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2024-09-24

anond:20240924111156

ばっさり捨てちゃったのと、実家に帰ったら親に捨てられてたのと…

レンタルビデオから流れてきたようなVHSはみんな捨ててしまったし、

MSX関係フロッピーは取っておけば良かったかな、ディスクマガジンとか

でも、どうせ大量に積読があっても本もそうだけど消化できなくなるだけだよね

暇な時間があっても、こうやってStudio Oneにらめっこしてるだけだし、

もう技術書も、数学セミナーみたいな雑誌も読むことないんじゃないかと思うし、

まあ、自分はそんなにできる人間じゃなかったよな、いや、最初から分かってたけど、

なんとか背伸びして届かないかな、みたいにジタバタしてるうちに人生かなり消費しちゃった感じがする

もう、IT関係は十分だよなぁ、多分…😟

2024-09-20

「嘘」誤用してる奴いるよな

ちゆ12歳かいう人がマガジン表現規制に物申している。

『愛と誠』電子版の「基本的に発表当時の表現」という嘘|ちゆ12歳
https://note.com/tiyu/n/n1b0d2981ad4d

この記事では、漫画が書かれた73年当時から86年と95年で二度表現に変更が加えられたにも関わらず発表当時の表現だと主張する出版社に対し物申している。

物申すのは良いんだけど、この人が「嘘」と断言する根拠が乏しいと言わざるを得ない。

 

基本的に発表当時の表現」が間違いというのは資料もあるしおっしゃる通りなんだろう。

だが間違いは常に嘘ではないよな。

なぜなら嘘は間違いの中でも特に故意の伴ったものからだ。

しかちゆ12歳記事から故意であるという明確な証拠は見られない。

 

例えば、95年版は既に24年版と同じなので現担当者もその事に気付いてない可能性は十分考えられる。

だって95年ってもう約30年前だぞワグナス

当時を知る人物さえ社内にどれだけいるか

そこまで古くなくても出版社に問い合わせるくらいは当然できるだろうが、そういう記述もない。

 

もちろんマガジンのこの注釈「嘘」である可能性は全く否定しない。

例えば95年時点で既に同じ注釈があったと言われれば、じゃあ嘘やねと俺は言うだろう。

しかしそれは手のひら返しではない。

俺が指摘しているのは、それを示してもいないのに嘘と断じて他者攻撃する主張の脆弱さについてだからだ。

それにマガジン中の人からしたら毎日正直に生きてるつもりなのに突然訳分からん奴にこうやって絡まれて、それに対するネットの反応が「さすがちゆ12歳さん」で埋まってるとかトラウマもんでしょ。

相手が嘘をついているという紛れもない証拠を集め、それでも見逃しがある可能性を念頭に外堀を埋めるように攻める。

そういう泥臭いことを怠って返り討ちにあって傷つきながら学ぶから人は頭を垂れる稲穂になるんだ。

それとも相手にされない大企業から何言っても良いと舐めてかかってるのか?

 

そもそも「間違いは常に嘘ではない」という事すらちゆ12歳理解していないのかも知れない。

例えば荒木飛呂彦氏の、大人は嘘つきではなく間違いをするだけ、という1988年謝罪文に対し「間違ったんだからお前は『嘘つき』だぞ?」とかツッコんでたのかも知れない。

実際、単なる間違いを嘘と言っている者は明らかに存在する。

彼らは自身の間違いを自嘲的に表現するような時に使っている。

ここで彼らの表現は明確に誤りだと断じたい。

これは同じ間違いを犯した他者さえ間接的に嘘つき扱いする邪悪さもはらんでいるので積極的にやめろと言いたい。

また、ちゆ12歳他者への攻撃として「嘘」という言葉を使っているという点で彼らの自嘲性すら無い点にも注意したい。

 

ちゆ12歳はまだ若いんだから、これから正しい論理表現、そして何より慎重さを身につけないとね。

それが出来ないならこうやって増田放言しましょう。

以上、人生の大先輩ますだ13歳からお気持ちでした。

2024-08-29

次にくるマンガ大賞」を見たけど、弱小漫画出版はいらないよね?

次にくるマンガ大賞」を見たけど、弱小漫画出版はいらないよね?

この賞が大手の独壇場として先鋭化してきている。


芳文社少年画報社みたいな弱小漫画出版社は出版業を廃業して、編集プロダクションに転身したほうがいいんじゃない

ブランド力の高いジャンプマガジンかに年貢を納める会社としてやっていくんだ。その方が誰にも読まれずに終わっていくより数百倍マシだと思うよ。


小出版社は作家迷惑を掛けていると自覚したほうがいい。その出版社で連載している時間はたいてい無駄になるから

漫画のヒットは出版社の資本力で決まるんだよ。弱小での連載で頑張っても、アニメ化されずに終わっていく。

から漫画たちはみんな大手メジャーデビューを目指す。

2024-08-28

悪口で金を稼ぐのをやめます

投稿日:2034/1/1

新年早々恐縮だが、今日は伝えたいことがある。勿体ぶって気を引くのは嫌いなので本題を書こう。

それは、 僕が長年続けてきた「悪口芸」を卒業するという決断だ。

これを決めた、理由は大きく分けて二つある。

①「悪口」という芸が成立しなくなってきた

僕のような奴の悪口は、以前なら「若者やんちゃな主張」と受け取ってもらえたかもしれない。しかし、今の僕は家族もいるし、複数ビジネスを手がける経営者でもある。世間から見れば、どう見ても「強者」だ。そんな僕が「イジる」行為は、もはや「イジメ」と変わらない構図に見えてしまう。地位を手にしたお笑いタレントの若手に対する「イジり」を見て不快になった人は多いはずだ。僕は性格が悪いことを隠さないが、ただのイヤな奴にはなりたくないのである

②僕自身の「悪口のキレ」が鈍ってきた

僕も今年で42歳、2度目の本厄を迎える僕の人生も、いよいよ折り返し地点に差し掛かった。

年をとるといろんなことが変わる。徹夜できなくなったし、涙もろくもなった。ギックリ腰があんなにつらいものだとは思わなかった。

そして、能力的な変化もジワジワと体感している。

正直言って、最近自分で「これはちょっと的外れ悪口だな……」と感じる場面が増えてきた。周囲の微妙な反応を見ても、明らかに以前のような鋭さが失われているようだ。

それも当然だ。10年前ならまだしも、42歳のおじさんの悪口には、どこか痛々しさが滲んでしまう。60歳、70歳になっても悪口ばかり言っているオジサンを見て、「この人の言うことは深いなぁ」 と思ったことがあるだろうか? 僕はない。使い込むほど刃の切れ味は鈍くなる。もちろんその刃を研ぐ努力はしているが、若い人のアンテナと吸収力には敵わない。

誤解のないように言っておくが、僕自身はまだまだやれると思っている。しかし、どんな芸風にも必ず「賞味期限」は存在する。ごまかしが効かなくなる前に、潔く身を引くべきだと判断した。

卑怯言い訳に聞こえるかもしれないが、僕は決して誰かを傷つけたくて悪口を言っていたわけではない。相手の知られざる側面を引き出す手段として悪口を利用していた。それができなくなるのなら、あえて売り物にする意味もない。それだけだ。

で、どうすんの?

さて、こうして冷静に自己分析してみて、自分で笑ってしまった。結局のところ「守るべきものが増えて、能力ピークを過ぎたか引退します」 という、実に平凡な結論に落ち着いてしまう。10年前の僕なら、こんな日和った自分を喜々としてイジり倒していたことだろう。でも、僕はそんな嘲笑も甘んじて受け入れるつもりでいる。

思えばいろいろなことがあった。ターニングポイントは約10年前、某YouTuberを有料コンテンツ内でイジった炎上騒ぎだろう。あの頃から僕の考えは少しずつ変わりつつあったのかもしれない。

でも、悪口芸で稼いできた時間を僕は決して後悔していない。この10年で世界は大きく変わった。誰もがAIの力を借りて文章を書くようになった。それは、資本家が定めた倫理コードに従って思考を均していくことにも等しい。

そんな息苦しい世の中で、僕は人間しか書けない悪口価値を示したかった。悪口は、単なる悪意やヘイトではない。良い面も悪い面も含めて人間なのに、世の中は「良いところ探しゲーム」ばかり強要する。僕は「悪い面」も含めて「イジる」ことで、世の中に新しい価値提供できると信じていた。そして、実際に多くの人から支持を得ることができた。決して趣味がいいとは言えないだろう。でも、AIにはできない人間らしい営みの可能性を提示してきたし、胸を張っている。

今日を境に、僕は「インターネット悪口芸人」の看板を下ろす。しかし、悪口芸の舞台のものは、この世界に残り続ける。もし、この舞台に立つ勇気のある(性格の悪い)若者が現れるなら、僕は心から応援したいと思っている。

もちろん、僕自身一朝一夕に変われるとは思っていない。性格は相変わらず悪いままだし、これからも毒を含んだ文章を書き続けるだろう。ただ、「悪口」はもう僕のメインコンテンツではない。その点は、どうか安心してほしい。

今日書きたいことはこのくらいだ。

最後に、一つだけ告知をしておこう。有料マガジン(月額3000円)では、あの有名学者10年以上水面下で繰り広げてきたバトルについて詳細を綴っていく予定だ。興味のある方は、ぜひ購読してみてほしい。

2024-08-25

北村紗衣と須藤にわか論点はずれているが、共通問題あぶり出している

太田出版Webマガジンにおける北村紗衣氏の連載に対して、須藤にわか氏という映画ブロガーが異議を唱え、それに対して北村紗衣が反論してホッテントリ入りしている。

私は須藤にわか氏のように映画を多く見ているわけではないし、北村紗衣氏のように多数の先行研究に実際にあたったわけではないが、発端となった連載と二人のやり取りをみて、話の主眼がずれていると感じた。同時に、二人とも結局、「ニュー・ハリウッド」という批評の枠組みに問題があることを浮き彫りにしているとも思った。

発端となった元連載の内容

まず連載の企画趣旨は以下の通り

映画を見た後に「なんかよかった」「つまらなかった」という感想しか思い浮かばない人のために、フェミニスト批評家・北村紗衣さんが、初めて見る映画感想を話しながら注目してほしいポイントを紹介する連載

北村紗衣氏の主な論点は以下の通り

①初めて見た『ダーティハリー』はサスペンスとして全然面白くなかった

自分アメリカン・ニュー・シネマが好きではない

60年代後半から70年代に、アメリカン・ニュー・シネマ英語ではニュー・ハリウッド)という潮流があった

④ニュー・ハリウッド反体制的な要素と、あからさまな暴力セックス表現が主な特徴として挙げられる

アメリカン・ニュー・シネマはかなり男性中心的な潮流

⑥『ダーティハリー』はニュー・シネマの影響下にある警察映画

北村紗衣氏の素朴な感想は、末尾にある「名作と言われてみんなに愛されている作品でも今見て面白くなかったらけなしていい!」と結びつくが、③~⑥の知識を持っていると『「なんかよかった」「つまらなかった」という感想しか思い浮かばない人』でも理解が深まる、というのがこの連載の趣旨みえる。

須藤にわか氏の異議

これに対して、須藤にわか氏の主張は以下の通り。

①「あからさまな暴力セックス表現が主な特徴」という認識は実際のアメリカン・ニューシネマからズレている

アメリカン・ニューシネマフィルム・ノワールと同様に映画批評家らによって作られた映画分類のカテゴリー

アメリカン・ニューシネマは「ヌーベルヴァーグ」や「ドグマ’95」のような映画運動ではない

④「アメリカン・ニューシネマ」と「ニュー・ハリウッド」は分けて考える

⑤ニューシネマは「暴力セックス」の映画ではない

⑥「ニュー・ハリウッド」もしくは「アメリカン・ニューシネマ」というカテゴリーは(白人の)批評のために作られた作為的カテゴリー

⑦「アメリカン・ニューシネマ」もしくは「ニュー・ハリウッド」が差別的に見えるとすれば、それはそもそも批評カテゴリー自体差別的

北村氏の反論

須藤にわか氏の異議に対する北村氏の反論は、目次にわかやすくまとまっている

①New Hollywoodの特徴のひとつセックス暴力があげられるのは当たり前

②New Hollywoodが男性中心的であるということは1970年代からずーっと言われている

③広く使われているジャンル用語勝手に変更しない

論点のズレ

須藤にわか氏の明確な誤り

須藤にわか氏は

例の著者は自分で決めた「これがニューシネマ」というカテゴリー自分で見て「このカテゴリーには黒人映画女性主人公映画が入ってないか差別的」だと言っている

と述べているが、これは明らかに違っていて、

北村氏がいうように、

決めたのは私じゃなくて今までの批評

まり北村氏は一般的な「New Hollywood」解釈を述べているだけなのだ

ただし、須藤にわか氏が本当に主張したいところは上記にあるのではなく、「New Hollywood」というカテゴライズのものに反発している。

北村氏は出典をたくさん挙げているが、須藤にわか氏の主張であるそもそも『ニュー・ハリウッド』が作為的カテゴリー」への反証ではない。須藤氏のいう北村氏本人への批判、「知ったかぶりして、しか知ったかぶりした上でこれは差別的だとかなんとか非難」への反証である

(「たくさんの出典があってすごい!」的なブコメの反応は、ただマウント取りたいだけのリアクションに見える)

さらなる食い違い

須藤氏は北村氏の姿勢について、

「ニュー・ハリウッド」もしくは「アメリカン・ニューシネマ」というカテゴリーが(白人の)批評のために作られた作為的カテゴリーであることを度外視した上でそれを非難している。

と言っており、

北村氏は

「(白人の)批評のために作られた作為的カテゴリー」なんだから批判されて当然ですよね?

という。ここは互いに噛みついていながら二人とも同じことを言っているように見えて混乱したが、批判対象範囲が違うようだ。

須藤にわか氏はそもそも、「ニュー・ハリウッド」というカテゴリーのものが、当時の映画作品群を評価するのに適切ではないと主張している。一方の北村氏がいう「批判されて当然」の対象は、須藤氏と同様にカテゴリーのものであると同時に、カテゴリーに含まれ作品群も含まれると私は解釈した。

須藤にわか氏の論の本質と、北村紗衣氏の指摘

須藤にわか氏の論で一番重要なのは、元の北村紗衣氏の連載にあった以下の部分への反論ではないだろうか。

60年代後半から70年代の潮流であるニュー・シネマは、それ以前にあったいろいろな制約が外れ、暴力セックス描写ができるようになり、そしてアメリカの秩序を問うような映画がたくさん作られた時代です。

そのくせに、結局は男性というか、主に白人男性が中心であることは問い直してないんですよ。

これに対して須藤氏は、

だいたいニューシネマは映画運動ではないのだから「問い直していない」って誰に対して言っているんだろうか?運動実態がないもの運動責任を問うたところで、まるで意味がないと思うのだが。

アメリカン・ニューシネマ」もしくは「ニュー・ハリウッド」が差別的に見えるとすれば、それはそもそもそうした批評カテゴリー自体差別的

この点、北村氏も、

>>New Hollywoodを決定づける作家主義的な監督の大半が白人男性であり、白人男性主人公にした物語代表作として受容され、研究白人男性監督だけを対象としてきたこはいたるところで指摘されています<<

と述べているように、「ニューシネマ」というカテゴリーのもの問題があることは認識しているように見える。

まり、二人とも、「ニュー・ハリウッド」というカテゴライズ問題があるという点では、共通認識がある。そのうえで、北村氏は、「須藤氏のニューシネ解釈一般的ではないから、私を嘘つき呼ばわりするのではなく、自分で論を立ててね」としている。

しかし、「ニューシネマ」というカテゴリーのもの問題があるなら、北村氏の連載における「『ダーティハリー』はニュー・シネマの影響下にある警察映画」という紹介の仕方も、「ニュー・シネマが男性中心的だ」というのも、安易に見える。元の連載において、ミステリサスペンス的にいまいちという北村氏の感想にはうなずけるが、「ニュー・シネマ」という潮流の紹介は片手落ちで、「研究白人男性監督だけを対象としてきた」ことも含めて紹介すべきだったのではないだろうか。

なお、北村氏のいう「問い直してない」というのは文系学問によくあるレトリックで、須藤にわか氏の「運動実態がないもの運動責任を問う」ているように見えるというのは、本質を突いていると感じた。

「問い直してない」論法は、レッテル貼りに使いやすい。

ダーティハリー』含む「ニュー・シネマ」と呼ばれる作品群は、「男性白人中心主義」的であることを「問い直せていない」からダメ作品だという、作品ファンが反発を覚えるのも無理はないだろう素人批評を容易に生み出す。(なお、これは北村氏の主張ではない。北村氏はあくまでニュー・シネマが好きではないだけだ)

須藤にわか氏が作品擁護する姿勢理解できる。

増田感想

文系学問特に文学社会学)においてありがちな、世の中の傾向や潮流を仮構して、ミクロ作品人間を論じるスタンスは、使い方を間違えると、色々なことを損なう。その作品人間もつ、複雑さや豊かさが捨象されるし、俗流に応用されれば簡単差別につながる。「この時代に生まれ人間は●●である」と決めつける世代論などを見ればわかりやすい。もちろん社会を論じるなら、そういう傾向を仮定して話を進めざるを得ないが、学者でもない人間が個々の作品人間評価するのであれば、マクロ的な枠組みでは拾えない面白さや豊かさにも目を向けるべきだろう。

少なくとも発端となった連載は素人映画をより深く鑑賞する視点提供するものだったはずだ。北村紗衣氏の視点須藤にわか氏の視点を踏まえて、もっと映画を楽しみ人生を豊かにしたり、世の中を考え直すきっかけを得たりするのが、私のような素人にとってはいいのではないだろうか。

たとえば北村紗衣氏がいうように、

「やっぱり、この映画ハリーのことをどう捉えているのかの解釈が難しい」

というところが、「ダーティハリー」を考える上でおもしろそうな部分で、北村紗衣氏は第一印象がつまらなかったため深堀りすることはないだろうが、「ダーティハリー」をこれから見て逆に「面白い!」と感じた場合には、ハリーを起点に「ニューシネマの影響下に本当にあるのか」などを考えるとまたおもしろそうだ。

あるいは、須藤にわか氏のいうように

そういう自分の知らないものとたくさん出会えるのがニューシネマの面白さで、あえて一時代アメリカ映画をニューシネマとして括る意味があるとすれば、それはその作品群がこうした「新しさ」を観客に与えてくれるから

ということを踏まえて、様々な作品に触れれば見えてくるものもあるだろう。

須藤にわか氏のエントリについたクソブコメ

serio フェミニストはありとあらゆる事象フェミニスト視点から語ってしまうので、たまにホームランを打つことがあっても、バットキャッチャーを殴って三塁に走り出すみたいな大外しをすることがよくある。

→元連載は「フェミニスト批評家・北村紗衣さんが、初めて見る映画感想を話しながら注目してほしいポイントを紹介する連載」なので、北村紗衣氏が好きに「ありとあらゆる事象フェミニスト視点から語ってしまう」わけではなく、そういう企画趣旨に基づいて仕事としてやっている

hazlitt アメリカン・ニューシネマってカテゴリーとして昔からよくわからんなとは思っている。わりとどうでもいいが野次馬的には町山某が反応すべき話題だな

→「わりとどうでもいい」と保険かけながら野次馬根性さらけ出しているのがキモい

jassmaz 文学理論批評理論を知らないオタクの見当はずれな批判。この時代アメリカ価値観完膚なきまでに破壊したことは十二分に暴力である。87年出版アラン・ブルームアメリカン・マインド終焉』を読もう。

→「この時代アメリカ価値観完膚なきまでに破壊したことは十二分に暴力的」北村紗衣氏も須藤にわか氏も言っていない新たな論点。見当はずれはこのブコメでは

北村紗衣氏のエントリについたクソブコメ

tokuniimihanai あちらの記事批判相手職業を間違えている時点で無知あるいは礼儀知らずなので読む価値がないと判断したが、やはり読まなくてよかったな。引用部分だけでも論外とわかる

→読まずに断じているゴミ

takeda25 こういうの、詳しくなければとりあえず態度を保留するのが賢明なはずだけど(現にこちらのブコメはそういうのが多い)、女性叩き側のブコメでは調子に乗って叩く人間大量発生するのが歪み

→態度を保留するって、どういう立場後出しジャンケンに勝ちたいだけの姿勢が見えてキモい

ponkotsupon 須藤氏の批判記事は出典やら参考文献やら先行批評への言及が何もなかったのに対し、北村氏は複数の出典と研究史を出してるので、学術的には(須藤氏が再反論で論拠となる文献を示せなければ)これで勝負ありよなぁ

そもそも商業媒体ブログ応酬で、学術的な議論ではない。かつ、出典と研究史さえ出せば「勝ち」というのは学術的でもないだろう。

どちらのブコメにも共通していえること

二人に対するクソブコメの数々は

権威主義的で映画のものにも映画史にも興味がなく、自分では頭を使わず他人が貶されるのを娯楽として消費するだけを生きがいとする、野次馬根性と異常マウント欲、ハエ以下の精神性で駆動する人工低能

ではないか、ということを己に“問い直して”みてはいかがだろうか。

2024-08-17

みんなが加入してるサブスク教えて

まずは俺から

Amazonプライム(年額5900円)

Amazonで買い物することが多いので送料無料にするために入ってる。動画も値段の割に多く、お得感ある。

Nintendo Switch Online(年額2400円)

オンライン対戦、レトロゲーム配信などがあるので。

iCloud+(月額400円)

200Gのプランに入ってる。

楽天マガジン(年額3960円

とにかく安い。雑誌読みたいなら楽天マガジンか、次点でdマガジンがいいと思う。

DAYSプレミアム(月額960円

マガジン系、アフタヌーン系、モーニングなど講談社系の雑誌が読める。女性向け漫画も充実。

マンガ喫茶で読むくらいならこっちの方が安上がり。

Spotify(年額9800円)

なんとなくSpotifyに入ってる。けど今調べたらApple Oneに入った方が良い気がしてきた。

月額1200円でApple MusicとApple TV+とApple ArcadeとiCloud使えるじゃん…

というわけで今AppleOneに加入した。


みんなは何に入ってる?


追記

みんな教えてくれてありがとう!参考にしま

2024-08-14

いまから30年前、メタルヒーローシリーズの一作でブルースワットという特撮番組のなりきり玩具が出た

通常版は真鍮製の弾丸マガジンに装填し、電動ブローバックによる薬莢の排莢を再現した銃で

廉価版はそれより一回り小さく、トリガーで音が出て光る普通おもちゃ

モデルガン雑誌にも取り上げられ、伝説とまで呼ばれたのはあくまでも通常版の方だった

そして30年後、30th記念でメモリアルとして発表されたもの

よりによって廉価版ベースとしていた

2024-08-09

子どもの頃に読んだマガジンあたりのヤンキー漫画で、トイレで勢いよく大をしたときに水がお尻に跳ねる現象を「おつり」と表現していて、なるほどと関心した。

そして「おつり」を防ぐためには、先にペーパーを一枚敷いておくのが効果的ということも学んだ。

学びはどこに落っこちいるかからない、野糞のようなものなのだ。踏んづけ注意。

2024-08-06

家族無許可ポケモンカード売られた


タイトルのとおりである。俺はどうすべきなのか。

一応、家族の紹介だけする。父母は直接は出てこない。

自分…約3年前まで実家暮らし。今は別の場所一人暮らし

 兄…ずっと実家暮らしフリーターと思われる。

父母…兄と3人暮らし。どっちも高齢だけど仕事してる。普通に尊敬してる。

【以下本文】

俺さ、子どもの頃にポケモンカードしてたんだよ。

増田利用者男性だったら、30代前半くらいまでだろうか。子ども時代に初代ポケモンカードプレイしていたのは。俺も小学生の頃は土間張りしていた。多い日だと、1日のうち8時間くらいはカードショッププレイしてた。カード好きの同年代とか、中高生とか、面倒見のいい社会人かいて、いっつもワイワイガヤガヤやってたっけ。

夜8時までお店にいて、母親に無理やり連れ戻されたこともあった。正直ガチ勢だった。お年玉も全部ポケモンカードに使ったし、かっこいいカードプレイ用とは別に保存用にしておいたし、最初期のパックに至っては、記念に未開封のものを何袋か取り置いた。

最終的には何枚あったのだろう。今では確かめようもないが、顧問カードを含めると五千枚はいってると思われる。

しかし……中学に上がってしばらくすると、ポケカをやらなくなった。

同い年の男子連中は、すでに違う趣味に走っていた(性的な意味ではない)。コロコロコミックなど、みんなもはや読んでなかった。

ジャンプとかマガジン、その他青年向け雑誌に移っていた。漫画のもの卒業する層も当然出てくる。

当時の俺は、「もう大人が近いんだし……」と感慨にふけりながら、小学生の頃から使っているリュックサックポケモンカードボックス一式を入れて、押し入れに仕舞ったのだ。14才の頃である



時は変わって、そろそろアラサーを終えようとしている。

おかしいと思ったのが今年の4月末頃だ。メルカリを見ると、『かえんリザードン 旧裏 極美品 引退品です』みたいな見出しで、カードが売られていた。

「懐かしいな~」と思って商品画像を眺めると……写真に映っているカードボックスが、俺が小学生の頃に使ってたやつだった。心なしかスリーブの色も……。

気のせいかと思った。でも、カード販売額(※12万くらい)が額だけに、気になってその出品者の他出品を見ていった。

ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ

あああ

頭の中がマジでこうなった。

GWまで待てなかった。急いで100km以上は離れた実家に帰り、元俺の部屋の押し入れを開けると、14才の頃に仕舞ったリュックサックが消えていた。

兄の部屋をノックすると、「うるさい帰れ、あとにしろ」という声が聞こえた。何度もノックを繰り返すと、無視するようになった。

怒る気持ちを抑えて、晩近くまで台所で兄を待ったよ。夜になって、ようやく夕食に出てきた。

父母がいないことを確認して、いろいろ問い詰めていった。

・もうわかってるんだが、なんでカードを売ったの?

犯罪だよ。自分がなにしたかわかってるのか

カード説明には「家族の遺品」とあったが、俺はまだ死んでない

とにかくひどい返答だった。兄は、悪びれもせずに「普通に売った。いらないかと思って。カード可哀想で」という言い方だった。

最後には、キレながら「うるせえんじゃ。消えろボーーーーケッ!!」と吐き捨ててきた。

こいつ、今はフリーターだけど、これでも元は正規職の区役所職員である合格した当時は「経歴はかなり盛ったけど、まあなんとかなるっしょ~」とかほざいていた。一体何をどう盛ったのか聞くと、かなりとんでもない盛り方だった。父に物凄く怒られていた。

いったい何が起きたのかはわからんが、数年前に退職してからはこの調子である。近所のラーメン屋アルバイトをしているようだ。

メルカリだけど、もし兄が販売履歴を消してないと仮定すると、カード販売総額は50万円ほどになる。

なんかさ、ポケカが高騰してるってニュースは聞いたけど、これほどとは思ってなかった。いろいろ調べていくうちに、その50万円というのもヘタクソな売り方だとわかった。

ほぼ傷のない状態でのカードショップの買い取り額が「10万円」とあるものを、メルカリでは2~3万円で売っていた。いや、早くカタを付けたかったのかもしれないが、もうちょっと考えて売れば……と被害者である自分ですら思った。

いや、実際どうすればいいんだよ。兄に弁償を求めようにも、俺には客観的な価額とかわからないし、請求した時点で兄が持ち金を隠すのはわかってる。昔からそういう人間だ。金自体を持ってない可能だってある。

父や母はまだ余裕で健康だけど、正直相談していいかもわからない。保護者ということで今回の弁済を求めたいくらいだ。

いや、そんなことしないよ。そんな、父母を心配させることはしたくない。あくま個人的な心情としてだ……。

父にも母にも尊敬気持ちがある。できればそんなことはしたくない。けど、起こったことは正直に伝えるべきだとも思ってる。



増田で書いてると気持ちが落ち着いてきた。やっぱり書くっていいことだよな。

俺の心は、あれから三か月経った今でも沈んでる。あれからすぐ、兄からリュックサックを奪い返したけども、(デッキで一軍入りするレベルのやつで)残ったカードほとんどなかった。アルバムコレクションもそうだ。残っていたのはプラスチックの箱に仕舞ってたコモンカードばかりだったよ。

いや、思い出残ってるからいいけどさ。

残ったレアカードは1~2枚だけだった。最初期のリザードンのやつと、まだ幼かった頃、父母と兄と一緒に映画館に行って手に入れた――あの頃は家族みんな仲良くて平和で楽しかったな――古代美優のポケモンカードである映画パンフレットに挿入されていた。

これらについて、絵柄は素朴なんだけど、シンプルで味があっていい。見た目は相当にキレイである。売ろうなんて思わない。こいつらだけは一緒に墓場まで持って行ってやる。

あー、マジでどうしたらいいんだ。

頼むから増田の人で、これに類する経験がある人がいたらアドバイスがほしい。

以前も、他愛ないことを相談して回答をもらったことがある。

今回も、どなたかからアドバイスをいただけたら嬉しいのだが。

2024-08-03

anond:20240802130136

マガジンヤンキー漫画まみれだった頃は、暴走族の音が毎晩のように聞こえてきたけど、珍走団になって暴走族ブームも収まってきたと思ってたら、東京リベンジャーズブームでまた暴走族の音が聞こえてきて、漫画の影響って絶大だなと思った。

2024-07-27

小山田圭吾QJイジメ記事は当時からオカシイものだったよ

このオカシイというのは倫理的ものじゃなくて、コンテキスト的なおかしさのこと。端的に言うと「だせぇ陰キャ流行りの鬼畜系の真似をしてみたイキリ」だ。

https://anond.hatelabo.jp/20240724141703

最近で判り易い例で喩えると、石原伸晃報道ステーションに出て「ナマポゲット~」とか医療費削減の為に安楽死がいいとか言ってたヤツ。あれだ。

若しくは駅員の注意に弱そうな撮り鉄が細い声で暴言吐いてるのとか、江ノ電ニキに「金か?金なんだろ」と細い声を張り上げてるあれの同類

 

伸晃の場合ネットに触れるようになって良い年したオヤジネトウヨサイトに感化されてるのが明白で、当時としても「バカじゃねーのこいつ」と思った人は多かろう。特にネットをよく使う人なら文脈をよく知っているからおさらだ

から小山田QJ記事についても「バカじゃねーのこのダサ坊」という扱いであった。少なくとも神保町書泉ブックマート地下一階でQJ立ち読みした増田はそう思った。その理由を記す。

 

暴力コンテンツと不良文化

90年代少年マガジンは不良と暴力に全振りしていて、暴走族の抗争とか集団リンチして半殺し、不良同士の抗争で殺人、それへの復讐というようなマンガで埋め尽くされていた。

そうなると実際の不良文化にも影響は出てきて、どこそこの生意気な女を輪姦してやったぜとか友達の友達喧嘩相手の頭を執拗に殴って耳血が出て意識不明とか、そういう自慢が横行していたワケ。

自分暴力的だ、と云う以外に暴走族池袋チーマーなど暴力傷害殺人を犯した人間と繋がっている、というのが自慢になり得たワケだ。

 

鬼畜

同時に鬼畜系というコンテンツ流行ってたのだが、これは背後に外連味があるものだった。「夜想」とか「WAVE」とか「〇〇評論」とか、文化評論系のA5版雑誌流行していて、それらは外連味が溢れるサブカルものだったのだが、その雑誌群の編集者が興したのが鬼畜系だったのだ。

その代表人物自称中卒工員の精神障碍者村崎百郎は『夜想』などの編集者で、外連サブカルの中心に居る人物でもあった。後に自身精神異常者だとの嘘を恨まれた読者に殺される事になったが、相応しい最期と言えるかもしれない。

『危ない1号』の青山正明なども模試成績一位になった事がある元優等生であった。因みに青山ロリコンブーム仕掛人でもある。

 

鬼畜系はゴミ漁りによる個人情報漁り、麻薬精神世界(綺麗じゃない糞尿垂れ流しの方)、奇形趣味身体欠損、時代遅れになっていた新左翼セクト変態セックス特に獣姦など)を扱っていた。

だが、wikipediaの「鬼畜系」の項には過去変態春画や無残絵、宮武骸骨などが載っているように、「高尚な文脈」で関連付けがされうるもんである。それは単に良識人が目を逸らす悪趣味の羅列じゃなくて外連サブカル編集者達が興したブームであり計算されたものであったこと、それまでの文脈を踏まえていた事、それによって高尚な文脈の中で論じることが知的であるという文脈惹起されるからに他ならない。

 

単純暴力系と鬼畜系の中間路線

マガジンみたいな馬鹿向け暴力賛美と、知的に思われたいがそれは隠したい、自身個性的と思いたい馬鹿向け鬼畜系、二つの路線が同時に存在するとその中間路線活性化する事になる。

それで鬼畜系の中からドラッグタトゥーなどだけを特集したより実践的な雑誌群が刊行されるようになった。実践的というのは、実際にタトゥーを入れたり骸骨アクセサリをジャラジャラさせたり、アムステルダムで実際に飛びツアーをしたりという実際のファッションライフスタイルと結びついていたから。

こっちはワルだけどチーマー暴走族みたいなバカはやりたくない、或いはファッションワル向けだね。

 

小山田背伸び

さてそうすると今でいう陰キャとかオタクっていうのはこういうのに絡んでこないって事になる。鬼畜系とは親和性が高そうだが、なに分にもぶっ飛びすぎていて真似するのは難しい。

そんな中でクイックジャパン刊行されたのだ。

創刊号はよくあるサブカル雑誌という感じ。だが3号くらいから迷走をはじめるのである

芸能人インタビューを入れたり、オウム事件を扱ったり。芸能人記事を入れるのはメジャー路線化だ。多分1-2号が売れなかったのだろう。一方でオタク路線にも足を踏み込んでいた。その甲斐あって10号でエバンゲリオン特集が組まれてそれで話題になるのであった。

 

で、こういう迷走と試行錯誤の始まりに収録されたのが件の問題小山田インタビューだったワケだ。

そもそも小山田コーネリアス渋谷系に分類されるが、アンテナショップ役割タワーレコード渋谷店でもWAVE渋谷でも「渋谷系」の棚なんて無かった。商業主義HMVには渋谷系のコーナーがあったが、渋谷に来る若者には「渋谷系」なんて恥ずかしいものだったわけだなw(カヒミカリイやピチカートなどは除く)。

 

そんな渋谷系の彼がQJに登場して自慢したのが件の障碍者虐めであったワケ。

これはかなり見てられない。そもそもそんな良くない事をすでにメジャーデビューしてる小山田がわざわざいうのは自慢であって、鬼畜系や暴力標榜アピールだったのである

でもその内容は「学校での」「虐め」体験であった。

そもそもタトゥ入れまくりだの、悪趣味鬼畜系だのというのは、自分社会規範から外れている、反逆しているとのアピールが含まれている。そこで「学校での」「虐め」体験を語るというのは、学校というレールから外れずに来た子供のままで「デビュー」していないという事であって、かなり痛々しい、背伸びした陰キャ行為だ。いかにも悪ぶった陰キャの自慢という痛さに満ちている。

政治家のガキとして不自由なく育って齢50過ぎになってネットに触れて悪ぶってナマポゲット~」とか言ってた伸晃の痛さと相同である

 

共感羞恥

そういう訳でして、小山田発言は当時の悪趣味、反良識文脈を踏まえたものだったというのは確かにそう。

でもそこで学校での虐めを誇るというのは当時としても痛々しいし、背伸びしてそれかよというモンであって単に陰キャのイキリでしかない。実に恥ずかしい。

そしてそれが原因で後年に大舞台公職を解かれるに至っては自業自得の上にバカ屋上屋を架すと言った代物であり、撮り鉄江ノ電ニキ罵倒大会に伸晃(50代)が混じって「金だろ?ナマポゲット~」と一緒に叫んでるような恥ずかしさとバカ煮凝りの如しだと思うのである

2024-07-19

雑誌なんて楽天マガジンでいいじゃん

月380円やし

コンビニまで行かなくていい

モデルガン趣味教師の話。

教室モデルガンを飾っていた、モデルガン趣味教師

彼は、やがて定年退職し、程なく息を引き取った。

…あの先生はい先生だったよなぁ…。

だが実は、モデルガンはM249、湾岸戦争使用されたミニミ軽機関銃のものだったのだ!

教師が持ち帰った軽機関銃殺傷可能な弾が入ってたことを知る者は誰もいない。

装填されたマガジンは、全校生徒を静かにさせるのに余りある力を持っていた。

しかし結局、悪夢が実現されることはなく、銃は人知れず処分された。

以上が思考実験である

さて。

彼に罪はないのか?

2024-07-16

anond:20240716172749

大抵は分解じゃなくてマガジンと薬室の弾抜いて捨ててるだけだろ

2024-07-15

一般人は狙うより乱射した方が確立上がると思う

一般人ならライフルよりアサルトライフルで高い所から連射した方が確率は上がると思う。当然マガジンミニガンみたいな給弾方式に改造して

2024-06-27

anond:20240627122408

クロック??w

やっぱり市販パソコンレベルしか理解出来てなかったか

キミはクロックがなんだと思ってるのかね? というかクロックが性能の上限なら何の為に世界中会社が莫大な資金を投じてプロセッサ研究開発を行ってると思ってるの?

頼むからDOS/Vマガジン読んだぐらいの知識スパコンの話に絡んでくるのやめてね

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