私は優しい人間である。高齢の方が困っていたら助けるし、友人が落ち込んでいたら励ましたりする。
しかし、私は弱く浅ましい人間である。高齢の方を助けるのは自分が困ったときに助けられたいからだし、友人を励ますのも自分が励まされたいからだ。
見返りを求める優しさは、弱さゆえの優しさであり、私は実際優しいと呼べるのか。
私は優しいとはとても呼べないと考える。
それならば、強さゆえの優しさが本当の優しさなんだろうか。それも、なんだかそうだと思えない。
優しさ、を強いか弱いかで推し量る事がそもそも間違えているのかもしれない。また、道徳と優しさを混同しているのかも。
そもそも優しさとはなんだろう。調べてみる。
優しさ、について調べて見たが、全体的に余裕があり、見返りを求めない人間が「優しい」とされるらしい。やはり強さゆえの優しさが優しいと呼ばれるのだろうか。
納得がいかないのは、おそらく私の周りが弱くとも優しい(と私は思う)からである。私の家はプロテスタントであり、弱くとも(ある意味では見返りを信じている)優しい人に多く接してきた。それらは優しくないのだろうか
優しくない人より優しい人のほうがいいに決まってるんだから動機とか下心がどうとか悩む必要ないと思うよ。孟子の不忍人之心よ。
返信ありがとうございます。不勉強なもので、「不忍人之心」という物を知らなかったのですが、とても良い言葉ですね。真の優しさを悩むよりも、「不忍人之心」のようにどちらも優...