はてなキーワード: モラルハラスメントとは
元増田です。削ってこれなんです。
吉本問題はメディア含め芸人を都合よく搾取してきたのが問題ではないかと思っています。
芸人の搾取より「宇崎ちゃん」の方が大きく取り上げられているのに違和感があり書きました。
最後に改めてメディアの責任を問いたいと思う。はっきり言うと国連広報なんかよりメディアの方が何倍も問題だ。
自社のテレビで未だに吉本芸人を出してるんだから大々的な環境型モラルハラスメント(誤用)である。
以下のサイトを見れば、吉本興業の株主の半分近くはテレビ局だとわかる。
そして朝日グループ含め掲載されているテレビ局のいくつかは特定の新聞とグループ会社企業の関係にある。
グループ企業が株主だから大っぴらに報道できないというのも理解できる。そう言えば国連広報センター長も元朝日グループの社員らしい。
しかも落ち目の新聞やテレビと比べれば、吉本興業はクールジャパン機構にも関わる有望株だ。
ああ、結局はメディアも人権などどうでもよく、自分側の企業、金を守りたいだけなんだなあと思う。
(QuestHub Insightsの記事)https://www.qhinsights.com/tv_yoshimoto/
もしかするとテレビ局も強く出れない芸人を一緒になって搾取してきたって話だったりするんだろうか。
そうだとすれば記者会見でやたらと社長が強気だったことも理解ができる。
自治体の芸人起用も安いからで、結局みんな同じ穴の狢と言うやつかもしれないなあ。吉本興業の問題は労働問題に尽きるのだろう。
放送業界自体も労働環境がめちゃくちゃだと聞くし、いっそのこと全部経営陣を一掃したほうがいいのかもしれない。
書いててちょっと怖くなってきたのであくまで憶測である、と書いておく。
「テレビがつまらなくなる」と言う批判もあろうが、2002年に経団連加盟私大企業の仲間入りをしていて、
教育分野でNTTと連携し100億円をクールジャパン機構から出資される大企業なんてそれなりの倫理を問われるのは当たり前のことだ。
むしろ、なぜ吉本興業は企業としてここまで大きくなったのかを疑問にすべきである。
労働環境がまともになるなら、テレビなんてつまらなくてかまわない。
思えば吉本興業の記者会見で唯一良かったのはネットメディアの方が一部既存メディアよりも鋭い質問をしていたことだった。
「ねとらぼ」とかが出し抜いてくれたほうがいいのかもなあ。
(7月23日ねとらぼ記事)https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1907/23/news094.html
新聞各社については特に朝日新聞は「宇崎ちゃん」なんか取り上げてはしゃいでいる場合かよ。
吉本興業がなぜ今も経団連に加盟し続けられるのか、クールジャパン機構との関係、観光大使だとか給料問題とか叩けばいくらでも埃が出るだろう。
まあ軽減税率を受けてしまった程のジャーナリズムだから自社グループ関連の批判もできないのだろうが。
パパ活をしてブランド品を貰う女の子はいる。学生時代にいた。存在の否定はしない。
けれど、そういう方法で手に入れる人よりも、自分で稼いで貯金したり彼氏や家族からプレゼントで貰ったり宝くじ当てたり母のお下がりだったり、
そういう方法で手に入れているケースのほうが圧倒的だ。若い子が持つブランド品=パパ活している!はあまりにも想像力が欠けていておっさん臭い偏見だ。
要はほんの少数を汲み取ってクソデカ主語で説教したカッコ悪い発言だった。
それからブランド品で身の丈に合う合わない論って結構不毛だと思う。
高飛車になって誰かを傷つけたりするわけでないのであれば、それは外部がとやかく言うことではない。
有名だけどCHANELのコラス社長は「本来CHANELを身につけるべきではない人がCHANELのイメージを下げている問題をどう思うか」という質問に
「その質問大好き。必ず聞かれる。ココ・シャネルはすべての女性のためにデザインをした。だからCHANELを身につけるべきではない人は存在しない。」と答えている。
口紅やレディーススーツ、パンツスタイルなどを生み出したココ・シャネルの背景を踏まえた本当に好きな発言だ。
"経済的な"身の丈に合わずにパパ活をすることに対する批判は最もだと思う。借金と同じくそこまでして買うものではないと思う。
けれど彼程の有名人なら女性を釣ろうとするおっさんも批判して欲しいと期待してしまうのだが、その宛が外れて女性にだけ(的外れな)批判をしてしまったのも炎上の一端ではないかな。
彼のファンの大半が女性なので女性に対するお説教感覚で言ったのかな。彼の高飛車でサディスティックなキャラクターは読み手側へのマウンティングとモラルハラスメントを含んでいてちょっと不快に思う。
同じセレブキャラでも周囲を下げずに自分だけどんどん高めていこうとするローランドの方がずっと見ていてスッとする。
ここからは隙自語
24歳で200万のバッグを買った
最初は使い道を考えておらず何かあった時のための保険程度に思っていた。
使うにはあっという間の額だが稼ぐとなると結構大変な額だ。その自覚は十分にあった。
ある日デパートのハイブランドのショーウィンドウに飾られていたそのバッグに目を奪われた。
普段遣いできるデザインではないが美しい装飾とオーラに圧倒されて10分くらいお店の前でウロウロしてたと思う。
平日だったけど店内に入る人もちらほらいてそのうち紛れながらフラッと入ってしまった
店員のお姉さんは私の様子を見ていたようで(ハイブランドなら余計に警戒されるよね)、あのバッグ見てみますか?と言ってくれた。
いやでもまだ買うとは…と微妙な顔をしていたのか「逆に、買わないなら今しか見れないのだから、記念のつもりで」と奥の応接間のようなところへ通してくれた。
お茶とお菓子を出してくれてしばらく待ち、ようやくそのバッグを手にした時の記憶はかなり曖昧になっている程の衝撃だった。
私はハンドメイドや同人誌を作っている。ほんの少しだけ物を作る側というものを体験しているので、造り手の思いや技術の高さをつい思い浮かべてしまう。
つなぎ目にも一切の妥協が無いそれは価格に見合うだけの物だと思った。
気づいたら男性の店員さん?がデパートの駐車場までデカい紙袋を持ち車を出すまで見届けてくれていた。
平日の昼間、デパートの隣の銀行で200万をおろし即購入した私を見て店員さんにどう思われていたんだろう、こりゃ親には言えんな…と1ヶ月くらい悶々としていたと思う。
一気に減った残高を見て唸ることもあったけどバッグを購入した後悔はなかった。部屋を綺麗にして一番良い場所に推しのフィギュアと並べて飾った。
お宝鑑定団に出てくる骨董品にハマる中高年の気持ちがわかった気がする。私の中ではバッグという名の芸術品を買っている感覚だった。
芸術品とは言えバッグなので、使われているところも見たいと思いこのバッグを持っているモデルさんの写真や雑誌を集めたり、推しやオリキャラに持たせた絵を描いたりして楽しんだ。
バッグを身に着けて出歩くことはまだ叶っていないが、バッグに似合いそうな色形の服を着るようになった。
あれが特殊な例なだけで、普段の服装はアースとかH&Mだとかハイブランドから縁遠い価格帯だけど、あのバッグを持つ自分を想像しているうちに毛玉やほつれを放置しなくなった。
服を大切に扱うようになった。痩せたことで着れなかった服が着れるようになった。いつの間にかあのバッグに見合う人間になろうとしていた。
セレブの道楽でもないのにこんなバッグを買おうとするのは馬鹿では?なんて考え方をするくらいだったけど人生何が有るかわからない。
私は専門家ではないので、参考程度に
いまのナルシスト像は間違っている
ここからはダラダラと
それがどこからか、間違った印象になっている
というのは、明らかに間違い
ナルシストは「病気」なので、男でも女でも付き合うとDV被害にあったり、モラルハラスメントをされたりする
1度、主張を整理したい
2、自意識過剰は病気ではなく、かつ自信のなさから起こる心理現象である
1について
これは、人格障害といって、治すべき病気でもあり、かつ、とても見分けがつきづらい、難しい病気でもある。
認知を広めなければ、ナルシスト自身も、周りの人も、被害者が増えてゆく。
2について
彼らはナルシストではないし、自信がないのに、さらに周りから悪口を言われたらたまったものではない
思春期に鏡を見たり、前髪をいじったり、自撮りをしたり、なにがおかしいのだろうか。
思春期は自分と他人が分かり始める時期だからこそ、自分が気になる。
逆に、自分と他人の境界線が分からない病気のほうが、健全ではないと思う。
それのほうが、嫌悪されるべきではないのだろうか。
ここで注意してほしいのは、病気の人間を嫌悪しろ、といっているわけではない。
そこで、3と4につながる
3は、みんな通ってるんだから、病気の人間だけが特別じゃない、ということがいいたい。
4は、ナルシストも、いろいろなつらい経験があったからこそ、そうなっていることを理解してほしい、そういう意図だ。
みんな、みんな、とってもつらい思いをしている。
そこは、差別しないで、どうか分かってもらいたい。
そろそろ落ち着いてきたし、主張はしたので、ここらで終わりにしたい。
あくまでも一般人が勢いで書いた文章なので、詳しいことは専門家に譲る。
以上。
https://news.yahoo.co.jp/byline/sendayuki/20181004-00099263/
この記事の「表現の自由」に対する考え方に、私は同意するところが多い。
だが一方で、表現を理想的に捉えすぎているきらいがあるとも思う。表現の現場でその「配慮」が、数多のアイデアを殺している現実を、私は見てきた。
記事でも指摘のあるとおり、重要なのはゾーニングだ。誰に向けた表現なのかというゾーニングが適切であれば、表現やアイデアを殺す行き過ぎた配慮の必要性は低くなるはずだ。
キズナアイの件は、時代の先頭を走る彼女によって、そのゾーニングがずれた結果起きた不幸な事故だろう。彼女には何の罪もないと私は考える。
ではどのようなゾーニングが適切かという議論はとても難しい。少なくとも私には手に負える気がしない。
ただ、そのゾーニングが行き過ぎれば「見たいものしか見ない社会」を助長し、本件でも見られたような意見の異なる他者に対する不寛容をより一層深刻にするだろうと予想はできる。
昨今、ハラスメントの問題が世間を騒がせている。ハラスメントは「嫌がらせ」という意味だが「同意のない強要」と解釈すると分かりやすい。
セクハラは「性的な同意のない強要」で、パワハラは「権力を行使した同意のない強要。あるいは権力により同意を強要すること」だ。
話は逸れるが、というか逸れまくったうえでの極論だが、もしもバーチャルな存在に魂が認められる社会であれば、見た目を貶めその存在を否定する今回の意見は、バーチャルな世界に生きる存在へのヘイトスピーチと言えるのかもしれない。
しかしそれはいつか未来の可能性の話であって、もちろん今はそのようなものは認められない。ただ個人の希望としては、私はそのような社会を夢見る。仮想的な魂のありようが、人権のようなもので守られたって良いと思う。
一方的な嫌悪感を表現し、相手の存在そのものを貶め否定するヘイトスピーチなど、社会通念上、認められない表現は当然ある。
しかし、社会通念上許される範囲の表現である場合、ある特定の倫理観をもって、ある表現が同意なく抹殺されることがあるのなら、それは「モラルハラスメント」と呼ばれるだろう。「特定の倫理観に基づいて、ある表現の禁止を同意なく強要する行為」である。
ただし、ここで注意しなければならないのは、ある意見の表明を先んじて「ハラスメント」であるとレッテルを貼り封殺することだ。
そのような言説は、ハラスメントであることを理由に、社会通念上認められる範囲の意見の表明を同意なく禁止する「ハラスメント・ハラスメント」とでも言えるだろう。書いていて自分でもやや混乱してきたが、少なくとも私はそういう不寛容な立場を支持しない。
Twitterの創業者のひとり、ビズ・ストーンはかつて「オープンな対話はきっと世界を良くする」と言った(※1)
ネット社会の一部の人たちはある時期まで、意見の異なる集団がお互いに寛容の精神を持ち、建設的な議論を交わせる未来を志向していたはずだ。
それは理想論に過ぎなかったのかもしれないが、理想は夢を諦める言い訳ではない。
私はかつてのWEB2.0信奉者だ。ネット空間の善意に抱いた「過激な信頼」を完全に捨て去ることは難しい。
このエントリーが、寛容さについて考えるきっかけになり、世界が少しでも住みよい場所になればと祈り、こういう場所に久しぶりの投稿をした。
※1 乙武さんとビズ・ストーンの対談記事だったと思うが、記事は見つからなかった。動画も残っていないようだ。ただ、ビズ・ストーンがそのような信念をもってTwitterの運営にあたっていたことは間違いないと思う。注記の付け方を忘れた
いや、人って、地下にもぐって、わからないと思うと、どんなすごいこともするんだなと思った。
今後、役職定年で、リタイアした人は、あまり具体的には書けないが、2,3段階の降格になるそうだ。
人としての倫理観の低下がすごいけど、自分たちの論理で、組織の為に正しいことしてると信じてるから、こういう
隠れた制度の延長線に、世間を騒がしている、スポーツ、大学などの不正(疑惑)に落ちていくんだと思った。
ちょっと前に、社員アンケートを入力させられたが、モラルハラスメントは通報しましょうなんていわれたけど
モラルハラスメントしている人たちに、通報するなんて、とんだ喜劇だ。
そもそも、役職定年などという、年齢で、その人の能力を差別する制度は、人としての倫理観を疑うが、、、
そんなことされて、誰が納得できるんだろうね。
どこかのWebの記事に、50代会社員が直面する「役職定年」のリアル 年収減に異動、モチベーション維持が課題
というのがあったけど、記事のピントがずれてる。役職定年の制度そのものがおかしい。
今は、違う。所詮、メディアも、企業からの広告収入で生きているので、企業よりの記事しか書けない制約があるので、ネットの発達した
今では、少し、哀れな存在だと同情する。
自分はやりたくないけど、お願いをすることで借りを作りたくも無いという人が使う台詞。やられた方はどんどん疲弊していって、関係が悪くなる言葉。
「明日出かける時に○○するように言って」とか「明日出かける時に○○してきて」とかダイレクトに頼めばいいのにと思う。
何で疲弊するのかと思ったら、たぶん、モラルハラスメントだからだろうね。
それをお願いだと思ってやったところで「そんなことお願いしていない」と言えるし、それを無視したところで「言わなかったっけ?」と言えるというダブルバインドが相手を追い詰める。自分だったら、大事な人ならモラハラだと気づくよう促すし、そうでないならそういう人からは極力距離をとりたいけれど、元増田はどうする?
私はよく物忘れをしたり、物を落とすことをしてしまう。ドアや炊飯器のふたやクーラーボックスの蓋をよく閉め忘れる。会計の時に財布を忘れて店を出ようとしてしまう。また、物をうまく結べなかったりする時が多い。他の人と比べてすごく不器用な方だと思う。
その「くせ」がADHDという発達障害に起因するものだと大学生の時病院で診断されてから、ある程度受け入れる一方で、ああやっぱりそうだったんだな、と納得はいくけど「普通の人」ではなかったんだなと悲しい気持ちになった。
仲のいい友人たちもちょっと「抜けてる」人が多い。だから、みんな遅刻もよくするし忘れ物もよくする。でも、誰も怒らない世界だから、そこでは気楽に過ごして皆ある程度のことは許されている。
ただ、それは月1だったり月2,3で会う友達だからこそ「まあいっか」と許容できているんじゃないかと思う。
それが毎週のように会う恋人だった場合状況が変わってきてしまうのだと思う。
最初の恋人は、私がそういった抜けている部分を見るのが許せなくて暴力や暴言をたくさん振るってきた。机からコップを落として水をこぼしたら、10回ほどお腹を殴られた。その人の気に入らない「私のくせ」をつい出してしまうと、「お前はどうしていつもそうなんだ」と怒られた。最初は、そういったドジをして謝った時、頭を撫でながら慰めてくれた。でも、一向に直らない私の姿を見てイライラするようになったのか、上記の行動に走るようになってしまった。結局、我慢できなくなってこちらから連絡を切って別れた。
2人目の人は、暴力は振らなかったけど、私の行動に対して最初から気になっていて、その人本来の性格もあって「○○(私の名前)ちゃん、それヤバイよ。絶対直した方がいいから。」と逐一言ってきた。関わる期間も短かったからあんまり覚えてないけど、いきなりLINEで「お前はほんとそういうとこダメだな」と連投してくるのがとてもしんどかった思い出がある。
3人目の人だけは私がどんなドジをしても怒らなかった。その人も私と同じくらいADHD傾向のある人で、すごく寛容な人だった。「こんな私を受け入れてくれるなんてすごい」と思って感動してしまった覚えがある。それが嬉しくて、今までで一番長く付き合った。でも、その人はお金に対してすごく不器用で、段々と私に対してお金をせびるようになってきてしまった。「ああ、結婚したら私が稼いだお金もこの人の散財に使われちゃうのかな」と怖くなって別れてしまった。
今、好きな人はすごく優しくて、ちょっと変わっているけれど大事にしてくれて本当に好きだ。
でも、その人にもついに「そういった抜けてるところがすごく心配で、将来を一緒にやっていけるか不安だから直して欲しい」と言われてしまった。
今まで好きになった人の中で一番魅力的で好きだと思えていた人だったから、最初そう言われたことがすごくショックだった。「この人も、1番目の人や2番目の人みたいになっていってしまうんだろうか」と怖くなってしまった。たとえ、そうならなかったとしても大好きな人を無意識にイライラさせてしまっていた事実がすごく辛かった。
正直、私に対して「直して欲しい」と言ってきた人は結果的に私に対して及んだ行為は酷かったとしても、その人の性格だけの問題ではないと思う。距離感の近い人間がそういった抜けた行動をしているのを何度も見ていると、ついイライラしてしまうのだと思う。そういった感情に左右されて相手を非難する行為は「モラルハラスメント」だったとして、その感情を生まれること自体を否定してはいけないと思う。
確かに今までされてきたことは酷かったことは多いけど、そもそも私の「抜けてるところ」のせいでこうなってしまったと言えるんじゃないか。似たような出来事がここまで重なってくると、もし、私が抜けていなかったらもっと良好な関係が築けたんじゃないか、と思えてくる。
どう捉えるべきなのか正直よくわからないけれど、同じことを繰り返すのは怖いという気持ちでいっぱいになっていて、とにかくADHDに関する本を読んでみたり、発達障害を診てくれる病院にまた行ってみようという気持ちになっている。
追記を読みました。
当方、男性同僚からモラルハラスメントを受けた経験がある女性です。
自分の場合は加害側の異動(肩書きだけの昇進付)という形で解決しました。
彼の態度が目に余るがだいじょうぶか、と男性上司から声をかけられ軽く愚痴った程度です。
結果、放置しては全体の指揮に関わるということで上記の措置となりました。
女性比率は半数くらいのため条件は異なりますが、そういう事例もあります。
再発防止策とおっしゃいますが、B氏に事情を聞くなどのはたらきかけはあったのでしょうか。
(いずれも文中から読み取れなかったため「無い」前提で話を進めます。的外れでしたら申し訳ありません)
両者個別に話を聞いてフィードバックする、A氏の相談後も定期的にフォローアップするといったことで、
不測の事態に至る前に彼女の異変に気付けた可能性は高いと思います。
一方的な我慢を強いられる環境に対して所属意識を保つのは困難です。
「加害側の処分は難しい」という意識では同じ結果を招きかねないと危惧します。
ほかのマネージャーや上司も同じ認識なのだとしたら、組織としての問題です。
再発防止策としての体裁は整えられるかもしれません。
テレ東の人気アナウンサーだった大橋未歩が退職するとかいうことで、ちょっと話題になった。そういえばこの人、一度倒れてなかったっけ、と思って調べてみると、旦那の介護もあって数ヶ月で復帰したものの、その後離婚、ほどなくして若い男性と再婚という経歴になっていた。
この経歴を見て一部の人は大橋について「献身的な旦那を捨てた悪女」みたいな評価をしている。自分も最初そう思ったが、自分の周りに似たケースがあることを思い出した。自分の両親だ。もしそれと同じだったとすると、評価は逆転する。
自分の父は、いわゆるモラルハラスメントで、とにかく人にケチをつけるのが好きだった。人が弱音を吐くとすぐに叱りつけ、質問をすれば「自分で考えろ」と撥ねつけ、失敗すれば「よく考えればわかるだろう」と嫌味をいう。とにかく取り付く島がない人間だった。
そんな父と結婚するような母親なので、気は弱く、自立心のない女性だった。
そんな母が50の頃にガンになり、放射線治療始め様々な抗ガン対策を受けることになった。ご存知のように抗ガン治療は身体の負担が重く、一人で外出できない状態になることもしばしばだ。母は若い頃から腰が悪く、40代で杖をついているような人だったから、なおのことフォローが必要だった。自分の家は三兄弟だけど、どれもすでに自立していたので、母の送迎などは父が担った。
モラハラ家庭に生まれた人ならわかるかもしれないけど、モラハラの男性は、一度義務感を覚えると、機械のように動き続ける。なので、会社と都合を合わせながらなんだかんだで父がずっと送り迎えをしていた。
そして五年間治療を続け、母は亡くなった。それでは、母が父に感謝していたかというと、そんなことはなかった。母の携帯のメールに「離婚したい」と彼女の姉(僕の伯母)に送っているのを僕は見つけていた。結局家に近寄らなかったので詳細がわからないけど、結局父はいつまでも嫌味を言い続け、母を小言で責め続けていたのだろう。
その後、父の母(僕の祖母)も父が面倒をみることがあったが、これも何かあるとすぐ怒鳴るということでひどく評判が悪かった。祖母が亡くなった時、親戚は葬儀が終わると挨拶もろくにせずにさっさと帰ってしまった。父と話したくないという態度がありありと伺えた。
大橋の元旦那はプロ野球のコーチだ。プロ野球というのは、一年の半分近くが試合で、それ以外の日も練習や準備に追われる。そんな生活をやり抜くには、自分に厳しいルールを課し、きついスケジュールを組んで、身体をスケジュールに同化させる必要がある。そんなプロ野球関係者は、おそらく普通の人から見れば鬼のような性格をしているはずだ。
石井一久のような例外はあるけど、たいていのプロ野球関係者は、奥さんに厳しい。奥さんがきつく叱られるエピソードなんて、たくさん聞いている。意味があるとはいえ、一般家庭から見たらモラハラも同然だろう。
大橋の元旦那は、大橋が脳梗塞で倒れて以後、賢明に看病していたらしい。でも、それが優しさに基づくものではなくて、僕の父のように、義務感から生まれたものだったとしたら? そうであれば、彼女は病気以前から、昼夜を問わず責め立てられていたかもしれない。
大橋と僕の母が違うのは、大橋は十分に魅力的でかつ自分で稼げる立場だったこと、病から復帰することに成功したことだ。もし僕の予想通りであれば、僕の母と同じように、大橋がどこかの段階で離婚を考えるのも無理はない。そして彼女は脱出に成功した。
これはあくまで自分の予想に過ぎない。もしかしたら、この予想は外れていて、大橋は本当は男を捨てるのに躊躇がない悪女なのかもしれない。でも、自分の予想もそこまで間違っていないのではないかと思っている。
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家にある睡眠薬全部飲みました…(1)
ありがとう…(1)
「メサイアコンプレックス」という言葉がある。
実際はモラルハラスメントなどに通じる考え方であるが、ここではちょっとネット向けにアレンジした理解として、「個人の問題や悩みを解決するために、わざわざ社会を変えなければならないと考え、それを呼びかける人」のことを指すこととする。「スラクティビズム」という言葉と親和性持たせる感じね。
例えば、自分がオタクとして十分なアイデンティティの充足が得られない人が、「今のオタクは間違っている。正しいあり方に直さねばならない。私が主導する」といい出したり、例えば、左翼やリベラルとして十分なアイデンティティの充足が得られなかった人が、活動の場を求めて、他に誰も問題視していないことを大げさに騒ぎ立てて自分の存在感をアピールしたりtogetterまとめなどを使って拡散しようとしたりする事案などがそれに当てはまる。
そういう人たちが、自分の問題と社会の問題を「リンク」はさせつつも「別の問題」として扱えるのであれば問題はない。当然のようにつながりはあるが、それでも自分の問題は自分の問題、社会の問題は社会の問題として、それぞれの課題を分離できるならいいのだ。
だが、大抵の人はこの2つを混同してしまう。というか、そうでもなければ、わざわざ社会の問題なんて考えようという人はそうそういないだろう。
だけど、これはわざわざ難しい事をやって、わざわざ行き詰まるように自分を追い込んでいる。セルフハンディキャップよりタチの悪い、約束された失敗に向かって飛び込む破滅願望のようなものだ。自分に酔っているだけで何の役にも立たない。
いわゆる「心の贅肉」というやつだ。
そういう贅肉がある人は羨ましい限りだ
それにしても学歴が高い人に有りがちな「自分のことだけ考えていてはいけない」という強迫観念があるのかもしれない。
最近はそうでもないと言われるが、やはり良い大学に行った人や、
本人はそうでなくとも親が良い大学に行っていたり医者だったりする人は、
多かれ少なかれエリート意識と言うのはまだ残っている人が多い。
そして、エリート意識というのは、正しく扱わないとその人間を蝕む毒になる。
数十年前の学生運動というのは当初、東大や京大などの人間が真面目に考えすぎた結果、こじらせてしまったところが出発点だった。
せっかくいい大学に通わせてもらったののに、他人より恵まれた立場にいたはずなのに、自分は何をやっているのだろう、自分だけ幸せになっていいのか、社会はこのままでいいのだろうかと余計なことを考えて、ふわふわした感覚のまま社会を変えなければならないという気持ちだけが先行してああいうことになった。
彼ら彼女らはとにかくクソ真面目なのだ。クソ真面目すぎて、背負う必要もない責任を抱え込んで、それをどう扱っていいのかわからないまま混乱してしまったのだ。
最近はてなブログでこれに近い、クソ真面目な人が混乱しながら書いたんだろうな、という記事を読んだ。
東大に次ぐ日本で二番目に難しい文系大学を出たあとニートになったりすれば、その鬱屈した感情は非常に強いことだろう。
ああ、エリート意識を持て余し、メサイアコンプレックスに取り憑かれているなと感じる。
だが、タイトルに革命、のような言葉をつけているわりに記事の内容は幼稚としか言いようがない。
自分に酔っているなとすぐわかる。
大学卒業したての人間が、雇われずに生きていくと言っているのと近い。
願望を述べるのは良いが、具体性が足りない。そこに本気を感じない。
この人はシャドウ・ワークという言葉を知らないのだろうか。 良い大学を出ていても、あまり勉強してこなかったように思われる。
自分の問題から逃げるために社会の問題を論じているだけのようにしか感じない。
自分の現実から逃避するために適当に論じている人を見ると少し腹が立つ。
そういう人間が、私は社会の問題をちゃんと考えてます、というツラをされると私としては大いに腹が立つ。
今の社会はそりゃ間違っているかもしれないが、それでもとりあえずギリギリ成り立っている。
それを支えるために結構な労力を費やしているわけだ。
ブラック企業を支持する奴隷と言われるかもしれないが、すくなくともこの社会において
別に私でなければ回らないようなオンリーワンの仕事なんかしてないが、
与えられた仕事で毎日踏ん張って、自分だけでなくて家族を養って生きてるのだ。
他人から見たらつまらない人間に違いないだろうが、そういうことを蔑ろにされたくない。
そういうことすらろくに出来ないやつが、社会の変革みたいな大げさな話をしても鼻ホジでしかない。