はてなキーワード: 相関関係とは
B「そうだそうだ」
先生「こらぁお前らなにやっとるか」
A「ああ先生、ぼくらみんなに『C君には近寄るな、アホが伝染るぞ』って呼びかけてたんです」
先生「何言うとる、アホが伝染るわけないやろ。たしかにCには障碍があるけど、そんなんイジメやからすぐやめろ」
A「伝染らないって証拠はあるんですか」
B「万が一本当にアホが伝染したらどうするんですか。先生責任とってくれるんですか」
先生「本気で言うてるのか?」
A「でも伝染るって言うてる人もいっぱいいますよ」
B「アホからは『アホアホ光線』が出てて、それに当たると徐々にアホになっていくらしいですよ」
A「いえ、アホアホ光線が本当かはしりませんけど、知能指数が低い人間のまわりには知能指数が低い人間が増える統計もあるらしいですよ。C君の傍にいたら知能指数が下がっていく可能性は否定できないでしょ」
先生「その統計が本物かわからんし、仮に本当だとしてもそれは因果関係と相関関係をゴッチャにしてるやろ。そんなの理由にならん」
B「でも相関はあるし、なんか明らかになっていない理由でアホが伝染する可能性もあるでしょ」
先生「お前らなぁ……。だいたいCがああなったのは、車に跳ねられて頭を打ったからだろ。お前らも同じようになるかもしれんのに、イジメたりするな」
A「そうですよ、本当に悪いのは跳ねた車です。僕らは悪くないし責められる筋合いはありません」
B「だいたいC君の事故も最近みんなが話題にしなくなってきたし、このままでは風化しそうで、僕らも議論のきっかけになればと思って」
みたいな理屈を平気で言う人がいる。
この論理が自分の首を絞めてることにいつになったら気づくのか。
でも圧倒的に多いのはエロマンガ読んで致しているだけの人たちだ。
「エロマンガを読む→性犯罪をする」という図式の因果関係はまともに示されたことがない。
イメージだけがなんとなく徘徊しているだけだ。そもそも相関関係だって怪しいもんだと思う。
「エロマンガを読んで性犯罪する奴なんかいない」という理屈は、
相関関係も因果関係も示されていない「エロマンガを読む→性犯罪をする」という図式を、
「いる/いない」の問題にしてしまった時点で、完全に議論では負けている。
実験室で専門的な設備を使って行うことのみを科学的、とでも思ってるのではないでしょうか?
今回の件に関しては、件の漫画は議論をする壇上にすら上がってない、しょうもない内容でしかありません。
そこを少なくとも議論の壇上に挙げてみようか、という比較的中立的な視点の人たちが求めているのが
もちろん、議論する義務はないというのであれば、今回の話は与太話としか受け取られませんし、
今後デマ扱いされ続けても誰も擁護されないでしょう、というだけです。
今回の件で少なくともやるべきだったのは
長期にわたって取材をした、というのであれば、現地での調査において適切な観察、観測を行いデータを取ることです。
その際、「データを取る、観察をする」ということに関してはどうやってとったか、どのような基準でとったかを明らかにする、きちんと記録に取らなければなりません。
その次に関連性を探りたいものに関して、統計データから相関関係の有無を探るなどすべkぢえしょう
このあたりなんて単なるデータ集計から簡単な統計処理とか算数に毛の生えた程度のことでいいはずです。
科学的な態度に求められる客観性、論理性をきちんと担保して初めて議論になります。
よくある化学批判として、その際とられたデータというものが都合良いものばかり採用される可能性がある、都合よく解釈される可能性があることです。
だからこそ、その批判に耐えられるよう、データの観測には、その測定方法、基準をを明らかにする必要があるわけです。
文章から垣間見えるのは、自分と意見の異なる批判者を科学教の信者ととらえ、それを批判しているつもりになっているのでは、ということだけです。
これらに相関関係がある。
主体性のない人は結果が出ない。それは極力責任を持ちたくないので自分の判断を恐れる傾向にあり、その結果判断スピードも遅く、よくなる方法を一番知りながら判断しないということがある。
結果(成功)よりもとにかく責任を持ちたくない(失敗をしたくない)ようである。
逆に主体性がある人はその主体性ゆえに、言ってしまったことの責任が生じてしまい引くに引けない状態が続き、自分で判断せざるを得ない状況が生じ、そして結果が出てしまう。
なぜ相関関係があるかという仕組みはこうなっているのだと思う。
ただし厳密には結果を出すには主体性と同時に知識の吸収(スキル/情報)も必要。
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それを知ったところで、なんにもならんだろ。
そういう「どんな素敵仕様でもサクッと作り上げてしまう天才的なプログラマー」は存在しても、それを維持し続けるのがまず無理。
そういうひとは給料で動くわけでも責務で動くわけでもなく、平均的な勤続期間は非常に短い。
大企業の研究所のマジくらすの主任で、そのレベルってずっといるぞ。外から見えないだけで。
言い方を変えると『まともな』プロダクトのプログラムは通常企業内の内製なので外部からは見えないから知らないことがほとんど。
外注される段階で、大したプログラムじゃない。だからこそ外注できるんだし、その大したプログラムじゃないものについてとやかくいっても仕方がない。
SEの方が給料高いなんて、大工でも、元請け企業の中間管理職のほうが、たとえ仕事は何もしていなくても給料が高いのと一緒。
IT業界で、仕事の内容と給料の間に相関関係なんて無い。全部、社内政治。
プログラムの勉強するより 労使交渉したほうが給料が上がる。それが日本。 プログラマーが残るわけがない。
『努力して技術力上げたり、それこそコミュニケーションスキル磨く』 よりも 『政治闘争』 に 明け暮れたほうが給料上がるって みんな言ってるじゃん。
みんな 言うじゃん 『政治闘争』 を しろって! 戦えって。 そんなコトするヒマがあったら 『努力して技術力上げたり、それこそコミュニケーションスキル磨い』て欲しいんだけどね。
■個人的な感想
ごちそうさまの習慣と所得の多寡には、相関性があるとは思えない
むしろ何故、ある一つの食事の習慣を「金持ちか貧乏か」という軸で切り分けて見たのかが、良く分からない
「主に何を食べるか」と収入との関連は、懐事情の許す限界があるので当然だし、そういう比較なら分かるんだけど…
当該の人は、ご自身を「低所得」コミュニティに属するものとして捉えているのではと思う
ご自身より少しでも金周りが良さそうな人、に対する過剰なルサンチマンが根底にあるのではないか
そのために、世の中を「金持ちの行動原則」vs「オレの行動原則」みたいに
常に対立させて見る『色眼鏡』をかけているように感じた
このエントリを見る限り、それは一般的にはあまり「高所得者」とくくられる人ではないような気もする。
どっちかというと、平均的な所得を得ている程度のサラリーマンというか…「裕福」ではないと思う。まぁこれは私から見れば、の話だけど
個人的な尺度ではあるが、「高所得者」という修飾語の付く人は、そもそも牛丼屋で食事をとる機会が少ないのではと思う
私の身の回りには、いわゆる年収1000万円オーバー(どうも小町っぽくて困るね)の知人が何故か多いのだが
彼らは牛丼屋でごはんを食べる様子がないし、私自身は同世代平均よりはちょっと高い程度の収入だけど、やはり牛丼はあまり食べない
まぁこれは、ごく狭い私の世界における観測であって、当然、年収5000万でも牛丼大好き!な人も多そうだ
知り合いの社長にアツい松屋派の方が居て、『保守的な牛丼趣味(社長談)』を持つ吉野家好きの部下と飲み屋で熱くバトルを繰り広げる現場に居合わせたことがあるしw
そういう風につらつらと考えるに、やっぱり、牛丼を好むかどうかですら、所得との相関関係はあまりなさそうだ
いわんや「ごちそうさま」をや
■結論
自分が「貧乏ルサンチマン色眼鏡」をかけている可能性を、少し考えてみてはいかがでしょうか
まぁ、ぼくの見たモノだけが現実で、それ以外は知らんぼけ、って言うなら、はーそうですかーってなもんだけど
そりゃ否定的なブコメ付けた人たちがあなたに対して思ったことでもあるから、不毛なディスコミュニケーションでしかないよね
■その他、炎上した理由があるとすれば
「低所得者に見える人たち」はうんぬん…って、主語が大きすぎる
このエントリが本人だと信じるとして、まぁそうじゃなくてもtwitterを覗いたりして感じたことは
「ぼくには理解できない」、じゃなくて、「理解する気がない」んじゃないか、ということ
あーこの人「ありのままの貧乏でお茶目なぼく」を、どうしてもはてなのコミュニティでも認めさせたい、ということなんだろう、と
ヒトはなぜ毛が薄いのか? それは、ヒトはなぜ汗をかくのかと答えは同じで、つまり、暑さに適応するためだ。
ヒトは、恒温動物で、気温の変化に脆弱だ。どうやって寒くても暑くても生きていけるようにするかが課題だ。
ヒトは、住環境や道具を用いることで、寒さに対応した。例えば火を焚けば暖がとれる。ところが、暑さに対しては道具で対応しきれない。そこで、ヒトは、汗をかいて蒸散させ、気化熱によって体温を下げるようになった。そうすると、体毛が多いと汗の蒸発に不利だから、体毛が薄いほうがよいわけだ。
それでも、頭部などには体毛があるのはなぜか? それは、肉体の中枢を寒さから保護するためだろう。ヒトは、血液などの体液を循環させているから、末梢で発汗して熱を逃がせば中枢も冷えるようにできている。反対に寒い時には中枢が冷えると致命的だから、体毛が多い傾向があるのである。
冬になると手足が冷え性になる人が少なくないが、寒いと体温を逃がさないようにする必要があるから、末梢の体温を上げないようにして体温を維持しているのである。無論、血行も少なくなる。
それでは、運動をすると発汗するのに毛深くなる傾向があるのがなぜか、疑問に思う人もいるかもしれない。しかし、運動をすることができるということは気温が高くはないからだ。暑いと、寝ているだけでも汗を大量にかく。暑いなかで運動をするとむしろ死んでしまうことすらある。運動量が多いということは、気温が高くはなく、また、外出しているということとも相関関係がある。
男のほうが毛深く、女のほうが薄い傾向があるのも、寒さ対策の必要性の高低によるものだろう。群れの生存確率を高めるためには、男女で分業し、男にコストを集中し、女が出産授乳をする。そのため、男のほうが寒い中でも外出するし活動的だ。反対に、女は出産授乳のために栄養分を蓄える必要があり、例えば体脂肪を増やす必要がある。
男も、年齢が上がってくると肥りやすいかもしれないが(いわゆる「中年太り」だ)、それも運動量の低下と関係があるのだろう。多量の運動を担うのは若い男であって、出産期以降の女だけではなく、ある程度歳をとった男も肉体機能的に衰えて多量の運動をする余力が減っていく。それでも、だからこそ、肉体がピンピンしていて普段からたくさん運動をしている老人男性には痩せている人もよくみられる。
冬には脂質やカロリーを摂りたくなる傾向があるように思われるが、それも寒さ対策のためだ。反対に夏には、サッパリしたものが欲しくなる。暑いと多く消費するのは水分とミネラルで、反対にカロリー消費は減る。
食事や衣服や暖房がなければ、ヒトは冬を越せない。木造住宅に住んでいて貧困で暖房もかけられなければ、凍死しかねない。
日本では昔から木造住宅が多い。「日本の夏は世界一苛酷だ」と言う人もいるくらいに、日本の夏は厳しい。とりわけ太平洋側は、モンスーン(季節風)で湿度も高くて苛酷だ。湿度が高いと汗が蒸散しにくい。木造なら風通しがよく、気温も湿度も高い夏には有利だ。
ところが、木造住宅では、冬は寒い。だから、厚着をして布団にくるまって、たくさん食べて、そして、火を焚いて暖を取るのである。
木造住宅で火を焚くということは、火事が起こりやすいのは必然だ。しかも、太平洋側の冬はモンスーンで乾燥する。江戸なんて、人口密度が高いのに木造住宅だらけだったから、街が辺り一帯丸焦げになるような大火が何度も起こっている。江戸時代なんて、エアコンどころか電気ストーブも電気コタツもあるわけがないし、電気炊飯器も電気ポットも、無論、ない。
この時季はいまでも木造住宅で灯油ストーブで過ごしている家が少なくない。近現代でも、冬の火事は多い。火の取扱にはくれぐれも気をつけたい。そういえば、阪神淡路大震災は1月で、東日本大震災は3月だった。冬の震災は、乾燥地域では大火事になりやすいし、雪国では家屋倒壊してライフラインも断たれて深刻なことになるのではないか。
「野菜や果物が健康的である」という言説は、日本でも少なからずあるが、欧米ではさらに一般的だ。しかし本来は、必要だから食べたくなるものだ。運動量が多ければ摂取カロリーは増えるし、過激な運動をして筋繊維が壊れれば肉を食べたほうが回復が早い。野菜や果物が「健康的な食べ物」であるわけではない。
そもそもの問題は、現代人の多くは運動不足であるのに、カロリーを摂り過ぎたり、肉や脂肪を摂り過ぎたりしている。
なぜ食べたくなるのか? また、なぜ食べてしまうのか? その2つの視点が必要だと思われる。
まず、なぜ食べたくなるのかというと、おそらくは、精神的な負担が恒常的に蓄積し過ぎているからだろう。本来の野生のすがたであれば、多くの場合は肉体的負担と精神的負担に一定の相関関係があり、肉体的疲労が食欲につながる。だが、現代人には、精神的にばかり披露していて肉体的な疲労が蓄積していない人が多い。その偏った精神的疲労にあわせて食欲が出るから、肉や脂やカロリーが欲しくなるのだろう。典型的には、脳の疲労が激しければ、甘いもの、つまり糖質が欲しくなるのだ。糖質は、脳への即効性が高い。
つぎに、なぜ食べてしまうのかという観点では、社会環境があると思われる。加工食品や外食の産業経済において、経費節減の点でも、また依存性が高い=継続的な収益につながるという点でも、淡泊なものよりも、油物や甘い物や肉などを売る。そういう社会環境にいたら、おのずとそれらを口にするだろう。
また、パンやスナック菓子などの原料である穀類は、生命エネルギーの基盤となる炭水化物源であるため、栽培野菜のような贅沢品よりも優先して生産・供給される。そのことで結果的に、先進国では炭水化物、典型的にはスナック菓子のような揚げ物のほうが廉価になり、野菜のほうが高価になる。先進国では、貧困なほど摂取カロリーが過剰で肥満が多い傾向にある、それは単に貧困=無教養だということではなかろう。
より本質的なことを言うとみもふたもないかもしれないが、そもそも我々はヒトという動物であり、この動物(自分自身)をいかに健康的に「飼う」かという課題なのである。その観点が欠落して、自我が肥大化して自意識過剰で自己中心的な知覚と思考のなかにいると、複雑怪奇で過激な社会環境に振り回されている我々は、その社会環境の影響を受けて自己の欲望も複雑過激になり、その欲望に振り回されてしまう。それが例えば食習慣の崩壊につながってしまうのだろう。
twitterをやめた。
僕はtwitter中毒とも言えるほど、twitterにハマっていた。
ハマっているという自覚もないほどハマっていた。
一種の麻薬のようであった。
ヒロポンの中毒者が一日何十本の注射をするように、僕は一日に何度もつぶやいた。
大抵がくだらない、誰のためにもならないことだ。
思った事をつぶやき、何百ものポストを読んで、退屈をしのいでいた。
ふと、「一体このことに何の価値があるのだろう」と思った。
僕は自分がtwitterにのめり込めばのめり込むほど不幸になっているのを感じた。
いや、自分が不幸な境遇にあるとtwitterをやりたくなるのかもしれない。
鶏が先か、卵が先か、みたいなどっちでもいい話だ。
ともかくtwitterと僕の幸福度は何らかの相関関係があるように思えた。
twitterをやっていると、ついのぞきたくなってしまう自分がいるのだ。
何度も何度も確認しているうちにどこか、空虚な気持ちが増していく。
特に何も反応がないと、
僕は自分の孤独を紛らわせたくて、twitterをやっていたのか。
きっとどこかに、「承認欲求」みたいなのがあったんだと思う。
誰かに認められたいのだ。
しかし、twitterをやっていても何の価値も生まないばかりか、
ここで自分の価値を認めてもらわなくても、他に方法はたくさんあるはずだ。
なので、一旦やめてみることにした。
アカウントはまだ消していない。
いきなり消すのはなんだかメンヘラみたいでかっこわるい、という気持ちもちょっとある。
あるいは、地震など災害においてtwitterは非常に役に立った経験があるので、念のためだ。
しかし、macのクライアントから、ipadのアプリ、androidのアプリなど、
また、成果があったらここに書きたい。
IT系の知識って多岐に渡るくせに、初めの一歩のために浅く広くで体系立てられた情報源が無いんだよね。
DBならOracle、PostgreSQL…、言語ならC、Java…みたいな感じで各技術分野の中の特定の技術ってのを学ぶ手段は山ほどあるんだけど、その技術分野同士の相関関係や各技術の違いなどのメタ情報が個人ブログとかで部分的に表現されてるだけで、体系立てられてないから、とにかく実務で身に付ける、アンテナ張って色んな技術情報を身に付けていく内に段々分かってくるってモノになってる気がするんだよな。ググって調べても説明文にまた分からない言葉や腑に落ちない部分があるからまたその言葉をググってみたいな事を繰り返してようやく何となく分かったみたいな経験がこの仕事をしてる人は誰にでもあると思う。
だから、用意されたインフラ上で実装するって現場ばっかり回されるような人は知らなくても不思議ではないと思う(若干酷いなとは思うけど)。
プライベートでキャッチアップし続けてようやく知って当たり前の知識が身に付くって構図はあまり良いとは思えないんだよな。
Iパスや基本情報も所詮はバラバラの情報の寄せ集めなんで書いてある内容の理解や各技術分野の関連を理解するには行間を自分で埋めなきゃならないんだけど、まさにその行間を埋めるための全体像を把握するための知識が今この業界に欠けているものであり必要なのだと思う。
あのさ、そりゃ、相関関係を「見えない」様な状況で検証してるからじゃん。。。
アホなの?
これ書いた人だって、「相関関係は因果関係の必要条件じゃない」と言ってるわけではない。そこは絶対必要条件。
統計上現れるとは限らないけどね。
この表現がアホ。
統計的に充分でないもの拾ってきて相関関係あるかどうか調べて無いわーなんて当たり前だろ?
その場合は「相関関係がない」ではなくて、「サンプルが充分でない」と結論付けるだけ。
他のバイアスがあるとき、それを正しく考慮しなければ打ち消されるのは当然。
この研究員がどういう意味で書いてるかすらイマイチ意味不明だけど、
あんたはそれ以上に何も分かってないみたいだな。
今回は因果関係があるのに相関関係が見られない4つのケースをまとめてみた(前編:検定力が低い) - Take a Risk: 林岳彦の研究メモ
(中編)今回は因果関係があるのに相関関係が見られない4つのケースについてまとめてみた:交絡・合流点の影響 - Take a Risk: 林岳彦の研究メモ
成功している人は大体みんな飯をたくさん食う。俺は成功してない(野心を持ちチャレンジはしているが結果はぱっとしない)方の人間だけど小食。ついでに言うと性欲も薄い。
関係あるのかね。
って事は『相関関係がある』と言われていたAとBも
と言えるようになるケースもあるって事か。
世の中の研究なんてのはこういうことしてるのが9割だろ。
まず、何らかの目ぼしい関係性を見つけてそれを根拠付ける、ってのは何に関しても基本。