はてなキーワード: Google八分とは
今まで何度も追及を受けるも躱し続けて勢力拡大をしてきたカルトの帝王・統一教会。
同じく毎年多数の苦情や被害相談があっても勢力拡大をしてきたマルチの帝王・アムウェイ。
この2つの団体の悪行を具体的に知ったのは悪徳商法マニアックスという今は亡き(今もあるみたいだけど普通の人は読むことはできない)掲示板サイトの投稿によってだった。統一教会やアムウェイの被害投稿がたくさんあったのだ。
サイトが現役だった00年代は、こんだけ被害が出ていても規制する法律はなく行政も何もできず、「やったもん勝ち」の時代であり、そうやって日本の、世界のインターネットは発展してきた。
それが2022年、統一教会は過去一番の糾弾を受け、アムウェイも行政処分を受けた。時代が変わったと感じる。
悪徳商法マニアックスは、Google八分を受けて潰れていったサイトだった。当時は「Googleが検索結果を操作して特定サイトを表示させないなんて」という驚きもあったけど、今はGoogleの検索結果が操作されて都合の良いサイトしか表示されないのは誰でも知っていることとなった。
SNSでは一般企業の「ずるい商売」については個人ですぐに告発されて拡散されて企業側が謝罪することになったりするが、統一教会やアムウェイなんかの巨大組織の悪徳商法だと組織的なSNS対策を上回れず無力に感じる。どっしりと淡々と投稿を積み上げる告発掲示板は今でも必要だと思った。
これ系は広告ブロックでも消えないし、google八分にもなってない
まとめてみました!系は消えつつあるけど、特に上2つは多い
gettyとかshutterstock系の画像を全部消して、そのスペースを圧縮してくれる広告ブロックツールはないものか
ほんと邪魔
Google八分みたいなのは非常に嫌です。しかし、YouTube、Googleといった私企業のプラットフォームに間借りしている時点で、避け得ない問題だと考えます。ツイッターやフェイスブックのようなSNSでも管理者によるBANは起きますが、これも同様です。
究極的に言論の自由を押し通したければ、自分でサーバーを建てて、既存の動画投稿プラットフォームやSNSに間借りしないで、プラットフォーム自体も自力で構築するしかないと思います。
新聞の投書欄に投稿して採用されないのを言論弾圧と言いますか? 最初から主導権は新聞の編集者が握ってる場ですよ。だったら自分が新聞発行者になるしかない。
「独占的な大企業は社会に対する責任がある」とおっしゃいますが、15年前には多数の人間がみんな利用する動画投稿プラットフォームもSNSもなく、みんな直接テキストサイトをアップしていたじゃないですか。
他人の作った場を間借りする以上、場の提供者に削除の主導権を握られるというリスクは甘受するべきだと思います。個々のユーザーと動画投稿プラットフォームやSNSの関係は契約で成立しているんですから。
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どのような言論でも言論の自由を保障すべきというのはひとつの立場として理解します。
とはいえ、明らかなるデマや誤解に立脚した論は消えて欲しいです、でないと間違った見識が再生産されて拡大される。これは当然左翼リベラル派の主張でも同様。
現状のヘイト動画サイトは、明らかなるデマや誤解に立脚した論が多いので、そういう物に関しては削除されて然るべきです。何か調べようと思って、検索結果の上位に来た動画で堂々とウソが語られていたら困るでしょう。
自分は何も、ネトウヨ動画は全部消せと言ってるわけではない。事実に立脚しつつ、中国政府や韓国政府を批判してる動画ならば大いに結構です。
YouTubeとて、なんJ民の通報を片っ端から何も考えず受理しているわけではないでしょう。通報されたサイトで、「なるほどこれは過度に偏見的過ぎる」「個人攻撃的過ぎる」「事実に立脚してない」と思える物を削除してるのではないですか。
「削除すること」も表現ですよw
彼らの主張には賛成できかねますが、それは直接・または間接的に反対意見を伝えることで彼らが自主的に転向することを期待していました。
また、YouTubeやGoogleのような独占的な大企業は社会に対する責任があるので利益のために何をしてもいいとは思えません。
スポンサーが逃げるから(経営上損だから)BANという理由を認めてしまうと、例えば労働争議に対する労働者側の意見や公害問題に対する被害者の意見を封じ込めることも肯定してしまうことになります。
現に古くは悪徳商法マニアックスがGoogle八分になったり、最近だとamazonが粗悪なUSBケーブルに対する批判的レビューを削除していたりしていますが、あなたはそれを肯定できますか?
色々手繰って調べると、プライベートモードになっているようだ。
いぶかしみながらも思い当たる節はあるので、メールを確認すると、はてなからの「重要なおしらせ」メールが来ており、ISP責任制限法に基づく削除申立に対して照会を行ったが、反論も削除も無いので送信防止措置を執ったとの事。
しまった。
メールをあまり確認する癖が無い。だからメールがたくさん溜ってしまい、見落としてしまったようだ。
例えば有名どころだと、ネット上のスキャンダル事件を扱う「楽しくないブログ」がかの人物の行為と過去を掲載し、削除申請を受けた。
これに対し、楽しくないブログ管理人は記事を削除し、削除に至った理由、申立の内容に差し替えた。
ところがこれは、過去の出来事の類型が推測できることわりの文章であり、これにも削除申立が来たようだ。
今はエントリが完全削除されている。
エントリも無いし、ブクマにも何もコメントが無く、一切の事実が判らないのでURLを示すが、これだ。
http://b.hatena.ne.jp/entry/nvmzaq.blog.fc2.com/blog-entry-284.html
ほかにも記事はあったが、全て同様の経緯で削除されている。
これなども同様にエントリも見れず、ブクマにも一切のコメントもキャッシュもないので示すが、これだ。
http://b.hatena.ne.jp/entry/nvmzaq.blog.fc2.com/blog-entry-342.html
ねこら氏も同様の申請を受けて削除をした事件があった覚えがあるが、ちょっと記憶が定かではない(あったとしても記事は消えているから確認が難しい)
そもそも、私にしろ、楽しくないブログにしろ、過去の事を問題として記事を書いたりブクマしたのではない。
この人物が過去を消す為に逆SEOの手法を使っている事に注目したのだ。
今はGoogleの対スパムアルゴリズムが強化されてgoogle八分されているが、この人物のことを書いた大量のスパムblogがあった。
そこでこの人物のポジティブな履歴をワードサラダ的に並べた文章が投稿されていた。
blogの記事にもエントリにも全く関係が無いコメントをじゅうたん爆撃していたのだ。
友人同士でやり取りしているblog、ゲームのblog、趣味のblog、旅行のblog、日本舞踏のblog、全くのべつまくなしに、過去の出来事を書いた文章が下がるように同じようなコメントをじゅうたん爆撃していたのである。
これは今でも大量に残っていて、逆SEOの役目をしている。
googleで「学生時代に法学者 のセミナーを見て凄いと思いました。」とのクエリで検索するとじゅうたん爆撃の様子を見ることが出来る。
猛烈な数を見ることが出来る。
人物の過去の記述のうち、不都合な記述が何度も削除されていた。
これ自体は「忘れられる権利」として社会復帰に必要な編集と言えるかもしれない。
で、このユーザーは加筆も行っているのだが、この人物の新著の発売を履歴に書き加えているのである。
こうなってくると公益と個人の名誉を秤に載せた編集とはいえない。
この編集者、動機については、ブックマーカーなら好物であろう。
私が削除申立され、強制プライベート化された原因のブクマはこれらのうちどれかだ。
そうなるとどこの会社か?どうやって営業したか、が気になるところだ。
つまり、広告打って依頼が舞い込むのを待つのか?過去を消したい人に営業を掛けるスタイルなのか?
いずれにしても、blog乱立はやや迷惑な行為だが責められないと言えるが、blogコメント爆撃ははっきりと迷惑行為だ。
私にしろ楽しくないblogにしろ、逆SEOが行われている、更に迷惑な方法であるという点に注目したのに、当該人物の過去の記述という点に触れていた為に、名誉毀損として削除申立をうける事になった。
なお、はてなによると、指定された期間に反論の権利行使を行わなかったのでもう異見は聞かない、との事である。
dcvb.sytes.netというspamサイトで報告していたGoogle alert spamサイトだが、その後変化があった。
まず、このサイトが Google八分にあい、Google検索で一切引っかからなくなった。徳丸さんが報告しているこのあたり。
https://twitter.com/ockeghem/status/753359665971367936
https://twitter.com/ockeghem/status/753360671287283712
そして、dcvb.sytes.netもDNSがひけなくなり、閲覧できなくなった。
しかし、このまま終わるはずもないと思っていたところ、少し形を変えて同様のspamサイトが出現した。違いは、こうだ
世の中には「程度問題」という単純なことが分からない人が沢山いる。オールオアナシング、白黒でなんでも考えてしまう人。程度によって話が違ってくるのが分からない人。
認知を簡略化することでストレスを軽減しているのだろう。言うなればストレス社会の家畜。おのれストレス社会めと貴方がたは武器を手に立ち上がるべきだ。
一方で「恥の暴力」という特徴的な現象も日本にはある。日本は「恥の文化」と言われるが、それは恥が大きなパワーを持つ国ということでもあるんだよ。
つまり、相手が恥ってことにしてしまえば勝てる。これが恥の暴力であり、村八分やGoogle八分の原理である。
で、実は「程度問題」と「恥の暴力」って相性がいいんだよ。「程度問題」って要するに解釈のねじ曲げじゃん?
「カネないから毎日カップラーメン食ってるわ」と聞いて「カップラーメン買えるとか金あるだろ」と突っ込むようなマヌケは居ない。
でも「疲れたからゲームしてた」と聞いて「疲れてるなら寝ろ」「ゲーム何時間もやるとか疲れてないってことじゃん」くらいのねじ曲げであれば、世間でいくらでも散見される。
程度のねじ曲げって便利で、テンプレに当てはめることさえできれば簡単に相手を陥れることができる。良い子は真似してはいけない。
我々のライトな日常感覚からしてもねじ曲げの問題が多発するのだから、もっとデリケートなことになるとそりゃもう大変で、
イジメとかセクハラとか夫婦喧嘩とかもっと哲学的なことでもいい。簡単に程度のねじ曲げが発生してしまう。
もはや程度の数値化で解決できる話ではない。なるほど一見あやふやなことでも数値化できるケースは多いが、じゃあ数値化のプロセス自体に客観性はあるのか?そこなんだよ。
中途半端にしか勉強しなかった理系とか一切文系を受け入れないようなガチガチの理系に多いけど、
数値化した時点でそこから先は完全に客観的な話になった、もう主観的なことは考えなくてよいと錯覚しやすい。
しかしその場合「何が」客観的になったかが問題なのだ。なるほど数字は客観的だ。数値化すれば客観的になる。
でもその数字は何を表しているのか。何が客観的になったのか。そういうことを考えないから、すぐ程度問題のワナにブチあたり、争いの余地が生まれるんだよ。
貴方がたも心あたりあると思う。理系の学会なんかでも、くだらないねじ曲げあいの応酬が見られたりするね?
これが文系だともっと簡単で、相手の主張に表面的であれ反していそうな文献を掲げて、読んだことはあるのか問い詰める。
読んだことがない=恥であるから、日本の文系は延々とそういう喧嘩をやっているのだね。
争いは同レベルでしか起きないという名言があるけど、本当にその通り。似たものどうしでしか争わない。
本当に異質なものどうしでは、自然と離れてしまう。いじめのように一方が暴力をふるっているならともかく、
双方が更格廬のようにボクシングしているのは、これはもう完全にお互い同類としか言いようがない。
向上心ということが世の中では重んじられるけど、それは支配の道具として用いられているだけであって、
実際に本当に文字通り向上心のある人は少ないものだ。上を見ているなら横の対立は気にならないはず。斜め下からの攻撃も、隣人の目も気にならない。
自己啓発では目標設定が強調されるけど、これもくだらない支配者の論理であって、本当に脇目もふらずに目標を目指している人はごくごく僅かだ。
で、日本人のいう「恥」というのも斜め上にいるみんなから足蹴にされているという妄想だけれども、これも真上が見えているなら気にならない。
でも真上って何?そこが問題なわけ。上には雲がたちこめてて真上にあるはずの星が見えない。そういう世の中だから。
だから意識して真上を見ようとする。そうすればたまに真上から光から差してくるのに気付く。
そうでもしないと恥の暴力に巻き込まれる。暴力する側かされる側になる。それくらい恥の暴力は強い。なぜなら程度問題と密接だから。
程度問題というのは言葉の曖昧性の問題とも言えて、さらに言い換えると先ほどの上空に立ち籠めている雲でもあるのだ。
例えば、人に嫌な態度をとられて止めさせたいときについつい余計な嫌味を言ってしまう。相手を恥の暴力に陥れてしまう。
仕事には必ず一番いいやり方が存在するのと同じで、こういう時ももっとも良い言い方(星)があるのに、その星に気付かない。
嫌な態度という「言語=雲」にとらわれて、その曖昧さを都合良くねじ曲げてしまうから、正解である星が見えない。
本当はスッと上空全体を見ることができれば、見ようとすれば、ふいに正解が見えるものなのに。それをしないから、恥の暴力が生まれてしまう。
世界的に見て日本は一国家としては必ずしも低い評価を受けてはいないが、1人1人の「日本人」という立場で見るに日本人は折衝力が極めて低い民族とみられているのは確かだ。
それは今に始まったことではなくペリー来航の頃から少なくともそのようになっていた。これは長年にわたる遺伝子の取捨選択の結果とするならば、その原因は日本の風土にあると言わざるをえない。
日本人は人に何か強硬な主張をされたり何か痛い部分を批判されたりした場合に、じっと堪え忍ぶ民族と思われている。
それは日本の古き良き付和雷同の文化では個が強く主張するのは好ましくなくて、少しへちまなことを言えば村八分やGoogle八分にされてしまう。
日本の風土を考えるとこれはさも当然のことと言える。底辺校でもデキる奴はデキるように見えるのと同じく日本でも主張の激しい人はいる。それは海外諸国の大多数では平均なのだ。
それが世界から見ていかに奇異に映ろうとうちはうちよそはよそであり郷に入れば郷に従ーえであるからそれ自体は問題ないと言えるが、それに付随していささか厄介な問題が付随しているということを今申し上げているのである。
具体的に話すと日本は何か言われたときに言い返すと基本的にバカをみる国でありだからスルー力がことさらに言われるのであることは想像に難くないであろう。
しかしよくよくつぶさに観察してみれば本当にコミュ力のある人間はちゃんと言い返せる。このコミュニケーション様体をアサーションと呼ぶのが一般的だ。
言いたいことも言えないこんな世の中じゃの言葉通り言いたいことを言えないのが人間にとって一番苦しい。その場で言い返せればいいが言い返せない時は裏で陰口をたたいたり
机の引き出しの奥にしまってある日記帳に怒りとともに激しく書き殴ったりするのが日本風である。それでも我慢を重ねているうちに無駄に耐性がついてしまうのが人間の設計の悪いところ。
人間は我慢というスキルを無駄に身につけてしまったがために、より良い適応のチャンスを失ってしまった。
つまるところ、その場で変に押し黙ったり変に意地悪な態度をとったり変にねじ曲げたりせずに素直に自己主張しなさいという話である。普通に接することのできる人間を人は最も信頼するのである。
だからホームステイなどした人の体験談に頻出するのが日本人はよくわからない人、それも単に変な人やシャイな人という意味ではなく、人として普通に接しにくい人とみられてしまう。
まあね。後から「実は分かってた、実は隠してた」なんてのがちょこちょこ出てるから、汚染水についてもどうだか疑わしいけども。
でもなんだかなあ。「技術的には簡単に計測可能なのに、隠してるんだ」と疑いたいなら、それだけの根拠が知りたいな。批判すべきでないトコまで東電や政府を批判したくないんだよね。なるべく原発を止める作業に集中してほしいから。
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「初音ミクがgoogle八分食らった」の陰謀論の頃から酷くなりだしたんだけどね。もう4年くらい前かあ。びっくりだ。
なんで彼らは、通常検索とかyoutubeには全然異常が無かった点を完全に無視してまで、陰謀論を展開したがってるんだろう(現在進行形)。
なんで印象操作業務の「有限会社COLORS」と、ぐるっぽを運営する別会社の「有限会社Colors」を同一視したがるんだろう。← つーかはてなキーワードも酷いな。印象操作の方の会社を紹介しやがってる。くるっぽさん涙目www
最初はただ陰謀論を楽しんでるだけかと思って、俺もノってたのに。
ネットの向こうには、どういう人間が居るんだろうか。俺が勝手に妄想してた「わりと理知的な人々」とは雰囲気が違うぞ。
ちょっと怖いなあ。