某新世紀人型決戦兵器アニメにおいて「僕はここにいていいんだ」という言葉がオタクたちの心に解き放たれてはや20年。始めてその映像を見たとき「お前は何を言っているんだ」としか思わなかった自分も、人生の酸いも甘いもしょっぱいも世知辛いも味わう内に、何故あの言葉が繊細な心に重責を押し付けられた痩身の少年にとってのエウレカ(eureka)であったのかを思い知るに至りました。そして自分もいつか「ここにいてもいい」に辿り着こうと生きてきました。ですが、「ここにいてもいい」だけでは片手落ちだと気づきました。選ばれしチルドレンである彼は既にあの世界で誰もに必要とされる存在で、彼だけが出来ることを持っていたから、彼自身が「ここにいてもいい」を叫べばその瞬間にセカイにハッピーエンドが訪れたのです。現実において「ここにいてもいい」を渇望するような人間の多くは、自分だけにしか出来ないことなんて持っていません。替えの効く歯車とはよくいったものです。歯車として欠くことの出来ぬパーツとしてのプレッシャーと戦いながらも、その見返りとして自分にしか出来ない役割を手に入れることなどは出来ないのです。そうなると「ここにいてもいい」なんてものは「わざわざもっと優秀な歯車に変える手間をかける必要がない内はそこに置いてやってもいい」程度のものでしかないのです。それどころか「なにかあるとすぐに歯車を取り替えるような人間だと思われたくはないから、その手間を惜しむために今はその場所に居座ることを勘弁しておいてやる」ですらありうるのです。「ここにいてもいいんだ」を夢見る僕たちが求めていたのは「ここにいてもいい」ではなく、「ここにいて欲しい」だったんです。自分に飛んでくるネガティブなエネルギーが閾値を越えていないというだけでは、いつかは自分の中のポジティブなエネルギーが使い切られ、外圧に内圧が負けきった風船のように心がペチャンコになります。だから、他の人からポジティブな気持ちを向けてもらえるようになりたい。でもそうなるにはどうしたらいいのかがわかりません。もしくは、どんなに周りから存在を半ば否定され続けたとしても負けない程に「僕はここにいたい」と叫べるようになれたら。自分には特に好きなものも得意なものもありません。こんな自分が、いつかは心の平穏を手に入れたいと夢見るのならば、今から何を始めればいいのでしょうか。
確かにそれは別の重大な問題だよな オタク連中は自分の好きなものがあるから社会と自分の関係性がどうにかなりゃ、後は自分の趣味に打ち込む充実した人生が待ってる 幸せの基準が...
浅原は処刑せずKKOの管理者の役割を与えるべきだった
世の中がシステムで回るようになってしまったら 社会にとって個人なんて代用の効く小さなものに過ぎなくなって ごく小さなコミュニティーでお互いに必要とし合う事くらいしか出来な...
筋トレ
仕事の問題ではなく、愛とか家族とかについても「ここにいてもいいんだ」だろ 何でもかんでも資本主義脳で考えるんじゃない
嫁と子供をもつことだ
家族をつくれ。 父親とか母親とか夫とか妻って、「取替のできない個人」以外のなにものでもない。 自分の遺伝子を残すことができれば、なにやら社会的な役割を達成したような気持...