はてなキーワード: その男とは
「実は、女は台所で美味いものを食べて楽しくやってるんですよ」という話で噴き上がったさす九。
じゃあ、実際はどうだったのか。1人の九州出身者(身体女)の体験談を、列挙していく。
もちろんこれは、単なる個人の体験談であり、また実際に以下の事象が起こったという裏付けや証拠を出せ!と言われても無理である。増田だから匿名だし。
ただまぁ、こういうことを経験したと主張する人間が、少なくとも1人存在する。
すごく賢い男の子がいた。
私と彼は、競い合っていたわけではないけれど、だいたいテストでいい点を取るのはこの2人だよね、的な空気がクラスにはあった。
ある時、別の賢い男の子が転校してきた。
あまり点数を気にしていなかった私も、2人の姿に競争心が刺激されて、点数を稼ぐための勉強をした。
ある時、私が満点で、男の子2人は満点を取れなかったテストがあった。
男の子たちは、私に凄いと褒めてくれた後、とても悔しそうに呟いた。
「まさか、女に負けるなんて」
私はずっと、父親から「お前が生まれたと聞いた時、駆けつけて『女の子ですよ!』と言われてガクーッと来たんだよなぁ」というのを、ジェスチャー付きで言われつづけてきた。
そして、祖母は「どうして男を産まなかったのか」ということで、ことあるごとに母をネチネチ虐めていた。
そして、従兄弟が産まれたら大騒ぎし、初めての男の子!と色んなプレゼントをし、男の子だから!とお金を渡し、やたらに可愛がっていた。
従兄弟はクズだったしバカだったが、それでも従兄弟の方が可愛がられた。
これで無関心になってくれれば良かったのだが、孫の中で唯一私だけが、ある程度進学校として名の通っている中学校に進んだので、祖母の自慢要員(アクセサリー)兼おさんどん係として、今後も振り回されることになる。ちなみにアクセサリーとして祖母に随伴してもお小遣いはもらえない。旨みなどまったくない。
私は、嫌になるほど祖母に似ていた。
外で歩くと、「あら〜増田さん(仮)ちの子でしょ!」と顔を見て言われるほどで、本当に嫌だった。
そして、祖母はおじ(父の兄弟)と似ており、私はおじの子だと間違われることがかなりあった。
私はおじも嫌いだったので、母に「また外で似ていると言われた。そんなに似ているか?」と愚痴った。
「そうねぇ、アンタは産まれた時からおじさんに似てるって言われてたわぁ。○○おばさん(祖母の姉妹)なんて、『本当に似てるわねぇ。何でそんなに似てるんだろうねぇ』って言ってきたのよ」
「えっ?それって」
「明らかに、おじさんと不倫したんでしょ、ってニュアンスだったわ」
ギョッとした。それからしばらく、なにも言えなかった。
田舎の小学校あるあるかもしれないが、会話していても本気で話が通じなくて苦痛だった(A=BでB=CならA=Cだろう、という会話で何でなんでそんなのお前の感想じゃんじゃあA=Dじゃん!みたいなことを喚かれる)。
だから脱出先を探し、幸運にも「親の出した条件」をクリアする学校が見つかったのでそこを受験した。
というわけで、若干遠い学校に通うことになった。
一時期、寮に入っていた。
その時、管理人(男/中高年/既婚者)が、授業中に無断で女子生徒の部屋に入っていたことが判明し、問い詰めたことがあった。
「下着も干している、プライベートな場所だ。なぜ留守中に入る必要がある、今すぐやめてくれ」
私の主張は鼻で笑われた。
「お前達は子供だ、親は部屋に入るだろう。俺は親代わりなんだから部屋に入って当然だ」
私は食い下がった。
「お前は親ではない。というか親だったとしても、親はわたしのプライバシーを尊重してくれる。留守中に、下着を干している部屋に無断で入ったりしない」
男は心底驚いた顔をした。
「それは、お前の親が、家庭がおかしいんだ。お前の親、おかしいよ」
周りには、部屋に入られた他の寮生もいた。
どうして下着を見られたくない、それだけのことなのに親まで詰られなければならないのか。
翌年から私は寮を出た。
私も、周りの子も、親や教師に相談をしたと思うのだが、奴が問題になって出ていく、みたいなことはなかった。
お前達は子供だからお前らの下着を見ても別に興奮しない、みたいなことずっと言ってたけど、疚しかったんだろうなぁ。キッッッショ(感想
あとは、その辺で陰茎出してるお兄さんとか本屋で尻触ってくる痴漢とかいた。あと、ちょっと気持ち悪すぎてここでは書けない(性被害の度合いとして酷いことをされたというより、なんかもうキショすぎて口に出すのを憚られる。周りからすると笑えることだと思うけど、今でもキッショいなぁ〜恥ずかしいなぁ〜口にできねぇ〜!って思っちゃう)ことがたくさんあった。この辺りは九州特有の、というわけではない気がするので今回は割愛する。
一般の、日本に生きる女子中高生としてよくある性被害を受けていた(これも大概どうかとは思うが)。
このあたりで、うっすらと「フェミニズム」が九州でも認知されてきたように思う。しかしそれは、九州的な「女がすべきこと(雑用)」を完璧にこなして男様を気持ちよくさせた上で男様の2倍の実力を発揮できるようでなければ、自分の権利を主張するな、という空気しかなかった。
今も変わらない?そうかな……そうかも……
部活は男女に分かれている一方で、用具の準備やらなんやらの雑用はかなり女子が多くやっていた。
理由は「女の方が弱いのに、同じ体育館を使わせてもらってるんだからその分部活に奉仕しろ」とのこと。
もちろんマネージャーもいて、お茶の用意などは基本的に彼女らが全部やってくれた。だがマネージャーであると同時に友達でもあるので、やっぱり時間があれば手伝うことも多かった。
「お前らは知らないだろうが、マネージャーはずっと俺たちにお茶を作ってくれたりと雑用をして支えてくれたんだ。お礼を言おう」
しらねーーーーーのはお前だけだがーー!!?!!?!?!(流石にキレる)
感謝の気持ちがあるなら毎回手伝えばよかったじゃん!?!?!?!?!?!?手伝ってたのは女子部員だけだし、女子部員は全員毎回誰かしら手伝ってたんだよ!!!!それも見てなかったの!?!?!?!?!?
最後に感謝して俺いいこと言ってる✨顔してんの、何なんだよ!?!?!?!
人が亡くなると、49日までお経あげたりと度々集まるような宗派だったので、私は毎回その集まりに駆り出され、おさんどんをさせられていた。
食事は、「気が詰まるだろうから」という「お気遣い」をいただき、台所で食べた。
「そんな扱いされると分かってるなら行くなよ!」とか「拒否れば?」って思う人も多いかもしれないが、こちとら物心ついたときから盆や正月、親戚が集まれば配膳や酒を注ぐやら灰皿変えるやらさせられていた九州の女である。手伝いに行くことに、疑問すら持たなかった。
お経を上げ、お墓参りに行く時、女衆は座敷のセッティングをして墓参り組を待つのだ。
ただ、みんな車に乗っているので、お酒の準備はないし、料理も既に用意していたりお弁当を並べるだけだったりして、正直女でも2人いればどうにかなる。というか、机動かすのとか男がやれよなって今なら思えるが、当時はそんなことも思い浮かばなかった。
最後の集まりの時、おじから「今までお墓参り行ったことなかったよな。今日は行くか?」と聞かれ、私はもちろんと頷いた。
ここまで、孫なのに墓に参ることもなく、おさんどんだけさせられて帰らされていたというのは(そして男の孫はそんな目には遭っていない)かなりグロい状況なのだが、そんなことには気づいていなかった。そして、初めてお墓見るなぁと、少しワクワクしていた。
お坊さんがお経を上げ終わり、じゃあみんなでお墓参り行こうかという準備をしていた。私は、ギリギリまでおさんどんして、残る人たちの負担が少しでも減るようにしていた。
「やっぱり、お墓参りはちょっと……今回は、家で待っててもらえる?」
と言いにくそうに言われた。
「今回は」も何も、一度もいけたことはなく、ずっと家で待っていたが?????おん?????????
と思ったが、絶対絶対お墓に行きたーい!みたいな情熱は無かったので、まぁそう言われるなら……と私は了承し、家で待った。
そういえば、私以外の女の孫は、みんな来てないなぁなんて思いながら、墓参りに参加するために急いで用意してしまいやることがなくなった台所で、ぼんやりと親戚一同が帰ってくるのを待ったのだった。
そんな中でも、鹿児島の人たちの話は強烈だった。特に、女性から聞く話はもう、上記のような経験をしている私からしても「おかしいよ!!」と絶叫するような話ばかりだった。
そのうちの一つが、以下に書くような話だ。
というか、胸の大小について、男性から公的な場所で、大っぴらに色々と揶揄われる。触られる。性的な言葉をかけられる。」
これまで私が受けてきたセクハラは、「性的な意図はないから!」みたいな隠れ蓑が必ずあった。建前というか、私は悪いことしてませんよ、と言うために本音を隠す「何か」があった。
でも、鹿児島にはそれがない。女にセクハラしようが何しようが、性的な意図で触ることが「悪」ではない。少なくとも、その場で眉をひそめられたり、他人から咎められることではないのだ。
私は中高生時代に、胸が小さいことをさんざん同級生に揶揄われたので、スタイルが良くて良いねと心の底から羨ましがったら、「胸が大きくていいことなんかない」と言われ、上記のことを教えられた。その後、鹿児島ってそうなの?と別の子に聞いたら、そうだよーあるあるーみたく言われ、本当にヤバい場所だなと認識した。
だから余計に、「鹿児島は本当にやばい、いわゆる男尊女卑とはああいうのを言うんだなぁ。私は普通でよかったなぁ」となった。
大学院に進んだ。
そこそこ名の知れた学校で、進むにあたりかなり頑張ったので、私はかなり鼻高々だった。調子に乗っていた。
父方・母方の祖母2人に、進学を報告した。
一方はかなりボケていたが、どちらも全く同じ事を言った。
「女がそげん勉強して、どがんすっ」
翻訳すると、「女がそんなに勉強して、どうする」という意味である。
小さく、私にしか聞こえないように、告げられた。
戦争で進学を諦めた、母方の祖母なら理解してくれると思ったけれど、この地はそんな祖母の気持ちすら奪った。恨むべきはこの地なのに、私は祖母が受け入れてくれなかったことを、裏切られたように感じてしまった。
大学院に進んだ後、同じ研究室の人と軽いパーティをしようという話になった。
買い出しで、私は当然、重たい水の入った袋を持った。だって運動部で、鍛えていて、そのくらい持つ力があったし、「男と同じように扱われたいなら少しでも男に甘えてはいけない、それはダブルスタンダードだ」という考えが、日常から、言葉でも言葉になっていなくても、骨の髄まで染み込んでいたからだ。
男性陣はそれに驚いて、「いいよ!増田ちゃんは軽いやつ持ってよ」と言ってきたが、ああそういう『ポーズ』ね、と思い「大丈夫だよ〜わたし力つよいし」とそのまま行こうとすると、
と言われた。
雷に打たれたような気持ちだった。
こいつは何を企んでいる?と思った。
どう対応すればいいのかわからなかった。初めての経験だったから。
頭が真っ白になっている間に、男性陣が荷物を持っていってしまった。
女の子だから、という理由で作業を免除されたのって、もしかしてこれが初めてじゃないか?書いていて思った。
さす九の何が嫌かって、「女は3歩後ろをついてこい」「外では俺を立てろ」と要求してくるのに、女を全然守ろうとはしないことなんですよね。女に守ってもらい、女にお世話してもらい、女に気持ちよくしてもらい、というおんぶに抱っこ。少しでも自立しようとすれば「だったらこれもやれ」「俺の世話も手を抜くな」「そこまでやって初めてお前は権利を主張できるんだ」と。
もちろんそうじゃない男性もいるとは思うんですけど、私が20ウン年あの地で生きてきて、荷物持ってもらえただけで衝撃を受けたってのは、やっぱりあの地に残る空気感、仕草、そういったものが日本の他の地とは違っているからだと思います。
普通に訪れたり、一人暮らしするだけではわからない、実際にあの共同体に組み込まれて、初めてわかるものがある。
中学生くらいの時から、欧米の女性は自分で何かをやり、自分で自立することをフェミニズムという!お前らは権利を訴えるだけ!見習え!みたいなことを言われたりもして、そうかぁ!そうだよなぁ!!ってしゃかりきになって勉強して自立しましたが、最近になって「欧米の女性はそもそも『お人形さん』『アクセサリー』のように大事に扱われるのがデフォだから、そこからの脱却を目指していたんだよ」と聞いてズコーーーっ!!!とずっこけました。
前提が違うじゃん!お前は割烹着きて家事育児して俺のご飯の準備とセックスの相手をして少ない給料でやりくりしてから好きなこと言え!働きたいなら最低限そのくらいしないと自立した女じゃない!みたいなのが日本の反フェミっていうかフェミが台頭したいならちゃんとしろよ論者が言ってきたことじゃん!?少なくとも10〜20年前の九州ではそう言われていた。
生きづらくて逃げに逃げて、逃げた先から昔いた場所を俯瞰して「やっぱあそこおかしかったんじゃ〜〜ん!?そこから脱出できた私えら〜い!!」って、今は自分を褒め称えようと思います。いやマジで頑張った、ありがとう、本当に今とても楽です。
上の話を読んでなんとなく察した人もいるかもしれませんが、私は小中学生時代、男の子になりたかった。
だって男の子だったら本を読んでいても、勉強していても、不細工でも、問題ない。何も言われない。変だとか、生意気だとか、言われなかった。
「男の子がよかったのになぁ」と言われることもなかった。
セクハラされることも、顔や体つきについてとやかく言われることもなかった。
一度、男の子みたいな格好をしてみた。別にそれで何か嬉しかったりとかはしなかった。
ただ、私が男の子だったら、こんな面倒なこと、摩擦が起きなかったのに、という、消極的な気持ちで、男の子になりたかった。
あの時、「あなたは本当は男の子なのよ」って言われたら、泣いて喜んでいたと思う。
私は男の子なの、男の子として扱って!となり、治療も受けていたと思う。
けれど、男になった私を、親族は誰も受け入れたりはしなかっただろう。跡取り(そもそもそんな立派な家ではないが)として扱われたりなんかはせず、ずっと後ろ指を刺されていただろう。
今、私は、身体違和を感じていない。
生まれながらの心の問題とは別に、社会構造として、男に憧れてしまう(少し意地悪な言い方だが)状況がまだまだある以上、そして誰も責任を取らない、取れない治療法である以上、成人前の子供に性適合治療をすることは、厳に慎むべきだろう。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240429/k10014432721000.html
そのうちに関根さんは眼の前の観客ではなく、テレビの向こう側の人たちに向けて笑いをするようになった。
これたしかにそうだったの覚えている。
いいとも、というのは「笑っていいとも!」という月~金までお昼の12時からやってた1時間のテレビ番組なんだけど、
普段はお昼にやっている番組が年に一回だけクリスマスにレギュラー総出で夜のゴールデンタイムに特番を放送する。
そのときのことをよく覚えている。
それは各曜日のレギュラー陣が、モノマネで競い合うというコーナーだったと思う。
輪島功一さんという元プロボクサーのモノマネをやっていた関根さんをテレビで見て、
僕と兄は大爆笑、もう笑い死ぬんじゃないかと思うくらい笑っていたんだけど、
テレビの中では会場は、シーーーーーーーーーーーーーン、としている。
全くウケてない。スベってる。
でも、その中でひとりだけ若い男性の笑い声が会場に響き渡っていた。
会場の中のSMAPとかを見に来ている女性には全くウケてないんだけど、
本当の笑いがわかるその男性だけは空気を全く読まずにひとりでゲラゲラ笑ってて完全に浮いていたのを覚えている。
今のテレビだったら、まずは芸人が率先してゲラゲラ笑ってウケている雰囲気を作るんだと思う。
でも当時はまだそういう番組の構成がうまく出来ていなかったのと、
有観客そして生放送、
そしてイレギュラーな特番で普段共演していないタレント同士の共演、
そういうことが二重三重に重なって、関根さんの芸が孤軍奮闘になってしまっていたのだ。
そのなかで、
会場の女性たちはシーーーーーーーーーーーーーン、
まるで理科の実験で互いに混じり合わない液体を撹拌した後に放置した後のように、互いが全く混じり合わず乖離していた。
そういうのをふと思い出した。
単純に子育てに興味がなかったし、仕事やプライベートに制限が起きることが嫌だったので、子供が欲しいと思ったことはなかった
それでも良いらしいので、プロポーズを断る理由がなかったので結婚した
ただ、こちらは「相手が誰であっても」「好き嫌い関係なく」子供は欲しくない、と思っていた
ところが、結婚して数年経った今、「好きな男の子供が欲しい」という感情が突如前触れなく降って湧いた
正直に言うともっと下品で俗っぽく、「好きな男に生で中出しされて種付けされた結果の、その男との間にしか産まれ得ない唯一無二の存在を持ちたい、初めての生中出しはその男に捧げたい」といった願望や欲求に近いものだった
そしてその感情の行先は夫ではない別の相手(ずっと昔から好きだった人)だった
この感情に気付いてから子供を持つことには興味を持てるようになったが、子供を作る相手のことを考えて足踏みしてしまうようになってしまった
夫との子ではなく、好きな男の子がほしい、好きな男との間にしか欲しくないのだとわかってしまったからである
しかしそれは叶わないから早いところ折り合いをつける必要があり、気付きたくなかったことに気付いてしまって困る日々を悶々と過ごしている
みんなどうして子供が欲しいんだろう、どうやったら普通に子供を作る方向に舵を切れるのだろう、みんな結婚相手と子供を作ることに何の迷いもなかったのだろうか?
昔、pixivを見てるとりんごという単語が入ったアカウントがあった
「修学旅行の夜、部屋の人間と好きな女子について話していた。しかし、一人の男だけ頑なに話そうとしない。茶化しても一行に話そうとしないので結局、いつの間にか寝てしまった。
そして、帰りのバスで隣に座ったその男からみんなが車内で流れる映画に夢中になってる隙に耳元で囁かれた、実は君が好きなのと」
…なんてめちゃくちゃな話なのだろうと思って
その作品は花火大会で出会った低身長の男に告白して、アナルセックスをするという物だった
R18である
私はそれを読みながらなんだかとても寂しい気持ちになってしまった
最初の作品を投稿してから二年間で投稿者は間違いなく性に触れてしまっているのだ
キスも知らなかった一人の人間が人の行為という物を知り、それに興奮して、文字に起こす
これがただ私は物語の様だが、売れないバンドマンが売れるために曲を変えてしまうようで
なんだか心がきゅっとなる
りんごを丸かじりするしか出来なかった子供がりんごをお酒に出来ることを知り、それを愛する人と共に飲むような
辿っていくと、作品は10個ほど書いてそれから投稿していないらしい。
投稿者は今、何をしているんだろう
男に抱かれてしまったのか、男女の恋愛を妬んでばかりいるのか、幸せな恋愛をしているのか
私はこんな歌を思い出した
「渡り鳥とんで行って春になった
哀しい実のにい花が咲く」
この前、銭湯行ったんだけど、年長〜小学一年生くらいの男の子とお母さんが入ってたんだよね。
「あの子男の子だけどけっこう大きいな…なんかやだな…まあ仕方ないか母親しかいないなら…」
と、多少不快感は感じてて。脱衣場で着替えてた時、やっぱりその子、じーーーーっと裸を見てたし、すっごい周りキョロキョロしてたし、わたしも近くで見られてた…。子どもなのわかるけど、すごい嫌だった…。
その後着替え終わってロビーでジュース飲んでたら、その男の子と母親がいて、横に父親もいたのね。
え?!父親もいるやん?!なんで父親の方行かない?!女湯だぞ?!って、びっくりしたよ。
今ってそう言うもん?父親いるなら男湯行かない?なんでそこそこ大きい子をわざわざ女湯に入れる?
部屋に行くと男が居てセックスこそしていなかったがお互いに裸だった。
ちょっとどうしたものか?と悩んだが幸い恋人がその男に帰ってくれというと男はそそくさと服を着て出ていった。
恋人は何か言い訳のようなことをまくし立て始めたがショックを受けてしまって何を言っているが頭に入らない。
もちろん年の差があるし恋人と書いているものの愛人であることはわかっている。
隠れて男と会っていることもあるだろうこともバカではないので頭では理解していた。
それでもやはり目の前で恋人が他の男といるところを見ることは衝撃を受ける。
本当に皮肉なことだと思う。
若い頃、女が欲しくて欲しくてたまらないころには金も地位もなく誰も僕のことなど振り向いてもくれなかった。
あふれる性欲を自慰行為や風俗で発散するしかなかった頃に今の恋人が居たのならいくらでも満足させてあげることが出来ただろう。
結局、悪いのは僕なのだ。
恋人にもよくない人生を歩ませているし、そろそろ精算するべきところが来ていたのだ。
別れたほうがいいと思う。
今、あなたが住んでいるところはあなたにあげるし、これまであなたにあげたものももちろんすべてあなたのものだ。
そして幾ばくかの手切れ金も渡せると思う。
そういうと彼女は怒り始めた。
「お金なんかじゃない」
なるほど。
でもお金以外の何があるんだ?
グリーン・インフェルノを唐突に思い出したのでネタバレありであらすじを描く
アマゾンの環境を破壊して原住民をおびやかす開発工事を止めさせよう!と仲間たちとアマゾンへ
何人かはグロ死にし、生き残った主人公たちはジャングルのど真ん中で野生動物に怯えながらサバイバル
そこでアマゾン原住民に出会い、助かった!と思いきや彼らは他部族を食らう食人族で捕まってしまう
順番に解体され喰らわれる仲間たち
部族の女たちがキャッキャと雑談しながら日常風景みたいに人間を単なる食材として調理していく
囚われたアメリカ人たちのうち、女性陣は部族を治めている老婆に処女検査され、唯一処女な主人公は花嫁として迎えられる
でも割礼されそうだしなんとか脱出
部族の男たちが集団でどこかへ行って警備が手薄になったため可能だった
その男たちは、工事現場に行き伝統に反する開発を止めるために戦おうとしているのだった
現代的な武装をした者たちに銃撃され、あれだけ恐ろしい食人族は主人公の目の前であっさりと虐殺されていった
奇跡の生還で時の人となった主人公は、食人族のことを隠し仲間たちは全員ヘリ墜落で死んだのだとインタビューで話した
原住民たちが助けてくれた、優しき彼らの文化を尊重し開発はやめ自然保護をするべきだと主張して主人公は自然保護活動を続けた
監督は「ネットでかぶれてるだけの偽善者へのアンチテーゼ映画」と話しているそうだが
ネットでかぶれていただけのエセ活動家が、目の前で現代文明による一方的な蹂躙を見たことでガチの活動家へと覚醒したということなんだろうか
うちの常駐先の管理職の40代の男性、さっぱりした髪型をした中肉中背の快活な男性で、イケオジに分類される方だと思う。そして、プロパー社員のみに人権があるその会社において、派遣に対しても気さくに話しかけてくれるし、スーツや髪型を変えたら軽く話題に触れてくれる程度には変化に敏い人でもある。
しかし、昨日自販機コーナーで20代くらいの女性のプロパー社員がおしゃべりに花を咲かせていたのだが、内容がその男性管理職についてで、まとめれば「一々髪型の変化とかに触れてきてきしょい。セクハラ親父かよ。人事に訴えたい」みたいなものだった。
「髪切った?」はとりあえず話をふくらませるきっかけとしてタモリの会話の手法としてよく使われる定番手法だけど、あれはタモリだから許されるのであって、一般男性であればイケオジに分類される方であってもセクハラ扱いになる。タモリメソッドを使っていいのはタモリだけと言うのがよく分かる一幕だった。
ツッコミどころとして、何で私みたいなのがいたのにその女性社員は話を続けたかについてだけど、この常駐先は先述の通りプロパー社員にしか人権がなく、派遣社員はただのモブかNPCである。
直接指示を出す管理職であっても(今回のイケオジ管理職含む)名前や苗字で呼ぶことはなく呼称は「派遣さん」だし、直接関わることのない平社員や他部署の人間であれば、こちらから挨拶しても無視するような社風である(しかし挨拶しないと教育がなっていないと速攻で会社にクレームが入る)。今回の件も、派遣社員である私がモブかNPCでしかないことから、私がそこに居合わせても話を中断する理由にはならなかった、そんなところだろう。
ちょっと愚痴りたい。当方40代♂、弱男に近しい者である。就職はしてるけど、お金はあまり持ってない。障碍者枠で民間企業で働いてる。これはどうでもいいか。
昨日の夕方に、近所のスーパーに行ったんだよ。田舎だからそこまで大きい店じゃない。
それでさ、1週間に2回くらい、とある女性店員にレジを受けてもらうんだ。この子は、おとなしめでふっくらとしてる感じで、真面目そうなのが印象的だった。マスクしてるから顔はわからないけど、きっとかわいいんだろうなって。
昨日のことだ。俺の前にとある男性が並んでいて、その子にレジを受けてもらっていた。
すると、なんか「あっ」と驚いた様子だった。その男性客が。
それでさ、会計を終える時に、「○○さん。髪の感じ変わってますね!」って言ったんだよ。その子は、顔色を変えずに「そうですね」って言ってた。
俺の番が来て、淡々とレジ打ちが終わって、商品をマイバッグに詰めようとしてると、その子が隣のレジのおばさんに嬉しそうに声をかけていた。
「わたし、あの人に前髪切ったの、わかってもらえたんですよ!? わかってもらえたんですよ~」
「えー、そうなんやー、すごいやん~」
「やった、やった!!」
あの男性客は、見た感じは40代くらいだった。俺と同年代のおじさんである。しかし、見た目はアルファオスだった。
小ぎれいな作業着だった。ほぼ真っ白の。現場で働いているにしてはキレイすぎる。内勤の人ではないかと思った。
あの人もマスクしてたから顔はわかんなかったけど、男の俺から見ても清潔そうだった。きっと体の表面に付いている細菌類とか小型虫とかも、俺のに比べてアルファオスに近いのだろう。
あー、愚痴ばかりで申し訳ないんだが……でもさ、俺にはそんな、女性に喜んでもらえた経験が少ない。性的な意味で女を興奮させられるような男じゃない。
昨年子どもが生まれ、育休を3ヶ月取った。都内の上場スタートアップ勤務ということもあり、男性育休には寛容な環境で、同僚からはお祝いにおくるみもいただき、前向きに送り出してもらった。
当然だが、とてもハッピーな気持ちで育休に入った。出産に立ち会って自然と流れた涙は、これまでの人生で最も無垢で、言葉にならない嬉し涙だった。仕事と子育てを両立して、より一層充実した人生を送っていくぞと意気込んだ。
しかし、育休中に痛感したことがふたつある。
まず、育休中は仕事をしていないので、育休を取ったからと言って仕事と子育てを両立したとは思えなかった。数ヶ月程度の育休は「特に大変な新生児期を乗り切る手段」であって、「仕事と子育てを両立する手段」にはならないのが現実だ。
そして2つ目に、「両立」と勝手に言っているが、それは自分だけの問題なのかということ。子育ては夫婦の共同プロジェクトだ。義務教育までとしても15年を要する、一大プロジェクト。そのプロセスにおいて、当然、妻には妻の「両立」がある。
育休は子育てのほんのプロローグに過ぎず、その後が本番と言ってもいい。
3つそれぞれの満足度(納得度の方が適切かも)のバランスをどうやって保っていくか。中長期的にはこれが1番のテーマで、もはや、要素がふたつであることを前提にした「両立」という言葉で捉えること自体が、時代遅れに思えた。
妻はメーカー勤務で、仕事好きな人間だ。バリキャリ志向ではないが、自社商品を愛してやまないタイプで、今後もフルタイムでの仕事を望んでいる。彼女が仕事を通して充実感を得ることは、一緒に生きる私や子どもにとっても大切なことだ。
私は会社に働き方の相談をした。フレックスがなく、リモートにも回数制限があるため、せめて後者は緩和できないかと。しかし残念ながらその交渉は実らなかったため、転職を決めた。
次はリモートかつフルフレックスの環境で、幸いなことに年収も大きく上がるオファーをもらえたので、自分自身の問題は解決できたが、これだけ少子化が社会問題になる中でも、子育てと仕事の両立に優しくない現実を突きつけられたモヤモヤは消えていない。
経済合理性が伴う事由や、事業を左右するような外圧がなければ企業は変化しない。女性社員の活躍を進めて社会情勢に応じつつ、男性社員にはこれまで通り仕事にフルコミットさせたい。これが経営者の本音だろう。
しかし、その男性社員に子どもがいるとなれば、しわ寄せはパートナーの女性にいき、どこかで働くその人のキャリアを制限し、家庭の幸福度の総量も減らす。間接的に女性活躍を阻害しているわけだが、大半の企業は「知ったこっちゃない」と言うだろう。
だから思う、男性こそ子育てを理由に転職した方が良い。環境や制度を変えなくても男性社員が辞めないから、企業も変わらない。賃上げだってそうだろう。
厄介なことに、子育ては本当に千差万別。子の性格や体質、家庭の経済力、時間の柔軟性、幼稚園や保育園の環境、本人やパートナーの体力、実家の頼りやすさなど、いろんな変数で難易度が変わる。
カードに恵まれただけだったかもしれないことに想像が及ばず、n=1の個人的な体験談で断じてしまう人もいる。そういう人が上司や経営者の会社にいるなら、すぐに転職した方が良いと個人的には思う。
少子化と人手不足が課題の社会なのだから、共働きで子育てもしようという自分は多少わがままを言ってもいい。自分にそう言い聞かせることで、同僚に迷惑をかけることを頭から消して長めの育休を取り、転職も決めることが出来た。
仕事より家庭、という安直な二元論では捉えていないし、仕事ももちろん頑張っていくが、「仕事=今の職場」ではないはずだ。
繰り返すが、男性こそ子育てを理由に転職した方が良い。それが大きなうねりになれば、いろんな問題が少しずついい方向に向かうように思う。
割と人が多い大型公園で子ども(未就学児女の子)を遊ばせてたら、やたらと声をかけてくる男の子に遭遇した。
楽しそうに滑り台で遊んでいる様子だった。
初めは同じ遊具だけど別に遊んでたしそんなに興味が無かったから、他の友達と楽しく遊んでるのかなーくらいに思ってた。
(なぜかサンダル履きだったのが気になってたくらい)
私の子どもはその滑り台が楽しかったみたいで4回、5回と登っては滑り降りていたんだけど、6回目くらいに親の私に声をかけてきた。「ねえ、この子なんて名前?」
面倒見の良いお兄ちゃんなのか?と少し思うも違和感を感じ真面目には答えなかった。
その後も次に滑り降りてくるたびに「ねえ、この子の名前は?」「何歳?」「誕生日は?何月何日?」と聞いてきて、(あ、これヤバいやつだ、、)となりその遊具から離れた。
幸い子供に対して触ろうとしたり、手を繋ごうとしたりという行為は無かった。
少し離れたところで、持ってきていた飲み物を飲ませながら様子を見ていたが、男の子はまだ楽しそうに滑り台で遊んでいた。
だが、その子は1人だった。
他に4〜5人ほど同じ滑り台で遊んでいる子がいたが、誰とも一緒に遊んでおらず親も近くには居なさそうだった。
しばらくすると、近くにいたベビーカーを押している別のお母さんに話しかけていた。
どうやら同じこと(親への声掛け)をずっとしているようだった。
これが噂の放置子か、、
と、安堵した。
小学校1年生の頃は、知的障害の男の子を庇っていた。その子は男子にからかわれることが多く、その度に間に入って男子をたしなめていた。その男の子には懐かれて、からかわれるたびに私のところに逃げてくるようになった。2年生になるとその子は転校していった。
小学校中学年の時は、ある女の子が菌扱いされ始めた。○○菌がついた!汚ねー!みたいにはしゃぐ、クラスの邪悪な団結感が嫌だったから、私はクラスの全員が各々独自の菌を持っていることにした。足の速い子の菌がつくと足が速くなり、勉強得意な子の菌がつくと頭が良くなる。クラスの中で○○菌はご利益的な意味に変わっていった。テスト前に頭のいい子の菌を分け与えてもらうみたいになった。徐々に菌ブームは収束した。
その女の子は明らかに知的障害を持っていて、頭はフケだらけ、人前で鼻くそを食べたり、衣服が汚れているような子だった。人が嫌悪感を示す身なりをしていた。コミュニケーションをあまり取れない子だった。
その子にまともに話しかけるのは私と、後に生徒会長になる私の友達くらいで、別室登校しているその子に給食を届けに行ったり、クラスに1人で入れないときは手を繋いで一緒にクラスに向かったりした。
特別その子が好きなわけでも、仲良くしたいわけでもなかったし、正直汚いのは嫌だった。それでも、下手したらいじめに発展しそうな彼女の周りを取り巻く空気感が嫌だった。
クラスの人間達が、作文などで友情や絆の話をしたり、体育祭や文化祭で団結しようと意気込んでいるのをみても、その子の存在を無視したり冷たくしているくせに何言ってるんだと思っていた。
修学旅行のとき、班分けはその子と生徒会長と私、その他無害そうな男子で固められた。男子はこの班割りに不満げだった。移動中のバスで隣の席になり、私が窓側、その子が通路側に座っていた。その子が突然吐いてしまった。私ももらいゲロしそうになりつつも、この子がただでさえ具合悪いのに、さらに辛い気持ちになるのを防ぎたかった。大丈夫だよと言いながら、前の席に流れて行かないよう素手でゲロをせき止めた。徐々にバスの中に混乱が広がっていく。臭い、ありえない、キモい、みたいな発言が飛び交った。みんな根は悪いやつじゃないはずなのになんでそんな配慮のないことを言えるんだろう。その子は泣いていて、私はその子を慰め続けた。その子に貸したハンカチはゲロまみれになった。私も吐きそうで泣きそうだった。先生と私で一緒にゲロを片付けた。
そんなこともあってか、その子は私によく笑いかけてくれた。多分信頼してくれていた。でも私は同じ人としてというより、動物とか庇護する対象のように思っていたのかもしれない。
卒業したらその子は支援学校に行ったと聞いた。高校生になって地元のお祭りで、その子に再会した。昔よりも言葉もはっきりしていて、新しい学校で仲のいい子ができた、学校が楽しいと笑顔で話していた。会話もできるようになっていたし、身なりもまともだった。動物のようだったのに、人間らしくなったと思った。
そのとき私はぶっきらぼうな態度をとってしまった。庇護対象じゃなくなって、優しくする必要がなくなったから。私のそんな冷たさに彼女は気づいていないようだった。今も気づいていなければいいなと思う。
私は偽善者なんだろうか。
かつての同級生のことを冷たい奴らと思っていたけど、私の方がよっぽど嫌な奴なんじゃないか。
優しくすることで見返りが欲しかった訳でも、褒められたかった訳でも、周りから善人だと思われたかった訳でもない。その時はそうするのが当たり前だと思っていた。辛い思いをしている人を見るのが嫌だった。居心地の悪い雰囲気に身を置きたくないだけ、全部自分のためだった。他の人が面倒見るなら、やらなくていいなら別にやりたくなかった。中途半端な正義感なのか、義務感というか。
あるコミュニティで冗談めかして何かをdisりあう状態が発生する
私もそれに参加する
私にストーキングする男は何かをdisる私に自己投影し、私が心の底から他人を卑下してるのだと勘違いする
無論それはただのノリに過ぎないのだが、その男はアスペルガーも併発しているので、それが冗談であることが理解できないでいる。
意味のない無駄なコミュニケーションを行ってることはそこにいる全員が理解しているのに、その男だけはそれが冗談を含んだ時間潰しであることを理解できないらしい
私を自己愛性パーソナリティだと印象付けるためにありとあらゆる嫌がらせもする
私は美大出身で厳しい講評会も経験してきたし批判も重要なものだとして受け入れてきた。