はてなキーワード: メンヘラとは
小学生のときに座高を測定されてマット運動の成績も高かったゆえにセルフクンニ適正ありと判断され自民党政権下の国策で田舎の山奥にある中高一貫セルフクンニ軟体開発女学院へと編入させられて毎日毎日過酷な舌延長と背骨が折れるような柔軟体操を強制されて3年時にはようやく陰核包皮に舌が届くほどに成長するが首席卒業者は既に首延長舌延長等の肉体改造を受けておりくちばしのように尖った唇で自らの陰核をチューチュー吸いながら卒業式の祝辞をスラスラと読むだけの実力を身に着けておりそのときようやく私は選抜されたなかでも出来損ないの落第生だったのだと知りやっとセルフクンニに囚われない人生を歩み始めるがある日この地球に強大な軍事力を持った異星人が襲来し地球全土を武力によって掌握すると宣言してから各国で先進的な兵器の開発が盛んに行われ我が国日本でもセルフクンニ専門学校卒業者を対象とした狭小コクピットを備えた小型人型機動兵器の開発が実施され脳波コントロールに加えてデバイス化した陰核を舌で刺激することで高速かつ繊細な動作が実行可能なその人型機動兵器は各国で注目を浴び世界中からセルフクンニ経験者が集められるがかつて日本のセルフクンニ専門学校を首席で卒業したエリートたちが世界の才能を駆逐し次々と候補にエントリーするも彼女らの殆どは破滅主義に目覚めトー横に入り浸り地雷メイクして左手首ズタズタブロンODアル中糞メンヘラと化していたと判明し防衛省は自らの犯した過ちとその現状に頭を抱えるも私のような次席卒業者に目をつけセルフクンニの再訓練を課し同時に過酷な再訓練で選抜した後正式にセルフクンニ姿勢でしか搭乗できない特殊小型機動兵器のパイロットとして任命され彼女たちは果てなき異星間の争いに身を投じることになる
メンヘラも、いつのまにか「そうであるほうが恥ずかしいもの」として
「メンヘラみたいなこといっちゃったww」みたいな冗談で使われたり
教員は社会に出ないままセンセイセンセイと呼ばれるようになったせいで、他の業界でやっていけない変な人が多いんだよ。
一回、教員免許を更新させる制度にして、メンヘラ教師もロリコン教師もまとめて排除できる仕組みにした方がいいと思う。
先生の性加害を糾弾するキャンペーンを新聞社でもやってたと思うから、女性支援団体や自民党の後援団体なども巻き込んで法改正まで持っていきたい。
Twitterでメンヘラアカとかメンヘラじゃないつもりのメンヘラ人格とかに接してると、メンがヘラっていること自体が問題なんじゃなくて、メンがヘラった根底にある原因をずっと引きずり続けてることが問題なんだな、と思う。
前に相互だった人が、メンヘラ言動はしてないけど生育環境(特に母親がいわゆる毒親)についてずっとゲームとかの話題の合間に言い続けていて、母親がすごく問題のある人だってことはよくわかったんだけど、でも当人も同じことをしてるのに気付いてなかったりするのがしんどくてブロ解したことがある。
決していわゆる毒親に苦しめられた人を貶めたいわけじゃないんだけど「私は被害者だ」って意識が強い人は自分自身の攻撃性に無自覚すぎる。
ちょっとした冗談とか単なる質問にすら「攻撃された」「否定された」と認識して過剰防衛をしたがるので付き合うのがしんどい。
そういう人、「友だちは聖人みたいに穏やかで大人な人ばっかり」ってことが多いんだけど、それは単にその攻撃性を我慢できる人しか付き合いきれないからだと思う。つまり常に相手に負担を強いてる。
本当に掛け値なしに友だちだと思われてるかどうかも怪しい。
これはけっこうマジでそう思っていてメンヘラ自認ある言動バリバリメンヘラの方が、自分の状況を説明してくれるので話しやすさがダンチ
【中学生くらいの頃】
・純粋に子どもが好き。将来はお父さんとお母さんみたいに結婚して子ども産んで生きていくのだろうと思っていた。
というか、子ども欲しいとか欲しくないとか、そんなことはただ考えず漠然と家庭を築いているんだろうなぁと想像妄想していたと思う。
【高校生くらいの頃】
・メンタルがやられ、なんて自分はダメ人間なんだと本当に落ち込む。絶対来世は人間にならないと誓う。絶対に人間なんかなるもんか。自殺は痛いから嫌だけど、本当に消えたかった。
・もしかしたら、いじめられるかもしれないし、人をいじめるかもしれないし。すごく理不尽な目に遭うかもしれないし、悲惨な事故に巻き込まれるかもしれない。可哀想で辛すぎる。そこまでひどくなくても、まぁ生きていれば辛いことがある。そんな酷い仕打ちを我が子にはさせたくない。が、かといって辛いことが何もありません、というふにゃけた人間になっても生きづらいだろうな、と思う。
・自分は子どもを産むことが許されるほど、能力を持っていない。子どもに受け継がれる全ての遺伝子が可哀想。ごめんね。
・絶対に子どもは産まない!と固く決意し、兄弟に子どもを産みたいと言ったら全力で止めてねと言っておく。いや〜止めないよ。と和やかに言われる。
・なんと好きな人ができて、この人に子どもを抱っこさせたい、でも私の子どもは嫌だという大問題に直面。ただ好きな人の子どもは私だって見たい。
・自分の遺伝子が問題なんだよ。でも好きな人に他人の卵子と受精させ子を育てさせること、養子をとることは違う気がする。代理母出産も申し訳ない。その痛み経験したい気もする。なんてわがままなんだ。
彼に失礼。自分のメンタル治せ!いや性分か?自分を愛することで他人を愛することができる!と自分の中の修造が言っている気がする。
・ごちゃごちゃ言いつつ、なんだかんだ今とても幸せで、人と環境と運に恵まれたと感じている。今の人生と同じ人に巡り会えるならもう一度人間をやってもいいかな、と思えるようになった。
・生まれてくる子は絶対大変だ、辛いはずと決めつけてしまっていたが、それは私が決めることではないし、今わかることではない。辛いかもしれないし、辛くないかもしれない。それは本人のメンタルの持ちようにもよるだろうし。まぁそのメンタルの基盤を作るのは、本人の性分と、親がいかに関わるか、周りの環境がどうであるかではあるのですが。遺伝と環境の相互作用。辛いか辛くないか、それは私達の努力も大切ではあるが、それが全てだと思わなくてもいいのかな?と考えるようになった。
・周りの子は経済的に不安を感じて出産を悩んでいた。私も友人もありがたいことに何不自由なく育ててきてもらっており、親がしてくれたような水準で子どもに関わってあげられる自信がない。そう思うと、大学まで金銭的援助ができる自信がないのに産んでいいのか?と不安になる。だって大学のお金まで出してあげたいと思ってしまう。理想としては。
「身の丈をわきまえろ」「脳内お花畑か」「奨学金制度使えばいいじゃないか」と言われそうだが、奨学金を借りない方向で子育てをしたいと考えている為、何不自由なく過ごせる経済的自信がないのなら産まない方がいいのかな?と思っているが、そもそも経済的自信満々で子育てをしている人はごく僅かだと思う。なんだかんだうちも「家計が火の車だよ」と言っていた。親のやりくり力すごい。
・優生思考、資本主義社会のこの世の中で戦い抜ける我が子を産み育てる自信がない。そもそも遺伝子に自信がないのだから、ね。親はちゃんとしていたのに、親に申し訳ない。
・私ものらりくらりと生きているということは、なんとか楽しく生きられる可能性50%、毎日死にたく生きる可能性50%?そもそも人間の人生って白か黒か、くっくり色分けできるものではなくグラデーションなのでは?なので何とも言えないのか?
【今の考え】
・この先100年辛そうだし、子どもが可哀想だからあんまり産みたくはない。しかし彼の人生にも関わることだから、申し訳ない。彼のことを考えると産みたい。多分いいパパになれると思うから。
知り合いのオタクも健常で普通の仕事についてる奴は案外30までには結婚してるわ。
で、嫁や子供の話はtwitterには書いてなくて、Facebookとかに投稿してる。
本名でクローズドに発信する世界では普通の父親、idやハンドルでオープンに発信する世界では量産型非モテオタク。そういう振る舞いの人多い。
あいつがメンヘラなのが全て悪いで、自分たちアンチの言動を全て免罪しようとする三澤紗千香粘着アンチが気持ち悪すぎて引いた
こんなのがわいてたら、メンタル元々悪くなくても、病むだろ。(元々脆けりゃなおさら)
https://twitter.com/RoyalGuard_404
晒されたツイートの中にはアウトなもの、口が悪いもの、色々あるけど三澤の普段の言動を鑑みれば
あまり同情は出来ない
その他に関してはアンチと冷やかしと純粋に心配しているファンが混在してる
自分が気に食わない意見してくる奴には誰彼構わず殴りかかる暴君スタイルは相変わらず pic.twitter.com/cfDQZDQWbz— ロイヤルガード (@RoyalGuard_404) May 31, 2023
#三澤紗千香
おい、
晒せよ https://t.co/VbzPTLzX40— ロイヤルガード (@RoyalGuard_404) May 21, 2023
これ、ガチのメンヘラ毒親でも、想像や転載で書いてるネタでも、いったいどういう気持ちで書けるんだろうな?
この増田に事実があるならば、親の愛を得れなかったメンヘラがまたひとりこの世にリリースされることになるのか
ほんで社会はまたメンヘラに迷惑をかけられたり面倒を見ることになるのか
愛ってそれだけではなんの役にも立たないが、本当に根源的なものだ
親が子に対して愛を持っているからと言って、必ずしも子の人生の役に立つとは限らない
親も子もお互いに愛を持っていたとしても、タイミングによっては分かり合えたりはしない
でも、親が子を愛しているって本当に"奇跡"なんだよな。当たり前なんかじゃない
元増田みたいに平然と共働きガーとか土日が潰れるのガーとか平気でのたまう
ちなみになんだけど、キャラ作りでワザとこの文字数で改行してるのかもだが、
最近SNSで独身不倫女のアカウントをウォッチしている。サレ妻(夫に不倫された妻)のアカウントを目にしたのがきっかけだったが、不倫女アカウントのほうが断然面白い。
一口に不倫女とまとめたが、病状によっていくつかパターンがある。
おそらく一番想像がつきやすいグループ。「出会う順番が違っただけなのに」「どうして私を口説いたの」など。多少病んでいたとしても、不倫デートの直後には大抵惚気ている。
比較的歴が短い不倫女が多い。相手の男の「妻には嫌気がさしているから、いつか離婚して君を迎えに行くよ」などの大ボラを信じて健気に待ち、時間を無駄にしている。
(不倫女のなかでは)一番真っ当なグループ。不倫を止めた後に立ち直ろうとしているアカウントも多い。「よその家庭を壊してしまった」「早く不倫なんか止めて自分の人生を生きよう」など。
しかし、「不倫止める止める詐欺」をしない不倫アカウントはほぼ存在せず、大抵が期限を区切っても尚引きずっている。
ちなみに、別れる原因は奥バレ(不倫相手の奥さんにバレる)か、単純にフラれるパターンがほとんど。相手の男もクズなので、クズエピソードをきっかけに正気に戻れるラッキーな女もいる。
自ら別れを切り出した不倫女は勇者扱いされ、祝福のリプライが届いていた。
相手の男からすると一番扱いやすそうなグループ。「一番の愛人になる」「日陰の女でいいからこれからも一緒にいたい」
不倫相手という立場に満足しているアカウントが多い。どれだけ気持ちよく不倫相手を送り出せたかを誇っている。その送り出し先とは、もちろん不倫相手の住む家である。ここまで開き直られると、ウォッチャーとしては逆に心配になってくる。
不倫相手の嫁や子どもを憎み、果ては不倫相手本人も憎んでいる。なぜ別れないのかは不明。「嫁と子ども○ね」「授業参観や運動会に参加するなんてきもい」など、自分より家族を優先することに腹を立てて当たり散らす。ウォッチャーとしての見どころは連休や年末年始で、家庭行事を潰すことに生きがいを見出す者もいる。
不倫男からすると、開き直り系を見習って欲しいところだろう。ただし、これらのアカウントには不倫5年選手などもおり、彼女たちは再婚どうこうではなく「とにかく相手の家庭を破壊したい」という恨みを募らせている。
最近では、相手の男の結婚指輪を盗んで捨てるなどの暴挙に及ぶ者も現れた。「不倫は民事」とは不倫女がよくする言い訳だが、こうなると立派な刑事事件である。
にわかには信じられないが、不倫相手の子を出産する者がいるのだ。しかも1人ではない。隠し子が芸能界や政界だけだと思ったら大間違いである。
もちろん認知などされず、1人で育てていくことになる。将来相続でどれだけ揉めるのか…想像するだけで頭が犬神家モードになってしまう。
「避妊しなかったのか?」その疑問はもっともである。ただ、不倫カップルはチンパンジーだ。避妊を徹底するだけの理性があれば、そもそも不倫しないのかもしれない。
ちなみに、不倫女アカウントの中絶率は非常に高く、そのなかで全てを投げ捨てて産む覚悟をした者だけがこの低みに至れるのだ。
いかがだっただろうか。
SNSでは、独身不倫女たちが今日もポエムと怨嗟を投稿している。彼女たちが幸せを掴むことはとくに願っておらず、不倫相手の妻に平穏な日々が訪れることを祈るばかりだ。
25年間生きてきて、色々なことがありました。
これから先の人生は大きく変わらないけど、自分の青年時代は自分自身の人格形成に多大なる影響を与えたと思います。
これからの話の説得力を増すために自分に起きた大変だったこと(不幸自慢)を少し。
・新社会人の時の上司が、会社でも有名なパワハラ男、今日もまた罵声が飛び交う
不幸自慢をしたいわけでは無いです。苦しいことは人によってレベルが違うわけですから、生きてるだけで苦しい人だっていていいんです。
私が語り明かしたいのは「苦しくても生きていく方法」です。
私もそうやって生きてきました。自分の考え方、メンタルトレーニングを最近やっと体系的に捉えてきたのでそのお話です。多くの「人生が苦しい」人と話してきて理解を深めてきたつもりです。もしかしたらもう、語られてることかも知れませんが、それでも。
◯悲しみ(苦しい気持ちの素となるものを悲しみと呼びます)は止めれない
「悲しい」気持ちの捉え方です。
例えるなら、美味しいご飯というのは
「お米」という純粋な素材と
「お米」の炊き方で生み出される
のと同じです。
要するに、悲しい気持ちがあったとしてもそれをどう捉えるかによるよねということなんですが。ただそれだけです。
という考えのもと、すごくすごく大切なのは「悲しい」気持ち(以下、感情と呼ぶ)は抑えることができない自然発生的なものだと言うことです。
例えば「誰かに叱られる」、「家庭が崩壊する」ということはどう考えても悲しいことです。こういうことが起きて感情を止めるのは不可能です。どうあがいても悲しいし、感情を無視しようとしても夜になれば思いだします。枕に叫ぶのは気持ちいいですよ。もしあなたがメンタルトレーニングしていなくて無防備にその感情に心を晒せばすっごく苦しいと思います。
じゃあどうするのってことですが、自分の中の感情君を別のものと捉えるんですよこれが。
「あ、今自分悲しいんだな」って第三者の視点から捉えましょう。これを私は『感情の外部委託』と呼んでいます。
第三者の目線から自分の感情が分かれば、あとはそれをどう処理するかです。
それでも泣きたければ泣けばいいし、まあ悲しいだけかぁって思えれば無視すればいいし。
世の中悲しいことからは逃げられません。ストレスはなくなりません。でもそれはあなた自身を直接傷つけることはありません。
冷静になって欲しい、なんでよくわからん外野に傷付けられなきゃいけないんですか?