はてなキーワード: 美食とは
睡眠時間はYouTubeに削られ、セックスは快楽よりも面倒が勝る
クソつまらん上に儲からないゴミジョブを切り抜けていくにはもう美食しかない!
孤独のグルメでも「現代人に許された唯一の癒し」って言ってるぞ
糖質制限なんてやめてしまえ、うまいコメをたらふく食って運動すればいいのだ
長野駅のワンコインのそばがうまいことは大半の都会人は知らんだろ
どうして人はうまい肉を育てるか?うまい肉を食いたいからに決まってるよな
ホンモノのうまいものでSNSでいいねされる喜びを知らないなんてモグリだね
昔の人は石板に「俺の人生は梨を食えたから幸せだった」と書いたらしい
みんな秋のフルーツで脳みそに快楽物質あふれさせればいいと思うんだがな
いろいろ抜けとるやんけ
Bourdain was right. This simple Lawson egg sandwich is a next level gastronomic experience! pic.twitter.com/KSUMrY3ph9— tariq panja (@tariqpanja) August 2, 2021
ボーデインはんが言うてた通りやったわ。ローソンの卵サンドは新次元の美食体験やで
Tasty-ish (thanks to daniel_nash for the suggestion)
Basically soft serve in a pouch. Far to sweet for everyday consumption but hits the spot. pic.twitter.com/cjR7ZCV96g— tariq panja (@tariqpanja) August 2, 2021
うまいッシュやで(daniel_nashはん教えてくれてありがとうな)
要するにパウチに入ったソフトクリームやで。食事には甘すぎるけど旨いやで
こういうことやな
で終わってしまう。
展開について疑問にも思わない。
時系列がどうなってるとかタイムパラドックスとか一切思いつかない。
第1世界→(時空を超える愛の力)→第2世界→(時空を超える愛の力)→第1世界再び
となっているだけに思える。
この手の作品でよくあるのが無数の並行世界がただの失敗セーブデータとして扱われることだ。
たとえばマリオが99体いて、98体の残機が消えてクッパが倒されたとする。
そのとき98体のマリオは平行世界においては実際に死んでおり、その世界はクッパに支配されたままとなってしまう。
だがこの作品は一方の並行世界における救済がもう一つの並行世界を救済する形にしている。
それによって両方の並行世界が救われる。
これが何を意味するかと言うと「無数に強いメッセージ性を宿らせることが出来る」である。
第2世界からの4コマが届いたことで二人がずっと仲良く生きていける世界が生まれたら、他の並行世界はまるで失敗のようになってしまう。
俺は頭が悪いからよくわからないけど、「たらやればはあるけど、自分が今生きている平行世界で幸せになることに対して前向きに生きていくことしか、私達には出来ない」とかなんじゃないだろうか?
「自分が関わったことで最悪になってしまったものがあるかも知れないけれど、もしかしたら最高になったものもあるかも知れない」とかなのかも知れない。
どうにしろこの作品が描くのは「自分が必死に生きるのならどんな並行世界でも、その並行世界なりの幸せが築けるはずだ」という人間讃歌なのだろうか?
わからん。
むずいな。
暗い話であるかのように捉える人は頭が良すぎるんだと思う。
不幸だ。
でも頭が良いから物事の暗い所までよく見えるというのは、俺からすると羨ましい。
それは「解像度が良すぎるテレビだと芸能人が厚化粧のブスに見えるぜ!」と同じようなものだろう。
でもその芸能人がブスに映るテレビでみる自然はブラウン管のしょぼしょぼ画質よりもクリアで雄大なのだろう。
俺は知らないけど。
だがそれぞれのボトルネックによる掛け算によって見える世界が、個々人の見ることが出来る世界の個性になる。
なんにでもマヨネーズをかければ美味しくなるというだけの世界で生きるものは、高級食材以外を不味い不味いと怒り散らす人より幸福かも知れないし、本当の美食を知らない不幸なものなのかも知れない。
本当の友情を知らない人生は寂しいのかも知れないが、本当の別れを知らないことが幸福なのかも知れない。
だが、どんな世界にもその世界の幸福があるのだと、そういう漫画だと俺は思って読んだ。
馬鹿って、羨ましいだろ?
その艶めかしい姿を見て、僕は思わず生唾を飲み込んだ。誘うように光る粘液、突けば弾き返すようなその肉感。薄い衣の上からでも、その肉質が伝わってくる。
早くその全てをこの口の中で転がし、存分に蕩ける蜜を味わい、歯を立ててみたい…
無意識に鼻から大きく息を吸い込む。芳しい、なんとも言い難い独特のあの香りが鼻腔をつく。
昂る欲望を抑え込むように、先ずは供された緑の瓶から、秘薬をひと口。瞬間、泡立つような感覚が喉を通り抜け、僕の胸の奥に熱い火が灯った。
もう我慢できない…
『もう、いいかな?』彼女の返事を待たずに、気がつくと僕はその塊を口に含んでいた。
想像したよりも遥かに潤んだその蜜が、僕の唇を汚し、口内を蹂躙する。官能的な香りに後頭部が痺れるような錯覚を起こす。
蜜を丁寧に舐め取り、秘肉にそ、っと歯を立てると彼女の口から思わず声が漏れた。
『あっ…は、早く…私の口にも頂戴…っ!』
普段の彼女からは想像できないようなだらしない表情で、ぬらぬらとした舌を出して口を開け、待ち構えている。
『いいの?少し熱いよ…』
『いいっ!もう我慢できないのっ』
正に海老反りとしか形容できないほどに反り返ったそれを、ゆっくりと彼女の口に含ませてゆく。
『あっ…ん、ん…こんな大きいのはじめて…!それにすごく弾力があって…あっ…』
『どうしたの?ちゃんと言わないと分からないよ。最後まできちんと言ってご覧。』
興奮を抑えつつ、彼女を視姦しながら優しく尋ねる。
『あっ、あ、…お、美味しいですっぅ、ぅう!』
『何が?何か美味しいのか言うんだ!恥ずかしがらずに言わないと駄目だよ。もっと欲しいですってきちんと言って。ほら』
『ぅっ、ぅ ぁああ、あっ!なっ、南粤美食のエビチリ、美味しいれすぅう!もっと、もっとこのだらしないお口にくださいぃ!』
『よく言えたね。ご褒美だよ。』
そして僕はまた新たな肉塊を、彼女の口に押し込むのだった…
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気の合う仲間と飲み会に行くのはいいが、職場の飲み会は滅ぼしてほしい。
いない人間の悪口ばかりをいい続けて、それで5000円とか信じられない金額を取られるのだ。
手取り16万の新卒が、なんで週に2回も3回も飲み会に行かなくちゃいけないんだ。
2次会、3次会まで新卒は付き合え、なんて無理に決まってるでしょ。
居酒屋の食事って、定食なら700円? 800円ぐらいだろう。
そんな食事になんで、4000円、5000円も支払って、飲みたくもない烏龍茶を飲み続けるのは嫌になるのだ。
しかも、ずっと偉い人や上司の愚痴や説教を聞いて相槌を打ってる。
うっせえわって曲がある。
居酒屋に支払った金返せ。
本当に金が無い。
しかしそれでも、飲み会したがり人間はたくさんいる。だから飲み会クラスターが発生する。
もう、飲み会は嫌なんじゃよ。
飲み会はやめて。
そういう底辺の増田は上級国民やエリートを自分のやりたいことやってる人間と同一と頭の悪い理解をしている
そこで宦官や侍女たちにかしずかれ身の回りの世話すべてをしてもらい
やることといえば美食を食べ精力剤と酒をかっくらい後宮で種付けすることだけ
北方の蛮族が侵入してきたときくと怯えるが、宦官に「陛下の御威光により蛮族共は皆退散しました」と言われるところっと安心して後宮に入り浸り
地方軍閥が割拠したと聞くとまたも不安がるが、宦官に「所詮は田舎者のやること、我が禁軍精鋭50万の前には蟷螂の斧も同じにございます」とか言われると安心して…以下略
よくある増田たちの理想生活って要するにこういうぼんくら皇帝のと同じようなもんで、だからナイフ一本で勝てるとか思ってる
すぐに散弾銃とれるわけでその時点で暴力でも一瞬で底辺は負けるっつーのって話
自分の頭の中の理想と現実認識の区別がつかない本物のバカのくせにネットで欲求だけ肥大化してるからな
どうしようもねえ
生きる価値がないとはこのことよ
一部の男性の性欲が日常生活に支障をきたすような苦しみであり、
性欲は定期的な射精によって解消することが可能であり、心地よく射精に至るための文化的装置がポルノやオナホである。
それは医薬品ではないが、自分ではコントロールできない強い生理的欲求を解消するという広い意味での医療に類する役割を担っている。
私は性欲が比較的薄く、オナニーの頻度も低いが、ある程度の期間オナニーをせずにいるとある日朝起きたらパンツが夢精でべっとり、ということはざらにある。
もちろんこれはPMSに比べれば苦痛の程度は遥かに小さいだろう。精液は血液と違って洗濯すれば綺麗に落ちるわけだし。だが、「勝手に身体から変なものが出てくる」という意味では、朝起きたらパンツが経血で真っ赤だったというのと同じことだ。どちらも自由意志でコントロールできるものではなく、ただただ不愉快な経験であることには違いない。
女性の生理と違うのは、男性の射精は、その過程で快感を感じることができるということだ。したがって、男性の性欲は「定期的に訪れる不随意の生理現象」であると同時に、「定期的に快楽の機会を提供するもの」にもなっている。これが男性の性欲が医学的に問題視されにくい理由である。強烈な空腹を美食で満たすことができるように、強烈な性欲は自慰や性交で満たすことができる。
人間社会は、食欲を薬によって解消可能な生理的欲求ではなく「快楽を感じる機会」と捉えることによって美食文化を発達させてきた。ゆえに「食欲を抑える薬」はない。性欲も同じで、男性の性欲は薬によってではなくポルノ文化を発達させることによって解消することが目指されてきた。ゆえに「性欲を抑える薬」はない。
もちろん性依存症というのはあるので、医学的な介入が一切不要というわけではない。過食症に対する医学的介入が必要なのと同じだ。だが、適度の性欲は、適度の食欲と同様に「そういうもの」だと捉えられ、「お腹が減ったなら美味しいものを食べよう」というのと同じように「性欲が溜まったなら良いポルノを見よう(風俗に行こう)」というやり方で解消するものだとされてきた。
ポルノに対する規制にやたらと反発する男性は、ある意味では、薬やレストランを奪われようとしているようなものだ。そう考えれば、彼らの執拗な抵抗も理解できるだろう。
繰り返すように、月経による苦痛を矮小化する意図はないし、男性の性欲による苦痛が生理による苦痛と同程度とも思わない。だが、それは「定期的に訪れる、自分ではコントロール不能な生理現象」であるという点では同じなのだ。普通の風邪とエボラ出血熱がどちらも「ウイルスによって引き起こされる感染症」という点では同列であるように。
風邪とエボラはどちらも感染症だと広く認識されている。「エボラは病気だけど、風邪は病気じゃない」「エボラ患者はこんなに苦しんでいるのに、症状が遥かに軽い風邪の患者と一緒にしないでほしい」なんて言う人はいない。でも、「PMSは自分の意志ではコントロールできない生理現象だけど、男性の性欲はそうじゃない」という言説はありふれているし、男女を問わず多くの人が漠然とそう信じ込んでいる。それは間違いだ。男性の性欲も、女性の月経と同じく抗いがたい生理現象なのだ。その過程で快楽を生じさせるか否かという点が違うけれど。