はてなキーワード: 説得力とは
・U!S!A! U!S!A!
・爆弾投下するまでのハラハラ→「あっ日本で原爆が爆発する様子とか被爆者の直接的な描写は無い感じやつ?最後のテロップで何人亡くなったとか出るやつ?」→難しい政治のやり取り…若干眠→プロメテウスや…って感じだった
・「プロジェクトの進捗具合、この器の中がいっぱいになったら完成です!」「この造形の全パーツ埋まったら試作品?完成です!」と文字通り「目でわかる」ようにしてくれて助かる
・ケチらずIMAXでみればよかったか…?!しかし大音コワイコワイマンであの爆発音と光+上映時間3時間はきついかも…のやじろべえしながらみてた
そこがかなり気になりながら観てた
・ベビーシッターさんを雇えばいいのでは…?
最近の映画は「子育てってメンタルにくる大変さ性別関係なく向き不向きあるしできるなら性別関係なくやりたくねえよ」描写多くて助かる
・思ったより多彩なオッペンハイマーさん
(多分)国費で留学ガンガンできるかつオッピー集団を展開できたり不倫できたりコミュ力強だなんて強すぎるじゃん…
「色んな意味で目茶苦茶話題作だしみとこ〜(ノーラン監督の映画、IQ不足で楽しめたことないけど)」って見たけど(政治劇はマジ知識不足登場人物多くてでわからなかったが)原爆開発してしまった(今後の世界への影響)のくだりはインタレスティング〜ってなった 林の会話シーンとか最後のストローズさん勘違い逆恨みアインシュタイン会話とか強キャラ同士のみ解る「世界」や… 「あなたなんかより大事なことを」扉パカーがいいバフ演出かけとる
・ストローズさんの「俺の悪口を吹き込んでいるんだ!だからアインシュタインは俺を無視したんだ!」勘違い逆恨みはマジでよくやので気をつけようと思った
・原爆試作品?の爆発の瞬間があえて無音のとこでDr.STONEで銃をクリエイトしたコマに擬音がなかっつのを思い出した
・あの足音ドンドンの「時流・世相の流れの圧表現」関連の演出ほんま的確
あの原爆落としたあとの集会の一連の流れ、達成感と罪悪感のミックス具合表現具合が圧倒的な「クリエイターの才能による説得力」で感性をねじ伏せられて「こういうののために映画を観ている」っなった
・テラーさん、味方ではないが最初の講義1人めのヒヨッコ感から終盤までの変化に目茶苦茶「よくぞこんなに成長して…」となってしまった
・バービーとのあれは「それぞれの観点の違いからの違い〜〜」って感じだけどここのところ40代〜50代以上向けばっかりのリバイバル作品だらけで停滞した映画の中でバービーとオッペンハイマーみたいな完全新作のエネルギッシュな作品が立て続いたらそりゃ無神経な位はしゃぐのは理解はできる
・この作品見る前に今年のアカデミー賞レースについて語ってももしかして、あんまり意味…なき…?
オッペンハイマーのごめんね日本感引きずってのチョイスになってない?ゴジラとか出東京大空襲どう生きるか(宮崎駿創作神の遺作になりそうやしスパイダーバース2連続受賞はな〜とかもありそうだけど)とか
でも助演男優賞は哀れなるものたち脳破壊されおじさんのがおもろかった
・雨の日の会合登場「でも落としたほうがいいよ!」の黒レインコートの悪役感
・藤子・F・不二雄の「ある日…」だ
鳥山明が亡くなって、色々な所で彼の武勇伝が語られるようになっているのだけど、正直言ってどれが本当でどれが嘘であるか、もう判断ができない。
今まで真偽不明だったエピソードも、本人がいなくなってさえしまえばあとは好き勝手語ることができる。
ついさっき、「ばいちゃ」の語源のようなtweetが流れてきた。
これなんて最たるもので、確かに説得力はあるのだけど真実よりもわかりやすいものを好むという認知バイアスである可能性だって否定できない。
それなのに、そこにぶら下がるコメントには鳥山明を称賛しつつも歴史を肯定する内容が多くぶら下がり、それを見た多くの人がしたり顔で「ばいちゃ」の語源について語るであろうことが容易に予見できる。
こうやって真実は闇に葬られて嘘が上塗りされていくのって、故人が誰かが語りたいだけの別人に上書きされていくみたいで悲しいね。
そういえば、ちょっと前に「筆者男だけど~」の記事が炎上?してたけど、ふとこの筆者と関係ないが、私が男であるにはどういう説明するんだろうか?と思った(ちなみに、あの筆者は女性だと思う)。というわけでやってみる。たぶん、男性のみが知っていて女性が知らないネタを言えばいいわけでそれを言えばいいのだと思うが、思いつくかな
「朝おきるとチンチンが勃起してて、尿意もあり、チンチンが固いので、好きな方向にチンチンを曲げることができず、とんでもなくトイレがやりづらい」
とかかな?説得力ある?
[追記1]
なるほど。じゃあ書いてみる。匿名だしね。巨乳で人体固定ものが好きなんだが、なかなか見つかりにくい。でも最近だと巨乳女子プロレスラーがとてもよいなと思う。
なにより凄いのは、「日本はおかしい。なぜ連日、トップニュースがWBCなのか?」とメディアへの義憤にかられる女友だちですら、「オータニは好きだけどね」とひとこと言わずにはいられないことだ。ふだん「信用できるオトコなんていない」と、男性への不信を語るフェミ友ですら、恐る恐る「オータニってどう思う?」と聞いてみれば、「いいよね!!!」と顔が明るくなる。もちろんそれは「野球の腕が凄い」ということではなく、「何だか分からないけど、あの人凄い」という称賛である。いったい、これはどういう現象なのだろう。
大谷翔平の凄さとは何なのか……なんてことを考えていたとき、Twitterでトレンドに入っていた言葉に膝を打つような思いになった。
「大谷翔平のただしさと息苦しさ」だ。
思わず声をあげて笑ってしまう。その瞬間にスルスルと理解する。野球に関心などなく、プロ野球は特に苦手で、マッチョな男集団を怖いと感じる女ですら(私です)、オータニへの好意を語らずにはいられない理由について。
そもそも、これはTwitterで、オータニは「高校生みたいでキモい」「ネオテニー(幼形のまま成熟した状態)っぽい」とか、「欠点がない=人間的魅力がない」「無機質だ、男性のメス化だ、中性化だ」など、オータニの光を前にした男たちが「僕はオータニを認めない」というようなことを口にしたためにボコボコにされる様を見た男性ライターの有料noteのタイトルである。
つまり、オータニは一部の男たちにとり「正しく」、それ故に「息苦しい」存在ということのようだ。ライターの意向は他にあるのかもしれないが、Twitterでは思い思いの解釈でバズったのだろう。なかなかの島国的発言、ホモソ(男性中心社会ですね)の日本男子的な正直な感覚に私には見える。そしてそれ故に……オータニの正しさと、その正しさで焼かれている男たちの存在が見えるからこそ、女はオータニに希望と未来を見いだしオータニを語りたがるのかもしれない。
ある種の男性たちは、オータニが「男というだけでは連帯しないタイプの男」であることを繊細に敏感に見抜いているのだ。どこかで目にした記事だが、オータニは男どうしの下ネタに交わろうとせず、女性を性的に嘲笑する仲間をたしなめたことがあるという。そのエピソードが事実かどうかは分からないが、「そういうこと、オータニさんならあるだろうな」と思わせる説得力がオータニにはなぜかある。根拠はないが、なぜか、ある。それが先の男性たちの「オータニが性的な成人男性に思えない」発言につながるのだろう。この場合の「男」とは、間違ったことも、キモいことも、不正義も、男どうしならば……と互いに目をつむり許しあえる、ぬるい男湯で生きられる日本の男ジェンダーのことである。オータニはそのぬるま湯には入ってこない、そもそもそのぬるま湯が嫌なのでは……というのが伝わるからこそ、ある種の男たちはオータニに傷つくのかもしれない。
(略)
そんな世界から自分の心を取り戻すために、今月はオータニが必要だったのかもしれない。ミソジニーでホモソーシャルな空気をまとっていない(ように見える)オータニさんの“正しさ”に、ようやく深い呼吸ができた。男どうしの「な?」が通じそうもない男に、ある種の男たちが感じる不安の正体を知ることもできた。そして、そんな男どうしの「な?」の通じない世界の風通しの良さを私は心から願っていて、その象徴にオータニさんがいたのかもしれない。女虐めを悦楽にする男たちの下卑た笑いをオータニの最強の光で燃やしてくれればいいのにな。
(略)
相対主義は「人それぞれが真理を持つ」という考えのこと。
プラグマティズムも、物事の実用的側面を見つければそれが真理であると言っており、実用的側面をどう見つけるかは人それぞれなので相対主義に属する。
一見すると聞こえはいいだろう。「人それぞれ」という言葉から多様性が存在すると一見思ってしまう。
ところが相対主義は実のところ「他者を理解する行為を放棄する」ことに等しい。
「他人は別なんだから、理解することはできない」といって、別の考えを持つ人を区別するようになる。
これは多様性の逆を行っている。
「絶対的な道徳はない」という人に「殺人が良いと言える道徳観が存在するか」と聞くとNOという。NOとはっきり言えるなら、絶対が存在するということだ。
「人それぞれで、絶対的な真理なんかないんだから、そんなもの目指さなくてもいい」となって、真理の追求を馬鹿げているとみなしてしまう。思考停止のことである。
政治でも経済でも道徳でも「正しさ」の追求を無視はできない。「国民が幸福であるためにこうすべき」「犯罪をこう定義すべき」等。
相対主義によって堕落してしまうと「絶対なんてないんだし、適当でいいんじゃなーい?」と無知を開陳し、考えることを放棄するのである。
民主主義では投票が重視されるわけだが、これが働くためには、事前に人それぞれの正しさをぶつけあって議論し尽くしている必要がある。
相対主義の形態の社会構築主義が蔓延すれば「説得力だけの扇動政治家」だけが支持される。
つまり相対主義や社会構築主義下での民主主義は、その場のノリで物事が決まる衆愚政治へと成り下がる。
そもそも、相対主義者は「人それぞれ」を絶対としているのである。「絶対なんてないと言っていて、相対主義を絶対と言うのはおかしい」と指摘されても、相対主義者は言い返せないだろう。
問題になった「食べ放題は同じものを大量に頼むことができる権利じゃない」と食い違う法律家の見解を紹介したけど、何も異論が出てないよね
「炎上してるから社会通念だ」っていう雑な決め付けも破綻して、あとは結局「自分はそれが社会通念だと思う」というお気持ち表明しかできてないじゃん
最初のほうで書いたけど、自分の意見の根拠も出せないのに、オール・オア・ナッシングの論法でイーブンに持ち込もうとする姿勢はどうかと思うよ?
[B! 食] 上タンばかり頼んでなにが悪い? 暗黙の了解があるというなら見せてみろ - 関内関外日記
このエントリーに対して「暗黙の了解を守れ」と繰り返すだけのブコメやそれにスターをつける人たちちょっと酷すぎませんか?
goldheadさんは明瞭に書いている。
繰り返すが、「了解」なんてないんだ。心優しく店のことを考えて「3人前」だと思っていたとしても、店としては「1人前も出したくない」と考えているかもしれない。10だと思って5か、5と思って3か。わかりゃしないんだ、そんなもの。暗黙の不毛さで、ただただ言葉に発せられない憎悪と嫌悪が広まっていく。
「空気を読め」とはそういうことだ。むろん、空気が読めなければ生きにくい。読めて当然の空気だろ、という状況もある。が、これは焼肉屋の食べ放題の話である。「食べ放題」なのだから、好きなものを好きなだけ注文するのが当たり前だ。何度も言うが、それが「当たり前ではない」という人は、同じ意見の側の人たちをも納得させられる数字を出さなければ説得力がない。たしかに「50人前」は過度に見える。見えるが、40はどうだ? 30はどうだ? 10なのか? 5なのか? 空気を読めというばかりで、自分は暗黙の了解がわかっているという顔をするだけで、基準一つ出せないのはどういうことか。単に他人を見下したい、良識派ぶりたいというだけではないのか。
そうやって、「自分はわかっている」という顔をして、「空気」を読むことを人に課して、その実、自分の中身は空っぽだ。あるのは原始的な反感だ。それも、世間や他人の顔色を伺うだけで、「食べ放題で上タンは◯人前だけ頼むべきである」という基準も出せない。
そんなものが世の中の空気であって、だれが幸福になるのか。店は上タンを食べ放題で食べられるのが嫌だったら、上限を定めるなり、食べ放題メニューから外すなりすればいい。それを明文化すればいい。そこになんの問題がある。それで世の中の風通しがよくなる。クリアになる。世界から憎悪や嫌悪の量が減る。違うか?
とまで書いてくれている。
そこから逃げて正面から回答しないのは不誠実だし現在トップコメの「品がない」に至っては対話を放棄した人格攻撃じゃないでしょうか。
ちらほらある「ルール内なら何をしても良いと言うのか!」というコメントも曲解がすぎる。
じつは個人的にはgoldheadさんの主張に全面同意ではない。
最初「50人前も頼むなんて常識的に考えなよ…」と思っていた側だ。
でもこれを読んでハッとさせられた。
たしかに何人前までならOKなのか私は答えられないし、そういう「常識」「暗黙の了解」を私たちは別の場面で「空気」「同調圧力」という言葉で批判しているのではなかったか。
私は考え込んで黙るしかなかった。
いま言えるのは牛タン食べたいということだけです。
別に俺は今のまま左側立って右側歩く運用でも、両側立つ運用でも、どっちでもいいんだよねぇ~
ただ、今みたいに
「歩くのはいけないことだけど、右側に立つ勇気は私にはありましぇん。」
って言って右側には立つ人も歩く人もいない空白スペース、でもエスカレーター待ちの行列ができてるっていう今の状態がクソだと思うのよね。
そもそもこのテーマ自体が暇人リベラル高齢者の暇つぶしだと思っているのでまともに考えるだけ無駄
転倒事故とか機器の消耗とか、本来は問題視するほどでは無いけどなんか理由ないと説得力ないからってことで付け足された後付けの理由でしょ
という思想の僕ですが
今日エスカレーターの右側で明らかに決意を持って一人立っていた人を見て、ちょっと尊敬の念を持ってしまった
たぶんリベラル暇人高齢BBAなんだけど、混雑してる駅のエスカレーターで後ろからうっかり蹴落とされるかもしれないリスクを背負いながらも自分の思想を示す姿は、