はてなキーワード: イライライとは
「今も」赤ちゃんだったと思うようにしたら、めっちゃストレス減った。
だって赤ちゃんがワーワー騒いでても赤ちゃんだからしょうがないなって。
なんか上司がイライライして同僚に八つ当たりしてても「赤ちゃんは癇癪起こすからなー」ってなるし、ずっと独り言や愚痴言ってる同僚も「まあ赤ちゃんって延々と「くちゃい」「美味しくない」「つまんない」みたいなこと言ってるしな」と割り切れるようになった。
職場で自分勝手な不機嫌を撒き散らして、ロクに言語化も出来てないし他人の立場も考えられない身勝手な欲求を他人に何とかしてもらおうとか?
「えーんえーん😢(オムツが気持ち悪いよー👶)」と何が違うのマジで?
そう割り切ったらもうどうでもよくなったわ。
なお
「甘やかすのはお前のためによくない」
とか言い出して建て替えないため、返す当てもないし自己破産する金もないし自己破産できるほどの借金でもないのに金も借りれなくなり、自転車創業が止まって信用情報真っ黒。
もちろん金もないので生活すら難しい。というか子供部屋おじさんじゃなきゃ確実に死んでた
「自分でどうにかしろ。助ける気はない」と言いながら「てめぇどれだけ迷惑かけて」と怒りだし「○○しろ△△しろ」とネットで聞きかじった知識で命令し「お前を思って」と命令の責任だけ押し付けてくる両親
人の足引っ張ることはしても助けはしない。サラ金のほうがイエスかノーかのでイライライライライライラ
限界突破して死ぬこともできずかと言って良くなるわけもない中途半端な所立ち止まるしかなく督促状と督促電話で神経をやられつつある。
誰か殺してくれ。それか金返せないから自己破産するというと甘えたこと言うなと言い出さない有能な相談者を紹介してくれ。金はまったく無いしはらいたくもないけど
少し前に転職をした。
同じタイミングで中途採用をされた人が複数人いるのだが、そのうちの1人のことをものすごく見下してしまう。
その同期はの第一印象は過剰にハキハキした高い声で喋る芋オタク女だな、であり、私が苦手なタイプの人間だったからだ。
あとショタコン腐女子らしいのも、なんだか個人的に苦手さに拍車をかけていた。
元気な挨拶、きびきびとした応対でしか企業への忠誠心を示せないので、
(もちろん根暗無能なため、態度や返事だけが良く内実が伴わない)
彼女がそういう感じに収束するのはわからないでもないのだが、どうしても無理だ。多分同族嫌悪なんだと思う。
妙に私と競おうとしてくるところも嫌だ。
1度、かかってきた電話を2、3コール目で取ろうと手を伸ばした時、
向かいに座るその同期が(私側にある)受話器をひったくって出たことがあり、けっこう引いた。
とはいえ、ここに関しては私側が先に、無自覚に闘争心を発動させている可能性があり、私側が原因である可能性も高い。
最初は嫌悪感を隠すため、過剰に下手にでたのも失敗だったかもしれない。
他にもいくつか仕事上の出来事があり、最近は強くイライラするようになってしまった。
自分では抑えているつもりだが、当人含め多分周りは察していると思う。
服飾規定がないため、普段すっぴん前髪なしひっつめひとつ結び、パーカーなのはまだわかる。
飲み会の時、上記の通りの地味な服装+女児が使うようなビタミンカラーのヘアゴムでのひとつむすびで登場し、
と、いう感じなのに「ここのネイルいいですよ」とオタク御用達っぽいネイルサロンを紹介された。
自分自身だってあか抜けない方のオタクである自覚がずっとあり、
もがいた過去があるから同族嫌悪で彼女にイライラしてしまうのだろうか?
でも、もう一人の同期も簡単なひとつ結びにジャージ、すっぴん眼鏡で出勤しているオタクなのだが、
彼女にはまったく嫌な気持ちはせず、もっと仲良くなりたいとさえ思うのだ。
苦手な同期がまっとうなことを言っていても、正しい仕事の依頼や修正指示であっても、
もうブログなんてやらないだろうと思っていた。
約18年前、mixiなるブログが流行った頃。やってみたはいいものの、まるで続かなかったからだ。
最初は楽しかった。いわゆる「映え」を、誰に言われるでもなく既に取り入れて、活用していたと思う。
でも次第に、そういう「仮想現実」や「虚構の世界」に違和感を覚える。
自覚したのは、始めて一週間くらいだっただろうか。私は、全消しした。
今思えば若気の至り。
でもやっぱり、嘘は嫌いなのだろう。
アメブロ、GREE、Facebook、Twitter、LINE、note、いろいろあるけれど。
18年経った今も様々な媒体のブログが存在していることに正直驚いている。
私が何周もして周回遅れで合ったような古くささを覚えながら、その中に私が知りたかった情報があることにも気付く。これを玉石混交というのか、古今東西というのか、はて、これ如何に。
奇しくも、ちょうど水瓶座月間。
年末年始にかけてのあの重苦しい居心地の悪さ、昨晩から今朝にかけての激しい変化、他の方はどうお感じになられたのか、また平気だったのだろうか。私などはイライライライラ、自分でも驚くほどにとにかくイライラが大爆発でございました。
何これ?
というのが今の気持ち。
最近になりどうやら私は、自らが水瓶座生まれであることに誇りを持っているらしいことに気付く。占いは興味はあるが特に詳しくないし、スピリチュアルには見向きもしない。今の関心事といえば哲学、禅、心理学、美術、音楽。
難しいお話は然るべき機関でやればいい。J-STAGEやCiNiiのような情報論文検索サイトなるものがあるはず。
よって、全ては私調べの情報を元にして興味のあるものを取っ掛かりに心ゆくままゆらゆらとしてみたい。真偽も大切だが、自身が良いと思うものを追求していきたい。さすれば、自ずと真実のみが残ると信じている。
なんか二重投稿になったから消したら跡が残ってやがる。めったに書かねえから増田よく分からん。
本当にそれが校正者としての正しい姿勢だろうか。校正者は「間違いを正す」存在ではなく、「間違いの可能性がある部分を指摘する」だけの存在じゃなかろうか。
当該部分を直すかどうかは筆者が決める。デスクが決める。編集部が決める。その判断を校正者は担わない、自分はそう考えながら校正の仕事をしている。
もちろん「俺の赤は絶対正義!」なんて思っちゃいないけどよ。
俺は社員じゃなく孫請けの弱小フリーだからさ(ブコメで大手の正社員様だと勘違いされてるのは笑った)、そもそも信頼されてねえんだ。「明らかな誤脱以外は極力入れるな」ってな。
決定権を持ってるのは大前提として、著者や編集が言いたいのは「余計な仕事を作るな」って訳だよ。
別にそいつらが傲慢な訳じゃねえ。ちょいと特殊な現場で、俺も校正者の指摘を採用するかどうかの判断を任せられたことがあるけど、ありゃあ結構精神的にクるぜ。
決断には脳のリソースが必要って話だが、それをずーーっと一日中、どっちでもいい言い回しの変更やクソどうでもいい指摘を見せられては赤字で消してると、イライライライラしてくる。
そうそう。「指摘を入れない美学」と「入れる美学」はベテランの間でも結構対立しててよ。酒の席で喧嘩になってんのを見たことがあるぜ。
俺か? 俺は……怒られなきゃどっちでもいいな。ただ、「自分はこんな細かいことに気づけたぜ」ってオナニーにはならないようにはしてえな。
この仕事はいつだって、誰のためにやってるのか分かりゃしねえ。著者の側に立つのか、読者の側に立つのか、作品の側に立つのか……人が嫌いでこの仕事を始めたのに、どうしてこんな三つ巴の中間管理職みたいなことしなきゃなんねえんだ。
指摘される=自分自身を否定される、ではないはずなのに、それを担う校正者は何かと悪者にされがちだ。
そうかな。俺はアホだから、意見の否定を人間性の否定だと受け取りがちだぜ。
そうでなくたって、魂込めて書かれたものに「こうするともっと良くなりませんか?」って鉛筆入れるのは結構怖いことだし、そこは肝に銘じなきゃいけないと思う。
ただこれは、俺がその昔あるライターに「お前、その指摘本気で書いたのか?」って詰められたのをまだ引きずってるだけかもな。この文章は口が悪いが、よく吠える犬はビビってるだけなんだよ。情けない話だな。
ああそうだ、指摘はバンバンやってくれ、多けりゃ多いほど助かるって現場ももちろんあるけどな。どっちが良いって話じゃねえが、こっちの方が気はラクだ。
校正・校閲は、今日知ったこと、ずっと前に少し聞いただけのこと、何の役にも立たないと思っていたこと、それらのすべてが無駄にならない仕事だと思う。
それは本当に俺もそう思う。生涯勉強だよな。テニスプレイヤーの話も良かったぜ、聞かせてくれてありがとな。
俺がこの仕事に就こうとした理由のひとつに、「一生勉強せざるを得ないから」ってのがある。別に勉強が嫌いって訳じゃねえんだが、俺は怠惰な人間だから、学ばなきゃ飯が食えない状況したかったんだ。
でも結局、今も休みの日はずっと布団から起き上がれねえ。脳が腐っていく音がする。そのうち飯も食えなくなるんだろうさ。
わからないことでも「これって本当に正しいのかな?」と検索するだけでも違ってくる。
公式で「徒歩10分」の表記を見ても、GoogleMapできちんと確認する元増田は絶対に良い校正者だ。
自分もYouTubeで鳥の鳴き声を調べたり、何十年前のその日が本当に雨だったかどうかを気象庁のHPで調べたりしてる。
「冥福をお祈りする」との表記があれば、その故人が仏教を信仰していたかどうか、できる限り確かめたり……
まあこういうのは、校閲の“楽しい部分”なんだろうけどさ。あとのほとんどは元増田の言うように“シャーペンの先っぽで一字一字ゲラの文字をぷちぷち押さえたりするだけの仕事”だったりするけど。
GoogleMapの件はたまたまだ。近くにある別の店の情報を調べてたら、前の店は調べ済みだけどどうにも食い違ってそうだぞ、って気づけただけだ。いちいち調べるほど、俺は殊勝な人間じゃない。
「こんな単価で真面目に調べしてるんじゃねえ」「時間かけていいなら良い仕事なんて誰でもできるんだ」、よく言われたよ。
増田のとこは、校正に金と人をかけられる、いいとこなんだろうな。
この仕事の質は、自分の時間と気力や、会社の金とトレードオフだ。まあ、どんな仕事でもそうなのかもしれんが、あいにく俺は校正しか知らねえ。
雨の話で思い出したが、あったじゃねえか。「小説のウン年前のその日は月が出ていたか」って指摘がネットでバズったこと。
業界入ったばかりの俺はキャッキャ喜びながら「この指摘すごいっすね!」って先輩に言ったんだよ。そしたら難しい顔されてな。先輩に言わせりゃよ、「こんなの、たまたまOKだったから美談になってるだけだ」ってさ。
もしその日が大雨だったとしたら? 新月だったら? そんな指摘を著者に入れてどうなるんだ。
「俺の世界じゃその日は月が出ているんだ」って突き返されるか、その美しい描写がまるまる消えるか。いったいこの指摘、誰が得するんだ?
増田さんアンタは、ニュースやノンフィクションの現場なのかい? だったら細かい指摘は大事だ、厳密であれば厳密であるほど良い。
俺は一応どっちもやるけど、文芸は何が地雷になるか分からん。分からん程度の腕しかないから、俺にはあんまり依頼が来ねえ。憧れの作家うんぬんは、本当にたまたまだ。
冥福と仏教信仰の話はまるで発想になかった。毎回調べることは俺にはできないが、覚えとけばいつか役に立ちそうな視点だ。ありがとう、勉強になった。
とにかく、AIに取って代わられるその日が来るまで、このへんてこな仕事を楽しみたいよ。誰にも求められてないと感じる日があっても、意味のない仕事だと嘲笑されることがあっても、校正の仕事がこの世界にずっとあるといいな。
そうだな。
別に俺もこの仕事が嫌いじゃねえ、というかこの仕事以外で食える気がしねえ。賎業とは書いたし実際本気でそう思ってるが、校正がなければ俺は野垂れ死んでる。
お互い、何とかやってこうぜ。
近所にわりと小学校の子供会が子供会の子供全員に抹茶飲ませるとこあるので結構覚えてるぞ
一応座ったままならお席入りも扇子も床の間拝見もないんだから気軽にのめばいいぞ
器を気にするならちょっとまわして正面をずらして飲んで飲み口ふいてまたもどして。
いただきますとごちそうさまのかわりに「お先にいただきます」「結構なお点前で」だっけな。
飲む前に器を拝見して中身こぼすなよ、飲んだ後落とさないようかがんでみる
あとは覚えてるのは
1人用のお濃茶だったらずっ、ずっ、ずっ!て3口で吸い切ったあと飲み口を指で拭いてその指を紙で拭く
お菓子もお盆がまわってきたらとって黒文字で食べて黒文字は敷き紙の裏で拭く
拝見もやってたし畳では隅を切った
そしてなにより和服とタビに着替えるのがめんどくさかった(専用ツールがいっぱいあるけど)
くらい
あれ割と屋外など汚いかもしれないところで清潔にものをたべ(させ)るときに重宝するかもしれないとおもっている
普段足で踏んであるいている畳マットに直接乗せる形で飲食物を出してもてなす・もてなされるってのはとてもおもしろい文化だと思う
お茶勉強してた異世界転生ものはないのかね 野営で王族もてなせるぜ
令和じゃなくて昭和に茶道はじめた人にきいたら嫁入り修行ときいてはじめたが