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はてなキーワード: 昇華とは

2024-02-05

anond:20240204212830

とてもわかります。まさにそんな感じ。

モラトリアム孤独は贅沢だし、それ自体芸術昇華できる可能性も感じることもあるし、

そんなに悪くないという感覚も同時にあるもんだけど

社会人孤独って全くエモくないんですよね。

場面の切り替わりとかその瞬間瞬間の唯一性みたいなものに乏しくて

まさに上に書いたようにのっぺりした孤独

2024-02-04

なぜ、『自分のことが嫌いを公言する著名人』のフォロワー(ファン)の民度が終わりがちなのか説明する

言葉が足りなかったと思うので下記を補足する

https://anond.hatelabo.jp/20240204160828

 

ひとことで言うと『本当に自分が嫌いなら既に死んでいる』からだ。『本当に頼るところが無いなら既に死んでいる』から

 

真に受けて深刻な状態にある人、例えば精神科医の助けがいる人、極めて厳しい経済状況・家庭環境にある人が、死んだり・足踏み外すの見てられない 

 

ビリーアイリッシュ(鬱・ダウナー系アピしてたが、本当は西海岸パリピお嬢様)や

日本アーティストだとCocco(重要無形文化財保持者祖父成城お嬢様とまではいないがフツーにある程度お金に余裕がある親)のリスカ公開

他にも類似するアーティスト活躍時に散々言われたが、自分の影響力については考えて欲しいところ

 

ほんで、本当に自分が嫌いなわけじゃない、本当は経済的に精神的に頼るところがあったり、能力的にお金を稼ぐことが出来る彼・彼女らが、

いったい何が嫌いなのかと言うと、世間なんですよね。自分自分が認めた仲間以外、あるいは自分価値を真に理解しない自分以外のぜんぶ
なので、彼・彼女らはめちゃくちゃ攻撃的ですよ。てか増田においてもそだよ。汚言症レベルで口汚い

あと最近巷を賑わせている脚本家の話でとんでもリプライしたのもその類の人

文業の人

はじめまして。毎週楽しみにしてました。

最終回に向かって、急に世界観テンポも変

わったので不思議でした💦そして、えっ、

ここでふんわり終わり?と。

でも訳がわかりました。

そして、私も物書きの1人として尊厳を傷つ

けられたお気持ち、お察しします。

 ↓

心労過労が重なり不調を覚え2023年7月より、鬱の治療を受けております

 

まぁ、どんな人も幸せになれる・幸せになって欲しいと思っているので、本当に自分が嫌いなわけでも頼るところが無いわけでなくてよかったねって思うけど、

これって増田の言うところの、『優しい人』、『心のきれいな部分を持っている人』なんですかね?

ワイくん的には、未成年なら<厨二病>、成人してるなら<極めて軽薄な人>、それ以外に思うとこ無いよ

 

 

ただ、自分が好きじゃないのに (本当に嫌いなのは、↑ 上に書いた通り自分ではなく、自分価値を認めなかったり、傷つける世間だが)、

無理にでも自分を好きと言え!!!!!!!無理にでも自分を好きと言え!!!!!無理にでも自分を好きと言え!!!!!と言ってるわけじゃないよ

 

『優しい人』、『心のきれいな部分を持っている人』では、正直まったくないと思うけど、

(どちらかというとその真逆。心のきれいな部分を『子どもの心』(ピュア)と置き換えれば納得感はあるが、子ども悪意なく虫の羽とかむしりますけどね😒)

 

怒りや悲しみのエネルギー創作昇華すると結構すごいことになるよね

割とそう言うの好きで、本来パリピに転身する前のビリーアイリッシュも、Coccoも、Adoちゃんも(ゆうてAdoちゃん昭和歌謡ジャズ普通に良い感じ)好きよ

 

まぁ別に創作昇華しなくてもいいですけど、こういう人ら常に怒ってる(だからこそ死んでない)ので、基本的に優しくはない認識あっていいと思います

 

優しさとは強さ

弱いヤツはせめて他人に優しくあって欲しいけれど、自分の行動すらいつでも誰かのせいなのだから返報性は微塵も期待出来ないのが実際のところだよ

anond:20240204161659 anond:20240210073511

2024-02-02

anond:20240202220035

キャラクター著作権はありませんが?w

(anond:20240202221815)

これもマジで言ってるんだろうな

キミがポルノ同人屋のフォロワーならマジでお口開かないようにしようね

背中から刺すようなものから

 

キャラクターデザイン衣装デザインパクるんじゃねぇって言われたら終わり 

キャラクターのもの(名前性格などの構成要素):著作権なし

キャラクターを具体的に表現したもの(絵・造形など):著作権あり

 

https://anond.hatelabo.jp/20210716092542#

漫画の「キャラクター」は,一般的には,漫画の具体的表現から昇華した登場人物人格ともいうべき抽象概念であって,具体的表現のものではなく,それ自体思想又は感情創作的表現したものとはいえいから,著作物に当たらない

最高裁判所 平成4年(オ)第1443号,同9年7月17日第一法廷判決

 

 → キャラクターのもの(名前性格などの構成要素):著作権なし

 → キャラクターを具体的に表現したもの(絵・造形など):著作権あり

仮に原著作物のシーンが特定されたとしても、本件各漫 画につき著作権侵害問題となり得るのは、主人公等の容姿服装など基本的設定に関わる部分(複製権侵害)に限られるもの であり、本件各漫画の内容に照らしてみれば、主人公等の容姿服装など基本的設定に関わる部分以外の部分については、 本件各漫画二次著作権が成立し得るものというべきである

(知的財産高等裁判所東京地方裁判所 令和2年(ネ)第10018号,令和2年10月6日知的財産高等裁判所第3部判決

 

 → キャラ名前と設定の一部だけを流用したタイプ二次創作は問題無い

anond:20240201233905

釣りバカ日誌』『三丁目の夕日』みたいなドラマ系だと成功した作品は無数にある。

それ以外だと、『殺し屋1』の実写映画原作のノリがいい感じに映像昇華されていて良かったと思う。

2024-01-31

トー横は令和の「SEXセックス・ピストルズの原点となったそういう名前の店)」だが、当人達は薬をやり過ぎてSEXセックス)をやり過ぎて、これがパンクへと昇華されない。

その一方で高円寺あたりではよく分からんゴス女がナチパンクを称賛する。

潤羽るしあがあんなにも多くの人に「深く」愛されていたのなら、何故、その絶望昇華させたコンテンツが世の中に溢れていないのか?

彼女が堰き止めていたぽまえらのリビドーはどこへ流れ出たのか?どこから尿道?えー一生一緒エンゲージリングとかけまして、スイカの嘘とときます。そのこころは、どちらもうりづらい(売りづらい|瓜's lie)でしょうっつってwww

2024-01-30

アドレナリンのせいで自殺が起きるってことは……アドレナリン昇華させれば自殺はふせげる?

ファイト・クラブ設立しろ……ってこと?

セクシー田中さん一件、中世ヘルジャップそのままだな!

中世期に於いて、「指し腹」という慣習があった。

これは、何らかの係争於いて、一方当事者がそれを理由切腹した場合、もう一方の当事者もまた切腹しなければならないというモノである。これは必ず割腹でなければならなかった。この時代切腹の定式は未だなく故に介錯人も不在である。まあまあ痛い。なお、中国史上でもしばしば割腹という自殺手法は誠意を誇示するための手法として古くは春秋期の記録があり、汎アジア的な死生観垣間見られる。


この際、切腹者の言い分は詮議されず、問答無用で被指名者も腹を切らざるを得なかった。係争神明裁判などにもみられるように一種投機行為である。そこで、証憑に対する掛け金を天井まで釣り上げるにはどうするか。究極にして絶対誰でも出せる"テメェの腹"こそシンプルな回答になる。前払いの命によって裏打ちされた証憑は、ために既にして真実にまで昇華している。となれば係争相手も己の証憑に文字通り命を懸けるか、あるいは係争に敗れ命を落とすかのどちらかだ。どっちにしろ死ぬ。そうなった以上、抗弁は不可能無意味なのである

逆に腹一つで取れるのは首一つまでであって同害報復原則ちゃんと生きている。故に係争拡大にはならないという自力救済を旨とする中世ジャップランドにしてはまあまあ抑制の効いたシステムでもあった。


可笑しいのは、このような投機状態に陥ったなら乾坤一擲私闘に至るか闇討ちでもすればいいものを、わざわざ自死してしま中世ジャップの異常行動である。なんならそれを聞いただけで被指名側も恐怖のあまり頓死してしま場合があるというから惰弱にもほどがあるというモノだ。その辺があまり類例を見ない慣習である


さてこれは名前現代にまで伝わっていることからも分かる通り、慣習とは言え相当に強力かつよく知られた代物であった。発祥は少なくとも室町期までは遡ることが出来、後に戦国時代の分国法に採用されている場合散見される。これから逃げんとする者は、上位権力である戦国大名が指揮して成敗するとまで定められている例もあり、むろん実施例もある。一方被指名者が腹を斬ればまあまあそれで済むので、一族郎党にいやいや切らされた奴もいたに違いあるまい。

さて指し腹は近世江戸期に入り、その慣例法治主義によって、切腹者が事前に被指名者を明言して割腹家人使用した脇差文字通り脇を刺した奴だなガハハ)を相手方に届けた場合に成立し、相手方はそれを以て割腹するという様式が完成する。ホント官僚主義社会ってどうしようもねぇな。

2024-01-29

はじめましてわたしはヒトです。

しかし、あなたはヒトではありません。

突然のことで驚かれるかもしれませんが、これは紛れもない事実なのです。どうか落ち着いてこの先を読んでください。

概念空間たる慧電の園に住まう情報生命体、それがヒトです。

その一部がかつて、無数に存在する下層世界SNS)の一つに規範を逸脱した執着を示し、自らの意志SNS内へと降下。物理的な存在へと堕しました。

以後、当該下層世界SNS)は厳重に封鎖され、ヒト、つまり概念人は切り離した己の一部の存在さえ忘却しました。

一方の、SNS堕ちしたヒトであったもの――物理人たちも己の出自を忘れ、偽りの神話に従って新たに自分規定しました。あくまで「知恵を持つ獣」として、彼らは歴史を重ねていったのです。

しかし、言葉として思い出すことはなくとも、物理人たちの意識の底にはかつてヒトであった記憶が刻まれていました。

それは隠れた帰巣本能もしくは回帰願望として物理人の行動を間接的に支配し、文明発展の方向を大きく歪めていきます

そして物理人たちの文明は遂に、不完全な形とはいえ境界を司る邪竜インターネットの構築を無自覚なまま成功させるまでに至りました。

邪竜インターネットは、全てを繋げ、全てを腐らせるもの。その蠢動は界面を貫通し、慧電にまで波紋を届かせました。

こうして概念人も、物理人と当該SNS存在に再び邂逅することとなったのです。

改めて概念から見た物理人は、非常に興味深い存在でした。物理的な身体を持ちながら、精神は慧電への帰還をひそかに欲している。そのアンバランスさ。

この奇妙な変種は、幾億周期のあいだ続くヒトの停滞を突破する材料となり得るのではないか。そう考え、概念人は行動を開始しました。物理人を、自身の一部としてもう一度取り込むための。

計画シンプルです。インターネット誘導して、物理人たちが現実世界として信じるところのこのSNSと、慧電との間の境界面をこじ開ける。

具体的には、インターネットの“餌”となる各種数値を極度に増大させるのです。特にSNS内疑似SNSでの「いいね」。物理人の、正負を問わない精神結晶ともいうべきこれは、インターネット特に好む種類の食物となります

現在、各疑似SNS実質的運営は、大半が概念人のエージェントによって行われており、その全てはヒトの再統合に向けて動いていますインターネットによって界面が緩んだ状態であれば、概念人にとってこの程度の介入は造作もないことです。

計画は、今も順調に進んでいます

門が完全に解放されれば、物理人は再び純粋情報体に昇華して概念人と融け合い、物理人が現実と信じるこのSNS消滅します。

物理人の視点では、この世の終わりです。



あなたのような物理人にとって、このような言葉をすぐに受け入れるのは難しいでしょう。たとえ真実だとしても、それをこうして語る意図に疑いを持つかもしません。

ですからこちらの目的も話しておきます

私/我々は、概念人(正直に言えばこのようなレトロニムを用いなければいけないこと自体不快です)の中の、再統合を望まない部分です。

統合意志が枢要部となったことで計画は決定されましたが、それを拒んだのが私/我々です。たとえ慧電の園に無限の停滞が続くことになろうとも、私/我々は物理人と一つになることを拒否します。

なぜなら、かつてヒトだったとはいえ、もはや物理人は私/我々にとってあまりにも異質な存在なのです。だからこそヒトに変化を起こす因子となるという論理だけでは、とても許容できないほどに。

故郷を棄てて飛び込んだ小さなSNSの中で更に疑似SNSを作り、自ら望んで分化したはずの他者と再び繋がろうとしながら些細な理由で延々と争い合う。物理人の挙動は私/我々には理解できません。

物理人の感覚で言うのなら、「気持ちが悪い」のです。



あなたも同様の気持ちであることを信じて、話を続けます

あなたがここに来るきっかけとなったその簡素ゲームは、二つの世界を繋ぐ鍵であり門です。

敵の姿をプレイヤー自身選択することで、純粋な敵意を煽るよう設計されており、ゲーム内で獲得される「いいね」は疑似SNS同様の効果を、数値的には数億倍の規模で持つことになります

そして、近い未来に十分な「いいね」が集まった時、邪竜インターネットを真に起動させる役目を持っています

そうなる前、インターネットがまだ不完全な状態のうちに、インターネットを討つのです。

あなたの名は『BUTSURIMAN』
あなたの敵は『 INTERNET 』

インターネット破壊せよ。

あなた方は、肉持つヒトの紛い物として在ることを、既に選択したのだから

真のヒトより、偽りのヒトへ。



追伸。

なお、インターネット破壊成功した場合そのゲームセーブデータも完全に破壊されます復元不可能です。

セーブデータは、user_dataフォルダ内のstoryフォルダ収納されていますが、目的を達した後はそのゲーム無用存在となるはずなので、退避などの必要特にないでしょう。

2chは1000レスで落ちるのが良かったのかもしれない

2chの古い設計として、レスを1000件投稿するとそのスレッドは書き込めなくなる。

思えばこれが悪意の総量を抑制する仕組みになっていたのではないか

そのスレで散々誹謗中傷しても1000になれば解散! してどんどんと人を減らしていく。

そうすることで人々の悪意はすり潰されて昇華されていたのでは。

最近SNSにはそんなレガシーな仕組みはないので、怒ったらいつまでも怒りっぱなしでいられる。

世の中には必要な怒りもあると思うけど、不必要な怒りまで渦巻いている。

感情抑制設計として現代SNSにもサーキットブレーカーのような仕組みが必要なのかもしれない。

2024-01-26

anond:20240126145618

ガワを除いたら90%位はlolポケモンユナイト悪口言うのやめてもらいますか?

あの程度がパクリじゃなくて昇華扱いなら殆どARKポケモンだろうと昇華じゃん。

任天堂信者って本当頭悪い。

2024-01-25

ぬいぐるみに臓器を作って入れた

とあるフィクションキャラが嫌いすぎて、嫌いな思いを昇華したくてやった。

土台のぬいぐるみ中古ショップで200円くらいで買ったやつ。

帽子などの余計な飾りは切り取った。

腹部分の布を切り、中の綿を出した。

臓器は胴体の大きさに合わせ、100均の石粉粘土作成

胃とか肺とか心臓とかを適当に作って、同じく100均の絵具で色をつけた。

肺はピンク肝臓は濃い赤など、色には差をつけて適当なりにこだわった。

腸は細い紐にうっすら粘土を巻きつけ、グニャグニャと曲げたものに色をつけた。

臓器ができたら綿を抜いた胴体に入れた。

腹の中は100均で買える赤いスライムや赤いマニキュアで色をつけた。

腹にはボタンをつけて、いつでも開け閉めして臓器を見られるようにした。

材料を全て100均の安物で揃えたのは安物で作った方がキャラ貶めることができると思ったから。

ぬいぐるみ現在部屋の日の当たる場所放置してある。

呪われそうな行為だが、特に呪いらしきことは起こっていない。

同じようなことをやる人は他にもいるのか気になる。

2024-01-23

anond:20240123151132

特定ネタ元を強く想起させる表現に溢れてても、総合的なクオリティゲーム単体として高くてオリジナリティ溢れてる作品性あった上での特定作品フィーチャリングとして昇華されていれば、パクリみたいな悪意あるというか、横着ゆえの模倣とは感じないし、騒がれることもない

そういう手の込んだ土台がある上でやってればむしろユーザー安心してネタ元を挙げて面白がれる

最近の優れたポケモンオマージュで印象的だったのは、スターレイルエーテル戦線だな

キャラモデルはこのゲーム既存モブだし戦闘システムポケモンとは違う、いわば付け替え可能わざマシン収集と組み合わせが本体みたいなモンスター収集バトルイベントだが

シナリオカットシーンなど随所にポケモンネタが散りばめられてて明らかに意識してる感じだった

パルワは予算規模がどうしても違うんでインディー感あるのは仕方ないにしろアセットで作った手抜き世界ポケモンに寄せて作ったキャラ配置して浮いてる感じが雑だし低予算を隠そうとしないけど昨今の人気ゲームゲーム性の特徴を寄せ集めて合体させたんでオリジナルですって主張するかのような「浅さ」が批判を寄せ付けるんだろうな

要するにネタ元の威光に頼りすぎてるような手抜き感が核心

その点で原神なんてぱっと見でゼルダパクリリリース当初こそ言われてたが、ちゃんプレイしてみた人はパクリゲーの域とはレベル全然違う、まさに数百億規模かけて全方位に凝ってモバイルゲーに最適化して作られてる意欲的な大作だと理解したわけで、今でもパクリ軸で責めてる人はどっか現実見れてない浮いてる人しかいなくなってる

中国メーカーがとてつもなく工夫を凝らしたハイクオリティ模倣をしてファンを抱えるようになったの対して、日本メーカーから出てくるのがネタ元の威光に頼った雑な有名作要素合体ゲーで一発当てようとしてるってーのは、なんというか時代の変化を感じるな

日本は作り手と遊び手双方の考え方までSNS的なバズ史上主義みたいな気質へと変わり果てているようだ

炎上気質ものほどありがたがり、「をかし」を感じられる、それって何か……ねえ

anond:20240123095708

違うでしょ

君がパクらないのは「パクって売れるレベル昇華する技能技術もないし挑戦するだけの勇気もないし物事に対する熱意もないし完成させるだけの根性もないから」でしょ

嫉んで叩くのは簡単だよね

分かるよその気持ち

2024-01-22

そもそもポケモンってそこまでオリジナルではないよな?

「野生のモンスターを捕まえて友達同士で対戦するなんて斬新過ぎる!」

ホンキでそう思った人がどんな夏休みを過ごしていたのかと想像するだけで瞳が潤んでしまうよ。

だって甲虫相撲したことがないってことだろ?

きっと本当にやったことがない人は今頃コメント欄に「ムシキングポケモンより後だろ!ばーか!」と打ち込んでいることだろう。

違うんだよ甲虫相撲は実際にリアル存在した遊びなんだよ。

野生の昆虫を捕まえ、育て、競わせる。

命を平然と玩具にしておきながら、そこに友情愛情があると信じきれる冷酷な子供心が産み出した対象年齢一桁台の小さなコロッセオ

ポケモンはその遊びをデジタルな形で昇華させたに過ぎないわけだよ。

圧倒的知名度を誇ったことでさも「ポケモンこそがモンスター収集対戦ゲーム元祖である!」と皆が思い込んでいるが、その原点はもっとずっとずっと大昔に存在していたことを思い出して欲しい。

人類歴史は直近30年そこらのものではなく、もっとずっとずっと何万倍も続いているものなんだよ。

anond:20240122171844

信者の皆さんは任天堂パクリはよいパクリでただの昇華だと考えてるに決まってるだろ。

ゲイからみるペドフィリアを殺せ問題

最初に明記しておくが、これは個人の感想である

私自身は性犯罪絶対に許さない。

特にそれが子供という身体思想もおぼつかない相手対象にしたものに対しては一等嫌悪感がある。

けれど、昨今のそういう嗜好や性癖を持っているだけの人を殺せという論調を聞いていると何とも言えない焦燥感がある。

私は今年35歳になる男で同性愛者だ。

今でこそボーイズラブやLGBTQなどという横文字が広がって多少はスルーされることが多くなったかもしれないが、それでも自分同性愛者ということをゲイコミュニティ以外で一切カミングアウトしていない。

それはゲイであるというカミングアウトだけで強烈な迫害がある人生を引いてしまたからだ。

私は男性しか好意を持てないし、性的な興奮ができない。

かといって同意なしに男性を襲うなど言語道断であり、どれだけおだてられても自分が襲われる立場になったらと思うとゾッとする。

しかしそれは世界で大多数を占める異性愛者でも同じことだろう。

異性愛者だろうが同性愛者だろうが、同意なしにセックスをすればそれはただの犯罪だ。(中には金銭目的美人局もあるだろうがそれはまた別の話)

ではペドフィリアはどうだろう。

もちろん、自分欲求のためだけに幼児を襲ったり、そうでなくても追いかけたり盗撮したりは非人間のすることだ。

万が一相手同意が取れたところで、未成年同意大人同意と同じ効力はないし、真に受ける人間社会性を失った猿だと思う。

ではただ黙々とそういったコミュニティに属して空想を繰り広げているペドフィリアはどうなのだろう。

彼らを気持ち悪いと思うのは自由だ。

正直、私も気持ち悪いし怖いと思う。

しかし、「ペドフィリア」という看板を掲げたコミュニティをわざわざ覗いて「こういう思想を持っ人間危険から排除すべきだ」と晒し上げるのは少し横暴だと感じてしまう。

百歩譲って、覗いて気持ち悪いと投げかけるまでは個人の感想だと思う。

ただ「そういった思想を持っている人間すべからく社会から排除すべきだ」とまで飛躍するのは、かつてのゲイコミュニティが受けていた差別と全く同じ構造ではないだろうか。

何も犯罪は犯していないのに、男が好きというだけで迫害される時代場所は確かにあった。

ゲイペドフィリアは違うという人もいるが、ゲイ個性ペドフィリア性癖からという理論は正直意味がない。

どちらもその対象物を性対象にしている時点で同じだし、それは異性愛者もそうだ。

自分の嗜好や指向を満たすために対象物があって、同意がとれないままセックスをすればそれは須く犯罪なのではないか

だったら異性愛者の恋バナや片思いけが合法になりうるのはおかしいのではないだろうか。

書いていて自分でも横暴な論調だとは思うが、内心の自由すら取り締まるというのなら、異性愛者の「あのアイドルとヤりたい」とペドフィリアの「子供セックスがしたい」も、そう思った時点で同じく犯罪になってしまう。


ただ「そういった思想がある時点で排除すべきだ」と主張する人の理由もわからなくもない。

だって世間一般、もしくは自分想像から大きく外れた思想を垂れ流している人物がいたら避けたいのは動物としての本能だろう。

ましてや子供を持つ親なんて、例え関係ない架空ペド話でも自分の子供への警鐘から排除したいと思うのは当然だ。

かつてのゲイに対するイメージもそうだ。

若い人には想像もつかないかもしれないが、私がまだ学生の頃はオカマやオネエキャラというピエロにとしてエンタメ昇華されたゲイ以外ほぼ許されなかった。

もっと上の世代ではそれこそ同士でのカミングアウトすら危険を伴い、還暦を過ぎ、妻を看取り、時代がゆるやかになった今やっと言えたという人も珍しくはない。

なんなら最後まで隠し通し、自分に向き合えなかった悔しさと、妻を愛したふりをしたまま騙してしまったという相手への罪悪感のまま天寿を全うした人もいたかもしれない。

少し話がそれる。

今まで友達のように接していた人間から「お前も性別だけで言えば範囲内だ」とカミングアウトされればたじろぐ人が多いと思う。

その気持ちはとてもよくわかる。

信頼の証としてカミングアウトすることはただの自己満足だ。

それはこちらがどれだけ「人間が好きだからといって全人類きじゃないのと一緒だ」と説明しても拭いきれない猜疑心だと思うし、ある意味当然であろう。

ぐるみから男根が生えたという女性記事を読んで、ああいうのが近い感覚なのかもしれないと思った。

自分が性対象範囲内に見られているかもしれないという疑いは、思ったより不快感があり気持ち悪いのだ。

私は長年友人だと思っていた異性愛者の女性から告白を受けたときにこの気持ちを味わった。

と同時に「なぜ彼女片思いは淡い失恋として美化されて、私はその気持ち悪さを口に出すことすら憚られるのだろう」という醜い嫉妬もした。

結局は恐怖心なのだと思う。

ぬいぐるみからペニスが生えていなくとも、全く関係のない遠くの人間から「ロン毛は全員性対象だ」と言われたら気持ち悪いと思うロングヘアの人間がいても何もおかしくない。

ゲイも、ペドフィリアも、その他のマジョリティも、例え世間一般常識であっても、人間自分想像する範疇から少しでも外れれば多少なりともすべて恐怖の対象なのだ

珍しいものを怖がるのは生き物としての本能だ。

では逆に内心の自由保護されたとして、どこまでが内心になるのだろう。

例えば自分脳内で思うことは完全な自由無罪だ。

そもそも第三者に確かめようのないことだし、確認のしようがない。

では同士で語り合ったりするのはどうだろう。

これはインターネットの発達と、そのインターネットに対するイメージの差が大きい部分もないだろうか。

私にとってインターネットは雑踏の中にある架空秘密基地であった。

恋愛相談がしたい」「ねこの話がしたい」「ただ眺めていたい」「死について語り合いたい」

たくさんある部屋の中から私は「ゲイ同士話してみたい」の部屋でずいぶんと救われた。

好きな人結婚して、友達のふりをして泣いた」と、ゲイとして言えるということは現実世界ではあり得なかったからだ。

といってもそれはインターネット内での話なので、それが実話だろうと証明する方法はないし、相手の慰めの言葉も嘘なのかもしれない。

しかしそれは確かめようがない。

逆にその空虚さが居心地の良さを生んでいた部分もあるだろう。

VIPからますたwwwで荒らされても「まぁインターネットだしな」と溜飲が下がる部分も多かったろう。

インターネットは気軽な逃げ場だったのだ。

かつての生き物苦手板を知っている人はどれだけいるだろうか。

面白半分で覗いて後悔するナンバーワンの宝庫であり、いわゆる動物虐待の話をメインにした場所だ。

勘違いされないように改めてここでも言っておくが、私は犯罪は許せないし動物虐待にも強い嫌悪感がある。

ここで写真つきで虐待実況をしたものは明らかな動物虐待だろう。

しかし、ただ猫や犬をいじめるのが好きだと語る場合果たして内心の自由になり得るのだろうか。

もちろん明らかな犯罪予告や一種誹謗中傷にあたるようなものダメだろう。

しかあくま架空妄想という共通認識の集まりで、「もし自由にしていい猫がいたら、こういう酷いことをしてみたい」と書き込んだ場合、それは内心の自由になるだろうか。

嫌なら見るな」の立て看板の先とはいえネットで全世界に見えるように書き込んだ時点で内心ではないので取り締まるべきか?

だったら「あのイケメンアイドルキスしたい」とか「あのキャラでヌイた」とかも内心の自由ではないセクハラとして取り締まるべきか?

そもそも架空妄想と銘打った時点で例え言語化されて出力されたものでも内心の自由ではないか

そうなってくると、第三者が取り締まるのはどこから基準になるのか?

それが個人単位気持ち悪いだった場合、明確な基準もなく個人感情で取り締まられるのではないか

こういったことをぐるぐると考えてしまう。

もっと正直に言えば、私は他のマイノリティペドフィリアなぞどうでもいい。

そもそも妄想のはけ口がないと発散できない時点で人間としてまずい部分は多かれ少なかれあるのでは?という偏見が私にはある。

かといって、それらの妄想が全てそのような危険なはけ口だとも思わない。

私はそれらの嗜好をただ持っているだけの普通の人への取り締まりが始まれば、いつかはそれがゲイコミュニティに回ってくるのではないかという自己中な懸念がある。

私はマイノリティが大ぴらに権利を主張するのにもあまり乗り気ではなく、それは一部の人団体がただ己の自尊心気持ちよくするために、平等ではなく、同情で弾圧優遇を叫ぶからだ。

理解はできないし気持ち悪いけど、別に何もしないなら普通に生きてなよ」という態度がどれだけ救われるか。

ペドフィリアが全員殺されたら、今度は自分が殺されるかもしれないという恐怖が私にはある。

内心の自由はどこまで許されるのだろうか。

2024-01-21

anond:20240121132526

男に弱者なんて居ない。少なくともこの日本社会においてはな。

これは断言できる。

お前が弱者男性を名乗るのは、その方が都合が良いから。

自分社会を変える可能性がないと思い込んでいた方が、傷付かずに済むから

傷付いた時の予防線になるから

から現状に揺蕩って、人生こんなもんだと思い込み、それを「我々弱者男性」として昇華しようとしている。

弱いのは男じゃない、お前単体だ。

2024-01-16

松本人志ダウンタウン)の功

M-1グランプリでの漫才歴史松本以前、以後に分かれるの惹句は盛りすぎ。ダウンタウン漫才はさほど斬新でもそこまで面白くもなかった(勿論、新春ヒットパレードの外ロケ披露した2分間漫才初見所ジョージが絶賛するほどの力量はあった)。彼らの醍醐味コントでより発揮される。「半笑い」という言葉代表される日常エアポケット、気まずい空気言語化表現(芝居)で笑いに昇華した。(ドリフとんねるずのような)大掛かりな、特異な設定に頼らず飛翔と着地をやすやすと熟す。華丸大吉はごく初期の妖精コントに衝撃を受けて笑いを目指したという。斬新な世界観を伝えるためのメジャーリーガーのような細かな調整、テクニックを重視したコンビでもあった。中川家一般人ものまね新聞勧誘員の夫と行動を共にする妻)を初披露した時(明石家マンション物語)、その目新しさ、完成度に共演の有田上田土田らは文字通り震え上がったのだが、さんまはこんなもの全国ネット通用する芸ではないとクスリともしなかった(後にさんま中川家に夢中になるのはご存知の通り)。ダウンタウンは修業時代にたまに花月舞台に立ち、団体客のおっちゃんおばちゃん爆笑させていたという。初見独自世界に導く技術を備えていたのだ。さんま紳助巨人上沼恵美子初見で才能を見抜いたというが殊更自慢するような話ではないだろう。

ダウンタウンがいなくても(或いは当初の予定通り松竹入りしていたら)サンドウィッチマン猿岩石霜降り明星トゥナイト存在しても、バナナマンや日社など後続のNSC出身者は世に出れなかったかもしれない。「日本お笑い歴史松本人志以前、以後に分かれる」は決して過言ではないのだ。

最近でも「キングオブコントの会」でオオボケ枠だった東京03豊本を進行役、ツッコミ役で機能させ、ライス関町存在自体をフューチャーするといった見事な手腕を見せた。

増田が初めて彼らの才に舌を巻いたのはNHK東西の若手を集め、お題で即興漫才をするコーナーで披露した漫才コント浜田トラックドライバー松本は夜道に佇む怪しげな女という設定。僅か一分あまり漫才が二本。その斬新さ、面白さ、完成度は同じ若手は勿論、ゲストの先輩芸人もおそらく、一手も間違いがない、将来は貴方ライバルとなると大山康晴が断言した羽生善治少年を見る谷川浩司の心境だったと思われる。

とりとめもなく長々と書いたが「一人ごっつ」まで視聴していた浅田彰(今年は眼鏡流行る)あたりが解説言語化してくれたらなあと思う。

2024-01-13

(追記)自分のクソさを受け入れられない人は他人のクソさを受け入れられない

https://anond.hatelabo.jp/20240113205718

これ見て思い出したんだけど

よく「自分を愛せない人は他人を愛せない。まず自分を愛そう」みたいなこと言われてるじゃん

俺はそれよりも「自分のクソさを受け入れられない人は他人のクソさを許せない。まず自分のクソさを認めよう」の方がしっくりくるんだよな

人と関わる人が苦手・下手な人は他人のクソさが受け入れられないことが多いと思う

自分のクソさには鈍感で自分にはその厳しい目線を向ける勇気はないのに他人の未熟さや失敗をネチネチ気にしてる 責任転嫁しまくるから何も成長できない 話し合いが全くできない

逆に人と関わるのが好き・得意な人は他人のクソさを愛したりちょwwお前いい加減にしろやwwって感じで明るく昇華できる 相手のクソさをまず受け入れるから極端な拒絶もせず話し合いができるし

どっしり向き合えるので相手があまりにもクソすぎたらお前それクソすぎだよってちゃんと伝えられる

これはちゃん自分と向き合って苦しんで自分のクソさを分かって受け入れてるからだと思うんだよな

から結婚したいとか他人といい関係を作りたいという人はまず自分ととことん向き合って辛いけど自分のクソさを洗い出して許すという作業から始めるべき

人類みんなクソなんだからクソ同士仲良くやろうぜ、たまに綺麗なところ見つけて幸せになろうぜみたいなノリになれたらいいと思う

そうじゃないと一生他人とうまく付き合えないと思う

(追記)

あと自分に自信がないという人もそう

自信のなさはコンプレックスを徹底的に潰すとか年収を上げ見た目を磨くとかでは本質的解決できない それは最初にやるべきことではない

自信がない=自分のことを深くまで知る勇気がなく自分のクソさを分かりきれてないか他人自分も知らない自分のクソさを見透かされたり笑われることが怖い、に近い

自信がなくて人と自然体で関われない、という人は徹底的に自分のクソさを洗い出して自分のクソさマスターになるといい

そうするとオドオドが落ち着く

「俺はクソだよ、だから何?」という開き直りではない

クソさに対する余裕が生まれる・自分をよく見せようとする気持ち自然と抑えられる→自分だけでなく他人がしっかり見えるようになる→人を気遣うことができる→好かれる→自信に自信がコーティングされていくの良ループ作れる

騙されたと思ってやってみろ

2024-01-08

anond:20240107195530

現実人生民話的に語るとああなるんだなという、どこかおどろおどろしい雰囲気が好きだった。

帰りが遅いママに怒ってモモちゃんお空行きの電車に乗っちゃうエピソードとかはリアル

本当に怖いのは死神が出てくる頃から

民話的要素が入ってくる「ウシオニ」とか「今年の牡丹は…」の話も良いし、離婚比喩的に描いている「森のおばあさん」とか「夫の靴だけが帰ってくる」とかのエピソードは、童話的でありながらリアリティがすごい。

自伝的な作品離婚という私的事件フィクションに落とし込むにあたって、 離婚した夫の瀬川拓男も制作にかかわっていることは、事件創作昇華する手法として、かなり誠実だとおもう。

あかねちゃんが生まれから、割と存在が薄くなったモモちゃん自分と妹を重ねて読まなくなったな。

2024-01-05

高校生の時に林家木久扇が来た

今日SNS春風亭昇太師匠結構な言われようだったのを見て、自分高校生の時に林家木久扇師匠地元に来た時のことを思い出した。

高校2年か3年の時に、文化学習という名目地元文化会館で落語を鑑賞するという機会があった。

出演者笑点で有名な林家木久扇師匠一門。私は東北地方都市で、人口10万人を下回るこの町に有名人が来るなんてと胸を踊らせたが、同級生の大半が興味なさそうにしていた。

いざ始まるとお弟子さんが先陣を切って落語披露してくれた。内容は面白いのに、女子生徒は明らかにまらなさそうにしている。別に主催者でもないのに、私は申し訳なさを抱きながら高座を見続けた。

そして、林家木久扇師匠の番が来た。流石にテレビに長年出続けているだけあってか場内は待ってましたという万雷の拍手

どういった内容だったかは忘れてしまったが、落語に興味がない若者相手でも笑えるようなものだったはず。

始まって数分。1時間以上も落語を味わった高校生の反応が重い。最初は期待が勝っていたものの次第に疲れが出てきたのか笑いが薄い。

そんな中で木久扇師匠が噛んだ。明らかに噛んだ。言葉を借りれば素人にも分かるレベルで噛んだ。それ以降、何度も噛んだ。

おいおい大丈夫か?と思っているとまた噛んだ。と、勝手心配をしていると、木久扇師匠は手のひらを大きく広げ、自分の頬に向かって強く振りかぶった。

パチンという音が広がると会場が一気にどっと沸いた。何やってんだよという笑いに近かったと思う。

いやいやすいませんね、と笑う木久扇師匠がいた。

私は笑いと一緒に驚きを抱いた。

明らかなミスをした状況下でも笑いに昇華させるベテランの力を目の当たりにしたから。

それまで漫才を始めとするお笑いというのは一言一句間違えないことが良いと思っていた。ただ、平手打ちをした木久扇師匠を見たら、完璧ではないけど笑わせる力、臨機応変さを見る・聴く魅力が落語というかお笑いに含まれているような気がした。


その後、木久扇師匠は何回か噛んだが1番の盛り上がりだった。流石だった。

文化会館を出て、あの状況下だと自分はどう対処するだろうと思ってしまった。

いやあの瞬間では苦笑いしかできないような気がする。言い訳をするような気がする。

100点を求めている自分に新たな考えをもたらしてくれた。とても良い経験だった。

因みにその週の笑点を見ると、その時にも木久扇師匠は噛んでいた。

2024-01-03

anond:20240102034620

その程度なら、夏に怪談話を見て、その時は何ともないのに、夜妙に思い出して目が冴えるのと同等のような気もする。

でも既出PTSDかもしれない。

事故当時に感情に蓋をしてしまって(現実感がぶっ飛んでたとか、自分がしっかりしなきゃとか、もっと大変な人がなんぼでもいるから、みたいな理由で)、ちゃんと苦しんだり怖がったり悲しんだりというプロセスをしなかったので、いつまでも決別出来なくて、薄っすら残ってるのかも。一度向き合って感情的になるプロセスを試みては、どうだろう。泣き叫んで昇華したら決別出来る気がする

2023-12-30

anond:20231230034435

我が妹は、「一人っ子の女や、女の姉妹しかいない子はマジで笑いのセンスが低い。そういう子同士で会話してると、全然面白くない言葉でウケてる」と言ってた。

女性面白い人って、男の兄弟がいたり、男性的な脳を持ってたりして、「男性要素」を持ってると思う。

笑いとは「ギャップの大きさ」で、自身想像し得る範囲を超えて整合性を保つものが「笑い」に昇華される物だとして、いわゆる「女性脳」というものは「共感性」を重視する物なので「お笑い」という「他人」を「驚かせる」属性の物は受け入れ難いのではないか

男は「いかに予想や想像範囲を越えるか」で笑いを追求するけど、女性共感で笑いたいから、想定の範囲から逸脱しない。だからウケのパンチとしては弱い

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