はてなキーワード: 方言とは
「いややわぁ〜 そうそう、そうなんよ〜〜」
こんな感じの会話を保育園、ママ友、PTAあたりでよく聞きます。個人的には、男性より女性の方が使っているイメージがあります。
「〜なんよ」は共通語に直すと 「〜なんですよ」
こちらはちょっときつい印象になります。その気がなくても責めたり咎めたりするニュアンスで受け取られてしまうかもしれません。
「〜なんだよ」は友人同士なら良いのですがママ友くらいの距離感だと使い辛いです。
関東の人たちは普段から共通語を話していますが、関西の人にとっては敬語か丁寧語のニュアンスがあります。親しい人とは関西弁で、仕事中は共通語、知らない人と会話をする時も共通語です(地域差あるかもしれませんが)
有名な話だと、幼稚園児は普段は関西弁をしゃべっているのですが、おままごとをするときだけ共通語になります。何かの社会役割を演じるときに使うのが共通語です。
SNSでは関西の人たちも周りに合わせて共通語を話しています。
これは現実でもよくあるのですが、だれかが関西弁を話し始めると皆が関西弁になります。
「〜なんよ」も他の人が使っているのを見て解禁した人も多いんじゃないですかね。人口の半分くらいは西日本でしょう。
たしか当時「〜なんよ」というネットスラングがムカつく、という内容の増田がバズっていて
id:njamota ”〜なんですよ”ではなくて”〜なのよ”では?
id:yamada_k 「なのです」が「なんです」になる仕組みと、「なのよ」が「なんよ」になる仕組みは同じ(撥音便の一種)。ただ、共通語?では「なのよ」を使う男性が減ってきているけど、方言の「なんよ」は違うのかもしれない
どっちみち真の言文一致はないし
千鳥みたいな「よそ行きにデフォルメした方言」なんてのもあるし
逆に英語は世界制覇する過程でどんだけディティールを漂白され記号化されたかを思う。
まあ言葉ってのは自分のものであって自分のものでないからなかなか意に任せないってことだわ。それは「身体」とかもそうだけどな実わ。
https://anond.hatelabo.jp/20231014203526
増田は借りもんで書くことが好きやないということながよね。けんどあたしらあの喋るがをそのまま書いたちほとんどの人はわからんがよ。自分らあも書いたものを普段読まんき妙にほっこりせんしね。けんどこれは喋り言葉(口語)ながですという表現はしたいがよ。あたしらあには喋り言葉の文体は借りもんでできちゅうがよ。けんどよ、それはよその人もそうながやないがかえ。誰っちゃあ喋りゆうようには書きやあせんろ。伝わるように喋りそのものやのうて喋り言葉調の文体で書くろ。それは言葉を借りちゅういうことやないかえ。
実際は書くときだけやのうて喋り言葉でもメジャーな方言を借りることは「ようあるがよ」。ここで「ようあるんよ」と言うがよ。あたしらあの「がよ」はよその人に意味が分からん言葉に思われたりがいに思われたりするきね。田舎の言葉やきしょうがないけんどね。
話し言葉文体は書き下しじゃなかったらどうしても借り物を使うんよ。小説とか漫画とかで見る関東ベースの話し言葉を借りても一緒は一緒やけど、生活から遠すぎてどうしてもテレビとか漫画の喋り方で喋る子みたいに感じるところがあるんよ。結局借りてるのは一緒やしね。
以前は「関西弁」を借りる表現が多かったと思うけど、瀬戸内方言のメジャー化でより近いそっちに寄せている感じはあるね。
増田の文章も話し言葉の文体だけど、例えば「しては?」は実際の話し言葉では「してはどうですか?」か、「したら?」じゃない?それはどっから来たのって話なんよ。いやそういう表現をする地域があったらごめんやけど。文章を声に出して読んでみて、実際にそうやって話すか?を比べてみたらそうは言わんとこが出てくるんじゃない?話し言葉調文章の正しい表現というものはないから、みんな読んだもん聞いたもんを借りてきて書いてるんよ。
あと、増田の文章全体としてアホなど極度に話し言葉的な表現と言い切りなど書き言葉寄りの表現が入り混じっていて、どちらかに振れているところはなにか意図があってそうしているのかなと読んでしまう。なので増田の使用する「アホ」は我々の想起する「アホ」と何か違う意図があるのではないかと思い、それが読みとれないために不快感のコアである「アホではないか」が伝わりづらい。方言は借用されたり「いわゆる関西弁でのアホ」のようにノンネイティブ圏で特別にニュアンスがつくため、単なる方言の書き表現であるなら特に話し言葉に寄っていることがわかる、あるいはネイティブ性がありこの語でないと表現できないということがわかるような表現に統一した方がいいと思う。追記の関西に十年というネイティブではないような表現も何か意図あって語を選んだような印象を強めた。
まとめると、
・通じにくい方言のユーザーは話し言葉表現としてよりメジャーな方言を借りることがある。
・話し言葉調での文章には(当人の話し言葉から見て)借り物の語彙や表現が使用される。それは地域を問わず起こっていることで、借用すること、借用元が古くないことが非難されるべきだとは思わない。
俺は山の手育ちなんだが正直方言とか憧れあるし、可愛くてめちゃくちゃいいなと思う。
昨日過去一でド不快な増田を見てしまって寝て起きたら忘れるだろうと思って朝見たらクソバカで愚かな元増田がゲボのような追記をしてさらに不快だったので書いておく。
まず俺は愚かで浅はかな元増田が触れていた千鳥と同じ備後圏出身の人間だ。テレビを普段見ないので千鳥がどのようなノリ・状況で「なんよ」を使用しているかは知らないが、「なんよ」はごくごく普通に日常会話として使う。なんなら方言として意識したことさえないくらい当たり前に使う。当然俺の父も母も祖父母も使う。
その言葉がどうやら非常に残念な元増田にとっては不快らしい。いや、別にいいよ不快であるとか表明しても。好きにしたらいいさ。
でもこれはなくないか?
これは元々方言であって、ノンネイティブの人が使うのは問題ではないが、エセ関西弁と同じで薄ら寒い。ネイティブの人が使うのは別にいい。これは偏見という自覚はあるけども、私はこの言葉遣いをした時点でメタ認知能力に欠けたアホではないかと懸念を抱く。
お前は一体何様なの? 『この言葉遣いをした時点で』って俺含む西日本地域のこの言葉を当たり前に使ってる人間がネイティブかどうかお前のうっすいリテラシーでは当然ながら判別ができないのだけど、「なんよ」を使った時点で他者を『メタ認知能力に欠けたアホ』カテゴリに入れるらしい。お前に十全に備わっているらしい自前の「メタ認知能力」とやらでそんな自分を認知してみてくれ。
『ネイティブは別にいい』とか相当腹立つし何俺が故郷の言葉を使うのにお前にいちいちお伺いを立てないといけないのかとかマジでこいつ何様何目線だとかあるけどまあいいわ。
「なんよ」を使っている人は以下の点について自問してほしい
1. なぜ自分がそのような言葉遣いを選んでいるのか? 1で無意識に流行り(?)の口調を真似て使ってしまっていたという人は、この機にやめてはどうか?
そうだよ。無意識に家族の、地域の地元の人たちがしゃべってる言葉を模倣したんだと思いま〜す。やめてはどうか?だって。カスが。お前今何言ってるかわかってる?
次の段も腹立つわ〜。
ちょっとアホっぽいからやめようと思わないだろうか?もしそうならば、あなたは一定の状況下ではアホっぽい振る舞いをしていたことになる。自分の言葉遣いがどういう印象を相手に与えるかにもう少し意識的になってはどうだろうか?
大学進学で上京したとき方言からかってくるやつら当然いたけど、こういうメンタルだったんだな。首都圏にいるからには方言なんてしゃべったら「お里が知れる」し周囲に配慮できないのはアホなんだと。『自分の言葉遣いがどういう印象を相手に与えるかにもう少し意識的になってはどうだろうか』お前自分の主張がある特定の属性の人間にどういう印象を与えるかもう少し意識的になれば?お得意のメタ認知でさぁ。
人のふるさとの言葉にケチつけといて、その根拠が結局徹頭徹尾文系特有のポエティックなお気持ちに終始しているから始末が悪い。「理知的な俺が言葉の使い方について啓蒙してやる」みたいな手触りの文章ゲボ吐きそう。ダメ押しでgoogleサジェスト出してくるのびっくりしたわ。ダサすぎでしょ。データ笑を用いて客観的な俺すごいって?
「ぼくだけじゃなくてぇ〜、なんか他にも気持ち悪いっていう人がいるみたいなんでぇ〜、やめたほうがいいと思いますぅ〜」
お前さぁ、「広島弁」でサジェストかけたら「汚い」とか「気持ち悪い」とか出てきますけどお前の理屈でいえば広島弁喋んない方がいいんですかね。いいんですよねきっと。
ほらほら警鐘鳴らしちゃってくださいよ、広島弁が汚くて気持ち悪いことにさぁ。
なんらかの強い理由がなければ今後は使わないで欲しい。
はーっ、てめえの根拠の浅い快不快の感情はだれかが故郷の言葉を使う理由にも優先されるらしい。故郷の言葉を使うのに理由なんかねぇよボケ。
俺個人で言えばべつに一部で流行りの言葉になっているらしい「なんよ」を非ネイティブが使おうがどうでもいいわ。地元の方言で色々いじられたりしたことあったけど過去ここまで方言のことでムカついたことはないわ。リアルめの倍率で表現すると方言いじりの30倍くらい不快。
だからといって元増田は主張を取り下げることを俺は望まないです。
首都圏に住む人間がどれほど無意識に無自覚に軽率に浅はかなノリで傲慢に地方の文化を見下し、下賤なものとして見ているかを示す貴重なサンプルであり証拠なので消さずに残しておいてください。望むとしたらそれくらい。
そもそも「〜なのよ」の「の」の部分が言いやすいように「ん」に変化しただけですから、方言関係なく言う人は言うと思います。例えば「〜したのだ」は実際の話し言葉だと「〜したんだ」に変化しますよね。「の」は「ん」になりやすいんです。
==== 追記 ====
書いた直後に全然反応がなかったのに、今見たら色々コメントがついていて驚きました。
ブコメを読んだら、結構な数の人が怒っていて、私の中の善良な市民感覚が、「悪いことをしてしまった」という後悔の念を自然と抱かせましたが、落ち着いて考え直してみると、別にそう悪いわけでもないなという気もしています。とりあえず、これが率直なところです。
・「不快」で他人の発言を抑圧しようとするのを表現規制って言うんじゃなかったっけ
・自分の意思にそぐわないからと言って他人の言動を制限しようという発想かー。上手くいきそう?
・自分の不快感のために他人の自由を制限できると思ってるんかな
・不快に思うのは勝手だが、人の発話の自由を制限しようとするのは何様のつもりだろうと思うし、方言の利用を咎めることも更に最悪って感じがする(私は方言コスプレをポジティブにとらえている)
これらの意見は大きくは、自分の不快を理由に他人の行動を制限するのは駄目だ・許されていないという意見だと理解しています。この「制限」というのが、肉体的な拘束や洗脳のように、相手の権利を蹂躙するものならば許されないと思いますが、「不快だからやめろ」と言ったり、ネットに書いたりするのは全く正当な権利だと思っています(アホとかいうのは良くないですが)。こういう自由はむしろ私たちに与えられている非常に重要な権利だと思いますし、これを封じる方がよっぽど表現規制でしょう。一応誤解のないよう言っておくと、私は他人の自由を規制できるとは思っていません。ただ「やめろ」と言うのはありということです。
「上手くいきそう?」については、無理そうって感じです。本文に書いたように、たまたま「なんよ」に連続で遭遇した勢いで書いたので、見通しは特にありません。
・たった100文字のブコメでネイティブの「なんよ」と非ネイティブの「なんよ」の見分けがつくんか!すごいのう〜!うち岡山出身じゃけどようわからんわ〜!!日本人口のほぼ半分は西日本に住んどるって知っとる?
仰る通りで、つきませんね。ただ私の観測してきた「なんよ」使用者数からいって、ノンネイティブが使っているのは間違いないと思ったので、それらの人に届けばいいと思いました。誤算としては、私が思っていたより「なんよ」圏が大きかったことです。でも一定数のノンネイティブには届いたと思います。
他のブコメも含め、関西全域で使われているみたいな主張もありましたが、流石にそれはないんじゃないのとは思います。私は十年ほど関西に住んでいましたが、ほとんど出会ったことがありません。とはいえ私は交友関係が狭いのであれですが。局在しているってのが一番ありそうな気がします。
・「他人の言動に無思慮に追従してしまう主体性のなさへの嫌悪」「「なんよ うざい」、「なんよ 気持ち悪い」が上位に上がるので、軽蔑的な印象を持つ人はそれなりにいるようだ」露骨なブーメランだし釣りなんよな?
これはつまらない意見ですが、トラバにも同様の内容があったので返答しておきます。読めば明らかなように私は不快に思う理由をメインで書いています。そして、他人の意見を参照しているのは論理の補強のためです。つまり、他の人たちも嫌悪しているようだから、その嫌悪は必ずしも独りよがりではないはずだという論理です。これは普通に読めばわかることだと思いますし、こんなのは本筋からずれた瑣末な部分です。もうちょっと文章を大局的に捉える訓練をしては?
・他者への解像度を想像だけで上げようとするとそれは自分の投影になると思う。そういう人なのであろうという想像は自身の内面を紹介するような感じがするので私はしたいとは思わないかな。
==== 以上追記 ====
前から気になっているんだけど、ここ数年「じゃないんよ」とか「違うんよ」とか「必然なんよ」みたいに「〜んよ」と言う語尾(?)を使う人をよく見る。元々は九州とか中国地方あたりの方言なんだろうけど、そうじゃない人も多く使っていると思う。私はこの語尾が嫌いで、見聞きするたびに少しイラっとくるんだけども、今日はてブを見ていたら短時間に三度ほど見てしまって、これは警鐘を鳴らすべきだと思った。
この語尾を使っている人たちが、なんの影響で使い始めたかは知らないけれど(千鳥の影響だと推測しているが)、これは元々方言であって、ノンネイティブの人が使うのは問題ではないが、エセ関西弁と同じで薄ら寒い。ネイティブの人が使うのは別にいい。これは偏見という自覚はあるけども、私はこの言葉遣いをした時点でメタ認知能力に欠けたアホではないかと懸念を抱く。
「なんよ」を使っている人は以下の点について自問してほしい:
2. どのような人の前でそのような言葉遣いができるか?
1で無意識に流行り(?)の口調を真似て使ってしまっていたという人は、この機にやめてはどうか?小中学生の頃に、無意識に他人の口調や言葉遣いを真似したり、お笑い芸人のギャグを真似したりする人がいただろう。子供なら無邪気で済むかもしれないが、大人がしていたら見苦しい。あなたがしているのはそういう無分別な子供じみた振る舞いだ。
2については、そもそもカジュアルな言葉遣いだから目上の人には使わないだろうが、ただ、例えば立場としては対等でも、適切に自分を評価して欲しいと思う相手に、そのような言葉遣いをするだろうか?ちょっとアホっぽいからやめようと思わないだろうか?もしそうならば、あなたは一定の状況下ではアホっぽい振る舞いをしていたことになる。自分の言葉遣いがどういう印象を相手に与えるかにもう少し意識的になってはどうだろうか?
ここまで書いて思ったけれども、私が「なんよ」を不快に思う理由の根っこは、他人の言動に無思慮に追従してしまう主体性のなさへの嫌悪感にあるのではないかと思った。同じ特徴的な言葉遣いでも、例えば一人称に「おいら」を使ったり、語尾が「〜なのさ」の人にこれまで出会ったことがあるが、全く不快には思わず、単にそういう人なのだと感じた(多少面食らったが)。しかし、「なんよ」は私には同じような特徴としてではなく、自分が他人からどう見えるかを認識する能力(メタ認知能力)の欠如、他人と自分を簡単に同一視してしまう自他の境界の曖昧さとして映る。これが一面的な見方であることは重々承知しているけれども、限られた情報から他人を判断する必要上、一定程度は合理的だとも思う。私のような考えを持つ人がどれだけいるかは分からないけれども、google で「なんよ」と打つと「なんよ うざい」、「なんよ 気持ち悪い」が上位に上がるので、軽蔑的な印象を持つ人はそれなりにいるようだ。なんらかの強い理由がなければ今後は使わないで欲しい。
そういうわけで、出雲は古い日本文化の大きな中心地のひとつだったりする。
国譲りの神話があるだろ。高天原から下ってきた天孫族(天照大神の子孫たちを自認する一族)に制服された旧勢力だよ。
出雲方言が東北方言と類似性があるのも偶然ではないだろうな。天孫族という稲作民族がやってきて支配階級になる以前の文化や言語も様々な形で残っているのではあるまいか。諏訪地方などもそうだろうし。
一昨日あたりも、言葉の乱れに関する話題があった。
自分は、言葉に正しいも間違いもなく、ただ「多数派が使う言葉」とそうでない言葉があるだけだと思っている。
ある集団の中で多数派が使う言葉は、話者が多いためその集団の中で通じやすい。そのため集団の皆が自然とその言葉を使うようになっていく。
その集団の規模は大きくても小さくてもよく、たとえば学校のあるクラスの中だけで通じる言葉が自然発生的に生じたりする。
そうして生まれた言葉は、その集団の外ではまったく通じないが集団の中では半ば共通語のような扱いとなる。
特定の業界でしか通じない業界用語や、5chでしか通じない5ch用語なんかはその典型だ。
昔は地域によって集団が分かれ、地域の集団独自の言葉として方言が使われていた。
しかし近代化の中で、日本という集団の言葉の均質化が図られ、方言は薄まっていった。そうして生まれたのが日本の標準語だ。
これは5ch用語などと違って自然発生的に生まれたものではないが、ともあれ今では標準語は、日本人なら誰でも通じる、日本の多数派が使う言葉だと言っていい。
しかし日本が無数の小集団に細分化された現代は、各集団ローカルの言葉、いわば現代版の「方言」が群雄割拠する時代だといっていい。
その言葉がその集団の中だけで使われるうちはいいが、たまに集団の外でその言葉を使ってしまう人が出てくる。
あるいは、それが流行り過ぎてメディアに乗って外まで漏れ出てくることもある。
そうすると、その言葉を知らない人は首をかしげることになる。それがいわば、言葉の乱れというものではないかと思う。
日本語の乱れの原因は日本が無数の小集団に細分化されていることであって、
それを押しとどめるのは、まあ難しいんじゃないかと思う。