タダでも良いなんて言う奴は論外だ。
「金を払う」とは仕事に責任を負わせること、「金を貰う」とは仕事に責任を負うことだ。 金の介在しない仕事は絶対に無責任なものになる。
一度ダダーって書いてから簡潔にまとめようとしたらラーメンハゲの名言とほとんどおなじになったのでもうそのまま引用するわ。
以下駄文。
サビ残を続けると
「給料をもらっているから給料分の価値がある仕事をするのが労働契約」→
「つまりサビ残をさせるとはその仕事は給料を払う価値もない仕事で問題ないと雇い主側が認めているようなもの」→
「それならばどの仕事が給料を払う価値がないのかを管理者は決定する必要がある」→
「だがしかし自分がやっている仕事の中でもしも管理者の指示がなかったらやっていない仕事の割合はほぼ100%だ」→
「もしも仕事を複数指示されていてそのどれもを終わらせる必要があるのならばそれぞれの仕事はそれぞれの仕事をやるための時間を奪い合う関係となる」→
「それならば会社に残っている時間は全て優先度最大の仕事を終わらせるのに使っている時間だと言っても過言ではない」→
「ならばどの仕事が残業代を払う価値があるのかなど切り分けるのはおかしい」→
「つまりは優先度最大の仕事を終わらせるために会社に残って作業しているのにそこに給料が払われていないということだ」→
「ならばその時間にやった作業に対して労働契約が結ばれていないのと同義であり責任など追う必要はない」→
「では責任を負う必要がある部分とない部分の切り分けはどうなるかというとそれもまた管理者が線引きをする必要がある」→
「もしも残業代を払われてももしいないい状態で管理者が仕事の内容に対して段階的な最低ラインすらも引いていないのであればそれは仕事は全ての全ての部分が金を払う価値がなくても問題ない業務としてよいと言っているとすら言えるのではないだろうか?」→
といった理論が無意識化で構成されていき、最初は真剣にクオリティを高めるためにやっていた残業もやがて杜撰なものとなりそれは業務全体へと伝搬して最後には全ての仕事が無気力と自己満足によって構築されたものとなる
つまり、サビ残をするのもさせるのも純粋に不誠実なだけじでは終わらない。
ゴミのような仕事をするためにゴミのように自分たちの時間を浪費して、互いの人生をゴミ箱に投げ込んでいくだけの自殺行為に過ぎない。
人類はとっくの昔に働かなくても食っていける社会になっているんだけど、 しなくてもいい労働に意味を与え、さまよえる魂を現世につなぎとめることに躍起になってる人たちがいる。 ...