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はてなキーワード: 高度成長期とは

2021-11-09

anond:20211109223619

多分だけど、高度成長期より前と後では世の中がガラッと変わったので、高度成長期が終わって安定期に入った80年代以降は一続きの時代認識されがちなんじゃないかと。カラーテレビがとっくに当たり前でCDパソコン80年代のはじめには出て来てたしファミレスファストフード店も既に当たり前だったし。

さすがに高度成長期以前の生活がわかる人はネットにはもうあまりいないでしょうから。(団塊の世代から上?70代以上?)

2021-11-07

結婚しない&家を出ていかない人が増えたのは親の世代が割と幸せだったからでは

結婚しない&家を出ていかない人が増えたのは、その親の世代高度成長期にあたっていて比較幸せな家庭を築けたのに、子供の代になってから不景気なのでそういった家庭を築けない可能性が高まったので、家にいる価値相対的に高くなってしまたからでは。

従来は子供世代不景気にだけ注目が集まっていたけど、親との相対比較って線を考えてみてもいいのでは。

これ正しいかなぁ?なんかこの仮説を検証する資料はないかなぁ。

2021-11-05

戦後高度成長期の30年は一瞬(超円安時代

月着陸とかフワフワした演出の下で(映像高騰原発時代

でも少し前までは奴隷船と戦艦投機ブーム木造船、鉄造船時代

船医・軍医が要るようになって医者優遇されすぎて(モラル崩壊時代

私も骨になった

戦後高度成長期の30年は一瞬(超円安時代

月着陸とかフワフワした演出の下で(映像高騰原発時代

でも少し前までは奴隷船と戦艦投機ブーム木造船、鉄造船時代

船医・軍医が要るようになって医者優遇されすぎて(モラル崩壊時代((k(−っっっっっh

私も骨になった

戦後高度成長期の30年は一瞬(超円安時代

月着陸とかフワフワした演出の下で(映像高騰原発時代

でも少し前までは奴隷船と戦艦投機ブーム木造船、鉄造船時代

船医・軍医が要るようになって医者優遇されすぎて(モラル崩壊時代((k(−っっっっっh

私も骨になった

2021-09-29

anond:20210929162905

高度成長期までに首都圏に出てきて不動産を買った家庭は地価上昇の恩恵享受して投資資産形成ができた

バブル期以降の地価が上がりきった不動産を買った家庭・賃貸暮らしの家庭は、収入の伸びは不動産費用に食われてしまい、大企業総合職でもなければ資産形成どころではない

東京にローンを完済した家を持っている家庭の子供は、芸術系など収入不安定でも豊かな暮らしをしている

労働分配率主犯ではないと思うぞ

2021-09-27

大卒初任給

1970年 4万円

1990年 17万円

2010年 20万円

2020年 21万円

昭和だと、親と子の初任給は数倍違うけど、平成令和の親子は1, 2割しか違わない。

高度成長期はすごいっすね。

2021-09-15

anond:20210915131056

高度成長期のようながんばれば(がんばらなくても)報われる世の中でなくなって半世紀、そりゃそうなるだろ

2021-08-09

anond:20210809102034

栃木県ゆるキャラは、とちまるくんが一級品なので、県下自治体ゆるキャラ一覧を見せられても意味がないのよなあ

まあ栃木に限らず、単に人口ボーナスによる高度成長期の好況期に人が東京から溢れ出して関東の各地が潤ったというだけなのよな。

2021-07-29

anond:20210729070121

幼稚園小学校には夏休みの思い出を書くという宿題があるから、せめてそこに書ける内容を...と

これ。PTAと同じく、もう要らない物事なんだとおもう。役目を果たした、的な意味で。終わった文化、な捉え方でもいい。

終戦後、高度成長期には意味があったんだろうけどね。

2021-07-11

anond:20210711150157

失われた20年なんて恨みに思ってるのは氷河期だけだぞ

大多数の国民高度成長期バブル期アベノミクスを主導した保守政権を支持している

戦後の混乱期に社会党共産党政権を握っていたら北朝鮮みたいになっていたかもしれないし

2021-06-29

戦時中は反出生主義は流行らなかったのだろうか

当時の日本人にとっての死の恐怖は、今のコロナ禍よりも激烈だったと思う。

毎日のように繰り返される空襲警報と、子供すら徴兵する末期的状況があった。

当時の人たちが「子供を作ってもその子たちは幸せになれない」と考えていても不思議ではない。

仮に戦争が終わったとしても、焼け野原になった世界子供を育てていかなければならなかったわけだし。

まあ、戦時戦後に生まれてきた子供たちが社会人になる頃には日本高度成長期を迎えるわけで、その時の心配杞憂になったけど。

2021-06-23

anond:20210622212801

イギリスは1649年清教徒革命、1688年名誉革命を経て産業革命の素地ができた

フランス革命1789年だけじゃなく、1830年1848年にも革命が起こり、ナポレオン3世の治世に至って経済高度成長期を迎えた

アンシャレジーム解体されるときには何らかの騒乱は避けられないのだろう

日本1968年明治維新1945年占領軍改革を経て経済高度成長を迎えることができた

中国1949年共産党革命1980年代鄧小平改革開放による

2021-06-19

父の日によせて

父のことを思うとき、いつも思い出す光景があります

それはある週末、スーパーから自転車で、自宅までの帰り道。

当時私は24か25で、週末は友だちと会ったり、都心に買い物に行ったりすることが多かったんですが、なぜかその日は久しぶりに、父と自転車西友に行くことになったのでした。買い物のためというよりも、恒常的に太っていた父の、運動のためだったかもしれません。

スーパーから家まで自転車10ちょっとの道、なんとなく父が先を走り、私が追いかけていく中で、自然と父の背中が目に入って、思ったんです。

あれ、パパの背中、思ってたより小さいんだな…と。

身長170cmちょっとに対し体重は90kg近くあり、どちらかというと「大きい」印象を与える父でしたが、背中丸めママチャリをこぐ姿は、食卓ビールウィスキー焼酎ちゃんぽんで飲んで管を巻いているときよりも、少し縮んだように見えました。

父はその頃60歳近いので、多少は本当に縮んでたのかもしれませんが、小さく見える理由はそれだけじゃないこともわかっていました。私が就職したことで、私のほうの見え方が変わっていたんです。

その頃はネットバブルと言われた時期の真っただ中で、私はそんな会社ひとつに、運良く入れていました。

そこは日本ではわりと大きな「ITベンダー」とか言われる会社の子会社だったので、親会社からエラい人が続々と天下ってきていました。でも当時まだ光ファイバーはおろかADSLすらほとんど普及してない時代Windows 95が出てから数年って時代なんで、大手ITベンダー出身のはずのエラい人たちでも、じつはパソコンほとんど使ったことがなかったり、せいぜいメールの読み書きができる程度だったりしました。そんな人たちがいきなり、ネット会社役員として送りこまれてくるわけです。しか親会社セミナーと称して顧客集めのイベントを開いて、子会社に送り込んだ役員を登壇させ、「ネット御社ビジネスが変わりますよ」みたいな話をさせるんです。

そこで私がやってた仕事ひとつが、子会社に来て早々に付け焼き刃トークさせられる役員のために講演資料を作ることと、講演当日のカバン持ち(会場のプロジェクターパソコンつないだり。当時はパワーポイントみたいな大きなデータ相手先に送るのも、容量制限でできなかったりしたのです)でした。私自身もその会社に入るまでネットほとんど触ったことのないニワカだったので、資料作りといっても実際はもっとコアな先輩社員に依頼してネタ出ししてもらったりする、窓口的な役割です。

そんな、ニワカな私がニワカな役員サポートする不安な構図だったんですが、講演はそれなりに(多分)好評で、親会社主催のものだけでなく外部のイベント出張っていくこともありました。大きなホテルの「なんとかの間」とかの華やかな壇上で、スポットライトを浴びながらネットビジネス活用を語る役員たちは、頭頂部が多少ハレーションしていても(だからこそ?)、いかにもエラい人っぽく見えました。エラい人「っぽい」だけでなく、ニワカであっても数百人を相手に堂々と話ができる、それは一朝一夕には身に着けられないスキルだと今でも思います

大企業出身エライ人たちはトークができるだけでなく、部下の扱いも丁寧で、いや私が若い女からということもおそらくあったのですが、とにかくそういった講演サポート業務の後は、「お礼」と称して素敵なレストランなどに連れて行ってくれました。私はただ窓口になっただけなので、と言うと、じゃあネタ出ししてくれた人たちもみんなで、となり、ずいぶん大人数でごちそうになることもありました(それが会社お金だったのかポケットマネーだったのかは不明)。

そんなわけで私の会社の人たちは、上司も先輩も同僚も、そこそこ大企業文化の中にいて、都会慣れしていました。「肩で風を切る」ってほどじゃないにしろ、少なくとも必要ときには背筋を伸ばして堂々と振る舞える、そんな人たちが、いつの間にか私にとっての「普通」になっていたのです。

それに対し父は、そんな平成っぽいスマートさとは無縁で生きてきました。そもそも、なぜ私が父を「パパ」と呼ぶことになったのかまったく理解できないような「おとっつぁん」的な風貌だし、人前で話す機会があるとしたら会社の朝礼か親戚の法事くらい、しかも話がムダに長くてつまらない、と家族の中で有名でした。素敵なお店なんか結界が張ってあると感じていたらしく、まれ家族旅行で伊豆ホテルに行ったときには、入り口から赤いじゅうたんが敷いてあることにおののき、「あのー、この、じゅうたんの上、歩いていいんすけ?」(いつも語尾がモゴモゴしている)と質問して失笑を買った、とか、ファミレスアイスクリームを注文するときに、「フレーバーを選ぶ」という概念をまったく知らず、「えーこの、バニラチョコレートストロベリーアイス、頼んます」と全フレーバーを読み上げたとか、そんなエピソードには事欠かない人なのです。

そしてその日も、うら若い娘とお出かけの機会だというのに、会社作業服だか私服だかわからない、着心地だけが最高の服装で、ボロボロママチャリに乗って、西友に行くくらいしかできないのです。

でも私は、だからといって、父の存在が恥ずかしいとか、引け目を感じるとかいうわけでもないな、とも思いました。

しろ、その小さな背中にかかっているものの重さを、改めて感じたんです。

岩手県の奥地でだいたい10兄弟の3〜5番めくらいに生まれた父(兄弟姉妹の半分くらいが子どものうちに亡くなってるのでいろいろ曖昧)は、中学校卒業すると集団就職上京し、小さな運送会社に入りました。最初は15歳で運転もできないので、助手として荷物の積み下ろしから始めて、18歳で免許を取って運転手になり、20代でその運送会社社長の娘と結婚、30代で子どもが生まれ、それが私の姉と私になります。姉が生まれたあたりから家族会社のすぐそばに住むようになり、姉と私は毎日祖父や父、社員の人たちが働く姿を見ながら育ってきました。

祖父会社オイルショックかいろいろありながらも、高度成長期バブル景気でそこそこに拡大、多いとき社員(「若い衆」と呼称)数十人を抱えるまでになりました。祖父会社仕事より、地元運送業の顔役的なことをメインでやるようになっていたので、成り行き的に父が現場の切り盛りをしていました。

でも90年代バブル崩壊以降は会社の業績が右肩下がりになり、銀行から貸し剥がしを受け、頻繁に資金ショートするようになっていました。高度成長期に「若い衆」だった運転手さんたちも実際はもう全然若くなく、平均年齢50歳くらいになっており、お子さんがいる人たちもたくさんいました。2021年の今と違って景気は悪く、ネット通販からドライバー需要も発展途上で、万一倒産した場合ベテラン運転手さんでも簡単に次の仕事が見つかる見込みはありませんでした。

これがドラマだったら、私みたいなネット企業で多少の経験積んだ娘が家業に乗り込み、会社ITで立て直し、引いては業界全体を改革していく…となりそうなところです。でも、そうはなりませんでした。まず私自身、いきなり乗り込んで何か改善できるという自信がなかったし、何ができるかもわからないのに親のコネ会社に入るなんて、社員の人たちに申し訳ないと思っていました。また祖父や父には、私に苦労をかけたくないという思いもあったのだと思います

なので私としては、今にも倒れそうな会社というボロボロ自転車を、とにかく倒してはいけない、続けなきゃいけないんだという思いで漕ぎ続ける父を、ただただ後ろから、見守ることしかできなかったのです。

大きくて、小さくて、でもやっぱり大きくて温かい、父の背中

高価なスーツを着てスポットライトを浴びることもなければ、お洒落レストランに部下を従えていくこともない父だけど、私はどんなに誇りに思っていることか。

西友からの帰り道、緑道にかかる橋をのろのろと上っていく父の背中を見ながら、パパの子どもに生まれて本当に良かった、と思いました。

…こういう話って普通結婚式のときかにするんですよね。

照れくさくてなかなか言う機会がなかったんですが、このコロナ下でなかなか会えないので、今やっと言葉しました。

直接言えよって感じなんですけど、まあ、こういう人たちもいるよってことで、この場所に置かせていただきます

2021-06-13

発展途上国が羨ましい

これから始まるであろう「高度経済成長期」を、インターネットスマホが既に完備している状態で楽しむことが出来るわけでしょ。

日本高度経済成長期は1960年代~1970年代初頭までだったけど、当時はネットスマホも何もなかった。

テレビですら白黒からカラーに置きかえられていた時期だったし。

当時にネットスマホがあったら、日本社会はまた違ったものになっていたのではないか

自動車だってそうではないか

日本高度成長期は「交通戦争」と呼ばれていて、環境技術安全技術も未発達の中で車を運転しなければならなかった。

当時の映像を見ていると、当時の車にはシートベルトが装備されていなかったくらいだ。

でも今の発展途上国の人たちは、50年前と比べると格段に進歩している車に乗りながら、高度経済成長期の明るい社会を生きていけるわけだし。

2021-05-30

過去実績から経済成長

経済が停滞してるけど打開策ないなあ

そうだ、過去再現すれば高度成長期も再来するかも!

高速鉄道引いて

オリンピック開催して

万博も開催だ

実績あるから皆賛成で成功間違いなしだ!

日本経済勝利!希望未来へレディ・ゴーッ!!

2021-05-21

anond:20210521213209

現世で報われるならば強者男性と呼ばれるから

欧米白人六本木に行ったらどんな陰キャでもモテモテになる

高度成長期には日本人というだけで、発展途上国に行けば強者男性になれた

2021-05-16

anond:20210516074601

今の老人たちは

オリンピック以外でも

ほとんどそういう感じだろ

未だに高度成長期と同じだと思ってるおじいちゃんたち

2021-05-11

anond:20210511213527

しろ高度成長期に元気付ける歌が流行って、成長しすぎてからは斜に構えた曲が流行ってしまった

うっせぇわは現代暗い日曜日となるのか、それにしては曲調が明るいのでやはりまだ時代は腐り切ってはいないんだろう

腐り切った訳では無いのだろう

腐り切ってすらいないのでみんな中途半端再生出来ると思ってしまうし、中途半端再生できてしまうんだろう。

2021-05-09

anond:20210509115612

ワーオ、しらないんですか?

一般的ジャパン食卓では、ライスパンパスタナン蕎麦ジャパニーズヌードル)、各国の主食がならぶのでーす

高度成長期グローバル経済勝利した経験から、各国の主食を食すことこそがステータスになったんデスねー。

野菜や肉は一切食べませーん。これは仏教的な思想が背景にあるからデスネー。

2021-05-04

anond:20210504140746

高度成長期時代トラック暴走しまくってて子供が轢かれる事故が多かったのよ(交通白書参照のこと)

ちなみに今は速度リミッター付きのトラックばかりだから暴走してないけどね

トラックによる死が身近にあったか創作界隈での死の要因としてトラック轢死が多かった

その流れでネット小説で転生が流行して今まで継続していってるから今の感覚だとトラック死に違和感を覚えるのだろうな

2021-04-10

おもったんだけど、仮にあてがえ論を間に受けて弱者男性低賃金中年男性)との結婚に相応のインセンティブを与えるとする。例えば婚歴のない年収300万以下の40代以上の男性結婚した女性には国が毎月50万払いますとか。

悪徳結婚斡旋業者跋扈しそうだけど、まあ金があるならいいかということで、心根が良くてシャイなだけの弱者男性はある程度結婚できるかもしれない。

でもそうすると、もうこれでいいやということで、弱者男性として国にバックアップしてもらって結婚して暮らす人生モデルが既成事実化すると思うんだよ。40代までプラプラして女と適当にくっついて国に金もらおうみたいな。そうすると、かつて専業主婦でいいやとたくさんの女性専業主婦に甘んじた結果のように、会社の方も、一部のエリート以外の男性低賃金でいいや、仕事重要仕事やらなくていいよねどうせ国が養ってくれるんだしというように構造的にどんどん社会要職から追いやられていくことになるんじゃないの。

それでいい人はいいだろうけど、本当は社会の中心で働きたい下層出身男性からしたら階層固定化弱者男性支援婚をした男性の子供がまた弱者男性支援婚をする)とかなってかなりキツいことになりそう。底辺層で、お前は男なんだから大学行かなくてもいい金の無駄とか言われる時代が来そう。

そして男に求められる素養が、金は稼げなくていいけど愛嬌があって浮気とかしなくて大人しい、低賃金パートで年間100万稼いでよく家事をする、みたいな、高度成長期に望まれ主婦像みたいになりそう。

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