はてなキーワード: 尊称とは
日本のマスコミが「We are sending an armada - very powerful. 」を「「無敵艦隊を派遣した」と述べ」と訳した問題であるが、最低でも以下のことを抑える必要がある
・「無敵艦隊」は16世紀フェリペ二世時代のスペイン海軍の自称ではない。スペインでは「大艦隊」(Gran Armada)、あるいは「いとも壮大なる艦隊」(Grande y Felicísima Armada)
・スペインの艦隊を「無敵艦隊」というのは、のちにこの艦隊と戦うことになったイギリスで「半ば皮肉混じりに恐怖と賞讃の意味を込めて奉った尊称」である。
<岩根圀和『物語スペインの歴史』2002 中公新書 p.211>
英語圏でこの16世紀のスペイン海軍を指す言葉として「the Armada」「Spanish Armada」があるが、これも別に「無敵」を自動的に含意してはいない。16世紀のスペイン艦隊をやたら無敵艦隊というのは日本ぐらいなものだろう。
器量良し、エロい、そしてエロいの三拍子揃った女性声優(Sさん)の、ここ数日における営業攻勢に失禁が止まらない。
以前から「かわいい」、「オッパイが大きい」、「やっぱりオッパイが大きい」と人気がある御仁だ。
本人もそのことを理解していて、Twiiterやブログにメチャシコな自撮りをよくアップしていた。
お顔のアップ、お胸の大きさがハッキリ出る服、お胸の大きさを強調するようにピンと反らした上体。
さらにサブカル、ミリタリー、今は亡き東側の盟主テイストの趣味がご贔屓で、オタサーの姫としても抜群のコンテンツ力を持っている。
いや、オタサーの""女帝""と尊称すべきだろうか。若い女性で、おいしさイナズマ級なのである。
ベッキーとは対照的に危機管理能力も高く、すみp……スペツナズである可能性は否定できない。
とりわけ、Twitterにあげたエロい写真が電子レイプされた時の対応は瞠目に値する。
写真の彩度を弄り、白服下のブラジャーを視認可能なレベルまで透けさせるという革命的同志が現れてしまったのだ( http://livedoor.4.blogimg.jp/himasoku123/imgs/f/4/f482ac7a.jpg , http://livedoor.4.blogimg.jp/himasoku123/imgs/1/0/1061a4d5.jpg )。
日頃からドル売り女性声優はズリネタにされ、基本的に人権はない。
しかし、今回は事務所の許容範囲を越えたようで、Sさんのツイ垢は無期限凍結された。
今後しばらくはブログで活動報告するという。極東のマカーキが求める、しおらしい女性像を意識しての対応だ。
正しい。政治的にはアウトだが、業界的にはジャスティスである。
声ヲタは、愛を売ってドルを稼ぐ女性声優にさえ貞操観念を求めるのだ。
クリスマス前後の言動には彼らによる検閲が入り、結婚したら必ず報告しなければならない。
反動分子を粛清し、「すみぺ、俺たちに負けるな!」とアジっていたシンパをシベリア送りにし、何事もなかったかのようにTweetを続けられてはお猿さんたちが黙っていないのだ。
Twitterにおけるこの大陸的撤退戦は定石であり、それほどニュースバリューはない。プラウダも書かないだろう。
事変後、最初に投稿された写真は「かわいいお顔、オッパイ」である( http://line.blogimg.jp/uesaka_sumire/imgs/a/1/a10052cf.jpg )。
一見すると何も変わっていないようだが、もうスターリングラードのあとか先かくらい違う。
無論、透けてはいない。
さらにフリルがあしらわれており、身体のラインがダイレクトに出ない淑やかさも認められる。
しかし投稿されたのはTwitter凍結通告の翌日だ。彩度はダメだけど、別のモノなら弄ってもいいよというクレムリノロジー的メッセージが読み取れる。
さらに3日後には、黒のゴスロリお衣装と縦セタという、スプートニクショックが襲う( http://line.blogimg.jp/uesaka_sumire/imgs/8/8/885f0b4d.jpg , http://line.blogimg.jp/uesaka_sumire/imgs/8/8/880292d0.jpg )。
黒は『まだ喪に服しています』という謙遜、縦セタは脈アリ。飴ムチである。彼女ならクリミアだって治められるに違いない。
そして4日後の3月12日、グラスノスチ。高シコリティーな御真影が復活する( http://line.blogimg.jp/uesaka_sumire/imgs/6/e/6e57cbd8.jpg )。
ホワイト!!(絶叫)ではあるものの、中には黒のインナーがしっかり。""分かっている""
そして2枚目( http://line.blogimg.jp/uesaka_sumire/imgs/b/c/bc75e99e.jpg )では大きく開いた胸元から谷間がЗдравствуйте!
╭( ・ㅂ・)و ̑̑ グッ !
『一般的に皇太子には「皇太子さま」というように「さま」をつけるが,なぜ天皇陛下には「さま」をつけないのか。
また,雅子さまについては,「皇太子妃」ではなく「雅子さま」と呼ぶのはなぜか。
資料2 共同通信社 編著『記者ハンドブック』共同通信社, 2010【816.07/10X/R】pp.602-603「皇室用語について」
「(前略)2 皇室に対する敬称として皇室典範では天皇、皇后、皇太后、太皇太后は「陛下」、それ以外の皇族は「殿下」とすると定めているが、記事上、「陛下」は天皇だけに使う。天皇、皇后と併記する際は「両陛下」とする。「殿下」はできるだけ使用せず、皇后や皇太子など皇族は「さま」を使う。(中略)[例]天皇陛下 天皇、皇后両陛下 皇后さま 秋篠宮さま 雅子さま 皇太子ご夫妻 秋篠宮ご一家(後略)」』
リファレンス共同データベース http://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000184144
『日本のマスコミのおかしなところは、他国の皇族や王室には「さま」呼びしないということです。
イギリス王妃をキャサリン妃と呼び、カンボジアの王族にはシハモニ殿下、ラナリット殿下と呼び、ブータン王室にはワンチュク国王とジェツン・ペマ王妃と呼びます。
しかし、日本の皇族には「さま」です。特に皇后陛下にまで「美智子さま」と呼ぶのです。
これを「親しみをもって」と言っていますが、日本の皇族だけに「さま」呼びしていることに悪意を感じます。』
http://ameblo.jp/sikihanana156/entry-12093235041.html
『謀社に抗議したところ、昔はどの新聞にもきちんと「殿下」をつけて書いてあったのですが、マスコミ各社が「開かれた皇室」ということで例の左翼系の謀新聞社が音頭をとって「殿下」という言い方をやめようと言う話になり、それがマスコミ各社の基準になった、と言うことでした。ところで宮内庁が「開かれた皇室」というスローガンを打ち出したのですか、という問いには、謀新聞社がリードして打ち出したので宮内庁は関係ない、と言うことでした。』
http://turumi-jinjya.blog.so-net.ne.jp/2012-07-08
『「雅子様」とは見出しにとっていない事実だ。「雅子さま」なんです。なんで、「様」でなくて「さま」なんだろう?平仮名の方が柔らかいってのがあるでしょうね。それに「様」というと、マスコミが標榜している「開かれた皇室」というのと、イメージが違ってくる。「さま」だと国民にちょっと近づいた感じを与える。』
鳥越俊太郎の「あのくさ こればい!」http://www.1101.com/torigoe/archive/2000-01-01.html
『「さま」とする敬称はマスコミが勝手に基準を設けているだけで、敬称は皇室典範で決まっています。マスコミは親しみやすく、わかりやすく、と言っているようですが、反面、伝統を壊し、皇室・皇族の権威を下げることに繋がっています。おそらくイデオロギー的なものが入っているのでしょう。一種のトリックです。ちゃんと子供の頃から本来の敬称を教えて、マスコミもちゃんと報道していれば誰でも自然に正しい敬称が使えるはずで、解りにくいとか、窮屈とか、親しみがどうとかそんな話ではないはずです。私自身、偏向マスコミと日教組に洗脳されて育った人間であり、スラスラでてこないため、文献で確認しながらこう書いている始末です。』
http://d.hatena.ne.jp/jjtaro_maru/20100221/1266717963
『共同通信が皇太子殿下から皇族方を「殿下」という言葉を退け、「様」呼ばわりするようになってから、各マスコミが右に倣えして、正しい敬称を使わなくなった状態の中、ついに天皇陛下の尊称である陛下と言う言葉までNHK の製作者は、秘かに削り、省略するような工作をし始めていたのである。』
「剣豪」「剣聖」という呼称の誕生について - Togetterまとめ
と言われているのだが、
詩仙 李白
詩聖 杜甫
詩豪 劉禹錫
詩魔 白居易
詩鬼 李賀
詩佛 王維
詩囚 孟郊
詩瓢(詩奴) 賈島
詩骨 陳子昂
詩狂 賀知章
詩傑 王勃
詩家天子/七絶聖手 王昌齡
これらは優れた詩人にそれぞれの特徴を捉えたアダ名をつけているだけであり、
杜甫の詩には儒教的な思想が反映されているから「(儒教における)聖人」という意味での「聖」なのであって、
日本で言うときの「最も優れているから『聖』なのだ」というようなニュアンスは、そこには無いような感じがする。
かの御時に、おほきみ(み)つのくらゐ、かきのもとの人まろなむうたのひじりなりける。
これは柿本人麻呂が儒教的だと言われているわけではなく、単純に「優れた歌人」という意味での「歌聖」だろう。
妻
嫁
字の様から、この語に「家同士の婚姻」という時代や制度性を読み取ることは必ずしも間違っていない。従って、ことの是非はともかく現憲法とは整合しない。(家制度を否定するために設けられたとされる日本国憲法第24条1項に「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。」とある。)
奥
この語は、家の奥の間を指す語から武家の制度に由来する(例:大奥等)。この大げさな語を庶民が配偶者に用いたのはおおむねジョークとしてであり、他に「女房(=貴族の家の手伝)」、「山の神(=女性であり、嫉妬深く、祟りやすいとされる)」など似た事例がある。
「グループ内最劣位の者を基準とした呼称」。すなわち、家庭内において子どもを基準としたときの「母」という立場に起因する日本的な呼称であり、「伝統的」であるとともに、「核家族を単位とした家族観を前提」とし「トーチャン」と対になる呼称であるところが意外とリベラルではあるものの、残念ながら子どもの居ない家庭などでの使用は難しい。
結論。今のところ日本語には、結婚後に、現憲法に則した『同等の権利を有する相手』の呼称がない。どう呼んでも問題がある点では同じ。
というわけで、好きに呼べばよろしい。ちなみに、「上記呼称に尊称を付けることで、本来的意味を崩壊させる方向」に進みつつある現在の状況はそれなりの妥協案だと考える。(奥『さん』、嫁『さん』、妻『君』……最後は余り現代的ではないが。)
ライターなり社長なり東大卒なり技術なり「既に足場を持ってる人はのし上がれる」
ってのが周知なので、有名になりたいなら何か自分で作って持ってきてからにしてください。
おこぼれで何かいただこうとか考えても、この20年で成功した人はいません。「文章力と発想が!」とか言っても、そういう人は一瞬で好意的ブクマ500超えが続いて2年以内にコンテンツ企業にフックアップされるので、その次元にないならあきらめてください。
何の話か。
「はてな有名人」という言葉を所与のものとして疑いもせず、キャラクターを捧げ、第二新卒カードを捧げ、おまんこを捧げた。「評価社会」と言えば聞こえはいいが、捧げた相手は(どれだけ頭が良かろうとも)所詮ただのフリー編集者だったり、零細社長だったり、DTPエンジニアでしかない。
相手は生身の男の子なんだよ。
「身を捧ぐるほどの祖国はありや」と昔の人は言ったが、
「捧げたい」という欲望がありきで「でもネトウヨにもなれず、宮台あずまんにも乗り遅れ、絵師や歌い手や生主に行けるほど若くもなく、でも捧げて高次の存在に行きたい! しょうがないから身近でコンタクトできる年かさの頭の良さそうな人に捧げよう!」となってるだけに見える。
端的に言ってそれは魔道だよ。
んで結果は何かというと、手前勝手に高め上げた権威とともに、崖から真っ逆さまだ。
長年の付き合いで勝手ながら彼らと彼らの産むコンテンツに薄い親近感を抱いてた読者層もたまったものじゃない。鼻がきいてバランス感覚の有るオタクまとめ屋として、小金持ってるコミュ障の行動家として、私生活と仕事を犠牲にした高感度下衆アンテナ人間として、それぞれに需要はあったんだ。
「村長」やら「師」やらは多少の馬鹿にした感を含んだキャラ名であって、尊称では決して無い。
猫カエルとか、はまちちゃんとか、金髪とか、そういうもんと同じだったはずなんだ。
相手は生身の男の子なんだよ。あーあ。
つまり冗談も言い続けてると真に受ける馬鹿が出てくるから、あんまり過剰なアダ名は「いやいやw」と謙遜しとくべし、って陳腐な世渡り話か?
○野田哲君 よろしいです。
厚生省、八月十五日が迫っているわけですが、毎年武道館で式典が行われている。昨年突如として、あの式典の正面に、どう言うのですか、掲げられているあれですね、いままではずっと長年「戦没者之標」という表示で行われていた。これが昨年突如として「戦没者之霊」というふうに変わった。この理由は何ですか。
○説明員(柴義康君) 八月十五日の全国戦没者追悼式は政府主催でございまして、厚生省といたしましては、政府の御指示により実施を担当いたしておるわけでございますが、昨年標柱の表示を「全国戦没者追悼之標」から「全国戦没者之霊」に改めるようにと御指示がございまして改めたわけでございますが、私ども伺っているところによりますと、三十八年から過去十二回実施してまいったわけでございますが、会場におきまして戦没者に黙祷をささげ、あるいは献花をいたします場合に「追悼之標」という表示では何かしっくりしないという戦没者の遺族の方々の意見がございまして、「霊」に改めたというふうに聞いております。
○野田哲君 厚生省のあなた方の方へ「標」というのを「霊」に改めるように指示があったのはどこから指示があったのですか。
○説明員(柴義康君) 厚生省は実施の方を担当いたしておるわけでございますので、内閣の方から指示があったというふうに伺っております。
○野田哲君 この式典の出発のときに、どういうあそこに表示をするかということでいろいろ国会の中でも議論が行われた。「霊」という表示の仕方、この「霊」というのは、これはある思想、宗教団体が使うものであって、宗教団体によっては「霊」というのは使わない、こういう団体もある。したがって、政府主催の場合には宗教色抜きで、憲法のたてまえによって無宗教という立場で国民の合意を得てやらなければならないということであの表示は「標」という形で行うと、こういうことで出発をした。そういう経過、あなた御存じですか。
○説明員(柴義康君) 追悼式をどのような形で実施するかということは、当初から慎重に検討されまして、宗教色を全く抜きにして実施しなければならないということであのような形で行われ始めたというふうに伺っております。
○野田哲君 ことしはどういう内容になっておりますか、その点は。
○説明員(柴義康君) 昨年と同様に実施することになっております。
○野田哲君 昨年ああいう形で実施をした、恐らくことしもああいう形になるんだろうということで、厚生省の方へ宗教団体等からいろいろあのことに対する抗議あるいは変更を求められるような要請等が行っていると思うんですが、いかがですか。
○説明員(柴義康君) 宗教団体の方々から、そのような要望があったことは存じております。
○野田哲君 いままで「標」という表示でやっておられた期間はその問題については特に問題は起こらなかった。それがああいう形に去年変更されたことによって、国民の間にあれでは困るということの声が上がり、変更を求める要請なり抗議が行っているということは、つまり、ああいう形に変更したことによって、これは国民の間にコンセンサスが得られなくなってきておる、宗教的な色彩を持ってきておる、こういうことでいろいろ宗教団体の方からそのことに対する抗議や要請が行っていると思うんです。だから、ことしあえてそれを去年どおりやるということになれば、政府のやり方は特定の宗教の色彩を帯びたやり方、こういうことになって、つまり、これは憲法に反するやり方ということになっているんじゃないかと思うんですが、この点は官房長官に後でやりたいと思っておるんですが、厚生省としてはその点はどういうふうに考えておられますか。
○説明員(柴義康君) 日本人の中で、「霊」という言葉はいろいろな意味合いで使われておると思うのでございますが、一般的に霊枢車とか、あるいは霊安所といったように死者にかわる言葉、死者を尊称する言葉として一般的に国民の中で用いられているわけでございまして、きわめて素朴な意味で死亡者を「霊」というふうに表現していると思うわけでございます。したがいまして、「霊」という表現そのものが宗教的な言葉であるというふうにはわれわれは考えていないわけでございます。
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/077/1020/07708121020002c.html
別に釣られることはなんとも思わないし、釣り師が話題を提供しているという増田の趣旨には賛同するが、「良質な話題の発信者」は言い過ぎだろ…と自分は思う。
釣りが気に入らんのは、動機が気持ち悪いからだよ。それ以外にはない。
自分の文章力がどの程度通用するのか、影響力を及ぼすことができるかを試してるわけだろ、あいつら。
もしかして、あんたもそうなのかもしれないけど。
詐欺師はそれでメシ食うのかもしれんが、釣り師はたんなるワナビーだろ。
あと、俺はリアルな釣りが趣味だから、そんなクソみてえなやつらと同じ名前がいやなんだよ。
まして「師」ってのは尊称だよ。やめてくれよ。本当に。