はてなキーワード: 中学受験とは
「頂き女子りりちゃん」に懲役13年求刑 3人から1.5億円詐取
「頂き女子りりちゃん」を名乗って詐欺マニュアルを販売し、自身も男性から現金をだまし取ったとして詐欺罪などに問われた渡辺真衣被告(25)の論告求刑公判が15日、名古屋地裁であった。検察側は「担当ホストをナンバーワンにするためという動機は短絡的で身勝手極まりない」と非難し、懲役13年、罰金1200万円を求刑した。判決は4月22日に言い渡される。
被告人質問で渡辺被告は、自宅にも学校にも居場所がなかったとし、20歳ごろからホストクラブに通い詰めるようになったと明かした。「担当に認めてほしかった。売り上げに貢献し『エース』になることを目指した」と述べた。
https://mainichi.jp/articles/20240315/k00/00m/040/332000c
愛知県瀬戸市の保育園の運営資金、約2億5000万円を横領した罪に問われている前理事長の男に、懲役7年6カ月が求刑されました。
起訴状によりますと、瀬戸市の無職、森田正明被告(64)は2023年7月から8月までの間、理事長を務めていた瀬戸市の保育園の運営資金、合わせて2億5100万円を横領した罪に問われています。
https://www.nagoyatv.com/news/?id=023341
段ボール製造などを行う鳥取森紙業(京都市)の鳥取事業所(鳥取県琴浦町逢束)から約8億円を横領したとして同社から刑事告訴され、昨年11月に詐欺の疑いで逮捕、起訴された同事業所の元経理担当で琴浦町の無職の男(39)の論告求刑公判が6日、鳥取地裁(秋山沙織裁判官)で開かれ、検察側は懲役10年を求刑、弁護側は「寛大な判決を求める」して結審した。判決は3月27日に言い渡される。
https://www.nnn.co.jp/articles/-/252021
教え子の女子児童を繰り返し盗撮した罪などに問われている中学受験塾大手「四谷大塚」の元講師の裁判で、検察は「児童たちが塾の先生である被告を信頼しきっていることにつけ込み、尊厳を無視した」として懲役2年を求刑しました。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240311/k10014386731000.html
青森県弘前市で2022年8月、ドラム缶の中からコンクリート詰めにされた男性の遺体が見つかった事件で、傷害致死罪に問われた男3人の裁判員裁判の公判が8日、名古屋地裁(平城文啓裁判長)であった。検察側は横井秀哉被告(49)に懲役8年、小枝浩志(64)、奥村博(50)両被告に懲役7年を求刑した。
https://www.jiji.com/jc/article?k=2024030801252&g=soc
去年4月、宮崎市の白浜海水浴場で、30代の男性に暴行を加え金品を奪うなどした罪に問われている19歳の少年の裁判で、検察は、懲役8年を求刑しました。
https://news.yahoo.co.jp/articles/ea8823632dabbf28c2bf2203edddd72aaf22615c
おれは、知的障害病の患者だ。高2の時に発症し、 それから今まで約20年間、ずっと苦しみ続けてきた。
知的障害病の主な症状は、その名のとおり、知能の低下だ。 またそれに付随して、精神状態の悪化、健康の悪化も引き起こす。 恐ろしい病気だ。 真の病名や治療法については、いつか話すことがあるかも知れないが、 約束は出来ない。
知能の低下についていうと、 まずIQを推定で50ほど下げる。 主に障害される能力は、ワーキングメモリーと単純記憶であり、 これは受験的な能力に直結する。 これがおれが大学受験と競技プログラミングで失敗した理由だ。 もちろん、精神と健康の悪化による影響も大きかった。
この病気になった時点で、東大受験は諦めざるを得なかった。 記憶力と計算力がなくなったからだ。 今思うと、 中学から好きでやってた英語は強かったので そこまで悲観することもなかったかも知れないが、 国語で明らかに不利になることを考えると、 断念せざるを得なかった。
おれにはもともと膨大なワーキングメモリがある。 最近では、これが算数のトレーニング法として認知されているようだが、 おれが中学受験の時にやっていたのは、問題を頭の中で解く遊びだ。 なぜこんなことをしていたかというと、囲碁や将棋では頭の中で考えるのに、 算数だけは紙に書いて考えるというのでは、 考えるの意味が矛盾すると考えていたからだ。 最後まで解法を読み切り、それから答案に着手する。 自分でどう考えたかもわからないほどに 一瞬で読み切った時には脳の中に電撃が走るような感覚があり、これが快感であったことを覚えている。
この状況で、 とにかく出来るだけ勉強せずに行ける大学といえば、 東工大か、あるいは京大くらいしかなかった。 それより下の大学に行くくらいならば、死んだ方がましだという考えだった。 韓国にはSKY or dieという考えがあるらしいが、 これを日本に言い換えると東京一工 or dieとなるだろう。 そういえば最近、アジアンドキュメンタリーというところが出してる 「SKYに届け!韓国受験戦争」という映画を見たが、かなり面白かった。 行ったことはないが、韓国は面白い国だと聞く。
ところで、人はなぜ、自身の不幸を感じるのだろう? 残念ながら、知的障害病のおれよりも頭が悪い人間は死ぬほどたくさんいるのだが、 なぜ、彼らは幸せそうなのだろうか? 思うに、人は自身の望まぬ人生を生きなければならないと感じた時、不幸になる。 彼らは生まれてからずっと馬鹿なので、今が馬鹿であっても不幸にならない。 一方でおれは、天才だったものが病気によって馬鹿になったので、不幸になる。 こういう理屈だろう。 この意味で、病気は確実に人を不幸にする。
絶望の中、人生を呪い、親を恨み、何度死のうと思ったことか。 しかし、将来的に治療法が見つかることを信じて、なんとか耐えてきた。 容姿が良い方のため、女性関係を持つこともいくらかはあった。 これには精神的に支えられたと思う。 女にはどうやら、男を支える効果がある。 逆も真なのだろうか。 うまく出来たものだ。
まぁなんとか命からがら京大に入ることは出来て、 その頃には、あるいは京都の気候が少し合ってたのかも知れないが、 多少は自身の病をコントロールする術を覚えた。
わかったことは、どうやらこの病には波があり、良い時もあれば悪い時もある。 自身のスケジュールを柔軟に管理し、 調子が良い時に集中して成果を出せば、 平均的には人並みにすることは出来る。 こういう考えで、今まで生きてきた。 独身や仕事のスタイル含め、おれが完全な自由を好むのは、 そもそもおれが麻布京大スーパーフリーダムガンダムであることも関係するが、 そうでないと自身の生活が破綻してしまうからというのも大きい。
こうした自分の考えもあり、 また相手側の考えもあっただろう。 結婚を逃してきた。
おれは、おれの人生をめちゃくちゃにしたこの病を治す必要がある。 もちろん、外科的手術には何度もトライした。 しかし、すべて失敗した。
明日、おれは最後の戦いに望む。 これで最後にしたいという思いがある。
自信はある。 医学のタイムスパンの中では 比較的新しめの理論に基づく手術であり、 2010年頃から臨床研究報告がいくつか出されているが、 これらのうちめぼしいものは大体目を通し、理屈に関しては大体理解した。 おそらく、ベクトルとしては正しいだろう。
外科手術というのは本当に恐ろしいものだ。 今回は相当な侵襲ダメージが見込まれ、動けない時期がしばらく続くはずだ。 筋トレなども、いつ再開出来るか見込みすら立たない。 手術自体も、事故は常に起こりうる。 静脈穿刺で神経を傷つけて手が麻痺したという事例もあったようだ。 また、全身麻酔中に死ぬこともある。 途中覚醒というのも起こり得る。 もちろん、手技自体にミスがあって後遺症が残ることもある。 ノーリスクの手術はあり得ない。 ブラックジャックですら、手術は賭けだと言っているのだ。
怖いが、やるしかない。やるか、死ぬか。 マックスか、死か。 この考えを持つことが重要だ。
手術は成功する。 おれは知的障害病を克服する。 そしたらやってみたいことがたくさんある。 自身の抑圧されていた頭脳を解放してチャレンジしたいこともある。
もちろん、結婚もしてみたい。 出来るだろうか。 とりあえず、今夜は子供の名前を考えながら 明日に備えてぐっすり眠ろうと思う。
日本における死刑が行われているが、 その執行は刑務官によって行われている。
死刑囚の首に縄がかけられると、 3人の刑務官が同時にボタンを押す。 こうすると、実際に死刑囚の足元にある床が開き、死刑囚を殺す。
ここで、3つのボタンのうち2つはダミーであり、 1つだけが実際に死刑囚を殺している。 これは、刑務官の心的ダメージを減らすためとされている。
この死刑執行官だが、おれならば一人で淡々と遂行出来ると思う。
よく、おれは他人の気持ちがわからないと言われるが、 実際のところその認識は間違っている。 正確には、おれは他人の気持ちを完全に理解していながら、完全に無視している。 なぜ無視しているかというと、他人の気持ちを汲む価値がないと思っているからだ。
そもそも、おれは中学受験で「気持ちを答えなさい」という問いを何百何千と訓練されたのだ。 その結果麻布中学の難解な国語を突破出来た人間に、どうして他人の気持ちを理解出来ないことがあろうか。
これで、おれが気持ちがわからないのではなく、 わかった上で意図的に無視していることが理解されたはずだ。
ふつうの人間はこうはならない。 他人の気持ちを理解する能力がないがために、それを空気によって察しようとするから、 気持ちが空気を伝わって「感染」してしまう。 そういう人間が死刑執行人なんかしたら、 死刑囚の死にたくないという気持ちに感染してしまって、 精神が壊れるのは当然である。
どうせワクチンだって、他人のためとか本気で信じて打ったんだろう。 おれが打たないのはそもそもそれが毒であることを理解しているからというのもあるが、 もしそうでないとしても打たないだろう。 なぜならば、おれがリスクを負って守るべき他人の命はどこにもないからだ。 他人の気持ちを理解しつつもそれを無視するのと同様に、 他人の命が大事というのは理解しつつもその価値を無視するに決まってる。
だから、おれは死刑執行人をソロで遂行出来る。 なぜかというと、死刑囚の命に価値を感じないからだ。 1時間前に死刑囚と談笑してたとしても、軽くボタンを押せる自信がある。
精神の弱い人を守るために3つもボタンを用意するのは 税金の無駄遣いなので、ボタンを1つにしておれを死刑執行人に任命することを オススメする。
性犯罪者に対する社会の風当たりは厳しい。 最近、四谷大塚の講師Mが女子生徒をロリコン性犯罪者グループに売ったことで 中学受験業界全体が揺れている。 Mはおそらく大した罪には問われないだろう。 だからこそかも知れないが、「Mを死刑にしろ」という声が絶えない。
なぜだろうか? それはきっと、以下2つの理由によるものだろう。
そもそも、犯罪者とは何だろうか? それは、犯罪を冒した人間のことである。 ではなぜ人は犯罪を冒すのだろうか? それは、犯罪を冒すことがその人にとって有益だと判断されたからだ。
ふつうの人は犯罪を冒さない。 なぜならば、犯罪を冒さなければ平穏な生活が手に入るからだ。 言い換えると、ふつうの人の中では平穏な生活が手に入ること > 犯罪を冒すこと という不等式が成り立っている。 しかし、犯罪者にとってはこの不等式が逆になっているのだ。 特に、性犯罪のように意思を持って行わなければ成立しないものの場合はそうであるといえる。
この不等式は、ふつうの人にとっては絶対に逆にならないものだ。 でも犯罪者にとっては逆になっている。 これが何を意味するかというと、犯罪者は明らかにふつうでない感覚、あるいは人生観を持っている ということだ。
なぜだろうか? それはきっと、脳の気質レベルでなにかがふつうではないからだろう。 だから、犯罪者のこの気質は修正不能であり、 犯罪者はどうせまた再犯するということになる。 事実、性犯罪者の再犯率は極めて高い。
全対象者のうち,調査の対象となった性犯罪事件の裁判確定から5年が経過した時点において服役中等の者を除いた1,484人について,罪名は問わずいずれかの再犯を行った者の比率である全再犯率は20.7%であった。性犯罪再犯率は13.9%であり,全再犯を行った者のうちの約7割を占めていた。
昨今、東大や京大といった難関大学を中退する人間が目立つようになった。 SNSの影響うんぬんの前に、はっきりいって、頭が悪いんだろうと思っている。 ガイジと言っていい。
大学を22歳で卒業し、大学院を24歳で卒業するストレートに失敗する要因としては、 浪人、留年、中退の3つがあるが、 このうち就職における影響は、大きい順から 中退、留年、浪人となる。
中退は、そもそもが高卒と同じ扱いになっているからというのもあるが、 特に難関大学においては別の理由もある。
難関大学を卒業して、例えば京大卒になることと、 中退して高卒になることには大きな開きがある。 人生は全く違ったものになるだろう。 しかし、彼らはそれを放棄して中退という道を選んだことになる。 つまり彼らは、難関大学を卒業して輝かしい学歴を手に入れることより、 中退して勉学の苦しみから解放されることを優先したのだ。 これは明らかにふつうの感覚ではない。 これらの高みにたどり着くために、多くの人は子供の頃から塾に通い、 時には泣きながら勉強して、 それでもなお届かずに諦めたのだ。
日本の大学を卒業することはそう難しいことではない。 だから、あと少しだけ努力すればその高みに届いたはずなのに、 それすら辛いという理由で放棄して中退してしまったということになる。
これは、平穏な生活を手に入れることを難関大学卒の学歴を手に入れることに対応させて、 犯罪を冒すことを中退して楽になることに対応させれば、 性犯罪者の論理と全く同じことに気づくだろう。
これは以下のような理由による。
まず、仕事をするためにはそのプロダクトなりビジネスを ある程度はジブンゴト化する必要がある。 難関大学中退者というのは、自分の人生という最重要プロダクトすら まともにジブンゴト化出来ずに放棄した人間であり、 このような人間が しょせんは他人が定義したプロダクトなどをジブンゴト化することが出来るはずがあるだろうか(いやない)。
次に、なぜ彼らが大学を中退することを選んだかというと、 これは大抵の場合、勉強が嫌だったからだ。 彼らは多く場合、アスペルガー気質があり、 好きなことはとにかく熱中するが、嫌いなことは絶対にやらないという 傾向がある。 このような傾向は、仕事をする上では致命的となる。
一方でふつうの人間というのは そのような近視的なものの見方はせず、 より高い視点で物事を見ることが出来る。 つまり、自分の人生にとって卒業ないし学歴がどういう価値があるかという包括的な視点でものごとを見ることが出来るから、 興味のない科目や授業があったとしても、ある程度は受け入れることに成功し、 単位を落とすまでには至らない。
最後に、彼らは努力出来ない。 これは、嫌いなことに対して努力することが出来ないということでもあるが、 彼らは内心、中退したことを悔いている。 この後悔は、履歴書が門前払いされるごとに深くなっていき、 次第に、こんなはずじゃなかったという思いに支配されることになる。 世の中のほとんどの大人は、もっと勉強して少しでも上位の大学に行けばよかったと後悔しているのである。 であれば、大卒になる権利すら自分で放棄してしまった人間の後悔というのはこの比ではなく、 場合によっては自分を認めない社会に対する恨みすら抱くようになる。
このような人間は、中退せずに難関大学を卒業した人生と、今の人生を比較してしまい、 今の人生をこれ以上改善しようとは思わない。 なぜならば、その努力は、前者の場合に比べて報われる可能性が低いと考えるからである。 池江璃花子は白血病から立ち直り、世界水泳に出場するまでに復活をしたが、 大抵の人間は白血病になったら、仮にそれが治ったとしても、またトップレベルの 選手を目指そうとはならない。 なぜならば、白血病の治療において抗がん剤や放射線治療をした影響によって 自分の身体は確実に弱化しており、努力しても虚しいだけだと考えるからである。 こうした状況において最大の努力をしてトップレベルまでカムバック出来るのは、 池江璃花子が池江璃花子だからに他ならない。 ふつうの人間は、今日ほんの少し疲れているだけでも、今日はお休み明日から本気出すと言って それを繰り返すものである。
では、低学歴はどうだろうか。 低学歴も、高学歴になることを諦めているのだから、 同様の論理が適用出来るのではないかと思うかも知れない。
その考えは、大体は合っているが、性犯罪者というほどにはならない。
東進の林修は、最後の授業においてこのようなことを言うらしい。
「これから一ヶ月間、必死に勉強しろ。 必死に勉強すれば、結果がどうであれ、人生の糧になる。 必死に勉強しなければ、結果がどうであれば、 自分は一ヶ月間すら必死に努力出来ない人間なのだと 生涯苛まれることになる。」
この論理を学歴の高低に適用すると、 仮に必死に勉強した結果が低学歴なのだとしたら、それは別に構わない。 しかし、必死に勉強せずに低学歴なのだとしたら、その人は確実にだめだということになる。 ただ残酷なことに、最大に努力した結果低学歴なのだとしたら、 それはやっぱりだめということになるから、 結論として低学歴はやっぱりだめということになる。
実際、使えるか使えないかは概ね出身大学の偏差値と相関がある。 特に、論理的思考力など仕事をする上で重要な能力は、 低学歴の人には備わっていないことが多い。 生まれつき知能指数が低い場合は受精卵しかやり直すしかないが、 そうでない場合でも、思考力というのは思考しなければ養われることはない。 難関大学の問題は思考力を要求するため、受験生の中には その訓練のために難問を何時間も考え続けたという経験をしたものが少なくない。 中学受験出身者の論理的思考力が高いのは、膨大な量の論理パズルを幼少期に訓練しているからだ。 だから、低学歴は基本的には使えない。
しかし、その使えない度は、難関中退者よりはマシだとは言える。 大学受験は時の運もあるし、環境によって十分な準備を出来なかった人もいるだろう。 それに、大卒と高卒の差に比べれば、大学の偏差値の高低はそこまで大きな問題ではないから、 誰しもが最大限の努力をするという前提には無理がある。 実際、マーチや関関同立レベルで十分に高学歴という価値観を持っている人の方が大多数であることは間違いない。
だから、偏差値が低い大学出身の人間でも、 大学に入ってから努力をして、そこから伸びてくるというケースはある。 しかしそれは決して一般的ではない。
マジで最高ですわ。
ありがとうございますわ、過去のワテクシ。
気の迷いで公務員になったあと、すぐに正気を取り戻し、そこから転職活動を頑張ったの本当素晴らしいですわ。
中学受験も大学受験も就職活動も結局は通過点、本当に人生を左右するのは転職活動なのですわね。
これをちゃんとやらないと労働基準法的にマズいかららしいですわ。
それで適当やってるとたまに訴えてくる人がいるから頑張るんですって。
凄いですのね。
公務員は公務員法なんて全然分からないまま定年を迎えますのに。
正直増えた給料はほとんど残業代がちゃんとつくようになったおかげですわ。
ゆーて月の休みが1日ぐらい増えましたわ。
簡単にタダ働きさせられると気づくと組織は気軽に構成員をタダ働きさせるようになるのですわ。
本当にクソですわね。
弁護士代と手間を考えたらわざわざ訴えるのもダルいから放置しましたけど、ぶっちゃけ訴えた残業代を全額ぶんどりたいですわ。
人柄が凄く良くなりましたわ。
合理主義で話がちゃんと通じて、他人に必要以上にオラつかない人ばかりで助かりますわ。
公務員時代は、セクハラパワハラのギリギリ許されるラインを探ろうとプチハラスメントを繰り返してくる「お前のママを探してるなら地元にさっさと帰れよ赤ちゃんジジイ」って感じの連中ばかりだったからビックリですのよ。
これも大事ですわね。
公務員なんて長くやっても転職はしにくくなる一方で、職場環境がゴミになったときに逃げられないから舐め腐った扱いをされるんですわ。
逃げられない奴隷を囲っていたらそりゃ好き放題何でもするのは監獄実験によってQ.E.Dですの。
奴隷になるにしても主人を選ぶ権利のある奴隷でなくては話になりませんわ。
主人を選ぶ権利とは、長年同じ職場で務めたこと以外の何かを身につけられる働き方をするということですのよ。
公務員はそういうの全く無理プーってのはたった数年しか働いてないワテクシでも嫌というほど思い知りましたわー。
就活生の皆様ー公務員予備校のお花畑な嘘に騙されることなく民間をちゃんと受けなさいませ―。
貴方の大切な人生をゴミに変えたくて仕方ない奴らの下で働くなんて最悪のセルフネグレクトですわよー。
この声が届き遊ばせ―
その通り。はてなも中学受験経験者・名前の言えない私大卒は多いが拗らせてるのが多い
数学回避させて波に乗るトゥールポワティエとかlight-lit-litとかくだらないお経を唱えさせると勘違いしてしまうんだろう
長くなったので結論。時間の無駄だから彼女のことを気にするのはやめよう。
(元)ビリギャルが以下のようなツイートをし、死ぬほど叩かれている。
『「努力出来る人と出来ない人がいるんだよ」と言う人いるけど、それって「努力出来ない人」なんじゃなくて、ただ「努力したくない人」なだけなんじゃないかなと思うんだけど、どうかしら。』
https://x.com/sayaka03150915/status/1764464963853144499?s=20
教育を学ぶ人間としてあるまじき発言ではあるけど、彼女にきっと悪気はない。
知っている人は知っていると思うけど、ビリギャルとは頭の悪いギャルが一発逆転で有名大学に現役合格!みたいな話。
しかし、ビリギャルは別に頭の悪いギャルではなくただ私立校でやる気をなくし落ちこぼれていただけで、地頭が良い+実家がまあまあ太めで教育費もがっつり出してもらえていたというのがもともとの叩かれポイントだった。
その背景があり↑のような発言をしたことでかなりヘイトを集めている。
今回なぜ彼女の擁護を勝手にしようと思ったのかというと、彼女は自分にとても似ているから。
小金持ちの親の希望で中学受験をして地方の有名私立に入学したものの、やる気は出ず学内で落ちこぼれた。
でも地頭は悪くはないので高校ラスト1年だけガチって旧帝に受かった。
だから自分は地の底からはいあがってきたような認識だったし、自分にできることができないってどんだけサボってるんだと周りを見下してた。
しかし就職してから自分では太刀打ちできない化け物エリートたちや、貧困の連鎖から逃れる気力すら奪われてしまった人たちと接することで自分の考えのゆがみに気づき恥ずかしくなった。
自分にもまだまだ直すべきところがあるけど、少しだけゆがみがとれた人としてビリギャルの擁護?をしたいと思う。
【恵まれていない人のことは眼中に入っていない】
おそらくビリギャルは自分と同じように、「決して貧乏ではないしむしろお金持ちの部類には入るだろうけど桁違いのお金持ちにはかすりもしない」みたいな家庭に生まれ育ったと思う。
実はこういう層が一番自分に甘く人に厳しいみたいな人間に育つ確率が高い気がしている。
生活の心配をすることは決してないけど手に入らないものも多いので親がよっぽどしつけないと色々なことにおいて感謝の気持ちが薄くなる。
そして本人においても絶望的に頭は悪くないものの天才にはかすりもしないので「どれだけ努力したか」に価値を見出したがる。バカになる勇気も天才についていく根性もないから。
そしてそこそこの結果を出すことができたら「ほら、私は頑張った。あの子は頑張ってない」と思い自分を上に置きたがる。
そういう気持ちをひっぱっているので今回の炎上ツイートのような感じになったのだと思う。
というか、彼女のツイート自体は間違ってはいないと思う。実際に何かと努力をしない言い訳を見つける努力をしている人はたくさんいる。
もちろん努力をすることすらできない恵まれていない人はたくさんいるが、彼女は今回そういう人のことを書いたのではない、彼女は素直だからその時に自分が思ったことを書いただけ。
しかし彼女は自分がどういう人で、どういう風に見られていて、このポストをしたら人がどう思うのか分からなかった。それは30後半の人間として、教育を学ぶ者としてかなり致命的だったと思う。
【自分に対する批判=おかしい、かわいそうな人たちという考え】
上記の通り、バカでも天才でもない自分を受け入れられない人は上を見ることも下に落ちることも辛いので、自分を下に落とすような行為は絶対に許せない。
なので批判をされるということを極端に嫌う。絶対に自分の非を認めないし徹底的に反論したくなる。
実際彼女は「ビリギャルはビリギャルじゃなかったのでは?」というような意見にずっと反論している。
正直大人として「そうですね、恵まれていた環境にいたことは感謝しています。今後、自分の環境が整ったら塾に通うことに金銭面や精神面で抵抗がある子供たちの助けになるようなことをしたいです」くらい口だけでも言っておけば叩きは弱くなったのにと思うけど、そういうこともできないくらい「私は正しい」を発信することに熱心である。
「ビリギャルは、元々頭が良かったんだよ。」という記事でも自分への批判に対する批判ばかりで自分の言動を省みる言葉はひとつもないし、誰だって才能があるし輝けるんだよ!という恵まれていない立場の人の神経をよけい逆撫でするような気休めのポエムで締めくくられている。
https://note.com/sayaka_suto/n/n48f400487ba6
『ここってまじで幸せじゃない人多すぎて心配になる... Please take care of yourself』
https://x.com/sayaka03150915/status/1766720264769794097?s=20
ここまで書いておいて雑な終わり方をするけど、小林さやか氏には決して悪気はない。
ただ自分の悪い点を認めることができず、そうしなくても生きてこられたからそうする必要もないと思っているしそんな発想もないだけ。
そしてこれからもそう生きていくことができる。なので小林さやか氏にかまっている暇があったら筋トレでもした方がいい。今すぐミュートしよう。
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・精神障害による生活保護受給者であることを自覚し、社会的に無価値であると感じる
・自殺を試みるも失敗
・自治体による致死量ペントバルビタール投与による安楽死を希望
・中学受験で第一志望校に合格するも、中学でのいじめによって人生が狂う
・安楽死への切実な願い
・苦しんでいる人々に寄り添い、支援する
原文は、「精神障害による苦痛と孤独を抱える生活保護受給者からの訴え」です。安楽死への希望は、生きることへの絶望の表れであり、社会に対する深刻な不信感の表れでもあります。社会としては、このような訴えを真摯に受け止め、精神障害者への理解を深め、安楽死に関する議論を深めていく必要もあると言えるかもしれません。
遺伝子レベルで劣っている自分がこの世に生まれてきたこと自体、大きな間違いです。
私の祖母や伯父も生活保護受給者であり、一族には複数の精神障害者と自殺者がいます。
詳細は割愛いたしますが、私は遺伝子レベルの先天的欠陥を複数抱えております。
私のような多重障害者が生まれる確率を試算してみると、一つの都道府県に一人いるかいないかの頻度のようです。
人並みに恋に憧れたこともありますが、私のような欠陥人間は人を幸せにする能力がなく、愛する異性に全く相応しくないため、これまで全ての恋を断念してきました。今後もそうです。
遠くない将来、孤独に死んでいく予定です。
このような暮らしは私としても荷が重いので、家電製品の電源をオフにするように人生を静かに強制終了させたいと昔から考えています。
しかし、その方法が見つからないので困っています。バルビツール酸系睡眠薬を使った自殺には既に失敗済みです。
自治体で致死量のペントバルビタールを用意していただければ、積極的安楽死することに何ら吝かではありません。
オランダ、ルクセンブルク、ベルギー、カナダ、コロンビア、スペインなどのように日本でも積極的安楽死が合法化されることを切望してやみません。
そのためにはどこに陳情すればいいのでしょうか? よろしければご教示いただけると幸いです。
それにしても、中学受験で第一志望校に合格した数十年前は、自分の人生がここまで暗いものになるとは全く予想していませんでした。
入学した中学でのいじめが原因で私の人生はすっかり狂ってしまいました。
今日息子と一緒に考えたテーマは「無理数に覆われた世界」です。
高さと底辺をそれぞれ1とする直角二等辺三角形を作図することで数直線上に√2をとることができます。
またそのようなことをしなくても有理数である1と1.1の間に無数の無理数を見出すことができます。
息子はショックを受けましたが、半日間一生懸命うんうんと色々考えていました。
デデキント切断を知らない息子がそのメソッドを捉えるか捉えないかのところで一生懸命考える様子に、子供の無限の可能性を見出すことができました。
これまでの数に対する認識を改める良いきっかけになったと感じています。
中学受験を終え、息子の友人や同級生は中学校の数学と英語を1日でも早く終えようと息巻いていますが、私の場合、息子には「当たり前」と思っている物事に対して常に「なぜ?」を持ち、考える習慣を身につけて欲しいと思っています。
https://x.com/ojuken_master/status/1762106176844730472?s=20
中学受験は鉄火場なんだよな。親は一回経験しないとわからない。入試日はやがて来るし、入試日が来たらその前の準備期間には戻れない。
自己管理をするには未成熟な子供がすることなので、親と子供の二人羽織になるところが高校・大学の入試とは違うところ。
大人の視点から見ると、中学受験に失敗したとしても、公立中に行く選択肢は残されているし、公立中も(自治体に財政力があれば)そんなに悪くないし、第一志望の学校でなくても、きちんとした私立校なら教育内容はそれほど変わらないし、大学受験だけを考えるなら、行った先の学校の授業のレベルがどうでも特に関係ないし、高校受験をした方が大学受験の予行演習になる。(ただ、海外大学への進学なら、国内大の受験とは全く違う準備が必要になるので、きちんとした支援体制や経験のある学校を選ぶのは大事かもしれない。自分が見た中では、最もしっかりした支援体制を持っていると感じたのは、あまり海外進学を売りにしていない伝統校だった。)
だから中学受験は、特に結果がどうなっても問題ないことにもかかわらず、結構重く感じる失敗経験を得られる珍しい機会なのだが、親や塾が煽りすぎると子供のストレスが大きくなる。
早期教育にのめり込んだ親に潰されて20代で無職になったところから難関資格勉強で這い上がってそれでなんとか稼いで一馬力で子供食わせてるんだけど、自分のトラウマが強すぎて子供には全く勉強をさせていない。もちろん小学校受験、中学受験もやらせてない。習い事は子供がやりたいと言ってきたスポーツのみ。スマホも小5から買ってあげてて一切時間制限してなかった。一時期は派手目な友達に流されて夜中まで通話してたみたいだった。まあどん底から這い上がる術は知ってるから、最悪本当にどん底に落ちたら助けてあげようと思ってた。でも最近行きたい高校が出来たらしく、塾に行きたいと言ってきて、へえこんなんでも意外となんとかなるんだなと思ってしまった。やっぱり待つことが大事なんだと思う。子育て。
毒親に育てられ、子供のころ不幸だったけど、自分は育児を上手くやると思って子供作ってる人がいる。
毒親を恨んでるけど、自分が毒親に似ている自覚があって、同じことを自分も繰り返しそうだから、子供作らないという人もいる。
あまり考えずに子供作って、案の定虐待を連鎖させ、あまり考えずに自分の欲求充足のことだけを考えてる人もいる。
子供を持つ持たない、反出生主義の賛成派反対派、などの界隈には毒親に関係する人が多い。
私の親は別に毒親ではない。虐待されてないし所得は高いほうだったと思う。海外旅行にも連れて行ってもらった。
習い事も塾も行っていた。今考えると結構なコストが毎月かかっていた。
でもなぜかうっすらと小4くらいのころから、生きていたい気持ちが薄かった。
消滅したいというか、死ぬのは痛くて苦しそうだし、はじめから存在しなかったことになりたいような気持ちがうっすらとあった。
いじめられてもいない。いじめのターゲットにされるような目立ち方をしたことが無かった。
クラスメイト、部活の先輩、先生、誰にも悪い印象は持ってない。部活の後輩にはなんかナメられてた気がしたけど、どうでもよかった。
社会のレールから脱落したこともない。中学受験がメジャーではない地方都市で高校受験をして進学校へ、そこから駅弁、正社員就職。
大学浪人や就職浪人のような所属のない時期を過ごしたことがない。
うっすら憂鬱ではあるけど、明確な鬱状態になって勉強や仕事ができない、部活に行けないなどのダウンをしたこともない。
恋人がいたことも数回ある。周囲の人間に対して不満がない。周りの人間のせいで幸せが無いんだというふうには思わない。
生きていてよかったとか、子供を作り子供にも幸福を感じさせよう、という強い欲求を感じる器官が無いという欠損が、こちら側にあるから駄目なんだと感じる。
異性叩きや若年世代叩きや老害叩きや政治叩きや外国人叩きなどに熱心な人たちは敵を殲滅すれば幸福が得られると期待をもっていそうだ。
他人に怒るエネルギーを持っている人間のほうがよほど子供を持ちそうに思う。子供を持つには負のもの、攻撃的なもの、害あるものを含めて「エネルギー」が必要だ。
何も考えずに子供を持ち虐待を連鎖させる人間は「子孫をのこすタイプの人間」だ。
自分はとりあえず生きているだけで、怒ったり期待したりすることができない。
不幸でもない。生きていて金に困ったり暴力を受けたりしたことがない。
死ぬまで生きているだけなのだろう。交際は向こうから来たパターンでしか発生していない。自分からは何もできない。
意欲が持てないのだ。恋人ができれば、結婚すれば、子供ができて育てばそこに幸せがあると期待できない。期待しないから怒らずに済んでいるのだが。
今の状態でも不幸は感じていないし、子供が夢を叶えただので親として強い幸福を感じる、といったことを求める気にならない。