はてなキーワード: あの世とは
某新世紀人型決戦兵器アニメにおいて「僕はここにいていいんだ」という言葉がオタクたちの心に解き放たれてはや20年。始めてその映像を見たとき「お前は何を言っているんだ」としか思わなかった自分も、人生の酸いも甘いもしょっぱいも世知辛いも味わう内に、何故あの言葉が繊細な心に重責を押し付けられた痩身の少年にとってのエウレカ(eureka)であったのかを思い知るに至りました。そして自分もいつか「ここにいてもいい」に辿り着こうと生きてきました。ですが、「ここにいてもいい」だけでは片手落ちだと気づきました。選ばれしチルドレンである彼は既にあの世界で誰もに必要とされる存在で、彼だけが出来ることを持っていたから、彼自身が「ここにいてもいい」を叫べばその瞬間にセカイにハッピーエンドが訪れたのです。現実において「ここにいてもいい」を渇望するような人間の多くは、自分だけにしか出来ないことなんて持っていません。替えの効く歯車とはよくいったものです。歯車として欠くことの出来ぬパーツとしてのプレッシャーと戦いながらも、その見返りとして自分にしか出来ない役割を手に入れることなどは出来ないのです。そうなると「ここにいてもいい」なんてものは「わざわざもっと優秀な歯車に変える手間をかける必要がない内はそこに置いてやってもいい」程度のものでしかないのです。それどころか「なにかあるとすぐに歯車を取り替えるような人間だと思われたくはないから、その手間を惜しむために今はその場所に居座ることを勘弁しておいてやる」ですらありうるのです。「ここにいてもいいんだ」を夢見る僕たちが求めていたのは「ここにいてもいい」ではなく、「ここにいて欲しい」だったんです。自分に飛んでくるネガティブなエネルギーが閾値を越えていないというだけでは、いつかは自分の中のポジティブなエネルギーが使い切られ、外圧に内圧が負けきった風船のように心がペチャンコになります。だから、他の人からポジティブな気持ちを向けてもらえるようになりたい。でもそうなるにはどうしたらいいのかがわかりません。もしくは、どんなに周りから存在を半ば否定され続けたとしても負けない程に「僕はここにいたい」と叫べるようになれたら。自分には特に好きなものも得意なものもありません。こんな自分が、いつかは心の平穏を手に入れたいと夢見るのならば、今から何を始めればいいのでしょうか。
俺も3年前に自宅前から単車を盗まれたことがあるが、半年位経ってから警察から電話があり
「見つかったから来て欲しい」と言われて、早速行ってみると、単車がボロボロに壊れていたので
警官に聞いたら、このバイクを盗んだ少年が事故を起こしましてお亡くなりになりました。と言われた。
その瞬間怒りは消えて「あははっざまぁ~みろ!」と言ったら警官にすごく怒られた。
でも俺は「他人の財物を盗んで盗んだ物で命を絶ったのだから自業自得でしょ」と
言ったらそれ以上は何も言って来なかった。
盗んだ奴の遺族に単車を弁償してもらうので住所を教えて欲しいと言ったら、
最初は「親御さんの事を考えて損害賠償を請求する事は控えて欲しい」と言われたが、
「私は泣き寝入りしろという事ですか?」と強く粘ったら、盗んだ奴の住所を教えてくれた。
僕はお金が嫌いだ。
必死に働いて稼いでも、お金はあの世には持っていけない。棺桶に札束を詰めて燃やしてくれる家族なんていない。
預金通帳に印字された数字を眺めていても何も生まれない。財布の中に紙切れを入れててもかさばるだけ。
だったら、お金を得たら早いうちにモノや体験に換えてしまって、自分が楽しめたり成長できたりする方がいいじゃないか。
人生は短いし、生命は限られている。ダラダラしてる時間がもったいない。1秒でも惜しい。少しでも自分を伸ばしたい。
お金をお金のまま持っておくのは無意味に思う。どうせ貯金しても金利つかないんだし、投資したって一部の人間にむしり取られるだけだし、入ってきた金を別の形に変えるのが一番だろ。
そんな考えで、欲しかったから貯金の7割をはたいてクルマを即金で買った。思い出を残したいと思ったから数十万円のカメラも買った。
どっちも1ヶ月しか続かずに、すぐに飽きて今は全く使ってないけど、後悔はしてない。だって、少なくとも、そのときの「欲しい」という気持ちは満たされたんだ。それで十分だ。
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だけど、人間、いつ死ぬか分からない。もしかしたら、この日記を書いた30秒後に心臓が止まって死んでるかもしれない。
だから、今日も家電量販店で新しいタブレットの箱を手にして帰ってきた。
もう、嫁は何も言わなかった。
medakamaster 究極の目指す姿がこれなのは間違いない。この姿を忘れてはいけない。 知事は今すぐ全廃しろなんて言っていない。
「全員が武器を持たないで仲良くできれば理想の社会ができるね」というようなことはよく言われるのだが、そもそもそれは理想なのだろうか?
まず「全員が仲良くできれば」というのは、その思想自体はいいことのように聞こえるが、構造的には全体主義である。「全員が仲良く」を実現するには方法は、私が考えたところだと三つ。
どちらにせよ「お前らとは仲良くしない」という、現在の社会に当たり前に偏在する多様性を何らかの形で間引くことでしか「全員が仲良く」は成立しない。これが果たして、人類が目指すべき理想的な社会なのだろうか? 一番最後の選択肢が実現すれば、まあ「武器なき世界」にソフトランディングできそうな気はするが、それはもはや人類ではないかもしれぬ。
フィクションの世界では、「全員が仲良い社会」というのは何度か実現しているが、どれもろくな結果になっていない。
例えば貴志祐介に『新世界より』という傑作があるが、あの世界では進化した人類が個々に強力な力を持ってしまったがため、お互いを攻撃できないように思想洗浄がなされている。ボノボ型の性愛文化も取り入れられ、あらゆる形で争いが起きないように制度設計がされている。おかげで仮初めの平和な社会が保たれているものの、その過程で発生する不穏な因子は排除されるわ、イレギュラーな外敵からの攻撃には極端に弱いわと、その社会のありかたは歪で脆弱だった。
アラン・ムーアの『ウォッチメン』はどうだろうか(以下結末に触れるので未読のかたは読まないように)。あの作品でもある形で世界平和が実現するのだが、それは本当によいものだっただろうか。仮面を剥ぎ取ったロールシャッハのあの表情は、何を表していたのか。
かように、全体主義に基づいた人類皆兄弟的な平和はよく理想だと言われるが、本当に理想なのかがそもそも疑問だ。それは浦沢直樹の『20世紀少年』のラストで、全員がグータララーと歌って仲良くなるような不自然な社会だと考える。イレギュラーが許されない清浄な社会よりも、利害関係がスパゲッティのように絡まり、多様なプレイヤーと価値観で溢れかえり、汚物まみれのゲロだらけのそびえ立つクソを、それでもなんとかかんとか運用していく現在の社会のほうが人間的というか、私にはよほど理想の社会に見えるのだが、どうだろうか。
あの世界の人間は「シャーロック・ホームズは実在するんだ!」と本気で信じているのか……肉を裏返して焼くと英雄になれる異世界かな?
先日、学習院大学からの中退を発表したロイヤルビッチ二号(19)。
この暴挙を嗜めるべくロイヤルキンタマこと巨人小笠原(40)が勃ち上がった。
リリーフカーで佳子のもとに現れた畜生は「散々我儘に振舞った挙句FAとか中村紀みたい」「学習院で学習淫して来たんだろ?」と丁寧に挨拶。
さらに御面喰らいになられる佳子に「AV入試だ」と宣言するとレイプ開始。
しかしそこは流石のビッチ、嫌がる素振りも見せずに股をお開きになられると「アンアンICU~」と喘がれるなど淫乱ぶりを見せつけられた。
この惨状に「(これが皇族じゃ)いかんでしょ」と珍しく危機感を露わにした畜生。
きっちりと種をつけたのち佳子をスケートリンクに叩きつけて殺害したが、銀盤で何かを思い出し死亡ののち逮捕。
被疑者死亡により不敬罪で書類送検されたのち死刑となり、あの世から連れ戻されたのち再びあの世に送られた。
http://taida5656.hatenablog.com/entry/2018/07/18/213740
筆者の方のブログに直接コメントしようと思ったけど長くなったんでこっちで。
15話放送前に書かれた文章に対して15話の内容を反論材料にするのはいささか卑怯かもだけど、それ以前のエピソードを見ても明らかに記事中の考察とは反する描写があったので、難癖をつけておく。
あいねちゃんの安請け合いしてしまう性格や過剰なサービス精神の危うさは記事の中で指摘されているとおりだし、個人的にもプロフェッショナルとしてのアイドル活動と私人としての友達づくりがバッティングしてしまう展開は期待してたりする。
しかし、あいねちゃんは友達と認識した相手に対して非常に献身的である一方で、他人からの善意を遠慮なく受け取れる子であり(八百八の車に舞花ちゃんと乗ってる)、更には積極的に他人に助けを求められる子でもある(15話だけでなく、1話では弟らの遊び相手にみおちゃんを引き込んでいる)。
あいねちゃんの「友達」はあいねちゃん側から施して終わりの一方通行ではなく、相手から施されることも含めた関係だし、例として挙がっている士郎や映司と違って、その行動原理は義務感や切迫感でもなければ、他人と問題を分担できずに一人で背負い込むこともないだろう。
そしてあいねちゃんの友達側も、あいねちゃんの困っている様子に対して損得勘定なく行動している。15話の同級生や商店街の人々以外にも、9話ではみおちゃんが身も蓋もない名前のキノコをあいねちゃんのために採ってきている。
よって、作中の「友達」に対する利他的な姿勢は、あの世界の住民が皆大なり小なり持ち合わせているもので、あいねちゃんだけが持つ異常な精神性ではない。友達想いの傾向が強すぎるのが問題であって、友達を想っての行動そのものを否定したり人とは異なる思想とした描写は現時点で存在しない。
個人的には「トモダチカラ」なるものは滅私奉公の自己犠牲精神ではなく、「困ったときはお互い様」「情けは人の為ならず」の心を引き出すものではないだろうかと思う。
度の超えた世間知らずという設定も、世界観の導入(ことアイカツに関してはお仕事モノなのだし、素人が業界に小慣れててもなんかイヤじゃん?)や明快なキャラ立てという側面もあるし、というかマンガ的誇張もあるだろうに、それを人格的欠陥に結びつけるのも短絡的じゃないのかね。
私だってただの一視聴者だし、あいねちゃんのオリジンは放送されない限り知る由もないから記事の「友希あいね喧嘩したことない説」「友希あいねトラウマ抱えてる説」を否定はできないけど、ありもしない裏を勝手に見出して「心の闇は深い」なんてショッキングに煽っとけば注目してもらえるんだから楽な商売ですわな。商売ではないか。
でもまあ、「エマちゃんは小動物関連で何かトラウマ持ってそうじゃない?」って言われたら薄ら笑みを浮かべつつ首肯してしまうのは確かです。エマちゃんごめんなさい。
マジで大好きです。超巨大ジャンルとして名を馳せてほしい 海外でも人気になってほしい
ヒプマイにハマるのって女だけじゃないと思うんだけどわりと女の人が多いと思うんだけど、
そんで男たちの中には「この世界を変えよう!」とか言ってる人もいるわけじゃん どういういみで世界を変えようとしてんのかわかんないから超見当違いなこと言ってたらごめんだワンなんだけど、この女尊男卑システムを覆そう!と言ってるとします
最近ツイッターでよく女の人が「虐げられがちなこの世界を変えたい」とよく発信してるじゃん
しいたけじゃないぞ
女が虐げられるのではなく、だからといって男に抜きんでるのでもなく、男とか女とか関係なしに評価される世界になろう!男女ではなく一人一人が違うのだという物差しで物を見るのだ!という世界にするためにいろんな人が頑張ってるわけ
そこでなんとかマイクに戻るんだけど、なんとかマイクは女尊男卑社会の話じゃん これがもし男尊女卑社会の作品だとしたら、
「その作品、
フェミニストが見たら
どう思うでしょうか…?」
になると思うんだよね
でも今のところ(まあ大して世論集めてるわけでもないんだけど)「なんとかマイクは男性と女性の権利が同等ではない!」みたいな意見を見てないんだよね
これは興味深いぞ!と思いました
いやほら 作品の中の世界って言うのは完全に別世界の話だからさ この世界には人間が宇宙人に虐げられてる話だってあるわけじゃん その作品に対して「人間を虐げる話を書くなんて!クソが!」と怒る人っていないよね だからまあなんとかマイクに対して男の人が怒らないのは別に当たり前のことなんだと思うんだけど