はてなキーワード: 胎盤とは
こんなこと言うと批難されるだろうが
正産期で、健康体で産んでもらえただけでも親ガチャ成功かもしれない
胎児の手術に成功して、しかも、そのあとにやる帝王切開に向けて母親のお腹をとじたニュースを見て、
未熟児で産まれて、小さな体で手術をしてというはなしをよく聞くが
胎児というのは自力で呼吸しなくてもヘソの緒から酸素を豊富に含んだ血液が送られてくるし
胎盤すげえ
しかし、未熟児だと自力で呼吸しなくちゃいけないわ血液を作らなくちゃいけないわ全部の内臓を全機動させなくちゃいけないわで
普通の人間みたいにからだをフル活動させなくちゃいけないんだ理不尽すぎる
と思ってしまった
正産期までお腹で胎児を育てられる胎盤を持ってるお母さんってすごい
うちの子供、三つ子なんだけど、寝てるのを見たときとかふとした瞬間に「え、こんな3人も!一気に産んだの?私が???」っていまだになる。もうすぐ2歳なのにまだ思う。そして写真を見返していき、胎盤の写真も見て、こんなのが胎内に!!!と考える。三児の母か……としみじみ思ったりもする。ちいさくてかわいい人達。不思議。
【追記】
思ってた以上に反応があってびっくり!ありがとうございます!
三つ子は三卵性なので見分けはつくよ。
でも、寝顔とかふとした表情は似てて不思議。
「そっくりだね!」って言ってくる人もいる。
母体の限界で1ヶ月くらい早産になったんだけど、長男1700g台、長女2000g台、次女1900g台で生まれて、成長曲線上よりですくすく成長してます。
付け加えて言えば、ボーイズラブもガールズラブも、ますそれらを描くという前提から始まって、その読者が好きそうな容姿なり物語の筋なりに作品の各要素を最適化していると思う。
パンセクシャルが、というより性愛対象が同性か異性かで差別する感覚自体がない世界観を描いた結果論としてこの世界でいう同性愛が描かれる場合とはだいぶ作品のあり方が違ってくると思う。
なんといえばいいか。たとえば現実の恋愛でも背が高い人が好きな人もいれば少数派だが小さい人が好きな人もいる。ほっそりなよい人が好きな人もいればがっちりマッチョが好きな人もいる。
私の想定する世界観で男を愛したいか女を愛したいかというのがもしあるとするなら、つまりその程度のこだわりとしてあると考えている。
背が小さいのが好きというのと同じ次元で男が好きというだけ。
でも何にこだわりをもってるか人それぞれかつ、同性愛異性愛の概念がないから、基本的には男か女かにこだわりを持たない人が多いために、この世界で言う同性愛も異性愛もランダムに発生してるって感じかな。
ただ唯一同性か異性かで考える場合も作品に込めとかないとやはり作品として不自然にはなると思う。やはりそれは生殖問題になってくる。
これはちょっとどうししてもsfかファンタジー的な要素を世界観に持ち込まないと物語を動かせないところで、たとえば人間には二種類の繁殖過程があって、一つは各地に偏在する木からなる実から生まれるとして、もう一つの方法としていわゆる異性間のセックスがあるとする。
人々は木からの繁殖で十分労働力等確保しておて人口的には満足しており、社会的に子作りせよとかプレッシャーをかけられることがないとする。
それでも自分が誰かを愛するならその人の血のつながった子が欲しいというこだわりがある人ぐらいが、直接的に異性かどうかにこだわりを持って恋愛対象をあらかじめ絞るという感じ。
別に木じゃなくても、たとえば人類が文明を持つはるか以前に宇宙人が地球を支配して後の人類に無胎盤繁殖の技術を授けたとかなんでもいいんだけど、別にsfを見たいわけじゃなくあくまで物語を円滑に進めるための最序盤の舞台装置に過ぎないので極力主張が激しすぎない設定がよい。現実の恋愛の延長というかちょっと文化が違うだけのもう一つの地球として描きたいぐらいなのでsf要素不要に描ける方法あるなら即そっちが選ばれるべきだし
保健の教科書でも男と女がばらばらに描かれてて、それらの間で性交関係にあった人の矢印が男同士でも女同士でも普通に結ばれてる箇所があるみたいなページがあったと思うけど、ああいう感覚を漫画に落とし込めたらいいじゃないかって思う。
売れる見込みないならそれはそれでそもそも啓蒙要素が強いからnpoでも作ってそこで出版するのがいいかもしれない。
漫画はあくまで表現手法でしかなくて、娯楽目的以上の漫画を描いてはいけない理由も、娯楽以外の目的を漫画に持たせてはいけない理由もない。
題名に書いてある映画を見に行ったんだよ。昼前にちょっと時間が空いてさ、そういや公開だったなって。
で、上映後ボロ泣きしてる奴は俺しかいなかった。
後ろの席の男性はなんかわけわかんなかったな~と苦笑し、最前列にいた子供とその母親はスルっと出口に吸われていった。
俺もその時この映画の何が刺さったのか分かんないまま席を立てなかった。
米津玄師の名前はカラオケボックスでホモがフ●ラしてる動画見てレモンって曲だけ知ってる
俺は「妹が生まれた日のことを思い出した」。そして、「やっぱ家なんて継ぎたくねえよな~」と独り言ちて泣きじゃくった。
この映画は第一子とそれ以外、男と女で味が全然違うよね。俺も妹や女性に生まれ変わって見直してみたいな。
しかも年取ったら違う味がすると思うんだよね。これを見てる小学生もおっさんになったら見直すといいよ。親が死んだときとか自分が離婚した後とか。きっと甘えぞ〜
10年後webに残ったこの文章を見て、もし生きてたらどんな味がするのか知りたいから感じたことをそのまま排泄しておく。
書き込む前に読み返したら支離滅裂。俺の味しかしない。すまんな。俺はおっぱいが好き。
まず眞人は男なんだよ。男にはママがいないとだめなの。でも、ママの愛情が一番味のする自我が生えてきた5-6歳頃からママは入院してんの。
しかも別れの挨拶もなく死んじゃってママのおっぱい吸いきらないまま死んじゃうの。
お父さんは男の本能をよくわかってる。眞人が火に向かって走っていくのを止めない。お前は家にいろって言いはするけど母のもとに行くなと言わない。
だから眞人は父の好きな人も追いかける。行かせてくれた借りがあるから今度も行っていいんだよ。
眞人とお父さんの間には信頼がある。あの時も止められなかったんだから追いかけてもいいんだよ。
俺もママのおっぱい吸いたかったわー。俺母乳で育ってないんだよね。なんでか知らないけど。おっぱいって画面の中でしか見たことないや。
子供が父に認められるのって母を通してなんだよ。さすがパパとママの子供だなって言われたいわけ。
でも眞人にはもうママがいないから認められないんじゃないかって不安。
しかも継母はママと血を分けてて、不気味の谷の底を超えてきた顔してるし、出会ったときには既に妊娠しています宣言してきやがる。
あなたのママじゃないですよって。すでに子宮が陥落済みなんだってよ。
しかも、初対面で俺の顔見ず、まず夫の顔見ただろ。俺のママに立候補するならまず俺を見ろ。
その上、いきなり見ず知らずの他人のお腹の体温と心臓の鼓動を聞かされて俺は吐きそうだったよ。
しかし、夏子は気丈な女よな。さすが武家の女って感じ。人力車のおっさんが片手で持ちきれないトランクを、身重のくせしてしかと受け取るんだぜ。
こんな強い女に甘える余地なんてねえよ。さぞかし嫁の貰い手もいなくて行き遅れたろう。
でも継母は初対面で感じたほど嫌な人じゃないよな。いなくなったら探しに来てくれるし。鏑矢撃って助けてくれるし。
なんで鏑矢なんて持ってるんだよ。それ魔除けじゃん。知ってたんだろ?俺が魔に魅入られてるの。でも止めてはくれないんだな。
いなくなってしまえばいいって思ってたんだろ?お腹の子供と本当の家族三人で暮らせるじゃんか。
でもママに似てるんだよな~あ^~脳が壊れる~おっぱいチュパりたいよ~
で、俺は結局学校になじめなくて初日から同級生と殴り合いしちゃうの。負けるわけねーだろ。最低でも互角だろ。
頭悪い奴はフィジカルも弱いんだよ。タイマンなら上級国民の俺が負けるわけねーだろ。でも全員倒すのは無理だろ。
もう学校行きたくねーけどいかない理由が無いんだわ。行けない理由話せねーんだわ。服もボロボロだし話したら大事になるんだわ。
継母は俺になんて言うだろうか。ママとはこんなことなかったから想像つかねー。想像できないことが一番怖い。
父は学校に怒鳴り込むだろうな。パパ代わりにあいつらやっつけてよ~。
頭いてーけどもう引っ込みつかねえ~。ママ~俺の話聞いて~学校で何があったか聞いて~二人きりで聞いて~
傷を洗ってお医者さんも理にかなってるけどさ~。コレ俺の求めてるおっぱいじゃないんだよね~それパパの役やから~これだから武家の女はさ~
ママはちょっと病弱な故にバブ味あったのになあ・・・・。きっと俺が熱出した時夜通し看病してくれたと思うんだよね~
あの日俺はママの寝室に行きたかったんだよね。変な鳥きて怖いしさ。でもパパといちゃついてるからさ、食い下がったよ。
パパはママとあんなことしてたのか?あれはママじゃねえメスだな。俺はメスを知らないけど。
で、俺のせいで体調崩しちゃってちょっと罪悪感。そういや子供(他人)おったな。無理させて誠にごめんなさい。
お見舞いに行ったけど婆やが邪魔で素直になれないよ~ごめんねママ~
でも俺には俺の都合あるからさ。どうせ血はつながってねえし他人だよ他人。臥せってるようじゃもう俺のこと止められねえなあ!?
え?でも俺より先に消えるなんて聞いてないんだけど!?ちょっとやりすぎたのか心配になってきたじゃん。
探しに行くよ。だって半分ママだし。ママは死んでるって知ってんだよ。新しい母が来ることも兄になることも分かってんだよ。
でもその前に生まれなおしてぇ~
最初に産道を潜り抜けて塔にいこうとした時さ、この産道埋まってて子宮に帰れなかったんだよね。
でも子宮そのものが子宮に帰ったんだからさ、そりゃそいつの通った道を通れば俺も帰れるにきまってるじゃん。だって血を分けてるんだもん。
え?なに?俺が元ママに未練たらたらなのバレバレなわけ?だからやり直しのチャンスをくれるって?神じゃん。もっかい生まれなおすわ。
次は新しいママの子供且つ対等な他人になるよ。今の俺のまま転生して兄貴として無双するわ。
最初は建前で父のため、父の好きな人だからっていうけどね。新しいお母さんです。ちょっと未練あります。なんて他人に言えねえんだわ。
あの墓はやばいね。あいつももうすぐそこに入るって思ってんだろ?傲慢な話さ。
学我者生 象我者死ってあるけどさ~これ前半端折ってるの悪意だろ~
お前自分を超えるやつ出てきてほしくないから死ぬぞとしか書かずに死ぬつもりだろ~
振り返るなだって?振り返ってほしいんだろ~でも振り返ったら引きずり込まれるからな~
そもそもこんな修羅の門くぐらねーわ。俺たちペリカンは門をくぐる資格もねーよ。
いい先輩見つかったし別の道さがそ。やっぱ人間誰でも右側頭部に傷くらいあるよね。俺だけじゃないんだよかった。
え・・何これ船漕いでるのは死人だけじゃん。あっ俺は生きてるから漕がなくてもいいのね。
この先輩はGrumpy...まあいい。でも一番理性的なおっさんだな。上司にしたいランキング7人中1位の小さいおっさん。
仕事が下手でも助けてくれるし。ブスッグサッ俺は初めて生き物を殺した。社会的童卒だな。マサイなら半分大人といってもよい。
あのかわいい奴カワイイからころしちゃだめ~全部助けてあげて~なんで殺すの~嫌なの~こんな社会おかしいよ~
あークソみたいなペリカンも必死で命を食べないとと生きていけないのかー大変だなー。頑張っても結果出なかっけど死んだら平等か。
俺に向けられる鳥人間に純粋な悪意!でもそれは鳥人間にとって純粋な慶事!俺にとって都合の悪いことは誰かにとって喜ばしいことなんだ!
あーこれ助けてくれた人ママじゃん。でももう死んでるしなあ。ママの顔広末じゃん。え?今は燃えてるから言っちゃダメ?てか燃えてるんですけど?
帰れるけど帰らないよ?まだ生まれなおしてないし。ママがまだ生まれなくていいっていうんだもん。子宮に滞在許可証出てます。
胎盤からドアノブから生えたへその緒ガッツリ掴んでるからね?じゃあねパパ。探しに来てくれるのは知ってたから安心したぜ。
世の中って理不尽だよ!あーでも友達いてよかった~。この友達貸し借りはきっちりしてるんだよな。
あの月夜の鳥類憐みの礼を見て俺のこと認めてくれたし。
俺は家業を継ぐ資格を得たらしい。でも知っている。家業を継がせたいのはお前の都合だ。言いなりにはならねーぞ。
だよな~俺を試したんだよな~。だってあんたの庭に行くときって門を通らないと本音で話してくれないじゃん。
俺はついに新しいお母さんに対面した。新しいお母さんは俺のことが大嫌いだってよ。知ってるよ俺も大嫌いだ。
悪いおっぱいだよこの人は。でも俺は俺の中のママを殺して、産屋の外で勝手に仮死ってたけど、新しいお母さんを受け入れるよ。
だから俺のことを赦してお願い赦して。ここまできた俺の覚悟を心に刻んで。
私も母になりたくなかった。こんなの順番おかしいやろ。でも私の子宮まで謝りに来たからその覚悟に免じて産みなおすの。私があなたのお母さん。
俺は真に家業を継ぐ資格を得た。でも俺は継がない。てかさ、女しか生まれてねーのかよこの家系
でも継がなくても赦してくれるなんて最高かよ~逃げ道まで教えてくれてさあ
王様は人間の王様よりよっぽどしっかりしてるよな。「責任を取ればよいものではない」とか言ってる総理大臣とはえらい違いだぜ。
神なき人の世は必ず崩れる。ってか離婚調停の時に慌てて中身すり合わせてオラァ!ってハンコついたらあんな感じになるよな。
石が崩れるシーンはよかった。陣痛が来て破水して生まれなおし産みなおし。作品の外に出てみれば鳥人間もペリカンも同じ陳腐な鳥よ。
起こったことは忘れるけど思い出せなくなるだけなんだよなあ。思い出せるうちは起こったことは終わっていない。
よし父も探しに来てたしな。これで俺たち家族だな第三部完。
俺が消えても父が探しに来るのはわかっていた。
冬の日、幼稚園児の俺は夕食を食べる順番が違うという理由で食事を取り上げられ、家の外に放り出された。
ふと、自分がいなくなるとどうなるのだろうかと思った俺はアパートのドアから離れ、エレベーターに行く途中、マンションの階段の踊り場にあった隙間に身を隠し横たわった。
ここにいればエレベーターに乗る途中で必ず通るから誰かが見つけに来るだろうと思っていた。
どのくらい経ったか知らないが、大股で歩く足音がした。父がエレベーターに向かって歩いて行くのが見え、そして引き返していった。
終にあの女は俺を探しに来なかった。それを確認した俺は家に戻った。玄関の戸は少し空いていた。俺がどこに行っていたのか誰も聞かなかった。
最後に映画を見たのは千と千尋だったか?父と見に行った気がする。あの時はどうだったかな。
帰り道、もう随分長いこと母にお母さんと言ってないことを思い出した。
妹が生まれた日、俺は兄にならざるを得なかった。家に突然来た異物は俺から子供の皮を剥いだ。
父は父でしかなかったが、母は母ではなかった。
妹は蝶よ花よと育てられた。
一方、士業を継げるのは男だけだ。
継ぐことを生まれた時から呪われていた俺は、母ではない女に鞭打たれ育った。
継げるようになったが、継ぐ気はないのが気に食わないらしい。当然だろ。
そもそも家業を継ぐのは親の都合で悪意だ。墓の面倒まで見ろってことだろ。
そういうわけで、今も俺は母に認められていない。俺は母から何も学ばなかった。だから生きている。
あんたなんて嫌いって俺も言われてみたかった。そこまではっきり言われたら、俺もあんたを嫌でも母さんだと認めたよ。
そしたら許してくれたのだろうか。それとも俺は赦したのか。
そんな自分の矮小な人生がスクリーンで再現されているようで、且つ最後に自分の生まれなおしが成功し昇華したんだと思う。
書くことでずいぶん整理できたな。
俺やこれを読んでる奴はペリカンだよ。かってに入って荒らしまくってさ。ホント作者に対する敬意ってものがないわけ?
でもそんなペリカンも死に際に本音を話せば拝んでもらえるし弔ってもらえるの。赦しだよね~
赦して~
前の出産のときはわたしがいきんでるタイミングで産婦人科医がフッと現れて私のまんこを見て、「会陰切開します」というやいなやバツッと会陰を切られて、でもいきんで子供をなんとか産んだ
そのあとの縫合手術とてもいたかった
二度目のお産は産婦人科医がわたしにもうすぐで追い付くというところで、わたしが子供を産んだ
到着した産婦人科医はわたしのまんこを見ながら「(わたしのお産が)すばらしい、すばらしい」と笑顔で言ってくれた
わたしは助産師と看護師の力だけでお産はできるもんなんだなー、そりゃそうか。医者のいない助産院でお産する人もいるんだし
と考えていた。
そういえば、今回は医者が到着まにあわなかったから会陰切開してない
いきみのがしを失敗して、まんこの内側がぼろぼろになってしまったのでたくさん縫ってもらった
色々調べるために巨大クスコ入れられたりするのつらかった。麻酔はしてもらったけどそれでもクスコ入れられたり縫われたりするのは痛かった
そして、経産婦なので後陣痛がとにかくひどい
前のお産では胎盤がはやめにドゥルンとでてきたのに
もし胎盤がでなかったら助産師に手をつっこまれ、無理矢理だされてそれが激痛だと聞いてたので助産師に「胎盤は? 胎盤はまだでないのぉ!?」と話しかけてうざがられた
だってもしまんこに手を突っ込んで胎盤出すことになったらこわいんだもん
みんなによい報告ができるのが嬉しい
新生児のお肌はぷるんぷるんしてて瑞々しい感触がたまらないし、サイズ感小さくてかわいい
上の子の服のお古があったけども事前に追加で新しい服を買い足したので着せるのが楽しみ
赤ちゃんができる仕組みについては、以下のように説明できます12。
女性の卵巣には、生まれたときから卵子が入った袋のようなものがあります。これを 卵胞 と言います。卵胞は、女性ホルモンの働きによって生理周期に合わせて成熟します。その中のひとつの成熟した卵胞が破れて卵子が卵巣の外に出ます。これを 排卵 と言います。排卵は、生理が始まる14日前くらいに起こります。
男性の精巣の中では、毎日数千万個の精子が作られています。精巣で作られた精子は、性交渉のときに射精されて女性の膣に入ります。一度に射精される精子の数は数億個ですが、そのほとんどは途中で死んでしまいます。精子の寿命は3日~5日くらいです。
排卵した卵子は、輸卵管という細い管に入ります。輸卵管は、卵巣と子宮をつなぐ管です。輸卵管の中で、卵子と精子が出会ってくっつくことを 受精 と言います。受精することができる精子は、数十~数百個だけです。受精することができる卵子は、排卵してから6時間くらいです。
受精した卵子は、 受精卵 と呼ばれます。受精卵は、細胞分裂を繰り返しながら3~6日かけて輸卵管を通って子宮に入ります。子宮の内側には、 子宮内膜 というふかふかした層があります。受精卵は、この層にもぐりこんで根を張ります。これを 着床 と言います。着床すると、妊娠が成立します。
着床した受精卵は、 胎芽 と呼ばれます。胎芽は、ママのお腹の中で成長して赤ちゃんになります。胎芽とママをつなぐ 臍帯 や赤ちゃんを育てる 胎盤 なども作られます。約10ヶ月後に赤ちゃんが生まれます。
以上が赤ちゃんができる仕組みについての簡単な説明です。もっと詳しく知りたい場合は、図解や動画などを参考にしてください。
↓ここまでは変換できた↓
おんなのこ❤の卵巣には、たまごが入っていて、ホルモンで成熟します。その中のひとつがピュッと出てきて、これが お母さんのたまごが出ること❤ です。これは、生理が始まる2週間くらい前に起こります。おとこのこ★の精巣には、たくさんのたねが作られていて、セックスのときにドクンドクンと出てきておんなのこ❤の中に入ります。一度に出てくるたねはすごく多いですが、ほとんどはショボーンと死んでしまいます。たねは3日~5日くらい生きています。お母さんのたまごが出たあとは、細い管に入って、この管でお母さんのたまごとお父さんのたねがニュッとくっついて、これが 赤ちゃんができること❤ です。赤ちゃんができることができるお父さんのたねは、ほんの少しです。赤ちゃんができることができるお母さんのたまごは、たまごが出てから6時間くらいです。赤ちゃんができたあとは、 赤ちゃん❤ と呼ばれて、細胞分裂しながら細い管を通って子宮に入ります。子宮の内側には、ふかふかした層があります。赤ちゃんは、この層にもぐりこんでグッとしがみついて、これが 赤ちゃんがママ❤のお腹に入ること❤ です。赤ちゃんがママ❤のお腹に入ることすると、妊娠が始まります。赤ちゃんがママ❤のお腹に入ったあとは、 赤ちゃん❤ と呼ばれて、ママ❤のお腹の中で大きくなって赤ちゃんになります。赤ちゃんとママ❤をつなぐ へその緒❤ や赤ちゃんを育てる 胎盤❤ なども作られます。10ヶ月くらいたつと赤ちゃんが生まれます。
おめでとう……
わたしも10時間開かなくてそのあとも胎盤ひっぱってくれなかったので産褥熱40度になったあげく二人目不妊になっちゃって
治しにでっかい病院いったらうち工事するから病床なくなりますなにもできないとかいわれたり
他でもたらいまわしとか旦那の協力がなかったりひっこしたり転職したり子供にふりまわされてるうちにこんな年齢
注射とか離乳食だとか二語文とかおむつ外しとかでいそがしい日々で私と全く関係ないあなたはがんばれ
あのとき破水ついたパンツもってかえったパパが洗濯すらできてなくておもいきりカビさせてたのほんと履き心地いい唯一のパンツだったのに悔しいし
そのあともたくさん病気したしちょっと背が高く骨太なだけで病気のデパートなのに
私どん底かな……はぁ……
あぁ、死刑囚とはこのような心持ちかとじんわりじんわり恐怖が襲ってくる。
通された病室は分娩室も兼ねていて、隣の部屋では今まさに分娩中だ。
断末魔のような、悲鳴のような、とにかく聞いたことのない女性の声が聞こえる。
かと思えば火が付いたように泣き叫ぶ赤ちゃんの声も聞こえる。
天国と地獄が同時に訪れている。怖い。ほんとうに怖い。
女性ってあんまり大きい声を出さない気がしていて、私から見ると周りの女性ってすべてきちんとしていて、そんなきちんとしている人達が断末魔をあげている。
非日常だった。次は私の番かと思うと心の底から妊娠したことを後悔していた。
果たしてどんな痛みなんだ、鼻からスイカてなんや、今頃独身の友達は「結婚したーい!」とかいいながら酒飲んでるんだろうな、くっそ羨ましい、けつが痛い、とにかくけつが痛い。いぼ痔のラスボスが来たような痛み。もしくは1駅10分くらい掛かる特急に乗ったときに訪れた急な下痢方面の腹痛。
時折助産師さんや看護補助の方が来てくれる。その都度痛い怖い痛い怖いと言ってみるがみなさんにとっては日常、わかってはいるが「大丈夫ですよ~!」としか言われない、そらそうだ!わかっている。でも不安で怖い。本来、そういう緊急性のない不安とか痛みをピィピィ言うのは夫もしくは親なのだ。助産師さんに訴えることではないのだ。でもいないのだ。コロナ禍なのだ。誰も病室に入れなかったのだ。実質一人で産むのだ。
何度もシュミレーションした。でもなんの役にも立たない。痛い。痛い。けつからダチョウの卵がでてきそう。座っていられない。この椅子が楽になりますよ!と置いていってもらったけどとにかく留まっていることができない。
かといって歩いていてもつらい。さらにめちゃくちゃ眠たくなってきた(そういう生理現象らしい、しらんかった)。とりあえず分娩台兼ベッドに寝転ぶ。痛い。
助産師さんが来て子宮口をごそごそ確認しているうちに破水した。
この後さらにひどかった。
もう叫ばずにはいられない。下手なAV女優のようにひらすら痛い痛いと叫んでいた。
だめですよ、リラックスしてくださいと言われるがもう痛みでどうにもできなかった。
骨盤が全部折れるような、けつ穴にそれこそスイカ突っ込まれるような、もう気が狂う1歩手前まで来たと思った。
それが延々。
ほんの2、3時間ではなく13時に病室に入ったのにすでに23時になっていた。
絶対に終わることはわかっている。産むしかない。なのに経験がないぶん時が永遠に思えた。
夜中ずっと痛みと戦っているとだんだん痛みに慣れてくる。とりあえず紛らわすために痛い痛いーーと言っているが徐々にもういいや…という気持ちになってくる。
朝になってようやくいきんでいいですよ!といわれた。知らない各位に説明すると、うんこしたいのにしたらだめ!っていう状態がずっと続いていた。赤ちゃん降りて来ているので出したい!いきみたい!という欲求がすごいのだが、ほんとに産まれる段階までにいきんじゃうと出にくかったり母体が体力消耗したり、とにかくいきんじゃだめなのだ。うんこしたいのにしかもなんなら便座に座ってるのにうんこすんな!という状態だったのだ。
なのでいきんでいいですよ!は待ってました!ありがてぇー!行くぜおれの括約筋!ぐらいテンションあがった。ようやく出していいんだ!と前向きになれた。
そこからは早かった。うーんウーンと何回かして、でもどうもだめですねってなって吸引する器具を持ってきてくれて赤ちゃんの頭をぎゅっと引っ張ってくれてずるんと産まれた。
何日も何日も便秘してたの。
ずーっとずーっとお腹が重かった。
それが全部一気にずるん!っと出た。
あの気持ちよさは他に類を見ない。いやあるか、超便秘後のするんとうんこか。そんなうんこないだろ。やはり類い希。
その後は胎盤が出てこなくて無理やり引っ張られてなんなら陣痛以上に痛かったけど産後のテンションでなんとかなった。
ほんとに辛かったのはこのくらいの時間だな、病室入って数時間後。
でも不思議なんだけど、また産みたいなーと思っている。ほんとに不思議なんだけど。
高校生で、コミュ力が少なくてもっさりしていた私は、同じ中学に通っていた、ある陽キャ女子の腰巾着として生きていた。
その女と一緒にいたおかげで友達になれた女子がたくさんいる。そういう点では、感謝している。
でも、定期テストの直前に電話してきて、長話をするのはやめて欲しかった。
「勉強しなきゃならないから、切るね」というと怒るので、なかなか電話を切ることができず、勉強の邪魔をされた。
今の私ならガチャ切りしてるけど、当時はあの女に依存してたので、そんなことできなかった。
部活が一緒で、ある日突然「部室に盗聴器が仕掛けられてた」と言い出した。驚いて「どこ?」と聞いたら、「とっさに壊しちゃったからもうない」と言う。
「夜中、毎日家の電話にイタズラ電話がかかってくる」とも言っていた。同じ学校の女子かららしい。
当時部活内に、女子にそこそこ人気のあった男子が、あの女のことを好きだった。あの女はその男子と付き合うわけでもなく、それでも毎日一緒に帰っていた。
イタ電をかけてくる女子は、その男子のことが好きで、嫉妬からイタ電をかけてくるらしかった。
ピュアだった私は、その話を信じ込んで、「親に言ったほうがいいよ」「先生に話したほうが…」と真剣にアドバイスをした。「でも、親に心配かけたくないから」と、頑なに私以外にはその話をしなかった。もちろん、同じ部活の男子にも。
他にも、その女は、後から考えると不自然としか思えない事件に巻き込まれ続け、聞いてもいないのに、その一部始終(主に色恋沙汰)を私に細かく聞かせてきた。「内緒だよ」と言いながら。
この時点で、フレネミー度はかなり高いが、極め付けのできごとがあった。
私が妊娠したのだが、常位早期胎盤剥離という病気になってしまい、子どもは助からなかった。
見舞いに来てくれたあの女に「常位早期胎盤剥離になる割合は、全妊娠の1%くらいなんだって」と話したら、「私がなったHELLP症候群なんて、0.2%!」と張り合ってきやがった。
あれからあの女とは一度も会っていない。
でもお願い。2度と私の目の前に現れないで。
予定日も近づきつつも出産はまだかな〜なんてのんびりしていた。
寝て起きたら昨日との違いにびっくり?!
お腹いたいな?
陣痛か?
破水したのか?
尿漏れか?
無事に病院へ
陣痛室で1人わめき動いてたらたまにNSTが外れて助産師が来ること複数回。
あっという間に分娩室へ。
分娩室へついてどんどん痛くなる陣痛。
それでも有名なサンシャイン池崎のろうそくの火消す動画を思い出して、頭にサンシャイン池崎を思い浮かべながら力む。
無事に出産。
赤ちゃん産むために力んでたサンシャイン池崎中の記憶よりも、産んだ後の処理?で胎盤出したり、縫われたりした方が痛かった記憶。
とりあえず陣痛出産は人生で痛かった出来事ランキング1位にノミネートです🏅
コロナで夫の立ち会いは出産直前直後の短い時間だったけど、個人的には陣痛中暴れ回る姿を見られなくてよかったかも。
生まれて初めて見た自分のお腹から生まれた赤ちゃんはかわいかった。
初産なのに病院着いてから出産まで6時間くらいで終わったから安産?ではあるのだろう。
陣痛痛かったけど。
子宮口開いてくれて良かった。
一卵性双生児のいる4児の母です。ふたご(2・5)の日に、双子ご懐妊確認ですね。おめでとうございます。
1)一卵性か二卵性かなど含めて、双生児の子宮にいる状態は3種類に分かれます。絨毛膜と羊膜がどうなっているかによります。その診断を「膜性診断」と言いますが、10~20週の限られた週数で超音波判定できます。これを逃すとわからなくなるので、主治医に確認しておいたほうがいいです。それによって、出産のリスクも変わってきます。私は一絨毛膜性二羊膜のため、胎盤共有なのでリスクは中程度でした。
2)妊娠中は、私の母体の自己比較では、2人分でも体重の増えは単体児妊娠の1・5倍程度。早産傾向になり35週で管理入院(2週間)しました。37週で自然分娩でした。8分差で生まれました。
3)出産後は、二人の授乳の時間を強制的に合わせるのがおすすめです。(一人が飲みたがったらもう一人が寝ててもたたき起こし、同時に授乳)←泣いててかわいそうでも、子供は覚えていないし、何より母体が大事なので(子供に合わせていたら寝る時間なくなる)。単体児の上の子たちは、懇切丁寧に母乳オンリーで!離乳食もちゃんと!とかなりましたが、双子だとそんなこと言ってられず、とにかく日々育てるしかないので、おおざっぱというか・・・精神的にはラクな面もありました。
4)育ってくると、二人で遊ぶようになるので、実はすっごくラクでした。別に公園行かなくてもいいし。双子を授かってよかったと思っています。進路は高校から別々で、今は二人で暮らしているので生活費も1・5人分で済んでいます。
5)双子の赤ちゃん、母親一人で育てるのは至難の業で、父親の存在が重大です。うちは夫が平日遅く、今でいうワンオペでしたが、土日はご飯を作ってくれました(これはすごくたすかりました)。男親の出番ですね。
楽しみですね。いいこといっぱいありますよ。
鈴木は陣営外の人にも話が通じる右翼として有名だったが、実は朝まで生テレビの成立に大きな関りがある。鈴木が居なければあの番組は無かったんである。
また風桶式に鈴木が居ねばネットの団塊叩きも無かったんである。ちょっと説明しようと思う。
鈴木の親は民族主義新興宗教の「生長の家」の熱心な信者だった。その為大学時代は六本木にあった生長の家道場の寮に住み込みんで大学に通うと共に国粋宗教活動と学生運動に身を投じ、全共闘の左翼学生と殴りあいをしていた。最近話題の宗教二世だったのだな。
この道場は乃木坂の緑の中にあった。https://goo.gl/maps/tv9eakNek34ZLQXU6
今では生長の家の3代目がエコロジー志向になったので建物も塀も取り払われて開放的な森として一般にも開放されているが、一昔前は周囲の階段が「おばけ階段」と呼ばれるほど鬱蒼とした場所だった。
日本会議の中核メンバーも多くここに入寮しており実はこの寮は戦後の右翼運動の胎盤みたいな場所なんである。安倍政権で日本会議が急接近した事で政治にも影響を与えた。米議会は安倍政権と日本会議の関係を問題視していたのでこの寮の輩出者も分析把握されているかも知れない。
この敷地内には日本教文社という出版社もあってこれは生長の家の教祖谷口雅春の著書を出版して思想と教義を広める為に設立された出版社だ。しかしフロイトの『精神分析入門』や『夢判断』、ユングの選集などをいち早く出版するなど、実は学術分野でも存在感を示してきた社でもあった。
余談だが防衛庁(当時)の庁舎は2000年まで六本木にあり(現ミッドタウン)、更に60年代まで門が開いていたので近所の人は庁舎内の売店で買い物をしていたそうである。六本木、赤坂の物価より安い上に生長の家道場と防衛庁庁舎は目と鼻の先だったので鈴木も利用して安いパンツ等の購入に重宝していた。
ところがある日、左翼学生による防衛庁突入事件があり、それ以来門は閉められ部外者が売店を使用することは出来なくなった。
六本木交差点の先や青山まで行ってハイソ価格のパンツを買うしかなくなってしまった為に怒り沸騰、全共闘と衝突した際には「お前らのせいでパンツが安く買えなくなっただろ!」と叫んで相手を殴っていたとの事である。相手も何を言われているのか不明だったろう、と鈴木は述懐していた。まー、面白おかしく話を盛ったんだろうけど。
1970年に三島由紀夫の市谷駐屯地東部方面総監部占拠と割腹自殺事件が起きて世間を揺るがしたが、三島の介錯、つまり斬首をしたのが森田必勝。森田もまた割腹し介錯された。この森田必勝は鈴木の後輩で、思想的に鈴木の影響を強く受けていたという。
この為に鈴木は強く動揺、やがて右翼として生きる事を決意する事になる。やがて勤めていたサンケイ新聞も退職してしまう。(デモでの狼藉で解雇されたとの話)
鈴木はこの事をずっと気にしていて十字架を背負っているかの如くだったが、2000年頃になると「森田氏」と敬称を付けて呼ぶようになった。十字架を下したのかもしれない。
余談だが、小泉政権時代に男性か女性か判らんと評判になった井脇ノブ子という政治家が居たが、彼女は学生時代、右翼学生運動のマドンナで、ドラクロワの『民衆を導く自由の女神』の様に数万の男塾みたいな学生の先頭に立ち、当時新右翼学生運動のプリンス的立場だった森田との交際の噂もあったとの事である。
1977年google:image:『おまえらがかわいいけんなぐるんや!』は井脇31歳の時の刊行だが表紙写真の井脇は暴力教師だかダチョウ倶楽部上島だか素人には見分けがつかない。
鈴木らは「新右翼」であり、これは全共闘などが含まれる新左翼に対抗する為に生まれ、政治権力に癒着した旧右翼らと違う軸を志向した。そもそも対抗する相手の新左翼自体が、日本共産党が暴力路線を放棄する事に反発して生まれたもので、要するに暴力vs.暴力。
最初から硬派なバンカラと軍国路線で、彼らが卒業して政治結社を結成するようになると国防色(カーキ)の街宣車を使うようになった。これが80年頃になると威圧感を与える黒塗り街宣車と旭日旗、日章旗、軍歌を流すというスタイルが定着した。
鈴木が代表を務める一水会も黒塗り街宣車で軍歌を流して通行人を威圧して居たが、やがて鈴木はこのスタイルは良くないと考え出す。こんなスタイルでは話を聞いてくれる人が居ない。
という事で今の機動隊バスのような爽やかなブルーに塗り直して大音量の軍歌も怒鳴り声も止めた。これは今で言うとテニスサークルヤクザとか好青年暴走族みたいな強烈なミスマッチである。(考えれば機動隊バスが国防色止めたのも同じ動機だ)
すると傍目には社会党などの街宣車に見えるから、すれ違う右翼街宣車に怒鳴られる事もあったそうである。「あー、てめえらふざけんじゃねえぞおいゴラ!」「あ、一水会さんでしたかどうもすいませんでした」って事が度々あったそうだ。
ただ、話を聞いて貰えないスタイルが流行したのは大人の事情もある。威圧感があって相手が震えあがるというのは、例えば企業相手の抗議に行くときは相手が折れてやり易い訳だ。
更に活動費というのは支持者の寄付と機関紙の購買費で稼ぐのだが、相手が折れた先に機関紙の購買も持ち掛ければ受諾されやすい。そこで心付けを渡してくる相手もいる。
するとシノギの手段としてヤクザが参入してくるようになる。民事介入暴力だ。ヤクザは元々旧右翼と不可分だったが、それが新右翼のスタイルを模倣して参入するわけ。威圧感を高める為に街宣車もカーキや灰色じゃなくて黒塗りの方がいいし、車格も小さいライトバン等より大型のワゴンやバスの方がいい。こういうのを警察用語で右翼標榜暴力団という。当時沢山いたヤクザが参入する事で「業界」のパイも大きくなった。
鈴木はこういう威圧じゃなくて議論や対話を好むスタイルだったので、敵のはずの新左翼側とも交流があり、新左翼出版社から自書を出版して居たりもした。それで「一般人の方も向いている面白右翼」という評判が高くなっていた。
そこで1985か86年に全共闘上がりの活動家と鈴木含む新右翼の大討論会というのを開催する事になった。司会はあの田原総一朗である。
この当時は全共闘とか学生運動というのは完全に過去のものになっていて嫌悪さえされていた。流行っていた思想はポストモダンで、モダンの内容も踏まえずに言葉の戯れを繰り出すのが流行していた。これは凄惨な内ゲバを繰り返して自滅したのに青臭い異議申し立てさえすればよいという立場で「議論」の場に居座っていた学生運動的なものに参加したくない、そうではないものが新しい価値ある態度なんだという、以前の政治的なものへの強い忌避、反感がベースにあった。あの田中康夫も事あるごとに全共闘残滓の異議申し立て的態度や代ゼミ講師的ノリをコキ下していた(湾岸戦争で日本が参戦を求められた事に衝撃を受け転向)。
そんな時代背景では政治議論なんてものはカビが生えた扱いで部外者には面白い訳がない。
そう思われていたのに、いざ討論会をやってみたら部外者にもかなりウケがいい。やってる方も面白い。
それでこれはいけるぞと踏んだ田原総一朗がテレ朝に持ち込んだ企画が朝生だったんである。
当時、エロ一本鎗だった深夜放送枠でフジTVが色々実験的な番組を放送し始め、その深夜枠のいい加減さも相俟って好事家的視聴者層にウケていた。そこにCNNの放送権をゲットして社会路線で行きたかったテレ朝が乗ったのだろう。
こういう経緯だから最初の頃の朝生は体制派vs.反体制派orリベラルという構図が鮮明だ。田原は最近「朝生は最早保守だ左翼だという時代ではないというのが朝生を始めた動機だ」みたいな事あちこちで言ってるんだが、この経緯を見ればこれが嘘って事は判るだろう。ボケちゃってるんじゃないの?討論なんてウケない時代に「激突全共闘と新右翼」討論会の成功で行けると踏んだのが朝生なのだから。
そしてこの討論会は鈴木の左右を超えた交流と議論好きの人格が無ければあり得ず、田原も来なかった筈なのだから、鈴木の存在が朝生を産んだと言って差し支えないんである。
こういう風に鈴木の活動と波及した社会現象は停滞して煙たがられていた政治議論を活性化した。すると全共闘上がりの人士らは元気になって「異議申し立てが必要だ」「もう一度騒いでもいいだろ」と言うようになった。これらを受けて刊行されたのが1994年の『全共闘白書』である。
この動きに対し、同世代の松原隆一郎が文藝春秋社の雑誌『諸君!』で批判を加える。更にこれを受けて諸君!誌では「うるさいばかりで無責任 上と下からぶっ叩け全共闘世代」という特集を組んで、その名の通りに上の世代と若手の執筆者が全共闘叩きをする記事を寄せた。
つまりはこれがネットで長年繰り返された団塊批判の始まりなのだ。この全共闘的振舞いへの批判から団塊Jr.世代(増田もそう)の日本を支配するオヤジ世代へのルサンチマンと甘えが被さり、「団塊世代」全体を叩くという風にスライドしてきたのである。そこでは例えばいい年になっても漫画を読んでるというスタイルを確立したのが団塊だ(劇画市場の成立)とか子供部屋が個室とか結婚は好きな相手とすれば良いしなくても良いという常識とか若者向け流行歌の市場とか個人のプライバシーとか時給制アルバイトとかが団塊世代がわがままをしたせいで出来たって事にも向き合わないで済んだ。
些か「風が吹けば桶屋が儲かる」的だが、鈴木の活動が無かったら全共闘上がりが活性化して『全共闘白書』が刊行されることも、それに対して下の世代が反発する事も無かったのである。そしてそれがネット民の甘えを吸収して団塊叩きに変化する事になったのだ。
最後に現在も統一教会との関係で取り沙汰される朝日新聞襲撃殺人事件の赤報隊に関して。
1990年代に新右翼を名乗る男の脅迫で柳美里のサイン会が中止されるという事件が起きた。鈴木はSPA!誌に連載を持っていてそれを批判したところその男が抗議してきた。その中で男が赤報隊の名を語った為、鈴木は「赤報隊とは面識がある、名前を騙ったお前を赤報隊は必ず殺すだろう」と伝え、懺悔の言葉を引き出す事に成功し、それを連載記事に書いた。
すると、直ぐに警察が何らかの容疑で令状を取り事務所を捜索して書類の類を皆押収してしまったのである。赤報隊の情報を得る為の別件事件だ。これに鈴木は怒って赤報隊の情報は二度と官憲に提供しないと書いてそれきりになってしまった。
結局赤報隊と鈴木の面識が脅迫犯へのブラフだったのか真実だったのかは不明なんである。
ヤクザの根絶やしを目的とする暴対法が施行される事になった時、任侠右翼とも付き合いがある野村秋介に鈴木はヤクザの人権を守れデモに参加しようと強く誘われたが、鈴木は「イヤですよヤクザなんて」と気乗りがしなかったが、野村は親分肌なので断れない。仕方なしに参加したら呉智英らに「アウトローの人権とは笑止」などと言われてしまった。