はてなキーワード: キッズとは
5ちゃんねるの嫌儲板は、colabo騒動の当初は暇空茜を担いでいた
女叩きの文化が激しく、また弱者男性やオタクが多い板のため仁藤憎しで暇空についた
しかし、暇空は知名度を得るためにあらゆる相手にぶつかっていたらcolaboでようやくバズっただけで、
過去には表現の自由界隈の人たちを叩き「非正規だろ」「底辺職だろ」「ペドだろ」「児童買春してるだろ」と脈絡なく誹謗中傷してきた経歴が知れ渡りトーンダウン
colaboへの監査結果も「持ち出し金の方が多い」と1円も返金命令は出ない結果に終わり、
むしろ暇空の弁護士渥美陽子の団体「キッズライン」の方が数年前に公金不正受給2690万円の返金命令が出ていると発覚する始末
嫌儲は逆張り体質で「仁藤がなんかむかつくから暇空持ち上げるか」から「暇空がなんかむかつくから仁藤持ち上げるか」へ変遷した
ちなみに、昔嫌儲にはドラクエⅩオンラインのスレがあり嫌儲ギルドがあった
暇空の相棒であるなるくんは嫌儲ギルドでネカマプレイして金を巻き上げていたが、個人情報流出で男バレしてギルドは解散した
嫌儲のスレ立てにはbeという会員登録が必要で、beログインしている者には5ちゃん側が用意した絵文字が表示される
富士山の絵文字が表示されているスレ立て人、通称「富士山」は昔は仁藤叩きのスレも立てていたが、伸びるのが暇空叩きの方になったため暇空叩きスレを立てる常連になった
「【悲報】暇空茜さん、信者から集めた寄付金で1人3万円かかる天ぷら屋で食事」
暇空はcolabo追求のためのカンパ金を何故か関係ない別の訴訟にも横流ししまくってはいたが、「ナニカグループという背後にある巨大な組織に全員関わってるから当初の目的を逸脱していない」としている
ましてや食事代になど使っておらず、天ぷらは自費で食べたという
暇空はcolabo以前には「この寿司5万円だけど、お前こんなの食えないだろw」と突然寿司画像を女に送りつける迷惑おじさんとして知られていた
金持ちなのでカンパ金がなくても3万の天ぷらぐらい食えるので、実際富士山は調子こいてデマを飛ばしたのだろう
富士山は「暇空は開示した個人情報を収益化目的で何度も晒し上げている、裁判外に使う意図だから開示するな」と反論
小沢は「そんなことはしていない。裁判外で収集した個人情報を晒しているだけ。今回得た情報を晒すようなことはない」と延べ、開示成功
今までの相手方は実名で活動していたりお店を開いていたりだったが、富士山は一般人
裁判は公開のもとで行われるとは言え、期日前の書類の公開は著作権侵害にあたり違法である
暇空は住所氏名晒しについて「うっかりミス」だと取り繕うが、富士山の住所氏名は多くの人が目撃することになり、暇空支持者が5ちゃんねるで富士山の個人情報を執拗にコピペしている
「これからは弁護士と相談の上でしか載せないようにする」とミス防止をするよう装うが、
著作権侵害の期日前書類は氏名住所を黒塗りしただけで収益化のためにそのまま公開を続けている
小沢一仁がそれを許している
暇空が儲かれば小沢一仁も儲かるので、法律やモラルを除けば止める理由はない
暇空は期日前晒しを富士山相手に限らず大量にやっており、勝敗はどうでもよく裁判自体もどうでもよく、ただ晒して金儲けがメインになっている
そういった行為への歯止めになるかもしれない
小沢一仁にとっては、ろくに監督せずに暇空を暴れさせれば、暇空が訴えられて弁護でまた自分が儲かるので富士山も金づるにしか見えてなさそうだ
割と真面目にお前らいつまでアニメ見てんだよって普通に思ってるんだけど。
とずっと騒いでデマ撒き散らしてまでNPOなどの慈善団体を叩き続けていた増田に朗報
https://www.fnn.jp/articles/-/702117
いわゆる「トー横キッズ」などの子どもや若者を支援するための「こども若者シェルター」について、こども家庭庁が6月にも検討会を立ち上げることがわかった。
虐待に苦しむ若者の避難先「一時保護所」をめぐっては、携帯電話の使用などにも制限があるため、入所を望まない若者がトー横などに流れ、犯罪に巻き込まれるケースが問題となっている。
こうした問題を受け、政府は新たに「こども若者シェルター」を創設し、2024年度から「トー横キッズ」のような家庭に居場所がない子どもや若者に宿泊場所などを提供する事業を始めた。
深い暗闇に住んでいて、ときおり我らの住む浅瀬へ浮いてきては我々を魅了する。しかしいくら個体を調べたところで、その生態は深海に生きる者しか知らず、浅い海に生きる者にとっては永遠の謎でしかないのだ。
……こんなことを真顔で言ったら一発で社会的に死ぬかもしれないが、女性とは何者なのか、小さい頃から気になっている。
筆者には女性の服の下にあるものをよく知らない。というとまず、母親の裸くらい見たことあるだろという反論が飛んでくるだろう。厳密には、筆者は先天的に視力が悪かったために、両親の身体的な区別がつかなかった。要するにぼんやりしていて記憶にないのである。幼児期には男女で混じってトイレや入浴、着替えをする機会もあるだろうが、メガネという文明の利器を得るのが遅すぎた。服装や趣味嗜好のほかに男女の違いなど見出せない解像度の低い幼少期が横たわっている。
性差の興味を持つきっかけは、習い事として始めたスイミングスクールだった。
小学校の水泳授業では、児童は各家庭から水着を持ってきていた。興味はなかったが、女子は模様入りの"ワンピースのような水着"を着ていることが多かったと記憶している。
当時の男子水着はVパンツと呼ばれるもので、動きやすさ重視の、大事なところを隠すだけのわかりやすい水泳パンツであった。しかし女子は全員競泳用のワンピース水着を着ていたのである。
指定水着に限らず、制服というものは集団をカテゴライズする。10年足らずの人生に於いて初めて、男子と女子を身体的に明確に区別した集団という者に遭遇したのである。
女子の水着には上半身と下半身の繋ぎ目すらなく、肩紐が背中でX字に交差して、奇妙な服装という印象を与えた。もはや水泳パンツではない、謎の女子専用水着の仕組みが気になって仕方なかったが、全ては女子更衣室の中で起こることゆえ男子には一生わからないのである。
やがて筆者にも思春期がやってくるのだが、このときまだ性知識が乏しく、異性に対する興味も薄かった。
筆者は中学受験キッズなので、胎児の発生において、父親の精巣で作られる精子と母親の子宮の中の卵子が結合するという概念があることは暗記していたし、卵巣と精巣の構造も予備校のテキストに描かれた性器の断面図から知っていた。
しかしこの性器がどこにあるかわからないのである。子宮はお母さんのお腹の中にあることはほぼ確実とみれるが、精巣は男性の一体どこにあるのだろう。
大人になったいま改めて、小学校向け理科教材を見返しても精巣の在処は伏せられているのである。
おちんちんは男性器の呼び名であるが、思春期以前の男子にとっては「おしっこをするところ」であって、精巣がここにあるという発想に至らなかったのだ。
ようやく性教育に出会ったのが中学時代。筆者は教科書が配られたらまず一通り目を通すタイプなのだが、保健と家庭科の教科書に性や家族計画にまつわる記述があった。やっとのスタートラインだった。
教科書を通じて、女性に膣という器官があることと、月経という現象があること、そして、精巣の場所と性行為について学んだ。陰茎が尿器から性器という概念に変わってようやく、女性に陰茎がないと言う現実を受け入れさせられた。そして身の回りの女子は毎月血を流しながらも平然と生活している。という想像し難い知識にただならぬギャップを覚え、異性への興味がエスカレートしていた頃だった。しかし女友達と仲良くなっても、この疑問をぶつけることはとうとうできなかった。
紆余曲折ありながら敷かれたレールを走り切って社会人になって、縁あって関わり始めたのが今の交際相手だ。付き合って2年ぐらい経って、いよいよ身体を見せ合った。初めて女性の体をメガネ越しに見て、本当に男女の身体機能が異なっていることを実感した。人生の大きな一歩だった。本当に長かったと感じている。
とはいえ、身体を交えて快楽を得ても、知的好奇心は満たされなかった。
男子が陰茎を心の友として生きてきたように女性にも女性の何かがあるはずだと筆者は考えた。しかし身体をまさぐったところで真実には辿り着けないし、拗らせた疑問を投げかけても答えが返ってくるとも限らない。
そもそも体が目当てで交際したわけではないので、消去法的に彼女を欲望の捌け口にしてしまうことは避けなくてはならない。
そんな筆者の欲求に、ある程度は応えてくれたのがAVである。盗撮は犯罪であるから女優によるヤラセであると知っていながらも、スクール水着の着方、ブラの付け方、男には縁のない知識をこうした動画で多く学んだ。
しかしこれでも満たされないものもある。AVと違って現実のトイレはいつも行列を作っている。「どうして女子トイレは並んでいるの?」なんて女性に軽く聞いても、それが普通なせいかなんとも思っていないようであった。いくら親しくとも筆者にはここが限界だ。排泄に時間がかかるのか、スマホでもいじっているのか、なぜ個室しかないのにゾロゾロと連れションしたがるのか。いろいろな文化が気になっても聞く勇気がない。
自分で言うのも変だが、筆者の人生は敷かれたレールの上を上手く走っていると思っている。それは絶対に脱線できない人生であることの裏返しだ。今の時代、異性とみだりに関わることはリスクを伴う。そう言い聞かせてやがておっさんになってもなお今更聞けない謎を一生引きずって生きていくのだろうか。
浅瀬で見かける魚が深海で卵を産んでいても、それを知る術は、浅瀬で卵を産むのを待つか、自ら深く潜るか。どちらにしても茨の道である。