頭から離れない。
ふと気づけば、彼の目を思い出し、スマホを触れば名前を検索してしてる。まるで好きな人ができたみたい。相手はアニメの登場人物なのに。
アニメキャラに片思いっておかしいし、それにあの手の脳筋タイプの男とは気が合わないはず、って、アニメキャラと付き合う気なんかーい!
混乱。
数日経って、ようやく頭が整理できた。
多分、これが世間でいうところの、「萌え」「推し」という感情なんだ。すごいね、人間に片想いするときと全く同じ感情だね、これ。
子どもの頃から、漫画も小説もラノベもそこそこ摂取しているけど、キャラクターに恋慕する感情が理解できなかった。それなのに、ここにきて突然の落雷、開眼。
そっか、学生の頃、ヲタっぽいたち女の子たちがあつまって、アニメージュみながら興奮して語ってるの、あれって恋バナ、ガールズトークだったのか。ちょっと気持ち悪いって思ってごめん。数十年後の気付き。
最近は、公式じゃ足りなくて、二次創作夢小説まで読みだした。重厚で先の読めないストーリーが好きだったはずなのに、足をくじいてお姫様抱っこ!お風呂をあけたらまだあの方が入ってらした!偶然添い寝!みたいな、王道ラッキースケベを楽しめる自分に驚く。すごいな、萌え!推し!
これならBLもいけるかもとチャレンジしたけど、ページめくったとたん、煉獄さんの煉獄さんが昇り炎天してるのみて挫折した。
沼の淵に足をかけただけの私には、濃厚すぎる。
あの方と出会ってから、毎日がすごく楽しい。昨夜は、あとは寝かしつけるだけのこどもたちを旦那にお願いして、もういちど無限列車を見に行った。
こどもを置いて映画にいくのも、同じ映画を2度みるのも生まれてはじめてだったし、すでに知ってるストーリーを楽しめるのか不安だったけど、興奮したし、めちゃくちゃ肌が潤った。
もしかしたら誰か共感してくれるかも、という思いで書いてるので「だったら呼ばなければいいじゃん」というコメントが来るのは承知の上です。
それと、オタクを経験したことがない人間からしたらただの「オタクきめぇ」という文章なので「オタクきめぇ」と思ってもらって構いません。
私には8年ほど前から好きなキャラクターがいる。中1の時に姉の持っていた乙女ゲームをやったことをきっかけに好きになった。
今で言う夢女子に近いのかもしれないが、当時から少ないお小遣いを貢いできたしファンアートもたくさん描いた。勿論コンテンツは今でも続いていて今も好きです。
で、多分高校生ぐらいだったと思う。「推し」という言葉がアイドルのファン内だけでなく世間一般で使われるようになって、友達にもそのキャラクターのことを「推し」と表現するようになった。
それぐらいまでは良かったのだが、今は「推し」という言葉が広まりすぎたのか、そもそも「オタク」という概念がアニメや鉄道・アイドルだけでなく一般的ななにかに夢中になっている人のことを指すようになったせいか、本格的に恋愛感情は抱いていないが気になる周囲の人間のことを「推し」と呼んだり、とりあえず好きな対象がいれば「推し」と呼ぶ。若い女の子たちは女子同士でも使う。若者の間で流行語のように使われる「推し」という言葉は、本当に私の好きなキャラクターに当てはめてよいのかと思う。
もしかしたら共感してくれる人がいるか(いてくれたら嬉しい)分からないが、8年間ずっと好きでいた私のキャラクターに対する想いは友情や恋愛感情未満の感情とは全くもって異なるものだし、「推し」という軽々しい言葉に当てはめたくないと思ってしまう自分がいる。
今の夢女子の文化は8年前に比べてかなり洗練されてて、髪型やファッションに拘り所謂「推し」(「推しぴ」?)とのヲタ活をいかに映えさせるかが重要視されているという新しい文化がなかなか受け入れられないというのも一因なのかもしれない。(彼女たちの推しに対する気持ちを否定しているわけではありません。)
そもそも私がそのキャラクターのことを推しと呼ばなければいい話なのだが、Twitterでフォロワーと交流する際にもどうしても好きなキャラクターは「推し」と表現せざる負えないし、周囲の友人たちも好きなキャラクターのことは私の「推し」と認識しているので、そのキャラクターが私の「推し」だと言われると心のどこかでモヤっとしてしまう。
結局、「オタク」という概念が世間一般に広まってしまった以上「やおい」「ワロタ」「オワタ」等が死語になったように「推し」という言葉が死語になっても、また新しい言葉がどこかのオタク界隈からSNSを中心に世間一般で使われるようになる気がするので、これは仕方のないことだと思う。
いやべつに 本当に大島優子さんでなくても 関係者なら メンバー全員にかおわせすれば
1回2回はごさとする
けど
まともにAKBヲタとか芸能関係者ではなくメンバーから直接情報萌えていない
とか すさまじい 遅れても
という事実を どうやったら確認できなかったといえるのかがわからない
確認する気がなかった警察関係者が確認もしないで話をしたとしか思えない
事前確認0でつっこんでいった ぐらいの話題だって どうしておもわないんだろう
というより
芸大の関係者からの情報だったら ブリーチするマットアッシュって ここに書くわけないというより
かけるわけないって どうしておもわないんだろう
ということを 考えた場合に その情報を書けているという段階で
おれが 芸大 音大の 有意義な関係者ではなく 当然 逆算すると AKBの関係者とは これは無関係とはmではいえないものの
ブリーチするマットアッシュって 書けるって どうしておもわないんだろう
あぁ特権かぁ じゃぁ 俺に言ってもらえばって俺に教えた段階で
親友男にはあったその日くらいから仲良くてゲイな事も普通に言ってた。
ノンケなのわかってたけど、タイプだったので、鬱そうなときとか寝ないで相談聞いてあげたりとか、色々たくさん褒めて勇気づけたりとかしてた。ご飯おごったりもした。
向こうも好意わかってたんだと思う。ゲイじゃないからそういう好意は応えられないけど、いっぱい自分の話聞いてくれたし、いっぱい褒めてくれた。
まぁそんな彼も結婚してしまった。ちくしょーまーそうだよなーというかやっぱうなだれた。
よくドルオタや声優ヲタが「推しが結婚した、死にたい」って言ってる気持ちがなんかすっごいわかった。
親友と会う前は発展場とか行きまくってたのに、なんか親友ができてから自制して3年くらい誰ともセックスしなかったし、なんか「神様、ちょっとでもなんか報われてほしいです」って気持ちすごい持ってた。
微妙にインターネット老人臭いな、いまオタクがカジュアルになってきてるってのは、オタクでも恋をするための努力をしてるやつが一部いて垢抜けたやつがすでにそれなりにいるからだと思うが。
体型整えて、それでヲタ系で男女が集まる集まりに出歩くことでしょう。
二次創作ガイドライン設けてるジャンルが好きなら自分でなにかガイドライン範囲内で作ってみるのも一つだけどな。
なによりも「色恋は相互の承認欲求を満たすこと」という色恋の原則に振り返ることだわ。
自分が可愛いこちらをみて合わせてくれる女の子(男の子)を求めているように、相手もかっこいいこちらをみて合わせてくれる男の子(女の子)を求めてるんだよ。
どこを合わせられてどこを合わせられないかを自分の中で整理していく。そうして、自分にあって、相手が自分にあってると思えるという相手を見つける。
残念だけどヲタになった以上、普通の女の子に関わってもつまらないよ。基本的に向こうこちらに好きなのに合わせてくれないもの。
だけど、異性側ももてようと思えば、女なら男向けジャンルに合わせるし、男なら女向けジャンルに合わせるのが得策だってやつが少数いる。
昔から野球好きだのサッカー好きだのバイク好きだの車好きだのって女が少しいただろ?そういう女はそういうのに関心持てば自分がモテるから実際好きになったんよ。
けど起業は違うだろ。趣味でやるから楽しいんだよ。あんな物完遂しても個人事業主のおっさんだぞ。手堅く少々収入が多い目のサラリーマンのほうが職種としては持てるだろう。
私は字書きの同人女です。字書き歴1年にも満たない、弱小字書きの戯言だと思って聞いてください。お気持ち増田以下の文章です。
字書きをはじめたきっかけはぶっちゃけいうと、コロナです。コロナで自宅にいる時間が増えたことで「何か家で出来ることないかな~」と思いながらpixivで小説を読んでいた時のことでした。
(うわー、Aさんの作品めちゃくちゃいいな…自分もこんな作品作ってみたいな)と思うと同時に、(Bさんのこの話のキャラの反応、私ならこう書くのに…)という気持ちにもなりました。だったら、自分の理想の話を自分で書けばいいのでは?と、思い立ち見様見真似で1万字程度の作品を書きました(上にある作品の焼き直し、とかではなく全くオリジナルの別のテーマの話です)。
もちろん小説なんて書いたことないので、地の文が書けなくて悩んだり展開やオチなどは完全に手探りで書いた作品です。はっきり言って下手くそで拙いものでした。しかし、人生で生まれてはじめて書いた作品、愛着がわかないわけがありません。「自信はないけど、とりあえず私にもできた!」とめちゃくちゃ喜んだ記憶があります。
そして勇気出してPixivに投稿しました。閲覧が1から2になった瞬間、めちゃくちゃ嬉しかったです。この世界の誰かがよんでくれたのだと。そしていいねが1着いた瞬間はもう、今までに無いくらい嬉しかったです。
その後、書き方のコツみたいなものを段々つかみ、投稿のペースも上がってきました。書いても書いても書きたいネタが尽きません。執筆中はクスリでもキメてんのかってくらいテンション高いし、多幸感も半端ないです。こんなに楽しいことあるなんて知らなかった、なんでみんな教えてくれなかったの? と真面目に思っていました。小説書くのが最高すぎてずっとステイホームでもいいのに位に思ってました。
そしてふとあることに気づきます。同カプの方を見るとTwitterをやってる人が多いのです。私もやってみっか!と軽い気持ちで登録しました(リア垢と以前ヲタ垢を持っていたので初めてな訳ではありません)
これが悪夢の始まりですよね。私は数字の魔物に囚われました。現ジャンルは斜陽なので、すでにグループが出来上がってました。新規の私が来ても見向きもされません。まぁ、これはしょうがないです。
細々とツイッターにSSを上げたりしますが、ほとんどふぁぼはつきません。悲しいです。やっぱり頑張って書いたものだから読んでほしいじゃないですか。ここで自分の感情が変化したことに気づきます。今までは、書けるだけで幸せだったのに、Twitterを始めたことで評価が自分基準ではなく他人に受渡してしまったんですね。
数字とってる大手に嫉妬しました。好きだったはずの作品も素直に読めなくなりました。その後、やって来た新規の作品も解釈違いで読めません。自カプでワンドロが始まりました。ますます数字が見えて死ぬほど嫉妬しました。この時点ではまだ「Twitterは垢消ししてpixiv壁打ちに戻ろう」そう思っていたんです。
そして私が現在抱えてる一番のしこりの原因となった事件が起こります。
Yさんの参入です。
端的に言うと、Yさんは神字書きでした。
私と同じく、小説を書くのは初心者だと言っていました。にもかかわらずハイペースで執筆してた上、毎回萌えに溢れていて面白く、小説としての表現力も多彩でした。はじめは「やべぇ…解釈一致だ…最高だァ…」と読んでいた私も、次第に複雑な気持ちになっていました。ほぼ同時期に参入したのに、こんなに実力の差があり、私の好きをこんなに鮮やかに表現できるなんてずるい、と。
しかし、Yさんは何にもずるくありません。生まれ持ったアイディア力だったり、今までの経験だったり、読んだ作品によって培われた文章力によってYさんが生み出した作品を正々堂々提出しているのは知っています。
かなわない、と思いました。打ちのめされました。自分がどうしようもなくちっぽけな人間に見えました。同時に、私を脅かす存在になりました。
ごく一部の例外を除いて、同人なんて所詮趣味です。それなのにこの世の終わりのような気持ちになりました。
Yさんは神字書きなので、Yさんの存在に気付いた界隈もYさんをチヤホヤしだします。あっという間に人気者になりました。他人のつぶやきで「Yさんの新作うれし~」というのも何回も見ました。ワードミュートしててもすり抜けてくるので辛かったです。私は相手にされないのに…と卑屈になりました。
いやいや!嫉妬してる場合か!私も神字書きになればいいんだ!だったら作品で殴るしかねえ!と思い、私も作品を投稿し続けました。本も出しました。
感想も貰ったし、フォロワーも増えました。他人の評価が気にならいわけではありませんが、割と数字についてはどうでもよくなりました。
なんと驚くことに、なんとYさんも本を買ってくださいました。でもYさんへのなんとも筆舌しがたいどす黒い感情は消えません。
同カプはほぼ全員ミュートしてます。作品も読んでいません。これ以上第二のYさん的存在を自分の中でつくりたくないからです。
なんでこんなに自分は嫉妬深いのか。今思えば昔から頑張る基準が他人だったからなのかもしれません。
私は幼稚園児の頃から、たいそう負けず嫌いでした。かけっこに負けてよく泣きました。ピアノが幼馴染より下手なのが悔しくて悔しくて、死ぬほど練習してピアノ伴奏の座を勝ち取ったりしてました。その後、音楽畑に進んだのですが、私は勝手に全員ライバルと思い込んでいました。全員蹴落とすぞくらいの気負いでいまいた。実際、練習して練習して椅子を勝ち取っていました。つまり、自分が一番でないと気が済まなかったんですね。それを同人にも適用してしまっているのだと思います。
これからこの考え方を変えられるのか、正直分かりません。多分難しいと思います。嫉妬するのは苦しいです。かなりエネルギーを使うし、疲れます。創作のエネルギーも消耗してしまいます。
自分がYさんに嫉妬しない方法はただ一つでした。自分が作品を作ることです。小説の執筆中は自分と推しカプだけに向き合っているので、Yさんのことは考えずに済みます。今は原稿が終わって何も書いていない時期なので、蓋をしていたYさんへの感情が溢れてきて泣きたいほど苦しくなっています。なので、この文章を書きました。
この苦しい気持ちを否定したくありません。私はいつも悔しさや苦しさを力に何かに打ち込んでいました。小説を書くのは今でも楽しいです。この負のパワーをバネにもっと最高な作品を書きたいです。