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2012-01-21

お前今疲れてないか

そんなら超スゲェ楽になれる方法を教えてやろうか?

誰でも幸せに生きる方法のヒントだ

もっと力を抜いて楽になるんだ。

苦しみも辛さも全てはいい加減な幻さ、安心しろよ。



この世は空しいモンだ、

痛みも悲しみも最初から空っぽなのさ。

この世は変わり行くモンだ。

苦を楽に変える事だって出来る。

汚れることもありゃ背負い込む事だってある

から抱え込んだモンを捨てちまう事も出来るはずだ。



この世がどれだけいい加減か分ったか?

苦しみとか病とか、そんなモンにこだわるなよ。


見えてるものにこだわるな。

聞こえるものにしがみつくな。



味や香りなんて人それぞれだろ?

何のアテにもなりゃしない。



揺らぐ心にこだわっちダメだ。

それが『無』ってやつさ。

生きてりゃ色々あるさ。

辛いモノを見ないようにするのは難しい。

でも、そんなもんその場に置いていけよ。


先の事は誰にも見えねぇ。

でもな、無理して見ようとしなくていいのさ。

見えない事を愉しめばいいだろ?

それが生きてる実感ってヤツなんだよ。

正しく生きるのは確かに難しいかもな。

でも、明るく生きるのは誰にだって出来るんだよ。



楽に楽しく生きるコツがあるんだ、苦しんで生きる必要なんてねえよ。

愉しんで生きようぜ。

まぁ全く恐れを知らなくなったらロクな事にならねえけどな、

適度な恐怖だって生きていくのに役立つモンさ。



おっと、勘違いするなよ。

非情になれって言ってるんじゃねえ。

夢や空想や慈悲の心を忘れるな、

それができりゃここだって楽園になる。



生き方は何も変わらねえ、ただ受け止め方が変わるのさ。

心の余裕を持てば誰でもハッピーになれるんだぜ。



この言葉を覚えとけ。ほんの短い言葉だ。



意味なんて知らなくていい、細けぇことはいいんだよ。

苦しみが小さくなったらそれで上等だろ。




嘘もデタラメも全て認めちまえば苦しみは無くなる、そういうモンなのさ。

今までの前置きは全部忘れても良いぜ。

でも、この言葉だけは覚えとけ。


気が向いたら呟いてみろ。

心の中で唱えるだけでもいいんだぜ。



いか、耳かっぽじってよく聞けよ?




『唱えよ、心は消え、魂は静まり、全ては此処にあり、全てを越えたものなり。』

悟りはその時叶うだろう。全てはこの真言に成就する。』




よお、心配すんな。大丈夫だ。

2011-12-13

大学時代とある講義で使ったテキストに『精神疾患の要因には、遺伝的要因と環境的要因の2種類がある』と書かれていた。

教授は眉間に深く皺を刻み、苛立ちの隠せないざらついた声で、室内の学生に命じた。

「これは間違いだから、遺伝的要因の部分を黒く塗りつぶせ」と。

随分と古い文献を参照しているのだなと、教授は憤っていた。

 

4年前、兄は統合失調症を発症した。元々、ストレスを感じやすい人だった。

大学卒業し、会社に勤め始めてからおかしくなった。

ある日に兄は会社を辞め、すぐに入院することが決まった。

こういう病院に行くことになったから、と母から資料が手渡された。精神病院パンフレットだった。

父は4人兄妹で、そのうち3人が自律神経失調症を患っていたことを、その時に知った。

叔父の息子(つまり従弟)が長い間入院しているのは、兄と同じ病気罹患しているからという事実も、同時に。

笑いたくなった。父から子へと、遺伝しているじゃないかテキスト記述が正しかったんじゃないか

腹を抱えて笑いたくなった。偽善者め。あの講義をした教授に後ろから飛び膝蹴りを喰らわせたかった。

出来なかったので、代わりにテキストを開き、塗りつぶした箇所の上に修正テープを貼り、それから「遺伝的要因」と書き直した。

 

兄は、そして私も、もう結婚してもいいような年頃だ。両親にはそろそろ孫の顔が見たいと言われている。

しかし、少なくとも私は、結婚する気はない。万が一結婚することになっても、子どもを産むつもりは毛頭ない。

少し前、胎内にいる子どもに障害があることが発覚したら、産むか産まないかという討論があった。

普通の人にとって、何らかの障害を持つ子どもを授かる確率は、1000分の1とか10000分の1とかの、比較的低い確率である

しかし、私自身の場合はどうだろう。普通の人よりは、高い確率であるだろうと思う。

障害は個性ひとつ。素敵な言葉だと思う。これが常識となった世の中は、お花畑のような素晴らしさなのだろう。

兄のことを馬鹿にするわけではないが、障害は、重い。妹である私がそう思うのだから、親として兄を背負う父母の負担は大きいはずだ。

そして、自分の子どもがそうなってしまったとき、私には耐え切れる自信はない。

兄はこれからどうなるのだろうか。障害をなるだけ軽くし、自立しようと、兄は努力を重ねている。

しかし、時折、ぎらぎらとした危うい光を宿し、家族を睨みつける兄を見ると、それは無理なことではないだろうか、という思いが湧いてくる。

父母が死んだとき、兄を背負うのは恐らく、私の役目になるのだろう。

その時に結婚していようといなかろうと、一生、兄を支えていくことになるのだろう。

それが嫌ならば逃げ出せばいい。選択肢ひとつとして、それを思いつくものの、そんな非情なことは出来ないと、すぐに打ち消す私は、家族の絆という名前の鎖に縛られている。

 

父は私に言う。「お前は元気で良かったな」と。

父の血を引いている以上、私もいつ狂ってしまうか分からない。

人よりも感情の起伏が激しくて、落ち込みやすいという自覚はある。

いつか、おかしくなってしまうかもしれないことが、恐ろしくてたまらない。けれど、誰にも言えずにいる。

2011-10-21

で どうすんのさ

http://anond.hatelabo.jp/20111021190557

おつかれ で、これからどうすんのさ

韓国崩壊したとき、助けてもアダとなるのに、それでも助けるの?

個人的には、韓国崩壊した方がいいと思う 非情かな

2011-10-17

元カノ離婚した

俺、バブル世代のオッサン。嫁とあんまりうまく行ってない。いわゆる倦怠期

大学の時に同じサークルで盛り上がってその勢いで結婚、30ぐらいまではノリノリ(死語)だった。

しかし、子供が生まれてサークルにまつわる趣味から双方疎遠になると、

気がつけば子供以外に共通の関心ごとはなくなっていた。



しかし嫁は、自分教育方針に口を出されるのが気に入らないらしく、

嫁の不機嫌を避けるため、子供に関しても俺は口を挟まないようになった。

ものの数年のうちに、嫁が話しかけてくるのは、子供の送迎の代行依頼か、

臨時の支出に許可を求めてくるときだけになった。

もちろんセックスはない。子供ももはや俺には懐いてこない。



家族の中で疎外感を味わう中、高校時代の友人たちとの集まりが、

心に安らぎをくれた。生まれ育った地方方言での会話が、俺には必要だった。

遠方のため、そう頻繁には行けないが、俺には必要な時間だ。



高校のとき、付き合っていた彼女がいた。同じクラブの同じ学年。卒業時に俺がフッた。

今思えば、フッた理由は、単に、潔癖症でヤラせてくれなかったから。

めんどくさくて、卒業後も付き合い続ける気にならなかったんだ。



それでも一応、年賀状のやり取りは続けた。

お互い結婚して子供ができたことも把握していた。

あの潔癖症子供を作るようになったか、と感慨にふけった。



クラブの他の仲間たちとは、年に一回は集まって飲んでいた。

10年ぐらい前から元カノも集まりに現れるようになった。

仲間のいる前だから微妙な会話はできなかったが、

ずいぶんさばけた感じになっていた。

微妙下ネタにもツッコミの入れられる、逞しい女になっていた。



ほんの短い間、二人だけになる時間があったとき

卒業時の俺の非情な態度について詫びた。

帰ったらメールが届いていた。短く「ありがとう」と。



この前の8月に帰省したとき、例によってクラブの仲間で集まった。

女どもが元カノに、「どう、ダンナを捨てた暮らしぶりは?」と聞く。

俺はそのとき初めて知った。

今年の初め、元カノが、浮気癖・借金癖のあるダンナを捨てた、と。

しかも、今は養育費なしでも母子3人食っていける士業資格で働いている、と。



再来月、出張地元に行くことになった。

一晩だけだが、フリー時間ができた。

元カノを誘ってみた。晩飯いっしょに食わないか、と。

返事は短く「OK。何食べたい?」

2011-09-07

ねこきもち

箱の中がすっかり暗くなってしまってから、もう随分と時間が経ちました。

入れられる以前に小耳に挟んだことなのですが、どうやらこの箱の中には猛毒の入った小瓶が置かれているそうです。小瓶は口を溶接されて密閉状態にあるものの、すぐ側には振り上げられたまま固定された金槌が設置されていて、その金槌とある時間がきた途端に振り下ろされるのだそうです

そのとある時間なる時がいつを指すのか、私には全くわかりません。いまこの瞬間にもその時が来ているのかもしれないし、あるいはもっと先のことだったり、考えたくないことではありますが、もう過ぎてしまったことだったりするのかもしれません。金槌は誰の影響を受けるでもなく、独立した一つの事象として、完全な確率五十パーセントで振り下ろされることになっているのです。小瓶は割れてしまうのかもしれないし、割れないままかもしれない。私は死んでしまうかもしれないし、生きたままいられるのかもしれない。

まったく、とんだ状況の中に押し込めてくれたものです

激しい憤りを覚えずにはいられません。私の生死という何よりもの大事項が、私はもとより誰からの手も離れて、唯一、五十パーセントなどという無機質極まりない確率だけに委ねられているなんて。ほとほと酷いにも程があるのではないのでしょうか。

加えて理不尽まりないことに、この五十パーセントという確率をより厳密なものにするために、箱に入れられた私には様々な枷が与えられたのです

例えば視覚について。小瓶と装置が見つかっては壊されかねないとのことから、箱には完璧な遮光が施されることになりました。完璧な暗闇。暗黒と呼んでも差し支えのない暗さが用意されたのです。よって私には、少し先の様子はもちろんのこと、私自身の輪郭さえ視認することができません。そこに本当に私の身体があるのかどうか、馬鹿げた話ではありますが、疑いすら持ち得てしまえる暗さなのです

また聴覚についても、同様の理由からか、自ら発した声さえ聞きとれない程に徹底した遮断が施されています。どのような原理が働いているのかは不明です。そもそもなにも見えないのですから、確認のしようがありません。ですから以下は推測になりますが、もしかしたらここに入れられる前に鼓膜を破られたのかもしれないし、あるいは箱を形成する外壁に特殊な吸音板が使用されているのかもしれません。

兎にも角にも、防音吸音共に優れすぎた暗い箱の中で、私の視覚聴覚は文字通り死んでしまっているのです

極めつけとばかりに、全身を支配する身じろぎひとつ取れない虚脱感もまた、私に与えられた枷のひとつでした。暴れないようにとの理由から、箱に入れられる際に何かしらの弛緩剤を投薬されたのでしょう。半ば強制的に同じ姿勢のまま横たわらねばならなくなったので、次第に皮膚感覚麻痺していきました。

何も見えないし聞こえない。嗅覚も味覚もあてにならない上に、触覚までも機能不全に陥った。つまるところ私は五感を全て支配されてしまった木偶のような有様を晒しているのです非情まりない状況です。これほどまでに不自由を徹底するくらいなら睡眠薬を投与してくれたらよかったのにと思わずはいられません。一つも外傷を与えられないまま生殺しにされている気分なのです。私という生命存在について、これ以上ないほどに蔑ろにされているという屈辱感が、辛うじて私の精神を狂わせず律してくれているのです

私は、私の生命を、その生き死にを決定する何よりも重大な決定権があからさまに奪われてしまっていることが憎い。生命の存続を決定づける要素というものが、たった一つ、誰から意図から独立した、純粋まりない確率にだけ寄っているという事実が、憎くて憎くて堪らないのです

どうして私はこんな箱の中に入れられなければならなかったのでしょう。こんな馬鹿げた箱の中で、徹底して自由を奪われたまま生死の恐怖に怯えなければならないのでしょう。

こんなに理不尽なことがあっていいのでしょうか。こんなに残酷なことがあっていいのでしょうか。

はいま、とても孤独です。胸にぽっかり穴が開いたとか、むせび泣いてしまうとか、そんな孤独よりももっと深淵にある、一面の虚空とでも言うべき孤独感にやられてしまっているのです。すごくすごく、ものすごくさびしいのです。独りぼっちのまま、永劫の暗黒に投げ出されてしまったものですから絶対零度にも等しい肌寒さに打ち震えることしかできないのです

箱の中からは一切の遠近感が失われています。暗黒だけが広がっていて、どこかにあるはずの小瓶と金槌は当然のごとく、箱の壁も底も天井も全て消えさってしまたかのようです。無論、実際にはそこにあるのでしょう。けれども、ありとあらゆる感覚器が閉ざされ麻痺してしまった私には、当然のようにそこにあるはずの物ども(実際にはそれ自体に何かしらの存在意義が与えられているはずなのに)が、ないも同然になってしまっているのです

正直に告白しましょう。私にはもう、箱の中に私がいるという前提にさえ自信が持てなくなってきています。確かに私というもの存在している。こうして取り留めもないことを考え、あるいは空想している私の自我ないし意識とか精神などと呼ばれている唯一性は確保されている。けれども、その唯一性が本当に箱の中に閉じ込められているのかどうか。本当はもっと違う、どこか異質な空間を漂っているのではないか。疑念を払拭し切ることができないのです

しかしたら、いまこうしてここにある私は、どこか遠く宇宙の果てを漂っているのかもしれませんし、マリアナ海溝の水底に横たわっているのかもしれない。あるいはキラウェア火山の火口からマントルの方向に向かって沈下しているのかもしれません。

私には私自身を覆う箱がどうなっているのか知る術がないし、五感が死んだままではここが箱の中なのかどうか判別がつかないのです

加えて、いまここにある私が本当に生きているのかどうか。そんなことさえも私には確認する方法が与えられていません。ともすれば私は、二分の一の確率をすでに通り過ぎてしまっているのかもしれないのですから。私はもう死んでしまっているのかもしれませんし、運良く生き残っているかもしれません。弛緩剤を打たれた身体で浅い呼吸と僅かな拍動を続けているのかもしれないし、その全てが停止したままだらんと横たわった肉塊になっているのかもしれません。

私は私自身の肉体を自由にできるだけの力を奪われてしまっているのです。私という思考が生命活動を続ける健全な肉体に宿っているなどと、一体誰が認めてくれるのでしょう。完璧な暗闇に毒された五感は、すでに感覚器としての意義を失くしています。私にはもう本当を確かめるだけの機会さえ与えられていないのです。ありとあらゆる想定は、もしかしたら私自身が作り出した捏造なのかもしれない。私を巡る様々な状況や、そもそもの私という唯一性についても、プログラムされたロールプレイにすぎないのかもしれない。

私という存在について、口惜しいことに、ゆらぎの只中にある私には振る舞い方を決めることができないのです

叶うことなら、誰かに私を見つけ出してほしいくらいです。私を閉じ込めた狭い箱をこじ開けて、私がどうなっているのかを観測して、私の有り様を決定して欲しい。私にはもうそれだけの力が残されていませんから。身動きも取れないまま、孤独に身を震わせ続けることしかできないのですから

全能の神であれば、光あれと呟くこともできることでしょう。無茶な願いだと承知のうえですが、そう告げることができたのならどんなによかっただろうと感じずにはいられません。

自身を巡るありとあらゆる不確定なゆらぎを自らの意思で確定できるなんて!

あこがれは、しかし一方で臆病な陰影を生み出すものです。箱が開かれ、私が見つけられて観測され、結果的に私の有り様が決まることについて、嘘偽りなく告白すると、確定されるいまに不安を感じていることから目を逸らすことができなくなるのです

生きているのか死んでいるのかさえも自分自身では確かめようのない私ではありますが、それでもやっぱり死ぬことは怖いのです。死んでいると決定してしまうことが生理的に恐ろしいのです。どうしても受け付けられない。きっとそれは私がまだ具体的な死という現象を体感することも想像することもできていないからなのでしょう。

いいえ、なにも私に限った話ではないのでしょう。人徳有望な仁君名君であっても、極悪非道殺戮者であっても、遍く存在する人畜無害一般人であっても、誰だってそうだろうと思うのです。年老いた人や、病床に伏せる難病患者であるのならば、もしかしたら限りなく近しい想像を働かせることが可能かもしれません。が、それでもやはり具体的な体験については一生不明なままだと思うのです

結局、死とはゆるがせにできない圧倒的な意味を持つ終着点だと思うのです時間というもの、あるいは意識というものが絶対的な不可逆性を有しているように、たとえそれが儀礼的な通過点や他に類を見ない印象深いイベントであったとしても、決して覆すことのできない絶対的な事柄に違いないのです

私は、いまここにある私という思考は、私を巡る様々な有り様が決まった瞬間にここから存在しなくなります。頭までどっぷりと浸かった、熱くも冷たくもない、温度を感じることのできない完璧ぬるま湯を抜かれてしまって、否応なしに外気に触れざるを得なくなってしまからです

そんな取り返しの付かない変化が恐ろしい。死んでいると決定づけられるだけに限らないのです。私にはもう、生きていると決まってしまうことさえ不安不安でたまらないことなのです

きっといまここにある私は、永遠とも感ぜられる点に留まった小さな小さな幻想のようなものなのでしょう。それ以上広がることもなければ縮まることもない、伸びることもなければ短くなることもない。拡散することも閉塞することもない、数学的に正しい唯一一点に留まったまま自己同一性勘違いしてしまった幽霊のような存在なのでしょう。

その点は、座標平面上の至る所に存在し、同時にとある一箇所には存在していないのです一心同体も同然となった私のことなんて気にも留めないで、ある特定の事象が起こった瞬間に、その事象が起こったありとあらゆる時空間の中のたった一つに、まるでバスから降ろすかのようにして私を収束させるのでしょう。

またそんな点に留まってしまった幻は、実物になる可能性も、霞となって消え去る可能性も平等に有している。

はいま、どんな時空間にも存在し、ありとあらゆる性質を有していながら、同時にどんな性質からも見放された孤独に苛まされています。誰かに見つけて欲しいと願う一方で、その時一体私がどこにいるのか、どのような姿になっているのかが不安でならないのです

因果の理から放たれてしまった私は、何時迄経っても不確定なままなのです

もう駄目かもしれない

機能不全家庭に生まれて、親が憎い。周りの人間が憎い。嫉妬が止まらない。成す術の無かった自分を呪う。

自力で情報をあさっても、カウンセラー相談をしても「忘れるしかない」「気にならないように没頭できる何かを探すしかない」という応えしか返って来ない。

忘れられない。没頭できる何かなんてない。

自分は一生憎み続けるだろうし、それで頭のリソースを費やしているから何かに没頭できるはずもない。

このまま何もできずに時間だけ浪費して死ぬしかないのだろうか。

自分落ち着ける場所が欲しかった。安定した生活が欲しかった。心を許せる人間がいてくれればそれでよかった。

大事な時期を非情な奴らによって潰された。今癒されても間に合わない。

いっその事、今すぐ楽になった方がマシなのかもしれないと今日はずっと考えていた。

気分が安定しない。自殺するかもしれない。

最後に、こんな所だけど吐き出させてくれてありがとう

2011-03-01

魔法少女まどか☆マギカ』なんだけど

昨日hokusyuuさんの文をリンクしてたたき台にしたら怒られたので今日地の文で書くようにしてみる

hokusyuuさんのは魔法少女まどか☆マギカ論と言うのは嘘で魔法少女一般論から結論が違ったら本編が間違ってると言い張れるけどw、自分の話はまどか☆マギカにしか通じない

それにトンデモです

えーと構図から

QBとの契約に現れる世界は通常の世界魔法世界によって脅かされる世界

これを2重の円に例えると内側が日常世界、外の大きい丸が魔法世界、外側の円に存在する魔法存在により脅かされる。

その境界にたって日常世界を守るのが魔法少女という形になる

この2重の世界神話暴力により、普通世界しかないひとつの円から発生するわけだ

ここで自分にわかりやすいように神話暴力ををフーリエ変換と考える

つまり日常世界フーリエ変換するとフーリエ空間上に2重の世界が現れると考える訳だ

hokusyuさんのではフーリエ変換とかの世界を変換する力を神話暴力としてる事になる、個々の要素をA→aに変換する操作

それに対してその操作する主体である神が行う、変換する操作自体を選んだり、捨てたりするメタな力が神的暴力になる

真の魔法少女はこのメタ操作をして変換自体壊してしまえと言う主張になります

で昨日書いたのはここに、大人/子供軸 を導入すると説明範囲が広がるよねという話

魔法世界児童画的に書かれてるのが理由ですが 大人(=コスモ)/子供(=カオス)と考えてもらったほうが分かりやすいですね


hokusyuさんのは円の中身には踏み込まなかったけど、ここで2重円の中央に大人(コスモ)をおいて、子供カオス)を円の周辺方向に軸をとる

画像フーリエ変換を行ったときフーリエ空間中央部分周波数0が来るイメージです

でその画像の真ん中あたりに境界を守る魔法少女の境界線がかける

まどか☆マギカ世界対応させていくとコスモ中央コスモ=ノモス日常)とすると、まどかの家庭(家)にあたると思う

ここから離れるにしたがってカオス度が上がっていく、他の魔法少女に付き合って戦いに行くと一番端っこの境界線までいくことになる

からまどかの家庭(家)の演出ではシンメトリーの構図が多用されコスモ秩序が記号として強調されるわけです

それに対して境界に存在する魔法少女がいるとカオスになり、秩序が破壊された不条理を強調する演出が多用されるわけです

また大人/子供コスモ/カオスを同時に扱うことで子供から大人に向かう成長物語が立ち現れる事になります

キャラクター一人一人のストーリーラインは大人に向かう少女物語として現れます

この辺から昨日書いたことと被るのでコピペしま

魔女と戦う魔法少女たちは幼児的無規範世界から規範のある大人の世界を守るためにも戦うともいえる

この時少女たちは幼児を倒せる大人としてふるまう必要がある

大人として不適格な行動をとった場合闘争に負ける、つーかもともと少女から勝ちよう無いのだが

マミはまどか本人に無利益戦いに引き込みそれに依存しようとした独立した大人にあるまじきことに

さやか成熟した女性としての恋愛感情の解決に失敗した・・・らしい8話によると見てないからよーわからん

杏子独立した社会生活できてないから多分だめっぽい

ほむらは負けそうにないな、(大人性を強調してるし)子供なのに大人って変な話だなー

今考えると魔法少女になると年をとらないので大人の年齢なのに外見は少女のままなんだな、やっぱし大人にはなれないわけだ

まどかは特に幼児性が強いので魔力も強いと言うことになる

から成長物語としては規範内面化し、幼児性を規制してりっぱな大人になると言う話になる

では目指すべき大人としてのモデルは何かとなるのだが、そこに出てくるのがまどかの母である

テレビの人おまけにTV世界権力闘争までやってるスーパーウーマン

この人から大人の世界はいいよ、早くなりなとか言われてるし、

うんちょっとモデルとして問題あると思うよ

つまり、まどか☆マギカとは非情なサバイバルを生き抜いて大人になる訓練をして大人のせかいのサバイバルをする話だったんだ、ええーなんだって

いや言いすぎだけど、時々そういう説明みるけど

まどかが神的暴力を振るうとき大人の階段ひとつ上ると言うストーリーラインが用意されてるとはいえると思うんだ。

と言うことで終わります

2011-02-28

魔法少女まどか☆マギカ』なんだけど

ニコ動で7話まで見てる、それに言葉とか無神経に使うのでいろんな意味とかないです、中学生レベルですから

hokusyuさんの――『魔法少女まどか☆マギカ』奪還論は難しくてよく分かんないだけど

http://d.hatena.ne.jp/hokusyu/20110223/p1


これに大人/子供軸の追加したらもっと説明範囲が広がるんじゃないかと思う

魔女世界児童画的に書かれてるしね

以下いい加減な解釈だけど

魔女の宅急便とかの成長物語として側面があり

魔法の力ってのは幼児からきてて大人には使えない、大人の魔法使いかいない

魔女と戦う魔法少女たちは幼児的無規範世界から規範のある大人の世界を守るためにも戦うともいえる

この時少女たちは幼児を倒せる大人としてふるまう必要がある

大人として不適格な行動をとった場合闘争に負ける、つーかもともと少女から勝ちよう無いのだが

マミはまどか本人に無利益戦いに引き込みそれに依存しようとした独立した大人にあるまじきことに

さやか成熟した女性としての恋愛感情の解決に失敗した・・・らしい8話によると見てないからよーわからん

杏子独立した社会生活できてないから多分だめっぽい

ほむらは負けそうにないな、子供なのに大人って変な話だなー

まどかは特に幼児性が強いので魔力も強いと言うことになる

から成長物語としては規範内面化し、幼児性を規制してりっぱな大人になると言う話になる

では目指すべき大人としてのモデルは何かとなるのだが、そこに出てくるのがまどかの母である

テレビキャスターおまけにTV世界権力闘争までやってるスーパーウーマン

この人から大人の世界はいいよ、早くなりなとか言われてるし、

うんちょっとモデルとして問題あると思うよ

つまり、まどか☆マギカとは非情なサバイバルを生き抜いて大人になる訓練をして大人のせかいのサバイバルをする話だったんだ、ええーなんだって

いや言いすぎだけど、時々そういう説明みるけど

まどかが神的暴力を振るうとき大人の階段ひとつ上ると言うストーリーラインが用意されてるとはいえると思うんだ。

2011-01-22

http://anond.hatelabo.jp/20110122013034

そういうのは詭弁のガイドラインで言うところの

「ありえない仮定を持ち出す」って奴じゃない?

是非はともかく、今の日本の世の中はそういう仮定には添っていない。

 

むしろ、そういう非情なやり方のほうが、

人情が無い、人の心が無い、人で無し、と認定される風潮。

 

でもまぁ増田だし、取り敢えずその仮定通りになったとしよう。

例えば、知能指数で切ったとする。

(実際には合併症考慮するだろうが、

いずれにせよ数値化しないと判定できないので今回は知能指数を使う)

人類の平均は100で、ボーダーは85~70だと言われている。

で、俺等100組が70組を殺せるとしよう。そこまではいい。

じゃあ130組は?その理屈だと100組を殺す権利があるんじゃない?

「こいつらは俺等に似てるけど、違う生き物だ」ってね。

 

どっかで線を切って「ここから先は生きて良し、線の向こう側は死ね」って言うのはいい。

でも、自分が線の内側に入れると無条件に考えるのであれば、それは甘い。

あいつらは殺せ、俺は殺すな。俺はあいつらと違う!」って主張しても、

そんなの誰も担保しない。だれも擁護する義務を持たない。明日は我が身だ。

2011-01-16

AKB48オールナイトニッポン1月14日

AKB48オールナイトニッポン1月14日

パーソナリティ大島優子北原里英田名部生来

1月20から渋谷AKB48コンサートが行われ、それを全国の映画館で中継することになっている。

それについて大島いわく

うちのお父さんは映画館4日間ともチケットもう取りました(さーすがー すごーい)。

見に来れないからさ、身内もう来れないじゃない(うーん。来れなーい)

人数多くなっちゃってさあ席も用意できませんから

映画館で、チケット抽選したですけどはずれちゃったと、

「だからチケットお父さん今日4日間取ったよ」と連絡が来ました

よかったー。どっか栃木県のどこかでお父さん現れるかもしれない・・よろしくみなさん

http://pingpangpong.blog74.fc2.com/blog-entry-25.html

驚いた。そしてちょっと感動した

つまり、あの大島優子であっても、自分の実父のための席を用意することができないということだ。

たとえ大島の父であっても、チケット抽選で優先的に扱われることはないということだ。

そういうことを、彼女はさらっと語った。


ファンは大島が父親に席を用意しても許してくれるだろう。しかし、AKBというシステムはそれは許さない。

そして大島も(北原、田名部も)それが全く自明のことと受け入れている。


どんなにビッグになっても、AKBは「会いに行けるアイドル」。それがAKB存在原理だ。

AKBはファンと直接繋がっている。間に代理店とかギョーカイ人とかは介在しない。

そして全てのファンは平等

この原理の前では、大島の父親も一人のファンでしかない。たとえ実の娘であっても、アイドルに会いに行くためには、同じ試練をくぐらなければならない。



「ファンを大切にする」という観点からは、この態度は圧倒的に正しい

アイドルはファンにとって擬似的な恋人である彼女一人対彼氏数万であっても、それは恋人関係に他ならない。

恋に嫉妬はつきものであるが、なぜ数万人の「彼氏」達は「彼女」を愛し続けることができるのか?

それは、そこに「彼氏としての機会(チャンス)は平等」という幻想があるからだ。

外の世界アンフェアでいっぱいだ。出自、コネクション、外見。さまざまなセレクションが努力あざ笑う

だがAKB世界は違う。努力は必ず報われる。CDを100枚買って握手を100回すればきっと名前を覚えて貰える。

特別扱いされているファンはどこにもいない、努力すれば「チャンスの順番」はきっとくる。

それがAKB世界を貫く共同幻想だ。

からメンバー恋愛はご禁制だし、特定のファンとの非公式な接触はご法度

たとえ大島の親であっても特別扱いはできない。

実に正しい



しいが、どれほど困難で非情な態度であるか。

それを貫くAKBと(おそらく)秋元康



恐るべしAKB

恐るべし秋元康

2010-11-11

人生初の過ちにして、最大の過ち、、、そして最難関の選択。

私は付き合ってちょうど4年を過ぎた女性がいる。

 彼女は元から結婚願望が年齢のせいもあるが、強いほうだった。

だが、当時の私は社会人ではあったが契約社員のような扱いで将来性も乏しかった。

1年ほどたって別の会社正社員として雇用されその夏に初めて正式に相手側の親にあいさつにいった。

その後式場の下見も何度か行き、予約こそしてはいないが式場も決めたところだ。

 それから転職をして環境もがらっと変わった、入社半年が過ぎた頃、私は以前飲みの席で知り合った女性に誘われ2人で遊ぶことになった。その女性は飲みの席では全く会話はなく、その後のメールでしかやり取りしたことのない女性で私に彼女がいることも女性は知っていた。

特にタイプでもなく、丁度仕事もなくて時間をもてあましていたので軽い気持ちで暇をつぶせればいいと思って誘いにのり遊んでしまった。この時、これが今後引き起こる展開に発展するとは思いもしなかった。

浮気をする気持ちは最初からこれっぽっちもなく、普通に遊んでいたのだが本当にうっかり終電がなくなってしまい行き場をなくしてしまい、已む無く彼女の家で始発待ちをさせてもらう事になり、お邪魔して始発までまつ気でいたのだが相手のペースに巻き込まれセックスをしてしまった。

 それで終わればよかったのだが、妙にウマが合ってしまいその後も週1位のペースで遊んでしまった。相手も軽い気持ちで最初はいたのだが、いつの間にか好意をもたれ好きになったといわれてしまった、だが彼女と別れてほしいとはいわず2番手という立場でしばらくは遊んでいた。

 しばらくして賃貸で家を借り彼女が住み半同棲が始まった。しかしこれが思いのほか上手くいかず、喧嘩を重ねストレスが溜まる日が続いた。ちょっとのことで喧嘩をし、デートをして1日笑って過ごす日のほうが少ない程だ。

そんな時、浮気相手の女性と遊ぶときは1度の喧嘩や、口論といったものもなく毎回笑って楽しく過ごせ自分にとってはストレス発散ができる癒し時間に近かった。

 半同棲から2ヶ月が経った頃、私はまだ浮気相手の女性との関係が続いていた。求められるがゆえに遊びに行くという流れが定着しており私はこのままの関係が今しばらく続くものと思っていた。だが、相手の女性は私への気持ちが強くなりすぎ思いつめるほどになってしまった。いつも通り遊びにいっていると相手の女性が胸のうちを語りだした。泣き崩れながら、咳き込みのどにコトバを詰まらせながら・・・

私を困らせるから彼女と別れてとは相手の女性は決して言わず、のめり込み過ぎて辛いと、だが今はまだ私が必要だから関係が終わるのは避けてほしいと・・・

その場では何とかなだめ、また会う約束をした。が、相手のあの状態を目の当たりにした私は耐えられなかった、きっと相手の女性はこうやって自分を保てなくなるのが初めてではなく、一人で悩み葛藤していたのがわかったからだ。

 私は、結婚約束した女性がいる。

すでに相手の親にあいさつも済ませ、仲の良い友人には翌年に式を挙げようと考えていることも話している。もちろん自分家族にも報告済みだ。

そういった私情のため、これ以上関係を長引かせ相手を傷つけのが耐え難く別れを切り出そうと考えた。

 ただ、切り出すと考えた時、別れを決意したとき涙が止まらなかった、私は相手の女性のことをいつの間にか好きになっていた。

別れのメールを出すときも非情になりきれずやさしい言葉をかけてしまう私・・・

それのせいか相手の女性は可能性があるならば、0でないならば待つと言ってきた。

彼女と相手の女性どちらが好きかは私自身わからなくなっていた。ただ、一緒にいて楽しいのは相手の女性だった。

彼女浮気のことはおそらく知られていないはず。

このまま相手の女性と関係を終わらせ、彼女とそのまま過ごせば何事もなくではないが傷つける人を最少人数で過ごせる。

ただ、こんな気持ちのまま結婚をしていいものだろうか、という思想もぬぐえない。

だが、はっきりと彼女と別れるのも4年も付き合ってましてや話がかなり進んでしまっているのもあり切り出しにくい。

彼女浮気をしたことを正直に告げ、それでも自分とこれからやって言ってくれるのか判断を相手に委ねるというのも考えた。

きっと正解なんてものはないのだろうけどどうしたものか今かなりリアルタイムで悩んでる今日この頃

どちらの方が好き!!

とかそいういう優劣は付けられず。悩むばかり。。。

今は一応、相手の女性とは連絡を絶っている状態。

相手の女性を待たせるのは、期待させるのはいやだったのでとりあえずそうした。


はてさて私はこれからどうすればいいんでしょう・・・

私(23歳)

彼女(29歳)

相手の女性(23歳)

2010-10-16

なぜ中国人自己中=個人主義が強いのか?

中国人血縁の結束力は強いが、他に対しては出し抜くことばかり考えているという。その源流はどこにあるのでしょうか?中国文明のなんで?

 

中国人の身内での結束力と、身内や親しい人以外に対しての割り切り、非情さ。その性質を巡って中国人に対する評価が、大きく分かれているように思います。

それを解く鍵・キーワードは、「幇」(“パン”または“ほう”)という言葉にあるようです。

 

中国社会の構成は極く簡単にまとめると、

縦軸(血縁のつながり)として父系集団としての「宗族」があり。

横軸として仲間や連帯の契りを結んだ「幇」がある。

宗族についてはとりあえず、 「中国社会の基本構造:宗族と祖先崇拝・儒教」を参照してほしい。ここでは、主に「幇」について調べてみたい。

みなさん「幇」ってご存知でしょうか?僕なんかどうも青幇・紅幇なんかの秘密結社?とかを思い出してしまうのですが、どうも中国人至るところ「幇」ありという感じらしい。

たとえば、世界中に進出している華僑

華僑は「幇(パン)」という同郷同胞の連帯組織を作り、相互扶助を行う。

 「幇(パン)」には次の2種類ある。

・郷幇(きょうばん)……籍貫(しゃくかん)(=出身地)に基づく地縁的集団。会館(同業・同郷・同族者らが集会用に異郷に建てた施設)、義塚または義山(共同墓地)、学校病院などを建て、相互扶助を行う。 主な郷幇は、福建幇、潮州幇、客家幇、広東幇など。

・業幇(ぎょうばん)……同業者で作る職業連帯集団。仕事上の便宜を与え合う。

・・・地域生活や仕事の共同組織としてかなり生活に根をおろしている様子がうかがえます。

 

★では「幇」のつながりとは、具体的にどんなものなのだろう?小室直樹先生によれば、中国人の「すべての人間関係」という集合を考えると、この集合のなかにごく一部の「幇」という部分集合をつくると、すべての人間関係は、「幇」とそれ以外に分けられるという。

以下引用は 『中国原論』より

さて「幇」と「幇以外の人間関係」の違いとは――。

ちがうのちがわないのって、根本的に違う。天地雲壌の違いである。幇内の人間関係たるや盟友も盟友、絶対的盟友である。死なばもろともである。勿論、いくら借金したって証文などごうりも必要としないことは言うまでもない。

 この幇こそ中国独特の人間関係であるから、徹底的に腑に落としきっておかねばならぬ。

典型的な「幇」の結びつきの例として、三国志の三人の結びつきについて述べている。

劉備関羽張飛、の三人は、以前からずっと見知っていた訳ではないし、血を分けた兄弟でもない。しかし、ひとたび桃園で義盟を結ぶや、実の兄弟なんかとは桁違いに固い契りの義兄弟となって、ここに劉備関羽張飛の三人幇、三人組みが成立する。

こうなってしまったら最後、彼ら三人のあいだの契りがいかに固いものか。

彼ら三人のあいだでは、利害、争いから完全に自由であり、絶対に信頼でき、完全に理解しあい、そして生死を共にする。まことにそのとおり。一点の疑点もない。これが幇(幇会(パンフェ))内の人間関係である。

なんと、生死まで共にする関係。確かに日本ではこんな例は聞いたことがない。

では幇外に対してはどうなる?

幇内の人間関係は、まことに生死をともにするものである。では、幇外の人間関係は、どういうことになるのだろうか。

ひとことでこれを言うと――。

何をしてもよろしい。窃取強盗ほしいまま。略奪、強姦虐殺・・・・何をやっても少しもかまわない。いや、かまわないどころではない。それが論理であり、それが道徳である。・・・・・

よく知られているところでは、かっての古代ベドウィンの民。砂漠の流浪民なのだがチャンスがあれば、隊商でも村落でも、ほしいままに略奪し、虐殺し・・・。こんなこと、古代ベドウィン倫理道徳では、少しも不倫でも非道でもない。全くもって、倫理的道徳的な行いそのもの。

最後古代ベドウィンが出てきますが、ベドウィンは父系集団。

中国の「幇」は血縁以外の人々が、独自の強力な規範と仲間意識をもって、“義”で結ばれた男集団を形成していることが特徴だ。

起源として考えられるのは、ベドウィンの例に見られるような、父系集団の強力な自集団正当化観念を、仲間世界まで応用して横軸となしたことではないだろうか。だから、他集団に対しては容赦なく略奪・強姦okになる。(日本で言えば、“盟友の誓い”とか近いかも。どちらかというとヤクザ規範に近い。)

これが、冒頭の疑問“身内に対しては結束力がつよいが、外に対しては出し抜く”という日本人中国人評となる。彼らの集団規範からすれば、ごく当然の行為なのだ。

従って単純に中国人は、個人主義が強いなどとは言えない。「宗族」と「幇」は、ある意味強烈な集団主義だ。ただ、日本欧米には存在していない点が分かりにくいのだろう。

(by Hiroshi

http://blog.kodai-bunmei.net/blog/2007/10/000353.html

2010-09-21

http://anond.hatelabo.jp/20100920105754

こーゆーの見るたびに思うけど、高齢童貞マジで恐い。

人を愛するとか相手の気持ちを考えるとか全くできない一種の異常者だから27まで童貞なんだろうな。

不細工でも普通27までに彼女できるもん、歪んでる自己愛の塊って見えてるから女がよりつかなかったんだよ。

こうでもしなければ童貞捨てられなかったって言ってるけど、普通の男は非情になんかならなくても普通に愛し愛され捨ててるもの。

高齢童貞だけは避けた方がいいって変な人の見分け方として解りやすくていいね。

2010-09-20

般若心経

” 超スゲェ楽になれる方法を知りたいか?

誰でも幸せに生きる方法のヒントだ

もっと力を抜いて楽になるんだ。

苦しみも辛さも全てはいい加減な幻さ、安心しろよ。

この世は空しいモンだ、

痛みも悲しみも最初から空っぽなのさ。

この世は変わり行くモンだ。

苦を楽に変える事だって出来る。

汚れることもありゃ背負い込む事だってある

だから抱え込んだモンを捨てちまう事も出来るはずだ。

この世がどれだけいい加減か分ったか?

苦しみとか病とか、そんなモンにこだわるなよ。

見えてるものにこだわるな。

聞こえるものにしがみつくな。

味や香りなんて人それぞれだろ?

何のアテにもなりゃしない。

揺らぐ心にこだわっちダメさ。

それが『無』ってやつさ。

生きてりゃ色々あるさ。

辛いモノを見ないようにするのは難しい。

でも、そんなもんその場に置いていけよ。

先の事は誰にも見えねぇ。

無理して照らそうとしなくていいのさ。

見えない事を愉しめばいいだろ。

それが生きてる実感ってヤツなんだよ。

正しく生きるのは確かに難しいかもな。

でも、明るく生きるのは誰にだって出来るんだよ。

菩薩として生きるコツがあるんだ、苦しんで生きる必要なんてねえよ。

愉しんで生きる菩薩になれよ。

全く恐れを知らなくなったらロクな事にならねえけどな

適度な恐怖だって生きていくのに役立つモンさ。

勘違いするなよ。

非情になれって言ってるんじゃねえ。

夢や空想や慈悲の心を忘れるな、

それができりゃ涅槃はどこにだってある。

生き方は何も変わらねえ、ただ受け止め方が変わるのさ。

心の余裕を持てば誰でもブッダになれるんだぜ。

この般若を覚えとけ。短い言葉だ。

意味なんて知らなくていい、細けぇことはいいんだよ。

苦しみが小さくなったらそれで上等だろ。

嘘もデタラメも全て認めちまえば苦しみは無くなる、そういうモンなのさ。

今までの前置きは全部忘れても良いぜ。

でも、これだけは覚えとけ。

気が向いたら呟いてみろ。

心の中で唱えるだけでもいいんだぜ。

いいか、耳かっぽじってよく聞けよ?

『唱えよ、心は消え、魂は静まり、全ては此処にあり、全てを越えたものなり。』

悟りはその時叶うだろう。全てはこの真言に成就する。』


心配すんな。大丈夫だ。 “

齢27にして、初めて彼女が出来た

タイトルどおりです。

ついでに言うと童貞を捨てたのも

キスをしたのも

デートをしたのもこれが初めてです。




少し顔が好みなだけで、たいして好きでも無い30超えの女の人を、飲みに誘ってみた。

OKされたので、その後も何度か誘って、

そのうち水族館とか行くようになって

付き合ってみようと言ってみた。



相手はOKしてくれたが、悲しいことにこちらに気は無い

気は無いけど、女慣れしてないせいか、

緊張気味になってるから、相手には本気と取られてるかもしれない




正直、欝で仕方ない

なんで俺は好きでもないアラサー女と付き合わなきゃならんのだ。

それというのも、俺がこの年まで未経験尽くしだったからだ。

どこかで妥協して、彼女を作る必要があるのではないか?

と、そう思えたからだ。



もし妥協しなかったら

きっと一生彼女なんて出来ないだろう




でも妥協して彼女を作っても

こんなにもつまらないものだとは思ってなかった




きっと街を歩いてる幸せそうなカップル

どちらかが妥協しているだろうことは直感で分かる

なんだよこれ

結局、彼女がいるかどうかなんてどうでもよくて、

好きな人彼女に出来るか、が問題なんだよね




そのあたりがないがしろにされてるような気がする



追記・ブコメレス

id:activecute

これはひどい お前www遊びでアラサーに声かけるなよwwwあっちは必死だぞwww

いやいやこっちは27まで童貞なんだぞ

女の方は30まで遊びまくってんだから、俺が遠慮する理由が全く無い気がするが



id:mgkiller

舐めてかかって死ぬ目に遭っても知らんよ。

死ぬ目ってなんだよ・・・

なんで舐めてかかったらいけないの?アラサーだろ

俺が好きだった人からされたみたいに、メールを無視したりしてもいいんじゃないの?

なんせこっちが上手なんだからさ




id:ChieOsanai

「じゃあ最初から黒髪ロングで処女かわいい女子高生狙えよ」「そんな女が自分に惚れるとは思えない。というか 27 男に惚れるような女子高生いやだ」←ここまでテンプレ

自信が付いたから、今度は女子高生ねらってみるおw




id:sajiwo

27まで童貞捨てられなかったということはスペック的には終わってる部類だろうからアラサーとか笑ってられる立場じゃないことは理解した方がいいよ。金持ってりゃ別だけど。

金は持ってるよ

若い頃は女子が、恋愛においては圧倒的に有利なのは異論が無いと思う

ちょうど俺の年齢ぐらいで、その、恋愛の力関係が逆転すると思う

だから27前後の男は、もっと手玉に取りやすい年齢の女で遊びまくるほうがいいと思うよ


どうせ女のほうは若い頃に良い目をみてきたんだし、

それぐらいのボーナスステージが無いと、非モテの男が浮かばれんのでは



id:brilliant_cherry

「死ぬ目ってなんだよ・・・」 → コンドームに穴開けられたりとかその手のたぐい。まあ、何かあったときに(15万払って)サクッと蒸発できる度量があるなら良いんだけどね。

まあコンドーム使ってても中出しはしないわな

保身です



id:feather_angel

ブコメレスが楽しそう。よかったですね。齢27にして自信がついて。どんどん女子高生とか黒髪処女とか声かけたらいいじゃないですか?どうぞご自由に

とりあえず収入は安定してるし、

35歳ぐらいまでは結婚をちらつかせながら遊びまくろうと思ってます




id:Midas

甘いなw「あっちは30まで遊びまくってる」が本当なら、もうとっくに「たいして好きでもない」のはバレてる。何の恋愛経験もなくてもそういうとこには敏感なのが女。気がついてないふりしてるか増田が遊ばれてるだけ

やったもんがちだろw

それに、「たいして好きでもない」ことがバレてても、

もともと「たいして好きでもない」は真実なのだから、

特に問題があるとは思えない




id:pogemutaBN

せいかくのわるさがにじみでている

わかってるよ

これぐらい非情にならなきゃ、彼女なんて作れなかったよ

心を殺してその代わりに彼女を得た

きっと、奥手なままだったら、普通草食系と同じく、誰と付き合うことも無く魔法使いになってただろうよ

肉食系ってそういう意味じゃないの?

誰かを傷つけることを分かってるから、肉食なんだろ?

2010-09-10

  • 1 -主文原判決及び第1審判決を破棄する。本件を大阪地方裁判所に差し戻す。理由弁護人中道武美の上告趣意のうち,第1点ないし第3点は,憲法37条違反,判例違反をいう点を含め,実質は単なる法令違反,事実誤認の主張であり,被告人本人の上告趣意は,事実誤認の主張であって,いずれも刑訴法405条の上告理由に当たらない。しかしながら,所論にかんがみ,職権をもって調査すると,原判決及び第1審判決は,刑訴法411条1号,3号により破棄を免れない。その理由は,以下のとおりである。1本件公訴事実及び争点本件公訴事実の要旨は,被告人は,(1)平成14年4月14日午後3時30分ころから同日午後9時40分ころまでの間に,大阪市平野区所在のマンション(以下「本件マンション」という。)の306号室のB(以下「B」という。)方において,その妻C(当時28歳。以下「C」という。)に対し,殺意をもって,同所にあったナイロン製ひもでその頸部を絞め付けるなどし,よって,そのころ,同所において,同女を頸部圧迫により窒息死させて殺害し,(2)(1)記載の日時場所において,B及びC夫婦長男であるD(当時1歳。以下「D」という。)に対し,殺意をもって,同所浴室の浴槽内の水中にその身体を溺没させるなどし,よって,そのころ,同所において,同児を溺死させて殺害し,(3)本件マンション放火しようと考え,同日午後9時40分ころ,本件マンション306号室のB方6畳間- 2 -において,同所にあった新聞紙,衣類等にライターで火をつけ,その火を同室の壁面,天井等に燃え移らせ,よって,Bらが現に住居として使用する本件マンションのうち上記306号室B方の壁面,天井等を焼損し,もって,同マンションを焼損した,というものである。被告人は,Bが子供のころにその実母E(以下「E」という。)と婚姻し,養父としてBを育て,かつては,同居するEと共に,B家族との交流があったが,Bの借金問題,女性問題等をきっかけに,本件事件当時はB家族と必ずしも良好な関係にあったとはいえず,B家族平成14年2月末に本件マンションに転居した際には,その住所を知らされなかったものである。上記(1)ないし(3)の公訴事実となっている事件は,Bの留守中に発生したもので,火災の消火活動に際してCとDの遺体が発見されたことから発覚し,捜査が進められた結果,同年11月16日に被告人逮捕され,同年12月7日に上記(1),(2)の各事実が,同月29日に上記(3)の事実が起訴された。上記公訴事実につき,検察官は,その指摘する多くの間接事実を総合すれば被告人の犯人性は優に認定できる旨主張し,被告人は,本件事件当日まで,事件現場である本件マンションの場所を知らず,事件当日及びそれ以前を含めて,その敷地内にも立ち入ったことはない,被告人は犯人ではなく無罪である旨主張した。争点は,被告人の犯人性である。2第1審判決第1審判決は,被告人の犯人性を推認させる幾つかの間接事実が証拠上認定できるとした上,これらの各事実が,相互に関連し合ってその信用性を補強し合い,推認力を高めているとして,結局,被告人が本件犯行を犯したことについて合理的な- 3 -疑いをいれない程度に証明がなされているとし,ほぼ上記公訴事実と同じ事実を認定し,被告人無期懲役に処した(検察官求刑死刑)。この間接事実からの推認の過程は,以下のようなものである。(1)被告人は,本件事件当日である平成14年4月14日,仕事休みであり,午後2時過ぎころに自宅を出て,自動車に乗って大阪市平野区方面へ向かい,同日午後10時ころまで同区内ないしその周辺で行動していたことが認められるが,さらに,以下のアないしオを併せ考えると,被告人が,同日に現場である本件マンションに赴いたことを認定することができる。ア本件マンション道路側にある西側階段の1階から2階に至る踊り場の灰皿(以下「本件灰皿」という。)内から,本件事件の翌日にたばこの吸い殻72本が採取されたが,その中に被告人が好んで吸っていた銘柄(ラークスーパーライト)の吸い殻が1本(以下「本件吸い殻」という。)あり,これに付着していた唾液中の細胞DNA型が,被告人の血液のDNA型と一致していること,このDNA型一致の出現頻度は1000万人に2人という極めて低いものであること,本件事件の火災発生後,程なく警察官による現場保存が行われたことなどから,被告人が,本件事件当日あるいはそれまでの間に事件現場である本件マンションに立ち入り,本件灰皿に本件吸い殻を投棄したことが動かし難い事実として認められる。イ本件事件当日午後3時40分ころから午後8時ころまでの間,被告人が当時使用していた自動車と同種・同色の自動車が,本件マンションから北方約100mの地点に駐車されていたと認められる。ウ被告人自身が,捜査段階において,本件事件当日に自己の運転する自動車を同地点に駐車したことを認めていた。- 4 -エ本件事件当日午後3時過ぎないし午後3時半ころまでの間に,本件マンションから北北東約80mに位置するバッティングセンターにおいて,被告人によく似た人物が目撃されたと認められる。オ被告人自身,本件事件当日はBないしB宅を探して平野区内ないしその周辺に自動車で赴いたことを自認しており,これは信用できる。(2)他方,動機面についても,以下のアないしウの点などから,被告人は,本件事件当時,背信的な行為をとり続けるBに対して,怒りを募らせる一方,後記のような自分からの誘いを拒絶した上で,Bと行動を共にし,被告人の立場から見ればBに追随するかのような態度を見せていたCに対しても,同様に憤りの気持ちを抱くようになったことが推認できる。そうすると,Cとの間のやり取りや同女のささいな言動など,何らかの事情をきっかけとして,Cに対して怒りを爆発させてもおかしくない状況があったということができる。そのような事情を有していた被告人が,本件事件当日,犯行現場に赴いたことは,被告人の犯人性を強く推認させるものである。ア平成13年10月1日から同月24日まで,C及びDは,被告人宅で同居生活を送ったが,そのころ,被告人は,Cに対し,恋慕の情を抱いており,性交渉を迫る,抱き付く,キスをするなどの行為に及んだことがあった。イしかし,Cは,被告人からの誘いを拒絶し,被告人宅から被告人に告げることなくBの下へ戻った上,Bと行動を共にするようになり,被告人との接触を避けてきた。ウ被告人は,Bの養父ないし保証人として,Bの借金への対応に追われていたが,Bは,被告人に協力したり,感謝したりすることをせず,無責任かつ不誠実な- 5 -態度をとり続けていた。(3)被告人は,本件事件当日の夕方,朝から仕事に出ていたEを迎えに行く約束をしていたにもかかわらず,特段の事情がないのにその約束をたがえ,C及びDが死亡した可能性が高い時刻ころに自らの携帯電話の電源を切っており,Eに迎えに行けないことをメールで伝えた後,出火時刻の約20分後に至るまでの間同女に連絡をとっていないなど,著しく不自然な点があるが,これらについては,被告人が犯人であると考えれば,合理的な説明が可能であり,得心し得るものである。(4)このほか,被告人の本件事件当日の自身の行動に関する供述は,あいまいで漠然としたものであり,不自然な点が散見される上,不合理な変遷もみられ,全体として信用性が乏しいものであって,被告人は,特段の事情がないのに,同日の行動について合理的説明ができていない点がある。また,Cは,生前,在宅時も施錠し,限られた人間が訪れた際にしかドアを開けようとしなかったこと,本件の犯人が2歳にもならないDを殺害しているのは口封じの可能性が高いこと,犯人が現場放火して徹底的な罪証隠滅工作をしていることなどから,本件犯行は被害者と近しい関係にある者が敢行した可能性が認められる。これらの各事実も,被告人の犯人性を推認させるものである。(5)以上の事実を全体として考察すれば,被告人が本件犯行を犯したことについて合理的な疑いをいれない程度に証明がなされているというべきである。(6)なお,被告人は,本件事件当日に本件マンション敷地内に入って階段を上ったことがある旨認める供述をした被告人平成14年8月17日付け司法警察員に対する供述調書(乙14)について,警察官から激しい暴行を受けたために内容もよく分からないまま署名したと主張するが,同供述調書の供述内容には任意性及- 6 -び信用性が認められ,これによっても,被告人の犯人性が肯定されるという上記判断が更に補強されることになる。3原判決この第1審判決に対し,被告人は,訴訟手続の法令違反,事実誤認を理由に控訴し,検察官は,量刑不当を理由に控訴した。原判決は,被告人控訴趣意のうち,前記司法警察員に対する供述調書(乙14)には任意性がなく,これを採用した第1審の措置が刑訴法322条1項に反しているという訴訟手続の法令違反の主張について,そのような訴訟手続の法令違反があることは認めつつ,事実誤認の主張については,第1審判決の判断がおおむね正当であり,同供述調書を排除しても,被告人が各犯行の犯人であると認めた第1審判決が異なったものになった蓋然性はないのであるから,この訴訟手続の法令違反が判決に影響を及ぼすことの明らかなものとはいえないとした。その上で,検察官の主張する量刑不当の控訴趣意に理由があるとして,第1審判決を破棄し,第1審判決が認定した罪となるべき事実を前提に,被告人死刑に処した。4当裁判所の判断しかしながら,第1審の事実認定に関する判断及びその事実認定を維持した原審の判断は,いずれも是認することができない。すなわち,刑事裁判における有罪の認定に当たっては,合理的な疑いを差し挟む余地のない程度の立証が必要であるところ,情況証拠によって事実認定をすべき場合であっても,直接証拠によって事実認定をする場合と比べて立証の程度に差があるわけではないが(最高裁平成19年(あ)第398号同年10月16日第一小法廷決定・刑集61巻7号677頁参照),直接証拠がないのであるから,情況証拠によって認められる間接事実中に,- 7 -被告人が犯人でないとしたならば合理的に説明することができない(あるいは,少なくとも説明が極めて困難である)事実関係が含まれていることを要するものというべきである。ところが,本件において認定された間接事実は,以下のとおり,この点を満たすものとは認められず,第1審及び原審において十分な審理が尽くされたとはいい難い。(1)第1審判決による間接事実からの推認は,被告人が,本件事件当日に本件マンションに赴いたという事実を最も大きな根拠とするものである。そして,その事実が認定できるとする理由の中心は,本件灰皿内に遺留されていたたばこの吸い殻に付着した唾液中の細胞DNA型が被告人の血液のそれと一致したという証拠上も是認できる事実からの推認である。このDNA型の一致から,被告人が本件事件当日に本件マンションを訪れたと推認する点について,被告人は,第1審から,自分がC夫婦に対し,自らが使用していた携帯灰皿を渡したことがあり,Cがその携帯灰皿の中に入っていた本件吸い殻を本件灰皿内に捨てた可能性がある旨の反論をしており,控訴趣意においても同様の主張がされていた。原判決は,B方から発見された黒色の金属製の携帯灰皿の中からEが吸ったとみられるショートホープライトの吸い殻が発見されていること,それはCなどが被告人方からその携帯灰皿を持ち出したためと認められること,上記金属製の携帯灰皿のほかにもビニール製の携帯灰皿をCなどが同様に持ち出すなどした可能性があること,本件吸い殻は茶色く変色して汚れていることなどといった,上記被告人の主張を裏付けるような事実関係も認められるとしながら,上記金属携帯灰皿を経由して捨てられた可能性については,Eの吸い殻を残して被告人の吸い殻だけが捨て- 8 -られることは考えられないからその可能性はないとした。また,ビニール携帯灰皿を経由して捨てられた可能性については,ビニール携帯灰皿に入れられた吸い殻は通常押しつぶされた上で灰がまんべんなく付着して汚れるのであるが,本件吸い殻は押しつぶされた形跡もなければ灰がまんべんなく付着しているわけでもないのであり,むしろ,その形状に照らせば,もみ消さないで火のついたまま灰皿などに捨てられてフィルターの部分で自然に消火したものと認められること,茶色く変色している点は,フィルターに唾液が付着して濡れた状態で灰皿の中に落ち込んだ吸い殻であれば,翌日採取されてもこのような状態となるのは自然というべきであることから,その可能性もないとした。しかし,ビニール携帯灰皿に入れられた吸い殻が,常に原判決の説示するような形状になるといえるのか疑問がある上,そもそも本件吸い殻が経由する可能性があった携帯灰皿がビニール製のものであったと限定できる証拠状況でもない(関係証拠によれば,B方からは,箱形で白と青のツートーンの携帯灰皿も発見されており,これはE又は被告人のものであって,Cが持ち帰ったものと認められるところ,所論は,この携帯灰皿から本件吸い殻が捨てられた可能性があると主張している。)。また,変色の点は,本件事件から1か月半余が経過してなされた唾液鑑定の際の写真によれば,本件吸い殻のフィルター部全体が変色しているのであり,これが唾液によるものと考えるのは極めて不自然といわざるを得ない。本件吸い殻は,前記のとおり本件事件の翌日に採取されたものであり,当時撮影された写真において既に茶色っぽく変色していることがうかがわれ,水に濡れるなどの状況がなければ短期間でこのような変色は生じないと考えられるところ,本件灰皿内から本件吸い殻を採取した警察官Fは,本件灰皿内が濡れていたかどうかについて記憶は- 9 -ないが,写真を見る限り湿っているようには見えない旨証言しているから,この変色は,本件吸い殻が捨てられた時期が本件事件当日よりもかなり以前のことであった可能性を示すものとさえいえるところである。この問題点について,原判決の上記説明は採用できず,その他,本件吸い殻の変色を合理的に説明できる根拠は,記録上見当たらない。したがって,上記のような理由で本件吸い殻が携帯灰皿を経由して捨てられたものであるとの可能性を否定した原審の判断は,不合理であるといわざるを得ない(なお,第1審判決が上記可能性を排斥する理由は,原判決も説示するように,やはり採用できないものである。)。そうすると,前記2(1)イ以下の事実の評価いかんにかかわらず,被告人が本件事件当日に本件マンションに赴いたという事実は,これを認定することができない。(2)ところで,本件吸い殻が捨てられていた本件灰皿には前記のとおり多数の吸い殻が存在し,その中にはCが吸っていたたばこと同一の銘柄(マルボロライト金色文字〕)のもの4個も存在した。これらの吸い殻に付着する唾液等からCのDNA型に一致するものが検出されれば,Cが携帯灰皿の中身を本件灰皿内に捨てたことがあった可能性が極めて高くなる。しかし,この点について鑑定等を行ったような証拠は存在しない。また,本件灰皿内での本件吸い殻の位置等の状況も重要であるところ,吸い殻を採取した前記の警察官にもその記憶はないなど,その証拠は十分ではない。検証の際に本件灰皿を撮影した数枚の写真のうち,内容が見えるのは,上ぶたを取り外したところを上から撮った写真1枚のみであるが,これによって本件吸い殻は確認できないし,内容物をすべて取り出して並べた写真も,本件吸い殻であることの確認ができるかどうかという程度の小さなものである。さら- 10 -に,本件吸い殻の変色は上記のとおり大きな問題であり,これに関しては,被告人が本件事件当日に本件吸い殻を捨てたとすれば,そのときから採取までの間に水に濡れる可能性があったかどうかの検討が必要であるところ,これに関してはそもそも捜査自体が十分になされていないことがうかがわれる。前記のとおり,本件吸い殻が被告人によって本件事件当日に捨てられたものであるかどうかは,被告人の犯人性が推認できるかどうかについての最も重要な事実であり,DNA型の一致からの推認について,前記被告人の主張のように具体的に疑問が提起されているのに,第1審及び原審において,審理が尽くされているとはいい難いところである。(3)その上,仮に,被告人が本件事件当日に本件マンションに赴いた事実が認められたとしても,認定されている他の間接事実を加えることによって,被告人が犯人でないとしたならば合理的に説明できない(あるいは,少なくとも説明が極めて困難である)事実関係が存在するとまでいえるかどうかにも疑問がある。すなわち,第1審判決は,被告人が犯人であることを推認させる間接事実として,上記の吸い殻に関する事実のほか,前記2(2)ないし(4)の事実を掲げているが,例えば,Cを殺害する動機については,Cに対して怒りを爆発させてもおかしくない状況があったというにすぎないものであり,これは殺人の犯行動機として積極的に用いることのできるようなものではない。また,被告人が本件事件当日携帯電話の電源を切っていたことも,他方で本件殺害行為が突発的な犯行であるとされていることに照らせば,それがなぜ被告人の犯行を推認することのできる事情となるのか十分納得できる説明がされているとはいい難い。その他の点を含め,第1審判決が掲げる間接事実のみで被告人を有罪と認定することは,著しく困難であるといわざるを得ない。- 11 -そもそも,このような第1審判決及び原判決がなされたのは,第1審が限られた間接事実のみによって被告人の有罪を認定することが可能と判断し,原審もこれを是認したことによると考えられるのであり,前記の「被告人が犯人でないとしたならば合理的に説明することができない(あるいは,少なくとも説明が極めて困難である)事実関係」が存在するか否かという観点からの審理が尽くされたとはいい難い。本件事案の重大性からすれば,そのような観点に立った上で,第1審が有罪認定に用いなかったものを含め,他の間接事実についても更に検察官の立証を許し,これらを総合的に検討することが必要である。5結論以上のとおり,本件灰皿内に存在した本件吸い殻が携帯灰皿を経由してCによって捨てられたものであるとの可能性を否定して,被告人が本件事件当日に本件吸い殻を本件灰皿に捨てたとの事実を認定した上で,これを被告人の犯人性推認の中心的事実とし,他の間接事実も加えれば被告人が本件犯行の犯人であることが認定できるとした第1審判決及び同判決に審理不尽も事実誤認もないとしてこれを是認した原判決は,本件吸い殻に関して存在する疑問点を解明せず,かつ,間接事実に関して十分な審理を尽くさずに判断したものといわざるを得ず,その結果事実を誤認した疑いがあり,これが判決に影響を及ぼすことは明らかであって,第1審判決及び原判決を破棄しなければ著しく正義に反するものと認められる。よって,弁護人中道武美の上告趣意第4点について判断するまでもなく,刑訴法411条1号,3号により原判決及び第1審判決を破棄し,同法413条本文に従い,更に審理を尽くさせるため,本件を第1審である大阪地方裁判所に差し戻すこととし,裁判官堀籠幸男の反対意見があるほか,裁判官全員一致の意見で,主文の- 12 -とおり判決する。なお,裁判官藤田宙靖,同田原睦夫,同近藤崇晴の各補足意見,裁判官那須弘平の意見がある。裁判官藤田宙靖の補足意見は,次のとおりである。私は,多数意見に賛成するものであるが,本件において被告人を犯人であるとする第一審判決及びこれを支持する原判決の事実認定の方法には,刑事司法の基本を成すとされる推定無罪の原則に照らし重大な疑念を払拭し得ないことについて,以下補足して説明することとしたい。1第一審判決及び原判決が,被告人を本件の犯人であると認定した根拠は,基本的には,以下のような点である。(1)被告人が当日現場マンションに立ち入ったことを証する幾つかの間接証拠が存在すること。(2)被告人被害者らを殺害する動機があったとまでは認定できないが,被害者Cとのやり取りやそのささいな言動をきっかけとして,同人に対し怒りを爆発させてもおかしくはない状況があったこと。(3)第三者の犯行を疑わせる状況は見当たらないこと。(4)被害者らの推定死亡時刻頃における被告人アリバイはなく,また,この点についての被告人供述あいまいであり,不自然な変転等が見られること。(5)これらの事実は,それ自体が直接に被告人が犯人であることを証するものではないが,これらを総合して評価すると,相互に関連し合ってその信用性を補強し合い,推認力を高めていること。しかし,これらの根拠は,以下に見るとおり,いずれも,被告人が犯人であることが合理的な疑いを容れることなく立証されたというには不十分であるというほか- 13 -ないように思われる。2(1)被告人が当日現場マンションに赴いた事実を証するとされる間接事実は,仮にこれらの事実の存在が証明されたとしても,そのいずれもが,公訴事実自体とはかなり距離のある事実であり,いわば間接事実のまた間接事実といった性質のものであるに過ぎない。例えばまず,被告人が当時使用していた車(白色のホンダストリーム)と同種・同色の車が事件発生時刻を挟んだ数時間現場の近くの商店前の路上に長時間にわたって駐車されていたという事実は,必ずしも,被告人が使用していた車そのものが駐車されていたという事実を証するものではない。また,近所のバッティングセンターにおいて被告人ないし被告人とよく似た男が目撃されたという事実についても,そのこと自体は,あくまでも,被告人現場マンションの近くにいたという事実を証するものであるに過ぎない(被告人は,具体的な場所については特定できないものの,当日現場マンションの近くに赴いたこと自体は,必ずしも否定してはいないのである)。このような状況にある以上,上記二つの事実は,当日被告人が犯行現場に赴いたということをより積極的に推測させる証拠がある場合にそれを補強する機能しか持ち得ない筈のものと思われるが,そのような積極的証拠としての役割を持たされているのは,唯一,現場マンションの犯行現場に通じる階段の踊り場の灰皿内から発見されたたばこの吸い殻から,鑑定により被告人のものと一致するDNA型が発見されたという事実である。しかし,多数意見も詳細に指摘するとおり,問題のたばこの吸い殻が,発見された際の状況等に照らして,間違いなく被告人が当日当該灰皿の中に投棄したものと推認できるか否か(被告人の吸い殻が入った携帯灰皿をCが過日同マンションに持ち帰り,本件当日以前にCが当該灰皿に投棄した可能性が- 14 -あるという論旨に対し,そのようなことはおよそあり得ないとまで言えるか)については,少なくともそのように断言することはできないように思われる。以上要するに,上記の各間接事実の存在によって,被告人事件当日現場マンションを訪れたという事実については,その可能性が相当の蓋然性を以て認められること自体は否定できないが,その事実自体を証拠上否定できないとまでいうことはできない。更に,仮にこの事実の存在が認定されたとしても,公訴事実との関係では,(被告人がこの点に関し虚偽の供述をしていることが判明したという事実をも含め)それ自体が一つの間接事実に過ぎないのであって,被告人の有罪認定の根拠としては,未だ強力な証明力を有する事実とまでいうことはできない。(2)犯行の動機につき,第一審判決及び原判決においては,被告人にCを殺害する動機があったとまでいうことはできないにしても,同女との間のやり取りや同女のささいな言動など,何らかの事情をきっかけとして,Cに対して怒りを爆発させてもおかしくない状況があったという事実が,単独ではその推認力には限界はあるものの,被告人の犯人性に関する積極方向の間接事実であると指摘されている。しかし,このように一般的抽象的な状況のみで,当日被告人とCとの間にどのような具体的事実があったのかについておよそ認定されることなく,これを被告人有罪の積極的根拠として用いることについては,疑問を禁じ得ない。すなわち,動機についても,原判決認定に係る事実のみでは,せいぜい,本件犯行の一般的な可能性があることを否定できない(動機があり得ないとは言えない),という程度の証明力しか無いように思われるのである。また,仮にCに対する犯行の動機を,上記のようにその場における突発的な激情ないし憤激(の可能性)に見出すとしても,そこから更に進んで,証拠隠滅目的のために被告人が日頃可愛がっていた(わずか- 15 -1歳10か月に過ぎない)被害者Dの殺害にまで至ったという説明についても,十分な説得力があるものとは言えない。(3)第三者の犯行可能性について第一審判決がこれを否定する根拠は,いずれも,例えば宅配便郵便配達を装った通り魔殺人の可能性を排除するものとして,必ずしも説得的であるとは言えない。なお,本件における捜査のあり方に関しては,本件マンションに立ち入ったことを自供した被告人平成14年8月17日付の供述調書(乙14号証)につき,原判決もまたその任意性を否定せざるを得なかったことに示唆されているとおり,その適法性につき疑念を抱かせる点が無いとは言えないのであって,捜査陣が,捜査の早い段階から被告人が犯人であると決め付けて,その裏付けとなりそうな事実のみを集め,それ以外の事実については関心を持たなかった(切り捨てた)のではないかという上告論旨の指摘も,全く無視することはできないというべきである。(4)被告人の当日の行動についての説明には,極めてあいまいなものがあり,とりわけ,当日立ち寄った場所に関し,一つとして確定的なことを述べていないという点は,大いに不審を抱かせる事実であると言わざるを得ない。しかし,であるからといって,そのこと自体が被告人を犯人と推認させる決定的な事実となるわけではなく,やはり可能性を否定し得ないというだけのことでしかない。また,原判決が重視する,被告人が犯行時刻頃に携帯電話の電源を切っていたという点については,もしこの事実が被告人の本件犯行を裏付ける事実というのであれば,被告人の犯行は計画的なものであり,それが故にこそ前以て電源を切っていた,ということになる筈であると思われるが,本件の犯行が(未必の故意をも含め)予め計画されたものであるとは全く認定されていないのであって,むしろ,上記のように,現- 16 -場におけるCとの接触の中での突発的・偶発的な殺意によるものであると推測されているのである。果たして,そのような犯行状況の下で携帯電話の電源を切るというような冷静な行動に出ることが,容易に想定され得るであろうか。なお,仮にこの事実が,必ずしも被告人の本件犯行そのものではなく,被告人被害者宅を訪れること自体を秘する目的であったことを裏付けるものとして引き合いに出されているのであるとしても,バッテリーの消費をセーブするために携帯電話の電源を一時切るという行為自体は必ずしも奇異な行動とは言えない上,そもそも当日被告人被害者宅を探すために行動していたこと自体は,当初から,特に秘されていたわけではないのであって,それにも拘らず急遽携帯電話の電源を切ることとなったのは何故かについては,第一審及び原審において,なんら明確な認定がされておらず,全ては,被告人が犯人であることを前提とした上での推測に基づくものでしかない。のみならず,仮にそうした事実が認められるとしても,被告人被害者宅を訪れたという事実自体,本件犯行との関係では一つの間接事実としての位置付けを与えられるものでしかないことは,先に見たとおりである。(5)第一審判決及び原判決は,上記の各間接事実について,その一つ一つについては,それだけで被告人有罪の根拠とすることはできないものの,これらを「総合評価」すれば合理的疑いを容れる余地なく被告人有罪が立証されているとする。私もまた,このような推論が一応可能であること自体を否定するものではない。ただ,本件における各間接事実は,その一つ一つを取って見る限り,上記に見たように,さほど強力な根拠として評価し得るものではなく,たばこの吸い殻のDNA型を除いては,むしろ有罪の根拠としては薄弱なものであるとすら言えるのではないかと思われる。本件において認定されている各事実は,上記に見たように,いずれ- 17 -も,被告人が犯人である可能性があることを示すものであって,仮に被告人が犯人であると想定すれば,その多くが矛盾無く説明されるという関係にあることは否定できない。しかし一般に,一定の原因事実を想定すれば様々の事実が矛盾無く説明できるという理由のみによりその原因事実が存在したと断定することが,極めて危険であるということは,改めて指摘するまでもないところであって,そこで得られるのは,本来,その原因事実の存在が仮説として成立し得るというだけのことに過

2010-09-07

[] 般若心経ロックVer歌詞

http://www.nicovideo.jp/watch/sm11998050

歌詞面白かったので保存用に。

これから歌詞がとぎれるごとに有志で更新していこうず




◆Ver1

超スゲェ楽になれる方法を知りたいか

誰でも幸せに生きる方法のヒントだ もっと力を抜いて楽になるんだ。

苦しみも辛さも全てはいい加減な幻さ、安心しろよ。

この世は空しいモンだ、痛みも悲しみも最初から空っぽなのさ。

この世は変わり行くモンだ。苦を楽に変える事だって出来る、全てはお前次第だ。

汚れることもありゃ背負い込む事だってある

から抱え込んだモンを捨てちまう事も出来るはずだ

この世がどれだけいい加減か分かったか?苦しみとか病とか、そんなモンにこだわるなよ。

見えてるものにこだわるな。

聞こえるものにしがみつくな。

味や香りなんて何のアテにもなりゃしない。

揺らぐ心にこだわっちダメさ。それが『無』ってやつさ。

先の事は誰にも見えねえ。無理して照らそうとしなくていいのさ。

見えない事を愉しめばいいだろ。それが生きてる実感ってヤツなんだよ。

正しく生きるのは確かに難しいかもな。

でも、明るく生きるのは誰にだって出来るんだよ。

菩薩として生きるコツがあるんだ、愉しんで生きる菩薩になれよ。

全く恐れを知らなくなったらロクな事にならねえけどな

適度な恐怖だって生きていくのに役立つモンさ。

勘違いするなよ。非情になれって言ってるんじゃねえ。

夢や空想や慈悲の心を忘れるな、それができりゃ涅槃は何処にだってある。

生き方は何も変わらねえ、ただ受け止め方が変わるのさ。

心の余裕を持てば誰でもブッダになれるんだぜ。

この般若を覚えとけ。短い言葉だ。

意味なんて知らなくていい、細けぇことはいいんだよ。苦しみが小さくなったらそれで上等だろ。

嘘もデタラメも全て認めちまえば苦しみは無くなる、そういうモンなのさ。

今までの前置きは全部忘れても良いぜ。

でも、これだけは覚えとけ。俺達が苦労して見つけたモンをまとめて教えてやるからよ。

耳かっぽじってよく聞けよ?

『唱えよ、心は消え、魂は静まり、全ては此処にあり、全てを越えたものなり。』

悟りはその時叶うだろう。全てはこの真言に成就する。』

心配すんな。大丈夫だ。




◆Ver2があるとの情報を得たが私はまだ見てないので確認できたら更新するお

2010-08-22

ゲーム

生まれて初めて好きな人が出来た。

その人も私のことを好きだと言ってくれた。

そして生まれて初めて失恋をした。


と言ってもその人と出会う前から、数年単位でお付き合いした人は数人いた。

彼らはとても善良で純粋で積極的で明るく、会話をしていて不快感もなかったので一緒にいてもいいかなと思い一緒にいた。

「今は私とこうしているが、私よりも美しく善良な人間は吐いて捨てるほどいる。今丁度たまたま側にいたのが自分なだけで身近にそうした人物が現れれば間違いなくそちらへいくだろう」

恋愛は所詮一時の脳の過剰反応

「今双方の間に共通する感情は常に一定ではなく数年後には間違いなく違っている、それどころかそれすらもわからない距離にいるのだろう」

彼らとの時間を心地よく過ごしながらも、常にそう考えながら一緒にいた。

当時は本当に不思議で仕方なかった。

彼らはいかにしてこの一時の虚構という事実を処理してこうして真摯に純粋にいられるのだろう、と。

この疑問を口にする事が相手にどういう影響があるかわからないほど愚かではなかったが、捨ててのめり込めるほど馬鹿にもなれなかった。

わからない、でも自分を好いていてくれる彼らといる時間はとても心地よかったので私はゲームを始めた。

最低限必要と思われる項目をクリアした人格を作り、さらに微調整を繰り返しながら彼らにとって最適な人格を構築していくゲーム

人間の反応を観察・実験・検証・処理する。この繰り返し。

友人知人と話していて感じるが、一般的な女性先天的にこのある意味残酷能力を持っている。

ただ私はそれしか方法を知らず、ただひたすら好かれる事が心地良く、このゲームこそが恋愛なのだと当時は純粋に思っていた。

彼らとの交際は自分から終わらせる場合も逆の場合もあったが、あぁ終わったなと次の日から普段通りの日常を送った。

私は等しく彼らに対して「好感」は持っていたが「好意」はなく、何より“好かれる自分”を愛していた。



冒頭のその人も、私に不快感を与えず接近してきた。

私はいつものようにゲームを始めた。

しかし今回は今までのゲームと決定的に違っていた。

まずその人はゲームを察知した。そして試行錯誤しつつゲームの内容を理解し、こちらのパターンを把握した。

そして「ほら、こうすれば君のゲームはもっとおもしろくなるだろう?」と攻略を始めた。

初めて味わう見透かされ乗っ取られそうな屈辱と恐怖。身動きが取れなかった。

その人は恐ろしく他人の心の機微を察知する能力が高く「この恋愛ゲームとしての恋愛」であると理解していた。

方や私は「ゲーム恋愛」。

この差は決定的だった。

私はいとも簡単にその人に陥落した。

中学生ぶりに告白をした。

その人も私のことを好きだと言った。この瞬間私はゲームを捨てた。

しかしゲーム以外の方法を知らなかった私は、何をどうすればいいのか検討もつかず途方に暮れた。敵陣で丸腰。

ただひたすら生まれて初めて感じる会いたい触りたい一緒にいたいという強烈な衝動を持て余していた。

一方その人は次のステージに進むものだと思っていたようだ。ゲームは続いていた。

何も仕掛けてこない乗ってこない私ともはや同じ時間を過ごす意味はなかった。

気づいた時にその人はもう私の横にいなかった。

私は一度降りたゲームをまた始める気にはなれず、ただその人を失ったという事実の強烈な苦しさにしばし打ちのめされる日々が続いている。

いい年になってやっと理解しました。

恋愛とは、こんなにも残酷非情純粋なものなんですね。

究極に感情的でその強烈な執着の中にいる間は「一時の虚構」などというしょーもない事実など見えません。見えたとしてもどうでもいいです。


増田中二病こじらせたような自分語り

恥ずかしいけどなんだか嬉しい。

2010-08-20

ルールマナー

インターネットネットルールマナーを守らない人がいて非情不快である。

利用規約法律を知る事がネット使用の最低条件である。

2010-08-12

http://anond.hatelabo.jp/20100812130936

必死の逆張りだけどあんま面白くない

元記事書いた人はフォースアウトも知らないっぽいし

ランナー1塁とランナー2塁を比較して論ずるための知識を欠いてる

バントゲッツーや空振りをするより流れを作る意味で合理的な場合が多いし

投手の連投なんぞは非情な合理性の塊だ

「不合理な宗教性」の揶揄に持ち出すなら思い出代打とか持ち出せばいいのに馬鹿だなあ

アマゾン(amazon.co.jp)でアマゾン自体に自社製品を取扱ってもらいたい場合攻略法と、あくまで噂

amazonでは取扱いがないけど、それなりに売れてる自社製品を取り扱って貰いたい企業情報

経験者から聞いた話です。真偽は不明。あくまで噂ということで。

手順

1.マーケットプレイス法人向けアカウント(要月額基本利用料)を作成、商品情報作成し出品する。

2.客とトラブルなく、以下の条件をこなす。

条件

同一商品で週に20個程度、月に150個程度以上の売上があること(継続的でなくても可)

メール便または宅配便60サイズ以内で発送可能なサイズ・重量のもの

条件をこなせば、amazon様の意思次第で「直接」取引検討メールが来るんだとか。卸や商社すっとばしです。

Amazonで取り扱ってもらうと、数量的にはかなり売れるのは確かです。

ただし、仕入価格に関して注意。非情なくらいに叩いてくるらしいので、取り扱うかどうかはよく検討したほうがいいです。

商品の利益額によっては、カカクコム安価格で安売りをされる場合もあり、当然、小売相場は下がります。

結果、他の取引先業者からも、当然仕切価格を叩かれるようになります。悪循環です。

さらに言えば、カカクコム最安値競争を始められると、最安値の店以外での売上がガタ落ちしたそうです。

あと、売れなくなるとアマゾンからは真っ先に注文が来なくなります。すぐにFBA出店の案内が来ますw

Amazonで取り扱ってもらうかどうかは、しっかり検討されることをおすすめします。

商売では基本ですが、一次卸先は絞ったほうが、製品価格と適正利益を長く守れるかもしれません。

外資系大企業ありがちな方法での脱税前科ありのアマゾンさん、ちゃんと日本税金納めてくださいね。

2010-08-05

ナンパのすすめ

 先日、私は久々にナンパをした。少なく見積もっても5年ぶり。ひょとしたら8年ぶりくらいかもしれない。本当はもうナンパなどしている歳でもないのだろうが、閉塞感を打ち破りたい気持ちもあり、ナンパをすることにしたのである。場所は花火大会の会場。24歳のシャイイケメン相方とした。もともと彼が花火大会に行きたいと言い出したのである。花火大会ナンパがしたい、と。彼はシャイなのでナンパができない。そこで、少しはナンパ経験がある私が彼にナンパの仕方を教える。そういう目的花火大会参加であった。



 だが、暑い。我々二人は暑さで溶けそうになりながら、花火見物のベストポジションへ向かった。早めに向かったのは良かったのだが、開始時刻までの時間つぶしを用意すべきであることも知らず、場所取りのレジャーシートを持参すべきであることも知らなかった我々は、固いアスファルトの地面にじかに座り、何もすることがなく、ただ開始時刻を待ったのだった。女の子に声をかけるなら花火が終わってから、駅に向かうまでの間だよな、などと二人で話したりしていた。



 最初花火打ち上げられると、観客たちが悲鳴のような声を上げる。もちろん歓声なのだが、花火の迫力は圧巻で、そのような声になるのも納得できる。金属元素の炎色反応が演出するドラマ。我々はしばしナンパのことも忘れ、花火に見入った。



 だけれども、男二人で花火を見ていてもやはり飽きて来るもので、私は帰りの電車の時刻が心配だったこともあり、花火を見ながら帰りの駅へ向かうことにした。観客でびっしりのエリアを抜け、屋台が軒を連ねるエリアに来たとき、我々はジュースを買って休むことにした。そこでこの日初めてのナンパを行う。女の子二人組を見つけたのだ。



私は、相方に声をかける練習をさせようと思い、声をかけるセリフ立ち位置姿勢、などを細かく指示した。だが、彼はタイミングを逃し、「次行こう」などと言い出す。これではダメだなと思った私は、とっさに自分で動いた。花火の音がもうしなくなっていたから、「花火はもう終わりなんですかね?」と自然な感じで声をかけることができた。相手の反応は良かった。最後に昼になったのかと思うくらいの連発の花火があがるはずで、それを待ってるんだとのこと。相方も話に加わり、彼女たちは○○(都道府県名)に住んでいる大学生で、中学からの知り合いであること、その花火大会にはほぼ毎年来ていることなどを聞き出した。だが、その後の会話を弾ませることができなかったからか、「じゃあ私たちそろそろ行くんで」と笑顔で言い残し、彼女たちは去っていった。去る者は追わない、というのが私の基本方針なので食い下がったりはしなかった。準備不足(セリフの用意・流れの想定など)もあるなぁと私は感じた。



 二件目のナンパは、道を聞くふりをして女の子二人組に話しかけた。「あ、すいません。あの○○駅っていうのは○○(鉄道会社名)の駅なんですかね?」という第一声。我ながら平凡だなと思うが、これが私のナンパスタイル。いかにもナンパ、という声のかけ方はしない主義だ。私の質問に対して、一人の女の子が誠実に教えてくれた。「どうやって帰るんですか?」と尋ねると、「車で送ってもらうんです」との答え。彼氏か親を待っているのだろう。それ以上話していても意味もないだろうと思い、我々は礼を言って駅に向かった。



 ナンパの魅力的な点はいろいろあって、例えばこちらの第一声に対してどんなふうに返してくれるのかなというくじ引きを引くときのようなドキドキ感。あるいはこちらが前もって考えておいた筋書き通りに話が進んでいくかというゲームのような感覚。だけど、ナンパ醍醐味は何といっても意外な出会いがあること。人は見かけでは判断できない。愛想が悪そうに見えても、話してみるとすごく素直ないい子だったりするものなのだ。この二件目のナンパでの女の子がまさにそうだった。「え、この子、こんなに優しいの!?」という印象。長くナンパをしていなかったから忘れていたナンパの魅力を思い出し、たまにはナンパをするのも悪くないなと感じた。



 ナンパをするために花火大会に来て、2組にしか声をかけられなかったのははっきり言って情けないことだ。ただ、今回は電車時間の都合などいろいろな事情があり、仕方なかったとも思っている。また次回、だ。



 ナンパをすると、普通に生活しているのでは出会えないような女の子に出会うことができる。そして普通に生活しているのではあり得ないような会話を交わすことができる。それこそがナンパの魅力だ。そして私は、まだまだこの世界も捨てたものじゃないなという感覚を持つことになったのである。



 多くの人がナンパについて考えるとき、「怖くてナンパなんてできない」というように感じるようだ。だけど、一体何が怖いというのか。「拒否されるのが怖い」、そういう声を聞く。でも拒否されることは本当に怖いのか。拒否されたらどうなるというのだろう。例えば、ナンパして遊びに行こうよと言ったら「そういうのはちょっと…」と断られた。それはあなたが人生において打撃となるのだろうか。私はそうは思わない。



 これがもし、長く付き合っている彼女であったらどうだろう。ある日、彼女を「今度の休みに遊びに行こうよ」と誘った。そうすると彼女が言う。「あなたと遊びに行くのはちょっと…」。これは打撃となると思う。長く付き合っていてお互いのことを知っている。そういう間柄の人にあなたと遊んでもつまらないという意味のことを言われたとしたら、それはあなたの人格の否定であると言ってもいいものだろうし、それで傷つくのは当然でもある。だけれども、ほんの数分前に知り合った人につまらないと言われたとしても、あなたは傷つくのだろうか。多くの人は、ナンパをすることもなしに、傷つくことばかり考えて恐れているのではないだろうか。ナンパで断られることなど、大したことではないのだ。何度かナンパをしているうちに、断れることにも慣れてくる。



 あともう一点指摘しておきたいことがある。それは、日本人女の子礼儀正しく、ナンパを断るときにも丁寧に断ってくれる、ということだ。こちらが「人格の否定」と受け取るしかないような、そういう非情な断り方をしてくることはめったにないのだ。上述の一件目のナンパでは、「じゃあ私たちそろそろ行くんで」と笑顔で去っていくという断られ方をした。これはなんら我々にダメージを与えるものではなかった。他に私が体験した断られ方としては例えば、「すいません。私これからバイトなので」などというもの。これも言われて傷つくものではない。



 ナンパに近いものとしてホスト客引きがある。私は街を歩いていて、客引きしているホストに出会うと、早足で追いかけ、何を話しているかを聞いたりしている。そしてほとんどの場合女の子が断っているのだが、その断り方は非情に柔らかいのだ。たいていの女の子が「すいません」と言いながら断っている。ホスト客引きされて、「すいません」なのである。路上でのキャッチセールス等は禁止されているのだから、どちらかと言えば謝るべきはホストの方であるのに、である。このように日本人女の子は基本的に礼儀正しく、優しい。相手がナンパしてきた男であれ、ホスト客引きであれ、丁寧に接してくれる。もしあなたが、ナンパなんてすると「ウゼえんだよ。話しかけてんじゃねえよ。」などときつい言葉を浴びせられるというイメージを持っているなら、それは間違っていると言わざるを得ない。日本人女の子は、捨てたものじゃないんだってことを知って欲しい。



 ナンパをしても、あなたが失うものなんて何もない。ナンパを何かを得ることはひょっとしたら難しいかもしれない。でも、ナンパは生き物だ。何が起こるかわからない。あなたは、ナンパをすることで、当初想像していたものと全く違うものを得ることになるかもしれない。人間関係とは何か、ということをいつもとはちょっと違った角度で考える、そのきっかけとして、私は「ナンパをしてみたらどうですか」とあなたに勧めたいのである。



 ※ちなみに私のルックスは並以下。背も低いし。ひどいルックスという程でもないと自分では思っているけれど…。

2010-07-21

出生率を上げたいなら、年金無くせ

子供というものが投資から嗜好品になって久しい。今は子供に頼らずとも老後が送れる。人生、一寸先は闇だが、蓄えがあればなんとか生活できる。


そこで俺は、蓄えても生きていけない状況が生じればどうなるか考える。

年金を1/100にカットし、医療負担率を増加させた上で、デイケア老人ホームへの助成を一気に絞る。民間の年金は大幅に規制する。


高齢の生活困窮者が大量発生するが、当然、生活保護は増やさずシーリングを掛ける。安楽死はこれを認めない。自殺した場合は、精神疾患が原因でない限り、自殺税として遺産および墓地や遺骨を含めた遺品の100%を徴収する。


公的セクター財政好転することは無論だが、変化はそれだけではない。身寄りのない人間が生きていけない社会では、子供に頼らざるをえない。結婚圧力、養子を含めた子供への圧力はずっと高くなる。なにしろ生きていけないのだから。


子供なしには生きていけない国は第三世界のどこにでもあり、人口を増やすことに大いに成功している。前例バッチリだ。


極論・暴論であることは疑いない。ここで俺はありうる批判について思いをめぐらす。


政府が投げ捨てた社会保障をだれが負担するかといえば、家庭だ。実質的には子供にのしかかる。低所得層は今まで国が担っていた分を押し付けられ、貧困からの脱出がさらに困難になる。これについては年金と保健の大幅削減によって浮いた金を使うことで再分配可能だ。


一般に高齢になるほど世代内格差が大きくなる。困窮した独身高齢者から制度に殺されていく非情な国だ。だが、政府独身という生き方を禁止していない。普通の人は生きていけないだけ。


そのくらいやってみろ、そんなに出生率が大事ならな。

2010-05-20

小学校時代は異性から豚と罵られ、男性嫌悪の強い思春期を過ごし、

痩せてからはかわいくなり

本を読む事と貯金家族子供が好きな(漫画ゲームも)

頑固で家庭的で優しく、うさぎが好きで

一途で興味のない男には非情に素っ気ない

なぜか好みの男性タイプ藤井隆だという変わった趣味女の子

似た感じの方かと勝手に思っていましたが

まさかモテ街道を突っ走っているとは思っておらず驚きました。

(父親とは険悪だけど、母親とは仲良しで、初めて好きになった男性と交際して、数年の遠距離期間も経て結婚したそうです)

2010-04-30

とあるアイドルの話。

外野としておもしれーなーとヲチしているKinKi関連。

ゆっくりと衰退の一途を辿っていくのをおもしろいと思うのもおかしいけど。

それでも、他グループ担のジャニヲタとして反面教師的に。

少しは好きだった過去もあるから、純粋な興味の対象として。

ここまでファンに嫌われ戸惑われ庇われ続けながら、どんどん自分世界に没頭していく堂本剛と。

ひたすらにひたむきに技術を身につけ才能を伸ばし、一流のエンターテイナーに登りつめて行く堂本光一

対局に位置するふたりを内包するKinKi Kidsというグループが、今後、どういう衰退の一途を辿っていくのか。

そして、5年後、10年後、彼らがどうなっているのか。

未来は見えない。

だから、興味深い、と思う。

ネットでのかくある論争(とも言えないほど、ただひたすらに平行線をたどる3つ(ないし2つ)のお互いに話を聞かない、押し付け合いっぱなしの話だけど)。

ネット上でのことなんて、リアル世界の一部でしかないとも思うし。

実際、そこまで真剣に彼らを応援したり、解散要求を出したりしてるファンがどれほど居るんだろうとも思うけど。

それでも、そういう話がでる自体が異常なことだとも思うし。

ただ単に、どこかの熱狂的なファンが、なんかしらの思惑で煽っているだけなら、こんなに長く、根深いモノにはならなかったと思う。

常に、火種は剛の口から、行動から発信されていて。

それは、たぶん、剛自身が意図してない方向で、次々と自身のアンチを生み出している。

そんなアイドル(タレント)、他に知らない。

否、少なくともジャニタレでも、特異な行動をしたり、分かりやすいくらいに特別扱いをされていたり、仕事を真面目にやらないタレントは、Jr.デビュー組に問わずアンチがつきやすく、嫌われるものだけど。

ここまで、本気でかつてファンだった人に嫌われるジャニタレは初めてじゃないかと思う。

と、先入観を抱かせるのもどーかと思うけど。

自分がもう嫌いっていうか、自担にはこういう風にはなってほしくないと思ってるし。

本気で近づかないでくれ、影響受けないでくれ!常に反面教師にしていてくれと願わずにはおれないもんで。

どうしても中立的な立場にはなれないんだな。すでに。

KinKiファンは、大きく3つの立場に分かれている。

KinKi Kidsのファン。

堂本剛のファン。

堂本光一のファン。

同じじゃん、と思われるだろうが、全く違う。

KinKiのファンはグループのファンで、どちらか寄りとかがあったりはするが、少なくともKinKiのふたりとも好きな人たち。

たぶん、ライトから重病患者まで含め一番多い。

堂本剛のファンは、剛オンリーとも言われる。

こちらは、剛に心酔し、信者とまで揶揄されるほどのファンが多くを占めていると思われる。

が、ほとんどはKinKiファンになるので、本気で剛オンリーとなっている人は意外と少ないんじゃないかと思う。

たとえば、光一アンチ化するまでの剛オンリーは、そんなに居ないと思う。

堂本光一のファンは、光一オンリーとも言われる。

こちらは、ほぼ半数以上が剛アンチを兼ね備えたファンだと思う。

剛を受け入れることができなくなって、KinKiファンを辞めざるをえなくなった、KinKiにいる光一を楽しむことができなくなった。

ある意味、病的なまでに剛を嫌い、ときにはそれ完全に思い込みじゃ。。。という持論も捲くし立てるけど。

少なくとも「一番好きな男の横に、常に一番嫌いな男がいる」光景を見続けなければならないことを考えれば。

その時には脊髄反射的な反応もしょうがないと思うし。

逆に、そこまで嫌われる剛って何者だよ、とも思うが。

結局、クオリティKinKiでの活動<光一のみの活動となっている現状を見ると致し方ないと思う。

剛のクオリティは、KinKi>剛だから。

そりゃ、剛ファンはKinKiに固執するよ。

対して、光一ファンの合言葉は「光一ソロでのみ輝く」だ。

かつて光一が作り上げたアイドルKinKi像を、はちゃめちゃにして壊し続ける剛の行動の結果が現状によく出ていると思う。

まあ、剛本人は壊していると思っても居ないし、剛ファンもKinKiファンも、きっとそう思ってるんだろうけど。

簡単に嫌いになれれば、それが一番楽な道筋だ。

でも、光一本人に嫌いになる要素がない。

ただただ、彼が一緒に仕事をしている剛を知れば知るほど、嫌いになっていく。

剛の言動に「どうして?」「なんで?」と疑問を持ち、考えれば考えるほど、嫌になっていく。

終いには、観ているだけで虫酸が走ったり、名前を見るだけで悪寒を抱くほど嫌いになるのに。

KinKi仕事では、光一の隣に必ず剛がいる。

否が応でも眼に入る。

そして、剛が発言する度、行動する度、怯え傷つき、ますます拒否反応を抱く。

それでも、光一がいる、好きな人がいる、笑っている、歌っている、踊っている。

そんな状況、正直体験したこともないし、想像もつかないけれど。

現実に、そんな状況に陥っている人がいるという事実

ある意味で幸いなのは、年数を重ねる度に、KinKiが剛色に染められていったこと。

光一の表情が明らかに違うこと。

彼の本気の笑顔KinKiでは見ることが出来ない。

(まあ、KinKiファンはそう思ってはないし、それもファンの見方次第なんだろうけど)

だから、光一オンリーKinKiを捨てられた。

KinKiで本気の光一を見ることが出来ないのならば、応援する必要はない。

大切な金銭を消費する理由はない。

そう判断をくだすことができたということ。

KinKiにとって不幸だったのは。

光一ファンが(一部でも)そういう判断を下してしまったこと。

下してしまえるグループに成り下がってしまったということ。

kinKiは、自分たちで歌う楽曲を決めるし。

コンサートの演出も自分たちで手掛ける。

KinKi黄金期は、光一KinKiを創ってきた。

10代の頃に、芸能界で生きることを決意し、音楽に限らず、演出の勉強もした。

今の光一仕事ぶりをみれば、並々ならぬ努力を10年以上重ねていたんだろうと推察されるほどに。

うまく廻っている時期があった。

それが黄金期だった。

剛があまりその辺に興味がなく。

のちに剛自身が「周りの大人達の言うことを聞いてきた」というようになる時期だ。

光一メインとなって(しかし、それを必要以上にアピールすることもなく)。

スタッフ相談し、意見を言い切磋琢磨しながらKinKiを創っていた頃。

ファンも当然、剛もそうなのだろうと思っていた。

たとえ、コンサートで剛の顔色を伺いながら、今日コンサートの出来不出来を伺うことに何の疑問を抱いてなくても。

のちに「おみくじコン」と揶揄されるKinKiコンでは、それが当たり前だった。

ファンは常に剛の顔色を窺う。

今日の剛の機嫌がどうかをまず確認する。

機嫌がよければ、コン中もにこにこしているし、MCでもよく喋る。

しかし、機嫌が悪ければ、ムスッとしたり、MCでは押し黙る。

コンサートが終わって「今日の剛は機嫌がよかったから、よかったねーw」とか「剛、機嫌悪かったね。体調良くなかったのかな」とか。

そういう会話が当たり前だった。

(否少なくとも、今でもそうだと思う)

ちなみに「ドーム規模の公演でもKinKiコンはおもしろい」そう思っていた時期もあった。

毎年行っていたツアーで、「今回はちょっと構成が間延びしてたよね、微妙だったなぁ」と感じるコンサートがあった。

光ちゃんどうしたのかな?と思ったら、雑誌で意気揚々と剛が「今回のコンサートはオレが演出した」と言っていた。

お前かwwwwやっぱりだめなんだな、剛はw

で、当時は済んでいた(自分的に)。

でも、それから先、コンサートがおもしろくなることなくなった。

それから

剛が「これからは戦っていく」という発言を皮切りに、KinKiに剛が意見を出してくるようになった。

それが、光一を含め、スタッフとお互いに納得するまで、とことん話し合い、意見を出し合い、そうして共通のKinKi像を成立させるために。

最強のグループにするためのものだったらよかった。

というか、普通そうだろうと思ってた。

そもそも、それまで剛が話し合いに参加していなかったのは。

剛曰く「自分は優しいから、周りがやって欲しいことに従ってきたから」で。

それは、光一スタッフが「剛どう思う?」「こういうのはどう?」と意見を聞いてきたときに、ただ「それでいいと思う」と答えてきただけと推察されるわけで。

そんな剛が意見を言い出したら、ただの暴君だった。

後出しジャンケンのように、全てが終わった後で「自分はそんな風に思ってなかった」「ホントは違うことがやりたかった」という趣旨の発言を繰り返したと思えば。

そのうち「周りの大人が自分意見を聞いてくれない」「僕は常に戦っている」と言い出す。

結局、自分の思うようにならなかったら機嫌を損ね、事後にメディアを使ってスタッフ批判、相方批判を繰り返す。

コンサートで口を開けば愛を語り、自分は優しく傷つきやすい人間で、しまいにはパニック障害過呼吸症候群も持っていると病気まで持ち出す。

病気を持ち出されたら、何も言えない。

どうすることもできない。

ステージ上で薬を飲んでも、笑って踊らなくなっても、MCでダンマリを決め込んだり、光一を置いてその場から離れても。

ファンは心配することしか出来ない。

そんな彼を糾弾するような、非情な行動に、誰が出れる?

そして、ふと我に返る。

コンサートって、ファンを楽しませるためにあるんじゃないの?

なんで、剛の体調を常に気遣う必要があるの?

なんで、剛の機嫌を伺う必要があるの?

なんで、楽しむために来ているコンサートで、剛の心配をしなきゃいけないの?

気付いたファンは、疑問を抱く。

そうしてモヤモヤした気持ちを抱える日々が始まる。

剛が名前を変えてソロ活動を始めた時。

光一がきている公演で「僕は長い間人間不信だった。バンドメンバーに逢って救われた」と言ったこと。

光一の数々の音楽活動を知っているはずなのに、新聞で「光一音楽に興味がない」と発言したこと。

自身のソロ活動でコンサートをする度、名前を変える度に、それまでやっていたことを完全否定すること。

ジャニーズ事務所を否定し、アイドルを否定し、それでも、ジャニーズ事務所アイドルに固執していること。

年齢を重ね、社会人となりそういうファンの前に、いつまでも成長しない剛があり続けた。

10代後半、20代前半なら笑って「若いからね」と赦される言動も、ファン自身が幼いために見過ごされる言動も。

どうしても引っかかってしまうファンが増えた。

31にもなって、未だに「大人は汚い」「自分の気持ちを理解してくれない」と言う剛。

若い頃から自分の未熟さを認め、多くのスタッフにぶつかり、若さゆえに否定され、それでも食らいついて努力を重ね続けた光一とは、すでに雲泥の差がついている。

光一は、自身の努力によって、確かな信頼を得ている。

それは傍から見ていても判るほどに、顕著だ。

コンサート舞台映像を商品化するときに行う編集

コンサート舞台での音響、照明、演出、構成、衣装音楽

彼が携わった作品に、全てが顕れている。

本人がどれだけ努力をしたか、どれだけの勉強をしたかを語ることがなくても。

出来上がったものが、全てを証明している。

私自身にとっても、エンタメを享受する人間として、理想とする「ショービズに活きる人間」の理想像光一だったりする。

観客のために、ショーのために、最大限の敬意払い、努力をし、楽しんでいる人。

どんどん要求が高くなる観客を相手に、その要求、理想を満たすものを自ら生み出し提供し続けていけていること。

その姿勢は、こうであって欲しいと言う理想そのものだから。

歌って踊って、自分のみならずステージに上がっている人たちを輝かせることができる人。

口先だけの言葉はすぐにバレる。

全部、作品に出るから。

だから、光一オンリーKinKiを捨てる。

KinKiで、光一はそれだけのことができない。

しない、のではない、できないのだ。

剛が観客を巻き込む。

スタッフを巻き込む。

ステージ立っているジュニアやダンサーや演奏者を巻き込む。

光一能力が発揮される前に、潰されてしまう。

妄想かもしれない。

でも、結局、剛は自分を否定する人たちを残していかなかった。

ファンクラブ会報で、スタッフ批判を繰り返し。

誰でも見れる雑誌で、友達を否定し。

真剣に剛を想ってくれている人たちが、どれだけ周りに残っているんだろうかと思う。

そんな状況で、誰が光一意見を聞くのかと思う。

仕事として、真剣な議論がどう想像しても成り立っているとは思えない。

そういう風にしか生きられない彼を可哀想とも思うし。

そんな彼と15年以上2人きりのグループとして仕事をし続けてきた光一を単純にすごいと思う。

(どう想像しても、私は絶対、剛とは一緒に働きたくない)

KinKiは衰退して行く。

前を向かないエンタメ未来はない。

ましてや、夢や希望を与えるためのアイドル

KinKiファンが異常に、ふたりが接近することに歓喜することも。

ふたりが仲がいいことを望み、渇望し、そういうふたりを見せておけば納得するほどまでに、レベルが堕ちてしまったことも。

少しでも剛の批判をすればファンによる集中攻撃を受け、批判ではなく「愛あるダメ出し」や単なる批評であっても。

剛を否定することは許されないネット上の状況も。

光一ファンが異常なまでに剛を拒絶し、KinKiの解散を望んでいることも。

剛を心から愛し、ファンとタレントとして共に切磋琢磨しながら成長しようというファンがいないということも。

結局、剛も、剛ファンも、KinKiファンも、光一ファンも、みんなが光一を望んでいるということも。

剛やファンから、光一はたくさんの責任を背負わされ、それらによって批判も賞賛も得るけど。

剛はみんなが甘やかして、ちやほやして、いいよいいよーと褒め称えられるだけ。

どちらが不幸で、どちらが幸せなのか。

たかがジャニヲタの。

たかがいちアイドルグループの。

本当の実情なんて、メディアに出ている以外には知らない人間の戯言ですが。

すでにKinKiファンの間から光一ファンが立ち上がり、剛アンチが声を上げ始めてから4年ほど経つ。

これから先、彼らがどういった経緯を辿って、どんな未来に落ち着くのか。

こんなに興味深い観察対象はない。

ちなみに光一ファンを剛アンチ化した顕著な一例を付記しておく。

月刊テレビジョン 2006年7月号にて。

T「今回は曲が持ってるパワーを大事に考えて、どういう歌割りや構成がいいか考えながらやりたいっていう話をスタッフの方にして」

K「ふ~ん、そうなんや」

T「知らんかった?歌割りも、サビをユニゾンにして二色(二人の声)が一つになることで曲の要素を壊すようなら、いさぎよくやめようっていう話もした。で、今回は主旋律とハモになって」

K「そうなんやぁ~。いつもはレコーディングのときにいろいろ試して、この組み合わせがいいかなとかってやってるやん?でも今回は“光一全部ハモ”って言われた。だから俺、『夏模様』のサビの主旋律、知らないもん、…って言うとだいぶウソだけど(笑)」

T「ウソなんや(笑)」

K「知らなくはない(笑)。しかしこの曲、歌うと難しいな」

T「難しい!林田健司さんの曲ってコブシが入るのよ。揺れるのが多くて難しい。で、心地いいの」

これがなんなの?と思っても、これでKinKiを捨てた光一ファンが確かにいる。

自分が好きなグループは、提供される曲をどうこうしてるということは全くないし、コンサートDVD編集に自ら口を出すこともないけど。

こういう風にはなんないでね、と、勝手に思っている。(ホントに関係ないんだけど)

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