はてなキーワード: 確信とは
数年前に子宮体癌の検査をしたのだが、お医者さんに「痛ければ麻酔をするね」と言われ物凄く痛かったので処置の途中で麻酔をしてもらった。
恐らく注射による局所麻酔なのだと思う。とにかく痛かった事しか記憶に無く麻酔に関してはあまり覚えていない。
確かな事は「ちゃちゃっと麻酔してくれた」「処置後はすぐに帰れた」「痛みはほとんどなくなった」「意識に影響は無かった」という点である。
Xではちょいちょい子宮がん検診の鎮痛について話題になるが、その度に「子宮体癌の麻酔は静脈麻酔である必要がある」とお医者さんが発信しているのを見かける。
お手軽に痛みを取り除いてもらった身としては腑に落ちない。
複数の婦人科医が同じように発信しているので事実なのだろう。彼らは専門家だ。中には自称に留まる人も居るのだろうが、そうでないと確信を持てる人も居る。だからきっとそれは正しい。
では、あの日私は何の麻酔をされたのか。なぜ他の病院は同じように手軽に痛みを取り除けないのか。不思議でしょうがない。
あれはなんだったのだろうか。
どこがどう面白くないのかということなのだが、キャラクターがクール過ぎて、殺し合う際に格好つけているように見えた。
もっと泣いて叫んで笑ってほしいとおもう。
人気の五条悟にも憧れを抱けなかった。
弱者男性ってさ
話す相手がいないから脳内でイマナジナリーフレンドをなんとか生み出そうとしてるような状態なんだよ
道端で虚空に向かって話しかけてるおっさん見たことあるやつ少なくないはずだ
それが弱者男性なんだよ
間違いなく、確実に、お前らを殺すぞ
だって、社会の中で幸福追求の権利を剥奪されて孤独に生きてるんだから、最後に残された選択肢は自分が持ってないものを持ってるやつらを殺す以外の選択肢がないんだよ
他に選択肢があるなら、それを提示しないと殺されるのはお前らだぞ
じゃあ、お前が弱者男性と同じように家族も友人もまともな仕事もなく、誰とも関わらず孤独にひとりで余生を生きてみせろよ
出来ないだろ?もし出来たらなら大量殺人を企ててやってもいい
そのぐらい人生棒に振ってもいいぐらい、弱者男性の人生を引き受けることの出来るやつがいないことは確信してるんよ
好きな方を選んでください
中国は大国じゃなかった・・・?🤔 まぁ自称、発展途上国だが・・・
「中国は各国が公認する最大の発展途上国だ」「米国が中国に"先進国"のレッテルを貼りたがっても、それは実現しない」
ワロタw
つよい(確信)
https://news.biglobe.ne.jp/international/0514/rec_230514_1777406611.html
誤認逮捕なんだから警察と店の落ち度は大前提として、元小売従業員としては状況的に捕まった人を万引き犯だと思った店側の気持ちは分かる。
万引き犯、特に常習の人って複数人で手分けして万引きする場合があって、今回捕まった人の場合はまんまそのパターンなんだよね。
店内で商品を持って店員の目につきにくい場所まで持っていくやつと、そいつから受け取って店の外に持ち出すやつで役割分担してたりするんよ。
万引きって商品を持って店の外に出た瞬間に成立するから、店側は万引きっぽい動きをした人を店の外までバレない様に追いかける必要がある。
だけど、途中で商品を持ってる人間が入れ替わるとその難易度が上がる。
それで店側が確信持てずに見逃すのを狙うって訳。
で、グループで万引きやってる人達、特に家族ぐるみで万引きやってる人達は、俺が店員やってた頃の経験だと商品の持ち出し担当を高齢者に任せる事が多い。
人によってはボケてるふりとかもやるんよ(そういう人は大抵、常習だからすぐバレるんだけど)。
3日勾留したってのも、店側も警察も状況的に捕まった人を万引きの常習犯で仲間が居ると判断したんじゃないかと思う。
おそらく店としては相当確信があったか、あるいは万引きの被害が酷すぎてなりふりかまってられなかったかのどっちかなんだろうけど、誤認で捕まった人にはそんなのは関係ないよね。
店としては色んな意味で痛恨事になると思う。
万引き犯でもなんでもない普通のお客さんの評判が悪化するし、店員の万引き犯への監視が萎縮する可能性もある。
ガードがゆるくなった店って万引き犯同士で共有されて、集中的に狙われるんだよね。
客の立場で言うなら、こういうケースを絶対に回避する為には店内での商品のやり取りを避けた方が良い。
ぶっちゃけ店側からするとレジやサッカー台以外の場所で、商品を自分のカバンに詰め込んてる人は万引き犯っぽく見えるんよ。
店側がこういう誤認をしちゃう程度には万引き犯ってそこら中に居るし、その被害もバカにならない額になってる。
本当は人力じゃなくて機械で監視できるのが一番なんだけど、監視カメラだけじゃ死角はあるし作れちゃう。
元従業員としても客としても早いとこ安価なICタグが普及してくれるといいんだが、まだ難しいんだろうなぁ。
※追記
「レジを確認すればすぐ分かるだろ」ってブコメがあるが、この辺は店によるのでなんとも言えない。
大手(イオン、イズミなど)は機材も新しいから多分すぐ確認できると思う。
中小や個人経営の、それも古い機材を無理やり使ってる様な店舗だと、確認に時間がかかる可能性はあるかなと思う。
ただ16日に要請されて確認したら発覚ってことなので、逮捕された日の締めでは計算ミスや勘違いで金額合ってなかったけど再確認してみたら合ってたって事なのかもしれない。
店側の落ち度なのは確かなんだけど、これ別の人が万引きしてて金額合わなかったら逮捕された人どうなってたんだろうって気もするんだよな。
周りの全ての人間より、私は悪い意味で1歩前を進んでいる感覚がある。
「楽しそうだなぁ、二度と無い時代を楽しんでほしいな〜」
と微笑ましく眺めたことは誰もがあると思う。
この間は老夫婦が楽しそうに話して食事をしているのを見て、いいなぁ、あんな風に誰かと楽しげに食事をしていた時もあったなぁ、と感慨にひたってしまった。
人生の先輩に失礼だし、普段私と食事を取っている人達にも失礼な話だけれど。
ありとあらゆる人生における「喜び」の概念を享受できる時代が、私はもう過ぎ去ったのだ、という認識がいつの間にか形成されていた。
もうそれはもはや、人生を終えて天国かどこかにいるかのような心持ちに近い。
喜びを得られる時代は過ぎ去った、不可逆なものであるとどこかで確信めいている。
不幸せな訳でもなく、楽しみがないと嘆くでもなく、それを通り越して、喜びがないことを受け入れている段階に入っているようで。
けれども、別に死のうとかじゃなくて淡々と、週間天気を気にして洗濯物の計画を立てたり、歳をとるとシミになるって言うしね〜と最近の日差しの強さを気にして日焼け止めを買ったりしている。
死にたい人間は年老いた時のことを考えながら日焼け止めを買わんだろう、たぶん。
でも冷静に客観的にこの心理状況があまりよろしいものでは無いことも理解している自分がいて、これからもきっと楽しいことあるよ!なんて自分を鼓舞してみたりするが、なんだか自分にお世辞を言ってるみたいでどうもしっくりと来ない。
私は、青春時代どころか、人生そのものを、心のうちでは卒業していた。
全文読ませていただいて、とても腑に落ちました。
一人のオリジナリティ溢れる思想の強い人はキチガイだと扱われるけれど、
強固な確信を持たない人が、「徒党の一員になること」を渇望する。
集団に属すことで不安を解消したいのは人間の性なのかもしれません。
"自分の手の届く確かなもの・ことを大切にしてできることをしていくという姿勢こそが真の抵抗"
安易な扇動には惑わされず(きっと自分も安易な偏見に乗ってしまっていることもあるのだと常に疑いの目を持ちながら)
自分の大切なものを守り、できる範囲のことをやっていこうと思います。
流されるか抗うのか決断しなければならない、確かにそうですね。
文革、クメール・ルージュへの道が繋がっているように感じてしまって、強烈な悲しさや危機感を覚えました。
(九州の土人は九州外へ出すな、通行手形を作れというツイートが万バズしていましたし)
九州の話だけではなく、過激な言説が支持を得てSNSで大きなムーブメントが起きる事に対する功罪を考えて悲観してしまっていたので、とても助かりました。ありがとうございます。
そういうサイクルがあるのかもね。
一人だけでオリジナリティあふれる非合理的な思い込みに凝り固まってる奴は偏見持ちというよりただのキチガイと見られて避けられるが、
むしろそういう強固な確信を何も持ち合わせない不安な人間は「徒党の一員になること」「既存の主張に乗っかること」を渇望する。
ネット上の厄介集団の主張は誰一人として本当は心からの本気じゃないというのが
恐ろしいところでもあり、しかしそれらに流されない・負けないために己が立つ基点にもなるんじゃないかな。
負けないと言ってもネット上の口論に負けないとかじゃなくて、自分の手の届く確かなもの・ことを大切にしてできることをしていくという姿勢こそが真の抵抗だという意味で。
ネットのバズワードレベルじゃなくてたとえば文革とかクメール・ルージュみたいなスローガン地獄でも
それに流されるか抗するのか決断しなければならないわけで。
行動経済学や健康情報などについても、現代ではビッグテックのクラウドに保存されているケースが多く、
確信的なAIスタートアップなんかでも、結局はここに保管されているデータに乗っているに過ぎない場合がある、ということから、
超巨大企業による諸々の占有、ということはすでに語られてはいるけれども、意味合いをもう少し深めて考えてみてもいいかもしれない。
連れ去りがどうこうだけでなく、他のメリットもあるよってことを言いたい
父親が子どもに暴力を振るい母親が庇い続けるも耐えきれず逃げる、共同親権に反対の人にもわかりやすいシナリオだと思う
そういう場合はいいのよ、子どものそばにまともな大人が一人はいるから介入しても話が通じるし親権も持っているから様々な対応が取れる
夫婦どちらも虐待してる場合はそれより厄介だけど、夫婦の関係が完全に対等でなおかつどちらも積極的に虐待したいことはまずなくて大抵は片方に引きずられてる
その温度差を利用して切り崩すことは意外と簡単で(当たり前だけど従属してる側は不満を貯めてるから)、従属してた側も権利があるからその後は容易なの
で、問題は片親
男女関係ないんだけど話すと大体被害者意識を持っていて、自分は虐待したくないけどしてしまう、でもそれは仕方ない事なんだという言い訳を始める
これ、100%とはいわないけど90%はそう言う、経済的に困窮してるから虐待してしまうのだと
それならと生活保護の受給に協力してそれなりに暮らせるようになっても虐待をつづけるのよ
だから養育費の強制徴収には賛成だけど、養育費が入っても駄目だろうなという気持ちもある
そうなるとこちらとしては強硬な対応をせざる得ないし、基本そうしているけど問題は相手には親権という印籠があることでこれが厄介極まりない
一時は保護できるけれど親権を盾に抗議されると長期間は難しい、そして元鞘
今のところ子どもが亡くなったケースはないけど、入院したケースは幾度もあって本当に紙一重
親はベッドに横になってる子どもの横で泣いて謝ってるけど、こっちからしたら噴飯モノだよね
DVと同じく虐待親も虐待続けるくせに謝るのがとてもとても上手で、なんなら涙まで流して謝るけど退院して一週間もすればまた虐待するのを見続けてきてるし
児童虐待を防ぐについて何が一番厄介かというと、ただ一人が親権を持っていて確信的に虐待を続けるケースなのよ
そういうクズみたいな親から子どもを守るのに共同親権はとても有意義だと思う
何がいいって利害が対立している親がそれぞれ親権を持っているのがいい