はてなキーワード: 求めないとは
高校生時代に、あまり有名ではない漫画家が好きで意気投合した女の子がいた
よく一緒にいて好きになって告白したけど、付き合うとかは分からないけどエッチするだけならいいよってことで
それがどんな関係なのかは分からないけど、会うたびにエッチしてた
その時は、エッチしてるのは自分だけと思ってたけど、どうやら色んな男としてることを知ってとてつもなく複雑な感情で心が病んだのを覚えてる
自分の人生で一切の利益関係なくただエッチするという関係になったのはその子だけだ
彼女ですら何かしらの利益の交換が当たり前にあって、どこかで冷めてしまう
ただしたいと思ったらさせてくれて、何も見返りを求めない
友達とご飯を食べるような感覚で自然にエッチ出来る関係が忘れられない
そして、他の男ともそういう関係があったと思うと心が締め付けられる
複雑で何を言いたいのかも分からない
全部もう無理だ。
最強になりたいわけじゃないけど、時代遅れになったままで続けていて楽しめるものじゃない。
わからん殺しされている間にシーズンが終わっていく中で、ただ新環境に振り回されるだけのサンドバッグは流石に楽しくない。
土日にゆっくり休みたいのにゲームのことを勉強したくないし、毎日クタクタになって電車に乗ってる時に情報収集も周回もしたくない。
昔はゲームをやって上手くなり続けることがコミュニケーションツールで、社会活動の一環としてゲームをしてたんだと思う。
今はもう社会活動や自己研鑽は仕事に関わる分野でやった方がずっとずっと効率がよくて、ゲームにはそういうのを求めても仕方ないと思うようになった。
代わりに求めているのは「降りたいときに降りて、やりたいときだけやる」という関係だ。
オフラインゲームの時間は自分がプレイしていないときは時間が止まっている(たまにオンラインアプデでバランスが変更されるが)。
仕事は休めば休んだだけ状況が変化していくし、あとになってから変化に追いつこうとしたら積み上がった宿題と戦う羽目になる。
人間関係だって、ずっと疎遠にしているうちに縁が切れてしまったり、自分が知らない間に相手が変わっていく。
そもそも自分の体だって勝手に寿命でドンドンボロボロになっていき、時間を止めることが出来ない。
動き続ける時間の中でいつだって「もう降ろしてくれ。休ませてくれ」と感じている。
ただ癒やされることが出来ればそれでいい。
ゲームをクリアしたことでチヤホヤされるとか、誰かと話題を共有するとかそういうことはもう求めない。
そういったセカセカしたものに対して縁を切った状態でいられる場所が俺にとってのゲームになった。
だから新しく買ったゲームに協力要素があるとなんだかモヤっとする。
別に無視できるようなものならいいんだけど、隠しボスが協力プレイ前提とかだと、俺とは価値観が合わない人が作ったゲームなのかなあって。
26歳女、ぼちぼち結婚を視野に入れたいため恋人がいてもいいな〜と思っていたところに会社の先輩から「友達が婚活上手く行ってなくて、もし気が向いたら会ってもらえない?」と言われ、まぁいい機会だしと会ってみた。
話はめちゃくちゃ合うし向こうも多くは求めないってスタンスで(「車で出かけるとき助手席に座ってくれる人がほしい」という何ともカワイらしいご希望)、悪い人じゃないんだけど、言ってしまうと外見と性格がタイプじゃない。“いい人”なんだけど“いい人”でしかないというか。減点ポイントは少ないけど加点ポイントもないからトータルゼロ寄りみたいな。
というかそもそも、婚活という「今から目の前のこの人は私を生涯のパートナーに足るか見定めるし、私も見定めないといけない」というシチュエーションがすごいプレッシャーかかる。これ長年やる人はメンタル強すぎ。
将来的には結婚したいんだけどこの人相手だと難しいだろうな〜。やっぱある程度のステータスをわかったうえで選べるマチアプって合理的だ。向こうはこっちを結構気に入ってくれてる分、ここからどうやってフェードアウトするか悩ましい。無理かもって伝えても「まずは友達から」って食い下がられたらなー。無下にもできんしなー。出来心でOKするんじゃなかった。
私は優しい人間である。高齢の方が困っていたら助けるし、友人が落ち込んでいたら励ましたりする。
しかし、私は弱く浅ましい人間である。高齢の方を助けるのは自分が困ったときに助けられたいからだし、友人を励ますのも自分が励まされたいからだ。
見返りを求める優しさは、弱さゆえの優しさであり、私は実際優しいと呼べるのか。
私は優しいとはとても呼べないと考える。
それならば、強さゆえの優しさが本当の優しさなんだろうか。それも、なんだかそうだと思えない。
優しさ、を強いか弱いかで推し量る事がそもそも間違えているのかもしれない。また、道徳と優しさを混同しているのかも。
そもそも優しさとはなんだろう。調べてみる。
優しさ、について調べて見たが、全体的に余裕があり、見返りを求めない人間が「優しい」とされるらしい。やはり強さゆえの優しさが優しいと呼ばれるのだろうか。
納得がいかないのは、おそらく私の周りが弱くとも優しい(と私は思う)からである。私の家はプロテスタントであり、弱くとも(ある意味では見返りを信じている)優しい人に多く接してきた。それらは優しくないのだろうか
まず「男の年収に価値はあるが、女性の年収にはそれほど価値はない」は理解できてる?
それはちょうど「女性の若さに価値はあるが、男性の若さにそれほど価値はない」のと対照的なんだ。
つまり「年収が高い女性」は「年齢の低い男性」程度の価値しかない(というかほぼ無価値)なんだ。
そして女性の「家事ができない」は(多くの場合)男性の「仕事ができない」に相当するんだ。
もちろん男性に稼ぎを求めない女性もいるのと同様に、女性に家事を求めない「進歩的な」男性もいるから絶対ではないよ。
だけど残念ながら現代日本ではそういう男性は多数派ではないんだ。
もう一つ言うと、女性の30歳は婚活市場では男性の40歳程度に相当するのだ。
実際、どちらもあと数年が婚活のリミットだと考えればわかるのと思うのだ。
以上、ずんだもんがお送りしたのだ
「アリスとテレスのまぼろし工場」だけど、本作は言うに及ばず、過去作もフェミニズム、女性の政治的権利にはつながらない人だよねと、いつも見てる人には当たり前の感想を思った。
それもあり、当然ながらヒロイズム喝采な盛り上がり方もできないし、一方でポリティカルテンプレの誉め方で持ち上げようがないし、日本的な意味でも海外的な意味でも売れ筋から背を向けてて、正しく古いオタク向けの人ですよね岡田監督。この人を女性監督という取り上げ方をするのも大概バカみたいだけど、そういう戦略性も含めてオジサンにウケる人。
「少年少女」じゃない。おそらく10年以上なんなら20年近く「中学生として振る舞い続けること」をやってきた、周囲の監視の目もあって童貞処女のままの30代半ば。キモイ。似てる設定というと「スカイ・クロラ」だけど、あちらほど精神状態が終わってないのがまた煮え切らなくてキモイ。
ここで既に物語テンプレのロールや社会的ロールに沿った理解を当てはめようとする人が全員振り落とされる。「十代のドラマなら十代のドラマらしい話にしろよ」も「30代の擦れた男女のドラマならもっとそれっぽく作れよ」も適用されない。イラついて「設定がちゃんとしてないんだよ」と毒づく。
まあね、でも実際そんなだったじゃん90年前半バブル崩壊で取り残された団塊ジュニアども。
保守的な伝統社会はぶっ壊されてたし、理念先行の社会主義なんて信じてないし、経済成長に従ってれば会社が人生のレールを敷いてくれるって幻想も一瞬で消え、2、3学年上の先輩たちの話はまるで参考にならない。稼ぎがないので結婚しないし、景気が悪い上に自分たちの世代が一番人口が多いせいもあって職場に後輩も少ないなんなら後輩いない、なんなら終身雇用と派遣の狭間で企業側もフラフラと方針定まらないまま。いつまで経ってもマンガアニメから卒業しない「子供のまま」だったのが、気が付けば世間の方がマンガアニメに迎合しだしちゃって。
設定らしい設定がないので、子どもなのか親なのか、先輩なのか後輩なのか、若者なのか中年なのか、どういうロールが正しいのかわからん連中が日本の人口のマス層として取り残された。
こういう停滞感、今までも色々と表現されてきたけど、比喩としては一番ダイレクトで何のひねりもなく、分かりやすい。現実に設定がしっかりしてないから、設定ではっきりするほうが噓でしょ、って明け透けな見せ方。これが今回いちばん岡田麿里らしいとこじゃないですかね。
いわゆる岡田監督らしさについては、本人が自覚的に自分の過去作を振り返って他人から言われる評価を参照しつつ作ったってパンフで言ってるし、そこまで評価するとこでも突っかかるとこでもない気がした。上手いですけどね。女と母親とどちらでもある自己っていう振れ幅を一つの台詞に同時に込めるとか、うわーえぐーい。オジサンはこういうのやられると負けるわ。
ただまあ、今回は前よりかすっきり整理してて分かりやすいし、監督そのもの、監督らしさ、岡田マリー節炸裂、とは思わなかった。70%マリーぐらい。200%って言ってる残りの130%は作画スタッフとか役者とか視聴者の思い込みとかだと思う。
ただ、その70%で、ファンタジー世界を作り上げた神たる老人の「俺はこう生きた、君たちはどう生きるか」に対し、ファンタジー世界に囚われた住人の立場から「中年のあたしたち俺たちはこう生きてきたし、こう生きていきますが、それで、何かご質問が?」と打ち返してるのが、マリー持ってんなと。このタイミングでこのカウンターを見逃すのはホント勿体ないので見たほうがいいと思う。
その他。
なんか「あの花」とか最近作しか出てこないので、老害的に付け足し。
この人はファンタジー作家です。現実世界のリアリズムとかの人じゃない。のでリアリズムは求めないほうがいい。
ファンタジー作家としての気質は「砂沙美魔法少女クラブ」で100%発揮されてる。以降もだいたいこんな感じ。
「スカイ・クロラ」を引き合いに出したので繋がりでいうと「シムーン」の後半。シムーンは押井守と仲良しな西村純二監督が「スカイ・クロラ」とほぼ同時期にやった「モラトリアムな人たちの出てくる戦闘機乗りの話」で、シムーンの企画原作やってた人たちの手を離れて後半はマリー西村コンビへ。このコンビの流れで「true tears」に繋がり、そこから「花咲くいろは」へと。
煮詰まって先に進まない男女関係だと「とらドラ!」。原作あるけど、まったく前に進まなくてどうすんだこれ、って澱みっぷりは岡田脚本の本領発揮だと思う。秩父三部作だと長井龍雲監督の調整がけっこう入って長井節になってるので、あんま澱まない。
個人的にマリー100%だと思ってるのは「ブラックロックシューター」。ファンタジーで少女バトルでバイオレンス。別に下ネタじゃなくても100%だと思う。気に入ってしまって円盤買って家族に強制的に見せたのは、ちょっと反省している。
まあ脚本家のキャリア長いし、原作ものも当然のように多いし、普通に現場の調整の中で仕事してる人なので、なんもかんもマリーってこたない。
全ての人間との関係が完全に絶たれていて、許せるとしてせいぜい年1回顔を合わせるかどうかでメールも月1あるかどうかの肉親だけが唯一の交友関係みたいのを求めてるんだろ?
そんな奴見たことねえよ。
鬱ごはんですら主人公は承認欲求を満たすためにTwitterで交友しちゃってるんだぜ?
無理だよ。
スイス・アーミー・マンでさえスイス・アーミー・マンがいるし、キャスト・アウェイだって行って帰ってくる場所がある。
ショーシャンクのレッドにだって、書き置きを残していくような相手がいたんだからな。
鬱野のUber Eatsみたいに同業者とさえ交友を経ち、店員相手の経済活動の中にだけ人との関わりがあり、他者を拒絶し承認を求めないが故にネットでも誰とも関わらない、そんな孤独のスーパーヒーローみたいなのを求めているのか?
いないだろ。
地球が滅んで最後の日になった物語でさえ、主人公はやがて生き残りを見つけてソイツラと関わっていくもんだ。
女主人公だからってことじゃなく男主人公であろうと変わらんだろ。
本当に孤独であり続ける人間の物語なんてこの世界のどこにも存在しない。
それはもう物語にならねえんだよ。
連載会議や脚本会議を通らねえから作品として世に出てこねえし、そうじゃない素人のWEB漫画だって、作者がわざわざ無償で漫画を世の中に後悔するような露出趣味じみた感性をもってる時点で、その分身たる主人公たちもまた人と関わろうとしちまうんだよ。
地獄じみてるぜ