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2017-09-14

anond:20170901203346

何故自分文章を見て「男性だ」とよく決め付けられるのかずっと不思議だったけど

余計な描写を省いてるからなんだね

書いても良いけど面倒臭いから書きたくない。そうすると「女性文章冗長的だ」という偏見を持つ人には女性から除外されてしまう。

まあ、短歌和歌で有名になった女性歌人の例を見たら良いと思う。自分の知見が狭いだけって事に気付くから

2017-05-19

円仁(えんにん、延暦13年(794年) - 貞観6年1月14日(864年2月24日))は、第3代天台座主。慈覚大師(じかくだいし)ともいう。 入唐八家(最澄空海・常暁・円行・円仁・恵運・円珍・宗叡)の一人。下野国の生まれ出自壬生氏。

目次 [非表示]

1 円仁人物

2 遣唐使の渡海の困難

3 天台山を目指すが…

4 在唐新羅社会の助け

5 五台山巡礼

6 長安への求法

7 帰国の旅の苦難

8 関連文献

9 脚注

10 関連項目

11 外部リンク

円仁人物像[編集]

794年延暦13年)下野国都賀壬生町現在壬生寺)に豪族壬生氏(壬生君:毛野氏一族)の壬生首麻呂の子として生まれる。兄の秋主から儒学を勧められるが早くから仏教に心を寄せ、9歳で大慈寺に入って修行を始める。大慈寺の師・広智は鑑真の直弟子道忠の弟子であるが、道忠は早くから最澄理解者であって、多くの弟子最澄師事させている。

※生誕地については

美加保ノ関(藤岡町三鴨の都賀字館)

手洗窪(岩舟町下津原

壬生寺壬生町

などの説があり、順徳天皇撰による「八雲御抄」では、みかほの関、みかほノ山での誕生が記されている。

また、美加保乃関は万葉集歌人によって和歌も詠まれており

下つ毛野 みかもノ山の越奈良の須 目ぐはし頃は 多が家かもたむ

あずま路の 人に問はばや みかもなる 関にもかくや 花は匂うと

石ふまぬ 安蘇の川原に 行き暮れて みかほの関に 今日やとまら

下野や 安蘇の川原に 行きくれば みかもの崎に 宿をかりなん

この他、近くにある円仁ゆかりの安蘇の川原は、みかほの関を沼越しに眺める名所として多くの和歌が詠まれている。

安蘇山の麓に生まれたという説では、慈覚大師円仁の出生については「桓武天皇延暦13年、廣智菩薩大慈寺住職とき南方に紫雲がたなびき、尋ねていくと安蘇山麓現在の三毳山のふもと岩舟町下津原手洗窪)…下津原の手洗窪は「慈覚大師誕生の地」として栃木市史跡指定されている。

15歳のとき、唐より最澄帰国して比叡山延暦寺を開いたと聞くとすぐに比叡山に向かい最澄師事する。奈良仏教の反撃と真言密教興隆という二重の障壁の中で天台宗確立に立ち向かう師最澄に忠実に仕え、学問修行に専念して師から深く愛される。最澄が止観(法華経注釈書)を学ばせた弟子10人のうち、師の代講を任せられるようになったのは円仁ひとりであった。

814年(弘仁5年)、言試(国家試験)に合格、翌年得度出家)する(21歳)。816年(弘仁7年)、三戒壇の一つ東大寺で具足戒(小乗250戒)を受ける(23歳)。この年、師最澄東国巡遊に従って故郷下野を訪れる。最澄のこの旅行は、新しく立てた天台宗の法華一乗の教えを全国に広める為、全国に6箇所を選んでそこに宝塔を建て、一千部八千巻の法華経を置いて地方教化・国利安福の中心地としようとするものであった。817年(弘仁8年)3月6日大乗戒を教授師として諸弟子に授けるとともに自らも大乗戒を受ける。

性は円満にして温雅、眉の太い人であったと言われる。浄土宗開祖法然は、私淑する円仁の衣をまといながら亡くなったという。

遣唐使の渡海の困難[編集]

836年(承和2年)、1回目の渡航失敗、翌837年(承和3年)、2回目の渡航を試みたが失敗した。838年(承和5年)6月13日博多津を出港。『入唐求法巡礼行記』をこの日から記し始める。志賀島から揚州東梁豊村まで8日間で無事渡海する(しかし「四つの船」のうち1艘は遭難している)。円仁の乗った船は助かったものの、船のコントロールが利かず渚に乗り上げてしまい、円仁はずぶ濡れ、船は全壊するという形での上陸だった(『行記』838年(開成4年)7月2日条)。

上陸である唐の開成4年7月2日日本の承和5年7月2日と日付が一致していた。唐と日本で同じ暦を使っているのだから当然ではあるが、異国でも日付が全く同じであることに改めて感動している(『行記』838年(開成4年)7月2日条)。

天台山を目指すが…[編集]

最後遣唐使として唐に留学するが、もともと請益僧(入唐僧(唐への留学僧)のうち、短期のもの)であったため目指す天台山へは旅行許可下りず(短期の入唐僧のため日程的に無理と判断されたか)、空しく帰国せねばならない事態に陥った。唐への留住を唐皇帝に何度も願い出るが認められない。そこで円仁遣唐使一行と離れて危険を冒して不法在唐を決意する(外国人僧の滞在には唐皇帝勅許必要)。天台山にいた最澄の姿を童子(子供)の時に見ていたという若い天台僧敬文が、天台山からはるばる円仁を訪ねてきた。日本から高僧が揚州に来ているという情報を得て、懐かしく思って訪れて来たのだという。唐滞在中の円仁の世話を何かと見てくれるようになる。海州東海県で遣唐大使一行から離れ、一夜を過ごすも村人たちに不審な僧だと警戒され(中国語通じず、「自分新羅僧だ」と主張しているが新羅言葉でもないようだ、怪しい僧だ)、役所に突き出されてしまう。再び遣唐大使一行のところに連れ戻されてしまった(『行記』839年(開成4年)4月10日条)。

在唐新羅社会の助け[編集]

当時、中国山東半島沿岸一帯は張宝高をはじめとする多くの新羅人海商が活躍していたが、山東半島新羅人の港町・赤山浦の在唐新羅社会の助けを借りて唐残留成功不法在留者でありながら通行許可証を得る等)する。遣唐使一行から離れ、寄寓していた張宝設立の赤山法華院で聖林という新羅から天台山の代わりに五台山を紹介され、天台山はあきらめたが五台山という新たな目標を見出す。春を待って五台山までの約1270キロメートルを歩く(『行記』840年(開成5年)2月19日4月28日の58日間)。

五台山巡礼[編集]

840年、五台山巡礼する。標高3000mを超す最高峰の北台にも登山する(47歳)。五台山では、長老の志遠から「遠い国からよく来てくれた」と温かく迎えられる(『行記』840年(開成5年)4月28日条)。五台山を訪れた2人目の日本人だという(1人目は、最澄とともに入唐し、帰国せず五台山客死した霊仙三蔵)。法華経密教整合性に関する未解決問題など「未決三十条」の解答を得、日本にまだ伝来していなかった五台山所蔵の仏典37巻を書写する。また、南台の霧深い山中で「聖燈」(ブロッケン現象か。『行記』840年5月22日条、6月21日条、7月2日条)などの奇瑞を多数目撃し、文殊菩薩の示現に違いないと信仰を新たにする。

長安への求法[編集]

当時世界最大の都市にして最先端文化の発信地でもあった長安へ行くことを決意し、五台山から1100キロメートルを徒歩旅行する(53日間)。その際、大興善寺の元政和尚から灌頂を受け、金剛界大法を授き、青竜寺の義真からも灌頂を受け、胎蔵界・盧遮那経大法と蘇悉地大法を授く。また、金剛界曼荼羅長安絵師・王恵に代価6千文で描かせる。

台密にまだなかった念願の金剛界曼荼羅を得たこの晩、今は亡き最澄が夢に現れた。曼荼羅を手に取りながら涙ながらに大変喜んでくれた。円仁は師の最澄を拝しようとしたが、最澄はそれを制して逆に弟子円仁を深く拝したという(『行記』840年10月29日条)。描かせていた曼荼羅が完成する(『行記』840年(開成5年)12月22日条)。

しばらくして、唐朝帰国を百余度も願い出るが拒否される(会昌元年8月7日最初)が、その間入唐以来5年間余りを共に過して来た愛弟子・惟暁を失う(『行記』843年(会昌3年)7月25日条。享年32)。また、サンスクリット語を学び、仏典を多数書写した。長安を去る時には423部・合計559巻を持っていた(『入唐新求聖教目録』)。そして、842年(会昌2年)10月、会昌の廃仏に遭い、外国人僧の国外追放という予期せぬ形で、帰国が叶った(会昌5年2月)。

帰国の旅の苦難[編集]

当時の長安の情勢は、唐の衰退も相まって騒然としていた。治安悪化不審火も相次いでいた。その長安の街を夜半に発ったが(曼荼羅や膨大な経巻を無事に持ち帰るため)、夜にもかかわらず多くの長安住人の送別を受けた。送別人の多くは、唐高官の仏教徒李元佐のほか、僧侶及び円仁長安暮らしを支えた長安在留新羅人たちが主であった。餞けとして絹12丈(30m余)を贈ってくれた新羅人もいた(845年(会昌5年)5月15日)。歩くこと107日間、山東半島新羅人の町・赤山まで歩いて戻った[注 1]。

この際、新羅人の唐役人にして張宝高の部下の将・張詠が円仁のために唐政府の公金で帰国船を建造してくれたが、密告に遭い、この船では帰れなくなる。

円仁が無事生きている」という情報日本に伝わっていたらしく、比叡山から弟子の性海が円仁を迎えに唐にやってきて、師と再会を遂げる。楚州の新羅人約語(通訳のこと)劉慎言に帰国の便船探しを頼み(彼は新羅語・唐語・日本語を操れるトライリンガルであった)、彼の見つけた新羅商人金珍の貿易船に便乗して帰国する。円仁は劉慎言に沙金弐両と大坂腰帯を贈っている。朝鮮半島沿岸を進みながらの90日間の船旅であった。新羅船は小型だが高速で堅牢であることに驚いている。博多津に到着し、鴻臚館に入った(『行記』847年(承和14年)9月19日条)。日本政府円仁を無事連れ帰ってきた金珍ら新羅商人に十分に報酬を報いるように太政官符を発し、ここで9年6ヶ月に及んだ日記『入唐求法巡礼行記』(全4巻)の筆を擱いている(『行記』847年(承和14年)12月14日条)。54歳。

この9年6ヶ月に及ぶ求法の旅の間、書き綴った日記が『入唐求法巡礼行記』で、これは日本人による最初の本格的旅行記であり、時の皇帝、武宗による仏教弾圧である会昌の廃仏の様子を生々しく伝えるものとして歴史資料としても高く評価されている(エドウィン・ライシャワー研究により欧米でも知られるようになる)。巡礼行記によると円仁は一日約40kmを徒歩で移動していたという。

目黒不動として知られる瀧泉寺や、山形市にある立石寺松島瑞巌寺を開いたと言われる。慈覚大師円仁が開山したり再興したりしたと伝わる寺は関東に209寺、東北に331寺余あるとされ、浅草浅草寺もそのひとつ岩舟町観光協会HP)。このほか北海道にも存在する。

後に円仁派は山門派と称された。(円珍派は寺門派、両者は長期にわたり対立関係になった)。

2017-04-22

[]

本日美濃加茂市ミュージアム美濃和紙の里会館、郡上八幡城、

古今伝授の里フィールドミュージアムに行って参りましたわ。

せっかくだから、もう少し足を延ばそうとする繰り返しで、

小沢艦隊に釣られたハルゼー艦隊のごとく北に突進してしまいました。

わたくしの御髪が縦にカール・ビンソンですの。

美濃加茂市ミュージアムでは特別展信長秀吉家康

そして光秀の書状が展示されていました。

天下人四人の書が拝めるなんてありがたいですわ。

秀吉直筆書の筆運びがおもしろいです。

本田正信展で拝見した折り紙もありましたが、

掛け軸にするときに折り目で切断して向きを揃えていると解説がありました。

また、尊敬する相手に触れる前で改行する作法もあったそうですわ。

これは、わたくしに送られてきた手紙見直しませんと!

近隣の城についても紹介があり、ガラスの中でさら額縁に入っていた

加治田城イラスト

香川元太先生直筆の作品(本物)とのことでした。

絵が歴史群像の見開きとほぼ同じサイズで驚きました。縮小コピーじゃなかったのですね。

棒人間的な人物は米粒の表面に描けるくらいの小ささで作業の細かさに圧倒されました。

美濃和紙の里会館は地場産業である和紙の売り込みをしていて、

アーティストはともかく企業が正面に出過ぎている感じでした。

せめて入館料をとらないゾーンに展示されたほうが……。

アーティスト作品と一緒においてあった名刺のものが、

作品になっている点は和紙ならではでしたわ。

こうぞ5500gから長い工程を経て得られる和紙は220gとのことです。

日本各地の和紙が紹介されていましたけれど、

青森千葉神奈川香川長崎のみ和紙がありませんでしたわ。

羊皮紙のことを「パーチメント」と表記していて、

クイズゲーム以外に注釈がありませんでしたわ。

歴史上にはパピルス以外に樹皮や椰子の葉をたたいて合わせた「紙」も

あったことを知りました。

あと、入り口付近に「ギネスに挑戦!60mの手すき紙プロジェクト」の企画が紹介されていましたが、

よく紙をみると右下に小さく「※ギネスへは挑戦していません」と書いてありましたわ。

えっ?ええっ??

長良川沿いをさかのぼっていくと郡上八幡城のある郡上市に入ります

信号が縦になり、郡上八幡城の麓にある神社にも雪止め瓦

屋根から落ちた雪がいきおいよく人にぶつかることを防ぐ突起のついた瓦)が

使われていて、豪雪地帯に入ったことを感じましたの。

古い景観をとどめる町の中はうだつ上がりすぎて、うだつあがり症状態でしたわ。

郡上八幡城では難工事の際に人柱にされた

「およしさん(17)」が萌えキャラ化されていて、およしなさいと本気で思いました。

およしさんはデザイン東北ずん子さんに似ているというか、おキヌちゃんの系譜でしょうか。

LINEスタンプもあってかわいらしいです。でも人柱です。

関ヶ原絡みの局地戦で戦術的には負けながらも郡上八幡城を取り戻した遠藤慶隆は

成功した

小田氏治みたいですわ。

最後古今伝授の里フィールドミュージアムにつきました。

こちらは戦国大名、東(「あずま」でも「ひがし」でもなく「とう」)氏の

初期の居城である篠脇城跡の麓にある和歌ミュージアムです。

篠脇城は畝状竪堀群のある山城で、千葉から来たという東氏がその技術を得た

経緯がとても興味深いですの。

岐阜県北部にはマイナー戦国大名が多いのですわ。

そういえば途中の国道156号線デイリーヤマザキ連続で現れる場所がありましたわ。

古今伝授といえば

細川幽斎関ヶ原の合戦に際して生き残る切り札に使ったことが

有名ですけれど、まさにその古今伝授の源流にあるのが

九代目東常縁なのだそうです。

それに関連して和歌文学館では古代から現代までの代表的歌人が九人選定されていましたわ。

選者の意見があけすけに書かれていて興味深かったですの。

その上にある篠脇山荘歌詠みの会をする研修会館のようですが、

何もしていない時は立ち入りが可能で、縁側の椅子腰掛けて池と篠脇城のある山を眺めていたら

ホーホケキョの鳴き声が聞こえてきました。hウグイスですわ!

最初放送を疑いましたわ。おそらくヤマゲラの鳴き声も聞こえて、

いつになくリラックスしたひとときを過ごせました。

郡上市から一気に帰る際は地獄をみたわけですけれど……

高速(厳密には自動車専用)道路感謝ですわ。

2016-12-06

http://news.livedoor.com/article/detail/12373549/

ユーキャン新語・流行語大賞をやめろ。


やるならその年がどういう年だったのが、後から振り返って意味があるような言葉を選ぶべきだ。

とにかく選考委員ダメ

  姜尚中東京大学名誉教授

  俵万智歌人

  室井滋女優エッセイスト

  やくみつる漫画家

  箭内道彦(知らん)

  清水均(知らん)

まともな人が一人もいない。

選考委員という方式をやめて、より広く世間から集めるべきだろう。


2016年であれば、米大統領選トランプ氏は外せない。

イギリスEU離脱歴史的出来事だ。

これは世界政治の転換点になろう。

あとはいろいろあるが、文春の活躍豊洲移転問題老人ホームの転落死などいろいろあるはずだ。

神ってる」なんて聞いたこともない言葉が選ばれる理由など微塵もない。


2015年なら東京オリンピック絡みでまとめるのがよかった。

エンブレム」「新国立競技場」「白紙撤回

これらを2020年に振り返れば過去反省を活かすこともできただろうに。

2016-05-04

[] 宇陀市

宇陀市(うだし)は、奈良県北東部の市。2006年平成18年1月1日宇陀郡大宇陀町・菟田野町・榛原町室生村が合併して誕生

人口 30,778人

  

「宇陀」という地名自体は万葉の時代から存在し、歌人柿本人麻呂現在大宇陀の阿騎野で「東の野にかぎろひの立つ見へて

返り見すれば月傾きぬ」という秀歌を詠んだことは非常に有名である。また、大宇陀城下町としても栄えた。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%87%E9%99%80%E5%B8%82

2015-11-20

「○聖」という尊称について

「剣豪」「剣聖」という呼称の誕生について - Togetterまとめ

の流れからコメント欄で、

元ネタというか発想の元は李白杜甫の詩仙や詩聖なんだろうがな。

と言われているのだが、

詩仙 李白

詩聖 杜甫

詩豪 劉禹錫

詩魔 白居易

詩鬼 李賀

詩佛 王維

詩囚 孟郊

詩瓢(詩奴) 賈島

詩骨 陳子昂

詩狂 賀知章

詩傑 王勃

詩家天子/七絶聖手 王昌齡

詩佛,詩聖,詩仙,詩鬼,詩魔各是誰?-百科問答-中文百科在線

これらは優れた詩人にそれぞれの特徴を捉えたアダ名をつけているだけであり、

杜甫の詩には儒教的思想が反映されているから「(儒教における)聖人」という意味での「聖」なのであって、

思想方面,杜詩中有儒家思想,洋溢著仁民愛物的情懷和濃烈愛國主義色彩,有「詩聖」之譽。

杜甫 - 维基百科,自由的百科全书

日本で言うときの「最も優れているから『聖』なのだ」というようなニュアンスは、そこには無いような感じがする。

では日本における「○聖」はと考えて古今和歌集に思い至る。

かの御時に、おほきみ(み)つのくらゐ、かきのもとの人まろなむうたのひじりなりける。

古今和歌集仮名序 - Wikisource

これは柿本人麻呂儒教的だと言われているわけではなく、単純に「優れた歌人」という意味での「歌聖」だろう。

そして同じく古今和歌集仮名序に登場する六人の歌人は後世に「歌仙」と呼ばれている。

このあたりが日本における「○聖」「○仙」といった尊称の、最初期の用例なのではあるまいか。

2015-09-24

http://anond.hatelabo.jp/20150924194717

教師として赴任して女学生を二人食ったリア充権化与謝野鉄幹

二人目に食った女学生の友人、これが超肉食系女子だった。

柔肌の熱き血潮に触れもみで寂しからずや道を説く君(与謝野晶子)

訳 グダグダ言ってないで私を口説け!そして抱け!この草食系が!

今読み返しても、こんなに肉食系の詩は現代でも他にないかと思う。

かくして、肉食系男子であった鉄幹は、自分よりはるか超肉食系にして、歌人としての才能も数段上の晶子に食われた。

簡単に言うと、押しか女房された。

これが、膣に一晩いれたバナナを食うという変態プレイで有名な与謝野夫婦である

鉄幹、Mに目覚めたのだろうか?

そののち、晶子は10人も子供を産む。

晶子にとっては、出産などちょっとデカい糞みたいなもんであった。

当時は出産が命に関わるとかなんとかいう話など通用しない。

妻子をおいてパリ遊学中の鉄幹

鉄幹「(最近俺、主導権握りっぱなしだから、いじわるしてやろう)」

鉄幹「はっはー!パリは素晴らしいよ!君もいつかおいでよ!(子育てでそれどころじゃないだろうけど!)」

晶子「来たわ!

鉄幹「え、子供(この時既に7人も。しかも7人目は生まれたばかり)は?」

晶子「預けた!」

鉄幹「おぅ」

晶子「あなたのいうとおりパリって素晴らしいわね!」

帰国

晶子の執筆ペース当時最速。

年に二冊評論書を書き、個人詩集14冊、生涯で5万首の短歌を残す。

全方位的に喧嘩を売り、反論に対して論陣を張る日々。

晶子はライオンのような心、鋼の肉体。

近代最強の女。

2015-07-19

純文学」は死んでいい

純文学」の世界に、もはや「文学」のかけらなんて残っていないのだから

よく知られるように、日本もっと権威ある文学賞(と思われている)芥川賞は「純文学」の賞であるが、世界的な文学賞で「純文学に贈る賞」なんて無い。ただ日本だけで、「純文学」とそれ以外の間に垣根を作り100年近く特権化し保護してきた結果が、この体たらくだ。もういいだろう。もうやめよう。

幸いなことに、「純文学」の垣根に守られず、「読者」という名の狼たちと、荒野で100年戦いつづけたたくましい文学者たちが、日本にはたくさんいる。風俗小説家歴史小説家、ノンフィクションライターSF作家、伝記作家エログロ哲学者詩人歌人俳人ももちろん文学者なのだからコピーライターもまたしかり、だ。「文壇著名人から増田の名もない書き手」まで…彼らの豊富仕事に目を向け、再評価すべき時が来たということだろう。そして文学研究」もまた、野に放たれるべき時が近づいているのだろう。

http://anond.hatelabo.jp/20150716232738

2014-08-09

中城ふみ子という歌人をご存じだろうか

31歳、乳がんで早世した女流歌人だ。

北海道帯広市野江呉服店の娘として生まれたふみ子は、左乳房の切除手術を受けたが、

がんは転移しており放射線治療を受けるも1954年になくなった。

死の直前『乳房喪失』の歌集ベストセラーになり、

死後は映画乳房永遠なれ』が有名になった。

中城ふみ子が育った野江呉服店は、開拓地都市のなかでではあるがかなり裕福で、

ふみ子を帯広高等女学校から東京家政学園に学ばせる余裕があった。

解りやすい言い方をすれば「プチブル」だった。

ふみ子の写真は多く残されているが、どこか気取っていて、

しなを作ったりポーズをとったりするものほとんどだ。若いころは特にそうだ。

彼女は「プチブルなのだ。「私はあなたたちとは違うのよ」とでも言いたげな、言い方が悪いが、

いかにも「成金」的な姿勢写真からにじみ出ているようで、私はひどく嫌だった。

彼女容姿はかなり整っている方で、それが彼女の「気取り」に拍車をかけているようにも感じた。

若いころの写真に写る彼女への印象はかなり悪い。

ほどなくして彼女結婚し母となる。結婚は恵まれたものではなかった。

苦労をして離婚帯広に帰ってきた。

その後故郷で奔放な恋愛をし様々な浮名を流したという。

写真で「気取り」を見せることは少なくなったが、

この辺りの帯広での行動はいかにも「プチブル」的発想で嫌だ。

そのうちに彼女の身体を乳がんが蝕む。

性の奔放さと、女性性の象徴である乳房喪失とを併せて、

罪と罰」と捉える論者も多いが今回の話では割とどうでもいい。

死が間近に迫った病床の彼女を写した写真がある。

なんとかという女性と一緒に写っている写真だ。

この一緒に写っている女性は顔も体もでかくて(お笑い芸人バービーに似ている)、

ふみ子と一緒に写ると自分ボリュームが強調されてしまうから少し下がって写りたい!と訴え出たそうだ。

今に残る写真では、この女性とふみ子の顔の大きさは同じくらいで、

実際に女性は何歩か下がって写真に写ったようだ。

病に侵され余命いくばくもないふみ子も、

この写真を取る際のやりとりには僅かにだが笑顔を見せたという。


不謹慎承知だが、私はこの写真が一番好きだ。

この、弱ってボロボロになってたたずんでいるふみ子が一番好きだ。

彼女可憐学生時代も性の奔放さも、実は「プチブル」に担保された性質のように思う。

病は「プチブル」的なものをごっそりそぎ落とし、何かが残り写真に写っている。

そもそも文学をやること自体が「プチブル」的だったのだが、

歌人としての才はギリギリそぎ落とされずふみ子の手元に残った。

ブルジョアジーというものを、革命でも何でもなく、がんというこの時代の不治の病が打破したのだ、と私は思う。

つの身体においての事例だが、近代の克服を自分の身体を削ることで成し遂げたのだ、と本当に勝手だけど思う。


冬の皺(しわ) 寄せゐる海よ 今少し 生きて己の 無残を見むか

2011-11-23

http://anond.hatelabo.jp/20111121165116

非モテを改めて定義したいけど、

自分なんかが愛されるはずがない」

という思念に囚われてしまってる状態なんだよね。

スペック時代失恋やその他の要因で、恋愛に関するかなり基礎になる所がぶっ壊れてる。

童貞をこじらせるというのもこのこと。

例えば、一人の女性を好きになる。

付き合い始める。

でも、思うんだ。

自分なんかが愛されているはずがない」

と。

どんなにスペック改善しても、やっぱり自分を好きになれないし、彼女の愛(本当にあったかどうか疑わしいが)は非モテに届かない。

カネ目当てなんじゃないかと思うし、他の男性がみなハゲデブばかりになってるせいなんじゃないかと思う。

そこに、「さかのぼり嫉妬」というものが加わる。

歌人エッセイスト穂村弘はこの「さかのぼり嫉妬」を人間感情の中で最も不毛ものと評してる。

頭ではわかっている。

過去があって今がある。

どんな過去があろうと、その過去が今の彼女を形作った。

彼女を愛するということは、彼女過去も受け入れることなのだ。

…だが出来ない!

意思に反して、彼女過去恋人嫉妬する。

あいつより僕を好きなことを証明しろ!

君が人生で一番キレイな時期を捧げた相手より、僕のことが好きだっていうなら、じゃあなにを捧げてくれるんだ?

と、心のなかで叫ぶ。もちろん声には出さない。

もし、声に出して聞いたなら、彼女は、前の恋人に捧げたものなんかよりも大きなものを捧げるつもりだと言うだろう。

このあとの人生、つまり結婚」と言うんだ。

冗談じゃない!

喜びよりも、重圧と負担のしかかるじゃないか

責任と失敗から逃げ続け、不器用と要領の悪さをペーパー試験の点数の良さでなんとか逃げきってきた僕に、結婚だと!

僕が欲しいのは、一方的に愛されたいのだ。無限愛されたいのだ。

僕の歳では、そろそろ結婚視野に入れない恋愛というのは不可能になりつつある。

楽しいだけの恋愛は、10代まで」

と言われたことがある。

恋人に求めるもの完璧過ぎるのはわかってる。

自分自身が不完全すぎるのに。

というよりは、僕は大人になりきれてない。

他人よりちょっとくらい年収があっても、体力があっても、大切ななにかが欠けているんだ。

2010-08-02

ツイッターでトレパク擁護した絵描き様が叩かれるの巻

716 名前家畜人工授精師(兵庫県)[sage] 投稿日:2010/08/02(月) 12:06:49.70 ID:0sJMGmQR [5/7]

なんか訳の判らんバトルが始まってるw

ttp://twitter.com/Nico2Justice

ttp://twitter.com/y_arim

てか、絵描き側は、皆でトレース作品作る事でカウンターを掛けるつもりっぽいな。

ttp://twitter.com/y_arim/status/20102982967

ttp://twitter.com/BEMU/status/20106269815

ttp://twitter.com/toby_luigi/status/20105776508

ttp://twitter.com/hassegawa/status/20105977054

735 名前: 路面標示施工技能士(不明なsoftbank)[] 投稿日:2010/08/02(月) 12:10:20.85 ID:io23scss [5/7]

>>716

絵描きは何勘違いしてるんだろうな

741 名前人間の恥(北海道)[sage] 投稿日:2010/08/02(月) 12:11:12.59 ID:pCAfNe0l

>>716

はてなキチガイメンヘラ日の丸アイコンさんか、最高の組み合わせだなw

742 名前画家(北海道)[sage] 投稿日:2010/08/02(月) 12:11:12.23 ID:53Awm1sc [10/10]

>>716

うわあどっちもきめえw

756 名前: 石工(アラバマ州)[sage] 投稿日:2010/08/02(月) 12:13:17.30 ID:YJnQZq8R

>>716

そいつらは未だにトレスだ何だ言ってるのか

殆んどが切って貼っただけのコピペで、トレスすらしてたらマシな方なのにな

760 名前議員(東京都)[sage] 投稿日:2010/08/02(月) 12:13:51.28 ID:7ssFJRRR [5/8]

>>716

なんだコイツらあほだw

盗人に創造も糞もねーだろw

765 名前鳶職(catv?)[sage] 投稿日:2010/08/02(月) 12:14:35.49 ID:s4QpCIU3

>>716

頭にきた→トレス本作ろう・・・って

クリエイター(笑)思考回路は俺みたいな凡人には理解し難いな

767 名前刑務官(和歌山県)[] 投稿日:2010/08/02(月) 12:15:02.26 ID:JJh89CSH [37/44]

>>716

なんかそいつらからは

マ ジ

本気を感じるわ・・・

770 名前ヤクザ(アラバマ州)[sage] 投稿日:2010/08/02(月) 12:15:16.10 ID:Tl5Nf14m [2/3]

>>716

渋谷系元ネタガイドなつい

あれ持ってたわ

771 名前ネトゲ厨(宮城県)[] 投稿日:2010/08/02(月) 12:15:15.92 ID:VzxWaLEM [2/6]

>>716

そいつらを「絵描き側」って代表みたいに言うなよw

775 名前都道府県議会議員(東京都)[sage] 投稿日:2010/08/02(月) 12:16:12.20 ID:/R34KR0j [2/2]

>>716

トレス作品なんていらねー

やるなら有料写真素材のみを切り貼りした絵でカウンターだろ

778 名前刑務官(岩手県)[sage] 投稿日:2010/08/02(月) 12:16:25.85 ID:5dSG6PUH [5/7]

>>716

2chのクソスレ住人共、文句があるならTwitterでサシでやり合う度胸はないのか

約4時間Echofonから

おい、サシでの対決が希望らしいぞ。

あと、こっからさきは慎重にな。

他人にだけは絶対、火の粉とばすなよ。

784 名前: 中卒(東京都)[] 投稿日:2010/08/02(月) 12:17:41.65 ID:j5M4FzHC [20/34]

>>778

ツイッターみたいな糞サービストラフィック割くような恥知らずな真似はν速民にはできないだろ

785 名前添乗員(アラバマ州)[] 投稿日:2010/08/02(月) 12:17:48.03 ID:sWi95gkx [12/17]

>>778

そういうのを眺めるのが楽しいのになw

793 名前: はり師(大分県)[] 投稿日:2010/08/02(月) 12:18:49.21 ID:StMDHoA0 [16/20]

>>778

むしろコテつけて2ちゃんに来れば良いのにね

そんな度胸無いんだろうね

791 名前歌人(埼玉県)[] 投稿日:2010/08/02(月) 12:18:27.50 ID:/0gNq1Dx [10/13]

>>716

素人いじめんなよ

好きにやらせてやれ

そいつらが自爆した方が面白い

807 名前ネットワークエンジニア(関西地方)[sage] 投稿日:2010/08/02(月) 12:20:10.83 ID:dB73iSN9 [5/6]

>>716

あたまわりいwww

815 名前議員(関西地方)[] 投稿日:2010/08/02(月) 12:21:20.82 ID:rqOp7TS+ [13/14]

>>716

必死で湯呑み庇ってるキチの浪人生 y_arim  

目がイッテテがこわひ

ttp://a1.twimg.com/profile_images/976745605/image_bigger.jpg

838 名前ネトゲ厨(宮城県)[] 投稿日:2010/08/02(月) 12:23:55.85 ID:VzxWaLEM [4/6]

>>815

自己紹介が…

>ライターイラストレーターブロガー同人作家腐男子童貞

>コミックのつかないエロゲ雑誌メガストア』にて「ドキュメント オタク

>の生き様2010」を@tabloidといっしょに好評連載中。

840 名前: はり師(大分県)[] 投稿日:2010/08/02(月) 12:24:10.27 ID:StMDHoA0 [18/20]

>>815

よくこんな顔面晒せるな

854 名前: 絶対に許さない(不明なsoftbank)[] 投稿日:2010/08/02(月) 12:25:35.00 ID:FgxoP4WG [6/9]

>>815

なにこの犯罪者みたいな顔

ニコニコwの絵師wwを庇う儲ってこんなのしかいないんだろうね

865 名前歯科技工士(山梨県)[] 投稿日:2010/08/02(月) 12:26:45.33 ID:xQMIuMQ3 [11/12]

>>815

これもコラしていいんすか!?

830 名前脚本家(岩手県)[sage] 投稿日:2010/08/02(月) 12:23:04.04 ID:X6pGJGa1 [3/3]

>>716

ゆのみ様の影響力って凄まじいな

832 名前: [―{}@{}@{}-] 石工(西日本)[] 投稿日:2010/08/02(月) 12:23:15.56 ID:w4ru42Yl [1/4]

>>716

上のヤツ国士様じゃんwwwwwwwwwww

流石+民ぱねぇっすwwwwwwwwwwwwwwwww

843 名前ネトゲ厨(神奈川県)[] 投稿日:2010/08/02(月) 12:24:15.55 ID:EzxG7N3F [5/7]

>>716

うっわぁきめぇww

863 名前農家(アラバマ州)[] 投稿日:2010/08/02(月) 12:26:24.93 ID:UaTN91ZQ [5/6]

>>716

このトレス本とか言うのは

トレスでいいなら俺らもやってやるぜっていう

ゆのみへのある種の皮肉じゃないの?

883 名前議員(長屋)[] 投稿日:2010/08/02(月) 12:28:56.46 ID:rKgiJE+f [1/4]

>>716

>皆でトレース作品作る事でカウンターを掛ける  

みたいな擁護ってさ、擁護される当人からしたら完全に「余計な事するな」って邪魔でしかないよね

荒らしに対して 「↓嫌なら見るなよ馬鹿か?」とか「気にすることないよー大好き」とか糞コメントして

余計荒れてるのに己の行動が迷惑かけてる事に気づかないタイプ

885 名前議員(関西地方)[] 投稿日:2010/08/02(月) 12:29:04.39 ID:jWT8hUDn [1/2]

>>716

有村悠って奴、見るからに犯罪犯してそうw

890 名前ネットワークエンジニア(関西地方)[sage] 投稿日:2010/08/02(月) 12:29:47.42 ID:dB73iSN9 [6/6]

>>716

サイトにあった絵をトレスしてみたよー\(^o^)/

ttp://brunhild.sakura.ne.jp/up/src/up457007.jpg

923 名前議員(埼玉県)[] 投稿日:2010/08/02(月) 12:33:15.68 ID:TCHjQsUD [2/2]

>>716

これはゴミクズ絵描きあぶり出しにちょうどいいんじゃないの?

トレス自分技術査証して金銭なり名声なり得ようとするゴミどもは

全員粛清されるべきだよ

そうすりゃイラスト業界ちょっとは良くなるだろ

949 名前新聞配達(catv?)[] 投稿日:2010/08/02(月) 12:35:38.29 ID:OGbJS4UP [2/2]

>>716

ゆのみPにならって

有料

無許可

×トレース○貼付け

でやったら評価する

2009-10-07

http://anond.hatelabo.jp/20091007220503

明石海人、という歌人は知ってるだろうか?

「わが指の頂きにきて金花蟲(たまむし)のけはひはやがて羽根ひらきたり」

さくら花かつ散る今日の夕ぐれを幾世の底より鐘のなりくる」

「シルレア紀の地層はとほきそのかみを海のさそりの我も棲みけむ」

http://web.thn.jp/kaijin/index.htm

ハンセン病で若くして亡くなり、歌集も一冊しかないんだが、

海人は、近代以降では間違いなく屈指の歌人だった。

僕は、あなたも創作をしたら、とかいいたいわけじゃない。

ただ、家族から引き離され、当時のかぎられた医療では、

絶対に回復不能だった病苦を前にしても、

生命意味を見つけて、読む者に殴りつけるような衝撃をあたえる歌、

死後七十年たっても輝きを失わない歌を残したひとがいたんだ、という事実が、

あなたにとって、何かのきっかけにでもなれば、と思うのです。

癩は天刑である。

加はる笞の一つ一つに、嗚咽し慟哭しあるひは呷吟しながら、

私は苦患の闇をかき捜って一縷の光を渇き求めた。

……深海に生きる魚族のように、自らが燃えなければ何処にも光はない……

そう感じ得たのは病がすでに膏盲に入ってからであった。

齢三十を超えて短歌を学び、あらためて己れを見、人を見、山川草木を見るに及んで、

己が棲む大地の如何に美しく、また厳しいかを身をもって感じ、

積年の苦渋をその一首一首に放射して時には流涕し

時には抃舞しながら、肉身に生きる己れを祝福した。

人の世を脱れて人の世を知り、

骨肉と離れて愛を信じ、明を失っては内にひらく青山白雲をも見た。

癩はまた天啓でもあった。

歌集『白猫』序文

2009-08-17

いまどき貞操問答かよ、おまえらは統一協会か、という悪罵はともかく

http://anond.hatelabo.jp/20090817170303

非処女嫌悪なんてのは相手が自分とつきあう前にまで嫉妬するという点で、たしかに自然な感情ではあるが、それだけに醜い独占欲に過ぎない。

セックスによって女性に何か不連続な変化が起きるというのは、あえて侮辱的にこの言葉を使うなら、もっとも典型的な『童貞妄想』だ。

(すなわち、紙たる女性に男は自分の影響・支配を書き込む、だから白紙がよい、という権力妄想)

非処女の汚れなるモノは女性側にあるのではない、汚れを感じてしまう側の心が汚れているのだ。

というか、セックスによって女性が何らかの意味で汚れるというのは、まさしくイデオロギーそのもので、なんら客観的根拠を有しない。

という、もう100年か最低でも50年くらいまえの議論に何で戻らなければいけないんだ、情けない。

ちなみに日本処女性の尊重が、純潔という観念ロマンチシズムとともに輸入されたのは透谷による。明治20年代だ。

http://www.aozora.gr.jp/cards/000157/files/45241_19756.html

天地愛好すべき者多し、而(しか)して尤も愛好すべきは処女の純潔なるかな。もし黄金、瑠璃(るり)、真珠を尊としとせば、処女の純潔(チヤスチチイ)は人界に於ける黄金、瑠璃真珠なり。もし人生を汚濁穢染(をぢよくゑせん)の土(ど)とせば、処女の純潔は燈明の暗牢に向ふが如しと言はむ、もし世路を荊棘(けいきよく)の埋むところとせば、処女の純潔は無害無痍(むい)にして荊中に点ずる百合花とや言はむ、われ語を極めて我が愛好するものを嘉賞せんとすれども、人間言語恐らくは此至宝を形容し尽くすこと能はざるべし。噫(あゝ)人生を厭悪するも厭悪せざるも、誰か処女の純潔に遭(あ)ふて欣楽せざるものあらむ。

 然(さ)れども我はわが文学の為に苦しむこと久し。悲しくも我が文学祖先は、処女の純潔を尊とむことを知らず。徳川氏時代の戯作家は言へば更なり、古への歌人も、また彼(か)の霊妙なる厭世思想家等(など)も、遂に処女の純潔を尊むに至らず、千載の孤客をして批評の筆硯に対して先づ血涙一滴たらしむ、嗚呼(あゝ)、処女の純潔に対して端然として襟(えり)を正(たゞし)うする作家、遂に我が文界に望むべからざるか。

 夫(そ)れ高尚なる恋愛は、其源を無染無汚の純潔に置くなり。純潔(チヤスチチイ)より恋愛に進む時に至道に叶(かな)へる順序あり、然(しか)れども始めより純潔なきの恋愛は、飄漾(へうやう)として浪に浮かるゝ肉愛なり、何の価直(かち)なく、何の美観なし。

安吾曰く

 貞操は一人の男のためではないので、自分のためのものだ。自分の純潔のためのものだ。より良くより高い生活のためなら、二夫にでも三夫五夫にでも見(まみ)えてよろしく、それによってむしろ魂の純潔は高められるであろう。愛する男にすら許さぬという処女の純潔も、より高い生き方のために何人もの男に許すという純潔も、純潔に変りはない。貞操は処女を失うとか二人に許すという問題でなく、わが魂の問題だ。

 女房の貞操にはもう魂がなく、亭主への義務だけだから、義務などはたよりない代用品で、小平が述べたごとく、処女は抵抗する故に殺され、あまたの人妻は抵抗せぬために放免された由、女房の貞操は惨たるものである。もっとも貞操ぐらい何でもない。

http://www.aozora.gr.jp/cards/001095/files/42858_31421.html

2008-07-27

はてな今昔物語「はつくる姫」

村に姫が暮らしていた。どこの家の姫なのか、そもそもなぜ姫なのか、親類縁者はいないのか、実は割った竹の中から産まれたのではないか、しかも他に同じ顔の姫が24人いるのではないか、などなど無責任な噂が数多く流れていたが、出自などの真相は誰にもわからなかった。ただ村人たちは彼女を姫とよんでいた。

姫は顔こそあまり美しくなかったが、流行や世相について語ってみせるのが得意だった。語るだけなら他の村人にもできたのだが、姫の語り方は他とは一味違っていた。

まず姫は語り始めるときには無知を装う。自分が聞く者と同じ視点に立ち、同じことを知りたがっているのだと強く印象づけるためだ。しかしこうして話の流れを形作ると、一転して姫は全てを知る神の視点で語り始める。口調は始めと変わらず聞く者に寄り添う形になっているのだが、ところどころで無知な聞き手に自分の考えを吹き込むのだ。こうされると姫の流れるような語り口も相まって、聞き手は手取り足取り手ほどきをされながら自分で新しい事実発見したかのような錯覚に陥る。

自分がどれだけ賢いか確認することに至高の喜びを得るような傾向がもともと村人たちにはあったので、姫はたちまち村の人気者になった。姫の屋敷の前には話を聞こうとする村人の行列が絶えなかったし、姫に入れあげるあまり親衛隊を気取る者まで現れる始末だった。

その日も姫の話を聞きに大勢の村人が集まっていた。

「歌を詠むには古今東西の歌を知らなければいけないという人がいるけれど、そんなのはおかしいわ。本当に重要な歌を二つか三つ知っていれば、誰でも歌は詠めるはず。」

こう語りながら姫は、「知識が多いこと自体に意味はない」という事実を「発見」した村人たちが論争を始める様を夢想していた。村人たちに興味があるわけではない。日頃から物を知らないことに劣等感を感じていた者がこれに賛同し、逆に優越感を感じていた者が反論を始めて村を巻き込む騒ぎになり、自分の名がさらに広く知られるようになることを期待したのだ。

ところが、実際に語り終えてみると期待していたのとは何やら様子が違う。聴衆の視線が総じて自分に敵意を抱いているように見える。と、聴衆の一人が立ち上がって叫んだ。

「歌を詠むことを馬鹿にするな!」

なんと、話の結論ではなく、例として歌を使ったことが聴衆の反感を買っていたのだ。日頃から何かを話のダシに使うときには聴衆の反感を買いすぎないものを選ぶよう気をつけてはいたのだが、今回は知らぬ間に村の内部のそれもかなり連帯意識の強い部分に石を投げてしまっていたらしい。

次第にざわつき始めた聴衆を前にしても、しかし姫は慌てなかった。騒ぎを大きくすればするほど自分の名は広く知れ渡るという冷静な計算が既にあった。

「歌を詠むのがそんなに立派なことかしら?さっきは二つか三つって言ったけど、なんなら一つでも知っていれば歌なんて簡単に詠めるわ。」

姫の挑発完璧で、むしろ効果がありすぎたほどだった。顔を真っ赤にした聴衆は憤怒の形相で姫をにらみつけている。このままでは暴動すら起こりかねないと思われたまさにその時、一人の男が立ち上がった。

「できるというのなら、実際にやって見せていただければ納得できるのですが?」

聴衆は静まりかえった。その男は、春の歌を詠めば冬でも桜に花が咲き、魚を焼く歌を詠めば警察小学校を警備するとまで言われた、知る人ぞ知る歌聖であった。この騒ぎを見るに見かねて、場を収めようとしたのである。あとは姫が聴衆に軽く頭を下げ、得意の口上でオチをつければ万事丸く収まる。

「いいでしょう、やってみせましょう。」

しかし姫は譲らなかった。聡明な姫に歌聖の気遣いがわからなかったわけではない、むしろ自分でもなぜ強情を張ってしまったのかわからない。しかし一度やると言ってしまった以上、やらねばならない。結局、翌日中に姫が歌を詠んでみせるということになってしまった。

その晩、興奮冷めやらない様子で聴衆が去っていった後、姫は考えた。なぜあそこで強がりを言ってしまったのだろう。なぜあの歌聖の顔が頭に浮かんで離れないのだろう。冷静になって考えようとするのに、答えは出ないまま夜が明けてしまった。

朝になると、既に姫の屋敷の前には人だかりが出来ていた。「早く始めろ」だの「逃げるつもりか」だのと、口々に勝手なことをわめいている。そこに静かに座を構える歌聖の姿を見つけたとき、姫は自分の胸が高鳴るのを感じずにはいられなかった。そして気づいてしまった。ああ、私はあの方に恋をしている。

「百人集まったら、ここに人が百人集まったら歌を披露いたします」

こう言って姫は屋敷の奥へ引っ込んでしまった。とにかく時間を稼がなければ。始めはうまいことを言ってはぐらかしてしまうつもりだったけれど、あの方を前にしていてはとても落ち着いて口上を述べるだなんてできやしない。とにかく歌を詠まなければ、私なら出来る、今までだって私は村人の期待に応えてきた、やってできないことなんてないわ。

しかし、さすがの姫にもできないことはある。結局、完成したのは技法も稚拙なら構成もでたらめ、なにを主題にしているのかもさっぱりな、素人が詠んだ歌の見本のようなものであった。

百人を超える聴衆を前にその歌を披露したとき、場に起こったのは「やっぱりか」という失笑と、「それでも姫ならなんとかしてくれるはず」という期待が変じた溜息だった。しかし姫は聴衆の反応など意に介していなかった。歌聖だけが気がかりであった。思い焦がれる歌聖の前で、こんな醜態を晒してしまった自分の惨めさに涙が溢れてきた。

すると、歌聖はすっと立ち上がると歌を詠み始めた。それは姫の歌を土台にしていながら、韻律は流れる川のように滑らかで、ありとあらゆる技巧が尽くされ、古今東西の歌が詠もうとしていた主題が全て織り込まれたかのような深い味わいのある歌であった。姫に罵声を浴びせかけることに熱中していた聴衆は静まりかえり、感動のあまり号泣し、我を忘れ失禁するものすら相次いだ。

歌聖の圧勝だった。歌聖とて姫を辱めるためだけに歌を詠んだのではない。聡明な姫のこと、これを糧に歌人としても才能を花開かせて欲しい、そう思っての行動であった。しかしその思いは姫には届かない。私の胸をこんなに狂わせておきながら、公衆の面前で容赦なく辱めたあの男が憎い。私の才能を賞賛しておきながら、今は私に罵声を浴びせかける側にいる村人たちが憎い。そして何よりこんな惨めな状況に自分を追い詰めた自分自身が憎い。もうこの村にはいられない。

それから先のことを語りたがる村人はあまりいない。何があったのかを正確に述べるのは難しいし、何より本当にそんなことが起きたのか今となっては疑わしいからだ。

「突然ですが、あなた方には愛想が尽き果てました。今唐突に思い出しましたが私は月世界の姫なのです。私は故郷に帰ります。さようなら。」

姫はおもむろにこう宣言したかと思うと、パシューと音を立てて気化してしまった。パシュッでもシューでもなかった。パシューであった。瞬間移動でも液化でもなかった。気化であった。

そして姫が立っていた地面には置き手紙が一つ。

   /__.))ノヽ

   .|ミ.l _  ._ i.)  

  (^'ミ/.´・ .〈・ リ   うんこうんこ

  .しi   r、_) |  

    |  `ニニ' /   

   ノ `ー―i

その後、月日が流れたが姫の屋敷では気化したはずの姫が再び人々に話を聞かせている。それが以前と同じ姫なのか、他に24人いたそっくりさんの一人なのかは誰も知らないが、ともかく姫が歌について何かを語ることはなくなった。

自己啓発セミナーに鞍替えした姫の屋敷は、今も姫と親衛隊気取りの村人たちがキャッキャウフフする場所として大いに盛り上がっているということである。

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