はてなキーワード: 教養とは
オタク達がいかに自分のことしか考えてなくて、教養がなくて、ズリネタを守ることに必死になっているかが周りに知れ渡ることは、あまりオタクたちとってもいいことではない気がするのだが、自浄作用みたいなものはないのだろうか。
また、よくオタクたちは「2次元があるから日本では性犯罪が少ない」と言っているが、日本は性犯罪も少なければ婚姻数も少ない。非モテの逃げ道が二次元なのではなく、二次元が非モテを作り出しているのではないかとも思ってしまう。
I recently go to the streaming on Reality.
Probably some one knows the app that everybody get the body of 2D and do the streaming easily.
In that world, someone act a anime character, someone sing a song, someone chat with listener… etc
I was visited hers streaming and that main topic was chatting of hers life.
It's no especial, no comical, and so general, but she has good opinion, it is difficult to explain, but it has a Reality.
I don't have the feeling of love for her, but I am respecting her.
Today, we were talking long time and the topic was moved to the culture(教養).
I searched "教養" in English at first time after hers streaming, I haven't known that meaning.
I didn't graduate the university then I don't have a school career, but she said "you have the culture(教養)".
I am not sure why she said that, I can use English a little than other Japanese people, or I can think reasons of other people.
Anyway, the topic was moved to culture.
However, I didn't know the 教養 in English. I assumed that culture has only ”文化” and if that word has other meanings, that is similar "文化".
I felt I touched "culture" in the real sense.
Maybe, all people better to think about opinion of other people beyond the scope of us opinion.
学際的な学科を選択したが誤りだった。これまでの人生で最大の失敗だった。
理系だったが、文系科目にも興味があり、文理融合の学科ということに興味を持って選択した。
情報系学科と迷っていたが、その学科でも情報系を扱っており、別に興味のあるカリキュラムもあり、
理念やカリキュラムはよかったが、実際の講義の内容が古かったり、初歩的なものにとどまっていたりした。
情報系もあるということだったが基本的な内容しかやらなかった。
他の学科の同様のカリキュラムと比較しても、あまりに貧弱な内容だった。
講師と話していて、理系科目が好きな人はうちの学科をあまり選ばないからと言われたこともあった。
そんなこともあり、数学もろくに教えていなかった。
他学科と比較してカリキュラムが少ない分、他学科の講義を聴講して自主的に学ぼうとしたが、その基礎が不十分だった。
その学科は人気があったが、留学やインターンに力を入れる学生を中心とした人気だった。
研究室でも放置気味で、研究のために必要なスキルが身につかないまま、何の価値もない論文を書いていた。
その後、やりたいことが見つかった。何とかやろうとしたが必要な実力がついていなかった。
今でも大学で身に着けるべきことが身につかないままだということに負い目を感じている。
今思えば、人生でも初めての大きな選択で、そのための判断、情報収集が十分ではなかった。
周りの雰囲気に流されていたところが大きかった。自分の実力を見誤っていた。
幅広く教養を身に着けようと志していたが、結局何の専門性も身につかない虚無な時間を過ごしてしまった。
理系として失敗してしまった。数学や物理、情報などの基礎を身に着けることを優先するんだった。
その時の流行の講義などを受けたが、今となっては価値がないものばかりだ。
転科するなり留年するなりして進路を変更していれば、もっとよい将来を歩めていたかもしれないが、
その決断ができなかった。
これが教養ってやつなんだなあ
programmablekinoko スーパーマリオの職業のPlumberは下水や便所のつまりを直しに来る業者って感じです。だから海外のファンアートだとよくスッポン持ってる。設計や施工のエンジニア的な職業はPlumbing Engineer.
https://anond.hatelabo.jp/20211113201646
横田だけど、ちょっとググったらそれっぽいストーリーが立てられたので共有しておく。
三行でストーリーをまとめると
・「屍山血河」という言葉を考案したのは大日本帝国陸軍の文官で、陸軍教授の地位にいた樋口石城なる人物である。
・「屍山血河」は、旅順戦を記録したロシア軍人М. И. Костенкоの日誌 "Осада и сдача крепости П.-Артур : мои впечатления"を邦訳する際、邦題として発案された。
・この邦訳を読んだ人々が邦題を熟語として認識。そのうち、司馬遼太郎が小説内で多用したことで日本中に広がった。
「屍山血河」の由来はなにか。まず、中国語で言うところの「成語」にそれらしい言葉はない。
かといって「屍山」とか日常言語で使う単語という感じではないし、自然発生した四字熟語でもないだろう。
普通に考えたら、中国語以外の言語にある熟語を、明治以降の文化人とかが邦訳するときに成語っぽく整えた、とかが一番ありそうなパターンだ。
しかし、「屍山血河」という単語は辞書に載っているが、用例として記されているのは司馬遼太郎の小説ばかりだ。後は三島由紀夫だが、司馬遼太郎の用例が古い。
辞書を作ったときにそれより古い用例が見つからなかった可能性が高い。
普通、辞書の用例はその用法で一番古いものを採用する。だれか他の文学者が創作したならそっちが採用されないのは奇妙である。
もちろん、司馬遼太郎が独自に考案したと考えるのは早計だろう。
司馬遼太郎が勝手に創作したとされていた史観や、事実関係が怪しい記述も、近年ちゃんと調べてみると「元ネタ」があるものばかりだったらしい。
もちろん、だからといって、それらが歴史的事実だというわけではなく、「元ネタ」を書いた人が勝手に創作したり、誤認識していたということらしいのだが。
ともかく、司馬遼太郎は無から発想したり、自分で説明なしに訳語を創作するような人間ではないと思う。
用例として採用しづらい対象で、司馬遼太郎が興味を持つ題材の日本語の資料で「屍山血河」を使ったものがあるはず。
この条件に合致しそうなのが "屍山血河" コステンコ 著,樋口石城 譯 [1]である。
ちょっと調べてみると、これは旅順戦を記録したロシア軍人М. И. Костенкоの日誌 "Осада и сдача крепости П.-Артур : мои впечатления"[2]の邦訳だ。
М. И. Костенкоは旅順攻防戦に少将として参加した後、戦後は軍事法廷の議長とかをやった、とwikipediaに書いてあった。
旅順戦の日誌は貴重な資料であり、ロシアで広く読まれた。これが邦訳され、1912年に出版された。
しかしそれにしては邦題がおかしい。おかげでググっても原著がすぐ出てこなくてちょっとイライラした。
"Осада и сдача крепости П.-Артур : мои впечатления"を機械翻訳すると、"旅順要塞の包囲と降伏:私の印象"となる。
実際、この本は1973年に田崎与喜衛に再訳されており、そのときの邦題は"旅順攻防回想録 "となっている[3]。
泥沼の旅順戦で主に大量の兵士、とくに日本兵が死んだ様子を描写して「屍山血河」と言っているのだろうが、戦闘記録の題名にするには文学的にすぎるだろう。
М. И. Костенкоが序文とかサブタイトル的な位置にこの単語を使っているのではなく、樋口石城が勝手につけた邦題である可能性が高い。
ロシア語でも Горы трупов (死の山)とか реки крови(血の川)という表現は戦争を表現する際、よく使うようだ。
熟語とまでは行かないが、並列して使われる例もググればそれなりに出てくる。
原著に直接この組み合わせが出てくるかはちゃんと調べていないので不明だが、本文検索してみたら、Горы труповは単体で積み重なった日本人の死体の表現として使われていた。
もしこの記録が文学作品だったらこの題をつけるのは適当かもしれない。
これ以降は完全に当て推量である。
陸軍教授、樋口石城がどういう人物なのかはググっても出てこないが、樋口季一郎の親戚とかだろう。しらんけど。
まあ、軍教授なのだし名家出身の学者で、ロシア語を含む文系の教養があって、仕事はロシア関連の軍事資料の邦訳を大量にやらされていたのだろう。
だから文学作品とかを書く暇もないので、やらされた邦訳の仕事で、多少のオリジナリティを発揮してみたくなったのではないだろうか。
そこで少し文学風に気取って成語っぽい「屍山血河」という語を創り、戦闘記録の邦題としてつけたのだ。
それを司馬遼太郎が資料として閲覧。そういう成語が既にあると認識、戦争小説で多用。
小説を読んだ人間もそういう語があると理解し、大量の死者が出る戦争を語る際に一般的な単語へと一気に昇格してしまった。
そしていざ辞書に載せようとすると、用例として明記できる古い例が司馬遼太郎以前にないことに気づく。
樋口石城の訳書も発見はされたのだろうが、題なので用例としては不適であり、スルーされた。
結局、遡れるのは司馬遼太郎の小説しかなかったのではないだろうか。
無論、上記は全てネット上で手に入る資料の断片からの推測であり、だいぶお粗末なものだが、もし当たっていればなかなか面白いストーリーではないだろうか。
以上、「屍山血河」の由来について横田が調べてみました。
[1]https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I024298307-00
元増田です
でも元増田の目には見えていない
この現象は何だろうね
ただ、そういう人ってどう見ても生活が荒んでいたり、ブツブツ変なことばかり言ってたり怪しい目つきでずっとウロウロしてたり、明らかにアレな人がほとんどで、普通に生活してるっぽい普通の人には殆どゼロと言っていいほど数が少ないんですよね
居たとしても、速やかに対処されてすぐいなくなるし改善するんです
日本人は大きい犯罪はしませんが、マナーが悪いと自覚していないマナーが悪い人が普通に生きてる普通の人の中に結構高い確率で平気で混ざって存在していて、上記の例でも多分この人たち自身はそれを悪いとあまり思っていなくて、何年も変わらずに教養があったり大企業務めだったりする普通の人の側にずっといるんですよね。
旅行先なのに、自分とは違う文化の国なのに相手の文化を学ぼうともせず、日本で許されてきたであろうコミュニケーションをどこでもやっていて、いたたまれないのもあります。日本の雑誌やテレビの海外特集で外国人にインタビュー!を一度見たのですが、あまりに失礼で論外すぎてもう見なくなりました。ガイジン、珍獣扱いで、リスペクトが全然ないし、なんなら黒人や中央アジア人に対しての扱いが人種を選んで高圧的で。日本人じゃないと日本語の細かいニュアンスがわからないから、日本に来たばかりの非日本語者は気づかないでしょうけど…。
「素人の質問で恐縮ですが…」的な発言を専門家がするってことあるけど、その逆も然りで、ほんとに教養のない人って無自覚に批評ばかりして反論してくるんだよね。しかも焦点がズレまくりで。あれはなんなんだ?マウンティング?
決してバカにするわけではないが、
飲食といってもピンキリで、一流料亭とチェーンのバイトでは天と地ほど違う。
しかし全体的な母集団として非常に民度が低いことは間違いない。
今までで一番驚いたのは、タイムカードを切って、いきなり賄いを3人分くらい食らう女子大生がいたことである。
他の10人くらいいるバイトの目の前でである。(まかないは業務後に余ったものを食うのがルール)
店長のお気に入りらしく、「ごめん、ごはん今日少ないかもな」とか言っているのが気持ち悪かった。
無言で3人分がっついているのも気色が悪かった。
このように、奇妙な人間が奇妙な集団として存在しても許されていて、
かつ、小集団で独裁化しやすい業界が飲食業である(非常に低レベルな世界だが)。
学習を重ねなかった人間の集まりであり、回復しようのない民度の低さがある。
「いやこれは変だろう」という発想になれない。戦前の農村部のようなものである。
教養にともなう宗教的知識もないため、共産主義的な、属人的・独裁的な退廃した世界が生じやすい。
あの近代五種のやつウマ娘流行ってなければそこまで大きな話題にならなかったような気がする。
良くも悪くもウマ娘の効果で、現実のお馬さんに対しての理解とか、意識が向いたのもありそう。
少なくとも国内であそこまでセイントボーイくん話題にはならんかっただろうなって— ゆかちゃん (@Aa03318566) November 5, 2021
ウマ娘のおかげで近代五種の馬の扱いが酷いと理解できた
やはり娯楽は教養に通ずる— 今井良謙 (@maymai_kaityo) August 9, 2021
ふと思うと、確かに今年の近代五種の選手による馬への態度の問題。あれ日本だとウマ娘流行ってなかったら、実態への世間の理解もっと悪かったんだろうなぁ・・・絶対俺も話聞いて、まあ選手もアレだけど馬もランダムだし選手かわいそうやなぁとか思ってたと思う、— Kitunebi960 (@Kitunebi960) November 4, 2021
近代五種の馬術の写真や動画見て「なんか変だぞ」と思えたのも、ウマ娘を見た妹が競馬に興味を持っていろいろ教えてくれたからなので、知らなかったら駄馬って意見に同意してたんだろうな…
そう考えると教養って大事だし馬を知るきっかけになったウマ娘に感謝。アニメすごく良かったです— せこ@楽しかった🗻🎸 (@metaseco1a) August 9, 2021
体臭も苦手だ。
しかし、勢いに負け付き合い、性欲に負け、ゴム破れ一発妊娠、いい歳だし覚悟を決めて入籍。
あらゆる趣味がストップし、かろうじて残った娯楽はスマホをいじることと、毎日一本の缶チューハイだけだ。
疲れて帰って妻の足を揉み子供と遊び風呂に入って川の字で寝る毎日。
毎日が台風と雷だが、どんな天気でも慣れれば平気なもんで、それなりに楽しい。
いい結婚だったのかどうかは、死ぬまでわからない。いや、たぶん死んでもわからない。
他の人と結婚した世界線や一生独身の世界線を知ることは出来ないわけで。
結婚に限らず、人生ってそんなもんで、正解なんて結局誰もわからない。