はてなキーワード: 歌人とは
51.平城天皇(806~809)
官司の統廃合、観察使の派遣など行政の立て直しに取り組んだ。藤原薬子を寵愛したが、譲位後薬子の変が起きたため、出家した。
薬子の変を鎮圧。弘仁格式、新撰姓氏録を編纂した。三筆の一人にも数えられる文化人
在位中に令義解が施行され、日本後紀が完成した他、承和の変が起き藤原氏繁栄の基礎となった。医学、書道、和歌など初学に精通した知識人
55.文徳天皇(850~858)
続日本後紀の編纂を開始した。病弱であったため、政治の実権は藤原良房がが握った。
56.清和天皇(858~876)
幼くして即位したため、良房が実権を握り、元服後も握り続けた。在位中に貞観格式が編集された。
57.陽成天皇(876~884)
乳母子を殺す、宮中で密かに馬を飼うなどの奇行が多く、藤原基経に譲位させられた。
58.光孝天皇(884~887)
55歳という高齢で即位し、基経に「実質的な関白として政治を任せた。
阿衡の変により、藤原氏を疎み、菅原道真を重用した。在位中に多くの歌人が輩出され、遣唐使が廃止された。
60.醍醐天皇(897~930)
藤原時平の讒言を信じ、道真を左遷した。在位中に古今和歌集の勅撰、三代実録、延喜格式の編纂が行われ、その治世は村上天皇と共に延喜・天暦の治と称された。
在位中は天災が多発し、平将門・藤原純友が乱を起こすなど、多難な時を過ごした。
63.冷泉天皇(967~969)
病弱であったため、藤原実頼が関白として実権を握った。安和の変の後は、摂政・関白が常置されることとなった。
64.円融天皇(969~984)
藤原氏の政権争いに翻弄され、出家、文化人として風流な生活を送った。
在位中藤原道長が実権を握り、紫式部、清少納言、和泉式部などの文化人が活躍した。
道長の孫。在位中は道長・頼通が実権を握り、藤原氏の全盛期を迎えた。
在位中は頼通が関白として実権を握った
藤原氏を疎んじ、新政を行った。記録所を設け、成功、重任を禁じ、宣旨枡を定めた
在位中に富士山噴火、後三年の役が起きた。譲位後、院生を行った。
在位中は院生が行われたが、藤原師通の補佐により自らも政治に関与し末代の聖王と称された。
譲位後、崇徳~後白河の3代に及ぶ院政を行った。崇徳院を無視して、後白河天皇を即位させたことが保元の乱の原因となった。
鳥羽上皇に冷遇され、譲位させられた挙げ句、息子の即位も阻まれた。これを不満とし、保元の乱を起こすも敗れ、讃岐に流された。死後怨霊として恐れられた。歌人としても名高い。
76.近衛天皇(1141~55)
17歳で亡くなったため、崇徳院、藤原忠実・頼長親子に呪われたのではないかと噂された。
77.後白河天皇(1155~58)
保元の乱で崇徳院を破った後、譲位し院政を行った。平治の乱、治承・寿永の乱、鎌倉幕府成立などの激動の時代の中、権謀術数を巡らせ朝廷権力を維持した。
78.二条天皇(1158~1165)
崇徳院の子を差し置いて、皇子になったため、保元の乱が起きた。即位後は後白河院の院政に抵抗するも病気のため叶わなかった。
自身への敵対勢力に擁立されることを恐れた後白河院によって、わずか4年で譲位させられた。
80.高倉天皇(1168-80)
81.安徳天皇(1180~1185)
壇ノ浦の戦いで入水した。日本史上最も短命な天皇で、わずか7歳で崩御した。
82.後鳥羽天皇(1183~98)
譲位後、土御門~仲恭の3代にも及ぶ院生を行う。承久の乱に敗れ隠岐に流された。
父である後鳥院とは不和で承久の乱にも加わらなかったが、自ら望んで土佐に流された。
85.仲恭天皇(1221)
わずか10歳で即位したため、天皇になったことのない守貞親王が後高倉院として異例の院政を行った。
滑石を用いたいたずらが原因で転倒し崩御した。
88.後嵯峨天皇(1242~1246)
譲位後、2代にわたる院政を行った。死に際して、帝位継承者決定を幕府に委ねるとしたため、南北朝問題の原因となった。
90.亀山天皇(1260~74)
大覚寺統いわゆる南朝の祖。父後嵯峨院に愛され、兄後深草院を差し置いて子の後宇多天皇を即位させたため、南北朝問題の原因となった。譲位後南禅院を建立
91.後宇多天皇(1274~1287)
大覚寺統。在位中に元寇があった。譲位後、持明院統の伏見天皇を即位させるが、続いて持明院統の後伏見天皇の即位には反対したため、両統送立が始まった。院政を行うが、後醍醐天皇と対立し、政治から身を引いた。好学の天皇として知られる
93.後伏見天皇(1298~1301)
譲位後、院生を行う。元弘の乱後、東国へ逃れるも捕らえられ出家した。
94.後二条天皇(1301~08)
大覚寺統。持明院統から2代続いて天皇が出たことに後宇多院が抗議したため、幕府の計らいで即位。両統送立が始まった。
95.花園天皇(1308~1318)
鎌倉幕府打倒に貢献した後、建武新政を行う。足利尊氏に敗れ吉野に逃れ南北朝時代が始まる。
高師直に攻められ賀名生に逃れる。一度京都を奪還するもすぐに北朝に奪われた。その後も京都回復を狙い、各地を転戦するも果たせなかった。
98.(南3)長慶天皇(1368~1383)
和歌を愛し、五十番歌合、五百番歌合などを催した。
足利義満の誘いの応じて、南北朝の和解を実現。しかし、義満の死後冷遇され、和平の条件であった両統送立も果たされなかった。
後醍醐天皇の失脚を受けて即位したが、鎌倉幕府の滅亡後、後醍醐の廃位と光厳の即位が否定された。
足利尊氏の擁立により即位。譲位後、観応の擾乱によって南朝に捕らえられるが後に解放された。
北3.崇光天皇(1348~1351)
北4.後光厳天皇( 1352~1371)
後村上天皇の一統が破れると、足利市に擁護され即位した。南朝の攻撃に遭い、美濃・近江などに逃れたこともあった。
北5.後円融天皇(1371~1382)
はじめに言っておくが、増田は「ポリコレが短歌を殺した」というつもりはない。
https://twitter.com/aymusk/status/1382910231223562244
若手歌人の上坂氏による短歌で、そのキャッチーさ・ショッキングさからSNSでも何度かバズっている作品である。ここで「有名」というのは歌壇での話ではなく、一般ウケの話で恐縮なのだが、見たことある人も多かろうということで「有名」と評した。
今回、その「父」が死去したことにより上坂氏が再度ツイートしたところ、以前は見かけなかった「差別的だ」との引用RT・リプライが寄せられているようで、上坂氏は謝罪に至っている。
増田は短歌の評価を書くような場所じゃないと思うのでその辺は省くが、ちょっとした短歌ファンとして今回の件はショッキングだった。
言うまでもなく、そして穂村弘による評価でも言われている通り、この作品は父に対する強い負のイメージから詠まれた短歌である。
これはフィリピンに対するネガティブイメージではなく、「あのクソ親父は女がいたからフィリピンに駆け落ちしたんだろう」というのが詠まれた状況であろう。なお、駆け落ちという言葉でわかると思うが、ここでいう「女がいたから」というのは「フィリピンに行けば女がいくらでもいる」といったものではなく、「特定のフィリピン出身の女が居て、そいつのために行ったのだろう」という意である。
上坂氏は後日談のように当時の心境を書いており( https://twitter.com/aymusk/status/1382914438290804739 )、それなりに上記の解釈が合っているとは思っている。もし上坂氏が「そうじゃない」といえばそれまでだが。
仮に上坂氏の父親が大阪に逃げたならば「大阪の女」、フランスに逃げたならば「フランスの女」、で短歌を構成することは不可能ではなかろう。
さて、今回見受けられる批判は主に人種差別、例えば「フィリピンといえば女だと決めつけているのだろう」といったものが多い。
短歌とは極限まで言葉の数を削ぎ落とし、鑑賞者に想像の余地を持たせるものであろう。たとえば「歌人はフィリピン女性に悪意を抱いていたのではないか?」という解釈を試みる事自体を間違っている行為だと断言できる気はしない(もちろん歌人の意図とは異なるのであろうが)。
昨今のTwitterにおけるポリコレにまつわる炎上は、文脈がどうであったかが論争になるケースが多いように思う。要は「これは差別的な発言・表現・コンテンツだ」という批判に対し、「切り抜きだ」「このコンテンツにはこういう意図があったのに、そこを無視して炎上させるなんておかしい」といった流れがよくある。
そういう点では短歌は炎上の題材として「最適」である。文脈が削ぎ落とされており、批判も擁護もしやすい。更に元々表現が抽象的であるため、曲解するほうが悪いと断言するのも難しかろう。
そもそも炎上する短歌なんてあるのかよと思うかもしれないが、家庭や人間関係のことを詠んだ歌は多い。
今回の「フィリピンの女の乳首」は極端な例だが、例えば家庭の光景を詠んだものに「この表現はジェンダーロールの固定を想起させる」といった批判が寄せられることは今後ありうるだろう。
歌人がこの状況に対峙するには、「この短歌はこういう意図です」と声明を発表することしかないように思われる。しかし、作者によって説明が付けられた短歌は短歌といっていいのか?それエッセイじゃない?
それとも、釈明・説明を付与することを避けるため、誤解を招くかもしれないという理由で表現の選択肢が狭まっていくのだろうか。もちろん差別的な表現なら論外としても、誤解を招くかもといった理由で表現が狭まっていくことは果たして「コレクト」なのだろうか。
省かれた文脈に対して説明が求められ、作品や表現がポリティカルにコレクトであることを示さなければならないこの時代、短歌の命は短いのかもしれないと感じてしまった。
本件を歌人の方々はどのように捉えているのだろうか。
歌人は9名 じゃなくて 佳人薄命だな
歌人は9名 じゃなくて 佳人薄命だな
誰でも詠めるのが自由律とは言うけれども。
自由律で知られているのは山頭火と放哉、あとはせいぜい碧梧桐の名前が出れば良いほうだ。ほかに誰の名前が浮かぶというのか。すすんで自由律の句を読もうとする人の数なんて俳句や短歌のそれに比べればホコリのようなもので、だからこそ知名度のある人にいてほしいのだけれど、たとえば平成期で自由律歌人の名前、浮かびますか?正直、初期メン以外で知られている人はゼロなのではなかろうか。
誰でも詠めるのかもしれないけれどもその句を読んでくれる人はほぼいないのではなかろうか。発表しても聞いてくれる人がいないのはどうしたって張り合いがない。仲間内での遊びとしてなら成り立つかもしれないけれど、このままだと自由律俳句の未来は無いんじゃないかな。
思うところあって中屋敷均『ウイルスは生きている』を再読。走り読みなので細部までは目が行き届いていないが、これを読んだ時に受け取った熱を思い出した。2016年3月の初版発行からそう経たぬうちに読んだと思うが、今は随分ここから遠くに来た気がする。本書が今の自分とは縁遠いものという意味ではなく、寧ろ逆にずっと俺の心を捉えて離さなかった。自分の世界認識に深く影響を与えた(与えている)ので、もっとずっと昔から自分の中にあったように感じていたが、たった4年前のことなのか。
思うところが何かを明確に言語化するのは難しいが、
古今伝授を真に理解するためには、それが中世社会の特質と深く関わっていることを考えなければならない(古今伝授を和歌という縦糸だけで説明しようとするからダメなんだ。中世という横糸を忘れている)。中世は壮大なコジツケの体系が構築された時代神仏習合・本地垂迹説・卜部神道・中世日本紀等々…の奇妙奇天烈な世界観!古今伝授もその一環として見るべきではないか。コジツケと言われればそうだけど、それはその時代の人々にとってとても必要なコジツケだったのだ、という。もし積極的な意義を見出すのならその方向から説明しなければならないのだ。(古今伝授を受けた天皇を中心に優れた歌人が輩出された、だから歌学教育として意味があったとかバカか。優れた和歌とは何かという定義、評価軸じたいが古今伝授の支配圏内で形成されるのだから、優れてるかどうかを論じること自体がナンセンス。)
古今伝授が古今伝授になっていく過程、つまり古今集という単なる書物が、あるいは勅撰集編纂という律令制国家の一事業が、その枠を超えた何か大きな・尊い・民族文化の精髄のように認識されていくその過程において、付与された様々な言説――三木三鳥だの八雲神詠だの人麻呂がなんちゃらかんちゃら、後世から荒唐無稽とさんざ罵倒されることになるこれらの言説は、あたかも胎盤形成におけるシンシチン(syncytin)のような役割を果たしていた、と考えることはできないのか。異物を異物と感じさせない、捏造を捏造と感じさせない仕掛け。それは、倫理的な断罪とか文化的価値の優劣の俎上に乗せるのはふさわしくなく、その仕掛けを通じて何が実現されたか、その何かはその仕掛けを用いずには実現され得なかったのか、をこそ見るべきではないのか。
本来ウイルスのもつ能力を自己の一部として、機能として取り込む。生物は自己の維持に必要な機能の一部を外部環境に依存する。ポータブル外部環境としての細胞。生命と非生命の境界は我々が思っているほど明確に線引きできるようなものではない。我々の生命の定義は、あまりにも我々が日常的に馴れ親しんだものの見方に、「個人」という概念にひきずられてやしないか・・・というのが本書の示唆するものの最も深い所だ。
契沖や子規の批判は分かる。俺も一個人としては古今伝授(に代表されるもったいぶったコジツケ家)はバカジャネーノと思う。が同時に、それは文化・知・個人といったものについてこっちの定義/概念を押し付けてるだけじゃないの?とも思う。
根拠がない、合理的でない、和歌の質的向上につながっていない、という。では何故根拠がなければならないのか?合理的でなければならないのか?なぜ質を向上させなければならないのか?
これらの批判は、文化とは何か、個人とは何かについての定義をすでに前提にしていて、その立場から加えられている(反論する側(古今伝授を擁護する側)にもその立場から反論するやつがいるからどうしようもない)。まず始めに個人がある、歌は個人の気持ちを詠むものだ、しかるにコレコレの御方に入門しなければ和歌は詠めないのだとはけしからん、しかもその御方の教えたるやひたすらややこしい制約ばかり、かつ透明性のかけらもない、おまけにそう教える根拠はどこにあるかと探してみれば無い、要はこいつがでっち上げた妄説じゃねえか、それで偉ぶったり金巻き上げたりするなんて悪どい奴らだ・・・、こういう自他の区別、新旧の区別、真偽の判別をつけずにはいられない、ある意味病的な正義感。いかにも科学的合理性に偏っている。
しかし、それとは全く異なる評価軸があって、古今伝授は(中世の壮大なコジツケ志向は)その軸からみればもっとずっと整合的に理解できるはずだ。
本書の示唆する構造は、外来文化を自家薬籠中の物にする日本文化の性質(漢字・仏教等々)、中世の遺制としての近世的身分制(身分的周縁論)、象徴天皇制(近代国民国家の中の「伝統」)などに比較してみると実に都合がいい。
本来異質な要素を自己の維持に不可欠な一部として取り込み、その「元異質たち」も含めた全体として再生産されていく。あるいは新しい政権が成立する際に、それ以前からあったが途絶えかかっていた慣習を改めて制度化し流用する。取り込まれた方は同一性が失われ単なる機能に解消されてしまうことなく、細胞に異変があれば細胞内生物が独立した生物としての振る舞いを取り戻すこともあり得る(少なくともあり得ると見なされる。226事件を想起せよ)。天皇機関説ならぬ天皇ミトコンドリア説。
文化じたいが多かれ少なかれこういう性質を持っているのだが、特に日本はその傾向が顕著というか、世界中に普遍的にみられる文化現象の一例というだけでは説明のつかない点が多い。(なぜ先端技術の粋を凝らした構造物を建てる前に、土地の霊を鎮めるための宗教儀礼をやるのか?なぜ参加者は誰もその宗教の信者でないのか?わけが分からない。)こういう部分を説明するうえで本書の示唆する構造は役に立つ。その応用系として、古今伝授についても似たようなことが云えるのではないか。
@golden_wheatさんの「短歌の世界の沈黙について」を読んだ。
https://twitter.com/golden_wheat/status/1053324363733262338
匿名の反応で申し訳ないと思いつつ、いくつか自分の見た範囲でおさえておくべきと思われる事を書く。関係者から話を聞いた事はなく、ネット情報であり、結社だの学生短歌会だのの水面下情報ではない。正確な情報ではない事、あっと驚く新情報、どっちが悪い悪くない情報はない事をお断りしておく。
セクハラと学生短歌会参加の2つの問題がある。この2つは切り分けて考えないといけない筈だが、人的にからみあっており、どちらの話をしているのか混乱する事がある。読む時に注意が必要。
主張はそれぞれあり、起こったことの経緯はネットでは痕跡がないが、少なくとも女性歌人側の主張に嘘が含まれているという指摘があり女性歌人側が(おそらく指摘を受けて)告発を削除、という流れは見てとれる。
なので自分の感覚だと4年前の告発のことを語らず、5年耐えていたと発言するのはよくわからない。なぜ「告発してつぶされたけれどもまたやるぞ」と言わないのか。なぜはじめてのように振る舞うのか。
「5年前に説明せず逃げてまた同じ告発をするというのはどういうつもりだ?」という意味にとった。@golden_wheatさんがお書きの「おそらくは女性歌人の主張が虚偽であるという趣旨」も含まれているとは思うけれども。他のセクハラ告発だったらまず被害者の言葉を聞くところからはじまると思います。今回のケースは「前回」があるから嘘が含まれていると思われがちということです。「全部嘘」と思われている訳でもないと思います。どこまでが本当なのか測りかねての沈黙も多いと思っています。
見ている発言が違うだろうと思う。見た範囲では沈黙発言の数は2つか3つでそこまでの同調圧力は感じなかった。
発言者が2014年頃関西近辺にいたかどうかを考えながら読むとニュアンスが変わってくると思います。
彼のtweetを見ると3桁超えるのは時々、だいたいふぁぼ2桁。全体的に「フォロワー数を踏まえれば不自然に少ない」と言えないのではないかと思います。自分が見た時は19日の昼すぎで50超えたかどうかだったと思う。感じ方の問題になってくるけれど、このtweetだけ遠慮が働いているというのは自分は感じなかった。
ただ、このtweetに問題ないのかというと問題はあると思っています。実名を出したことです。セクハラした奴の実名を出して抑止力を狙うのははいい。「セクハラしたかもしれない奴」は出してはいけないと思います。もちろん「セクハラされたかもしれない」人の実名も。悪い奴の名前を出すのは、当事者同士の話し合いが終了してから(決定的に決裂して終了もあるかもしれない)。被害者本人が実名を出していても同様。
「したかもしれない」「されたかもしれない」だけで噂にさらされるのは地獄。もちろん、最初に手段としてネットに出したのなら、出した側は終了したらネットで報告する、というのが前提です。
告発があっても実名が出るまでは誰の事を指しているのかわかりません。実名が出て3日。何らかの経緯、今後の予定を表明しろっていうのは、ちょっと気の早い意見ではないかと思います。
この告発が結社に所属している人間の事だとしても、内容は2013年の学生短歌会の問題です。(この件で考慮してる場合かどうかというのはあるものの)学生自治の尊重もあります。
会社だったとしても、社外の学生サークル活動で起こった件についてネットで拡散3日目、情報が不確定な段階では公式の表明はないと思います。問合せがあった場合に「調査中です」みたいな回答をするくらいではないでしょうか。
「沈黙」の意味の取り方が違う事で、大変怖い思いをされているようだったので「そこまではひどくない(ひどいけど)」という一言をかけたかったのです。
お書きになった内容は大事なことで、@golden_wheatさんの混乱もダイレクトに伝わってきてヘドバンしながら読んでて、本当に本当に短歌やっててすいませんという気持になって書きました。 @golden_wheatさんに届くかどうかわからないけれど、皆が沈黙してる恐怖が少しでも和らぐ事を願って書きます。自分はこの件の関係者とは話す機会ないくらいの雑魚だけど結社にいるのでおそらくいきなり直接話しかけても信用してもらえないだろうというのもあります。増田でごめんなさい。
++++++++以下は@golden_wheatさん宛ではありません+++++++++++
「女性歌人は一部発言を削除したものの告発のうちの一部が残っている」「男性歌人は鍵」という状態。
2014年の告発に関しても残っている発言のうちどの発言が正しいのか、嘘なのかわからない。やはり自分は何の判断もできない。何かが明らかになるまでは沈黙します。
事件があった事を知ってしまった自分は、歌会へ行っていいのか、イベントへ行って大丈夫なのかと迷いがあります。こういう目にあうのではないかという危機感もあるし、こういうことを目にした時対処できるのか、見て見ぬフリをしてしまうのではないかという恐れもある。もちろんこんな問題を起こす人達と一緒にされたくないという思いもある。
セクハラ告発があった、という事はすでに広く知られてしまっているという前提で今後を考えて頂きたい。
ネットで告発した側は、ネットで自分がやったことに対して責任を持ってほしい。つまり終了後の報告。ネットを騒がせて、それだけの人と思わせないでほしい。
セクハラ内容を詳細に知りたい訳ではない。実名もいらない。待つ事もできる。
だから、身内以外の「お客さん」にもう少し安心できる情報を出してほしい。
起こってしまった時「それはおかしいんじゃないの」とツッこむぞと言ってほしい。今のままだと「起こっても隠蔽されるだけ」と思われ続けるだけだ。
「部外者だから」「学生短歌の話だから」で情報をはじかないでほしい。
不信感を持ったままそっと離れていってしまう人、身内の言葉が分からなくて戸惑う人、短歌の組織の感覚がわからない人、そういう人をひきとめてもらえないだろうか。これは部外者が言っても何の信用も得られない。関係者にしかできないことだ。今はそんなことまで考える事はできないのはわかってる。けれどもこういう人たちが安心して残っていける場所をづくりを落ち着いたら考えてほしい。この人たちこそが今後短歌を支える人になってゆくのだから。
最近の増田には2chの書き込みを転載しただけのものがよく投稿される。
内容としても元から釣り目的で書き込まれたのか?と思うようなものが転載されているため、ブコメを多く集めてホッテントリに入ったりしている。
他人の土俵でいいから目立ちたい人達の犯行なのだと思われているようだが、実は違うのである。
彼らが期待しているのは、まず第一に元スレにあるレスの転載で応じてもらうこと。
文学者や歌人が過去の名歌の応酬で意思疎通するがごとく、知っている者にだけわかるやり取りを介して過去を再現する。
それを終えてようやく、元スレにはなかった生まれたばかりの新たなレスがつくことが望まれる。
一度終わったはずの会話、一度決着を見たはずの結論。
もうスレッドが終わって口を挟めなくなった空間への、歯がゆい不快。それを塗り替えることが可能になる。
過去を再現し、付け加え、歴史を変える儀式。昔話が今の形になるまでに辿ってきた進化の道筋のように、ネットにこぼれ落ちた話もまた生まれ変わり続けるのだ。
以前、新着エントリの流れが早すぎて見た覚えがないエントリがホットエントリになっていることがあるというようなことを書いてた増田がいたけれど、実際どれくらいの時間で新着エントリを駆け抜けていくか確認してみた。
新着エントリ滞留時間 | エントリタイトル | ドメイン | 到達ブクマ数(21日23時台) |
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円仁(えんにん、延暦13年(794年) - 貞観6年1月14日(864年2月24日))は、第3代天台座主。慈覚大師(じかくだいし)ともいう。 入唐八家(最澄・空海・常暁・円行・円仁・恵運・円珍・宗叡)の一人。下野国の生まれで出自は壬生氏。
目次 [非表示]
2 遣唐使の渡海の困難
3 天台山を目指すが…
6 長安への求法
7 帰国の旅の苦難
8 関連文献
9 脚注
10 関連項目
794年(延暦13年)下野国都賀郡壬生町(現在の壬生寺)に豪族壬生氏(壬生君:毛野氏の一族)の壬生首麻呂の子として生まれる。兄の秋主からは儒学を勧められるが早くから仏教に心を寄せ、9歳で大慈寺に入って修行を始める。大慈寺の師・広智は鑑真の直弟子道忠の弟子であるが、道忠は早くから最澄の理解者であって、多くの弟子を最澄に師事させている。
※生誕地については
などの説があり、順徳天皇撰による「八雲御抄」では、みかほの関、みかほノ山での誕生が記されている。
下つ毛野 みかもノ山の越奈良の須 目ぐはし頃は 多が家かもたむ
あずま路の 人に問はばや みかもなる 関にもかくや 花は匂うと
石ふまぬ 安蘇の川原に 行き暮れて みかほの関に 今日やとまらむ
下野や 安蘇の川原に 行きくれば みかもの崎に 宿をかりなん
この他、近くにある円仁ゆかりの安蘇の川原は、みかほの関を沼越しに眺める名所として多くの和歌が詠まれている。
安蘇山の麓に生まれたという説では、慈覚大師円仁の出生については「桓武天皇の延暦13年、廣智菩薩が大慈寺住職のとき、南方に紫雲がたなびき、尋ねていくと安蘇山麓(現在の三毳山のふもと岩舟町下津原手洗窪)…下津原の手洗窪は「慈覚大師誕生の地」として栃木市の史跡に指定されている。
15歳のとき、唐より最澄が帰国して比叡山延暦寺を開いたと聞くとすぐに比叡山に向かい、最澄に師事する。奈良仏教の反撃と真言密教の興隆という二重の障壁の中で天台宗の確立に立ち向かう師最澄に忠実に仕え、学問と修行に専念して師から深く愛される。最澄が止観(法華経の注釈書)を学ばせた弟子10人のうち、師の代講を任せられるようになったのは円仁ひとりであった。
814年(弘仁5年)、言試(国家試験)に合格、翌年得度(出家)する(21歳)。816年(弘仁7年)、三戒壇の一つ東大寺で具足戒(小乗250戒)を受ける(23歳)。この年、師最澄の東国巡遊に従って故郷下野を訪れる。最澄のこの旅行は、新しく立てた天台宗の法華一乗の教えを全国に広める為、全国に6箇所を選んでそこに宝塔を建て、一千部八千巻の法華経を置いて地方教化・国利安福の中心地としようとするものであった。817年(弘仁8年)3月6日、大乗戒を教授師として諸弟子に授けるとともに自らも大乗戒を受ける。
性は円満にして温雅、眉の太い人であったと言われる。浄土宗の開祖法然は、私淑する円仁の衣をまといながら亡くなったという。
836年(承和2年)、1回目の渡航失敗、翌837年(承和3年)、2回目の渡航を試みたが失敗した。838年(承和5年)6月13日、博多津を出港。『入唐求法巡礼行記』をこの日から記し始める。志賀島から揚州東梁豊村まで8日間で無事渡海する(しかし「四つの船」のうち1艘は遭難している)。円仁の乗った船は助かったものの、船のコントロールが利かず渚に乗り上げてしまい、円仁はずぶ濡れ、船は全壊するという形での上陸だった(『行記』838年(開成4年)7月2日条)。
※上陸日である唐の開成4年7月2日は日本の承和5年7月2日と日付が一致していた。唐と日本で同じ暦を使っているのだから当然ではあるが、異国でも日付が全く同じであることに改めて感動している(『行記』838年(開成4年)7月2日条)。
最後の遣唐使として唐に留学するが、もともと請益僧(入唐僧(唐への留学僧)のうち、短期間のもの)であったため目指す天台山へは旅行許可が下りず(短期の入唐僧のため日程的に無理と判断されたか)、空しく帰国せねばならない事態に陥った。唐への留住を唐皇帝に何度も願い出るが認められない。そこで円仁は遣唐使一行と離れて危険を冒して不法在唐を決意する(外国人僧の滞在には唐皇帝の勅許が必要)。天台山にいた最澄の姿を童子(子供)の時に見ていたという若い天台僧敬文が、天台山からはるばる円仁を訪ねてきた。日本から高僧が揚州に来ているという情報を得て、懐かしく思って訪れて来たのだという。唐滞在中の円仁の世話を何かと見てくれるようになる。海州東海県で遣唐大使一行から離れ、一夜を過ごすも村人たちに不審な僧だと警戒され(中国語通じず、「自分は新羅僧だ」と主張しているが新羅の言葉でもないようだ、怪しい僧だ)、役所に突き出されてしまう。再び遣唐大使一行のところに連れ戻されてしまった(『行記』839年(開成4年)4月10日条)。
当時、中国の山東半島沿岸一帯は張宝高をはじめとする多くの新羅人海商が活躍していたが、山東半島の新羅人の港町・赤山浦の在唐新羅人社会の助けを借りて唐残留に成功(不法在留者でありながら通行許可証を得る等)する。遣唐使一行から離れ、寄寓していた張宝高設立の赤山法華院で聖林という新羅僧から天台山の代わりに五台山を紹介され、天台山はあきらめたが五台山という新たな目標を見出す。春を待って五台山までの約1270キロメートルを歩く(『行記』840年(開成5年)2月19日~4月28日の58日間)。
840年、五台山を巡礼する。標高3000mを超す最高峰の北台にも登山する(47歳)。五台山では、長老の志遠から「遠い国からよく来てくれた」と温かく迎えられる(『行記』840年(開成5年)4月28日条)。五台山を訪れた2人目の日本人だという(1人目は、最澄とともに入唐し、帰国せず五台山で客死した霊仙三蔵)。法華経と密教の整合性に関する未解決の問題など「未決三十条」の解答を得、日本にまだ伝来していなかった五台山所蔵の仏典37巻を書写する。また、南台の霧深い山中で「聖燈」(ブロッケン現象か。『行記』840年5月22日条、6月21日条、7月2日条)などの奇瑞を多数目撃し、文殊菩薩の示現に違いないと信仰を新たにする。
当時世界最大の都市にして最先端の文化の発信地でもあった長安へ行くことを決意し、五台山から約1100キロメートルを徒歩旅行する(53日間)。その際、大興善寺の元政和尚から灌頂を受け、金剛界大法を授き、青竜寺の義真からも灌頂を受け、胎蔵界・盧遮那経大法と蘇悉地大法を授く。また、金剛界曼荼羅を長安の絵師・王恵に代価6千文で描かせる。
台密にまだなかった念願の金剛界曼荼羅を得たこの晩、今は亡き最澄が夢に現れた。曼荼羅を手に取りながら涙ながらに大変喜んでくれた。円仁は師の最澄を拝しようとしたが、最澄はそれを制して逆に弟子の円仁を深く拝したという(『行記』840年10月29日条)。描かせていた曼荼羅が完成する(『行記』840年(開成5年)12月22日条)。
しばらくして、唐朝に帰国を百余度も願い出るが拒否される(会昌元年8月7日が最初)が、その間入唐以来5年間余りを共に過して来た愛弟子・惟暁を失う(『行記』843年(会昌3年)7月25日条。享年32)。また、サンスクリット語を学び、仏典を多数書写した。長安を去る時には423部・合計559巻を持っていた(『入唐新求聖教目録』)。そして、842年(会昌2年)10月、会昌の廃仏に遭い、外国人僧の国外追放という予期せぬ形で、帰国が叶った(会昌5年2月)。
当時の長安の情勢は、唐の衰退も相まって騒然としていた。治安も悪化、不審火も相次いでいた。その長安の街を夜半に発ったが(曼荼羅や膨大な経巻を無事に持ち帰るため)、夜にもかかわらず多くの長安住人の送別を受けた。送別人の多くは、唐高官の仏教徒李元佐のほか、僧侶及び円仁の長安暮らしを支えた長安在留の新羅人たちが主であった。餞けとして絹12丈(30m余)を贈ってくれた新羅人もいた(845年(会昌5年)5月15日)。歩くこと107日間、山東半島の新羅人の町・赤山まで歩いて戻った[注 1]。
この際、新羅人の唐役人にして張宝高の部下の将・張詠が円仁のために唐政府の公金で帰国船を建造してくれたが、密告に遭い、この船では帰れなくなる。
「円仁が無事生きている」という情報は日本に伝わっていたらしく、比叡山から弟子の性海が円仁を迎えに唐にやってきて、師と再会を遂げる。楚州の新羅人約語(通訳のこと)劉慎言に帰国の便船探しを頼み(彼は新羅語・唐語・日本語を操れるトライリンガルであった)、彼の見つけた新羅商人金珍の貿易船に便乗して帰国する。円仁は劉慎言に沙金弐両と大坂腰帯を贈っている。朝鮮半島沿岸を進みながらの90日間の船旅であった。新羅船は小型だが高速で堅牢であることに驚いている。博多津に到着し、鴻臚館に入った(『行記』847年(承和14年)9月19日条)。日本政府は円仁を無事連れ帰ってきた金珍ら新羅商人に十分に報酬を報いるように太政官符を発し、ここで9年6ヶ月に及んだ日記『入唐求法巡礼行記』(全4巻)の筆を擱いている(『行記』847年(承和14年)12月14日条)。54歳。
この9年6ヶ月に及ぶ求法の旅の間、書き綴った日記が『入唐求法巡礼行記』で、これは日本人による最初の本格的旅行記であり、時の皇帝、武宗による仏教弾圧である会昌の廃仏の様子を生々しく伝えるものとして歴史資料としても高く評価されている(エドウィン・ライシャワーの研究により欧米でも知られるようになる)。巡礼行記によると円仁は一日約40kmを徒歩で移動していたという。
目黒不動として知られる瀧泉寺や、山形市にある立石寺、松島の瑞巌寺を開いたと言われる。慈覚大師円仁が開山したり再興したりしたと伝わる寺は関東に209寺、東北に331寺余あるとされ、浅草の浅草寺もそのひとつ(岩舟町観光協会HP)。このほか北海道にも存在する。
本日は美濃加茂市民ミュージアム、美濃和紙の里会館、郡上八幡城、
せっかくだから、もう少し足を延ばそうとする繰り返しで、
小沢艦隊に釣られたハルゼー艦隊のごとく北に突進してしまいました。
わたくしの御髪が縦にカール・ビンソンですの。
そして光秀の書状が展示されていました。
天下人四人の書が拝めるなんてありがたいですわ。
掛け軸にするときに折り目で切断して向きを揃えていると解説がありました。
また、尊敬する相手に触れる前で改行する作法もあったそうですわ。
近隣の城についても紹介があり、ガラスの中でさらに額縁に入っていた
絵が歴史群像の見開きとほぼ同じサイズで驚きました。縮小コピーじゃなかったのですね。
棒人間的な人物は米粒の表面に描けるくらいの小ささで作業の細かさに圧倒されました。
せめて入館料をとらないゾーンに展示されたほうが……。
こうぞ5500gから長い工程を経て得られる和紙は220gとのことです。
青森、千葉、神奈川、香川、長崎のみ和紙がありませんでしたわ。
歴史上にはパピルス以外に樹皮や椰子の葉をたたいて合わせた「紙」も
あったことを知りました。
あと、入り口付近に「ギネスに挑戦!60mの手すき紙プロジェクト」の企画が紹介されていましたが、
よく紙をみると右下に小さく「※ギネスへは挑戦していません」と書いてありましたわ。
えっ?ええっ??
長良川沿いをさかのぼっていくと郡上八幡城のある郡上市に入ります。
(屋根から落ちた雪がいきおいよく人にぶつかることを防ぐ突起のついた瓦)が
使われていて、豪雪地帯に入ったことを感じましたの。
古い景観をとどめる町の中はうだつ上がりすぎて、うだつあがり症状態でしたわ。
「およしさん(17)」が萌えキャラ化されていて、およしなさいと本気で思いました。
およしさんはデザインは東北ずん子さんに似ているというか、おキヌちゃんの系譜でしょうか。
関ヶ原絡みの局地戦で戦術的には負けながらも郡上八幡城を取り戻した遠藤慶隆は
成功した
小田氏治みたいですわ。
こちらは戦国大名、東(「あずま」でも「ひがし」でもなく「とう」)氏の
篠脇城は畝状竪堀群のある山城で、千葉から来たという東氏がその技術を得た
経緯がとても興味深いですの。
そういえば途中の国道156号線にデイリーヤマザキが連続で現れる場所がありましたわ。
古今伝授といえば
有名ですけれど、まさにその古今伝授の源流にあるのが
九代目東常縁なのだそうです。
それに関連して和歌文学館では古代から現代までの代表的歌人が九人選定されていましたわ。
選者の意見があけすけに書かれていて興味深かったですの。
その上にある篠脇山荘は歌詠みの会をする研修会館のようですが、
何もしていない時は立ち入りが可能で、縁側の椅子に腰掛けて池と篠脇城のある山を眺めていたら